L社は製紙機械と電線機械を手がけるメーカーだ。石油ショックの影響で受注が減少し、業績は低迷していた。しかし、昭和52年頃から製紙機械の受注が回復し始める。この回復は新たな需要というよりも、老朽化した設備の更新需要によるものと考えられる。そのため、納期は極めて短い状況だった。
短納期のため設計期間が極端に限られ、設計部門には大きな負担がのしかかった。残業や休日出勤を重ねても図面の完成が遅れる状況が続いた。L社の設計部門は、製紙課と電線課にそれぞれ20名ずつ、計40名の体制をとっていたが、その忙しさは大きく偏っていた。製紙課の20名は多忙を極める一方で、電線課の20名は仕事がほとんどなく、のんびりとした雰囲気が漂っていた。
私は社長に次のように進言した。「今、貴社で最も重要なのは、短納期の製紙機械を期限内に完成させることだ。そのためには、設計の遅れを取り戻す必要がある。仕事が少ない電線課の技術者を製紙機械の設計に投入すべきだ。製紙機械と電線機械の設計は、一部を除けば共通点が多く、電線課の技術者でも十分対応できる部分は多い。組織の壁を取り払い、会社全体の成果を最優先に考えるべきだ。それを実現するのが、経営者であるあなたの責務ではないか。」
私の勧告は社長によって実行された。その結果、設計の遅れは瞬く間に解消された。組織というものは、基本的に分掌主義を建前として成り立っている。会社の規模が拡大するにつれ、さまざまな業務を一人の人間や一つの部門だけで処理するのは困難になる。そのため、業務を分担する仕組みが生まれるのは自然な流れだ。
分掌主義は、特性の似通った業務をそれぞれの部門に分担させることで、増大する仕事量を効率的に処理する仕組みだ。この仕組みによって会社全体の作業能力は向上したが、その一方で新たな問題も浮上した。第一の問題は人的資源のムダだ。特定の部門に仕事が集中する一方で、他の部門では余剰人員が生じるという現象が起きた。もう一つの問題は、組織の機動力と弾力性が損なわれたことだ。分掌による硬直化が進み、必要に応じて人員やリソースを柔軟に再配置することが難しくなった。
各部門の仕事量には必然的に波が生じる。それは、主に二つの要因によるものだ。一つは、事業そのものが持つ特性に起因する。特定の季節やタイミングに需要が集中する業種では、自然と繁忙期と閑散期が生まれる。もう一つの要因は、外部の情勢変化だ。市場環境や顧客ニーズの変動、経済情勢など、予測しきれない要素が部門ごとの仕事量に影響を与える。
決算期が近づけば経理部門は大忙しになるが、その一方で製造部門は閑散期で手持ち無沙汰になる。モデルチェンジの時期には技術部門が目の回る忙しさに追われるが、それが営業部門に直接影響することはほとんどない。新入社員が入社した直後は総務部門の業務負担が増え、特売や展示会が行われる際には営業部門だけが目まぐるしく動くことになる。このように、各部門の仕事量は常にばらつきがあり、一律に均等化されることはほとんどない。
会社全体を見渡すと、すべての部門が一斉に忙しくなるという状況はほとんどない。同時に、特定の部門だけが常に多忙を極めるということも稀だ。それぞれの部門の業務量は時期や状況に応じて変動し、忙しさと閑散の波が交互に訪れるのが一般的だ。
特定の部門が特定の期間だけ忙しくなるという状況が最も一般的だ。このため、各部門では繁忙期に仕事が滞らないよう、平常時に余裕のある人員体制を維持しようとする。たとえ平時に人員が過剰気味であっても、それを削減しようという動きはなかなか起きない。繁忙期への備えが優先され、結果として人的資源の効率的な活用が後回しにされがちだ。
その結果、会社全体としては常に人員に余剰がある一方で、特定の部門では特定の期間に常に人員不足に陥るという矛盾が生じている。「人が余っているのに人が足りない」という状況こそ、分掌主義の最大の弱点といえるだろう。
