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社長が外に出ると管理職が育つ

社長が問題解決に追われる日常から抜け出して外部との関わりに時間を割けば、社長本来の役割を果たせるだけでなく、予期しないプラスの効果が生まれることもある。

それは管理職が成長するきっかけになるということだ。社長が社内にいると、さまざまな問題が社長の耳に入り、管理職が相談や指示を求めてくる。これにいちいち対応したり指示を与えていては、管理職が自ら考える力を身につけることができない。問題があればいつでも頼れる存在がいる限り、自分の頭で解決策を模索する必要がなくなるからだ。

さらに悪いことに、管理職がうかつに自分の判断で動き、もしそれがうまくいかなかった場合、社長から「なぜ相談しなかったのか」と叱責されるのが目に見えている。その結果、ますます管理職は自分で考えて行動することを避けるようになり、責任を負うことへの意識が薄れてしまう。

そのため、最終的には何事も社長に相談するという流れになってしまう。いや、むしろ「何事も自分で考えたり判断したりしてはいけない」という風潮を、社長自身が無意識のうちに作り出していることになるのだ。

これでは管理職が育つはずがない。にもかかわらず、こうした状況を作り出している社長に限って、「うちの管理職はいつまでたっても成長しない。結局、何もかも私のところに相談に来る」と嘆くものだ。

いつまでもおんぶにだっこではたまらない、と社長はぼやく。だが、そうした社長に限って「社長は外に出ろと言うけれど、管理職が育ってこうした状況が改善されない限り外に出られるわけがない。まずは管理職の育成が先だ……」などと、私の勧告を実行しない理由に挙げる。そして、「もう少し待ってくれ」と、見当違いの言い訳をするのだ。

社長が外に出ない理由は、私に対してではなく、お客様に対して謝らなければならない問題だ。自社のサービスが不十分で、お客様にどのような迷惑をかけているのかを把握していない。そして、それを自ら見つけ出し、改善しようとしない態度にほかならないからだ。

社長が社内にいることで管理職が育たない理由はもう一つある。それは、会社の業務の大部分、つまり九十五パーセント(ここでも九十五パーセントの原理が当てはまる)は、単なる日常の繰り返しに過ぎないということだ。そんな日常業務すら、いちいち社長の指示がなければ遂行できないのであれば、「これまで何をやってきたのか」と問いたくなる。どんな理由があろうとも、結果としてそれは怠慢にほかならない。

この怠慢の原因は、社長自身が管理職を信頼せず、何もかも細かく指図してしまうところにある。人間は、信頼されることで初めて、自分の責任としてその信頼に応えようと努力するものだ。信頼がなければ、責任感も育たず、自主的な行動も生まれない。

何から何まで社長の指図を受けなければならない、名前だけの管理職にされてしまっては、誰が本気で管理職としての責任を果たそうとするだろうか。自主性を奪われた状態で、やる気を持てというのは無理な話だ。

そもそも、社長の管理職に対する要望や期待が過剰に高いことが問題だ。その上、怠慢な社長ほどこの傾向が顕著である。社長自身の基準や物差しが大きすぎるため、それで評価されて合格点を取れる管理職はほとんどいない。結果として、「うちの管理職は使えない、だから自分がやるしかない」と自己正当化し、現状を変えようとしないのだ。

こうして社長はますます問題解決にのめり込んでいくが、実際のところ、社長自身が管理職と比べて決して立派に仕事をこなしているわけではない。むしろ、自らの手で管理職の成長を妨げ、会社全体の停滞を招いていると言えるだろう。

それどころか、実務の細部に精通している社長などはごくわずかだ。私が外部の立場から見た場合、多くの社長は管理職よりも実務において優れているとは言えない。それどころか、現場の実態を知らないがゆえに的外れな指示を出すケースが非常に多いのが現実だ。

この的外れな指令は、社長の権威を伴うがゆえに、管理職は強く反対することもできず、「社長が言うのだから……」と従わざるを得ない。その結果、管理職が出す誤った指示よりも、はるかに厄介な状況を生むことになる。(この点については、本書の中で随所で触れる予定だ)。社長がどれだけ問題解決に奮闘しても、問題が一向に減らないのはそのためだ。むしろ、こうした構造では問題が減るはずがないのである。

