富士重工のスバル360は、その名にふさわしい名車だった。名車というものは、過酷な条件下でこそ本領を発揮するもので、北陸の豪雪地帯では圧倒的な評価を得ていた。しかし、そんな名車でさえ販売は伸び悩み、月に5,000台以上を超えることはなかった。この結果、「軽自動車市場の規模は月5,000台程度が限界だ」と思い込まれていたのである。
そこに新たにマツダとホンダが軽自動車市場へ参入した。結果として、驚くべきことに市場規模は一気に拡大し、月間で10万台もの販売台数を記録するに至ったのである。(もっとも、現在では顧客の関心が軽自動車から徐々に離れつつあるが。)
これほどの市場規模が存在していたにもかかわらず、なぜ富士重工はその潜在力を引き出せなかったのか。その理由は明白だ。「売り方を知らなかった」からにほかならない。
その原因の一つは、モデルチェンジを行わなかった点にある。自ら「日本のフォルクスワーゲン」を名乗りながら、細部を注意深く観察しなければわからない程度の微調整だけで販売を続けていた。この姿勢は、フォードのT型と酷似している。T型もその優れた性能を誇ったものの、モデルチェンジを怠り、結果的に顧客の関心を失った。そこに、GM社のアルフレッド・スローンが打ち出した新戦略による新型車の猛攻を受け、市場から姿を消すことになったのだ。
富士重工もまた、顧客の声に耳を傾けることなく、高性能であることに安住してしまっていた。「顧客あっての企業」という、事業運営の基本的な理念を理解していなかったのだ。どれほど富士重工自身が自社製品に自信を持っていたとしても、次々と新型を投入する他社の軽自動車と比べると、その印象はどうしても古臭く、時代遅れに映ってしまった。
もう一つの、いや、むしろ致命的とも言える失敗は、販売を総代理店である伊藤忠商事に任せきりにし、自社での販売努力を怠った点だ。自ら販売に力を入れずに、商品が売れるわけがない。たとえ伊藤忠が国内屈指の大商社であったとしても、自動車販売において国内トップの実力を持つわけではない。自動車販売は伊藤忠にとって数ある事業部門の一つに過ぎず、優先順位が常に高いとは限らない。さらに、伊藤忠の都合で販売方針が変わる可能性もあり、その影響を完全にコントロールすることなど不可能だった。
この「天動説」ほど誤った考え方は存在しない。それにもかかわらず、世の中に「天動説」の影響を全く受けていない会社など、ほとんど存在しないかもしれない。実際、私自身も気づかないうちにこの「天動説」に囚われていることがあるのだ。これは決して珍しいことではなく、多くの人や組織が陥りがちな罠である。
これこそが「自己中心思想」に他ならない。人間である以上、完全に避けることは難しい性質ではある。しかし、天動説に囚われ続ける限り、優れた販売戦略を実現することは到底叶わない幻想に過ぎないのだ。
この天動説については、本編を通じてさまざまな実例を繰り返し紹介していくつもりだ。それぞれの例を通じて、天動説に陥ることの危険性をしっかりと理解し、その教訓を胸に刻んでほしい。
富士重工のスバルが売れなかった原因は、まさに自らが陥っていた天動説にあった。富士重工の前身は中島飛行機であり、軍需産業に従事していた背景がある。そのため、販売努力という概念自体が存在せず、求められていたのはただ一つ、技術だけだった。そして、それだけで成り立っていた時代だったのである。
しかし、戦後の日本は民需が主力となる時代に移行した。それにもかかわらず、富士重工の企業体質は依然として軍需産業時代の技術優先のままであり、販売活動をほとんど軽視していた。その結果、営業部門の声はほぼ無視されているに等しく、顧客のニーズに応える姿勢を欠いていたと言わざるを得ない。
富士重工に限らず、かつての軍需産業を中心にしていた企業は、戦後においても販売が得意ではなかった。同様の傾向は、いすゞ自動車、三菱重工、東洋工業、富士電機、日本電気などにも見られる。これらの企業は、民需部門で大きな成功を収めることが難しかった。その理由は明確であり、企業体質そのものが販売指向型ではなく、技術や製品に依存する姿勢が色濃く残っていたからである。
T電機もまた、販売戦略の重要性を理解していない典型的な企業である。完全に「天動説病」に侵されており、顧客のニーズを見据えた販売活動には無頓着だ。その強みと言えるのは「回路技術」程度であり、それ以外の部分では市場競争力を高める努力がほとんど見受けられない。
高度成長期のT電機は、「優れた技術さえあれば、自然と相手が買いに来る」という発想に支配されていた。販売に関する知識やノウハウはほとんど持ち合わせておらず、それを重視する姿勢も見られなかった。そんなT電機が、強力な販売力を求められる民生品の分野に次々と参入したところで、成功するはずがなかったのは明らかである。販売の重要性を軽視したままでは、いかに技術が優れていても、顧客に届かないからだ。