それにもかかわらず、このような状態が「泣きどころ」として認識されることなく、まるで当たり前のことのように受け入れられている。あまりにも頻繁に、あるいは周期的にこの状況が繰り返されるため、社員たちが単に慣れきってしまっているのだろうか。しかし、それは表面的な説明にすぎない。この問題の本質は、組織理論そのものの考え方に根差している。分掌主義という仕組み自体が、この矛盾を内包しているのだ。
つまり、この問題の根源は「仕事を分担し、それぞれが自分の仕事に責任を持つ」という思想にある。そして、それ以上の視点を持たない仕組みだ。この考え方はもともと官僚組織の理論に基づいているため、役所の中では何の不都合も生じない。役所には市場も顧客も競争相手も存在せず、仕事が遅れても影響を受けるのは国民だけだ。そのため、各部門は自分たちの業務だけを考えていればよく、他の部門のことを気にかける必要性を感じることはない。この発想がそのまま企業に持ち込まれることで、組織全体の非効率が生まれるのだ。
この考え方が学者によって企業組織にそのまま導入された。そして、職位記述書や職務分掌規定といった形で各部門の業務範囲が明確に定められるようになった。これにより、各部門は規定された職務を遂行する責任を負う仕組みが構築された。しかし、この仕組みは「決められたことだけをやればよい」という意識を助長し、逆に「決められていないことについては責任を持たなくてもよい」という誤った解釈を生む結果となった。こうした姿勢が、組織全体の柔軟性や連携を損なう原因となっている。
N社を訪問した際、総務部長がこんな相談を持ちかけてきた。「職務分掌を作成しましたが、それだけでは不十分だと感じ、細則を追加しました。しかし、まだうまく機能しません。どうしたらよいでしょうか」。話を聞くと、職務分掌規定自体よりも、その細則のほうが何倍も分量が多いという状況だった。この過剰な細則が、かえって混乱を招いている原因の一端となっているように見受けられた。
私はこう答えた。「会社の中の仕事を規定で縛って行わせることは不可能です。それをやろうとすれば、細則のさらに細則、そのまた細則と、どこまでも規定を増やす必要が出てきますが、それでも限界があります。なぜなら、企業の活動は市場を対象としており、その市場は絶えず変化し、新たな事態が次々と発生するからです。その変化に対応する規定など初めから存在し得ません。そして、規定にないという理由で『これは自分の部門の責任ではない』と考え、誰も対処しようとしなくなるのです。規定に頼るだけでは、外部情勢の変化に対応することはできません。しかし、企業はその変化に対応できなければ生き残ることはできないのです。」
規定主義に頼り続けると、外部情勢の変化に対応できなくなる。企業にとって最も重要なのは、「どうやって生き残るか」という課題に取り組むことであり、組織論や規定を形式的に尊重することではない。市場や顧客の要求に応じて柔軟に動ける体制こそが、企業の生存を支える鍵である。規定やルールはあくまで補助的な道具であり、それ自体が目的化してしまえば、かえって企業の活力を削ぐ結果になりかねない。
社長の最優先事項は、ただひたすら「生き残るためには何をすべきか」を考え、決断し、それを実行することだ。その過程で求められるのが、まさに”指導力”である。指導力とは、状況を正確に把握し、的確な判断を下し、それを組織全体に浸透させ、行動を促す力だ。規定や理論に縛られるのではなく、現実に即した柔軟な対応と、明確なリーダーシップこそが企業の未来を切り開く鍵となる。
指導力とは、個々のケースでの対応だけでなく、もっと本質的な意味を持つ。真の指導力とは、社長が自らの経営理念に基づき、社員に明確な未来像を示すとともに、自身の決意を行動で体現することから生まれる。この指導力によって、社長は状況に応じて明確な指令を発し、組織全体を動かす。その目的はただ一つ、会社を生き残らせることである。そのためには、客観的な環境変化や主観的な内的条件の変化に即応し、会社全体の体制を柔軟に変化させ、行動に移すことが求められる。指導力とは、未来を見据えながら、変化への適応を組織全体に促す力そのものである。