問題というものは、新たに次々と発生するだけではない。一度解決したからといって二度と起きないわけではなく、同じ問題が何度も繰り返し発生する性質を持っている。まさに「賽の河原の石積み」のような状況と言える。

重要なのは、問題を解決することではなく、そもそも問題が発生しないようにすることだ。しかし、どの社長もこの予防策についての方法論を知らない。それどころか、マネジメントの理論がこれほど世に溢れているにもかかわらず、この点にはほとんど触れられていない。むしろ、マネジメントの理論そのものが、新たな問題を引き起こすような主張を含んでいるのが現実だ。

では、どうすればよいのかという問いが出てくるが、この点こそが本書で最も重要な狙いの一つである。その具体的な方法については、これから順を追って述べていくこととする。さて、本題に戻ると、社長はまず管理職に対する要求の基準を引き下げ、もっと管理職を信頼する姿勢を持つべきだ。信頼されることで、管理職は初めて主体的に動き、やる気を起こすようになるのである。

信頼するということは、「任せきりにして何も言わない」ことではない。信頼の上に立って、管理職に対して「社長方針の理解とその実践」を求めることであり、それができない場合には、できるようになるまで根気強く要求し続けることだ。ただし、それは決して「自ら乗り出してやってしまう」ことではない。信頼とは、相手に責任を持たせつつ、成長を促すプロセスを支える姿勢なのだ。

社長が自ら乗り出して問題を解決してしまう限り、管理職は決して育たない。どれだけ社長が社内で奮闘しようとも、問題は永久に解決しないし、管理職も成長しないのだ。であれば、社長が社内に居続ける意味は薄い。むしろ、社内のことは管理職に任せ、自分は外に出て本来の役割を果たすべきだと考えるべきである。

しかし、これが「同じではない」のだ。社長が外に出ることで、管理職は徐々に成長し、会社内の問題の大部分を自分たちで解決できるようになっていく。その理由は二つある。一つ目は、社長が不在であるため、管理職自身が自ら考え、解決策を見つけ出さなければならなくなることだ。人間は、自分の頭で考えるプロセスを経なければ成長することはない。この基本的な事実を忘れてはならない。

社長が会社にいると、管理職は自分の頭で深く考える必要がなくなる。何か問題が起きれば、社長に相談すれば済むという安心感があるためだ。この気楽さが、管理職の成長を妨げる「気のゆるみ」を生む原因となっている。

私自身もこの現実を痛感した経験がある。私は旧陸軍の中尉として、自動車隊の小隊長を務め、三年間を支那大陸(当時の呼称)で過ごした。駐屯地で中隊長の指揮下にあるときは非常に気が楽だった。たとえ夜中に敵襲があっても、守備の責任は守備隊にあり、自動車隊の責任ではない。そのうえ、自分の上には中隊長がいるという安心感もあった。結果として、敵襲があってもまるで関係ないかのように、何度も悠々と夜を過ごしたことがあったのだ。

しかし、その同じ私が、独立小隊長として中隊長の指揮下を離れたときには状況が一変した。どれだけ疲れていても、夜中に遠くで微かに「ポーン」と銃声が響くだけで、「パッ」と目が覚めたものだ。このとき初めて、最高責任者としての立場がどれほどの重みを持つかを実感した気がした。自分以外に頼る存在がいない状況で、すべての責任を引き受けることの意味を痛感したのだ。

さらに興味深いのは、自分自身では中隊長の指揮下にいたときと、独立小隊長になったときの責任者としての意識が変わったと全く感じていなかったことだ。つまり、同じ人間でも、置かれる立場や状況によって責任感が大きく変わるということを身をもって知ったのである。この経験は、環境や役割が人間の意識や行動にどれほど影響を与えるかを教えてくれた。

会社においても全く同じことが言える。社長が社内にいる間、管理職はどこか安心しきっている。何か問題が起きても最終的には社長が対応してくれるという意識があるためだ。時折、社長から叱られることさえ耐えれば、それ以上の責任を負う必要がないと考え、気楽に構えてしまうのである。

しかし、社長が不在となると状況は一変する。それぞれの管理職は格段に重い責任を背負うことになる。「社長の留守中に問題や事故を起こしてはならない」と自然に感じるようになるのだ。これは「立場」がそうさせるのであり、管理職が部分的ながらも社長の立場に立って行動し始めることを意味している。この意識の変化こそが、管理職を成長させるきっかけとなる。

