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未来を語ることこそ労務管理の基本である

経営者が社員に求めるものは、能力の高さ以上に、強い勤労意欲と情熱を持って仕事に取り組み、長く職場に定着してくれる姿勢である。こうした意欲を社員に引き出すことは、長年にわたり経営者にとって重要な課題であり、また深い悩みの種でもあった。これから先も同様の命題が続くことだろう。

このような課題に対して、これまで数え切れないほどの意見や主張が述べられてきた。そして、すでに言い尽くされたかのようにも見えるが、実際にはそれらの多くが解決策に結びついていない、いや、ほとんど何も解決していないと言えるのではないだろうか。いったい何が問題なのか。この疑問に答えるのは容易ではないが、その理由は驚くほど単純なものかもしれない。

その理由は、これまでの考え方が本質を捉えていないことにある。経営学、あるいは管理学と呼ばれる学問領域において、この課題は最も頻繁に、多くの人々によって議論されてきた。しかし、これほどまでに成果が上がらないのは、それらの議論の根拠が本質を外しているからに他ならない。この現状を見れば、そう解釈するほかに道はない。

これらの議論は、一見すると言い尽くされたかのように見えるが、実際のところ極めて偏った内容に過ぎない。その中身を詳しく見れば、約四十年前にエルトン・メイヨーが提唱した「ホーソン効果」を、形を変え、視点を変え、登場人物を変えて繰り返し論じているだけである。同じ主張がただ装いを変えて提示されているに過ぎないのだ。

その主張を要約すれば、「勤労意欲を向上させるには、人間的な欲求を理解し、それを満たすことが必要である」というものだ。その欲求とは、自分の仕事にやりがいを見出し、自らの能力を十分に発揮できる環境を求めることであり、さらに目標や計画の策定に際しては、社員自身をそのプロセスに参画させるべきだ、という内容に帰結する。いずれも一理ある主張であり、実際に一定の効果をもたらしてきたことも否定はできない。

しかし、こうした主張は、なんと偏った、そしてなんと次元の低いものなのだろう。もちろん、人間的な欲求の一部としてこれを否定するつもりはないが、所詮それは全体の中のごく一部であり、しかも浅い次元に属するものでしかない。それをまるでモラル向上の決定的な要因であり、それ以外に解決策は存在しないかのように扱うからこそ、議論が歪み、問題の本質を見失ってしまうのだ。

こうした主張を唱える先生方は、このような考え方が実際に企業内で導入された際、現場でどのような効果を生んでいるのかを、一度でも真剣に観察したことがあるのだろうか。もしも偏見を捨て、虚心坦懐にその現実を観察していれば、その効果の乏しさに疑問を抱かずにはいられないはずだ。

さらに踏み込んで観察すれば、このような考え方が思いもよらない副作用を生み出し、それが企業にとって単なるマイナスにとどまらず、むしろ人々の不満を助長している現実を目の当たりにするだろう。その一端については、次章で具体的に述べることにする。

従来論じられてきた「人間的欲求」、つまり仕事にやりがいを感じさせたり、計画への参画を促したりすることは、結局のところ「仕事の欲求」を満たすことに過ぎない。それ以上のものではない。では、人間は「仕事の欲求」の充足だけで、本当に仕事に情熱を注ぎ込むようになるのだろうか。人間とはそんなに単純な存在なのだろうか。これほど浅薄な手法で騙され、懸命に働くほど人間の本質は低いものなのだろうか。

私は、こうした「人間的欲求」の充実を声高に唱える人々の意識の奥底に、「ブルーカラーという程度の低い人種は、こう扱えばよく働く」という、明らかに人間を蔑視する思想が潜んでいるのではないか、とさえ疑いたくなる。そのような考え方が、無意識のうちに議論の前提となっているように感じられるのだ。

というのも、不思議なことに、「人間関係の理解者」や「権威者」を自称する人々ほど、どこか偽善的で、尊大かつ陰険であり、他人の立場を顧みることもなく、その結果として周囲から嫌われていることが多いからだ。この点についてはひとまず脇に置くとして、「仕事の欲求」だけが強調され、それ以外がほとんど語られないのは一体なぜなのだろうか。

その理由は、この考え方が「アメリカ直輸入品」であるからだ。アメリカの労働者にとって、企業とは「働いて収入を得る場所」に過ぎず、それ以上の意味を持たない。したがって、収入さえ良ければそれで満足するという価値観が基本にあるのだ。この背景が、「仕事の欲求」だけを強調する議論の根底に流れていると言える。

そのため、アメリカの労働者は、我が国では到底耐えられないような劣悪な労働条件でも受け入れることがある。例えば、私の先輩がアメリカの工場を見学した際、バフェ(研磨作業員)が全身を真っ黒に汚しながら作業しているのを目にして、「日本人には到底我慢できないだろう」と感じた、という話を聞いたことがある。こうした労働環境の違いが、その価値観を形作っているのだろう。

企業に対して自分との一体感がないため、アメリカの労働者は会社の業績に関心を持つとしても、それはあくまで自分の収入に関連する範囲での話に過ぎない。もし、より高い収入を得られる会社があれば、迷うことなく転職していく。そもそも、会社の将来や運命に関心を持たない人々に対して、トップがどれほどビジョンを語ったところで、それは全く意味をなさないのだ。

だからこそ、「仕事の欲求が何か」を研究し、それを満たすことで動機づけを図る以外の方法がない、という発想に至るわけだ。これが、アメリカ式の人間関係論や労務管理が「仕事の欲求」を満たすことだけに焦点を当てる理由である。そうした思想は、会社との一体感や将来への関心が希薄な労働環境に適応した結果と言えるだろう。