野球で考えると分かりやすい。三遊間に打球が飛んだ場合、三塁手と遊撃手はどちらもその打球を処理しようと動き出す。最終的にどちらかが処理するにせよ、両者が自発的に動くのが当然とされている。これを、「監督が三塁手と遊撃手の守備範囲の境界線を明確に定めていないから、三遊間の打球は処理できない。監督の指示がないのが問題だ」とは誰も言わない。同様に、企業でも状況に応じて主体的に動くことが求められ、全てを指示待ちにする考え方は成り立たない。
ところが、会社の中ではこれと全く同じことが平然と口にされている。「責任と権限が明確ではないから動けない」という主張だ。こうした言い訳がまかり通るのは、組織論そのものが現実から乖離した非常識な部分を内包しているからだ。実際には、状況に応じて自発的に動き、柔軟に対応することが求められるはずなのに、組織のルールや責任の境界線を盾に行動を拒む姿勢が横行している。この硬直化こそが、企業の活力を奪う要因となっている。
一塁線にバントされた打球には、一塁手が突進する。その間、一塁ベースは投手や二塁手がカバーに入る。誰も一塁を空けたままにはしない。これが野球の基本だ。しかし、会社ではどうだろう。「一塁の守備の責任は一塁手にある」という理屈のもと、誰もカバーに入ろうとしないのが現実だ。これが組織論の正体であり、こうした硬直した考え方が会社の柔軟性を奪い、最終的には企業の存続を脅かす。私がこれを「会社をつぶす危険思想」と呼ぶ理由が、これで理解いただけるはずだ。
会社をつぶすような組織論を社内に持ち込んではならない。企業に本当に必要なのは、「生き残るための思想」だ。それは、「会社の中にある人的資源を、生き残りのためにいかに活用するか」という考え方にほかならない。役割分担や責任の線引きに固執するのではなく、状況に応じて柔軟に人材を配置し、全員が一丸となって変化に対応する姿勢こそが、企業を存続へと導く鍵である。
情勢は絶えず変化し、その変化に対応するためには、会社の人的資源も状況に応じて機動的かつ柔軟に再配置される必要がある。その配置替えを適切なタイミングで命じるのが社長の役割だ。この役割を「采配」と呼ぶ。社長の采配のもとで全社が一体となって動く仕組みがあって初めて、企業は厳しい環境の中で生き残ることができる。采配を振るう力こそ、社長に求められる真のリーダーシップなのである。
「機動力と弾力性を最大限に発揮するため、初めから固定的な分掌組織にしない。その時々の状況に応じて柔軟にチームを編成する」という考え方が生まれたのは、当然の流れであり、非常に賢明な判断である。このような柔軟な運営方法は「プロジェクト主義」と呼ばれ、それに基づいて構成される組織は「プロジェクト組織」と称される。T社は、このプロジェクト主義を取り入れた組織運営の典型的な例であり、その柔軟性と適応力で成功を収めている。
T社の事業はプラント建設だ。この事業では、プロジェクトの期間が短くても数カ月、通常は数年に及ぶ。その間、さまざまな資源や努力を継続的かつ計画的に投入しなければならない。こうした長期的かつ複雑な事業には、固定的な分掌主義よりも、柔軟性を重視したプロジェクト主義のほうが適している。プロジェクト主義は、状況に応じて人材や資源を必要な箇所に効率よく配置する仕組みであり、こうした長期間にわたる事業においてその真価を発揮する。
つまり、T社のプラント建設では、個々の物件ごとに「プロジェクトチーム」を編成し、プロジェクトマネジャーがその総括責任者を務める。このマネジャーのもとに、技術、購買、施工、経理などの担当者がメンバーとして加わり、プロジェクトの開始から完了まで一貫して活動を進めるという仕組みだ。このシステムにより、各部門が連携して効率よく作業を進めることができ、柔軟な対応と責任の一元化が実現する。
