組織は縦方向に階層構造を持ち、横方向では専門的な機能や役割を担う部門に分かれている。階層が異なれば、業務の性質や次元も大きく異なる。
トップの役割は「事業を経営する」ことであり、管理職は「日常業務を管理する」ことを担い、一般社員は「指示された業務を実行する」ことが主な仕事となる。これらの役割の間には、考え方や行動の面で大きな断層が存在する。また、横に分化された部門ごとに特有の思考パターンがあり、立場の違い――たとえば製造部門と営業部門のような関係――が摩擦を生むことは決して珍しくない。
上下でも左右でもそのような状況があるため、何も対策を取らなければ人々の考えはまとまりを失い、各自が思い思いの方向に進んでしまいやすい。
組織とは本来、そうした性質を持つものだ。それを一つにまとめ、統一感を持たせることが求められる。この役割を果たすためには、社長の強力なリーダーシップが欠かせない。
このリーダーシップこそ、社長が経営理念を実現するための指針となる。社長は自身の信念に基づき、自らの考えを明確に示す必要がある。その考えを具体化し、経営計画書として明文化することが求められる。
経営計画書は、必要不可欠なリーダーシップの絶対条件である。リーダーシップの最も重要な要件は、リーダー自身が「自らの意図を明確に示す」ことであり、それを形にするのが経営計画書だからだ。
これを怠って何をリーダーシップと呼ぶのか、と言わざるを得ない。組織のメンバーが社長の意図を理解できなければ、適切に動くことなどできるはずがない。
これは、私自身が会社勤めの中で痛感した経験に基づいている。若い頃に勤めていたF社が、親会社から切り離され、存亡の危機に陥ったとき、社長は「どうするか」について何ひとつ社員に示さなかった。その時ほど困惑し、どうにも動けない状況を味わったことはない。そして、結局F社は倒れてしまったのだ。
社長が自らの意図を示さないことで社員が困惑するのは、何も危機的状況に限った話ではない。むしろ平常時のほうが厄介な場合もある。それは、曖昧な状態が長期間にわたって続くからだ。
社長の正しい方針こそが事業経営の根幹であり、組織を適切に管理し運営するためには欠かせないものだ。組織の使命は、「社長の方針をいかに実現するか」という一点に集約される。
会社の運命は社長の方針によって決まるものであり、最終的な責任はすべて社長が負う。社員にはその責任はないのだ。したがって、会社内における正しい責任の在り方とは、利益責任は社長ただ一人が担うべきであり、社員にその責任を負わせるべきではない。社員に利益責任を押し付けるような「事業部制」などは、完全な誤りである。(この点についての具体的な証明は後述する)。
社員が負うべき責任は、社長の方針を忠実に実行すること、すなわち「実施責任」である。一方で、社長は会社の「利益責任」を負う。このように、社長が「利益責任」を担い、社員が「実施責任」を担うという分担こそ、正しい責任の在り方である。
社員が自ら会社の業績に責任を感じ、利益責任を意識するのは立派な姿勢だ。そのような社員は、会社にとって極めて貴重な存在であり、心から感謝すべき存在である。
しかし、こうした責任感はあくまで社員個人の自主性に基づくものであり、社長がそれを求めるのは間違いである。ましてや、これを「組織論」の中で取り上げ、制度として扱うべきものではない。
社員が自ら会社の利益に責任を感じるのは歓迎すべきことである。しかし、それが一歩間違うと、以前述べた「社員はお客様に対して責任を持たない人種と知れ」というような状況を引き起こしかねない。そのため、社員に無理に利益への責任感を求めるよりも、社長の方針を忠実に実行してもらうほうが望ましいというのが、優れた社長たちの本音であることを、私はたびたび目の当たりにしてきた。
話を元に戻すと、会社の業績が上がらない責任は、あくまで社長一人にある。社員にはその責任は一切ない。社員が責任を追及されるべき場面があるとすれば、それは社長の方針を忠実に実行しなかった場合に限られる。もし社員が方針を忠実に実行しても業績が上がらないのであれば、それは方針自体に問題があるのであり、社員には何の責任もない。
