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ビジョナリー・カンパニー 2 – 飛躍の法則心得

  • 【経営戦略心得】死が耐えられないほど辛い理由、それは好奇心が満たされないことだ。ベリル・マーカム『夜とともに西へ』
  • 【経営戦略心得】良好は偉大の敵である。
  • 【経営戦略心得】偉大だといえるまでになるものがめったにないのは、そのためでもある。
  • 偉大な学校がないのは何よりも、良い学校が多いからだ。偉大な政府がないのは何よりも、無難な政府があるからだ。
  • 【経営戦略心得】偉大な人生を送る人がめったにいないのはかなりの部分、平凡な人生に満足すれば気楽だからだ。
  • 【経営戦略心得】偉大な企業がめったにないのはまさに、ほとんどの企業がそこそこ良い企業になるからだ。ここに、大部分の企業の問題がある。
  • 【経営戦略心得】「あの本に書かれている企業はほとんど、はじめから偉大だった。
  • 【経営戦略心得】良い企業から偉大な企業に飛躍する必要はなかった。
  • 【経営戦略心得】デービッド・パッカードやジョージ・メルクのような創業者がいて、ごく初期に偉大な企業の性格を作り上げている。
  • 【経営戦略心得】しかしたいていの企業はそうではない。でも、自分の会社はたしかに良い企業だが、偉大な企業ではないことにどこかの時点で気づく。そういう企業はどうすればいいんだ」
  • 【経営戦略心得】ほんとうに偉大な企業は大部分、始めから偉大だったのだ。そして、良い企業の大部分は現状から抜け出せない。たしかに良い企業なのだが、偉大な企業にはなれない。
  • ミーハンの意見はきわめて貴重な助言になった。この意見を聞いて抱くようになった疑問、「良い企業は偉大な企業になれるのか。そして、どうすれば偉大な企業になれるのか」「良いにすぎない状態から抜け出せない病は治療できるのか」という疑問が、この本の基礎になったのだ。
  • 転機になったあの夕食から五年たったいま、わたしは自信をもって答えられる。良い企業が偉大な企業になることはたしかにあるし、この飛躍をもたらす要因もかなりの程度まで分かったと。
  • ビル・ミーハンの言葉に刺激されて、わたしは調査チームを組織し、五年にわたって調査研究を進めてきた。偉大な企業への道筋、凡庸から卓越への道筋を探る旅を続けてきた。
  • 何を調査したのかは、次の図をみれば簡単に理解できるはずだ(*)。われわれはまず、そこそこ良い実績から偉大な実績への飛躍を遂げ、その実績を少なくとも十五年にわたって維持してきた企業を探し出した。
  • つぎに、飛躍を遂げられなかったか、偉大な実績を維持できなかった企業からなる比較対象企業を慎重に選びだした。そして、飛躍した企業と比較対象企業とを比較して、この飛躍に不可欠な要因、飛躍できなかった企業との違いをもたらした要因を見つけ出した。
  • *次の図と「株式運用成績」の図の作成にあたって用いた数値の算出方法については、巻末の注を参照。
  • 偉大な企業への飛躍を遂げた企業として選びだされ、調査の対象になった企業は希有な実績をあげており、転換点から十五年間でみた株式の平均運用成績が、市場平均の六・九倍になっている(2)。
  • これがいかに素晴らしいかを示すためにあげておくなら、二十世紀末の時点で経営がもっともすぐれているアメリカ企業だとされたゼネラル・エレクトリック(GE)ですら、一九八五年から二〇〇〇年までの十五年間の株式運用成績は市場平均の二・八倍にすぎない(3)。
  • 別の観点からみれば、こうなる。
  • 一九六五年に二つの投資信託に同じ金額を投資したとする。
  • ひとつは市場平均に投資する。
  • もうひとつは、当初は市場平均に投資し、超優良に飛躍した企業が転換点に達した時点からはそれぞれに同額ずつ投資する。
  • 二〇〇〇年一月一日に両方の投資信託を解約すると、市場平均に投資した場合が当初金額の五十六倍になっているのに対して、飛躍した企業に投資した場合は四百七十一倍になった。
  • 目ざましい実績である。
  • それ以前にはまったく目立たなかった企業の実績である点を考えれば、ますます目ざましいといえる。
  • たとえばそのなかの一社、ドラッグストア・チェーンのウォルグリーンズの実績をみてみよう。
  • 同社は四十年にわたってごくごく平凡な企業であり、株価は市場平均にほぼ沿った動きを示してきた。
  • ところが一九七五年、唐突とも思える動きが起こって、株価が上昇をはじめた。
  • その後も上昇し、上昇を重ね、上昇を続け、どこまでも上昇した。
  • 一九七五年十二月三十一日から二〇〇〇年一月一日まで投資した場合、ウォルグリーンズ株はハイテクのスーパースター、インテル株の二倍弱、GE株の五倍弱、コカ・コーラ株の八倍弱、市場平均(一九九九年末に急騰したナスダック指数を含めたもの)の十五倍を超える運用成績になった(*)。
  • *本書では、株式運用成績は、投資家にとっての累積運用成績を意味し、配当を再投資し、株式分割を調整したものである。
  • 「市場平均」(あるいは「市場」)は、ニューヨーク証券取引所、アメリカン証券取引所、ナスダックに上場・公開されている株式の全体を意味する。
  • 資料と計算方法については、第一章の注を参照。
  • 長期にわたってごくごく平凡だった企業が、世界有数の経営者に率いられた企業にまさる実績をあげるまでにどうやって変身できたのだろう。
  • そして、ウォルグリーンズが飛躍を遂げた一方、同じ業界で事業を展開し、同じ機会があり、保有する資源もそれほど変わらなかった企業、たとえばエッカードが飛躍を遂げられなかったのはなぜなのだろう。
  • この事例が、われわれの調査の核心を示している。
  • この本はウォルグリーンズ自体をテーマにしているわけではないし、調査の対象にした個々の企業のうちどれかをテーマにしているわけでもない。
  • 良い企業は偉大な企業になれるのか、どうすれば偉大な企業になれるのかという疑問、そして、どの組織にも適用できる普遍的な答え、時代を超えた答えの追求が、本書のテーマである。
  • 五年にわたる調査で、さまざまな発見があった。
  • 意外な発見や常識が間違いであることを示す発見がいくつもでてきたが、そのなかでもとりわけ重要な発見はこうだ。
  • ほとんどどの組織も、この調査から導き出された枠組みを適用して努力を続ければ、地位と実績を大幅に向上させることができるし、おそらくは偉大な組織になることすらできる。
  • 本書は、この調査で学んだ点を伝えることを目的としている。
  • 第一章の残り部分では、調査チームの歩みを紹介し、調査方法の概要を示し、主要な発見をまとめる。
  • 第二章からは調査で得られた発見をひとつずつ紹介していく。
  • まずはじめに紹介するのは、とりわけ刺激的な発見、第五水準のリーダーシップである。
  • あくなき好奇心
  • こういう質問をよく受ける。
  • 「そこまで大がかりな調査研究を進めた動機は何なのか」。
  • 的を射た質問だ。
  • この問いへの答えは一言でまとめられる。
  • 好奇心である。
  • 答えを知らない疑問をとりあげて、答えを追求していくことほど面白いものはないとわたしは考えている。
  • アメリカ西部を探検したメリウェザー・ルイスとウィリアム・クラークのように、「この旅で何を発見できるのかは分からないが、帰ってきたらかならず何があったかを知らせる」と言って出発する旅ほど、面白い体験はない。
  • 好奇心に導かれた今回の大旅行の様子を簡単にまとめておこう。
  • 第一段階‐探索「良い企業は偉大な企業になれるのか。そして、どうすれば偉大な企業になれるのか」という疑問に対する答えを探ろうと、わたしはまず調査チームを組織した(この本で「われわれ」という言葉は、調査チームを意味するものとして使っている。
  • 第一に、偉大な企業への飛躍は、産業の動きによるものであってはならない。
  • 最後の章で、企業の価値観と偉大さの持続との関係について論じることにしたが、調査研究の過程では、きわめて具体的な疑問、つまり、良い企業から長期にわたって偉大な実績を持続できる企業への飛躍をどのようにすれば達成できるのかという疑問に答えることに焦点を絞り込んでいる
  • 第二段階‐比較対象つぎに、調査の全過程でとくに重要だともいえる段階に進んだ。
  • 偉大な実績をあげるまでに飛躍した企業と比較するために、細心の注意をはらって比較対象企業を選ぶ段階である。
  • 今回の調査で決定的な問いは「飛躍した企業に共通している点は何か」ではない。
  • 「飛躍した企業に共通していて、しかも、比較対象企業との違いをもたらしている点は何か」である。
  • 第一は「直接比較対象企業」だ。
  • 飛躍した企業と同じ産業で事業を展開しており、転換点に同じ機会があり、保有する資源もそれほど変わらなかったが、超優良への飛躍を達成できなかった企業である(付録一Bに選別過程をくわしく紹介した)。
  • 第二は「持続できなかった比較対象企業」である。
  • これは偉大な実績に飛躍したものの、偉大さを短期間しか維持できなかった企業であり、持続性の問題を考えるためにもちいた(付録一Cを参照)。
  • こうして、全体で二十八の企業が調査対象になった。
  • うち十一社は飛躍した企業、十一社は直接比較対象企業、六社は持続できなかった比較対象企業である。
  • 第三段階‐ブラック・ボックスの内部の調査つぎに、それぞれの企業を深く分析する段階に進んだ。
  • 二十八の企業に関する記事を、五十年以上前までさかのぼってすべて集めた。
  • すべての資料に組織的にコードをつけ、戦略、技術、リーダーシップなどのテーマ別に分類した。
  • つぎに、飛躍した企業の経営陣のうち、転換期に責任ある地位についていた人たちのほぼすべてを対象にインタビューを行った。
  • また、広範囲な定性分析と定量分析を行って、企業買収から経営陣の報酬まで、企業戦略から企業文化まで、レイオフからリーダーシップのスタイルまで、財務指標から経営陣の交代まで、あらゆる点を調査していった。
  • この段階には全体として、延べ十・五年分の時間を費やした。
  • 六千近い記事をすべて読んで組織的にコードをつけ、二千ページを超えるインタビューの記録を作成し、三百八十四メガバイトのコンピューター・データを作成した(分析と活動の詳細は付録一Dに記した)。
  • われわれはこの調査がブラック・ボックスの中を調べるようなものだと考えるようになった。
  • 一歩進むごとに照明器具を取り付けて、偉大な企業へ転換する過程の内部にどのような動きがあるのかに光をあてていくようであった。
  • データが揃った段階で、調査チームは週一回、全員で議論するようになった。
  • 二十八社のそれぞれについて、記事、分析、インタビュー記録、調査コードのすべてを組織的に読む。
  • その週のテーマになった企業についてわたしが発表を行い、結論になりうる点をまとめ、いくつかの点を質問する。
  • つぎに全員で議論し、反対意見を述べ、机を叩き、声を荒らげ、しばらく議論をやめて考え込み、さらに議論を重ね、考え込み、意見を言い合い、解決し、質問を出し、またまた議論し、「このすべてが何を意味するか」を考えていく。
  • 重要な点を指摘しておこう。
  • この本で論じた概念はすべて、データから直接に導き出す方法をとって作り上げてきたものである。
  • はじめにあった理論を調査によって試すか証明する方法はとっていない。
  • 事実から出発し、事実から直接に導き出す方法によって理論を構築しようと試みた。
  • われわれがとった方法の核心は、飛躍した企業と比較対象企業とを組織的に対照させながら、「どこに違いがあるのか」をつねに問うことにあった。
  • とくに、「犬が吠えなかった事実」に注目した。
  • コナン・ドイルの『回想のシャーロック・ホームズ』に収められた名作「銀星号事件」で、ホームズは「あの夜、犬がとった不思議な行動」が事件解決のカギになることに気づいた。
  • 事件の夜、犬は何もしなかった。
  • ホームズによれば、それが不思議な行動であり、この点から、犬がよく知っている人物をまず疑うべきだとの結論を導き出した。
  • われわれの調査でも、見つからなかった点、つまり吠えるはずの犬が吠えなかったのに似た点がいくつかあり、偉大な企業への過程を理解するうえで、とくに重要な手掛かりになった。
  • ブラック・ボックスの中に足を踏み入れ、照明をつけていったとき、そこにあったものと変わらぬほど、そこになかったものにおどろかされることが多かった。
  • いくつかの例をあげていこう。
  • ・著名で派手なリーダーが社外から乗り込んできたことは、偉大な企業への飛躍との相関性がマイナスになっている。
  • 飛躍をもたらした十一人のCEOのうち十人は内部昇進であった。
  • これに対して比較対象企業では、外部からCEOを招聘する頻度が六倍も高かった。
  • ・経営陣の報酬の形態と飛躍との間には、一貫した関係は見つからなかった。
  • 経営陣の報酬の構造が企業の業績を向上させるカギになるとの見方があるが、この見方を裏付ける事実はなかった。
  • ・戦略を確立していること自体では、飛躍した企業と比較対象企業との違いをもたらす要因ではなかった。
  • どちらの企業もしっかりした戦略をもっていた。
  • そして、比較対象企業とくらべて、飛躍した企業が長期経営戦略の策定に長い時間をかけたことを示す事実はなかった。
  • ・飛躍した企業は、偉大になるために「なすべきこと」に関心を集中させたわけではなかった。
  • それと変わらぬほど、「してはならないこと」と「止めるべきこと」を重視している。
  • ・技術革新とそれによる変化は、偉大な企業への飛躍を促す点でほとんど何の役割も果たしていなかった。
  • 技術は飛躍を加速する役割を果たすことができるが、飛躍をもたらすことはできない。
  • ・合併と買収(M&A)は、飛躍をもたらす点でほとんど何の役割も果たしていなかった。
  • 凡庸な大企業二社が合併しても、偉大な企業になることはない。