これに対して、日本人は自己と企業との一体感を強く持っている。ハーマン・カーンの言葉を借りれば、「日本は、企業に関係するすべての人々―経営者、労働組合、消費者、家族、一般大衆―が、企業の成功はそのまま国の成功であり、ひいては自分たち自身の成功であると認識している、世界で唯一の国である」(『超大国日本の挑戦』)ということである。このような価値観が、日本の企業文化の特徴となっているのだ。

アメリカと日本は、このように根本的な土壌が全く異なる。それにもかかわらず、アメリカで言われていることはすべて正しく、それがそのまま日本にも適用できるという固定観念に囚われた観念論の先生方によって、これらの理論が輸入され、日本の企業にそのまま押しつけられている。これは、まったくもって迷惑千万な話と言わざるを得ない。

日本の土壌、すなわち終身雇用や年功序列といった仕組みに基づく企業と個人の一体感の下では、企業の将来の運命と自分自身の将来の運命が密接不可分の関係にある。この特性が、日本の労働文化を特徴づける重要な要素となっている。

ところで、人間的欲求の最も根底にあるものは、仕事のやりがいや参画意識ではない。本質的な欲求とは、生涯にわたる生活の安定とその向上である。これこそが、「将来への欲求」に他ならない。

「将来への欲求」が達成される可能性が見えなければ、たとえ「仕事の欲求」が一時的に満たされたとしても、人は本当に仕事に情熱を注ぎ、それに全力で打ち込むことはない。将来がどうなるかわからないという状態では、不安に苛まれ、仕事どころではなくなるのだ。この感覚は、人間の本能に根ざしたものと言える。

もし今働いている会社で一生を過ごすのであれば、その会社の将来が最大の関心事となるのは当然だ。したがって、会社を経営し、自分たちを導いてくれる経営者がどのような姿勢で経営に取り組んでいるのか、そして将来どのような会社を目指しているのか、これこそが社員にとって最も知りたいポイントである。このビジョンや方向性が不明確であれば、社員は不安を感じずにはいられないだろう。

経営者が明確なビジョンを示さなければ、社員は不安を抱き、本能的に経営者の姿勢や力量を察知する。そして、より将来への期待が持てる会社へ移ろうとする。アメリカの労働者が主により良い収入を求めて転職するのに対し、日本人は、より明るい将来を求めて会社を選び直すのだ。この違いが、日米の労働観や転職動機の根本的な差異を物語っている。

従業員の将来の生活の安定と向上にまで責任を負わなければならない日本の経営者は、社員の現在の生活のみを支えるだけでよく、不況時には一時解雇し、その間の生活を国が支えるという仕組みのもとにあるアメリカの経営者に比べ、遥かに重い社会的責任を背負っていると言える。この違いは、日米の経営者が直面する負担や期待の質の差を鮮明に浮き彫りにしている。

だからこそ、日本の経営者は、他国では例を見ないほどの重い社会的責任を果たすために、文字通り死にもの狂いで経営に取り組まなければならないのである。この覚悟と努力が、日本の企業経営の特色であり、またその成否を左右する重要な要素となっている。

そのためには、社員の協力を得て懸命に働いてもらうために、経営者自身が持つ経営理念を明らかにし、それを実現するための具体的な自社の未来像を明確に描き、社員全員に周知徹底することが不可欠である。S精密の専務が「トップのビジョンなくして何の労務管理ぞや」と喝破した言葉は、まさにその本質を突いていると言えるだろう。

この章で挙げた幾つかの実例は、S専務の言葉を裏付けるものと言えるだろう。各経営者の考え方や行動には違いがあるものの、その根底には、社員の将来について語り、それを実現していくという共通の思想と行動があることに注目してほしい。こうした姿勢こそが、経営の本質であり、社員の協力と信頼を得るための鍵となっている。

労務管理における様々な小手先のテクニックや、細かな配慮といったものは、所詮枝葉末節に過ぎない。それだけで労務管理がうまくいくと考えるのは、大きな誤りである。そのような方法を実践した経験のある経営者なら、その限界を痛感しているはずだ。本当に効果的な労務管理が確立されているなら、そうした枝葉末節は重要ではなくなるのである。

深く人間性に根ざし、人間の本質的な要求――すなわち「将来への欲求」を理解し、それを満たそうとする使命感を持つ経営者こそが、真に優れた経済的成果を生み出すことができる。この使命感を欠いている経営者は、社員の心からの協力を得ることができないばかりか、経営を本気で考えているとは言えないだろう。その覚悟と姿勢こそが、企業の成長と繁栄を支える原動力となるのである。

経営者が社員に対して持つべき最も重要な役割は、「未来を語ること」です。社員が安定した生活と向上を望む以上、彼らにとって会社の将来がどのようなものであるかを知ることは不可欠です。経営者が示すビジョンが、社員に安心感や将来への期待を与えることで、彼らの勤労意欲や定着率を高めることができるのです。

従来の労務管理や動機づけ理論は、社員の「仕事の欲求」に焦点を当てがちであり、日々の仕事における満足や達成感を高めることが推奨されていますが、これは本質の一部に過ぎません。日本の企業文化では、社員と企業が一体感を持ち、終身雇用や年功序列に支えられた「将来への欲求」が重要な役割を果たしているため、経営者が会社の未来を語り、それを示すことがより深い労務管理の本質を成しているのです。

特に日本の経営者は、社員の生活の安定と成長を含む重い社会的責任を負っており、これに応えるためには、具体的なビジョンや未来像を示すことが欠かせません。このビジョンを持ち、それを共有することが、社員にとっての最大の動機づけとなり、企業全体の成功にもつながるといえるでしょう。

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