I社長の言葉によれば、「先生の思想に共鳴して、利益責任は社長ただ一人が負うと打ち出したが、こんなにも苦しいものだとは思わなかった。しかし、そのおかげで業績は順調だ」とのことだ。I社長はこの思想に基づき、セールスマンに課していた「売上ノルマ」を廃止し、「訪問ノルマ」に切り替えたのである。
営業会議で社員がうっかり売上の話を持ち出すと、I社長は「数字のことは社長が考える。君たちは訪問とお客様サービスのことだけを考えなさい」と厳しく叱りつけるのだ。
「売上ノルマ」を外され、「訪問ノルマ」を課せられたI社のセールスマンたちは口を揃えて言う。「売上ノルマがあった頃のほうがずっと楽だった。ノルマを達成さえすれば、あとはのんびりできたからだ。」
「達成できなかったときも、社長にちょっと叱られる程度で済んだ。しかし今は、売上が上がろうが上がるまいが、全く手を抜くことができない。」
「今月はこれでよい、という区切りがないのだから」と、セールスマンたちはぼやいている。一方で、社長は「利益」の責任に苦しみ、社員は「実施」の責任に苦しむ。これがI社の現状だ。しかし、その結果として、I社は素晴らしい高業績を上げているのだ。
ところで、方針を誤りなく実現していくためには、組織において基本的な要件が二つある。一つ目は「階層を少なくする」こと。二つ目は「無能な管理者を排除する」ことである。
第一の「階層は少なく」という点については、「組織に定型はない」(184頁)の箇所でA社の実例を紹介したが、その重要性を鑑み、ここで改めて取り上げることにする。
世の中の組織論者は、階層を整備することにやけに熱心だ。その背景には、お役所や軍隊といった大組織をお手本にしていることがあるのだろう。しかし、時として、それは中身のない組織論に権威を持たせようとしているのではないかと疑いたくなる。
さらに、その整備された組織図は見栄えが良くなる。その「カッコよさ」は社長にも受けが良いようだ。会社が立派に見えるという理由からだろう。
実際、従業員が50名にも満たない会社でありながら、部長―課長―係長と三層の管理階層を設けている例を私は目にしてきた。三階層程度の管理構造は、決して珍しいものではない。さらには、従業員100名程度の会社で、社長―副社長―事業部長―部長―課長―係長という六層もの階層を持つ組織に出くわしたこともある。
日本企業における「階層病」は、すでに深刻な域に達していると言える。階層が増えるほど、社長の意図が下層まで伝わりにくくなる。その伝達効率の低下は、「階層の数の二乗に逆比例する」という法則に近いものだ。つまり、階層が増えるごとに、意図の共有は急激に困難になる。
管理層が一つの場合を「1」とすると、二階層になると伝達効率は「4分の1」、三階層では「9分の1」にまで低下してしまう。これについて特別な説明は不要だろう。多くの社長自身が、日々その現実を痛感しているはずだからだ。
D社は従業員150名の商事会社だが、その階層は「社長―課長―一般社員」という非常にシンプルな構造である。D社長はこう語る。「管理層を三階層にしてしまうと、私の方針が一般社員まで徹底しなくなる」。この考えが、D社の組織設計の基盤となっている。
G社はメーカーで、私が訪問した際には従業員数が350名だった。一方、O社は販売会社で、訪問時の従業員数は290名だった。
どちらの会社も、かつては部長を置いており、管理層が三階層だった。しかし、私のセミナーを受講した後、部長職を廃止し、課長だけの二階層に変更したという社長の説明があった。そして、両社の社長はそろって全く同じ感想を語ってくれた。
その感想とは、「管理層を課長だけの一階層にしてから、上下の風通しが格段によくなり、仕事の流れが驚くほどスムーズになりました。その結果、課長も社員も大いに喜んでいます」というものだった。
階層を減らすことのメリットは、実際に体験してみなければ実感しにくいもののようだ。多くの会社の社長たちは、形式にとらわれて多階層の組織を作り上げ、その結果、自分たち自身を苦しめているのが現状だ。思い切って階層を減らす決断をしてほしいものだ。
