T社は家庭用品を製造するメーカーだ。ある日、新商品の現物サンプルと見積書を持参し、大手の特約店である問屋を訪ねた。今回は珍しく、社長自身が直接足を運んだ。ちょうど問屋の社長が応対に現れ、「これはなかなか面白い商品だね。三千円くらいで仕入れられるのか?」と興味を示した。
T社長は「しまった」と内心焦った。というのも、すでに提出済みの見積書には二千五百円と記載されていたからだ。帰社後、社長はこう漏らした。「値付けというのは本当に難しいものだ。高すぎれば売れないし、安すぎれば利益が出ない。どうやって決めるのが正解なんだろうか」。T社では、社員が原価計算を行い、そこに目標とする利益を上乗せして二千五百円という価格を設定していたのだ。
これがいわゆる「原価主義」という考え方だ。しかし、商品の価格設定は原価主義のように単純ではない。価格はさまざまな要素が絡み合い、それらのバランスの上で成り立つものだ。そのため、原価主義のような単純な発想に頼らず、より慎重で多角的な視点で価格を考えなければならない。
私にはアイデア豊富な友人がいる。その友人を訪ねた際、最近開発したという「ペーパーキャッチャー」という商品の話題を持ち出してきた。それは、新聞にチラシ広告を挟み込むための機械だという。試験運用の結果、従来は5人で行っていた作業が、これを使えば2人で済むようになるらしい。
「ところで、いくらで値付けしたんだ?」と尋ねてみると、友人は「製造原価が三万円だから、その倍の六万円にした」と答えた。「荷造りや梱包費はその中に含まれているのか?」とさらに聞くと、「しまった、そこは考えていなかった」と少し困った顔をした。運賃の計算についても、「例えば青森まで一台送る場合、鉄道便でいくら、トラック便でいくらかかるか、そういうことは?」と尋ねてみたが、それについても全く計算していなかったようだ。
私は思わず彼を叱りつけた。「君、それでも社長のつもりなのか?そんな調子だから、いつまで経っても金繰りに困る羽目になるんだ!価格というものは、製造原価だけを基準にして決められるほど単純じゃないんだよ。考えが浅すぎる!」
一倉が指摘した荷造梱包費や運賃に加え、据え付け作業をどうするのか、立会試験や技術指導の対応も考慮に入れる必要がある。「ペーパーキャッチャー」にはそこまで大掛かりなサポートは不要かもしれないが、それでもこうした要素を計算に入れるのは欠かせない。また、アフターサービスの体制をどう整えるか、さらにはサービスパーツの価格設定まで、細部にわたって事前に決めておく必要がある。価格はただの数字ではなく、こうしたすべてを反映したものでなければならないのだ。
そもそも、この商品をどんな流通経路で販売するつもりなのかも曖昧だった(友人は直売を考えていたようだ)。しかし、それにしても価格設定がまるで見当違いだ。商品の価格というものは、製造原価を基に算出するものではない。むしろ、その商品が持つ「はたらき」や価値を基準に導き出すべきなのだ。それが価格設定の本質であり、原価だけを頼りにする発想では、適切な市場価値を見極めることはできない。
少し計算してみよう。これまで5人で行っていた作業が、この機械を使えば2人で済むなら、1日あたり3人分の賃金が節約できることになる。1人1日の賃金を1,000円とすれば、1日で3,000円のコスト削減だ。機械の価格が6万円なら、ユーザーはわずか20日で機械代を回収できてしまう。
しかし、こんな値付けはまったく適切ではない。機械の価格設定において、ユーザーが費用を回収する期間が20日間というのは短すぎる。一般的に、機械代金というのは2年程度で「元」を取れる設計にしても十分に魅力的で、投資として損のない範囲といえる。こんな極端な値付けでは利益を大きく逃すことになる。
「ペーパーキャッチャー」にこの原則を適用すれば、その価格は約200万円という計算になる。もちろん、200万円で売れとは言わない。しかし、仮にユーザーが半年で償却できるように設定するとしても、価格は50万円程度が妥当ということになる。現状の6万円という設定では、商品の価値や機能から考えても低すぎるし、適切な利益を見込むにはあまりにも甘い。価格設定は市場やユーザーの価値感を考慮しつつ、バランスを取る必要がある。