物件が完成すると、プロジェクトチームは解散し、チームのメンバーはそれぞれ新たなプロジェクトチームの要員として再編成されていく。このような組織の特性は、極めて高い機動力と弾力性にある。人的資源を固定的な枠に縛られることなく、必要に応じて柔軟に配置できるため、無駄を最小限に抑えつつ効率的に活用することが可能となる。この仕組みは、変化が激しい環境下で特に有効であり、企業の競争力を大きく高めるものである。
このプロジェクト組織が話題になった際、ある企業から私のもとにこんなトンチンカンな相談が舞い込んできたことがある。「うちでもプロジェクト組織を導入したいのですが、どんな資料を揃えればいいでしょうか?」というものだった。プロジェクト組織は単なる形式や資料で実現できるものではなく、根本的な思想や運営の仕組みが求められることを理解していない典型的な例だった。
恐らく、その企業は「プロジェクト組織はユニークな組織形態だ」という話をどこかで耳にし、その本質や仕組みを理解しないまま、「それならうちでも導入してみよう」という安易な発想で相談に来たのだろう。表面的な流行や形式だけを追いかけ、本質を見極めようとしない典型的な姿勢だった。こうした考え方では、たとえプロジェクト組織を形だけ導入しても成功には結びつかない。
笑い話はさておき、このプロジェクト組織の思想こそ、人的資源を有効活用する手法として注目に値する。しかし、すべての会社がこの仕組みを導入できるわけではない。プロジェクト組織は、T社のように特定の業態や事業特性に適しているからこそ効果を発揮する。一般的な企業では、業務の性質や運営の仕方が異なるため、この組織形態は必ずしも適合しない場合が多い。形だけを真似するのではなく、自社の特性や課題に応じた組織運営を模索することが重要だ。
重要なのは、プロジェクト組織そのものではなく、その背後にある「プロジェクト主義」の思想である。この思想は、分掌組織の中でも十分に活用することができる。その具体的な実例が、ここで紹介したL社の取り組みだ。普段は分掌組織として運営しながら、必要な局面ではプロジェクト主義を導入し、柔軟に人的資源を再配置することで課題に対応する。このように、通常の組織運営とプロジェクト主義を併用することで、企業は安定性と機動力の両方を備えることができる。
U社は、S社の部品を梱包して輸送する業務を行っている。梱包基地はS社内に一カ所、S社外に一カ所設けられている。しかし、仕事量には波があり、一方が忙しい時に他方は比較的余裕があるという状況が頻繁に起こる。そのような時、忙しい側から応援を要請し、余裕のある側が人員や車両を提供する形で対応する。応援を頼まれた側は「よっしゃ」と快く応じ、逆の立場になった時も同様に助け合う。この柔軟な連携体制が、U社の運営を円滑にし、効率的な資源活用を実現している。
U社は、このようにして人的資源を有効に活用している。これこそ、プロジェクト主義の思想を実践している例といえる。特筆すべきは、この相互応援が毎回社長の指示によって行われるのではなく、現場の当事者たちの自主的な判断で実施されている点だ。しかし、これは単に現場の自由裁量に任せられているわけではない。背後には、社長による明確な方針が存在し、その方針に基づいた強力な指導が行われてきた結果である。この指導によって、社内に方針が浸透し、社長が逐一指図しなくとも、現場が自主的に動ける体制が構築されているのだ。
プロジェクト主義は、部門間だけでなく、同一部門内でも活用することが可能だ。例えば、H社の生産技術課では、課長以下5名の体制が組まれており、課員4名はそれぞれ異なる役割を担っていた。具体的には、時間測定係1名、工程編成係1名、設備係1名、治具設計係1名という構成である。このような分掌された役割を持ちながらも、必要に応じて柔軟に協力し合う体制を取ることで、プロジェクト主義を実践することができる。