  • ・飛躍した企業は変化の管理、従業員の動機付け、力の結集にはほとんど注意を払っていなかった。
  • 条件が整っていれば、士気、力の結集、動機付け、変化といった問題はほぼ消滅する。
  • ・飛躍した企業は、飛躍への動きに名前をつけておらず、標語も作っておらず、開始にあたって派手な式典を開いてもおらず、計画や制度も作っていなかった。
  • その時点にはここまで大きな変化だとは気づかなかったと語った経営幹部もいる。
  • 後になって振り返ってみてはじめて、飛躍の大きさに気づいたのだという。
  • 実績の面ではたしかに、革命ともいえるほどの飛躍を達成しているが、革命的な方法を使ったわけではない。
  • ・飛躍した企業は、たいていは偉大な産業で事業を展開しているわけではない。
  • まったく冴えない産業に属している企業もある。
  • どの企業も、産業が勢いよく成長したときにたまたまその先頭にいたわけではない。
  • 偉大さは事業環境によって生み出されたわけではない。
  • 大部分、意識的な選択の結果だったのである。
  • 第四段階‐カオスから概念へ大量のデータ、分析、議論、そして「犬が吠えなかった事実」からこの本の結論を導き出すまでの過程を単純明快に伝えるにはどうすればいいのか、わたしはさまざまに考えてきた。
  • 結局、最善の答えはフィードバックを繰り返すというものであった。
  • 考えを組み立て、データによって検証し、考えを改定し、枠組みを組み立て、事実の重みによって崩れないかを検討し、枠組みを組み立てなおす。
  • すべてが一貫性のある概念の枠組みに収まるようになるまで、この過程を何度も何度も繰り返した。
  • 人はだれでも、ひとつかふたつは強みをもっているものだが、わたしの強みは、まとまりのない大量の情報のなかから一貫したパターンを見つけ出し、混乱のなかに秩序を見いだすこと、カオスから概念への道筋を探し出すことだと考えている。
  • とはいえ、最終的な枠組みに収められた概念はわたしの「意見」ではないと再度強調しておきたい。
  • 調査研究の過程からわたし個人の心理や先入観を完全に排除することはできないが、最終的な枠組みに入った発見はすべて、厳密な基準を満たしていることを確認した後に、重要だとの判断を調査チームでくだしたものである。
  • 最終的な枠組みに含めた主要な概念はすべて、超優良に飛躍した企業の百パーセントで飛躍の時期に変化した点であり、しかも、比較対象企業では三十パーセント以下しか変化がみられなかった点である。
  • この基準を満たせなかった概念は、各章のテーマにはなっていない。
  • ここで、概念の枠組みを概説し、以下の章で紹介する点を簡単にまとめておこう(次の図を参照)。
  • 偉大な企業への変化の過程を、準備とその後の突破の過程と考え、全体を三つの大きな段階に分けて考えている。
  • 規律ある人材、規律ある考え、規律ある行動の三段階である。
  • 三段階のそれぞれに二つの主要な概念があり、次の枠組み図に書かれている。
  • この枠組みの全体をつつむのが「弾み車」と呼ぶ概念であり、これが良好から偉大への過程の全体像をとらえるものになっている。
  • 第五水準のリーダーシップ良い企業を偉大な企業に変えるために必要なリーダーシップの型を発見したとき、われわれはおどろき、ショックすら受けた。
  • 派手なリーダーが強烈な個性をもち、マスコミで大きく取り上げられて有名人になっているのと比較すると、飛躍を指導したリーダーは火星から来たのではないかと思えるほどである。
  • 万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがり屋ですらある。
  • 個人としての謙虚さと、職業人としての意思の強さという一見矛盾した組み合わせを特徴としている。
  • パットン将軍やカエサルよりも、リンカーンやソクラテスに似ている。
  • 最初に人を選び、その後に目標を選ぶ偉大な企業への飛躍を指導したリーダーは、まずはじめに新しいビジョンと戦略を設定したのだろうとわれわれは予想していた。
  • 事実はそうではなかった。
  • 最初に適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、適切な人がそれぞれにふさわしい席に坐ってから、どこに向かうべきかを決めている。
  • 「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言は間違っていた。
  • 人材が最重要の資産なのではない。
  • 適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。
  • 厳しい現実を直視する(だが、勝利への確信を失わない)偉大な企業への道筋を探し出すのに何が必要かについて、企業戦略を論じた本の大半よりも、捕虜になって生き残った人たちの方が学べる点が多いことにわれわれは気づいた。
  • こうして学んだ点を「ストックデールの逆説」とわれわれは呼ぶようになったが、偉大な企業はいずれも、同じ逆説を信奉していた。
  • その逆説とはこうだ。
  • どんな困難にぶつかろうとも、最後にはかならず勝てるし、勝つのだという確信が確固としていなければならない。だが同時に、それがどんなものであろうとも、きわめて厳しい現実を直視する確固たる姿勢をもっていなければならない。
  • 針鼠の概念(三つの円のなかの単純さ)偉大な企業に飛躍するには、「能力の罠」から脱却しなければならない。
  • 中核事業だからといって、何年か何十年かにわたってそれに従事してきたからといって、それに関する能力が世界でもっとも高いとは限らない。
  • そして中核事業で世界一になれないのであれば、中核事業が飛躍の基礎になることは絶対にありえない。
  • 三つの円が重なる部分に関する深い理解に基づいて、中核事業に代わる単純な概念を確立するべきだ。
  • 規律の文化どの企業にも文化があり、一部の企業には規律がある。
  • しかし、規律の文化をもつ企業はきわめて少ない。
  • 規律ある人材に恵まれていれば、階層組織は不要になる。
  • 規律ある考えが浸透していれば、官僚組織は不要になる。
  • 規律ある行動がとられていれば、過剰な管理は不要になる。
  • 規律の文化と起業家の精神を組み合わせれば、偉大な業績を生み出す魔法の妙薬になる。
  • 促進剤としての技術飛躍した企業は、技術の役割についての見方が一般とは違っている。
  • 変化を起こす主要な手段としては使っていない。
  • その一方で逆説的なことに、慎重に選んだ技術の適用に関しては、先駆者になっている。
  • 偉大な企業への飛躍にしろ、没落にしろ、技術そのものが主要な原因になることはないのだ。
  • 弾み車と悪循環革命や、劇的な改革や、痛みを伴う大リストラに取り組む指導者は、ほぼ例外なく偉大な企業への飛躍を達成できない。
  • 偉大な企業への飛躍は、結果をみればどれほど劇的なものであっても、一挙に達成されることはない。
  • たったひとつの決定的な行動もなければ、壮大な計画もなければ、起死回生の技術革新もなければ、一回限りの幸運もなければ、奇跡の瞬間もない。
  • 逆に、巨大で重い弾み車をひとつの方向に回しつづけるのに似ている。
  • ひたすら回しつづけていると、少しずつ勢いがついていき、やがて考えられないほど回転が速くなる。
  • ビジョナリー・カンパニーへの道思いもよらなかったことだが、本書(原題GOODTOGREAT略称GTG)は前書『ビジョナリー・カンパニー』(原題BUILTTOLAST略称BTL)の続編ではなく、逆に前編なのだとわたしは考えるようになっている。
  • この本が扱っているのは、良い組織を偉大な実績を持続できる組織に飛躍させる方法である。
  • 『ビジョナリー・カンパニー』が扱ったのは、偉大な実績をあげている企業を、偉大さが永続する卓越した企業にする方法である。
  • 卓越した企業になるには基本理念、利益を超えた目標、そして、基本理念を維持して進歩を促す仕組みが必要だ。
  • 偉大な企業への飛躍の概念偉大な実績の持続+ビジョナリー・カンパニーの概念永続する偉大な企業『ビジョナリー・カンパニー』をすでに読まれているのであれば、この二つの調査の関係についての疑問をしばらく棚上げにして、この本を読み進めていくようお願いしたい。
  • 最後の章でこの疑問を取り上げて、二つの調査の関係を説明する。
  • 時代を超えた法則
  • インターネット関連企業の経営者が集まった会議で、今回の調査研究の成果を発表しおえたとき、すぐに手をあげた参加者がいた。
  • 「この調査結果はニュー・エコノミーにも適用されるのか。古い考えをすべて捨てて、一から考えなおすべきではないのか」。
  • 変化がきわめて激しくなっているのだから、これは当然の質問である。
  • この質問は頻繁に受けてきたので、本題に入る前にここで答えておきたい。
  • たしかに、世界は変化しており、今後も変化を続けるだろう。
  • しかしだからといって、時代を超えた法則の探究を止めるべきだということにはならない。
  • このように考えてみればいい。
  • 工学の技術はつねに進歩し、変化しているが、物理学の法則はそう変わらない。
  • 自分の仕事は時代を超えた法則を見つけ出すことだとわたしは考えている。
  • 偉大な組織にみられる永続的な法則、世界がどう変わろうともつねに真実であり、重要である法則を探し求めているのだ。
  • たしかに、適用の方法(工学の技術にあたる部分)は変わっていく。
  • しかし、組織の動きには不変の法則(物理学の法則にあたる部分)がある。
  • 実際のところ、いわゆるニュー・エコノミーの登場は新しいことでもなんでもない。
  • 電気、電話、自動車、ラジオ、トランジスターが登場したとき、その時代の人たちはいまと変わらないほど、ニュー・エコノミーの勃興を実感したのではないだろうか。
  • そして、ニュー・エコノミーのそれぞれの形態が登場してきたときにも、すぐれた指導者は基本的な法則に従ってきた。
  • その点で、厳格さと規律を失うことはなかった。
  • 現在は過去のどの時期とくらべても、変化の規模が大きく、ペースが速いと指摘する人もいる。
  • その通りかもしれない。
  • しかし、偉大な企業への飛躍の時期に、今回のニュー・エコノミーと変わらないほど急速な変化に直面した企業がある。
  • たとえば一九八〇年代初め、銀行業界は規制緩和の圧力を受けて、ほぼ三年間で完全な変化を遂げている。
  • 銀行業界にとってまさにニュー・エコノミーであった。
  • だが、ウェルズ・ファーゴはこの本で取り上げた法則のすべてを適用して偉大な実績をあげるようになった。
  • それも、規制緩和をきっかけとする急速な変化の真っ最中に。
  • 次章以下を読み進めるとき、ひとつの要点をつねに心にとどめておいてほしい。
  • この本はオールド・エコノミーを論じたものではない。
  • ニュー・エコノミーを論じたものでもない。
  • ここで取り上げた企業について論じたものですらない。
  • この本のテーマはただひとつ、良好から偉大への飛躍をもたらす法則、しかも時代を超えた法則である。
  • 良い組織を、偉大な実績を持続できる組織に変える法則である。
  • 実績をはかる指標は、それぞれの組織にとってもっとも適切なものを選べばいい。
  • この要点は、読者にとって意外かもしれない。
  • だが、わたしはもともと、自分の仕事が企業の調査研究なのだとは考えていないし、この本が基本的に経営書なのだとも考えていない。
  • 自分の仕事は、組織の種類を問わず、どうすれば偉大さが持続する組織を作り上げられるかを見つけ出すことだと考えている。
  • わたしが知りたい点は、偉大と良好、卓越と凡庸の間の基本的な違いである。
  • この点を探っていくとき、ブラック・ボックスの内部を調べる対象として企業を選んだだけである。
  • 企業、それも株式上場企業を選んだのは、他の種類の組織と比較して、調査にきわめて有利な点が二つあるからだ。
  • 第一に、実績に関して幅広く同意が得られる指標がある(したがって、調査対象を厳密な基準で選択できる)。
  • 第二に、容易に入手できるデータが大量にある。
  • 良好が偉大の敵になるのは、企業だけにみられる問題ではない。
  • 人間のあらゆる組織にみられる問題である。
  • 偉大さへの飛躍をもたらす法則を発見できれば、どのような種類の組織にとっても役立つはずである。
  • 良い学校が偉大な学校に飛躍できるかもしれない。
  • 良い新聞が偉大な新聞に飛躍できるかもしれない。
  • 良い教会が偉大な教会に飛躍できるかもしれない。
  • 良い政府機関が偉大な政府機関に飛躍できるかもしれない。
  • 良い企業が偉大な企業に飛躍できるかもしれない。
  • そこで、偉大への飛躍をもたらすものを発見する知的冒険の旅に参加するよう、読者に呼びかけたい。
  • また、この本に書かれていることに疑問を出し、反論を考えるよう読者に呼びかけたい。
  • 尊敬する教師のひとりがこう話してくれたのを覚えている。
  • 「最高の学生は教師から学んだことを鵜呑みにしない学生だ」。
  • ほんとうにそうだ。
  • この教師はこうも話してくれた。
  • 「データが示すものに同意できないというだけで、データを拒否すべきではない」。
  • この本の内容のすべてを闇雲に受け入れるのではなく、慎重に考え抜くよう勧める。
  • 読者は裁判官であり、陪審員である。
  • 証拠に真実を語らせようではないか。
  • 第二章野心は会社のために──第五水準のリーダーシップ
  • 一生の間にはどんなことでも達成できる。それがだれの功績とされても気にしないのであれば。ハリー・S・トルーマン(1)
  • 一九七一年、一見ごく平凡なダーウィン・E・スミスがキンバリー・クラークの最高経営責任者(CEO)に選任された。
  • 同社は体質の古い製紙会社で、それまで二十年の株式運用成績は市場平均より三十六パーセント低かった。
