J社はオフィス用什器を製造するメーカーである。主要取引先であるS社は業界で4位の規模を誇り、J社の売上の大半を支えている。他には十社にも満たないディーラーが存在するが、その多くは地域密着型の小規模な業者に過ぎない。一方で、S社は全国規模のネットワークを持ち、毎月品目ごとに県別の売上実績を集計したデータを作成し、それをメーカーにも共有している。
J社長はS社が作成する売上実績表に目を通してはいたが、具体的な販売促進策を打ち出すことはなかった。営業部門の人員は部長を含めて二、三名程度で、業務内容も営業活動というよりは、S社との連絡や調整が中心だった。J社にとって販売は流通業者が行うものであり、自社の役割はそのサポートにとどまるという考え方に基づいていた。
メーンディーラーであるS社が業界ナンバー4という立場にある以上、J社の商品売上もさほど良好とは言えなかった。そのため、サポートの重点は自然と販売促進に向けられることとなった。まず取り組むべきは意識改革であり、「自社の商品は自らが売る」という姿勢を確立することが最優先課題となった。
社長の悩みの種は九州・四国地方での売上が低迷していることだった。これを何とか打開したいと考えていたが、私はその考え方自体を修正する必要があると感じていた。根本的な問題は、その地域でのメーンディーラーの影響力が弱いことにあり、さらに競合他社の影響力が強いという現実だった。そういった地域に頭を悩ませても、実際の改善にはつながらない。私の主張は明快だった。「まずは地元だ。地元で確固たる市場占有率を築けないようでは話にならない。地元の状況を立て直すことが先決だ」と。
私の作戦は明確だった。「全国展開など考えるのは時期尚早だ。まずは地元でナンバー1になることから始めるべきだ」という方針だ。その第一歩として、J社が拠点を置くK市限定で「蛇口作戦」を実行することにした。蛇口を開けるように、地元での販売を力強く流れ出させるのが狙いだ。他の地域に目を向けたくても、そもそも対応できるセールスマンの数が足りないという現実がある以上、地元に全力を注ぐ以外に選択肢はなかった。
作戦を進めるとはいえ、手元に頼れる情報はほとんどなかった。「所詮、こちらは業界ナンバー4の立場に過ぎない。必然的に弱者の戦略を取らざるを得ない」と、私は状況を冷静に分析した。そこで、ターゲットを絞る必要があると判断。一流のデパートや有力納入業者をあえて除外し、二流どころの業者を狙い撃ちにする方針を採用した。そして、それらの「蛇口」に対して定期的に巡回訪問を行うことで、地道に販路を築く作戦を立てた。
まず、J社長自身に巡回訪問を実施してもらった。そこで社長が痛感したのは、「問屋は売ってくれない」という現実だった。メーンディーラーのセールスマンが二流の蛇口をほとんど回っておらず、実質的に放置されている状況が明らかになったのだ。この事実は、J社が頼りにしていた流通網が想像以上に機能していないことを露呈し、課題がさらに浮き彫りとなった。
J社長は、自ら蛇口を巡回して初めて、私の言っていたことの本質を理解した。「これでは売上が伸びるはずがない。自分たちの商品は自分たちで売らなければダメだ」と腹を括ると、その後の行動は迅速だった。セールスマンを一人専任で配置し、二流の蛇口を対象とした定期訪問を即座に開始した。この小さな一歩が、地元での市場占有率向上への具体的な第一歩となった。
セールスマンを専任させる際、J社長が「売上は二の次だ。定期訪問こそが大切だ」と説明したところ、セールスマンは納得しなかった。「セールスマンの役割は販売にあるはずです。それを二の次だなんて、そんな馬鹿げたことがあるでしょうか。小売店を訪問するだけで、売上がなくてもいいと言うのですか」と、社長に強く反論した。その意見は至極もっともであり、セールスマンとしての当然の矜持から出たものだった。
社長はそのセールスマンを連日自宅に呼び、四晩続けて夜中の十二時までかけて説得した。これこそが本物の情熱というものだ。社長という立場にある者には、このくらいの覚悟と執念が求められる。冷静な理論だけでは人は動かない。真剣さと熱意で相手の心を揺さぶることが、時として最も重要なリーダーシップの在り方だといえる。