これこそ、社長が常に管理職に期待していることだ。社長が外に出ることで、その期待が自然に実現するのである。社長が社内に留まっている限り、どうしても実現し得ないことが、外に出ることで初めて可能になるのだ。もう一つ重要なのは、管理職自身の「器量」の大小や重みが問われるようになることである。責任を持たざるを得ない状況が、管理職の真価を試す場となり、結果として成長を促すのである。

社長が社内にいなくなったことで、問題が増えたり、それを解決できなかったりするようであれば、管理職は厳しい現実に直面する。「結局、社長がいるから何とかやれていただけで、自分では何もできないではないか。まるで虎の威を借る狐ではないか」という批判を、同僚や部下から浴びることになるのだ。これは、管理職として耐え難い大きな屈辱であり、責任を果たす意識を強く芽生えさせるきっかけにもなる。

社長が不在でもしっかりと仕事を遂行できることを、実地で証明しなければならない。このプレッシャーが管理職の心構えを大きく変えるのだ。この二つの理由、すなわち責任感の増大と自分の器量が問われる状況により、管理職は社長が社内にいるとき以上に緊張感を持って仕事に取り組むようになる。これが管理職の成長を促す大きな要因となる。

これこそが管理職を成長させる鍵である。社長にとって悲願とも言える管理職の成長は、社長が会社にいないことで大きく促進されるのだ。社長不在の環境が管理職に責任感と主体性を求め、それが彼らの実力を引き出し、成長の機会を与えるのである。

管理職が成長しないから社長が外に出られないのではない。むしろ、社長が社内に居続けることが、管理職の成長を妨げているのだ。管理職の成長を阻害している最大の要因は、他でもない「穴熊社長」自身なのである。社長が社内に居座り、すべてをコントロールしようとする限り、管理職は自立する機会を奪われ、成長のきっかけを失い続ける。

「社長が社内にいて指導していても状況が良くならないのだから、社長が外に出たら事態がどうなるか分からない。とても外へ出るなんてできない」と考えるのは、全くの的外れだ。この考え方は、管理職に責任を持たせる機会をさらに奪うだけでなく、社長自身の役割を狭める結果にしかならない。外に出ることこそが、管理職の成長と会社全体の進化を促す鍵なのだ。

管理職を育てたかったのであれば、社長は社内にいるべきではない。社長が外に出ることによって、お客様の要求を直接知ることができるだけでなく、同時に管理職の成長も促される。これがまさに「一石二鳥」の効果であり、社長が外に出ることが、会社の発展と管理職の成長にとって欠かせない要素となるのだ。

社長が会社内にいると管理職が育たない理由は、主に次の点に集約されます。

  1. 相談依存が発生する:社長が社内に常駐していると、管理職は問題が起きるたびに社長に相談してしまいがちになります。この依存は、管理職が自ら考えて解決する力を発揮しない原因となり、「何でも社長に聞くべきだ」といった誤った教育を生み出します。結果として、管理職が自らの判断を避け、責任感も薄れます。
  2. 社長が指示を出すことで自己解決の機会を奪う:社長が小さな問題にまで指示を出してしまうと、管理職が自らの頭で考える力が育ちません。何か問題が起きたときに社長がいないと、管理職は自分で解決を考えるようになります。社長の不在が、自然に管理職に自主性を促すのです。
  3. 信頼と責任感の欠如:社長がすべての指示を出している状況では、管理職は名前だけの役職にとどまり、主体的な責任感が生まれません。社長が社外に出て、自らの責任として管理職に決断と判断を委ねることで、初めて信頼と責任感が芽生えます。
  4. 緊張感と評価の明確化:社長が社外に出ていると、管理職は社長不在の中で日々の業務を実行する必要があるため、「自分が社長の代わりを務めている」という責任感が強まります。社長不在で問題が起きれば、管理職としての評価に直結するため、緊張感を持って仕事に取り組むことになるのです。
  5. 自律した判断と実行力:社長がいないことで管理職は自らの力で問題解決に取り組む必要があります。この実践が管理職としての判断力や実行力を成長させ、「社長不在でも業務が円滑に進む」という自信を持つことにもつながります。

こうした仕組みの中で、管理職が成長するには、社長が外に出て社内に頼られる状況を意図的に作ることが有効です。社長が外に出ることで、管理職は真に自らの役割を果たすことが求められ、結果的に会社の組織力も高まります。

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