この4名の業務量は、常にバラつきがあり、チグハグな状況が続いている。例えば、時間測定係の仕事は通常あまり多くなく、大半が手持ち無沙汰な時間となる。そのため、適当に仕事をこなした後は、のんびりと過ごしている。一方で、モデルチェンジの時期には、工程編成係や特に治具設計係が大忙しとなり、連日の残業を余儀なくされる。しかし、そんな中でも、時間測定係や設備係はほとんど関与せず、まるで他人事のような態度で過ごしている。このような不均衡が、同一部門内での課題となっている。
増産に伴う工場拡張となると、今度は設備係が連日徹夜するほどの忙しさに追われる。しかし、他の係のメンバーは相変わらず無関心で、自分たちの業務とは関係ないといった態度を取る。このように、生産技術課という名前こそあるものの、実態は各係がバラバラで連携が取れていない状況だった。さらに、それぞれの係が業務量のピーク時だけを基準に「人員を増やしてほしい」と課長に訴え、人的資源が非効率に運用されているという問題を抱えていた。
職務分掌規定などという形式的な仕組みを作り、一人ひとりの職務を細かく固定してしまうから、このような問題が起こるのだ。その結果、仕事の繁閑に対応する機動力も弾力性も失われ、ヒマな人間がいる一方で、重要な仕事がどんどん遅れていくという非効率な状況に陥る。それだけではない。同じ課内のメンバーに対してさえ、協力しようとしない冷淡な態度を生み出し、人間関係まで歪ませてしまう。これでは組織全体が活力を失い、成果を上げるどころか足を引っ張り合うだけの状態に陥ってしまう。
職務分掌規定は、ただ組織を硬直化させるだけでなく、人間性までも損なってしまう。その罪は非常に重い。効率的に見える形式の裏で、相互協力の精神を失わせ、無関心で冷淡な態度を助長しているのだ。それにもかかわらず、同じ口で「良好な人間関係が大切だ」などと言っているのだから、まったく矛盾している。こうした規定に固執する限り、組織の中に真の連帯感や協力の文化が育つことはないだろう。
私は社長にこう勧告した。「職務分掌規定なんてものを作るから、こんな事態になるのです。こんな規定は、会社の実務を何も分かっていない者が考えた空論に過ぎません。会社の仕事というのは常に繁閑があり、一定ではありません。業務の流れや優先順位は状況に応じて刻々と変わるものです。分掌規定に縛られることで、仕事の繁閑に柔軟に対応できなくなり、人材を無駄にしてしまっています。この現状を見直す必要があります。」
「一人ひとりに職務を割り当ててしまうから、社員は自分の範囲外のことをやろうとしなくなるのです。その結果、手が空いている人間がいる一方で、大切な仕事が常に人手不足になるという矛盾が生じています。職務分掌規定などは廃止すべきです。部門内の人員は、プロジェクト主義に基づいて柔軟に仕事を割り振るべきです。状況に応じて人材を適切に再配置し、全員が力を合わせて優先順位の高い業務に取り組む体制を整えなければ、企業全体の効率が大きく損なわれます。」
「モデルチェンジの際には、治具設計専用のチームを編成すればよい。チームの規模は、二人で十分なのか、それとも四人必要なのかを課長に判断させる。そして、工程改善が必要な場合には、工程改善プロジェクトチームを立ち上げる。このチームでは、時間測定、工程編成の検討、レイアウトの変更計画など、関連するすべての業務を一貫して行う。こうした柔軟なチーム編成によって、業務の効率を最大化し、人材を有効に活用できる体制を整えるのだ。」
「このチームに何人必要かは、その時の状況による。生産技術課だけで対応できるなら課長に任せておけばいいが、人数が足りない場合には、社長の特命として他部門から応援を出せばよい。柔軟に人材を動かすことで、効率的に業務を進められるはずだ。それに比べて、国が掲げる少数精鋭主義というお題目はどうだ? 実際には硬直したお役所仕事を続けているだけではないか。そんな姿勢では柔軟性や効率性を発揮することはできない。」
この方針を実施した結果、仕事が順調に進むようになっただけでなく、課員一人ひとりが喜んでくれるという効果も得られた。それまで分掌規定に縛られて、応援を頼みたくても頼めず、手助けをしたくてもできないという状況に不満を抱えていたのだ。こうした制約が取り払われたことで、課員たちは互いに協力し合えるようになり、生産技術課全体に活気が生まれた。それだけでなく、自然と人間関係も改善され、組織全体の雰囲気が大きく向上した。
