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分掌主義の誤り

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分掌主義の問題点

伝統的な組織論では、職能に基づいて役割を分けるという発想が採用されている。簡単に言えば、特定の技能が必要な業務を集約し、それを部門として編成し、部門単位での活動を展開する形をとる。このように業務を分担する方法は「分掌主義」と呼ばれる。

このアプローチから派生して、「職務分掌規定」を策定し、その規定に基づいて業務を遂行させるという仕組みが生まれる。一見すると極めて合理的に思えるこの考え方だが、実際には事業経営において重大な欠陥を内包している。

実務で露呈する欠陥

ひとつ笑い話を紹介しよう。かつて私がF社に勤めていた頃のことだ。ある有名なコンサルタント団体の指導を受けて、「職務分掌規定」を作成することになった。結果として立派な規定が完成し、説明会も無事に終え、ある日をもってその規定が正式に施行されることとなった。

ところが、施行初日の午前中から問題が発生した。特に検査課と他の部門との間で摩擦が生じたのだ。まず最初に、検査課と倉庫との間でトラブルが起きた。これまで検査課では、検査済みの品物を倉庫まで運んでいたが、新しい規定のもとではそれをやらなくなってしまったのだ。

その理由は至って単純だった。「職務分掌規定」に「検査済みの品物を倉庫に運ぶ」という項目が明記されていないため、「規定にないことはやる必要がない」と判断されたのだ。

倉庫課は激怒した。「冗談じゃない」と言わんばかりに声を荒らげたのだ。「倉庫課の分掌規定にも、『検査済みの品物を検査課から運ぶ』なんて書いてない。そもそも、何がいつ検査済みになるかもわからないし、そのたびに検査課に確認して取りに行くなんてやっていられない。こちらは現場に品物を配るだけで手一杯だ。検査済みの品物を検査課から倉庫に運ぶのが筋で、それを倉庫から現場に配るのが俺たちの仕事だろう!」と、不満を爆発させたのだ。

さらに別の問題も浮上した。中間検査場で検査済みの品物が現場へ運ばれなくなってしまったのだ。昨日までは普通に行われていた作業が、突如としてストップしたのである。その結果、生産プロセス全体に混乱が生じ、業務に深刻な支障をきたす事態となった。

こうして、数か月かけて緻密に調査し、作り上げた職務分掌規定は、わずか一日でその実効性を失い、有名無実の存在となってしまったのである。

これが非常識な検査課長のせいであることは疑いようがない。しかし、そんな愚かな行動に振り回されるのが職務分掌規定という仕組みの本質なのだ。

どの会社にも、一定の確率でこのような愚か者が存在するものだ。彼らが混乱を引き起こすのは避けられない。しかし、それを防ぐために、会社内のすべての業務を網羅し、誤りなく遂行させ、人々に常に正しい行動をとらせるような規定を作ることなど、不可能に近い話である。

あるとき、N社を訪問した際、総務部長からこの問題について質問を受けた。その要旨はこうだ。「職務分掌規定では対応できない事態が次々と発生するため、その都度細則を追加してきました。しかし、それでも新たな問題が後から後から湧き出てきて困っています。どうすればいいのでしょうか?」というものだった。もうお分かりだろう。職務分掌規定で会社内の仕事や人々の行動を完全に規制しようとする発想自体が、根本的に誤りなのである。

規定というものは、その存在が「規定を守る」という大義名分を生み出す一方で、守る側には「規定にないからやらない」という別の大義名分を与える仕組みでもある。

その結果、本来なら当然やるべき仕事が放置されるという事態が生じてしまう。職務分掌規定の考え方には、二つの重大な誤りが含まれている。

一つ目の誤りは、部門ごとの仕事を詳細に規定しようとする点にある。これは現実的に不可能なことであり、それを無理に実現しようとするからこそ、馬鹿げた混乱が生じるのだ。

もう一つの誤りは、各セクションの業務をそのセクション単独の範囲内でしか捉えていない点にある。会社の仕事というものは、必ず他の部門との関連性を持っている。この相互関係を無視していることが、問題の本質なのだ。

個々のセクションが上からの指示に基づいて仕事を進めていることは間違いなく事実である。しかし、それだけでは仕事がうまく回るわけではない。上からの指令だけで業務を遂行することには限界があり、他の要素や部門との連携が欠かせないのだ。