一倉なら、そこを大きく譲歩して38万円程度に設定するだろう。この価格なら、流通業者を通した場合でも十分なマージンを提供できるし、アフターサービスにも手が回る仕組みを確保できる。適正な価格とは、単にユーザーにとっての負担感を抑えるだけでなく、製造者・販売者・サービス提供者がそれぞれ適切な利益を得られるように設定されるべきものだ。38万円という価格は、商品の機能や市場価値を考慮しつつ、全体のバランスを取った現実的な落としどころといえる。
この場合、「そんな価格で売るのは暴利ではないか」と疑問に思う読者もいるかもしれない。しかし、実際にはこれは暴利どころか「奉仕価格」といえるものだ。38万円という価格設定は、商品の機能やユーザーに与えるコスト削減効果を考えれば、むしろ控えめである。さらに、流通業者へのマージンやアフターサービスの充実も織り込んだ結果であり、全体的に見て顧客にも十分な利益をもたらす価格なのだ。暴利という批判にはまったく当たらない。
商品の価格は、その「はたらき」から決まるものだと述べたが、まさにこれがその例である。ユーザーが38万円でこの機械を購入したとしても、その費用はわずか4~5カ月で回収可能だ。その後は、機械が使えなくなるまでずっと賃金の節約が続くことになる。このように、価格設定はユーザーにとっての具体的なメリットと価値を基に考えるべきであり、単なる製造原価から導き出されるものではない。結果として、38万円という価格は合理的かつ双方に利益をもたらす設定といえる。
このメリットは非常に大きい。ユーザーにとっては、機械代の数倍にもなるコスト削減効果が得られるからこそ、この価格は「奉仕価格」といえるのだ。そして、この奉仕価格であっても、メーカーは十分な収益を確保できる。なぜなら、それは単なる利益ではなく、顧客のニーズを的確に満たしたことへの「報奨金」としての意味を持つからだ。顧客に価値を提供し、その対価としての収益を得る――これが理想的な価格設定のあり方であり、双方にとってのメリットを生み出すビジネスの本質である。
「暴利」とは、相手の状況や弱みに付け込み、商品の実際の「はたらき」や価値を超えた価格で売りつける行為を指す。本来、価格は商品の価値や機能、そしてそれがユーザーにもたらすメリットに基づいて決められるべきものである。したがって、適切な価格設定は、ユーザーに利益をもたらしつつ、販売者も正当な対価を得られるバランスを追求するものであり、それは決して「暴利」ではない。
「ペーパーキャッチャー」を28万円で販売することは、その商品の「はたらき」や価値を基準に考えた場合、それ以下の価格で提供することを意味する。だからこそ、これは「奉仕価格」といえるのだ。理想的な商品とは、このように奉仕価格で提供しても、なおかつメーカーや販売者が大きな収益を得られるものである。顧客に価値を提供しながら、同時にビジネスとしても成功する商品こそが、本当に優れた製品といえるだろう。
具体例を挙げてみよう。K社はある半導体を製造するメーカーだ。この製品では、粉体原料を焼成する工程で特性値に大きなばらつきが生じることが課題となっていた。このばらつきの影響で、製品の特性値に基づく選別作業が必要となり、生産効率の低下を招いていた。
あるとき、新型の選別機が市場に登場したとの情報を得て、K社の購買担当者が現物を確認しに行った。その性能は確かに優れており、特性値の選別作業に大いに役立ちそうだった。しかし、「価格はいくらか」と尋ねると、提示されたのは300万円という数字だった。いくら高性能とはいえ、この価格は高すぎると感じた。購買担当者は、そのコストに見合うかどうか、慎重に判断する必要があると考えたのだ。
現在使用している機械と比較すると、新型選別機は外見や形状こそ異なるものの、材料費や製造にかかる工数がそれほど大きく異なるとは考えにくい。しかも、現在使っている機械の価格は100万円だ。この事実を踏まえると、300万円という価格には大きな開きがあり、新型機の性能に対する評価だけではその価格差を正当化するのが難しいと感じられる。購買担当者は、その理由や付加価値について慎重に見極める必要がある。
