MENU

不平不満はなくせない

知能指数とは、知能検査で測られた値に過ぎないという皮肉がある。この論理をそのまま適用すれば、モラールとはモラール・サーベイによって測られるものであり、それがそのまま勤労意欲を意味するわけではない。

モラール・サーベイというアンケート結果をそのまま信用すること自体が無意味だ。人は決して本音をそのまま答えるわけではなく、「どう答えれば自分にとって有利か」を考えて答えるものだ。

アンケートは表面的な回答だけを鵜呑みにするのではなく、その背後にある意図や真意を読み解く必要がある。それができないのであれば、そもそもアンケートを実施する意味はない。

アンケートの結果を鵜呑みにするだけならまだマシだ。問題なのは、結果の解釈を大きく誤り、全く見当違いの結論にたどり着くケースが少なくないことだ。

その典型的な例が「あなたは自分の給料に満足していますか」という問いだ。これほどの愚問は他にないだろう。自分の給料に満足している人間など、よほどの馬鹿、狂気の沙汰の持ち主、あるいは聖人くらいのものだ。しかも、こうした「給料満足人間」は、企業にとって実際のところほとんど役に立たない存在である。

それなのに、給料に不満を持つ者を「モラールが低い」と決めつけるのだから、呆れるほかない。そこにあるのは、「不満=勤労意欲の低下」という安直な公式であり、ただそれを機械的に適用しているだけだ。

人間は、給料に対して前向きな不満を抱いているからこそ、働く意欲を持つものだ。高給を得ていれば処遇に満足している場合もあるだろうが、給料の額そのものに完全に満足することなどあり得ない。この点においても、アンケートは本質を捉えきれず、極めて曖昧なものと言わざるを得ない。

人間は一度満足感を得てしまうと、その瞬間から働く意欲を失い、進歩も止まる。これが人間という厄介な生き物の本質だ。だからこそ、満足感を与えることで動機づけをしようとする考え方そのものが的外れであり、それはまさに「木に登って魚を求める」ような愚行に他ならない。

この的外れな考えに全く気づかない人間関係論者の脳みそは、一体どんな構造をしているのだろうか。多くの企業が、こうした人間関係論者の教えに従い、不平不満をなくすことに躍起になっている。その姿は滑稽ですらある。

不平不満の原因になりそうなことを片っ端から拾い上げ、不満を未然に防ごうと必死になっている。さらに、万が一不満が生じた場合には、何よりも優先してこれを解消しなければならないと信じ込んでいる。この思い込みこそが、本質を見誤らせる原因だ。

さらに、不満を解消するには物理的条件の整備が重要だとされ、福利厚生施設の充実にやっきになる。そして、それを怠れば「人間関係の無理解者」という烙印を押されかねないという風潮が蔓延している。このような風潮こそが、問題の本質を見失わせている。

堪忍袋の緒が切れた経営者が「会社は遊園地ではない」(『学歴無用論』盛田昭夫)とまで言い放つほど、この問題はすでに病的な域に達している。企業が本来の目的を見失い、過剰な「満足づくり」に奔走する姿は、異常と言わざるを得ない。

ところが、どれだけ懸命に努力を重ねても、不平不満が完全になくなったという話は聞いたことがない。不平不満というものは、一旦解決されればその瞬間は満足するかもしれないが、それは一時的なものでしかない。

しかし、時間が経てばまた新たな不満が生まれる。人間の欲望には限りがないからだ。永久に満足を与えることは不可能であり、仮にそれが実現したとしても、その瞬間から人間は働く意欲を失ってしまう。それが人間という存在の本質だ。

だから、満足を与えようとする行為そのものが果てしない無駄であり、仮に満足させることに成功したとしても、その結果、満足感を通じた動機づけという本来の目的が完全に失われてしまう。満足感を与えることの無意味さと虚しさを、我々はしっかりと認識しなければならない。

では、人間がどのような状況で不平不満を抱くのか、その一例を昭和42年に行われた昭和基地の越冬隊による「南極点旅行隊」の実例から学んでみよう。この極限の環境での経験が、不平不満の本質を教えてくれるはずだ。

福利厚生施設の充実に力を入れ、それを怠れば「人間関係の無理解者」と見なされる。この風潮は、ついには経営者に「会社は遊園地ではない」(『学歴無用論』盛田昭夫)と言わしめるほど病的な域に達している。企業活動の本質を見失い、過剰な「満足づくり」に縛られる現状は、深刻な問題と言える。

だから、満足を与えようとする行為そのものが、際限のない無駄な努力である。仮に満足させることに成功したとしても、その時点で満足感を通じた動機づけという本来の目的が完全に破綻してしまう。我々は、満足感を与えようとする行為の無益さと、その虚しさをしっかりと理解しなければならない。

では、人間がどのような状況で不平不満を抱くのか、その一例を昭和42年に実施された昭和基地の越冬隊による「南極点旅行隊」の実例から見てみよう。四カ月にも及ぶこの壮大な旅の中で、最も困難だったのは、プラトー基地に到達するまでの二週間だった。この期間における彼らの経験は、不平不満がどのように生じるのかを示す重要な手がかりとなる。

標高三千メートルを超える稀薄な空気、延々と続く昇り坂、零下六十度近い厳寒。そこにブリザードが吹き荒れ、雪地獄に足を取られ動けなくなる雪上車。さらに、鉄ソリは壊れ、ついには四台の雪上車のうち一台が完全に故障して動かなくなり、やむなくその場で放棄することになった。その雪上車に積んでいた荷物は、残りの三台に積み替えられ、その結果、負担はさらに増加。睡眠も休息もままならない過酷な悪戦苦闘を経て、ようやくプラトー基地にたどり着いたのだった。

