高松電気製作所とQヒューズの誕生
愛知県犬山市に拠点を置く高松電気製作所は、高電圧配電機器を手がけるメーカーだ。主力製品はカットアウトや気中遮断器など。日本碍子のグループ企業であり、絶縁磁器の設計・製作技術において高い評価を得ている。
昭和45年に同社が発表した「Qヒューズ」と名付けられた高電圧用超小型ヒューズは、不可能への挑戦を貫き、粘り強い努力の末に商品化を実現した画期的な製品だ。世界的にも類を見ない高性能とコンパクトさを兼ね備え、電力限流ヒューズの究極形と呼ぶにふさわしい存在となった。
当時の社長であった岩尾舜三氏は、「カットアウトの内部に組み込めるような小型ヒューズを作れないか、という発想が出発点だった」と静かに語っていた。
これは専門的には到底考えられない、不可能への挑戦そのものだった。大電力を遮断すれば、瞬時に大規模なアークが発生する。その膨大なエネルギーに耐えるためには、通常どうしても機器が大型化せざるを得ない。それを小型化しようという発想自体が、既存の常識を覆す試みだった。
開発の過程で、高圧ヒューズの大きさに関する限界を論じた外国の文献が目に留まった。その論文が示すサイズの限界を遥かに下回る小型化を目標としていたのが同社の挑戦だった。専門家が「不可能」と断じた課題に、配電機器の専門外である企業が正面から取り組み始めたのである。
開発を支えた三気狂い
この研究を成し遂げたのは、岩尾氏の言葉を借りるなら「我が社の三気狂い」だった。そのメンバーは、岩尾社長自身、技術部長を務めた三浦英夫常務、そして開発担当の高岡直敏氏の三人である。それぞれの情熱と執念が、不可能を可能に変えた原動力となった。
岩尾氏は東北大学で岩石鉱物学を専攻した経歴を持ち、日本碍子で新商品事業部長を務めた経験がある。その間、専門外の分野にも果敢に挑み、赤外線ヒーターやグラスセラミックスといった新商品の開発を手がけたほか、ベリリウム銅を用いたゴルフボール用金型の開発にも成功している。異なる分野への挑戦を厭わないその姿勢が、後の功績へとつながった。
三浦常務は、妥協を一切許さない「電気の鬼」として知られ、不可能への挑戦を何よりの趣味(?)としている人物だ。一方、担当の高岡氏は、いわば「士」の風格を持つ男だ。本人いわく「箸にも棒にもかからない男だった」と語るほどで、それが正真正銘の自己評価らしい。器用さと仕事への没頭ぶりは群を抜いているが、一度気が変わると手がつけられなくなるという、強烈な個性の持ち主でもある。
深夜、酒気帯びで車を運転し、大事故を起こしてしまう。結果、三カ月もの入院を余儀なくされる大怪我を負った。この出来事が高岡氏自身の転機となる。怪我の影響で現場作業が難しくなり、技術部門へ異動することになったという経緯を持つ、まさに波乱万丈の「士」だ。その背景が、彼の独特な情熱と執念に深く影響しているのかもしれない。
ある日、高岡氏が三浦常務に限流ヒューズの研究に取り組みたいと申し出た。これに応えた三浦常務は、以前から懸案となっていた「超小型化」という困難な課題を高岡氏に託す。すると、高岡氏の闘志が一気に燃え上がり、猛烈な勢いで挑戦をスタートさせた。
三浦常務は、この構想を岩尾社長に相談した。岩尾社長はこれを承認し、限流ヒューズの超小型化は正式に会社の開発プロジェクトとして進められることになった。こうして、挑戦的な研究が組織的な取り組みへと昇華した。
しかし、この開発には言葉で言い尽くせないほどの困難が伴った。一つの壁を突破すると、すぐに次の壁が立ちはだかる。どれだけ壁を打ち破っても、次々と新たな壁が現れる。終わりの見えない挑戦が続いた。
精魂を尽くし、何百回もの失敗にもめげず挑戦を続けた高岡氏の根性は、決して一人の力だけでは成し得なかった。技術的助言を惜しみなく与えながら「必ず成功する」と信じて支え続けた三浦常務の存在。そして、時間があれば高岡氏の実験室を訪れ、雑談や絵の話題で気分転換を促した岩尾社長の支えも大きかった。特に岩尾社長の絵の腕前は素人離れしており、毎年名古屋で個展を開くほどの実力を持っていた。こうした環境と支えが、高岡氏の挑戦を支える原動力となったのだろう。
限界を突破した瞬間