階層を少なくすること自体は良いが、その結果として、社長が直接指導しなければならない管理職の数が増えてしまうのではないか、という疑問が生じるかもしれない。このような疑問が湧くのは、社長が日常業務の管理に過度に関心を向けている証拠と言える。
社長の本来の仕事は、日常業務の管理ではなく「事業の経営」である。お客様に対してどのように価値を提供するか、競合相手に対してどのように戦略を立てるかといった「決定」こそが、会社の運命を左右する重要な要素なのだ。
決定を下した後に必要なのは、それを指令として伝達し、その後にチェックを行うことだけだ。これらの作業に、それほど多くの時間がかかるわけではない。そもそも、階層を増やして指令を伝える人を増やしたとしても、指令そのものの数が減るわけでも、チェックの回数が減るわけでもないのだ。
階層を減らすことで、指令はより的確に伝達され、チェックも精度が上がる。そのメリットは計り知れない。実際、社長が管理職15人や20人を直接指揮することが不可能だというのは考えにくい。適切な指導体制があれば、それは十分に可能である。
問題となるのは、社長が抱える仕事の広範さや、次々に出す指令の量であって、直接指揮する管理職の人数が5人であろうと20人であろうと、それ自体は全く問題ではない。重要なのは、指令の質と優先順位を適切に管理することである。
第二の要件である「無能な管理職を外す」という点について、Z社の社長から緊急の相談を受けた際のことだ。話を聞いてみると、「10年ほど前にスカウトして採用した技術部長が無能であり、新商品の開発に大きな支障をきたしている」とのことだった。
それだけではなく、「その技術部長の下にいる有能な部下たちが、彼に嫌気がさして次々と辞めていく状況になっている。下ろしたいとは思うが、自分がスカウトして採用した手前、なかなか決断できず困っている」という話だった。
私はこう答えた。「無能な管理職は、社長の方針実現にとって大きな障害となるだけでなく、その下で働く部下たちの士気を下げ、やる気を失わせ、最悪の場合には退職に追い込んでしまいます」。社長は、「まさにその通りだ」と深く頷いた。
私はさらに続けて言った。「早くその技術部長を外すべきです。無情に思えるかもしれませんが、会社の将来を考えれば迷っている時間はありません。名前だけの役職を作るなどして、速やかに棚上げするのが最善の策です」。
「確かに苦しい決断でしょうが、社長の決定というものは、それが重要であればあるほど苦しいものです」と助言した。その言葉に勇気を得た社長は、ついにその部長を外す決断を下した。すると、技術部は見違えるように活気を取り戻し、生産性が一気に向上したのだった。
その後、技術部を一時的に社長直属としたことも功を奏したのかもしれない。結果として、間もなく10年来で最も収益性の高い新商品が生み出されるに至った。この決断が会社に大きな成果をもたらしたのは明らかだ。
N社長の悩みの種は、製造部長の無能さだった。その部長は50歳を過ぎており、管理能力は最低レベルだった。無理もないことだ。彼は年功序列に従って昇進した「職人」だったのだ。
私はN社長に、製造部長を勇退させ、若い人材を新たに任命することを勧めた。しかし、N社長は「若い人材がいれば苦労はしないのだが」と困惑した表情で答えた。
私はこう強く勧めた。「やらせてみなければ、その人が人材かどうかは分からないでしょう。今の製造部長ではこれ以上の改善が期待できないのは明らかです。事態を打開するには、新しい人材に賭けるしかありません」。これでN社長も思い切る決意を固めたようだった。
N社長は不安を抱えながらも、ついに製造部長を交替させる決断を下した。その結果は非常に良好で、期待以上の成果を生んだ。日本の終身雇用制度では、年功序列によるエスカレーター式の人事が最も一般的だが、それが必ずしも最善の方法ではないことを、この成功例が示している。
無能な管理職を生む原因が年功序列にあると理解していても、現実にはそれを改善するのは容易ではない。特に、会社が創業間もない段階では、組織と呼べる体制さえ定まっておらず、古株の人間が自然とあれこれ指図をする状況が生じる。それがそのまま引き継がれ、役職に就く流れへとつながってしまうのだ。