  • スミスは穏やかな人柄の社内弁護士で、取締役会の人選が正しかったのか疑問だとも感じていた。CEOに必要な資質のうちいくつかが君に欠けている点を忘れないようにと社外取締役のひとりに耳打ちされて、ますますこの疑問が強まった(2)。
  • それでもCEOはCEOであり、しかもその後二十年にわたってCEOの地位を維持した。そして、すさまじい二十年であった。
  • この期間に、スミスはおどろくほどの変革を押し進め、同社を消費者向け紙製品で世界最強の企業に変身させた。
  • スミスの指揮のもとで、同社株の運用成績は市場平均の四・一倍になり、直接に競合するスコット・ペーパーやプロクター&ギャンブルを軽く上回り、コカ・コーラ、ヒューレット・パッカード、3M、ゼネラル・エレクトリックなどの広く尊敬を集める企業すら上回った。
  • なんとも目ざましい実績であり、良い企業が偉大な企業に飛躍した事例として、二十世紀を代表するものだといえる。
  • ところが、ほとんどだれも、経営史や企業史を熱心に研究している人たちすらも、ダーウィン・スミスについては何も知らない。たぶん、スミス自身がそう望んでいたのだろう。
  • 大物ぶるところがまったくなく、配管工や電気工と話すのが好きで、休暇にはウィスコンシン州の自分の農場でショベルカーの運転席に坐って、穴を掘ったり岩を動かしたりした(3)。
  • 英雄として認められようとしたことも、偉大な経営者というイメージを作り上げようとしたこともない(4)。
  • あるとき、経営スタイルを説明するよう記者に求められた。
  • このときスミスは、いかにも野暮ったい黒縁メガメをかけ、安売りのスーパーではじめてのスーツを買って着込んだ農村の若者のように、なんとも垢抜けしない服装であった。
  • 気まずい沈黙が延々と続いた後、スミスは一言、「風変わり」と答えた(5)。
  • ウォール・ストリート・ジャーナル紙はダーウィン・スミスを大きく取り上げたことがない。
  • しかし、スミスはおとなしいとか軟弱だとか考えたとすれば、恐ろしい間違いだ。
  • 不器用なほど内気でてらったところがない性格が、不屈の精神、禁欲的といえるほど一途に目標を追求する精神と一体になっている。
  • 生まれはインディアナ州の農村であり、家は貧しかった。
  • 大学生のとき、昼間はインターナショナル・ハーベスターの農業機械工場ではたらいて学費を稼ぎ、インディアナ大学の夜学に通った。
  • ある日、仕事中の事故で指を一本失った。
  • だが、その夜も大学に行き、翌日も仕事を続けたといわれている。
  • これはたぶん誇張だろうが、指を切断した後も学業を遅らせなかったのはたしかだ。
  • 昼は常勤の工員として働き、夜は大学に通って、ハーバード大学法学大学院に進学することができた(6)。
  • 人生の後半にも、CEOに就任して二か月後に、咽喉癌で一年はもたないとの診断を受けた。
  • 取締役会にこの診断を伝えたが、まだ死んではいないし、そう早く死ぬつもりはないとも伝えた。
  • そしてCEOとしての激務を完全にこなしながら、週に一度ウィスコンシン州からヒューストンまで通って、放射線治療を受けた。
  • 結局、その後二十五年生きつづけ、大半はCEOとして活動している(7)。
  • スミスはこのすさまじいばかりの不屈の精神によって、キンバリー・クラークの再編に取り組んでいる。
  • とくにすさまじかったのは、同社の歴史のなかでもっとも劇的な決定をくだし、製紙工場を売却したときだ(8)。
  • CEOに就任した直後、スミスは経営陣とともに、同社の中核事業であるコート紙の製造販売では凡庸な企業にしかならないと結論づけた。
  • 経済性は悪く、競争は激しくない(9)。
  • しかし、競争が熾烈な消費者向け紙製品市場に進出していけば、プロクター&ギャンブルなど、世界有数の競争力をもった企業とぶつかる。
  • 偉大な企業にならないかぎり生き残れなくなる。
  • そこで、上陸直後に船を焼いて退路を絶った将軍のように、スミスは製紙工場を売却すると発表した。
  • 社外取締役のひとりは、ここまで大胆な決断はみたことがないと語っている。
  • ウィンスコンシン州キンバリーの工場すら売り払って、売却代金をすべて消費者向け事業に振り向け、紙おむつのハギーズ、ティッシュのクリネックスなどのブランドに投資したのだ(10)。
  • 経済紙や経営誌はこの動きを馬鹿げていると批判し、ウォール街のアナリストは同社株の売りを推奨した(11)。
  • それでもスミスは動揺しなかった。
  • 二十五年後、キンバリー・クラークはスコット・ペーパーを傘下に収め、八つの製品ラインのうち六つでプロクター&ギャンブルを打ち負かしている(12)。
  • スミスは引退にあたって、素晴らしい業績を残せたことについてこう語った。
  • 「わたしはCEOの職にふさわしい仕事ができることを示そうと、最後まで努力を続けてきた」(13)
  • 予想していなかった点
  • ダーウィン・スミスはわれわれが第五水準の指導者と呼ぶようになった経営者の典型である。
  • 個人としての極端なほどの謙虚さと職業人としての意思の強さをあわせもつ指導者だ。
  • 偉大な企業に飛躍した事例ではすべて、転換の時期にこの種類の指導者が指揮をとっていた。
  • どの経営者もスミスと同様に、個人としては控えめであり、同時に、自社を偉大な企業にするために必要なことはすべてやり遂げる意思がきわめて強い。
  • 第五水準の指導者は、自尊心の対象を自分自身にではなく、偉大な企業を作るという大きな目標に向けている。
  • 我や欲がないのではない。
  • それどころか、信じがたいほど大きな野心をもっているのだが、その野心はなによりも組織に向けられていて、自分自身には向けられていない。
  • 「第五水準」とは、調査の過程で見つけ出した経営者の能力のうち最高水準を示すものである(「第五水準までの段階」の図を参照)。
  • この図に示す段階は、第一水準から順番に獲得していかなければならないわけではなく、上の水準を達成した後に下の水準の能力を獲得することも可能だが、第五水準の能力を十分に獲得した指導者はすべての水準の能力をもっている。
  • ここで、それぞれの水準についてくわしく説明しようとは思わない。
  • 第一水準から第四水準までは図の説明だけで十分に理解できるはずだし、いくつもの本でさまざまに論じられてきているからだ。
  • この章では、偉大になった企業の指導者と比較対象企業の経営者との違いをもたらしているのは何なのか、つまり第五水準の特徴は何なのかに焦点を絞っていく。
  • だがその前に、少しばかり脇道にそれることにはなるが、重要な点を紹介しておこう。
  • われわれは当初、第五水準のリーダーシップやそれに近いものを探していたわけではない。それどころか、わたしは調査チームに経営者の役割を重視しないようにと強く指示していた。
  • すべてを「指導者の功績」か「指導者の責任」かで割り切ろうとする見方が一般的になっているので、そのような単純すぎる見方を避けたいと考えたからである。
  • たとえていうなら、「すべての答えはリーダーシップにある」との見方は、中世に自然界の科学的な理解を妨げていた「すべての答えは神にある」の現代版だといえる。
  • 十六世紀には、理解できないことがあるとすべて神に答えを求めた。不作になったのはなぜなのか。神の御心だ。
  • 地震はなぜ起こるのか。神の御心だ。惑星があのように動くのはなぜか。神の御心だ。
  • 啓蒙主義の時代になると、もっと科学的に理解しようとする動きが進んだ。
  • こうして物理学、化学、生物学などが発達した。無神論者になったわけではないが、自然界の動き、宇宙の動きを深く理解できるようになった。
  • これと同様に、すべてを「リーダーシップ」の一言で説明しようとすれば、十六世紀の人たちと違いがなくなる。
  • 無知を認めるにすぎなくなる。リーダーシップ無用論を唱えるべきだというわけではない(リーダーシップはたしかに重要である)。
  • だが、うまく説明できない事実にぶつかるたびに、「答えはリーダーシップにあるに違いない」と言っていては、偉大な企業の内部の動きについて、科学的で深い理解を得ることはできない。
  • したがって調査研究の早い段階で、わたしは「経営者を無視しよう」と主張しつづけてきた。
  • しかし、調査チームから繰り返し反論が出された。
  • 「偉大な企業の経営者には、めったにない特徴が一貫してある。それを無視するわけにはいかない」「しかし、比較対象企業にも指導者がいるし、なかには偉大な指導者もいる。いったいどこに違いがあるのだ」。
  • このような議論が沸騰した。
  • 最後には、いつもそうあるべきことだが、データによって決着がついた。良い企業を偉大な企業に飛躍させた経営者は全員、おなじ性格をもっていた。
  • 事業が消費者向けであろうと産業向けであろうと、経営が危機的状況にあろうと安定していようと、サービス業であろうと製造業であろうと、変わりはなかった。
  • 転換の時期がいつであろうと、企業の規模がどうであろうと、変わりはなかった。
  • 飛躍を達成した企業はすべて、第五水準の指導者に率いられていた。さらに、比較対象企業は、第五水準の指導者がいない点で一貫していた。
  • 第五水準のリーダーシップは常識に反するものであり、企業を変身させるには強烈な個性をもった偉大な救世主が必要だとの見方に反しているので、第五水準のリーダーシップが事実から導き出された概念であって、何らかの思想に基づく概念ではない点を強調しておきたい。
  • 謙虚さ+不屈の精神=第五水準
  • 第五水準の指導者は二面性の典型例だといえる。謙虚だが意思が強く、控えめだが大胆なのだ。
  • この概念を素早く理解するには、アメリカの歴史でも数少ない第五水準の大統領のひとり、アブラハム・リンカーンを思い浮かべてみるといい。
  • 永続する偉大な国家を作り上げることがリンカーンにとって第一の野心であり、私利私欲によってこの野心の達成を危うくするようなことは決してしなかった。
  • だが、リンカーンの謙虚さ、内気さ、不器用さを弱さの印だと誤解した人たちは、とんでもない間違いをおかすことになった。
  • この間違いによって南軍の二十五万人、北軍の三十六万人、そしてリンカーン自身が犠牲になったほどである(14)。
  • 偉大な企業への飛躍を導いたCEOがリンカーンに似ているというのは誇張気味かもしれないが、二面性という共通点があるのは事実だ。
  • 一九七五年から九一年までジレットのCEOだったコールマン・モックラーをみてみよう。
  • モックラーの在任期間に、ジレットは三回にわたって攻撃を受け、偉大な企業になる道が閉ざされかねない状況になった。
  • そのうち二回は、レブロンによる敵対的買収の動きであった。
  • レブロンを率いるロナルド・ペレルマンは葉巻をくわえた乗っ取り屋で、ジャンク債を使って買収した企業を解体・売却し、債務を返済してつぎの敵対的買収の資金源にすることで有名だった(15)。
  • 三番目の攻撃は投資グループのコニストン・パートナーズによるもので、ジレット株の五・九パーセントを取得した後、株主総会に向けて独自の取締役候補を立てて、委任状争奪戦を仕掛けた。
  • 株主の委任状を集めて取締役会を支配し、入札で最高価格を提示したものにジレットを売却し、持ち株で短期間に利益をあげることが目的であった(16)。
  • ジレットがペレルマンの買収提案を受け入れていれば、株式保有者はただちに四十四パーセントの利益を確保できた(17)。
  • 一億一千六百万株の発行済み株式で総額二十三億ドルの短期的な利益が出ることを考えれば、ほとんどの経営者は降伏して自分の持ち株で利益を得たうえ、自社が買収されたときに経営陣に支払われる退職金(いわゆるゴールデン・パラシュート)でも巨額を手に入れようとするだろう(18)。
  • だが、モックラーは降伏しなかった。
  • 自分の持ち株で巨額の利益を確保しようとはせず、ジレットが偉大な企業になる道を残すために戦った。
  • 物静かで控えめでつねに礼儀正しい人物であり、優雅で貴族的といえるほどの紳士だとみられていた。
  • しかし、モックラーの控えめな人柄を弱さの印だと誤解した人たちは、結局打ち負かされることになった。委任状争奪戦では、ジレットの経営幹部が何万人もの個人投資家にひとりずつ電話をかけて説得し、勝利を収めている。
  • これだけであれば、「旧弊な経営陣が既得権益を守ろうとして、株主の利益を無視したのではないか」と思えるかもしれない。
  • たしかに表面的にはそうもみえる。だが、以下の二つの要因を考えてみるべきだ。
  • 第一に、モックラーらの経営陣は、技術的に進んだ革新的な製品の開発に巨額を投じて、会社の将来をこれにかけていた。
  • 後に発売される「センサー」と「マッハ3」がそれだ。
  • 乗っ取りが成功していれば、この開発プロジェクトはまず間違いなく縮小されるか中止されて、センサーやレディ・センサー、マッハ3は登場しなかっただろう。
  • 数億人の人たちがいまでも毎日、髭剃りに苦労していたはずだ(19)。
  • 第二に、買収合戦のとき、センサーが発売されれば利益が大幅に増えると経営陣は確信していたが、開発は極秘で進めていたので、株価には反映されていなかった。
  • センサーの将来性を考えれば、将来の株式の価値は時価をはるかに上回り、時価より高い乗っ取り屋の提示価格すら上回ると、モックラーと取締役会は確信していた。
  • 買収提案に応じて会社を売却すれば、短期的な利益を狙う株式投機家を喜ばせることはできるが、長期投資の株式保有者に対してはまったく無責任な方針をとることになる。
  • 振り返ってみれば、モックラーと取締役会は正しい方針をとったといえる。おどろくほどの結果になったからだ。
  • 一九八六年十月三十一日にペレルマンの提案に応じて時価に四十四パーセントを上乗せした価格でジレット株を売却し、代金の全額をその後十年間、一九九六年末まで市場平均に連動する投資信託で運用したと想定すると、モックラーが指揮するジレットへの投資を続けた場合と比較して、三分の一にも満たない金額にしかならない(20)。