社長は、「売上がなくても、それは社長である私の責任だ。君には責任はない」とまで言い切り、セールスマンを説得した。その覚悟と信念を示した社長の姿勢は見事だったが、それを受け入れ、社長の方針どおりに巡回を実行したセールスマンもまた立派だった。こうして始まった定期訪問は、当初は単なる地道な活動に過ぎなかったが、やがて意外な成果を生むこととなった。この取り組みが、J社の新たな可能性を切り開く契機となったのだ。
この意外な成果は、社長はもちろん、当のセールスマンさえ全く予想していなかった。理由は単純で、他社のセールスマンたちはほとんど蛇口訪問を行っていなかったからだ。競合が手を抜いている分野に、地道ながらも定期的に顔を出すことで、J社の存在感が際立ち、蛇口業者との信頼関係が築かれていった。この差別化が、結果として売上や顧客との関係性の向上につながったのである。
三カ月ほど経過した頃、社長はこう感想を漏らした。「無人の野をゆくような気がします」。それまで信じ込んでいた「過当競争」のイメージは完全に崩れ去った。競争が激しいどころか、実際には競合他社はほとんど現場を回っておらず、商機を取りこぼしている状態だった。いわゆる「過当競争」というのは、怠慢な企業が自らの努力不足を隠すための幻想に過ぎないことが、この経験で明らかになった。
その頃、競合他社の情報収集を進めた結果、業界ナンバー1の販売体制に対しては、正面からの反撃が難しいことが明らかになった。この会社は県別の総代理店制を採用していたが、代理店との資本関係や人脈はほとんど築かれておらず、そうしたネットワークを活用した戦略は不可能だった。また、価格競争による反撃も現実的ではなかった。代理店のマージン率を考慮すると、大幅な値下げは代理店側の反発を招く可能性が高く、踏み切れる状況ではなかったのである。
さらに調査を進めると、もう一つの事実が浮かび上がった。競合他社の代理店社長がすでに70歳を超えており、高齢ゆえに反撃するだけの気力が残っていないという状況だった。この情報を受け、私はJ社長と相談し、方針を転換することにした。「遠慮はいらない。どこでも好きなだけ攻め込め」という大胆な戦略を掲げ、徹底的に市場を荒らし回ることを決めた。その結果、売上はさらに大きく伸び、J社の存在感は一層強まることとなった。
この成果を受けて、J社は専任セールスマンをさらに二名増員し、蛇口作戦を全県に拡大した。その結果、実施から一年も経たないうちに、県内のシェアは圧倒的なトップに躍り出た。投入したセールスマンの人件費や販売促進にかかる費用をはるかに上回る付加価値の増加が得られ、この戦略が十分に採算性のあるものであることが実証された。J社は、地道な努力が市場に確かな結果をもたらすことを実感し、さらなる成長への足場を固めることができた。
この間、ナンバー1の競合会社は三割安の商品を投入してきた。しかし、この価格設定は業界内でほとんど相手にされなかった。理由は明白だ。大幅な値下げの裏には代理店のマージン削減があり、流通業者にとっては利益がほとんど残らない状況だったからだ。その上、品質も劣る商品であり、単に「安ければ売れる」という短絡的な思想が、現場では通用しなかったのである。流通業者も商売である以上、利益が確保できなければ動けない。結果として、この競合会社の試みは、価格競争の敗北を意味するものとなった。
流通業者が霞を喰って生きているわけではないという当たり前のことを理解していないメーカーが、あまりにも多すぎる。流通業者にとって本当に魅力的な商品とは、適正なマージンが確保でき、かつ市場でよく売れる商品にほかならない。メーカーはただ「安い商品」や「品質だけが売りの商品」を押しつけるのではなく、流通業者が利益を出せる仕組みを作ることが不可欠だ。この認識が欠けている企業は、いずれ市場から淘汰される運命にある。
さらに、メーンディーラーのK市営業所長が東京営業所へ転勤となり、K市での蛇口作戦をそのまま東京で実践した結果、売上を急増させることに成功した。この成果が広まり、各地の営業所からJ社のやり方を学びたいという要請が相次ぐようになった。J社長は対応に追われ、自身が進めていた蛇口訪問計画を見直し、指導業務に時間を割かざるを得なくなった。J社が培った戦略が、広く注目されるほどの影響力を持つに至ったのである。