その話を購買担当者が「高すぎる」と伝えたところ、相手は次のように説明した。「おっしゃる通り、この機械は100万円で売っても利益は出ます。しかし、この機械をお使いいただくことで、これこれの経費が節約できます。その節約額の一部、200万円を私どもで頂戴する形です。これは、お客様にこのメリットを提供する機械を開発したアイデア料です。そして、このアイデア料を次の研究開発費に充てて、さらにお客様に貢献できる新しい商品を作る原資としています」。
この説明に納得したK社は、この選別機を300万円で購入することを決断した。相手の価格設定が単なるコスト計算ではなく、顧客への価値提供と長期的な信頼構築に基づいていることを理解したからだ。
商品の価格は、原価ではなくその「はたらき」から決まるといっても、すべての価格がそのように決定されるわけではない。既に市場に流通している商品や類似製品には、必ず「世間相場」――いわゆるマーケットプライスが存在する。この相場がある場合、それが基本的な基準となり、商品の価格が評価される。市場の競争環境や消費者の価格認識は無視できず、相場を無視した価格設定は受け入れられにくい。だからこそ、商品のはたらきに基づく価格設定であっても、マーケットプライスを考慮し、それに基づいて調整する必要がある。
世間相場は、最初にその商品を市場に送り出した業者の価格設定が出発点となる。つまり、初めて売り出される商品の価格が、その後の基準として市場に定着する可能性が高いということだ。だからこそ、新商品の価格設定は極めて重要だ。最初の値付が市場に与える影響は大きく、その商品が高く評価されるか、それとも価値が低く見積もられるかを左右する。初期の価格設定は、単なる販売戦略ではなく、商品自体の「位置づけ」を決定づける重要な要素である。
L社はゼンマイ式で動くぬいぐるみ玩具を製造しているメーカーだ。これまで販売していた「三点アソート」は、収益性が低下していた。そこで、商品を大型化することで価値を高め、従来400円だった価格を600円に引き上げて新たに市場に投入することを決めた。値段の改定とサイズアップは、商品の収益性を改善するだけでなく、ユーザーにとっても「価格に見合った価値」を感じてもらうための戦略だった。
L社は、新しい「三点アソート」を発表するため、東京と静岡で主催の展示会を開催した。その際、東京では「高い」という声が多く聞かれた一方で、静岡ではそのような反応は全くなかった。この違いは、地域ごとの購買力や価格に対する感覚、あるいは市場環境の違いに起因する可能性がある。同じ商品であっても、地域ごとの価値観や経済状況が価格の受け入れ方に影響を及ぼすことを示す興味深い事例だ。
この現象の背景には、価格の相対性がある。東京では、すでに従来の400円の商品が流通しており、それを基準に新しい600円の商品が「高い」と評価された。一方、静岡では「三点アソート」という商品自体が初めて導入されたため、直接比較する基準がなく、その価格が特に高いとは感じられなかったのだ。
価格とはこのように、絶対的な価値だけでなく、消費者や流通業者が持つ基準や過去の経験との相対的な関係によっても評価されるものだ。このケースは、価格設定が市場の背景や地域の状況をどれだけ理解して行われるべきかを示している。
メーカーが価格を決定する際に特に注意すべき点の一つが、流通業者へのマージンの設定だ。流通業者は、商品の仕入れから販売に至るまでの多くの業務を担い、その活動が商品の市場浸透や売上に大きな影響を与える。適切なマージンを確保しなければ、流通業者のモチベーションが下がり、結果的に販売が低迷するリスクがある。
一方で、マージンが過剰になると商品の価格が不当に高くなり、競争力を失う可能性がある。このため、メーカーは流通業者のコスト構造や利益率を考慮しつつ、双方にとって利益が得られるバランスを追求することが求められる。適正なマージン設定は、流通業者との信頼関係を築き、商品の成功に直結する重要な要素だ。
N社は菓子問屋として営業している。しかし、この業界では過当競争が激しく、マージン率が非常に低いのが共通の悩みだ。特に、大企業はデパートや大手スーパーに直接納入するケースが多く、問屋は単に「帳合(取引関係の帳簿管理)」を通じるだけにとどまることが少なくない。この場合、問屋に支払われる率はわずか2〜4%程度であり、これをマージンと呼んでも実質的には「ペーパー・マージン」に過ぎない。