会社が小さいうちは、たとえ管理職に能力不足があっても、大きな問題にはなりにくい。しかし、会社が成長し規模が大きくなるにつれて、その管理能力の不足が明らかになり、部門の運営に支障をきたすようになる。そして最終的には、その影響が会社全体に広がり、成長のブレーキとなってしまう。
とはいえ、その人たちを粗末に扱うわけにはいかない。小さな会社にとって、貴重な人材が来てくれること自体が奇跡のようなものであり、そうした人々は社長とともに懸命に働き、汗と努力で会社の基礎を築き上げた功労者である。その貢献は軽んじるべきではない。
過去に会社の基礎を築いた大功労者が、現在では会社の成長を妨げる壁になっている。この状況に、社長はどう対処すればよいのか分からず、悩み苦しむことになる。そのまま放置すれば会社の成長にブレーキがかかるが、外せば社長自身が不人情だと見なされる可能性がある。この板挟みの状況が、社長にとって非常に難しい課題となるのだ。
この二律背反を解決するには、会社の社会的使命を最優先に考えるべきだ。「会社は社会の公器である」という言葉が示すように、会社の存在意義は社会のために貢献することにある。この使命を軸に判断することで、組織全体が目指すべき方向性が明確になる。
具体的には、個人の功績を尊重しつつ、会社全体の成長と社会への貢献を妨げない形で役割を再定義することが求められる。例えば、過去の功労者に名誉職や顧問職を与えるなどして、直接の管理業務から外しつつ、引き続き会社への関与を認める形が現実的な解決策となるだろう。こうすることで、会社の成長を妨げることなく、功績を適切に称えることができる。
昔の人が「大義親を滅す」と語ったように、個人の情や縁よりも、大義を優先させるのが社会の原則だ。会社においても同様である。たとえ心苦しくても、会社全体の使命と発展のために、無能な管理職は外さなければならない。ここで必要なのは、社長が心を鬼にして正しい判断を下す覚悟だ。情に流されて適切な決断を先送りすれば、結果として会社全体を危機に陥れることになるのだ。
しかし、無能と判断された管理職であっても、過去に会社に貢献した功労者であることには変わりない。そのため、管理職から外す場合でも、その処遇には十分配慮する必要がある。具体的には、功労者としての貢献に見合った報酬や待遇を確保し、感謝の意を示すことが大切だ。これにより、本人のプライドを守りつつ、会社の健全な運営を維持することが可能となる。
無能な管理者を外そうと決意したとしても、いざ実行に移そうとすると、社長の心中には別の障害が浮かび上がってくる。それは、「組織内の反発や混乱が起きるのではないか」「本人のモチベーションが下がり、周囲に悪影響を及ぼすのではないか」などといった不安だ。このように、実行段階での懸念が、決断をためらわせる要因となる。しかし、これらの不安は、多くの場合、実行前の思い込みに過ぎない。実際には、適切な配慮と準備をしたうえでの決断は、長期的に組織を活性化させる結果をもたらすことが多い。
社長が無能な管理者を外す際に感じる障害は、主に二つある。一つ目は、外した当人に適切な新しい仕事を割り当てる先が見つからないこと。二つ目は、その管理職の代わりを務められる人材がいないことだ。しかし、これらの理由には、苦しい決定を避けるための言い訳や自己弁護が含まれている側面も否定できない。
実際には、適切な計画と準備を行えば、これらの問題は克服可能であり、会社全体にとってプラスに働く決断になることが多い。問題を先送りにするよりも、現実を直視して解決に向けた具体的なアクションを取ることが求められる。
第一の問題である「当人に割り当てる適当な仕事がない」という点について言えば、それは当然のことだ。その人に適した能力があるなら、すでにその仕事を任せているはずであり、今になって改めて探す必要はない。つまり、現実的には、その人にはもはや割り当てるべき仕事が存在しない。本当のところ、その人物は組織の中で役割を終えた「用済みの人間」になっているのだ。