悪戦苦闘の2年間、ついに最後の壁が突破される日が訪れた。それは、従来の常識を覆す新しい消孤剤の発見によるものだった。この物質は、驚異的な熱伝導性を持ち、それが大アークの膨大なエネルギーを効果的に吸収することを可能にした。そこから先は一気呵成だった。完成した超小型ヒューズは、その革新性によって電力業界に大きな反響を巻き起こし、開発チームの努力が見事に結実する形となった。
殺到する注文に追いつかず、岩尾氏は「毎日毎日お客様から叱られて、こんなにつらいことはない」と嘆くほどの状況に追い込まれていた。成功の代償ともいえるこの悲鳴は、製品がどれほど需要を呼び、業界に衝撃を与えたかを物語っている。
Qヒューズは、実用段階においてもその優れた性能が確実に証明された。Qヒューズを装着したトランスは、落雷による過電流を受けてもトランス自体が焼損することがない。この革新的な性能は、電力会社が夢中になるのも当然と言える成果だった。
Qヒューズの成功は、「三気狂い」のチームワークによるものだが、何よりも岩尾社長の卓越した指導があってこその成果だった。岩尾氏自身が豊富な開発経験を持ち、「開発とは耐えることだ」という真理を身をもって理解していたからこそ、困難な挑戦を根気強く支え、導くことができたのである。
岩尾氏は私にこう語った。「能力のある人間を嗅ぎ分ける嗅覚が発達しているんでしょう。それがどれほど変わり者だろうと、鼻つまみ者だろうと、何となくピンとくるんです。高岡君もその一人ですよ」。さらに、もう一つ印象的な言葉を残している。「開発のような仕事は、百人の素人より一人の高段者ですよ」。この言葉からも、岩尾氏の人を見る目と、独創的な才能を重んじる姿勢がよくわかる。
アキタのVプロセス革命
アキタは長野県須坂市にある小規模な鋳物工場だ。同社が開発した鋳物の砂型の真空成型法は「Vプロセス」と名付けられ、その技術革新はまさに画期的だった。このプロセスは、全世界の専門家を驚愕させ、鋳造業界に新たな基準を打ち立てる成果となった。
「Vプロセス」の特長を挙げると、以下のような驚異的な利点がある。
- 成型時間の大幅短縮
物によっては従来の数十分の一、さらには数百分の一にまで短縮可能。 - 成型技術者が不要
熟練者に頼らず、効率的な運用が可能。 - 型製作費の大幅削減
従来よりも圧倒的に低コストで型を製作できる。 - 優れた湯流れ性能
湯流れが極めて良好で、鋳造欠陥である「ス」の発生がほとんどない。 - 高い製品歩留まり
例として、フェンス製品で驚異の97%という歩留まり実績がある。 - 抜勾配が不要
抜勾配が全く必要なく、軽い逆勾配すら可能にする画期的な特徴。 - 滑らかな鋳肌
製品の表面仕上がりが非常に美しく、加工コストを削減できる。 - 砂の処理が簡単で長寿命
砂の再利用性が高く、廃棄物削減にも貢献する。 - 粉塵公害の大幅削減
作業環境が改善され、環境負荷が大幅に軽減される。
これらの特長により、「Vプロセス」は従来の鋳造方法を一変させ、まさに理想的な鋳造技術として評価されている。
Vプロセスは、アキタを瞬く間に超高収益企業へと変貌させた。日本中の鋳物関連会社が競ってこの技術供与を求めたためである。その結果、アキタは鋳造業界の中心的存在となり、一躍注目を集める企業となった。なお、社長の久保好氏がこのVプロセスをいかにして「事業化」し、その成功を収めたのかについては、改めて詳しく述べることとしよう。
久保氏がアキタの再建を引き受けたのは、経営難に陥っていた同社を銀行から依頼されたのがきっかけだった。赤字会社の再建に挑む中、久保社長自身がスタンプ(鋳砂を突き固める棒)を手に取り、現場で汗を流した経験がある。その苦闘の日々から生まれたのが、専門家では決して思いつかないような発想による「Vプロセス」だった。この技術は、彼の現場感覚と独創性が融合した成果と言える。
常識を打ち破る挑戦
通常、鋳砂は成型のために湿らせたり、硬化剤を加えたりする必要がある。しかし、Vプロセスでは一切それを必要とせず、使用するのはサラサラの乾いた砂だ。この砂を特殊なプラスチックフィルムで覆い、内部の空気を真空状態にすることで、大気圧が砂を強固に押さえつける仕組みになっている。その結果、砂型は驚くほどの強度を持ち、手で押してもびくともしないほど堅牢になる。このユニークな原理が、Vプロセスの画期的な特徴だ。