こうした構造では、問屋は実際の労力に見合った利益を得ることができず、持続可能なビジネスモデルを築くのが難しい。したがって、問屋にとっても実質的な収益を確保できる仕組みを作ることが課題となる。メーカーや小売業者との関係性を再構築し、付加価値を提供できる役割を模索する必要があるだろう。
大企業は、デパートや大手スーパーへの直接納入(直納)は可能でも、単店スーパーや個人経営の菓子店、鉄道関係の売店などの小規模小売店まで手が回らないのが実情だ。このような細かい流通網をカバーするには、どうしても菓子問屋の協力が欠かせない。
しかし、大企業が効率の良い大手小売店にだけ直接取引を行い、効率の悪い小規模店舗の対応だけを問屋に押し付ける形では、問屋は十分な利益を確保できず、結果として販売に力を入れなくなる恐れがある。これでは、全体の流通網が弱体化してしまう。
メーカーとしては、問屋がやる気を持てるよう、適切なマージンを設定するだけでなく、戦略的に小売店全体をカバーできる体制を支援することが必要だ。問屋が単に「効率の悪い部分」を押し付けられる存在ではなく、流通の重要な役割を担うパートナーとして機能するための関係構築が求められる。
そのため、大企業は帳合だけを通して「ペーパー・マージン」を支払い、表向きは問屋の顔を立てつつ、最低限の機嫌取りをしているのが現状だ。この結果、問屋のマージン率は非常に低く抑えられている。
N社にとって、帳合を通すだけならば、実際の販売活動や配送を行う必要がないため、低いマージン率でも事業として成り立つ。しかし、実際に販売活動や配送を担う問屋にとっては、このような低いマージン率では十分な収益を上げることができない。その結果、販売網のモチベーションやサービスの質が低下する可能性がある。
問屋が適正な利益を得られる環境を整えなければ、流通の要としての機能が損なわれ、結果的にはメーカー自身の売上や市場競争力にも悪影響を及ぼすことになる。価格設定やマージン配分を再検討し、販売促進活動を共有する仕組みが必要だろう。
K製菓が展開しているKという商品は、マージン率がわずか3%しかないという。N社の担当者いわく、「こんな低いマージン率では、正直ばかばかしくて扱いたくない。しかし、小売店から注文が入る以上、無視するわけにもいかない。だから仕方なく取り扱っている」というのが実情だ。
この状況は、問屋にとって非常に非効率なビジネスを強いられていることを示している。商品自体が人気で需要があるために取引を続けているが、十分な収益が得られないことで、販売や流通のモチベーションが低下している。メーカーとしては、こうした問屋の実態を理解し、マージン率の見直しや利益配分の再考を進めなければ、流通網の持続可能性が危ぶまれる可能性がある。
これは確かにひどい話だ。キャッシュ・アンド・キャリー(現金問屋)でさえ、標準的なマージン率は4%だ。しかも、これは即金取引で配送も行わない条件での数字だ。それに対して、K製菓の商品は、問屋が倉庫での保管や配送、さらには掛売りまで行うにもかかわらず、わずか3%のマージンしか設定されていない。
この状況では、問屋にとってメリットがまったくない。負担ばかりが増え、十分な利益が得られないのでは、当然ながらK製菓の評判は問屋の間で非常に悪くなる。問屋がその商品に力を入れるはずもなく、結果として流通全体の活力が損なわれる。メーカーが流通網を維持し、商品の普及を図りたいのであれば、問屋が適正な利益を得られるようマージンを見直すのが不可欠だ。流通業者を軽視した価格設定は、長期的にはメーカー自身の首を絞める結果となる。
これはK製菓にとって非常に危険な状況だ。このような手法は、いわゆる「やらずぶったくり」と呼ばれる商法に他ならない。つまり、自らは最低限の努力しかせず、問屋や流通業者に過剰な負担を押し付け、利益だけを追求するやり方だ。
こうした商法は、顧客や流通パートナーの信頼を軽視している証拠であり、長期的に見れば必ずしっぺ返しを食らう。問屋や流通業者が次第に非協力的になり、最終的には市場からの信頼を失うことで、商品の流通が滞り、売上が急激に減少するリスクが高い。
