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店舗拡張社長

K市には「M」という大衆的な料理店があった。料理を担当するのは旦那、接客は奥さんが仕切り、皿洗いの仕事を手伝うおばさんが一人いるだけのこぢんまりとした店だ。メニューも味も、接客も店の雰囲気も、値段に至るまでどこか親しみやすく、肩肘張らずに飲んで食べられる気軽な空間だった。

そのため、店はいつも客で賑わっていた。自分もその店のファンで、K市に行くたびに必ず足を運んでいた。ある日、その店を営むM夫妻が揃って自分のもとを訪ねてきて、何やら相談を持ちかけてきた。

相談の内容は、現在の店が借り物であり、家主から立ち退きを求められたため、新たな場所への移転を余儀なくされたというものだった。幸いにも、すぐ近くに適当な土地を見つけたらしく、そこに新しい店舗を建てたいとのことだ。話を聞くと、その新店舗の設計案がすでにできており、私にその案を見せて意見を求めたいという流れだった。

M氏が広げた図面には、三階建ての新店舗の設計が描かれていた。三階部分を住居として使用し、一階と二階を店舗にするという構想だ。一階と二階の店舗面積を合わせると、これまでの店の広さの実に三倍以上になる規模だった。

私はM氏に、三階建ての構造はそのままにしつつ、三階を住居とし、一階だけを店舗とするよう勧めた。その理由を次のように説明した。

「あなたの店がなぜ繁盛しているのか、本当に理解しているだろうか。それは、あなたの庖丁さばきと奥さんの温かい接客という、家庭的で親しみやすい雰囲気にある。お客さんは、その気取らない空気感に魅了されて集まっているんだ。規模を広げすぎたり、余計な豪華さを加えたりすると、その魅力が損なわれる危険がある。」

「もし一階と二階を客席にして、店舗の広さを今の三倍にしたらどうなるか考えてみてほしい。当然、料理を作る板前を雇わなければならないし、接客には少なくとも二人や三人のスタッフが必要になるだろう。その時点で、今の店の家庭的で気軽な雰囲気は大きく変わってしまう。規模が大きくなることで運営が複雑化し、あなたと奥さんの個性が店全体に行き届かなくなる恐れがある。」

「そうなれば、これまでのような家庭的なサービスは提供できなくなるだろう。つまり、お客様があなたの店に求めていたものが失われてしまうということだ。それに気づいたお客さんたちは失望し、やがてあなたの店から足が遠のいてしまうだろう。商売というものは、お客様が何を求めているのかを理解し、それを提供することで成り立つ。決してその本質を忘れてはいけない。」

「私が『店舗は一階だけにすべきだ』と勧めたのは、三階建てのうち二階まで客席にしてしまうと、お客様が求めているものを提供できなくなると考えたからだ。不用意に規模を拡大してしまうと、店の魅力が薄れてしまう危険がある。だからこそ、安易に客席を広げることは避けるべきだと強調したのだ。」

しかし、最終的に完成した新店舗は、私の意見とは異なり、原案通りに一階と二階を客席とする構造になっていた。

新店舗が完成した後、私は祝いの気持ちを伝えようと店を訪れ、M氏に新築祝いを述べた。しかし、店に足を踏み入れた瞬間、その雰囲気がすっかり変わってしまったことに気づいた。以前の家庭的で気軽な空気は消え去り、料理も一流の大衆料理から、どこにでもある三流の割烹料理に成り下がっていた。かつての温かみや個性が失われた店内には、どこか物足りなさと寂しさが漂っていた。

それでも新店舗は満員の盛況ぶりだったため、「この調子が続けばいいが」と思いながら店を後にした。しかし、その後もう一度足を運んでみたものの、店の雰囲気は相変わらず落ち着かず、料理も酒も以前のようには楽しめなかった。どこか無理をしているような空気が漂い、喉を通るものに満足感がなかった。結局、その日を最後に、Mの店に行こうという気持ちは完全に消えてしまった。

それから数か月が経ち、私の心配は現実となった。

心配になり、様子を聞いてみると、最近ではお客の入りが徐々に落ちてきているという話だった。M氏が私の勧告の真意を汲み取ってくれなかったことは残念だったが、それ以上に、彼を説得できなかった自分の力不足を痛感させられた。こうした結果を目の当たりにすると、自分の言葉の重みや伝え方の至らなさが胸に刺さり、深く反省せざるを得なかった。

M氏の料理店は、以前のような家庭的で庶民的な魅力を保てなくなってしまったようです。料理の質やサービスの温かみが店舗拡張によって薄れてしまったことで、常連客が求めていた「親しみやすさ」という店の本来の魅力が失われてしまったのでしょう。

新たな空間での運営は、客数を増やせる反面、雰囲気やサービスの質を保つ難しさも伴います。特にM氏の店のように、少人数で家庭的なやり取りを大切にしていた場合、広いスペースや多人数のスタッフでは同じ空気を維持することが難しくなります。

店舗を拡張する際には、新しい設備や規模に見合った運営体制を考え直すことも必要ですし、なにより、顧客がその店に何を求めて通っているのかをしっかり理解し、拡張がその価値を損なわないかどうか見極めることが重要です。

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