その結果、メーンディーラーの商品全体の売上が大きく伸び始め、業界ナンバー3との差を急速に縮めることに成功した。この時点まで来ると、J社の市場戦略はもはや明快かつシンプルなものとなった。セールスマンの数を増員し、計画的に蛇口作戦を拡大展開するだけで、さらなる市場占有率の向上が可能となる状況になったのである。複雑な理論や革新的な手法は不要だった。地道な努力と実行力が勝利を手繰り寄せる原動力となったのだ。
ここまで成果が出た段階で、私は初めて社長に対し、全国的な視野に基づいた戦略の策定を提案した。ただし重要なのは、「全国戦略」という言葉に陥るのではなく、「全国的視野に立った戦略」を構築することだという点だ。全国戦略とは、単に広範囲にわたる計画を指すが、それでは地域ごとの特性や現実を無視しがちになる。一方、全国的視野に立つ戦略とは、全体像を把握しつつ、各地域に適した方策を柔軟に組み立てるアプローチであり、成功の鍵はここにある。
まだ全国に戦略を推進するだけの力がない段階で、「札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡」といった主要都市すべてに営業所を展開するような総花的な計画は、愚策の極みである。自社の基盤が十分に整っていない状態で全国に営業所を設置しても、膨大な経費がかかるだけで、実際の成果を上げるのはほぼ不可能だ。むしろ、地元の強化をさらに進め、特定の地域で確実な成功を収めてから段階的に拡大することが、戦略としてははるかに現実的で効果的なのである。
まずは特定の地域、具体的には特定の県でナンバー1の地位を確立することが最優先である。一つの地域で圧倒的な成果を上げ、成功モデルを構築することで、それを他の地域に展開する足場ができる。このプロセスを繰り返し、ナンバー1の地域を一つ一つ着実に増やしていくことが、持続可能かつ効果的な戦略である。拡大は段階的であるべきであり、基盤のない全国展開よりも、この方法の方が確実に成果を生む道筋だといえる。
優先順位を決定する際には、競合他社と自社の戦力を徹底的に分析し、その結果を全国的な視野に基づいて考慮することが必要だ。これこそが「全国戦略の樹立」の本質である。ただ漫然と全国展開を目指すのではなく、具体的なデータと現実的な分析に基づいて、どの地域を優先すべきかを明確にする。この考え方を十分に理解し、適切な順序で戦略を展開することが、長期的な成功を保証する鍵となる。
このような戦略を取ることが、最も効率的な方法であることを理解する必要がある。全国戦略を展開するにあたっての状況判断は以下の通りであった。
- 競合相手はナンバー1だけに絞る
ナンバー2とナンバー3については、全く問題視しなくてよい。彼らはすでにナンバー1よりも弱い存在であり、現時点では脅威ではない。 - ナンバー1の拠点と地理的優位性を活用する
ナンバー1の本社は東京に位置し、J社のメーンディーラーであるS社の本社は名古屋にある。すでにJ社は愛知県でナンバー1の地位を確立していることから、中部地方を主戦場とするのが最も有利である。J社自身も中部地方に拠点を持つため、この地理的優位性を最大限に活用することで、コストや効率の面でも有益な結果が期待できる。
この判断に基づき、リソースを最適化して戦略を展開することで、J社はさらに有利なポジションを確保できるようになる。
この状況判断に基づく全国戦略の基本は、以下のように設定された。
- 中部地方十県を第一次主要戦略地域とする
中部地方の十県を優先的な戦略地域に設定し、このエリアで圧倒的なシェアを獲得することを目標とする。これを実現するために、戦力を増強し、主力をこの地域に集中的に投入する。地元の地理的優位性を最大限活かしつつ、確実に成果を上げることが狙いだ。 - それ以外の地域は拠点戦略を採用する
中部地方以外の地域については、当面の間、メーンディーラーであるS社との共同作戦を展開する。その際、拠点戦略を採用し、大都市や中核都市を重点的にカバーする形で市場を攻略する。この戦略により、効率的にリソースを配分しながら、全国的な足掛かりを築いていく。
これらの方針により、地元の基盤をさらに強固にしつつ、全国展開の準備を着実に進めることができる計画となった。