「やらずぶったくり」商法の馬脚が現れるのは時間の問題だ。K製菓がこの状況を改善し、流通業者と共存共栄の関係を築かなければ、事業そのものが立ち行かなくなる可能性がある。流通業者を顧客と同じく重要なパートナーと捉え、信頼関係を再構築することが急務だ。
流通業者がいなければ、どうやって自社の商品を市場に届けるつもりなのか。流通業者は、商品を運び、保管し、販売促進を行うだけでなく、広い意味で「顧客」にも当たる存在だ。それにもかかわらず、事業を継続するために必要な最低限のマージンさえ与えないのでは、事業の根幹を揺るがす愚行といえる。
問題なのは、流通業者の重要性を軽視し、小売価格を低く設定すれば売れると安易に考える企業が未だに少なくないことだ。流通業者は、単なる機械的な流通機構ではない。彼らの協力があってこそ、商品の適切な展開や市場への浸透が可能になる。そのため、流通業者が十分な利益を得られる環境を作ることは、メーカーにとって不可欠な責務である。
小売価格の競争力も重要だが、それだけに固執して流通業者を疲弊させるような施策では、長期的な成功は望めない。メーカーは流通業者をパートナーとして尊重し、彼らのモチベーションや収益性を考慮した価格設定を行う必要がある。これが、持続可能なビジネスの基盤を築くための第一歩となる。
T電機が初めて電卓を市場に投入した際の小売価格は4万9,500円だった。当時、既に市場にあったシャープの先発商品「コンペット」は8万円以上していた。価格差だけを見れば、T電機の製品は非常に競争力があるように思える。しかし、ここにT電機の大きな誤りがあった。
確かに、表面的には価格が安い方が売れそうに見える。しかし、これは全くの素人考えだ。価格だけで競争力を測ることは危険であり、むしろ市場の価値観や消費者の心理を無視した戦略となる。安価な商品はしばしば品質や信頼性に疑問を抱かれやすく、流通業者の利益を圧迫することで販路の拡大を阻害することにもつながる。
T電機は、価格を単純に下げるだけでなく、製品の価値を適切に伝えつつ、流通業者が利益を得られる仕組みを考慮すべきだった。競争市場では、単なる価格競争ではなく、付加価値や信頼性、そして流通全体のバランスを意識した戦略が不可欠だ。
その理由は、T電機が電卓を直接消費者に販売するのではなく、流通業者を通じて販売する方式を採っていたことにある。流通業者にとって、販売価格が8万円以上のシャープの電卓と、5万円弱のT電機の電卓では、当然ながらシャープの方が取れるマージンが大きい。
流通業者は、利益がより大きくなる商品に力を入れる傾向があるため、シャープの電卓が優先されるのは明らかだ。価格が安いT電機の商品は、流通業者にとって販売意欲が湧きにくい製品となる。この構造が、T電機の戦略ミスの根幹にある。
流通業者を巻き込むビジネスモデルでは、商品の価格設定が市場価値だけでなく、流通業者が十分な利益を得られるかどうかを考慮する必要がある。T電機が流通業者を軽視し、単に安価で消費者にアピールすることだけを重視したのは、大きな失策だった。流通業者の協力を得られなければ、いかに良い商品でも市場での成功は難しい。
流通業者がT電機の電卓を積極的に売ろうとせず、シャープの電卓に力を入れたのは当然の結果だ。高価格のシャープの電卓の方が流通業者にとってのマージンが大きく、利益が見込めるからである。その結果、T電機の電卓は市場で十分に売れることがなかった。
このT電機の失敗は、単に同社だけの問題ではない。多くの企業が抱えている「価格を下げれば売れる」という誤った考え方の典型例といえる。安価な商品は消費者にとって魅力的に見えるかもしれないが、流通業者のモチベーションを損なう価格設定では、市場での成功は期待できない。
価格戦略には、商品価値や消費者心理に加えて、流通業者の利益確保という視点が欠かせない。この視点を無視すれば、どれだけ良い商品でも市場での存在感を築くことは難しい。企業は、自社の価格設定が市場全体に与える影響を総合的に見直す必要がある。
S社はレジャー用品を製造するメーカーで、その商品は品質・性能ともに優れている。海外市場では高い評価を受け、有名なブランドとして認知されているが、国内ではブランドイメージがやや弱く、もう一歩のところで競合に遅れを取っている。
