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動いて働かず

T産業の社長S氏は、驚異的なスタミナを持つ人物だ。毎朝早く家を出て、一日に一〜三社を訪問して用事を片付ける。その後、十時ごろには営業所に姿を現し、昼までの約二時間を全力で駆け抜ける。次々とかかってくる電話に対応し、商談を手際よく処理していく姿は圧巻だ。

その間、営業部長は商談にはほとんど関与せず、社長の質問に答える程度の役割にとどまっている。重要な商談においても、ただのロボットのような存在に過ぎない。

顧客たちは、重要な商談において営業部長には決定権がなく、社長でなければ話が進まないことを熟知している。そのため、社長が営業所にいる時間を狙い、直接電話をかけてくるのだ。

この奮闘の中で明らかになった顧客の苦情や営業部の不手際については、営業部長を呼びつけて容赦なく叱りつける。そして最後には、「部長が無能だから、結局すべて社長に負担がかかり、いつまでたってもこの苦労が終わらない」と、厳しい言葉を浴びせるのが日課となっている。

もし一言でも反論しようものなら、社長から大落雷のごとき怒声が飛ぶ。部長はただ黙って頭を下げるしかない。動けばその動き方が悪いと叱られ、動かなければ動かないでまた叱られる。日々の業務は、まさに忍耐力を鍛える修行そのものだ。

S氏は昼食もそこそこに外部活動へ飛び出す。そして夕方の四時か五時頃には工場に姿を現す。そこから始まるのは、各部長を順番に呼びつけての叱言タイムだ。伝票類には一枚たりとも目を通さないものはなく、寮の電話代が多いというだけで総務部長が三十分にわたる説教を受ける。工場を回る中で、水道の蛇口が完全に止水していないのを見つけると、即座に設備課長を呼びつけて大目玉を食らわせる。

製造部長は、社長が工場に来たという情報を受けるや否や、いや正確には、すぐ情報が入るよう万全の体制を整えておき、現場に飛び出して運搬工に早替わりする。机に向かっている姿を見られでもすれば、「部長が率先垂範しないから製造部の能率が上がらない」と一方的に決めつけられるのが目に見えているからだ。

週に一度の部長会議は、午後六時ごろから始まる。その最初の四時間は、社長の完全な独演会だ。一週間の総ざらえとして、部長たちは一人ずつ次々と吊るし上げられる。部屋の中には誰一人として口を開く者はいない。ようやく本格的に会議が始まるのは夜十時か十一時頃だが、実態は「会議」と呼ぶには程遠い。社長案が一方的に説明され、それがそのまま検討もされず決定事項として扱われる仕組みだ。会議が終わるのはいつも深夜十二時前後である。

T社の幹部たちは、S氏の言葉通り、無能で無気力、積極的に行動する者など一人もいない。しかし、その状態を生み出しているのは、まさにS氏自身の言動にほかならない。それにもかかわらず、S氏は自分がその原因であることを一切自覚していない。

このようなS氏のもとで、有能な幹部が定着するはずもない。次々と辞めていくのが現実だ。その結果、残るのは当然のように無能な者たちだけとなる。

S氏は抜群の行動力を持ち、無能な幹部たちを抱えながらも、自ら率先して商談のために外国へ飛ぶことが多い。そのS氏を幹部総動員で空港に見送った瞬間、会社全体にリラックスムードが広がる。まさに「鬼のいぬ間の洗濯」といった様相だ。

社長がいる間は決して行えなかった昼間の会議が開催され、事務所には笑い声が響き、現場では鼻歌が聞こえるようになる。誰も残業をする者はいない。それにもかかわらず、売上も生産もまったく落ちることがないというのが現実だ。

つまり、社長がどれだけ気合を入れても、その努力は全く効果を生んでいないということだ。人間は、上司や他人からどれだけ強いドライブをかけられたところで、それだけで自らの行動を変えるものではないのだ。

表面的には、これらのドライブに応えているように見えても、それは単なるジェスチャーに過ぎない。相手に自分の意図を正しく伝える努力を怠り、自分の思い通りに動かそうとしても、相手が納得しない限り本気で行動することはない。結果として、相手は働いているふりをしながら、上司の顔色をうかがって動いているに過ぎないのだ。

そして、ドライブ型の社長は例外なく、自分の考えを部下に丁寧に説明し、納得させる努力をほとんどしていない。それどころか、自分ではそれを十分にやっていると勘違いしているのが常だ。付け加えるなら、T産業は最終的に倒産の道をたどったのである。

このエピソードは、表面的な「行動力」や「ドライブ型」の経営が組織にどのような弊害をもたらすかを示しています。S氏の熱心さや行動力は、確かに目を見張るものがありましたが、彼の指導方法は逆効果となり、幹部や従業員の士気を低下させ、組織全体の機能を停滞させました。

彼の指導は強権的であり、部下に対して叱責や指示を絶え間なく行い、議論の余地も与えずに物事を決定するスタイルでした。その結果、部下は主体性を失い、S氏の指示通りに動く「ロボット」になってしまいます。部下が恐れて意見も言えない状況では、組織の成長や改善の機会は失われ、創意工夫も発揮されなくなります。

また、S氏が不在になると従業員がリラックスし、むしろ生産や業務に対する意欲が高まるという皮肉な結果も、この経営の問題点を如実に示しています。部下の納得や自主性を無視して上から押し付けるだけでは、表面的な動きしか生まれず、結局、企業の成長にはつながらないのです。

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