この戦略の核心は、地の利を活かした中部地方での圧倒的なシェアの確保にあった。中部地方を太平洋岸から日本海岸まで一気に攻略し、この地域全体でナンバー1の占有率を築き上げる。これにより、文字通り日本の「ド真ん中」を掌握し、競合相手を東日本と西日本に分断するという狙いだ。
この戦略が成功した場合、競合他社に与える打撃の大きさは計り知れない。中部地方という物流・経済の要衝を失うことで、彼らの市場支配力は大幅に削がれる。東西に分断された形となり、それぞれの地域での市場シェアの維持や拡大が困難になるだけでなく、全体的な営業戦略にも影響を及ぼす。
自らがこの状況に陥った場合を想像すれば、これがいかに致命的な打撃となり得るかは明らかだ。この戦略は、中部地方を制することで全国の勢力図を根本から塗り替える可能性を秘めていたのである。
中部地方以外では、J社の力がまだ十分でないため、広範囲な展開は避け、拠点確保に注力する。将来の広域展開に備え、強力な「核」を築くことを目指す。
それらの拠点の中で最大の核は東京である。通常、弱者が敵の最大拠点を優先戦略地域にするのは避けるべきだが、一年間の経験から、競合が実際には「張り子の虎」に過ぎないことが判明したため、あえて挑戦を決めた。セールスマンが少なくても、それを補う明確な作戦があるからである。
中部地方はさらに県別に細分化し、個別の市場戦略を構築した。この戦略は、メーンディーラーであるS社との共同作戦として展開されたことは言うまでもない。
この取り組みが可能になったのは、J社のこれまでの実績をS社が認めたからこそである。拙著『販売戦略・市場戦略』の「問屋は売ってくれない」という項目で、「問屋が動き出すのは、メーカーが自らの努力で販売実績を上げた場合である」と記したが、まさにその具体例がここにある。J社の努力と成果が、S社との共同作戦を可能にしたのである。
中部地方の市場戦略といっても、十県を一律に扱うわけではない。地域ごとに戦略の重要度を格付けし、それに基づいて優先順位を設定する。そして、戦力の充実、具体的にはセールスマンの増員と歩調を合わせながら、一県ずつ順に作戦を進めていく方針である。なお、この戦略の具体的な詳細については「社外秘」に関わるため、公表を控えざるを得ない点をご了承いただきたい。
市場戦略を立てて作戦を遂行したからといって、すべてが順調に進むわけではない。競合も必死に対抗してくるからだ。中には無人の野を行くように容易に攻略できる地域もあれば、苦戦を強いられ、どうにもならない戦場も存在する。市場は一様ではなく、それぞれの状況に応じた柔軟な対応が求められる。
市場戦略の成果として、七割成功すれば大成功といえるし、全体で六割程度の成功でも十分な成果と考えるべきだ。この六割の成功は、競合の四割と比較すれば二割の差があり、決して小さなものではない。この二割の差が時間の経過とともに蓄積され、競争力の大きな優位性として現れることを想像してほしい。戦略の本質は、こうした持続的な優位を築くところにあるのだ。
全国戦略とは、「全国一斉に」作戦を展開することではない。全国を俯瞰し、競合との勢力や戦力を比較分析した上で、自社が有利に戦える地域や状況を見極める。そして、その結果に基づいて優先順位を設定し、計画的かつ段階的に戦いを進めていくことが全国戦略の本質である。拡散するのではなく、集中と選択で勝機をつかむのが鍵だ。
集中主義に基づいて重点戦略地域に戦力を集中的に投入する以上、どれほど戦力を充実させても、そのリソースには限りがある。そのため、すべての地域で同じように戦略を展開することは不可能だ。従来とあまり変わらない状況の地域もあれば、面戦略を拠点戦略に切り替える必要がある地域も出てくる。また、場合によっては完全に撤収を余儀なくされる地域も出る。選択と集中が成功の鍵を握るのである。
O社の場合、扱っていたのは雑貨の一種だったが、全国展開の方針としては雑貨問屋に全面的に依存し、自ら積極的な市場開拓を行わなかった。その結果、大都市のデパートやスーパーを対象にした特売作戦にのみ注力する状況に陥っていた。このような戦略では、安定的な市場占有率を築くことは難しく、限られた販路に頼る脆弱性を抱えることになる。