この例からも明らかなように、職務分掌規定がいかに間違ったものであり、会社の中に大きな害毒をもたらしているかを理解してほしい。職務を細分化しすぎることで、社員の協力を妨げ、組織の柔軟性を奪い、人間関係を悪化させるという結果を招いている。こうした規定は、業務の効率化や秩序を目的としているように見えて、実際には逆効果となることが多い。職務の細分化が「百害あって一利なし」であることを深く認識し、柔軟で協力的な体制へと転換すべきだ。
機動力と弾力性をもつ組織づくりの重要性
企業が市場変化に柔軟に対応し、機動的に動くためには、従来の分掌主義や職務分掌規定に基づく硬直的な組織から脱却し、プロジェクト主義的な考え方を取り入れることが必要である。以下にその具体的な内容を示す。
1. 部門間の壁を取り除く
従来の分掌主義は、部門間の壁を作り、人材の柔軟な配置を妨げる要因となっている。各部門の忙しさには波があるため、部門ごとに職務分掌を行うと、どこかの部門で人手が余る一方で、他の部門では人手が不足するという事態が発生しやすくなる。これを避けるためには、必要に応じて部門の枠を超えて人材を配置することが重要である。
2. プロジェクト主義の導入
プロジェクト主義の考え方は、目的ごとにチームを編成し、一定の成果が得られた時点で解散するという柔軟な組織形態である。この方法は、固定的な部門の分掌から脱却し、必要に応じてチーム編成を行うことで、組織の機動力と弾力性を向上させる。たとえば、製紙機械の設計が逼迫している場合、関連する技術を持つ他部門の技術者が一時的に応援に回ることで、短納期に対応することが可能になる。
3. 随時の人材配置を可能にする文化の醸成
プロジェクト主義の効果的な運用には、組織内での協力関係や柔軟な応援体制が欠かせない。事例のU社のように、相互応援を自主的に行える体制を整えるためには、社長が明確な方針を示し、その下で社員が自主的に協力し合える文化を育む必要がある。これは、業務の一部を他の部門がカバーする際にもスムーズに進められるよう、社長や上司が方向性を示し、方針を共有していることが重要である。
4. 職務分掌規定の廃止または最小化
職務分掌規定に基づく組織は、各人が自分の担当範囲外の仕事に責任を持たず、相互の協力を妨げる傾向がある。これを解消するために、業務を細分化した規定を廃止し、必要に応じてチームを組み、業務の繁閑に応じて柔軟に人材を再配置できるようにする。実際に、H社の生産技術課が職務分掌規定を廃止した結果、課員同士の協力が促進され、活気が出るとともに人間関係が改善した事例もある。
5. 社長の強力なリーダーシップと采配
企業が変化に対応し、生き残るためには、社長が全社をまとめる強力な指導力を持つことが必要である。たとえば、必要なタイミングで指示を出し、特定のプロジェクトにリソースを集中させることで、状況の変化に対応できる体制を整える。この采配により、組織全体が社長の意向に基づいて機動的に動くことができるようになる。
6. プロジェクト主義の精神を活かす
全ての会社がプロジェクト組織に切り替えられるわけではないが、プロジェクト主義の思想を分掌組織の中で活かすことが可能である。定期的な部門の再編成や役割の見直し、必要に応じて応援体制を組むなど、柔軟な人的資源活用を図ることで、企業は市場や顧客の要求に即応することができる。
企業が変化に対応し続けるためには、固定的な組織形態にとらわれず、機動力と弾力性を備えた柔軟な人材配置を行うべきである。職務分掌に固執せず、状況に応じて社員が一丸となって取り組む文化を育むことが、企業の成長と生き残りに直結する。
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