T電機は、電卓やパネルヒーター、秤といった製品を次々と開発したものの、ことごとく失敗を繰り返している。市場原理である占有率の重要性を理解せず、事業構造や商品構成についても無知で、全体的に計画性が欠如していた。さらに、これだけでも問題は深刻なのに、完全に「天動説」の発想に支配されており、販売をすべて流通業者に任せ、自ら積極的に売ろうとしなかった。このような姿勢では、どれだけ技術が優れていても、製品が市場で受け入れられるはずがない。
販売とは、他社や代理店に丸投げするものではない。自らが泥臭く現場に飛び込み、汗を流しながら取り組むものだ。市場に直接向き合い、顧客の声を聞き、ニーズを的確に捉える努力をしなければ、本当の意味での成功はあり得ないのである。
もしT電機が販売について知識を持っていたなら、いや、少なくとも学ぶ意欲があったなら、電卓を売り出す際に先発業者の販売手法を徹底的に研究し、それを超える戦略を打ち出していたはずだ。しかし、実際にはそうした努力をすることすら思いつかなかった。これは、販売という分野に対する関心と理解が根本的に欠けていたことを如実に示している。
電卓は、それまで世の中に存在しなかった新しい商品だった。この「世の中になかった」という事実は、つまり顧客がその商品について何も知らず、必要性や価値すら認識していないことを意味している。新しい商品を市場に投入する際には、まず顧客にその存在と価値を理解させる努力が不可欠だ。それを怠れば、どれほど革新的であろうと商品は受け入れられない。
だからこそ、メーカーはまず顧客に商品を理解してもらうことから始めるべきだった。セールスマンが電卓を手にして顧客のもとを訪問し、その場で実際に使い方をデモンストレーションして見せる。「とにかく使ってみてください」と言い残し、後は試してもらう時間を与えてその場を立ち去る。
約1か月後に再訪問し、「どうでしたか?」と尋ねる。顧客はその間に電卓の便利さを体験しており、自然と欲しくなる。「では、一台お願いしようか」という流れになる。これは、顧客自身が「買った」というよりも、「買わされた」という感覚かもしれない。しかし、実際にその便利さを感じているため、結果的には顧客も満足する。
こうして、セールスマンが地道に足を運び、一台一台を丁寧に売り込んでいく。この泥臭いプロセスこそが、新しい商品を市場に浸透させるための基本であり、成功の鍵だったのだ。
ある程度市場に商品が浸透し、普及してくると、流通業者がその可能性に目をつけ始める。さらに普及が進み、大衆的な需要が生まれた段階では、商品は文房具店やデパート、さらにはスーパーマーケットのような日用品を扱う店舗にまで並ぶようになる。その時点では、もはや特別な営業努力をしなくても商品が売れる状態になり、商品自体が市場に定着していることを意味している。
T電機が電卓を発売した当時は、流通業者がようやく商品に関心を持ち始めた頃だった。しかし、市場全体としてはまだ成熟しておらず、電卓を普及させるには依然として訪問販売のような直接的な営業活動が不可欠な時期だった。顧客に商品を手に取らせ、その価値を実感させる地道な取り組みが求められていたのである。
一方で、東陶機器のような企業は、流通業者だけでなく、最末端の管工事店に至るまで直接訪問している。これこそが、販売における本来あるべき姿だ。顧客との接点を持ち、現場の声を拾い上げる努力を怠らないからこそ、成功への道が開ける。
大企業だけでなく、中小企業も同様で、多くが「天動説」に陥っていると言わざるを得ない。その象徴的な例が、総代理店制や総発売元制の採用だ。これらの仕組みは、販売活動を他者に任せ、自社が販売に直接関与しない姿勢を示しており、それ自体が天動説的な発想の証明に他ならない。販売を他社に丸投げして成功する時代は終わっているのだ。
問屋回りだけで済ませるのも天動説だが、最悪の天動説は社長が外に出ないことだ。天動説に陥った会社は、根本的に誤った二つの信念を抱いている。
その誤った信念とは、以下の二つである。
一、流通業者は自社に忠誠を尽くしている。
二、消費者は自社の商品を熱烈に支持している。
この二つの誤った信念が至るところで顔を出し、販売を妨げている現実を、私はこれまでに嫌というほど目の当たりにしてきた。
人間とは、これほどまでに「自己中心的」にしか物事を考えられない生き物なのか、と改めて感じさせられる。だからこそ、「相手の立場に立つ」という姿勢が、販売において驚異的な効果を発揮するのである。
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