資材購買外注部門、検査部門、倉庫部門、配送部門といった各部門の連携が欠かせない。また、総務部門はその名の通り、全ての部門と繋がりを持っている。

だから、会社の仕事というのは、各セクションがそれぞれの役割をしっかり果たすことが重要だ。しかし、それだけでは十分ではない。仕事全体の流れが滞れば、各セクションの努力が無駄になりかねない。

実際、会社の仕事の中では、セクション間で仕事の流れが滞るケースが非常に多い。これが、「うちはどうも横の連携がうまくいかなくて……」という不満につながる原因となる。

この「仕事の流れ」こそが、日常業務を円滑に進めるための重要なポイントである。しかし、組織論やマネジメント論を語る人々は、この点を完全に無視しているか、むしろその重要性を理解していないと言った方が正確だろう。

では、どうすれば仕事の流れを改善し、ミスなく業務を進めることができるのだろうか。その具体的な方法については後ほど触れるとして、話を先に進めよう。分掌主義は、部門間の役割分担にとどまらず、部門内における個人の職務にまで細かく適用される傾向がある。

これは「特定の技能を個人ごとに割り当てる」という考え方に基づいている。MTP(Management Training Program)では、これを「同質的な作業割当」という表現で説明している。

私がF社に勤めていた頃、あるコンサルタント会社に依頼して工程管理制度を構築したことがあった。その際、資材課(外注と購買)の業務を基に、計画係・推進係・記帳係の三つの職能に分けることにした。ところが、この分割によって以前よりも混乱が増し、事態は収拾がつかなくなってしまった。

混乱は、計画係と推進係の間、さらに推進係と記帳係の間で発生した。特に、推進係の仕事ほど馬鹿げたものはなかった。なぜなら、計画係が発注した材料や部品をただかき集めるだけの役割だったからだ。計画係は発注先の実情をまったく理解せずに注文書を発行する。設備や技術が不適合な発注、すでに満杯の会社に特急品の発注をかけるなど、発注内容はめちゃくちゃだった。

その結果、推進係の仕事は極めて困難なものとなった。推進係が「もっと実情を把握して発注してほしい」と計画係に要望を伝えると、計画係は「一つ一つの発注先の状況を毎回調べる余裕などない。こちらは全社の全発注を担当しているのだ。文句を言う前に、先に必要な情報を提供したらどうだ」と逆に反論する始末だった。

推進係と記帳係の間では直接的なトラブルは起きなかったものの、記帳業務が推進係の役に立たなかった。推進係の役割は、生産に支障を来さないよう必要な品物を確実に入荷させることにある。そのため、最も重要なのは生産に間に合わない品物の情報だ。特に、納期遅れで入荷してくる品物の状況が重要であり、それらが何個入荷し、何個検収されたのかをすぐに把握したいところだった。

しかし、記帳業務は日付順で処理される仕組みだった。そのため、記帳係はまず昨日入荷した品物の記帳を優先し、今日入荷した品物の記帳は後回しにされてしまうのだった。

ところが、推進係が知りたい情報の大半は、この後回しにされる部分に含まれている。そのため、推進係は未記帳の伝票を手に取り、必要な情報をメモしていく。こうして、正式な記帳とは別に、推進係独自の「私製帳簿」が作られていくのだった。

その結果、資材調達業務では以前にも増して欠品が多発するようになった。さらに厄介だったのは、欠品を防ぎたくても、具体的にどこに問題があるのかが誰にも分からないことだった。部門間ではお互いに責任を押し付け合うばかりで、状況は一向に改善しなかった。

もう一つ重大な欠陥があった。それは、人間というものが、自分の仕事に何らかの意義を見出し、その結果にやりがいを感じるという本質を無視していたことだ。計画だけ、推進だけ、記帳だけという分業体制では、自分の仕事の意義も、成果に対する喜びも感じることができない。まさに人間性を無視した仕組みだったのだ。観念論者が考え出した仕組みは、現実的には全く使い物にならなかった。

仕事の流れを重視する改革

あまりの混乱に耐えかねた社長は、私に資材課長を任命した。当時、生産技術課長としてコンサルタントに協力していた私は、今回の結果についてコンサルタントに抗議した末、大喧嘩に発展した経緯があった。困り果てた社長は、私が「大口を叩くからには自分でやってみろ」という気持ちも少なからずあったようだ。

私はすぐに仕事の分担を見直し、一人一人に特定の材料や部品の調達を一貫して担当させる方式に切り替えた。具体的には、発注、推進、記帳という一連の業務を一人で行う形にしたのだ。また、計画業務については、発注限度を「追番」で示す方法を採用することで、不要とし、完全に廃止した。