  • モックラーが乗っ取り屋に屈伏して何百万ドルかを手に入れ、引退生活を楽しんでいれば、ジレットも顧客も株主も得られたはずの利益を得られなかったことになる。
  • モックラー自身は、みずからの努力の成果を十分に受け取ることができなかった。一九九一年一月二十五日、ジレットはフォーブス誌の表紙見本を受け取った。
  • 表紙を飾っていたのは、モックラーが巨大な剃刀をかかげて、どうだと言わんばかりに山の頂上に立ち、打ち負かされた競争相手がはるか下であえいでいる絵であった。
  • 本人はマスコミの取材を嫌うので、たぶん表紙用の写真撮影を断ったのだろうが、それで無敵の戦士コナンにされてしまったと、経営幹部は面白がった。
  • モックラーは十六年にわたる苦闘がようやく世間に認められるようになったのをみて、何分か後に自室に戻る途中、廊下で倒れた。
  • 強い心臓発作におそわれて、そのまま帰らぬ人になった(21)。
  • 勤務中に倒れたのが本望だったかどうかは知るよしもないが、このとき倒れなかったとしても、経営者としてのスタイルを変えなかったことだけはたしかだと思える。
  • 穏やかな人柄で目立たなくなってはいるが、内面はきわめて厳しく、どんなことであれ自分が関与する以上は最高のものにするために全力を尽くす姿勢をとる。
  • それで自分が得られる報酬や名声に関心があるからではない。それ以外の姿勢は考えられないのだ。
  • モックラーの価値観では、安易な方法をとって自社を食い物にしようとする人物に経営を明け渡し、偉大な企業になる道を閉ざすことは、選択肢のひとつにはなりようがない。
  • ちょうどリンカーンにとって、和平を求めて偉大さを永続できる国を建設する道を永遠に閉ざすことが選択肢にならなかったように。
  • 偉大な企業を築く野心‐会社の成功のために後継者を選ぶ一九八一年にデービッド・マクスウェルがファニーメイ(連邦抵当金庫)のCEOに就任したとき、同社は一営業日当たり百万ドルの赤字を出していた。
  • それから九年間、マクスウェルは企業文化を一変させて、ウォール街の最高の投資銀行に負けないほど好業績をあげられるようにした。
  • 一営業日当たりの利益が四百万ドルになり、株式運用成績が市場平均の三・八倍になるまでになった。
  • しかし自分の在任期間が長くなりすぎるのはファニーメイにとって良くないと感じて、まだまだ第一線で活躍できる時期に引退し、やはり有能なジム・ジョンソンに経営を引き継いだ。
  • その直後、業績がきわめて好調なことから二千万ドルに膨らんでいたマクスウェルの退職金が連邦議会で批判を浴びた(ファニーメイは株式上場企業だが、連邦法によって設立され運営されている政府系機関である)。
  • マクスウェルは後継者のジョンソンに書簡を送り、この件をきっかけにワシントンでファニーメイへの批判が強まって将来が危うくなりかねないとの懸念を表明した。
  • そして、残額の五百五十万ドルの支払いを止め、低所得者向け住宅のためのファニーメイ基金に寄付するよう求めた(22)。
  • マクスウェルはキンバリー・クラークのスミスやジレットのモックラーと同様に、第五水準の指導者の典型ともいえる経営者だ。
  • 野心は何よりも会社の成功に向けられており、自分の名声や資産には向けられていない。
  • 自分が引退した後に会社がさらに成功を収めるよう望んでおり、成功の基盤を作った自分の努力には世間が気づきもしないだろうことを問題にしない。
  • ある第五水準の指導者はこう語っている。
  • 「いつか自宅のベランダから世界有数の偉大な企業の本社をながめて、以前はあそこで働いていたんだと言えるようになりたい」これに対して比較対象企業の経営者は、偉大な経営者だとの世評を集めるのに熱心で、自分が引退した後に会社が成功を収められるようにはしていない場合が少なくない。
  • 自分が去った後に会社が転落していくことほど、自分の偉大さを示すものはあるだろうか。
  • 比較対象企業の四分の三以上の経営者は、後継者が失敗する状況を作りだすか、力が弱い人物を後継者に選ぶかしており、両方にあてはまる経営者もいた。
  • 何人かは「最大の犬」症候群に陥っている。群れのなかで自分がいちばん大きな犬でなければ我慢できないのだ。
  • ある比較対象企業のCEOは、後継候補者を「ヘンリー八世がつぎつぎに妻を処刑したように」扱ったといわれている(23)。
  • ラバーメイドの事例を考えてみるといい。
  • 同社は持続できなかった比較対象企業のひとつであり、無名の存在からフォーチュン誌の「もっとも尊敬されている企業」のランキングで第一位になるまでに急速に成長したが、その後、やはり急速に経営が悪化し、ニューエルに救済合併されるまでになった。
  • このおどろくべき成長と没落の物語の主役は、スタンリー・ゴールトという才気あふれるカリスマ的経営者であり、一九八〇年代後半に同社を成功に導いた経営者として有名になった。
  • ラバーメイドに関する記事は三百十二集まったが、ゴールトはきわめて精力的で自己中心的な経営者として描かれている。
  • ある記事では、暴君だという非難にこう答えている。「たしかに暴君だが、誠実な暴君だ」(24)。
  • 別の記事は改革の指導に関する本人のコメントを直接に引用しており、そこには「わたし」という言葉が「わたしは改革を指導できる」「わたしは十二の目標を書いた」「わたしは目標を示し、説明した」など合計四十四回出てくるが、「われわれ」という言葉は十六回しか出てこない(25)。
  • 経営者としての成功を誇る理由は十分にあった。
  • ゴールトの指揮のもと、ラバーメイドは四半期決算で四十期連続の増益を達成しているのだ。目ざましい業績であり、敬意を払われるのは当然だ。
  • しかし、ここが肝心の点だが、ゴールトは自分が去った後に会社が偉大さを維持できる態勢を残さなかった。
  • みずから選んだ後継者はわずか一年しかもたず、その次のCEOは経営幹部の層がきわめて薄かったことから、四つのポストを兼任しながら、最高業務責任者(COO)として自分を補佐できる人物を必死に探すはめになった(26)。
  • ゴールトの後継者は経営陣の人材不足に悩んだだけでなく、戦略の空白にも苦労し、その結果やがて同社は経営困難に陥っている(27)。
  • もちろん、「たしかにラバーメイドはゴールトが引退した後に転落した。だが、それはゴールトが経営者としていかに偉大であったかを示しているのではないか」と反論する人もいるだろう。
  • まさにそうだ。ゴールトはたしかに第四水準の経営者としてきわめてすぐれていた。
  • おそらくは過去五十年でみても最高級といえるほど優秀だった。だが、第五水準の指導者ではなかった。
  • そしてこれが主要な要因のひとつになって、ラバーメイドは超優良企業への飛躍をなし遂げたが、栄光の時期は短く、その後に急速に並み以下に転落した。
  • おどろくほどの謙虚さ比較対象企業の経営者が極端なまでに「わたし」中心のスタイルをとっているのに対して、偉大な企業への飛躍をもたらした指導者が自分について語ろうとしないことにわれわれはおどろかされてきた。
  • インタビューのとき、会社について、他の経営幹部の功績についてはいくらでも話してくれるが、自分自身の貢献については話を避けようとする。
  • それでも話すように求めると、こういう答えが返ってきた。
  • 「大物ぶっていると受け取られては困る」「取締役会があれほど偉大な後継者を選んでいなければ、今日ここでインタビューを受けることもなかったはずだ」「わたしが大きな役割を果たしたかだって?いかにも自分勝手な話になる。
  • 自分の功績が大きいとはわたしは思っていない。
  • われわれは素晴らしい人たちに恵まれたのだ」「会社にはCEOになればわたし以上の仕事ができる人がたくさんいる」謙虚さを装っているのではない。
  • これら指導者についての記事や周囲の人たちの話には、物静か、控えめ、謙虚、無口、内気、丁寧、穏やか、目立たない、飾らない、マスコミにどう書かれても信じないなどの言葉が頻繁に出てくる。
  • ニューコアの取締役だったジム・フラバチェクは、倒産の淵にあった同社を世界有数の鉄鋼会社に変身させたCEO、ケン・アイバーソンについてこう語っている。
  • きわめて謙虚で控えめな人物だ。ここまでの成功を収めて、ここまで謙虚な人間には会ったことがない。
  • わたしはいくつもの大企業の多数のCEOのもとではたらいているのだが。
  • 生活面でもそうだ。ともかく質素だ。犬を飼うときは地元の野犬収容所からもらってくるといった小さな点まで質素なのだ。
  • 自宅も昔から住んでいる簡素な家だ。駐車スペースはあるが、ガレージにはなっていない。
  • ある日、車のウィンドーについた氷をとろうとしてクレジット・カードを使ったら、カードが割れてしまったとこぼしていた。
  • 「だったら、簡単な方法がある。屋根と壁をつければいい」と言ったら、「そんな大きな問題じゃないんだ」と言う。
  • それほど控えめで質素なのだ(28)。
  • 偉大な企業への飛躍を指導した十一人のCEOは、二十世紀を代表する素晴らしい経営者だといえる。
  • フォーチュン誌の大企業五百社に入った企業のうち、厳しい基準を満たしてこの調査の対象になった企業は十一社しかなかったのだから。
  • これほど素晴らしい実績を残しているのに、これらの指導者についてはこれまで、ほとんどだれも論じていない。
  • ジョージ・ケイン、アラン・ウルツェル、デービッド・マクスウェル、コールマン・モックラー、ダーウィン・スミス、ジム・ヘリング、ライル・エベリンガム、ジョゼフ・カルマン、フレッド・アレン、コーク・ウォルグリーン、カール・ライヒャルト。
  • これらの並外れた経営者のうち、何人の名前を知っているだろうか。
  • 今回の調査で集めた五千九百七十九の記事の一覧表を作ったところ、転換の時期には、飛躍した企業よりも、比較対象企業の方が記事の数が二倍も多かった(29)。
  • さらに、偉大な企業への飛躍を指導したCEOに関する記事はほとんど見つからなかった。飛躍を導いた指導者は、並外れた英雄になりたいとはまったく考えていない。
  • 胸像が飾られるようになろうとか、畏敬される人物になろうとかはまったく考えていない。一見、ごく普通の人物であり、めったにないほど素晴らしい実績を静かに達成してきた。
  • 比較対象企業の経営者のうち何人かは、まったく対照的である。
  • キンバリー・クラークの比較対象企業、スコット・ペーパーはアル・ダンロップという経営者を招聘してCEOにした。
  • ダーウィン・スミスとはまったく違った性格の人物である。胸をはって大声をあげ、相手構わず自分の業績を話そうとする(話を聞きたくないという人も多いのだが)。
  • ビジネス・ウィーク誌によれば、ダンロップはスコット・ペーパーを経営した十九か月についてこう述べている。
  • 「スコットの再建は、とくに成功を収め、とくに迅速な企業再建としてアメリカ経営史に残るものだ。
  • これと比較すれば他の企業再建は色あせてみえる」(30)ビジネス・ウィーク誌によれば、ダンロップはスコット・ペーパーのCEOをつとめた六百三日に合計一億ドルの報酬を受け取っている(一日当たり十六万五千ドルだ)。
  • 主に、従業員を削減し、研究開発費を半分に減らし、企業売却に備えて無理やり成長させる方法をとった結果だ(31)。
  • スコット・ペーパーを売却し、巨額の報酬を受け取った後、ダンロップは自分をテーマにした本を書き、「ピンストライプのランボー」と呼ばれていると吹聴した。
  • 「わたしはランボーの映画が好きだ。成功の可能性がまったくない窮境にぶつかって、つねに勝利を収める。どう考えても勝ち目がない状況に直面し、頭を吹き飛ばされると覚悟する。
  • しかし、そうはならない。最後には悪者をやっつけて勝つ。戦争を終わらせて平和を取り戻す。わたしも同じことをしている」(32)。
  • ダーウィン・スミスも肩のこらないランボー映画を楽しむかもしれない。だが、映画を見おわった後、「ランボーにはほんとうに共感する。わたしに似ているのだ」などと妻に話すとは考えられない。
  • たしかに、スコット・ペーパーの例は、今回の調査でぶつかったなかでも劇的なものだが、例外的なわけではない。
  • 比較対象企業の三分の二以上では経営者の我が強く欲が深く、この点が会社が没落したり低迷が続く一因になっていた(33)。
  • この傾向は、持続できなかった比較対象企業にとくに強かった。
  • 能力があるが自己中心的な経営者のもとで実績が飛躍的に向上したが、やがて悪化した例が多い。
  • たとえば、リー・アイアコッカは倒産の危機にあったクライスラーを救い、アメリカ経営史に残る企業再建として称賛された(そして、称賛されるにふさわしい偉業であった)。
  • 在任期間のほぼ半分までで、クライスラー株の運用成績は市場平均の二・九倍に達した。
  • しかしその後、アイアコッカはアメリカ経営史でもとくに著名な経営者として自分を売り込むことに熱中するようになった。
  • インベスターズ・ビジネス・デイリー紙やウォール・ストリート・ジャーナル紙が伝えた日々の動向をみていくと、アイアコッカはテレビの人気トークショーに頻繁に出演し、八十を超えるCMにみずから出演し、大統領選への出馬を考え(「クライスラーの経営は国の経営より大きな仕事だ。……わたしならアメリカ経済を半年で建て直してみせる」と語ったこともある)、自伝を大々的に宣伝した。
  • 自伝の『アイアコッカ』が七百万部売れ、ロック・スター並みの人気者になった。
  • 日本を訪問した際には数千人のファンが押しかけている(34)。
  • アイアコッカの株は大いにあがったが、在任期間の後半にはクライスラー株の運用成績は市場平均を三十一パーセント下回った。
  • 目をおおいたくなるのは、アイアコッカが表舞台からしりぞいて企業の王座に伴う特権を手放すことがなかなかできなかった点だ。
  • 引退の時期を何度も遅らせたので、社内では死んでも会長職を放さないだろうとの冗談がささやかれるようになった(35)。
  • そしてようやく引退したとき、社有機とストック・オプションを提供しつづけるよう取締役会に要求している(36)。