プラスチックフィルムで保持された砂型に湯(溶鉄)を直接流し込むというのが、Vプロセスの核心であり、完全な独創だ。千三百度以上の高温に達する湯がプラスチックフィルムに直接接触するが、このフィルムは燃えることなく炭化するだけで済む。その理由は、型内部が真空状態で空気が存在しないため、燃焼が起きないからである。この仕組みにより、従来では考えられなかったシンプルかつ効率的な鋳造が実現している。
M重工の技術者はこう語った。「我々のような専門家には絶対に考えられない発想だ。『千三百度もの高温に触れたプラスチックは瞬時に燃えてしまう』と信じ込んでいるから、そもそもこんなアイデアは浮かばない。仮に誰かが発想したとしても、一笑に付して終わりだろう」。これこそ専門家の弱点だと言える。一方、久保氏は素人であったがゆえに先入観に縛られることなく、「やってみなければわからない」という姿勢で実験を行い、常識を打ち破る成果を生み出したのである。
Qヒューズにせよ、Vプロセスにせよ、素人であったがゆえに、専門家には到底生み出せない発想が形となった。既成の概念はどれほど優れていても万能ではなく、時には大きな盲点を抱えていることがある。この二つの成功例は、その事実を強く示している。何より重要なのは、「とにかくやってみよう」という姿勢だ。既存の常識に囚われることなく、未知に挑む姿勢こそが、新たな可能性を切り開く鍵だということを、この物語は教えてくれる。
「不可能に挑戦する」というテーマは、従来の専門的な知識や常識に囚われず、新しいアイディアや技術を創出し成功を収めた企業の事例を通じて、挑戦と粘り強さがいかに重要であるかを示しています。以下に、これらの事例から学べる重要なポイントをまとめます。
1. 不屈の精神とチャレンジ精神
愛知県犬山市の高松電気製作所では、限界に挑み、通常のヒューズよりもはるかに小型化した「Qヒューズ」を開発しました。このプロジェクトでは、電気の大アークに耐える小型化は不可能とされていたものの、社員の根気と情熱によって克服されました。このような不屈の精神と「不可能に挑む」姿勢が成功を生む鍵となっています。
2. 既成概念に囚われない発想
鋳物の「Vプロセス」を開発したアキタの久保社長は、専門知識がないことを逆に活かし、従来の成型法に囚われず独創的な方法を考案しました。サラサラの砂を大気圧で固めて型を作り、高温に耐えるプラスチックフィルムを使うという発想は、専門家には思いつきにくいものです。「やってみなければ分からない」という姿勢で実験を繰り返し、成功を収めたことで、業界に大きな影響を与えました。
3. 指導力とチームの士気
Qヒューズの開発では、岩尾社長がリーダーとして開発者の精神的サポートを行い、チームの結束を強めました。社長自身が現場を訪れ、技術的な助言や雑談を交えた気分転換を提供したことで、困難な挑戦が続けられたのです。挑戦するチームの士気を保つリーダーシップも重要な要素となっています。
4. 不可能を可能にするための忍耐と実験
両社に共通するのは、幾度も失敗しながらも諦めずに実験を繰り返したことです。特に高岡氏が100回以上の失敗にもめげずに続けたことで、最終的に大きな熱伝導性を持つ消炎剤を見つけ、完成に至りました。「開発とは耐えること」という言葉が示すように、根気と忍耐が不可能を可能にするのです。
5. 専門知識に縛られない柔軟な思考
専門家であっても、既成の概念に囚われて新しい発想をしないことがある一方、久保氏のように「素人だからこそ」発想できた新しい技術もあります。既成概念が壁になることを理解し、「やってみる」姿勢があるからこそ、斬新な解決策が生まれるのです。
結論
不可能に挑戦する姿勢、既成概念に縛られない柔軟な発想、そして何度も試行錯誤を繰り返す忍耐強さが、革新を生む大きな原動力です。
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