この新しい体制では、一人一人が自らの判断で発注先を決定するようにした(ただし、新規の発注先については課長の承認が必要)。さらに、自分で推進し、自分で記帳する仕組みによって、それまでの混乱は驚くほど速やかに解消した。在庫は大幅に減少し、それにもかかわらず欠品はほぼゼロにまで抑えられた。

一人一人が自分の仕事に意義を見出せるようになり、仕事に対する張り合いが生まれた。仕事とは、多種多様な作業が連携して生まれる一つの「流れ」である。この流れを円滑にするには、作業を細分化して個々に分担させるのではなく、一人が流れの中で一貫した役割を果たす仕組みが必要だ。作業を細分化しすぎると、人と人との間で問題が生じ、結果として流れが滞ってしまうのだ。

仕事の分担は確かに必要だが、これを一つ一つの作業まで細分化してしまうのは、行き過ぎた細分化だ。仕事を円滑に進めるためには、細分化できない最小単位が存在する。この例では、発注・推進・記帳という三つの作業がその最小単位に該当する。これ以上細分化すると、仕事全体の流れをコントロールすることが難しくなり、かえって混乱を招いてしまう。

さらに、作業を過度に細分化することで、人々は自分の仕事に意義を見出せなくなり、やり甲斐を失ってしまう。これは、仕事を効率化しようとするあまり、人間性を完全に無視したやり方だと言える。

分掌主義とは、仕事の現場の実態を理解せず、人間性についての洞察も欠いた者たちが、机上の空論で作り上げた現実離れした観念論にすぎない。

仕事を効率よく処理するための鍵は、部門や個人の職務を細かく決めることではなく、「仕事」そのものの進め方を部門や個人に関係なく標準化することにある。

分掌主義の誤り:仕事の流れを無視した組織分担の問題

企業の多くが採用する「分掌主義」は、一見すると合理的に思えるが、事業の円滑な運営を阻害しやすい問題点を抱えている。分掌主義では、特定の技能や職能に基づいて仕事を部門ごとに分担し、職務分掌規定に沿って活動を行う。これは「部門単位の効率化」を目指すものだが、実際には異なる部門間の連携が滞りやすく、かえって生産性を低下させる要因となりかねない。

部門ごとの分担の問題点:横の連携の不足と混乱

分掌主義に基づく部門別の職務規定には二つの大きな誤りがある。第一に、部門ごとの仕事を規定化し、分担しようとする考え方である。実際には、すべての業務が他の部門との関連性を持っているため、部門ごとの分担だけでは事業全体の流れを確保できない。第二に、各セクションの職務が分割されると、異なる部門間で業務の流れが停滞する問題が発生しやすい。

たとえば、ある企業で職務分掌規定を導入した際、検査課が検査済みの品物を倉庫へ運ばないという問題が発生した。規定には「検査済みの品物を倉庫に運ぶ」という明確な記述がなかったため、各部門が「規定にない」と主張し、業務の流れが途絶えてしまった。このような細かい規定は、実際の業務の柔軟な対応を妨げる要因となり得る。

個人の職務細分化による人間性の無視

分掌主義は部門別の分担に留まらず、個人レベルにまで及ぶことが多い。ある企業では、資材課の職務を「計画」「推進」「記帳」の三つに細分化したが、部門間の連携が取れなくなり、むしろ混乱が生じた。計画係が発注し、推進係がその内容を把握できず、記帳係は推進係に役立つ情報を提供できなかったことで、欠品が頻発した。

このように、仕事を過度に細分化すると、各担当者が自らの業務の意義を見出せなくなり、仕事のやり甲斐を失ってしまう。人間は自身の仕事に意義や結果を見出すことで達成感を得るが、分掌主義ではその達成感が得られにくくなるのだ。

仕事の流れを重視した「一貫担当制」への転換

実務において効果的な方法は、仕事の流れを考慮し、細分化しすぎない「一貫担当制」を導入することである。たとえば、資材調達業務では「発注・推進・記帳」の一連の業務を一人が担当することで、業務の連携がスムーズになり、在庫管理や納期の遵守が徹底されやすくなる。この方法により、従業員が自分の業務に対して意義を感じ、責任を持って取り組むことができる。

分掌主義の代替:標準化による業務の流れの最適化

企業内の業務をうまく流すための鍵は、部門や個人の職務の細かい分担ではなく、業務そのものの流れを標準化し、誰もが理解しやすい手順を整えることにある。分掌主義の誤りを理解し、業務の流れをスムーズにする体制を築くことで、企業全体の効率と生産性を向上させることができるのだ。

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