これは、国内市場でのマーケティングやブランディングが十分に浸透していない可能性を示唆している。たとえ製品の性能が高くても、ブランドイメージが消費者の心に根付いていなければ、選ばれる商品にはなりにくい。特に国内市場では、消費者が認知し、信頼するブランドに対するロイヤリティが高いため、競争力を強化するには戦略的なブランド構築が求められる。
S社は、商品の優れた性能を伝えるだけでなく、国内市場においてブランド価値を高めるためのプロモーションや顧客接点の強化に注力するべきだ。特に、国内の消費者に特化したメッセージングや流通戦略の見直しが、ブランドイメージ向上への鍵となるだろう。
国内市場でS社は、小売店への直売方式を採用しており、その小売価格は競合のN社やA社と比較して約2割も安い設定となっている。S社は、自社のブランドイメージが競合に劣ると考えた結果、たとえ品質や性能が同等であっても、価格を安くすることで売上を伸ばそうとしていたのだ。
しかし、価格を下げるだけの戦略は短期的な売上にはつながるかもしれないが、長期的にはブランド価値の低下を招く可能性がある。価格が安いことで「低品質」や「格下」というイメージが付く恐れがあり、これではブランドイメージの向上がさらに難しくなる。
S社は、価格競争だけに頼らず、ブランドの独自性や付加価値をアピールする戦略を考えるべきだ。例えば、製品の優れた点を訴求する広告キャンペーンや、品質を保証する取り組みを強化し、価格以上の価値を消費者に感じさせることが必要だ。また、適切な価格設定を行い、ブランドイメージと収益性のバランスを取ることが重要である。
私はその価格政策の誤りを指摘した。「小売価格を安くするのは、二つの大きな間違いを犯している。一つは消費者に対して、もう一つは小売店に対してだ。
まず、消費者に対する誤りだ。S社の商品は品質・性能ともに優れており、本来は高級品として評価されるべきものだ。しかし、小売価格を安く設定したことで、その価値が正当に認識されず、二流品や廉価版と見なされてしまっている。これは、商品の魅力を損ね、ブランドイメージの向上を妨げる重大な問題だ。
さらに、小売店に対しても誤りを犯している。安い価格設定では、小売店が得られる利益も減り、結果的にS社の商品を積極的に売ろうとする動機が弱くなる。小売店が利益を確保できない商品に力を入れることは期待できず、それが流通全体の停滞を招く原因になる。
価格は単に売れるための手段ではなく、商品の価値やブランドイメージを消費者や流通業者に伝える重要な要素だ。安さに頼る戦略では、長期的に市場での信頼を築くことは難しい」」。
こうした商品を購入するのはマニア層だ。彼らは一流品を求める傾向が強い。御社のブランドは、もう一息で一流の域に達する位置にあるのだから、小売価格を引き上げるべきだ。それがブランドイメージを高める一助となる。NやAと同じ価格か、せいぜい3〜5%低い程度で十分だ。それ以上価格差を広げる必要はない。「高くしたら売れないのでは」と心配する必要はない。
こうした場合、小売店は必ずあなたの会社の商品を推奨するだろう。「これは専門メーカーの製品で、海外では一流品として知られています。NやAにも決して劣りません。それを、これだけお安く提供します」といった具合に。このセールストークが有力な武器となり、結果として売上が伸びるのだ。
このように、末端価格を下げるのは小売店の役割だ。メーカーの使命は、小売店が値引き販売をしても十分な利益を得られるよう、高いマージンを提供することにある。これが、流通全体を活性化し、売上を伸ばす鍵となる。
それに対し、現在の安い価格設定では、ブランドイメージが「安物」に見られてしまう。その上、小売店に十分なマージンを提供できないため、値引きの余地がほとんどない。結果として、小売店にとっては利益の薄い商品となり、積極的に販売しようという意欲が削がれてしまうのだ。
小売価格の値上げに関しては、営業部門内で賛否両論があった。しかし、社長は最終的に値上げを決断した。その結果は大成功だった。反対派が懸念していた小売店からの苦情も、ただの一件もなかった。そもそも、苦情が出るはずがなかったのだ。価格設定の適正化が、商品価値の認識を高め、小売店の利益を確保する結果につながったのである。