この厳しい現実を直視することは難しいが、会社の将来を考えるなら、こうした判断を避け続けることは会社全体にとって大きなマイナスとなる。感情的な配慮にとらわれず、組織全体の最適化を優先するべきである。
こうした人物に何か仕事を与えたとしても、有益な結果を生むどころか、むしろ会社にとってマイナスになる可能性のほうが高い。さらに厄介なのは、その下に部下をつけると、部下の士気が低下し、最悪の場合は腐ってしまうという事態を招きかねないことだ。こうしたリスクを抱える以上、そのような人材を組織の中に適当なポジションで留めておくことは、会社全体の活力を損なう原因となる。適切な処置を講じる必要があるのは明白である。
解決策として最も現実的で効果的なのは、その人物を「隔離」して何もさせないことだ。たとえば、「無任所常務」などの名誉職を与える形で事実上の隔離を行うのも一つの方法である。このようにすることで、会社が被る損失は、本人の給与だけに限定される。組織全体に与える悪影響や部下の士気低下といった大きなリスクを回避できる点で、これは合理的な選択肢と言えるだろう。
何か仕事を任せると、本人の給与の何倍、場合によっては何十倍もの損害を会社が被る可能性があることを理解する必要がある。だからこそ、隔離という選択肢が重要になる。
もう一つの「替りの人材がいない」という理由についても、それは多くの場合、社長自身の思い込みに過ぎない。実際には、社内に目を向ければ、潜在的にその役割を担える人材がいることがほとんどだ。新しい視点やチャレンジを受け入れる覚悟を持つことが、組織の未来を切り開く鍵となる。
社長という立場の人間は、しばしば社員の能力に過大な期待を抱きがちだ。その一方で、社員に対してあまりにも低い給与しか支払っていないことが多い。このギャップが、現実的な人材育成や適正な評価を妨げている要因の一つである。期待する水準と提供する報酬のバランスを見直さなければ、社員のモチベーションや成果を引き出すことは難しいだろう。
もう一つの問題として、社長という立場の人間は、しばしば「年齢が若い」「経験が少ない」という理由だけで、若手社員の能力を過小評価する傾向がある。この悪癖は、若い人材の可能性を閉ざし、組織の成長を妨げる原因となる。若い社員には、柔軟な発想や新しい視点といった貴重な資質があり、それを正当に評価し、活用することが会社の未来を切り開く鍵になるはずだ。
ある社長がこう言った。「あの男は優秀だけれど、何といってもまだ30歳前だ。課長には早すぎる」。その言葉を聞いて、私はすかさずこう尋ねた。「社長は何歳のときに社長になりましたか?」。この問いに、社長は一瞬言葉を詰まらせた。年齢にこだわることの無意味さを示す、簡潔で効果的な返答だった。
その社長はこう答えた。「父が早く亡くなったので、若くして社長の職に就きました。27歳のときでした」。この返答により、社長自身が若い年齢で重要な役職を担った事実が浮き彫りになり、私の問いかけに一本取られた形となった。年齢を理由に能力を過小評価することの矛盾が、明らかになった瞬間だった。
多くの社長が、年齢と経験を人材の最重要要件だと信じ込んでいる。この思い込みが、「経験豊富な人材」を求める強い傾向を生み出している。しかし、その結果として、表面的に「経験豊富」に見えるだけの無能な人材、いわば「カスの中のカス」を高給と重要な地位を約束して迎え入れ、大きな失敗を招くケースが後を絶たない。経験だけに頼った人材選びは、組織の発展を妨げる大きなリスクとなる。
20年も経験を積んでいながら独立できず、スカウトの誘いに応じてしまうというのは、独立する能力がない証拠だ。そのような人物を「ベテラン」と呼ぶのは、実際には「カスの看板」に過ぎない場合が多いことを理解する必要がある。経験の長さだけで人材を評価するのは危険であり、その本質的な能力や実績を見極める目が求められる。
人材の本質は、年齢や経験の長さとは無関係だ。会社で1年も働けば、その人が持つ才能や可能性の片鱗は必ずどこかに現れるものだ。こうした人物こそ、適切なタイミングを見計らい、思い切って登用するべきだ。まだ力不足に見える場合でも、あえて登用する勇気を持つことが名社長たる所以である。そうして登用された人材は、社長の期待に必ず応え、大きな成果をもたらす可能性が高い。
