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一貫生産を狙って

T社は、東京都内の一角に工場を構える従業員百名ほどのアルマイト加工会社だった。硬質アルマイトの技術水準は非常に高く、顧客からの信頼も厚い。高度経済成長の波に乗り、順調に事業を展開していた。

しかし、順調とはいえ、加工業という性質上、高い収益を上げることは難しかった。T社長は、より収益性の高い仕事に取り組みたいと考えていた。そんな折、親会社であるM社から魅力的な提案が舞い込んできた。

提案の内容は、アルマイト加工にとどまらず、その素材の段階から一貫生産を行えば、収益性が大幅に向上するというものだった。T社長はこの案に乗ることを決断した。この取り組みによってM社だけでなく、新たにS社からの受注も増える可能性が見込まれていたからだ。

そこで、T社は近隣県に工場用地を購入し、総額二億五千万円を投じて最新設備を備えた新工場を建設した。しかし、廃水公害の問題に対応するため、約4キロ離れたK川まで廃水を流すための暗渠を設置する必要があった。

完成した新工場に合わせて、東京の工場を閉鎖し業務を移転した。ところが、基幹スタッフの多くが東京を離れることができないといった理由で辞職しただけでなく、その辞めた人々が集まり、新たに会社を設立。結果として、T社の競合となる存在に成り上がってしまった。

新工場では地元から新たに採用した従業員が主力となったが、技術レベルは大きく低下し、それが得意先からの信頼を損なう結果となった。それでも苦労の末に新工場を軌道に乗せ、一息ついた矢先、世界を揺るがす「石油ショック」が襲ってきた。

石油ショックに続く不況の影響で、M社はT社に発注していた部品の製造を取りやめ、アルマイト加工のみの発注に縮小してしまった。新工場の主力となる仕事を奪われたT社は、一瞬にして奈落の底へと突き落とされる結果となった。

T社長が私のもとへ相談に訪れたのは、第一回の「不渡り」を出した直後であり、数日以内に第二回の不渡りも避けられないという切迫した状況だった。この段階に至っては、もはや私のようなコンサルタントの範疇を超え、債権者や銀行が主導権を握る事態である。それでも私は、債権者会議で「事業継続」を承認してもらうことを前提にした再建案を提示し、最後の望みに賭けることを提案した。

なお、T社では一貫生産の取り組みとは別に、新商品の開発も進めていた。その一つが釣具の「リール」だった。販売計画について尋ねると、某大手釣具メーカーに試作品を持ち込んだ結果、気に入られ、注文をもらう約束を取り付けたという話だった。

売れるとしても、それは「下請け」としての価格に過ぎなかった。下請け価格で受注するのであれば、多額の開発費を投じてまで新商品を開発する必要はない。相手の図面通りに製造するだけで十分だからだ。結果として、開発費は完全に無駄となってしまった。

T社の悲劇から得られる教訓は、「下請け加工業が一貫生産に踏み切ってはいけない」という点に尽きる。一貫生産が成立するのは、自社ブランドの商品を持つ企業の話だ。自社商品があればこそ、一貫生産のメリットを享受できる。しかし、いつ取引が打ち切られるか分からない下請け加工業で一貫生産を目指すのは、極めてリスクが高い行為であり、決して手を出してはいけない道である。

T社長が犯したような誤りのもう一つの要因は、「世の中はいつどのように変わるか分からない」という認識が欠如していたことだ。この認識不足は、T社長だけに限らず、多くの経営者が共通して抱える問題だ。たとえば、「経営戦略」篇で触れた今井化学も同様の状況に陥っていた。

人間というものは、「これまでの状況が将来も変わらず続く」と無意識に思い込む傾向がある。そして、予期しない出来事が起こったときに初めて驚き、慌てるのが常だ。しかし、本来持つべき正しい認識は、「これまでの状況は決して永遠に続くものではない」ということと、「予期しないことはいつでも起こり得る」という危機感であるべきだ。