長府製作所は、下関に拠点を置くローカル企業でありながら、日立や松下を凌ぎ、日本一の地位を築き上げた。その成功の背景には、流通業者に対して高いマージンを提供する戦略がある。この方針により、流通業者は積極的に長府製作所の製品を取り扱い、販売促進に力を入れるようになった。その結果、同社は高い業績を達成し、無借金経営を実現している。
長府製作所の成功の秘訣について、社長の川上米男氏は「優れた技術から生まれる優れた商品」というキャンペーンで語っている。彼はこう表現する。「我が社の開発部門には『エンジエア』はいない。『ヘンジエア』ばかりだ。エンジエアはまず図面を書き、それを基に試作を行うが、我が社のヘンジエアはアイデアが浮かぶとまず試作し、それが成功した段階で図面化する」と。
この独自の開発アプローチにより、革新的な製品が次々と生まれ、同社は競争力を高め続けている。実用性や市場ニーズを重視し、スピーディに製品化する姿勢が、同社の成長を支える原動力となっている。
確かに、長府製作所の商品は優秀だ。しかし、日立や松下の商品と比較して、性能や品質において格段の違いがあるわけではない。ユーザーの評価も一様ではなく、商品によっては賛否が分かれるのが実情だ。
それにもかかわらず、長府製作所が競合を凌駕して成功している理由は、単に商品の良し悪しだけでは説明できない。優れた商品を作るだけでなく、流通業者に高いマージンを提供することで、販売の現場での推奨や取り扱いに大きな力を発揮させている点が、他社との差を生む大きな要因となっている。この戦略こそが、長府製作所を特別な存在にしているのだ。
それなのに長府製作所の商品が売れる理由は、特約店に対して他社よりも高いマージンを提供しているからだ。この高マージンが、販売現場での推奨や取り扱いに大きな力を発揮している。さらに、問屋を介さない直販方式を採用している点も、同業他社にはない強みとなっている。
日立や松下のような大企業は、流通の仕組みが複雑化しているため、長府製作所のように簡単に高マージンを設定した直販モデルを模倣することが難しい。これが、長府製作所が競争市場で独自の優位性を保ち続ける理由の一つである。流通業者に利益をもたらす仕組みを整えることで、販売現場の協力を得て市場での存在感を高めているのだ。
特約店が長府製作所の商品を積極的に扱うのは、同社の商品を販売する方が日立や松下よりもはるかに利益が大きいからだ。つまり、特約店にとって最も重要なのは販売による収益性であり、商品が「優れているから」という理由は二の次になっている。
この点が、長府製作所の販売戦略の巧みさを物語っている。商品そのものの魅力も大切だが、それ以上に流通業者にとって魅力的な条件を提示することで、現場での支持を獲得しているのだ。この高マージン戦略が、同社を競争市場で特別な地位に押し上げる鍵となっている。
高マージンを提供しているからこそ、特約店は他社との競合時にも「値引き」という強力な武器を使うことができる。これにより、長府製作所の商品は価格面でも柔軟性を持ち、競争力を発揮する。
同社の躍進は、もちろん高品質・高性能の製品による部分もあるが、それ以上に、この「高マージン戦略」が根幹にある。特約店にとっての利益を優先した販売モデルが、流通現場での支持を集め、結果的に市場での成功を引き寄せているのだ。高マージンこそが、長府製作所の成長を支える原動力である。
長府製作所の高マージン戦略は、さらに重要なメリットを生み出している。それは、アフターサービスの責任を特約店に担わせることに成功している点だ。これは非常に大きな利点だ。
まず、これにより自社で大規模なサービス部門を抱える必要がなくなる。その結果、運営コストを大幅に削減できるだけでなく、特約店が地域密着型で迅速な対応を行うため、顧客満足度も向上する。この仕組みは、特約店にも利益が生じるため、双方にとってメリットがある。
高マージンを提供することで、特約店は販売だけでなくサービスにも責任を持つようになり、メーカーとしての負担が軽減される。こうした仕組みが、長府製作所の効率的な経営を支える大きな要因となっている。