社長の意図を実現するための正しい指導法については、本書全体がその指針を示しているが、その中でも特に重要なのは、管理職に対する基本的な心構えの指導である。この心構えが、社長の意図を正確に実現する基盤となる。管理職とは、社長の意図を具現化し、組織を動かす責任を持つ立場の人間であり、その役割を正しく認識し、実行できる人材に育てることが肝要だ。
世に溢れるマネジメント論では、管理職を「部下とその仕事を管理する人」と定義しているものが多い。この考え方は、部下の管理にだけ関心を向け、「事業への貢献」という本質的な思想を完全に欠いている。このような偏った考え方は、マネジメントの本質を見誤った誤解でしかない。管理職の役割は、単に部下を管理することではなく、社長の意図を理解し、それを事業全体に貢献する形で具体化することにあるべきだ。
管理職の本来の役割は、「社長の意図を実現する」ことである。社長が全社員一人ひとりを直接指導することは現実的に不可能だ。そのため、管理職が社長の代理として、その意図を組織内に徹底させ、方針を実行に移す役割を担う。この役割を正しく果たすことが、管理職の最も重要な使命である。管理職がこの責任を十分に理解し実行することで、社長の意図が組織全体に行き渡り、事業が円滑に進むのだ。
管理職の役割は、社員の自由意思を尊重するための防波堤になることではないし、社員の相談役でもない。また、社員の意向をまとめて社長に伝える役割を担うものでもない。管理職の本質的な役割は、あくまでも社長の意図を組織全体に浸透させ、それを実現するために行動することである。社員の意向に迎合するのではなく、社長の方針に基づいて組織を導くことが求められるのだ。
社長はまず、「管理職とは『社長の意図を実現する人』であり、『部下を管理する人』ではない」という意識革命を自らの中で行わなければならない。従来のように管理職を単なる部下の監督者と捉えるのではなく、社長の代理として方針を徹底し、事業全体に貢献する存在として位置づけることが重要だ。この意識の転換こそが、組織を正しい方向に導く第一歩となる。
この意識改革を行わなければ、間違ったマネジメント思想に染まった管理職が生まれてしまう。彼らは部下の管理だけに関心を向け、事業への貢献には無関心となり、さらに社長の意図を理解しようとする努力すら怠るようになる。結果として、社長の方針が組織全体に浸透せず、事業運営に大きな支障をきたすことになる。この危険性を十分に認識し、管理職に対する正しい教育と指導を行うことが不可欠である。
管理職には、部下の顔色をうかがって下を向くのではなく、社長の意図や方針に目を向けて上を向くことが正しい態度であると教えなければならない。そして、それを教え、管理職を正しい方向に導くのは、社長自身の重要な役割である。社長が率先してこの姿勢を示し、管理職に求めるべきスタンスを明確にすることで、組織全体が一つの方向に進む力を持つようになる。
管理職に正しい態度を教え、育てるためには、まず次の具体的な取り組みが必要となる。
- 「経営計画書」の方針と目標の繰り返し強調
社長は経営計画書に記載された方針と目標を繰り返し説明し、その重要性を管理職に徹底的に理解させる必要がある。 - プロジェクト計画書の作成を命じる
管理職に対し、具体的なプロジェクト計画書を作成させる。これにより、社長の意図が現場でどのように実行されるのかを可視化し、組織の動きを確実なものにする。 - 計画のチェックとフォローアップ
作成された計画書を定期的にチェックし、必要に応じて修正や改善を指導することで、計画が確実に実行に移されるようにする。 - 状況に応じた指令と判断の実行
状況に応じて社長から具体的な指令を出し、それを実行させる。また、管理職が自ら状況を判断して結論を導き、それを実行する姿勢を求める。
これらを徹底することで、管理職は社長の意図を正しく理解し、それを実現する役割を果たせるようになる。
