現在、一般的に「経営学」と呼ばれているものは、その本質から大きくかけ離れている。故・新居崎邦宣氏の言葉を借りるなら、「ベストセラーとなった経営学の入門書を通して読んでみたが、そこには経営学の本質を示すものは何もなかった。記されているのは、経営でもマネジメントでもない、単なるコントロールの方法論が一部羅列されているだけだった」と評している。
経営学とは、一種の「社長学」とも言えるのではないだろうか。もし社長学が小冊子程度で簡潔にまとめられるものであるなら、それはそれで素晴らしい話だ。しかし、実際に経営について深く学べば学ぶほど、そう単純なものではないことが明確になる。結局のところ、日本で言うところの「経営学」とは、単なるコントロールの方法論や雑多な議論の寄せ集めに過ぎない、というのが現状の姿だ。
私もまったく同感だ。現在のいわゆる経営学は、企業の本質や核心を捉えるのではなく、むしろその「下半身」とも言える、重要性の低い日常業務の繰り返しに焦点を当てている。責任と権限の明確化や標準化を中心に据えた、極めて静的で観念的な組織論や管理論でしかない。それらは経営そのものを深く掘り下げた経営論でも、ましてや真の意味での経営学でもない。
企業の本来の使命は、経済的価値を創造することにある。したがって、経営とは本来、経済的価値を生み出すための活動そのものであるべきだ。ところが、経営学の専門家とされる人々は、この単純かつ根本的な事実を理解していない。彼らの関心は、もっぱら「経済的成果を上げる可能性がありそうな技法」に向けられており、さらに言えば、「上がった成果を計算する方法」を説明することに終始している。それ以上の深みや本質的な視点は見当たらないのが現状だ。
企業内で得られる部分的な経済的成果が、必ずしも企業全体の成果に結びつくとは限らない。むしろ、その結びつきが希薄であるケースは想像以上に多い。経営の本質は、「企業全体の成果」を追求することであり、「企業内の部分的な成果」を追い求めることではない。こうした明白な事実を理解できない限り、彼らが行っていることは、単なるコントロール技術を磨く職人的作業に過ぎず、経営そのものとは到底呼べないものだ。
経営学は「雑論」か?本質を見極める視点を問う
現代において「経営学」と称されているものの多くは、実は経営の核心を捉えていません。新居崎邦宣氏が指摘したように、経営学の多くの教科書やベストセラーは、経営の本質から逸脱し、単なる「管理」や「コントロール」の方法論に終始しています。それは、経営の一部でしかなく、経営の根幹や社長学と呼ばれるような「企業の全体を導く力」を説明していないのです。
経営とは「企業の経済的価値を創造する活動」であり、企業全体の成果を見据えてこそ成り立つものです。しかし現在の経営学の多くは、部分的な効率や成果に焦点を当て、企業の全体成果に結びつくかどうかを軽視していると言わざるを得ません。そのため、経営学とされる内容は「職人のスキル集」に留まり、経営の本質的な目的である「経済的価値の創造」に直接結びつかない場合が少なくないのです。
企業が求める本来の経営学とは、「日々の管理論や標準化」ではなく、企業全体の進むべき方向を見据え、価値を生み出すための戦略的視座です。
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