これは、「現在の事業が将来にわたって会社の存続に必要な収益を保証するとは限らない」という現実を示している。そして、この認識を持つことは、社長としての責務だ。具体的には、現行の事業がまだ十分な収益を生んでいる段階で、将来の収益を確保するための新商品や新事業を準備する必要があるということだ。これを怠れば、やがて訪れる変化に対応できず、会社の存続が危ぶまれることになる。

同時に、「現状に基づいて新事業を考えること自体が危険である」という点も忘れてはならない。将来は予測できないものであり、予期しない出来事がいつ起こるかも分からない。だからこそ、社長という立場は、そんな不確実な未来に対して会社の安定を確保するための準備を怠らず、先手を打つ責任を負う。そうした姿勢を求められる経営者という職業が、いかに大変なものであるかと、常々感じざるを得ない。

一貫生産の落とし穴 ― T社の失敗から学ぶ経営戦略のリスク

T社の例は、下請加工業が一貫生産を目指した際に生じるリスクを浮き彫りにしています。高度な技術と信頼を持っていたT社は、アルマイト加工から一貫生産に乗り出すことで収益を向上させようとしましたが、その計画が仇となり、最終的に経営危機に陥りました。ここでは、T社の失敗をもとに、一貫生産に潜むリスクと回避策について考察します。

一貫生産を目指す際のリスク

T社はアルマイト加工の高い技術力を持ちながら、収益を改善するために原料から製品までの一貫生産体制を目指しました。しかし、その判断には以下のようなリスクが潜んでいました:

  1. 新工場への大規模投資: T社は二億五千万円を投じて新工場を建設し、既存の東京工場を閉鎖して移転しましたが、多くの熟練従業員が離職しました。このため、新たに雇用した地元従業員の技術力は不十分で、得意先からの信頼が低下してしまいました。
  2. 主要顧客への依存リスク: T社は親会社であるM社からの発注を期待して新工場を設立しましたが、石油ショック後の不況でM社が発注を引き上げた途端、T社は経営危機に陥りました。主要顧客への過度な依存は、発注が減少した際に企業の収益基盤が一気に崩れるリスクを伴います。
  3. 高額な開発費と採算性の欠如: T社は釣具用リールの開発にも力を入れていましたが、最終的には大手釣具メーカーから下請としての安価な発注を受ける形にとどまり、開発費の回収は不可能でした。このことから、利益の見込めない製品開発は、企業をさらに苦境に追い込むことが分かります。

一貫生産が適さない理由

T社のような下請加工業では、自社商品を持たない場合、一貫生産は大きなリスクを伴います。下請製品の需要は発注主に左右されやすく、一貫生産に投じた設備投資が無駄になる可能性が高いためです。自社ブランドや独自の商品を持たない企業が一貫生産に踏み切ることは、収益が保証されない状況下での危険な賭けといえるでしょう。

経営者が持つべき「変化への認識」

T社のような悲劇を避けるためには、「現在の事業が永続するとは限らない」という認識が重要です。市場の変動や経済状況の変化に備えるため、経営者は次のような姿勢を持つ必要があります:

  1. 収益源の多様化: 主要顧客への依存度を下げ、他の事業や製品を収益源とすることで、特定の取引先からの発注減少に対してリスクヘッジが可能です。
  2. 柔軟な経営判断: 未来の予測が困難な状況において、現在の収益に頼らず、リスクを分散させる戦略が必要です。変化する市場に対応するために、過去に囚われない柔軟な思考と行動が求められます。
  3. 新規事業の慎重な計画: 新規事業や製品開発を行う際には、十分な市場調査と収益計画が不可欠です。単なる新製品の開発ではなく、顧客のニーズに合った商品戦略を練り、採算が取れる体制を整えてから投入すべきです。

まとめ

T社の失敗は、変化に対する認識不足と、安易な一貫生産への転換が招いた結果です。経営者は、現在の収益に安住せず、市場の変動や予期せぬ出来事に備えた柔軟な戦略を取る必要があります。市場のニーズに対応し、リスクを分散させる経営判断を行うことで、企業の持続的な成長が可能となります。一貫生産を目指す際も、自社ブランドの確立と収益計画の徹底をもって、慎重に進めることが求められるでしょう。

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