プラトー基地に到達した後の旅行は一転して順調だった。天候は回復し、気温も上昇、下り坂では雪上車の変速機をサードに入れることさえできた。しかし、環境が好転するや否や、食事に対する不満が湧き上がり、些細なことでも空気がピリピリし始めた。厳しい状況が改善されるほど、逆に人々の不平不満は表面化していったのである。

同じ人間たちが、プラトー基地到達前の二週間の悪戦苦闘の中では、食事に対する不満など微塵もなく、むしろ食事の時間すら惜しんで全員が一丸となり、難関突破に全力を注いでいたのである。その様子を振り返った隊員の一人が、「人間とは奇妙な動物だ」と述懐したのも無理はない。

人間関係論者の主張とは逆に、不平不満は物理的環境が悪い時にはほとんど起こらず、環境が良くなった時にこそ生じている。この事実は、不平不満が物理的環境そのものに起因するのではなく、人々の心構えや意識の違いによって生じるものであることを示している。

不平不満が物理的環境によるものだと信じて疑わない人間関係論者の主張こそ、全くの見当違いである。重要なのは心構えであり、それが悪化するのは、むしろ快適な環境や余裕のある状況においてである。この逆説的な事実を無視して、物理的条件の改善にばかり注力することは本質を見誤る原因となる。

立派な本社ビルを建てても、それが逆に不満やのんびりした雰囲気を助長することは珍しくない。実際、ある会社で納期遅れの原因を調査した際、納期に余裕のある案件ほど遅延が多いという事実が明らかになった。このような例は、快適な環境や余裕が必ずしも生産性や満足感を向上させるわけではないことを示している。

納期に充分な余裕があると、人々は安心しきってしまい、気がついた時にはすでに納期が迫り、間に合わなくなっていたということがよくある。また、別の会社では、閑散期に怪我が多発し、逆に繁忙期には怪我が少なかったという例もある。これらの事実は、余裕や快適さが必ずしも良い結果を生むとは限らないことを物語っている。

これらすべては、結局のところ心構えの問題に帰結する。したがって、経営者は会社を「遊園地化」することに腐心するのではなく、安全、衛生、公害防止といった本質的で重要な施策に注力すべきである。それこそが企業運営における真に必要な取り組みであることを肝に銘じなければならない。

従業員の心構えを正すためには、まず企業を取り巻く厳しい環境をしっかりと認識させることが重要だ。その上で、その環境の中で生き残るための経営者の覚悟や方針を明確に伝える必要がある。同時に、従業員を信頼し、その協力が不可欠であることを強調し、共に課題に立ち向かう姿勢を共有することが鍵となる。

前述の通り、日本人は自分が勤める会社に一生を託す覚悟で働いている。会社を替わる場合でも、それは一生を託すに値する新たな会社を求めてのことだ。したがって、自分の会社の社長が会社の将来や現状の危機打開について腹を割り、協力を求めた場合、大多数の従業員はその要請に応え、立ち上がるものである。もちろん、どんな会社にも少数のひねくれ者や気力を欠く者は存在するが、それは例外に過ぎない。

一つには、自分自身の将来を左右する会社のため、つまり自分自身のためであり、もう一つには、社長が示す自分たちへの信頼と期待に応えたいという思いからである。この二つの理由が、従業員を立ち上がらせる原動力となるのだ。

そこまで至ると、昇給やボーナスの少なさ、仕事の厳しさ、さらには物理的条件の悪ささえも、それほど問題にはならなくなる。それどころか、これらの厳しい条件が、逆に従業員の闘志をかき立て、人々の団結を一層強化する要因となることすらある。困難が共有されることで生まれる一体感が、強力な原動力となるのだ。

とはいえ、いつまでもこのような緊張状態を続けて良いわけではない。目標を達成したり、危機を乗り越えたりした後には、人々の努力や功績に対して十分に報いることが不可欠である。それは当然の責務だ。しかし、そうなると再び「ホンワカ・ムード」が漂い始めるのではないか。まさに、南極点旅行隊がプラトー基地到達後に経験したように。結局、人間は環境の変化に応じて心構えも揺れ動く厄介な存在なのだ。

いったい、良い時も悪い時も、人々の動機づけを恒常的に維持するにはどうすればよいのだろうか。この問いに対する答えについては、本書の最後で改めて詳しく述べることとしよう。

この内容では、不平不満や満足の関係性についての考察が展開されています。著者は、人間の欲望には限りがなく、満足を完全に与えることは実際には不可能であり、それを追求することは無駄であると指摘しています。また、モラール・サーベイやアンケートのような手法で勤労意欲を測定し、満足度を向上させようとするのはナンセンスであり、逆に人間は適度な不満があるからこそ動機づけられ、意欲を維持するのだと述べています。

著者はさらに、不平不満が実際には物理的条件よりも人の「心構え」に起因するものであり、快適すぎる環境や十分な余裕が逆に不満や停滞を招きがちであるとしています。例えば、南極探検隊のエピソードを挙げ、困難な状況では皆が団結し一丸となって行動する一方、状況が楽になると些細な不満が出てくるという現象を指摘しています。

また、経営者が従業員と信頼関係を築き、企業の厳しい環境や将来に向けた経営の決意を共有することで、従業員の協力と熱意を引き出すことができると述べています。つまり、不平不満をなくすことに注力するよりも、厳しい目標や困難な状況を共有し、共に立ち向かう意識を醸成することが、企業全体の意欲と連帯を高めるとしています。

最終的に、企業はよい時も悪い時も恒常的に社員のモチベーションを保ち続ける方法を模索すべきであり、そのための具体策については、本書の最後で再度論じるとしています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次