  • 後に、有名な乗っ取り屋のカーク・カーコリアンと手を組んで、クライスラーの敵対的買収に乗り出す一幕もあった(37)。
  • クライスラーはアイアコッカが引退した後の五年間、栄光を取り戻したが、それも短期間に終わり、企業としての基礎体力が弱かったために、ドイツの自動車メーカー、ダイムラー・ベンツに買収される結果になった(38)。
  • もちろん、クライスラーが独立を失ったのは、アイアコッカだけの責任ではない。企業を売却する決定をくだしたのは、後の世代の経営陣である。だが、はっきりした事実がある。
  • アイアコッカが一九八〇年代初めになし遂げた見事な再建は持続できるものではなく、クライスラーは偉大さを永続できる企業にはならなかったのである。
  • 不屈の精神‐なすべきことを実行する
  • 第五水準のリーダーシップが謙虚さや控えめさだけではない点を理解することがきわめて重要だ。
  • もうひとつ、極端なまでの不屈の精神、禁欲的なまでの決意によって、偉大な企業に飛躍させるために必要な点は何であれ実行する姿勢がなくてはならない。
  • 飛躍を導いた指導者をどう表現するべきか、調査チームは長期にわたって論争を続けてきた。
  • 当初は、「無私の経営者」とか「奉仕型の指導者」とかの言葉を使っていた。
  • しかし、チーム内にはこの表現に対して激しい反対意見があった。
  • 「正しい言葉だとは思えない。弱いとか優柔不断とかの印象を受ける言葉だが、ダーウィン・スミスやコールマン・モックラーについてのわたしの理解はまったく違っている。偉大な企業に飛躍させるためなら、ほとんど何でも実行する人物だと思う」とアンソニー・チリコスが主張した。
  • そしてイブ・リーがこう提案した。
  • 「第五水準の指導者と呼んだらどうだろう。『無私』とか『奉仕』とかの言葉を使ったら、まったく誤った印象を与えかねない。全体像を伝えられる言葉が必要だ。表裏一体の両面を理解してもらえる言葉でなくては。謙虚の面だけをみていては、全体像がみえなくなる」
  • 第五水準の指導者は、熱狂的といえるほど意欲が強く、すぐれた成果を生み出さなければ決して満足しない。偉大な企業への飛躍に必要であれば、製紙工場を売却することも兄や弟を解雇することも辞さない。
  • ジョージ・ケインがアボット・ラボラトリーズのCEOに就任したとき、同社は医薬品業界の下位四分の一にあり、抗生物質のエリスロマイシンという金のなる木に何年も頼りきって惰眠をむさぼっていた。
  • ケインは組織を活気づかせるような個性をもった人物ではないが、それ以上に強力な点があった。
  • きわめて高い基準を掲げていたのだ。どのようなものであれ、凡庸には我慢ができず、無難なら良いと考える人たちにはまったく我慢ができなかった。
  • そこでケインは、アボットが凡庸になっている主因のひとつ、創業一族の重用を廃止する動きをはじめた。
  • 最高の人材を探して取締役と経営幹部を入れ換えていき、家系も勤務年数も、社内で重要な職につけるかどうかとはまったく関係がないことをはっきりさせた。
  • それぞれの責任範囲で業界一になる能力がなければ、職を失うことを示した(39)。
  • このような厳しい改革を進めたのだから、経営再建のために外部から乗り込んできた経営者だろうと思えるかもしれないが、ケインは入社して十八年になる古参だし、経営一族の一員で父親は元社長だ。
  • 休暇のときのケイン家の集まりは、何年か刺々しいものになったはずだ(「解雇を通知するしかなくなって申し訳ない。
  • ところで、七面鳥をもう一切れどうですか」)。
  • しかし最後には、一族は持ち株の利回りが好調になって喜ぶことになった。
  • ケインの努力で、同社は収益性の高い成長を達成できる企業に変身し、一九七四年の転換点から二〇〇〇年までの運用成績が市場平均の四・五倍になって、メルクやファイザーなどの業界の優良企業を軽く上回ったからだ。
  • アボットの直接比較対象企業であるアップジョンは、ケインと同じ時期にやはり一族の経営者に率いられていた。
  • しかしケインとは違って、アッブジョンのCEOは縁故主義による凡庸さを打ち破る強い意思を示さなかった。
  • アボットが家系には関係なく、最高の人材で主要な職を固めおわったころ、アップジョンでは一族の二流の人材が主要な職についていた(40)。
  • 両社は転換点まで性格がきわめてよく似ていて、株価動向もほとんど変わらなかったが、それ以降の二十一年間にアップジョン株は運用成績がアボット株より八十九パーセントも低くなり、一九九五年にスウェーデンの製薬会社、ファルマシアに買収された。
  • 余談ながら、ダーウィン・スミス、コールマン・モックラー、ジョージ・ケインはいずれも社内から昇進してCEOになった。
  • スタンリー・ゴールト、アル・ダンロップ、リー・アイアコッカは救世主として社外から華々しく乗り込んできた。
  • 今回の調査ではこの点がほぼ一貫したパターンになっていた。
  • 事実をみていくなら、飛躍を導くために外部から指導者を迎えて社内の大改革を行う必要があるとの見方には根拠がない。
  • それどころか、有名な変革の指導者の招聘は、卓越した業績への飛躍と持続とは逆相関の関係にある(付録二Aを参照)。
  • 偉大な企業への飛躍を導いた十一人のCEOのうち十人は社内からの昇進であり、うち三人は創業一族の一員である。
  • 比較対象企業は外部の人材を招聘した頻度が六倍も高かったが、偉大な実績を持続させることができなかった(41)。
  • 内部の人材が変革を行った好例にチャールズ・R・「コーク」・ウォルグリーン三世の業績があり、眠ったようだったウォルグリーンズを、一九七五年末から二〇〇〇年一月一日までの株式運用成績が市場平均の十五倍を上回るほどの企業に変身させた(42)。
  • ウォルグリーンは何年にもわたって経営幹部の間で自社の外食事業について対話と議論を進めた結果、ついに問題と方針を経営陣が明確に理解できるようになったと感じた。
  • 自社の事業で将来性がもっとも明るいのは、利便性が高いドラッグストア・チェーンであって、外食サービスではないのだ。
  • 一九九八年にウォルグリーンの後任としてCEOになったダン・ジョーントは、その後の動きをこう語っている。
  • コーク〔ウォルグリーン〕が経営計画委員会のある会議で、「よし、ここで期限を決めよう。外食事業から五年間で完全に撤退しよう」と言った。
  • そのとき、当社には五百店を超えるレストランがあった。ピンが落ちた音も聞こえそうな雰囲気になった。
  • 「時計が時を刻んでいることを忘れないように」とコークが念を押した。
  • ……六か月たって経営計画委員会の次の会議で、だれかが何かのおりに、外食事業からの撤退まで五年しかないと言った。
  • コークは声を荒らげるような人物ではないが、このときは机をトントンと叩いてこう言った。
  • 「よく聞いてほしい。
  • 残りの時間は四年半だ。
  • 六か月前に五年と言った。
  • いまからなら四年半だ」。
  • 翌日からは外食事業からの撤退がほんとうに進むようになった。
  • コークは動揺することはなかった。
  • 疑うこともなく、振り返ることもなかった(43)。
  • ダーウィン・スミスがキンバリー・クラークの製紙工場を売却したときと同様に、ウォルグリーンのこの決定も禁欲的といえるほどの決意が必要だった。
  • 外食事業は最大の部門だったわけではない(利益面での貢献度は大きかったが)。
  • 問題は思い入れにあった。
  • ウォルグリーンズはモルテッド・ミルクセーキを発明した企業だし、外食事業は祖父の代からの家業なのだ。
  • CEOの名前を冠したコーキーズというレストラン・チェーンまであった。
  • それでも、世界で最高になれる事業、コンビニ型ドラッグストアに資源を集中させるために長年の家業から撤退しなくてはならないのであれば、ウォルグリーンはそうする。
  • 静かに、根気強く、愚直に(44)。
  • 第五水準の指導者の物静かで根気強い性格は、外食事業の売却や乗っ取り屋との戦いといった大きな決定にあらわれているだけでなく、職人のような一途な勤勉さという仕事ぶりにもあらわれている。
  • アラン・ウルツェルは二代目であり、親から引き継いだ小さな家業を成長させて家電量販チェーンのサーキット・シティを築いた経営者だが、この特徴の全体像を見事にとらえている。
  • 比較対象企業のCEOとの違いはどこにあるのかと質問したとき、ウルツェルはこう答えた。
  • 「見栄えのいい馬と農耕馬の違いだろう。向こうは見栄えのいい馬に近いが、わたしは農耕馬に近い」(45)窓と鏡アラン・ウルツェルが自分を農耕馬だと表現したことは、二つの点を考えるとじつに面白い。
  • 第一に、ウルツェルはイェール大学で法学博士号を取得しているので、農耕馬のようだといっても頭が悪いという意味ではまったくない。
  • 第二に、農耕馬のようにはたらいた結果、見栄えの点でも最高の業績を達成できる体質を築き上げた。
  • あのジャック・ウェルチがGEの経営を引き継いだ一九八一年に、GE株とサーキット・シティ株に同額ずつ投資したとしよう。
  • 二〇〇〇年一月一日まで保有しつづけたときの運用成績はサーキット・シティ株の方が高く、GE株の六倍にも達している(46)。
  • 農耕馬にしては悪くないのではないだろうか。
  • ここまで素晴らしい実績を残しているのだから、自分の経営判断の正しさをウルツェルが話すはずだと思うかもしれない。
  • しかし、インタビューの際に会社の飛躍をもたらした上位五つの要因を順にあげるよう求めたところ、おどろくような答えが返ってきた。
  • 第一の要因は「幸運」だというのである。
  • 「素晴らしい産業で事業を展開していたので、追い風を受けてきた」そこでわれわれは反論した。
  • 超優良に飛躍した企業を選ぶとき、実績が業界平均を上回っていることを条件にした。
  • それに、比較対象企業のサイロも同じ産業で事業を展開していたし、おそらくは帆が大きかった分、追い風がもっと有利になったはずだ。
  • この点をしばらく議論したが、ウルツェルは成功を収めたのはかなりの部分、よい時期によい場所にいたためだとの主張を変えようとしなかった。
  • 後に、われわれは偉大な実績の持続をもたらしている要因は何かと質問した。
  • 「まず頭に浮かぶのは幸運だ。
  • 適任の後継者を選べたのは幸運だった」(47)幸運だというのだ。
  • 何とも場違いな言葉ではないだろうか。
  • だが、飛躍を指導した経営者とのインタビューでは、幸運が話題になることがきわめて多かった。
  • ニューコアの経営幹部とのインタビューで、適切な判断をつぎつぎにくだせたのはなぜなのかと質問した。
  • 「要するに幸運だったのだと思う」という答えであった(48)。
  • ジョゼフ・F・カルマン三世はフィリップ・モリスに飛躍をもたらした第五水準のCEOだが、自社の成功をもたらした功績は自分にはないと断言し、部下や後継者や前任者に恵まれた幸運を強調した(49)。
  • カルマンには著書があるが、社内の人たちに強く要請されて書いただけで、社外に広く配付しようとは考えもしなかったものであり、書名はなんと『わたしは幸運に恵まれた』である。
  • 冒頭部分にはこう書かれている。
  • 「わたしは人生の出発点から大きな幸運に恵まれてきた。
  • 最高の両親のもとに生まれ、遺伝子に恵まれ、恋愛で幸運に恵まれ、仕事で幸運に恵まれ、イェール大学の同窓生が一九四一年初めにワシントンに勤務するよう命令書を書き換えてくれたお陰で、北大西洋で沈められて全員が死亡した艦艇への乗り組みを危うく逃れ、海軍に勤務する幸運に恵まれ、八十五歳まで生きられる幸運に恵まれた」(50)われわれは当初、偉大な経営者がなぜここまで幸運を強調するのか、不思議に思っていた。
  • 飛躍した企業が比較対象企業とくらべて、とくに幸運に恵まれてきたことを示す事実は見当たらなかったからだ(逆に、運が悪かったことを示す事実もなかった)。
  • やがて、比較対象企業の経営者が逆のパターンになっていることに気づくようになった。
  • 失敗の原因として「運の悪さ」をあげることが多く、事業環境が悪すぎたと嘆くことが多かった。
  • ニューコアとベスレヘム・スチールを比較してみよう。どちらも鉄鋼会社で、差別化のむずかしい製品を製造している。どちらも安価な輸入品との競争にさらされている。ところが、両社の経営陣は同じ環境についての見方がまるで違っている。
  • ベスレヘム・スチールのCEOは一九八三年に、同社の経営が苦しくなっているのは何よりも輸入のためだと語った。
  • 「当社にとっての問題は第一が輸入、第二が輸入、第三が輸入である」(51)。ニューコアではアイバーソンらの経営陣が輸入品との競争を幸運、それも思いがけない幸運だと考えていた(「運に恵まれている。鉄鋼製品は重い。競争相手は重い製品を大洋の向こうから運んでこなければならないのだから、われわれはとてつもなく有利だ」)。
  • ケン・アイバーソンはアメリカ鉄鋼業界がぶつかっている問題は第一も第二も第三も輸入ではなく、経営陣にあるとみていた(52)。
  • 政府による鉄鋼製品の輸入制限に反対すると公の場で発言したほどであり、一九七七年には業界の経営者が集まった会議で、アメリカ鉄鋼業界が直面している問題の核心は経営陣が技術革新のペースについていけなくなっている点にあると主張して衝撃を与えた(53)。
  • 幸運を強調するのは、調査チームが「窓と鏡」と名付けた思考様式の一部であった。
  • 第五水準の指導者は成功を収めたときは窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す(具体的な人物や出来事が見つからない場合には、幸運をもちだす)。
  • 結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える(運が悪かったからだとは考えない)。
  • 比較対象企業の経営者はちょうど逆の思考様式をもっている。