O社は本社が徳島県にあるため、面戦略の優先順位を以下のように設定した。第一次として四国地方を対象に、次いで中四国地方から近畿地方へと展開を進める計画を立てた。また、関東地方については東京営業所を拠点とし、面戦略を展開する地域として北関東三県、特に栃木県から着手する方針を決めた。まずは地元の四国と東京を重点地域として作戦を開始し、計画を段階的に進めていく形を取った。
この戦略を遂行するには、それだけの新戦力を確保する必要がある。具体的には、セールスマンの人員を現状の三倍以上に増やす必要があり、実現には少なくとも二年ほどの時間がかかる計算だ。拡大計画を支える人的リソースが確保されなければ、戦略の進行もままならないという現実がある。
B社の場合、扱っていたのは建築物の装備品だったが、本社を浜松に置きながらも、地元ではあまり強い地位を築けていなかった。企業としての基盤が脆弱で、いわゆる限界企業の状態だった。一方で、東京と福岡では一定の実績があったものの、それ以外の地域では実績が散発的で、各地にバラバラに分散している状況だった。統一的な戦略が欠如し、エリアごとの成果に一貫性が見られないのが課題だった。
新たな戦略として、B社は限界企業であることを踏まえ、面戦略の展開を断念した。その代わりに、特定の業種を一つ選定し、その中で施主を一社ずつ確実に攻める個別戦略を採用した。このアプローチは、占有率確保の条件として既に述べた通り、弱者が取るべき極めて賢明な戦略である。限られたリソースを集中させることで、効果的に市場の足掛かりを築くことができる方法だ。
述べたように、全国戦略とは、市場の状況と自社の事情を総合的に分析し、最も効果的で最短の道を選び出して進めるものである。「これが全国戦略だ」といった固定的な枠組みを設けることは、特に限界企業のような非力な立場では不可能だし、仮に試みたとしても成功する余地はない。柔軟性と現実的な視点を持ち、段階的かつ選択的に戦略を進めることが不可欠である。
結局のところ、戦略の決定は、手に入る限られた、しかも不完全な情報を基にせざるを得ない。そして、それを全国的な視野で分析し、自社に最適な方向性を模索するというプロセスである。その実行を通じて得られる教訓を次の改善に反映させ、試行錯誤を繰り返しながら戦略を磨き上げていくことが、成功への道となる。
J社の全国戦略の展開における要点をまとめると、以下のようになります。
1. 地域の徹底した分析と地元からの強化
- まず地元をしっかりと固めることが最優先である。J社の場合、最初にK市に集中して蛇口作戦(定期訪問と顧客接点の強化)を展開し、地元でのシェアを向上させた。
- 全国的な展開を急がず、まずは自社が強くなれる地域で占有率を確保することが重要である。
2. セールスマンの効率的配置と現場重視のアプローチ
- 「売上げは二の次、定期訪問こそが大切」 という方針で、セールスマンには訪問の継続を促し、関係構築を重視した。これにより、J社は「無人の野を行くような」市場に入り込み、競争を回避しつつ影響力を高めた。
- 社長がセールスマンと直接対話し、共に行動したことで、従業員が会社の戦略に共感し、粘り強く活動することができた。
3. 段階的な拡張と視野を広げた全国戦略の策定
- 地元でのシェアが上がり、安定した利益が見込めるようになるまで力を蓄えた上で、次に広がるべき地域を戦略的に判断する。
- 中部地方全体を第一次戦略地域に定め、この地域でさらにシェアを拡大することで、全国的な視野に立った戦略へと拡大した。
4. 特定地域での重点投入と拠点戦略
- 全エリアを均等に攻めるのではなく、地理的に有利な中部地方の10県に戦力を集中させ、敵勢を分断することで効率的に全国展開を図った。
- 中部地方以外の地域では、拠点地域(東京など)で強力な核をつくるに留めるなど、段階的な拡張と地域に応じたアプローチを行った。
5. 試行錯誤と戦略の柔軟な見直し
- 初期の段階から試行錯誤を重ね、成功した地域の実績とフィードバックを元に戦略を柔軟に調整。営業所の増設や新規投入に慎重を期し、効率を追求した。
- 成果が見える部分と、予想外の抵抗に直面する部分があるため、現場からの情報収集を基に、迅速かつ的確に対応できる体制を維持した。
結論
- 全国戦略は一斉展開ではなく、段階的に拠点を固めていくアプローチが重要である。地元や特定地域での占有率を上げてから全国展開に移行することで、経済的かつ効果的に市場シェアを拡大できる。
コメント