これらの取り組みを進めるにあたっては、時に無理を強いることや、管理職や社員の立場を一時的に無視せざるを得ない状況も出てくることを、社長自身がよく理解しておく必要がある。それを踏まえた上で、管理職には部下を説得し納得させるためのスキルや信頼を築かせることが重要だ。
管理職がただ命令を伝達するだけでなく、その背景にある理由や必要性をしっかり説明し、部下が納得して行動できるように導くことが求められる。これによって、無理が伴う指令や難しい状況であっても、組織全体としてスムーズに実行できる体制が整う。社長の役割は、この説得力を管理職に持たせるための教育とサポートを行うことである。
これこそ、企業戦争に勝ち抜くための心構えとして、絶対に欠かすことのできない重要な要素だ。社長自身がこのことを深く理解し、自らの意識改革を行うとともに、管理職にも徹底して浸透させる必要がある。厳しい競争の中で生き残り、成長するためには、組織全体が一丸となり、社長の意図を正しく実現する体制を築くことが不可欠である。
正しい組織原理に基づいた社長のリーダーシップと組織運営
企業を成功に導くためには、社長の意図が組織内で正確に伝達され、実行されることが不可欠である。しかし、組織は階層や専門部門によって分化されているため、意図の一貫性を保ちながら全体を統率するのは簡単ではない。ここで必要になるのが、社長の明確なリーダーシップと、それを支える組織の設計である。
1. 社長の意図とリーダーシップ
社長は、自らの経営理念や方針を「経営計画書」として明文化し、組織全体に示す必要がある。経営計画書は単なる形式ではなく、社長の意図を明確に伝え、組織全員がその方向に向かうための基盤となるものである。社長のリーダーシップは、この計画書を通じて組織全体に浸透させ、各社員が方針に基づいて動けるようにすることが求められる。
2. 組織内の役割分担と責任
社長の責任は「利益責任」であり、社員は「実施責任」を負う。社員に業績の責任を求めるのではなく、社長が業績を追い、社員には方針を忠実に実行してもらうことで会社の目標が達成される。これは組織の基本的な責任論であり、社員にとっては、社長の意図や方針を実行に移すことが最も重要な役割である。
3. 階層の簡素化
組織内の階層を少なく保つことで、社長の意図がより直接的に伝わり、情報伝達の速度と正確さが増す。複数の階層を設けると、社長の指示が各層を通過するたびに意図が薄まり、指示が曖昧になることがある。多くの成功例では、階層が少ない組織は風通しが良く、上から下へのコミュニケーションが迅速かつ明確である。
4. 無能な管理職の排除
組織の中で、無能な管理職は社長の方針実現の妨げとなり、チーム全体の士気や生産性に悪影響を及ぼす。無能な管理職は、可能な限り役職を外し、別の役職や名誉職に移行させるのが望ましい。これによって、組織内の混乱を防ぎ、より有能な管理職による統率を図ることができる。
5. 管理職の正しい心構え
管理職は「部下を管理する人」ではなく、「社長の意図を実現する人」である。社長は、管理職に対し、経営計画書に基づく方針や目標を繰り返し強調し、管理職が部下への影響力を発揮できるように導かなければならない。これにより、組織全体で社長のビジョンが一貫して実行される環境を整えることができる。
6. 社長と管理職の役割
社長の役割は「決定」であり、管理職の役割は「実施」である。社長が定めた方向性や目標に対し、管理職が具体的な行動に落とし込み、部下を動かす。これは、企業全体の成功を確保するための基本であり、各階層での役割が明確にされることで、組織全体が統制のとれた機能を果たす。
まとめ
企業を成功に導くための組織運営において、社長のリーダーシップは不可欠であり、それは経営計画書に明文化される意図の伝達を通じて実現される。また、階層を簡素化し、無能な管理職を排除することで、組織の一体感と効率が高まる。管理職は社長の意図を実現する者であり、社長と共に組織全体を目標に向かって統率していくことで、企業戦争において勝利を収めるための強い組織が形成される。
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