  • 結果が悪かった場合には窓の外を見て、だれかに、何かに責任を押しつけるが、成功を収めたときは鏡の前に立って、自分の功績だと胸をはる。
  • 面白いのは、窓と鏡が客観的な現実を映してはいないことだ。
  • 窓の外にいる人たちはみな、中にいる第五水準の指導者に視線を向けて、「指導者がカギになった。指導者の指導と指針がなければ、これほどの企業にはなれなかった」と話している。
  • ところが第五水準の指導者は窓の外に視線を向けて、「見てくれ、このすばらしい人々と幸運がなければ、何も達成できなかった。わたしは幸運に恵まれている」と語る。
  • もちろん、どちらの主張も正しい。だが、第五水準の指導者はこの事実を認めようとしない。
  • 第五水準のリーダーシップを習得する
  • 最近、わたしは経営幹部の集まりで第五水準という調査結果について話す機会があった。CEOに昇進したばかりだという女性が手をあげて、こう質問した。
  • 「飛躍をもたらした指導者についての話は、たしかにそうだろうと思った。しかし、不安にもなっている。鏡を見ると、自分が第五水準でないのはたしかだと思う。少なくともいまはそうなっていない。わたしがCEOになれたのは、押しが強いからでもある。そこで質問したい。第五水準の指導者でなければ、偉大な企業を築くことはできないのだろうか」わたしはこう答えた。
  • 「偉大な会社を築くには第五水準の指導者でなければならないのか、たしかなことはいえない。わたしにできるのは、データを指摘することだけだ。フォーチュン誌の大企業五百社に入った企業、一四三五社が当初の調査対象になった。このうち、きわめて厳しい基準を満たした企業は十一社しかなかった。この十一社のすべてで、決定的な転換の時期にCEOなどの主要な地位を第五水準の指導者が占めていた」
  • この女性はそこで坐り、しばらく沈黙していたが、会場にいた全員が肝心の質問をするようこの女性に促しているように思えた。
  • ついに、もう一度立って質問した。
  • 「学習によって第五水準の指導者になることは可能ですか」世の中には二種類の人間がいるとわたしは考えている。第五水準の芽をもっている人ともっていない人である。
  • 第一の種類の人たちはたとえ百万年待っても、自分自身より大きく、自分の死後にも永続するものを築く大きな野心のために私利私欲を抑えようとは考えない。
  • これらの人たちはつねに、何よりも仕事で得られる名声や財産や追従や権力などに関心をもっており、仕事によって築き上げるもの、創造するもの、寄与できるものには関心をもっていない。
  • 皮肉なもので、権力のある地位にまでのぼりつめる際に原動力になることが多い個人的な野心は、第五水準のリーダーシップに必要な謙虚さと矛盾している。
  • そのうえ、取締役会には、押しが強い並外れた人物を選ばなければ偉大な組織を築くことはできないとの誤った信念がある場合が多い点を考えれば、第五水準の指導者に率いられた組織がめったにない理由も簡単に理解できる。
  • 第二の種類は人数がはるかに多いのではないかと思うが、第五水準になりうる人たちである。たぶん埋もれているか無視されているのだろうが、その能力がたしかにある。
  • そして、自分を見つめる機会、意識的な努力、指導者、偉大な教師、愛情豊かな両親、世界観が変わるような体験、第五水準の上司などの条件があると、本来の能力が開花するようになる。
  • データをみていくと、今回の調査の対象になった指導者のうち何人かは、世界観が変わるような体験をしており、それが契機になって人間として円熟したとも思える。
  • ダーウィン・スミスは癌に侵されてから、能力が開花している。
  • ジョゼフ・カルマンは第二次大戦での経験、とくにぎりぎりの段階の命令変更で降りた艦艇がその後に沈められ、全員が戦死したことにきわめて深い影響を受けた(54)。
  • 強い信仰や改宗が第五水準の特徴の発達を促すとも思える。
  • たとえばコールマン・モックラーは、ハーバード大学経営学大学院で学んでいるときに福音派に改宗した。
  • 著書の『最先端』によれば、ボストンで企業幹部のグループを組織し、頻繁に朝食会を開いてキリスト教の価値観をビジネスに活かす方法を議論したという(55)。
  • しかし、残りの指導者はとくにきっかけになる体験があったわけではない。
  • ごく普通の人生を歩み、やがて第五水準の頂点に立つようになっている。
  • 第五水準の指導者になりうる人材はきわめて多いのではないかとわたしは思っている(証明はできないが)。
  • 問題は、第五水準の指導者になりうる人材の不足ではないのだろう。
  • 周囲にたくさんいるのだが、どの点に注目すれば見つけられるのかが分からない。
  • では、何に注目すればいいのか。
  • 異例なほど素晴らしい実績があがっているのに、それは自分の功績だとしゃしゃりでる人物がいない状況をさがしてみよう。
  • おそらくは、第五水準の指導者になりうる人材が関与している。
  • 能力開発という観点で、第五水準になるための十段階といった形でノウハウをまとめられれば素晴らしいと思う。
  • しかし、たしかなノウハウを提供できるほどしっかりした調査データは集まっていない。
  • われわれの調査では、偉大な企業への飛躍をもたらすブラック・ボックスの内部を調べた結果、第五水準のリーダーシップがカギになることが分かった。
  • だが、ブラック・ボックスのなかにはもうひとつ、ブラック・ボックスがあった。
  • 個人が第五水準に到達する仕組みがそれである。
  • この内部のブラック・ボックスのなかに何があるのか、推測することはできる。
  • だが、その大部分は推測の域を抜け出せない。
  • 要するに、第五水準のリーダーシップはきわめて確かな概念、強力な考えであり、偉大な企業への転換をうまく進めるために、おそらくは不可欠な点である。
  • 「第五水準への十段階」といったノウハウを作れば、この概念を矮小化する結果になるのではないだろうか。
  • 今回の調査に基づいて最善と思える助言を記しておくなら、偉大な企業への飛躍をもたらした他の要因を実行することからはじめるのがいいだろう。
  • 今回の調査で、第五水準のリーダーシップとその他の要因の間に切っても切れない関係があることが分かった。
  • 一方では、第五水準の特徴があれば、他の要因を実行できる。
  • その一方で、他の要因を実行していけば、第五水準に達しやすくな
  • る。
  • つまり、こう考えればいい。
  • この章は、第五水準の指導者がどういうものかを論じている。
  • 残りの章は、第五水準の指導者が何をしているかを論じている。
  • 他の要因を実践していけば、正しい方向に進むことができる。
  • そうしても、完全な第五水準に到達できるという保証があるわけではないが、何からはじめるべきかは明確になる。
  • 第五水準になりうる素質をもつ人がどれだけの割合でいるのか、そのうち何人が素質をのばせるのか、たしかなことは分からない。
  • 第五水準のリーダーシップを発見したわれわれですら、自分たちが完全な第五水準に到達できるのかどうか、分かっていない。
  • しかし、この点について調査研究を行った者は全員、この考えに深い影響を受けている。
  • ダーウィン・スミス、コールマン・モックラー、アラン・ウルツェルら、今回の調査で知るようになった第五水準の指導者は、われわれ全員にとって模範になり、目指すべき目標になった。
  • 第五水準まで達するかどうかは別にして、それを目指して努力する価値はある。
  • 人間にとって最高のものについての基本的な真理がいずれもそうであるように、真理の一端をかいま見ることができたとき、その方向に向かって努力すれば、自分自身の人生も自分が関係するものも良くなっていくのだから。
  • 章の要約
  • 第五水準のリーダーシップ要点・偉大な実績に飛躍した企業はすべて、決定的な転換の時期に第五水準の指導者に率いられていた。
  • ・「第五水準」とは、企業幹部の能力にみられる五つの水準の最上位を意味している。第五水準の指導者は個人としての謙虚さと職業人としての意思の強さという矛盾した性格をあわせもっている。野心的であるのはたしかだが、野心は何よりも会社に向けられていて、自分個人には向けられていない。
  • ・第五水準の指導者は次の世代でさらに偉大な成功を収められるように後継者を選ぶが、第四水準の経営者は後継者が失敗する状況を作りだすことが少なくない。
  • ・第五水準の指導者は徹底して謙虚であり、控えめで飾らない。これに対して比較対象企業の三分の二以上では経営者の我が強く欲が深く、この点が会社が没落したり低迷が続く一因になっていた。
  • ・第五水準の指導者は、熱狂的といえるほど意欲が強く、すぐれた成果を持続させなければ決して満足しない。偉大な企業への飛躍に必要であれば、どれほど大きな決定でも、どれほど困難な決定でもくだしていく。
  • ・第五水準の指導者は職人のように勤勉に仕事をする。見栄えのいい馬より農耕用の馬に近い。
  • ・第五水準の指導者は成功を収めたときは窓の外を見て、自分以外に成功をもたらした要因を見つけ出す。結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える。比較対象企業の経営者はその逆の態度をとることが多い。成功を収めたときは鏡を見て、自分の功績だと考えるが、結果が悪かったときは窓の外を見て責任を押しつける。
  • ・最近の傾向のなかでとくに害が大きいものに、派手で有名な経営者を選び、第五水準の指導者になりうる人材を排除する傾向がある(とくに取締役会にこのような傾向がある)。
  • ・第五水準の指導者になりうる人材は、どの点に注目して探せばいいのかが分かれば、周囲にたくさんおり、第五水準になりうる素質をもった人も多いとみられる。予想外の調査結果・非凡で有名な変革の指導者の招聘は、偉大な企業への飛躍とその持続と逆相関の関係にある。飛躍を導いた十一人のCEOのうち十人は社内からの昇進であり、比較対象企業は外部の人材を招聘した頻度が六倍も高かった。
  • ・第五水準の指導者は成功をもたらした要因として、個人の偉大さではなく、幸運をあげている。
  • ・われわれは当初、第五水準のリーダーシップやそれに近いものを探していたわけではないが、データの圧倒的な説得力によって、この概念に行き着いた。第五水準のリーダーシッブは事実から導き出された概念であり、何らかの思想に基づく概念ではない。
  • 第三章だれをバスに乗せるか──最初に人を選び、その後に目標を選ぶ
  • だれかを待つわけにはいかないときがある。そのとき参加者はバスにのっているか降りているか、どちらかになる。ケン・キーシー、トム・ウルフ著『クール・クールLSD交感テスト』より引用(1)
  • 今回の調査をはじめたとき、良好な企業を偉大な企業に飛躍させるためにはまず、新しい方向や新しいビジョン、戦略を策定し、つぎに新しい方向に向けて人びとを結集するのだろうとわれわれは予想していた。
  • 調査の結果は、まったく逆であった。
  • 偉大な企業への飛躍をもたらした経営者は、まずはじめにバスの目的地を決め、つぎに目的地までの旅をともにする人びとをバスに乗せる方法をとったわけではない。
  • まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、その後にどこに向かうべきかを決めている。
  • 要するに、こう言ったのである。
  • 「このバスでどこに行くべきかは分からない。しかし、分かっていることもある。適切な人がバスに乗り、適切な人がそれぞれふさわしい席につき、不適切な人がバスから降りれば、素晴らしい場所に行く方法を決められるはずだ」飛躍を導いた指導者は、三つの単純な真実を理解している。
  • 第一に、「何をすべきか」ではなく「だれを選ぶか」からはじめれば、環境の変化に適応しやすくなる。人びとがバスに乗ったのは目的地が気に入ったからであれば、十キロほど走ったところで行く先を変えなければならなくなったとき、どうなるだろうか。
  • 当然、問題が起こる。だが、人びとがバスに乗ったのは同乗者が気に入ったからであれば、行く先を変えるのははるかに簡単だ。
  • 「このバスに乗ったのは、素晴らしい人たちが乗っているからだ。行く先を変える方がうまくいくんだったら、そうしよう」。
  • 第二に、適切な人たちがバスに乗っているのであれば、動機付けの問題や管理の問題はほぼなくなる。
  • 適切な人材なら厳しく管理する必要はないし、やる気を引き出す必要もない。最高の実績を生み出そうとし、偉大なものを築き上げる動きにくわわろうとする意欲を各人がもっている。
  • 第三に、不適切な人たちばかりであれば、正しい方向が分かり、正しい方針が分かっても、偉大な企業にはなれない。偉大な人材が揃っていなければ、偉大なビジョンがあっても意味はない。
  • ウェルズ・ファーゴの例をみてみよう。
  • 同行が十五年以上にわたって素晴らしい実績を残すようになったのは一九八三年からだが、飛躍の基礎が築かれたのは一九七〇年代初め、CEOのディック・クーリーが銀行業界でもとくに優秀な経営陣(投資家のウォーレン・バフェットによれば、間違いなく最優秀の経営陣)を築く動きを開始したときである(2)。
  • クーリーは銀行業界がいずれ厳しい変化の時期をむかえると予想していたが、どのような形で変化が起こるかは分からないと率直に語っていた。
  • そこで変化に備えた戦略を策定するのではなく、アーニー・アーバックル会長と協力して、同行に「人材を限りなく注入していく」ことに全力をあげた。
  • いつでもどこででも傑出した人材が見つかりしだい採用し、何を任せるかがはっきりしないまま雇用することも少なくなかった。
  • 「これが将来を築く方法だ。今後の変化を予想する力がわたしになくても、これらの人材にはある。きわめて柔軟なので、変化に対応できる」とクーリーは語っている(3)。
  • まさに将来を見通した方法であった。
  • 銀行業界の規制緩和によって起こる変化を予想しつくすことはだれにもできなかった。だが、実際に変化が起こったとき、ウェルズ・ファーゴほどうまく対応できた銀行はなかった。