もし自社でアフターサービスを全て対応しようとすれば、全国にある5,000の特約店から寄せられる修理依頼をこなすのは到底不可能だろう。膨大な人員や設備が必要となり、その運営コストも膨らむ一方で、サービスの迅速性や品質が低下するリスクも生じる。
特約店にアフターサービスの責任を持たせるという仕組みは、このような問題を未然に回避する効果的な戦略だ。地域密着型の特約店が直接対応することで、迅速かつ効率的なサービスが可能になり、顧客の満足度も向上する。これもまた、長府製作所が高マージンを提供することで実現している、大きな経営上のメリットといえる。
もし自社でアフターサービスを一手に引き受け、対応が滞るような事態になれば、同社の信用は一気に地に落ちてしまうだろう。しかし、長府製作所はこの重要なアフターサービスを特約店に任せ、その責任をしっかりと負わせる仕組みを構築している。この戦略は実に見事だ。
特約店に高マージンを提供することで、特約店が販売だけでなく、アフターサービスにおいても主体的に取り組む環境を作り出している。これにより、顧客満足度が向上するだけでなく、メーカーとしての信頼性も維持されている。これは、単なるコスト削減策ではなく、流通全体を巻き込んだ賢明な経営判断といえる。
特約店にとって、アフターサービスは自分たちの大切なお客様への対応であり、信頼を維持するための重要な業務だ。そのため、特約店は責任感を持って一生懸命対応する。したがって、メーカー側が特約店の対応を過度に心配する必要はない。
もしもアフターサービスを適切に行えない特約店がある場合、その特約店との契約を解除すればいいだけの話だ。特約店の数を絞り込み、信頼できるパートナーだけでネットワークを構築することで、サービス品質をさらに向上させることができる。この仕組みは、特約店とメーカーの双方にとってメリットがあり、長府製作所の成功を支える一因となっている。
製造業の価格政策
製造業での価格設定は、原価から単純に利益を加えるのではなく、商品の「はたらき」や市場環境、流通業者との関係を考慮して決定する必要があります。
1. 製品の価値を価格に反映させる
T社の事例では、原価から単純に価格を決定し、利益を逃した例が紹介されています。価格設定において、商品のはたらき(つまり顧客へのメリット)を基に価値を価格に反映させることが重要です。
たとえば、T社の友人が開発した「ペーパー・キャッチャー」は、実際にコスト削減の効果を考慮すれば、原価ではなくユーザーの節約額から価格を設定すべきものでした。価格は商品の価値やはたらきに対して適切であるべきです。
2. 世間相場とのバランス
新商品が市場に出るとき、世間相場が存在することも多く、適切な価格帯の設定が必要です。L社の例では、ゼンマイ式の玩具が既存の価格と大きく異なるために、地域ごとに反応が違った例があります。世間相場は価格設定に影響を与えるため、特に新商品の価格設定では慎重に市場の状況を把握することが求められます。
3. 流通業者へのマージンを考慮する
メーカーが流通業者を通じて販売する場合、流通業者へのマージンを考慮しなければなりません。K製菓は低マージンのために問屋に嫌がられ、T電機は電卓の価格を市場価格より安く設定した結果、流通業者が他社の商品を優先して販売する事態に陥りました。メーカーとしては、流通業者が商品を扱うメリットを提供し、流通業者のインセンティブを高める必要があります。
4. ブランドイメージと高マージンの重要性
S社の例では、レジャー用品の小売価格を上げ、マージンを高く設定することで、商品を高級品として位置付け、流通業者が値引きの余地を持つようにしました。これにより、消費者にも魅力的な商品としてアピールでき、結果として売上が向上しました。長府製作所も特約店への高マージンを提供し、競争優位を築いています。高マージンは、流通業者の積極的な営業を引き出し、アフターサービスの責任を負わせるなどの好影響も生み出します。
まとめ
価格政策は、単なる原価計算や一律の設定で決められるものではなく、製品の価値、世間相場、流通業者へのメリットを総合的に勘案して決定する必要があります。
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