S工業は、プレスや板金の技術を活かして特定の自動車メーカーの下請け業務を行ってきた。しかし、いつまでも下請けの立場に甘んじるわけにはいかないという思いから、自社製品の開発を目指すことになった。そこで選ばれたのは、自動車業界全体ではなく、親会社の特定の車種をターゲットにした製品だった。しかも、その製品はS工業の得意分野ではない機械加工を主体とするものだった。同じ業界内でありながらも異なる技術領域が求められる挑戦的な選択だった。
同じ業界内で多角化や新たな分野への進出を模索する経営者は非常に多いと言える。いや、控えめに表現するよりも、むしろほとんどの経営者がそうした方向を志向していると言った方が適切かもしれない。しかし、これは極めて危険な発想でもある。
同業界の異種技術に挑むことには、二重にも三重にも危険が潜んでおり、利点はほとんど見当たらない。第一に、同業界内での多角化は、業界全体の変動や不況の影響を回避する効果がない。つまり、事業の安全性が向上するわけではないのだ。さらに、同業界の他社製品に関与する場合、親企業からの警戒感が強まり、関係が悪化する可能性すら生じる。
モデルチェンジ時の試作品については、情報漏洩を懸念して発注が避けられる可能性がある。そのため、試作を行うという行為が、実際にその仕事を受注することと直結しているという現実を見据えなければならない。試作段階で信頼を失えば、その先の取引は途絶える危険性を孕んでいるのだ。
第二に、異種技術の修得は決して容易ではない。売れる製品を作り出すには、単に未経験の部分を外注したり、新たに技術者を雇用して機械を与えるだけでは不十分だ。技術の蓄積、ノウハウの構築、そして品質管理の体制を整えるには時間と労力がかかる。中途半端な取り組みでは、競争力のある製品を生み出すことは難しい。
会社全体として、相当な経験と修練が求められる分野だ。その困難さを理解せずに取り組んだ結果、不良品の山を積み上げたり、実用に耐えない製品を市場に出して失敗する例は少なくない。技術というものは一朝一夕で身につくものではなく、長い時間をかけて培われるものなのだ。
同種技術を活用して異業界の製品に挑む場合、技術的な基盤はすでに確立されているため、大きな不安はない。さらに、業界が異なればリスクも分散されることになる。これこそが理想的な状況であり、「願ったりかなったり」という表現がふさわしいといえるだろう。
このような安全で有利な選択肢を避け、あえて危険な同業界での道を進もうとする姿勢は、他業界への関心や視野が著しく狭いだけでなく、「市場の危険」という概念への理解が欠如しているとしか思えない。リスクを正しく認識できない経営者こそ、まさに「危険な経営者」と呼ぶべき存在だ。
赤字に苦しむT製作所を訪れたのは、一昨年のことだった。同社の主力製品は斜陽化しており、業績回復のための突破口を同業界の特殊品に見出そうとしていた。しかし、その選択は営業戦略の不備や設計の困難さから、期待された成果を生むどころか、むしろ「お荷物」と化していた。
話を詳しく聞いていくうちに、有望な製品の可能性が見えてきた。それは、同社の主力製品と作動原理が全く同じでありながら、構造がはるかに簡単なものだった。ただし、用途として想定される業界がこれまでとは異なっていたのである。
それが判明した理由は、過去に何度もその製品の製作依頼や紹介がT製作所に寄せられていたからだ。一部には、わざわざT製作所を訪れて直接依頼した人もいたほどだ。つまり、明確な需要が存在しているにもかかわらず、対応する製品が市場にないという、いわば奇妙な状況が浮き彫りになったのである。
その製品は生産財でありながら、需要がまとまるため規格化が可能だった。さらに、人手不足を補う特性を持っているだけに、将来的な需要増は明らかだった。市場の要求に応じるこうした未開発製品こそ、潜在的に高い収益性を秘めていると言えるだろう。
その有望な製品について、社長は業界が違うという理由だけで全く検討しようとしなかった。この姿勢こそ、「危険な経営者」の典型的な一例である。視野の狭さと市場の可能性への無関心が、会社の未来を閉ざしてしまう要因となっているのだ。
同業界内での多角化や新分野開拓には、多くの経営者が踏み込むものの、そのアプローチには多くのリスクが潜んでいます。特に「同業界の異種技術」に挑む場合、業界が持つ変動リスクからは逃れられないため、安全性の向上にはつながりません。さらに、異種技術の修得は容易ではなく、技術的な経験やスキルを短期間で習得することは難しいため、不良品の発生や製品の品質低下を招く恐れもあります。
一方で、同種技術を活かして異業界に進出することは、技術的な習熟度を活かしつつ、業界分散によって安全性も向上できるため、理想的なリスク分散の手段となります。異業界では市場の構造や顧客ニーズが異なるため、過度な競争や業界内の政策変化に巻き込まれにくく、高収益製品に集中しながら危険を分散できる可能性が広がります。
例えば、赤字に陥っていたT製作所も、主力製品と同じ技術原理を持ちながら異なる業界での需要が顕在化していた製品の可能性を見落としていました。こうした異業界での製品展開の重要性を理解し、積極的に視野を広げる姿勢こそ、長期的な収益と安定をもたらす道といえるでしょう。
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