  • 株式運用成績をみると、銀行セクター全体が市場平均を五十九パーセント下回った時期に、ウェルズ・ファーゴ株は逆に、市場平均の三倍以上になった(4)。
  • 一九八三年にCEOに就任したカール・ライヒャルトはインタビューで、同行の成功の大部分は周囲の人たちの功績であり、周囲の人たちのほとんどはクーリーから引き継いだ人材だと語っている(5)。
  • クーリーとライヒャルトの時期に入った経営幹部としてあげられた名前を聞いて、われわれはおどろいた。
  • ほとんど全員が大手金融機関のCEOになっているのだ。
  • ビル・オールディンガーは消費者ローン大手のハウスホールド・ファイナンスのCEOになった。
  • ジャック・グルントホファーはUSバンコープのCEOになった。
  • フランク・ニューマンはバンカース・トラストのCEOになった。
  • リチャード・ローゼンバーグはバンク・オブ・アメリカのCEOになった。
  • ボブ・ジョスはオーストラリアの大手銀行、ウェストパック・バンキングのCEOになり、その後にスタンフォード大学経営学大学院の学部長になった。
  • この経営陣の陣容はまったく半端ではない。
  • フェルズ・ファーゴの社外取締役に就任して十七年になるアージャイ・ミラーはこの経営陣について、一九四〇年代後半にフォード・モーターにくわわったあの「神童」のようだと語っている(ミラーはその一員であり、後にフォードの会長になった)(6)。
  • ウェルズ・ファーゴがとった方法は単純であった。
  • 最高の人材を集め、業界一の経営幹部になるように鍛え、そのうち何人かは他社に引き抜かれてCEOになっても、それを現実として受け入れるというものである(7)。
  • バンク・オブ・アメリカはまったく違った方法をとった。
  • クーリーが可能なかぎり最高の人材をつぎつぎに採用していたころ、ゲーリー・ヘクター著『巨大銀行の崩壊』によれば、バンク・オブ・アメリカは「弱い将軍と強い部下」という方法をとっていた(8)。
  • 強い将軍を主要なポストにつければ、競争相手だった優秀な人材が流出する。だが、弱い将軍なら(有能な経営幹部ではなくお飾りであれば)、優秀な部下が流出する恐れは少なくなる。
  • 弱い将軍を選ぶ方法をとったために、バンク・オブ・アメリカとウェルズ・ファーゴとでは企業文化がまったく違ったものになった。
  • ウェルズ・ファーゴでは経営陣が対等の立場で激烈な議論を繰り広げて最高の答えを探していったが、バンク・オブ・アメリカでは弱い将軍が上からの指示をおとなしく待っていた。
  • 弱い将軍を率いる立場になったサム・アーマコストは経営陣の雰囲気についてこう語っている。
  • 「最初の何回かの経営会議で暗い気分になった。異論が出てこないだけでなく、意見すら引き出せなかった。皆、風がどの方向に吹いているのかをみきわめようとしていた」(9)
  • バンク・オブ・アメリカの元幹部のひとりは、一九七〇年代の経営幹部を、どんな形にもなる「プラスチックのようだ」と評している。
  • ワンマン型のCEOの命令を黙々と実行するよう訓練されていたというのだ(10)。
  • 八〇年代半ばに十億ドルを超える赤字を出した後、経営再建のために強い将軍を何人も採用するようになった。
  • 強い将軍はどこで探したのか。
  • すぐ目の前に本店があるウェルズ・ファーゴからだ。
  • 経営再建をはかったこの時期、ウェルズ・ファーゴから引き抜かれた幹部がきわめて多かったため、これら幹部が「ウェルズ・オブ・アメリカ」を自称するようになったほどである(11)。
  • そうなったころには、バンク・オブ・アメリカも回復軌道に乗るようになっていたが、改革は小幅すぎたし遅すぎた。
  • 一九七三年から九八年まで、ウェルズ・ファーゴは準備段階から突破段階へと進んでいったが、バンク・オブ・アメリカは株式運用成績が市場平均にも達していない。
  • 以上を読んで、こう考える読者もいるだろう。
  • 「経営の常識ではないか、適切な人材を集めるというのは。どこが新しいというのか」と。ある意味ではたしかにそうだ。
  • 昔から説かれている経営の鉄則のひとつだ。
  • しかし、良好から偉大に飛躍した企業には二つの際立った特徴があり、常識とは異なっている。
  • はっきりさせておきたいが、この章の要点は適切な人材を集めることだけではない。
  • それだけであれば、新しい点は何もない。
  • まずはじめに適切な人をバスに乗せ、不適格な人をバスから降ろし、その後にどこに行くかを決めること、これがこの章の要点である。
  • もうひとつ、第二の要点として、偉大な企業への飛躍には、人事の決定に極端なまでの厳格さが必要なことがあげられる。
  • 「最初に人を選ぶ」という原則は、きわめて簡単に理解できるが、実行するのは極端にむずかしい。そして、ほとんどの場合、うまく実行できていない。
  • 人事の決定に注意を払うべきだと語るのは簡単だが、ファニーメイのマクスウェルのように徹底した姿勢をとれる経営者がはたして何人いるだろうか。
  • マクスウェルは適切な人材を集めおわるまで、経営戦略の策定を棚上げにしたが、そのとき、ファニーメイは一営業日当たり百万ドルの赤字を出し、総額五百六十億ドルのローンが採算割れになっていたのである。
  • ファニーメイの最悪期にCEOに就任したとき、取締役会からは会社を救う方法を一刻も早く明らかにするよう求められた。
  • 早く行動し、それも劇的な行動をとり、ハンドルを握って車を発進させるよう強い圧力を受けていたわけだが、まずは経営陣に適切な人材を集めることに全力を投入した。
  • 最初にとった行動は、幹部全員を対象にしたインタビューだった。幹部に坐るようすすめて、こう話した。
  • 「これからきわめて厳しい課題に取り組むことになる。どれほど厳しい仕事になるか、よく考えてほしい。そんな厳しい仕事はかなわないというのであれば、それはそれでいい。だれからも憎まれたりはしない」(12)マクスウェルは誤解の余地のないほど明確に言いわたした。
  • 今後はAクラスの力をもち、Aクラス上位の努力をする人にしか席はない。この基準に満たないのであれば、バスを降りるほうがいいし、それもいますぐ降りる方がいいと(13)。
  • ある幹部はそれまでの勤め先を辞め、引っ越しもして入社したばかりだったが、マクスウェルに面会し、「お話はよく分かった。残ろうとは思わない」と話した。この幹部は退職して、もとの勤め先に戻っている(14)。
  • 結局、二十六人の幹部のうち十四人が退職し、金融業界でもとびきり優秀で仕事熱心な幹部が代わりに採用された(15)。
  • おなじ基準が上から下まで、組織のすべてに適用された。すべての階層の管理者が担当部門の実力を高めるようになり、同僚からの圧力も強まった。
  • ついていけなくなった人たちが辞めていき、当初は離職率が高まった(16)。
  • ある経営幹部によれば、「要するにこう言った。ファニーメイではその場しのぎは通用しない。自分の仕事を深く理解しているのかいないのか、どちらかだ。理解していないのなら、ここにはいられないと」(17)
  • ウェルズ・ファーゴとファニーメイが示しているのは、「だれを選ぶか」をまず決めて、つぎに「何をすべきか」を決める考え方である。
  • ビジョンも、戦略も、戦術も、組織構造も、技術も、「だれを選ぶか」を決めた後に考える。ディック・クーリーもデービッド・マクスウェルも第五水準の典型であり、こう考えている。
  • 「会社をどこに導くべきかは分からない。しかし、適切な人材を集め、的を射た質問をして徹底的に議論していけば、偉大な企業に飛躍する道をかならず見つけ出せる」
  • 「一人の天才を一千人で支える」方式はとらない
  • 飛躍した企業が層の厚い強力な経営陣を築き上げているのに対して、比較対象企業では、「一人の天才を一千人で支える」方式をとっている場合が多いことが印象的であった。
  • この方式では会社は、並外れた人物が才能を発揮するための舞台である。
  • 突出した天才は会社の成功をもたらす原動力であり、会社にとって貴重な資産だ(ただし、天才が会社を率いている間は)。
  • 偉大な経営陣を築き上げることはめったにない。理由は簡単で、経営陣が優秀である必要はないし、優秀な部下を嫌うことも多いからだ。
  • 天才であれば、ウェルズ・ファーゴのような一流の経営陣はいらない。大企業を率いる力をもった人材を何人も集める理由はない。必要なのはよき兵士であり、偉大な考えを実行できる優秀な部隊である。
  • しかし、天才が去ってしまえば、兵士はなすすべがなくなることが多い。あるいはもっと悪い状態になる。
  • 天才ではない後任者が天才の方式をまねて大胆な行動をとろうとし、失敗を重ねていく。
  • エッカード・コーポレーションでは、「何をすべきか」を判断する点で天才的だが、経営陣に適切な人材を集める能力がほとんどない、そういう指導者が重荷になった。
  • ジャック・エッカードはおどろくほど精力的で(フロリダ州知事選挙の運動をしながら、会社の経営を続けた)、市場を見抜く力と取引をまとめる力に恵まれ、デラウェア州ウィルミントンの二つの小さな店舗を出発点に、アメリカ南東部に一千店を超えるドラッグストアのチェーンを築き上げている。
  • 一九七〇年代後半には売上高でウォルグリーンズに並び、ドラッグストア業界を代表する偉大な企業になるとも思えた。
  • だが、ジャック・エッカードは政治に熱意を燃やして経営から身を引き、上院議員選挙に出馬し、フォード政権にくわわってワシントンに移った。
  • 天才的な指導者を失った同社は長期にわたって低落するようになり、結局J・C・ペニーに買収された(18)。
  • ジャック・エッカードとコーク・ウォルグリーンの違いは鮮やかだ。
  • エッカードが買収する店舗を選ぶ点で天才的だったのに対し、ウォールグリーンは適切な人材を採用する点で天才的であった(19)。
  • エッカードがどのような店舗をどの立地に開くかを判断する能力に恵まれていたのに対し、ウォルグリーンはどの人をどの席に割り振るかを判断する能力に恵まれていた。
  • エッカードが経営者にとってもっとも重要な決定である後継者の選択でみじめなほど失敗したのに対して、ウォルグリーンは何人もの傑出した候補者を育て、スーパースターを後継者として選んだ(選んだ本人以上の実績をあげる力をもった後継者だ)(20)。
  • エッカードが有能な経営幹部のチームを作らず、偉大な天才を支える兵士を集めたのに対して、ウォルグリーンは業界でもっとも優秀な経営陣を築き上げた。
  • エッカード社では戦略決定にあたって主に、ジャック・エッカードの頭脳に頼っていたのに対して、ウォルグリーンズでは戦略決定にあたって、有能な経営陣の議論と意見交換を基礎にしていた。
  • 「一人の天才を一千人で支える」方式は、持続できなかった比較対象企業にとくに目立っていた。
  • その典型例は「スフィンクス」と呼ばれた経営者、テレダインのヘンリー・シングルトンだ。
  • シングルトンはテキサスの牧場で育った子供のころから、偉大な実業家になるのが夢で、荒々しい個人主義の経営者を模範にしていた。
  • マサチューセッツ工科大学で博士号を取得した後、テレダインを設立した(21)。
  • この社名は「遠くからはたらく力」を意味するギリシャ語からとったものである。
  • 広範囲に広がる企業帝国をシングルトン個人の力でまとめるようになったことを考えると、まさにぴったりの社名だ。
  • シングルトンは企業買収をつぎつぎに行って、小さな企業をわずか六年でフォーチュン誌のアメリカ大企業五百社で二百九十三位になるまでに成長させた(22)。
  • わずか十年で百社以上を買収し、希金属から保険まで、百三十もの事業を展開する大帝国を築き上げた(23)。
  • おどろくべきことに、この大帝国がうまく機能した。
  • シングルトンがすべての部分の動きをひとつにまとめる役割を果たしていたからだ。シングルトンはこう語ったこともある。
  • 「わたしの仕事は、その時々に会社にとって最善の動きだとわたしに思える点を、自由に実行することだと考えている」(24)。
  • フォーブス誌は一九七八年の特集記事で、「シングルトンは謙虚さの点で賞を受けることはないだろうが、その目ざましい実績を畏怖しない者がいるだろうか」と書いている。
  • シングルトンは七十歳をすぎても何年も経営を続け、後継者について真剣に考えることはなかった。
  • 自分の突出した才能を発揮する舞台にすることが会社経営の目的なのだから、後継者の心配をする必要などなかったのだ。
  • フォーブス誌はおなじ特集で、こうも記している。
  • 「この素晴らしい全体像にたったひとつ弱点があるとすれば、この点だ。テレダインは組織によってではなく、ひとりの経営者がもつ希有な統率力によって動いているのだ」(25)
  • この弱点はほんとうに大きなものであった。一九八〇年代半ばにシングルトンが経営の第一線から身を引くと、大帝国は崩壊への道を歩みはじめた。
  • 八六年末から九五年にアレゲニーと合併するまでの間、テレダイン株の運用成績は急落し、市場平均を六十六パーセント下回った。
  • シングルトンは大実業家になる子供のころからの夢を実現したが、偉大な企業を築く点ではまったく失敗している。
  • だれに報酬を支払うかが問題で、どう支払うかは問題ではない
  • われわれは当初、奨励給制度、とくに経営陣向けの奨励給制度が、企業の飛躍と密接な関係があると予想していた。
  • 経営陣の報酬がここまで注目を集めていて、ストック・オプションが重視されるようになり、巨額の報酬が一般的になってきたのだから、報酬の総額と構造が飛躍の際に重要な要因になっているに違いないと考えたのだ。
  • それ以外の方法で、偉大な実績を生み出す正しい行動をとるよう人びとを促すことはできるのであろうか。この予想はまったくの間違いであった。
  • 経営陣の報酬と飛躍とを結び付けるような一貫したパターンは発見できなかった。経営陣の報酬のある仕組みが偉大な企業への飛躍をもたらす主要な要因になるとの見方を裏付ける事実はなかった。
  • われわれは何週間もかけて、議決権行使勧誘書類から経営陣の報酬に関するデータを集め、百十二種類の分析を行ってパターンや相関性を調べていった。
  • 経営陣上位五人の報酬について、数量化できる部分をすべて検討した。現金か株式か、長期的な奨励給か短期的な奨励給か、俸給かボーナスかなどなどである。
  • ストック・オプションを重視している企業もあれば、重視していない企業もあった。俸給が高い企業もあれば、高くない企業もあった。ボーナスが多い企業もあれば、多くない企業もあった。
  • 経営陣の報酬のパターンが比較対象企業と違っているかどうかを分析した結果のうちとくに重要な点をあげるなら、ストック・オプションの使い方、俸給の高低、ボーナスの使い方、長期的な報酬の有無に一貫した違いは見つからなかった。
  • 統計的に意味のある違いがあったのはただひとつ、飛躍を導いた経営陣が転換点から十年間に、凡庸さから抜け出せていない比較対象企業の経営陣よりも、現金報酬の総額が若干少なかった点だけであった(26)。
  • 経営陣の報酬はどうでもいいわけではない。
  • 報酬は合理的で適切でなければならない(コールマン・モックラー、デービッド・マクスウェル、ダーウィン・スミスが無報酬ではたらくとは思えない)。
  • そして飛躍した企業は経営陣の報酬をどうすべきか、時間をかけて検討している。
  • しかし、基本的な点で問題のない制度ができれば、経営陣の報酬は企業を良好から偉大に飛躍させる点で違いをもたらす要因ではなくなる。
  • どうしてなのだろう。「最初に人を選ぶ」原則がここにもあらわれているのである。つまり、問題は経営陣への報酬をどのように決めるかではなく、報酬支払いの対象になる経営陣をどのように選ぶかなのだ。
  • 適切な経営陣をバスに乗せれば、経営陣は偉大な会社を築くために全力をつくす。それも、その結果得られる報酬のために努力するのではなく、偉大だとはいえない状況には満足できないから努力するのだ。
  • 一流のものを築かなければ満足できないのであって、報酬制度をどう変えようとも、この価値観は変わらない。呼吸をするのと変わらぬほど自然なことだからだ。
  • 偉大な企業は単純な真実を知っている。適切な人は奨励給制度がどうであろうと、適切な行動をとって最善の実績を生み出すのだ。
  • 報酬と奨励給は重要だが、偉大な企業では、これが重要な理由が大きく違っている。
  • 報酬制度の目的は、不適切な人びとから正しい行動を引き出すことにはなく、適切な人をバスに乗せ、その後もバスに乗りつづけてもらうことにある。
  • 経営陣以外の報酬制度については、ここまで厳密な調査はできなかった。
  • 経営陣の報酬については議決権行使勧誘書類に一定の書式で記載されているが、経営陣以外の報酬制度についてはここまで一貫したデータは入手できない。
  • だが、原資料や記事などから集めた事実をみていくと、おなじ考え方が上から下まで、組織のすべてに適用されているようだ(27)。
  • この点がとくに鮮明なのはニューコアだ。
  • 同社の事業は、農民に鉄鋼生産の方法を教えることはできても、農民の労働観をもたない人たちにこの労働観を教えることはできないとの見方に基づいて構築されている。
  • そこで、ピッツバーグやゲーリーなどの鉄鋼の町にではなく、インディアナ州クローフォーズビル、ネブラスカ州ノーフォーク、ユタ州プリマスなど農村地帯に工場を建設している。
  • 工場の周囲には農民がたくさんいる。夜は早く寝て、夜明けとともに起き、すぐに仕事に出ていく。
  • 「乳絞りをしよう」「昼までに北の畑を四十枚耕そう」という姿勢は簡単に「鋼板の圧延をやろう」「昼までに四十トンの鋳造を終えよう」に変えられる。
  • ニューコアはこの労働観をもたない従業員をはじきとばすので、工場が操業をはじめて一年目には離職率が五十パーセントにも達する。
  • その後は適切な人材が長期にわたって勤務するので、離職率が極端に低くなる(28)。
  • ニューコアは最高の人材を引きつけ維持するために、世界の鉄鋼業界で最高の賃金を工場の従業員に支払っている。
  • しかし賃金制度では、きわめて高い基準を達成したチームに支払われるボーナスが中心になっており、従業員が受け取る賃金の半分以上が、二十人から四十人のチームの生産性に連動している(29)。
  • 従業員は通常、始業時間の三十分前には出勤して工具などを用意し、始業のベルがなると同時に一斉に作業にとりかかる(30)。
  • 同社のある経営幹部はこう語っている。
  • 「当社の鉄鋼労働者は世界でもっとも仕事熱心だ。五人が十人分の仕事をして、八人分の賃金を受け取っている」(31)
  • ニューコアの方式は、怠け者が勤勉にはたらくようになることを目指してはいない。仕事熱心な従業員がはたらきやすく、怠惰な従業員がバスから降りるか放り出されるように、職場の環境を作り上げているのだ。
  • 極端な例をあげるなら、ある従業員のやる気のなさに腹を立てて、チームの他の従業員が鉄棒を振り回して工場から追い払ったことがあった(32)。
  • ニューコアは「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言を否定している。偉大な企業への飛躍に際して、人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。
  • このニューコアの事例をみると、重要なポイントが浮き彫りになる。
  • どういう人が「適切な人材」なのかを判断するにあたって、飛躍を遂げた企業は学歴や技能、専門知識、経験などより、性格を重視している。
  • 具体的な知識や技能が重要でないというわけではない。
  • だが、これらは教育できるが(少なくとも学習できるが)、性格や労働観、基礎的な知能、目標達成の熱意、価値観はもっと根深いものだとみているのである。
  • ピットニー・ボウズのデーブ・ナセフはこう語っている。
  • わたしは海兵隊出身だが、海兵隊は将兵に価値観をたたき込む点で大きな成果をあげているとされている。
  • だが実際はそうではない。
  • 海兵隊はみずからの価値観にあった人材を採用して、隊の任務を遂行できるように訓練しているのだ。
  • ピットニー・ボウズでも同じ方針をとっている。
  • 当社にはたいていの企業より、適切な行動をみずからとろうとする従業員が多い。採用にあたって、職歴だけに注目することはない。
  • どういう人物なのか、どういう価値観をもっているのかに注目する。どういう人物なのかを知るために、これまでの人生でくだした決定の理由を質問する。その答えで基本的な価値観が分かる(33)。
  • 超優良企業のある経営幹部は、業界での業務経験がない人や職歴がない人を採用して大成功を収めたことが少なくないと語っている。第二次大戦で二度捕虜になり、二度とも脱走に成功した人を採用したこともあるという。「それができた人なら、ビジネスは問題なくこなすだろうと考えた」(34)
  • 厳格であって冷酷ではない
  • 偉大な企業はおそらく、職場としてみた場合に厳しいところだと思えるだろう。たしかに厳しい。会社が求める資質がなければ、たぶん長くははたらけない。
  • しかし、これら企業の文化は冷酷ではない。厳格なのだ。この違いはきわめて重要である。
  • 冷酷とは、事業環境が悪くなると人員を大幅に削減したり、普段でも、真剣に検討することなく気まぐれに解雇したりすることを意味する。
  • 厳格とは厳しい基準をつねに、組織内のすべての階層に適用し、とくに上層部に厳しく適用することを意味する。
  • 厳格であって冷酷ではないのであれば、優秀な従業員は自分の地位を心配することなく、仕事に全神経を集中させることができる。
  • 一九八六年、ウェルズ・ファーゴはクロッカー銀行を買収し、統合の際に余分なコストを大幅に削減する計画を立てた。これ自体はめずらしくもない。
  • 規制緩和時代の銀行の合併はすべて、保護され水膨れしてきた業界の過剰なコストを削減することを狙いとしていた。
  • だが、クロッカーの統合では、経営幹部と管理職の統合の方法が異例であった。
  • もっと正確にいうなら、クロッカーの幹部の大部分を企業文化が違う自行に統合しようと試みさえしなかった点で異例である。
  • ウェルズ・ファーゴの経営陣は当初から、クロッカーの幹部のほとんどがバスに乗るには不適切だとの結論を出していた。昔ながらの銀行家で、伝統と特権にひたりきってきた。
  • 大理石をはりつめた経営幹部用の食堂があり、シェフがいて総額五十万ドルの陶器がある(35)。
  • これに対してウェルズ・ファーゴは質実剛健で、経営陣は学生寮用食堂の運営会社が作った食事を食べている(36)。
  • ウェルズ・ファーゴはクロッカーの幹部に方針を率直に伝えた。
  • 「これは対等合併ではなく、買収だ。支店や顧客は買い取ったが、幹部まで買ったわけではない」。
  • クロッカーには管理職が一千六百人いたが、その大部分は統合した日に解雇した。とくに経営陣はほぼ全員解雇している(37)。
  • 「ウェルズ・ファーゴが自行の従業員や幹部を守っただけだ」という批判もあるだろう。だが、以下の事実を考えてみるべきだ。
  • クロッカーの幹部の方が優秀だと判断した場合には、自行の幹部の何人かも解雇しているのだ。
  • そして経営陣に関しては、ウェルズ・ファーゴの基準はきわめて厳しく、しかも一貫している。
  • プロ・スポーツのチームと同様に、最高の実績をあげた幹部だけが毎年の査定を通過でき、地位や勤続年数は考慮されない。
  • ある経営幹部はこう語っている。
  • 「成績の良い人たちに報いる方法は、成績の良くない人たちに足を引っ張られないようにすることしかない」(38)表面的には、いかにも冷酷だと思える。
  • だが、事実をみていくなら、クロッカーの幹部は一般的にいって、ウェルズ・ファーゴの幹部より力が落ち、業績重視の企業文化のなかではいずれ脱落したはずである。
  • 長期間にわたってバスに乗りつづけることができないのであれば、苦しみを早い時期に受けた方がいいのではないだろうか。
  • ウェルズ・ファーゴのある経営幹部がこう語っている。
  • 「これは買収であって対等合併ではないことにはだれも異存はなかった。そして、事実を率直に話さず、遠回しに分からせようとするのは無茶だとも考えた。そして、初日に実行するのが最善だと判断した。
  • あらかじめ計画を立てて、『申し訳ないが、ポストはない』か『ポストはあるので、心配しないでほしい』かどちらかを初日に通告できるようにした。一千人もの解雇でわれわれの文化を破壊するわけにはいかない」(39)
  • 旧クロッカーの幹部が数か月から数年もこの先どうなるかと不安におびえる状態にし、いずれにせよ自行ではうまくやっていけないことが目に見えているのに、他に仕事を探すのに使える貴重な時間を無駄に使わせるのであれば、それこそ冷酷である。
  • 早い時期に結論をだして、それぞれが再出発できるようにするのは、厳格であって冷酷ではない。クロッカーの統合が簡単だったというわけではない。
  • 一千人を超える人たちが職を失ったのだから、辛い経験だったのは間違いない。だが、銀行業界の規制緩和の時期には数十万人が職を失っている。
  • これを前提に、二つの点に注目すべきだ。
  • 第一に、ウェルズ・ファーゴは比較対象企業のバンク・オブ・アメリカにくらべて、大規模なレイオフを実施した回数が少なかった(40)。
  • 第二に、同行の経営幹部など、上級幹部の方が地位の低い従業員にくらべて、経営統合にあたって解雇された人の比率が高かった(41)。
  • 飛躍を遂げた企業では、厳格な基準はまず最上部に適用され、責任がとくに重い立場にある者にはとくに厳しく適用されている。
  • 人事の決定で厳格な姿勢をとるとは、何よりもまず経営陣の人事の決定で厳格な姿勢をとることを意味する。
  • じつのところわたしは、この章を書くにあたって、「最初に人を厳格に選ぶ」という原則が濫用されかねないと恐れてもいる。
  • 業績を向上させるために見境なく大量の解雇を実施する、そういう動きの口実にされかねないからだ。
  • 「むずかしい決断だったが、厳格にならなければならないので」と経営者が話すのが聞こえてくるようだ。それを思うと恐ろしくなる。
  • そのために優秀で仕事熱心な人たちが多数、苦しむことになるうえ、事実をみていくなら、そのような戦術をとれば偉大な実績を持続させる目標とは逆方向に進む結果になる。
  • 偉大な企業は、人員削減を戦術として使うことはめったになく、主要な戦略として使うことはまずない。
  • 規制緩和の荒波を受けたウェルズ・ファーゴすら転換の時期に、バンク・オブ・アメリカと比較してレイオフを半分しか実施していない。
  • 飛躍を達成した企業十一社のうち六社は、転換点の十年前から一九九八年までの間に、一度もレイオフを行っていない。
  • 残りのうち四社も一回か二回しか実施していない。これに対して比較対象企業では、レイオフの頻度が飛躍を達成した企業の五倍にもなっている。なかにはレイオフとリストラの慢性中毒にかかっているとすら思える企業もある(42)。
  • どうか間違わないようにしてほしい。偉大な企業に飛躍する動きを刺激するために、無慈悲に大鉈を振るって仕事熱心な従業員を大量に解雇するべきだと考えるのは、悲劇的な間違いである。際限のないリストラや無闇な首切りは、飛躍への道筋にはなりえない。
  • 厳格さをどのように確立するか冷酷ではなく厳格になるための実際的な方法として、今回の調査で以下の三点が浮かび上がってきた。
  • 第一の実際的な方法‐疑問があれば採用せず、人材を探しつづける経営の不変の法則のひとつに、「パッカードの法則」がある(前回の調査でヒューレット・パッカードの共同創業者、デービッド・パッカードから学んだものなので、こう呼んでいる)。
  • 法則はこうだ。どの企業も、成長を担う適切な人材を集められるよりも速いペースで売上高を増やしつづけながら、偉大な企業になることはできない。
  • 売上高の伸び率がつねに適切な人材の数の伸び率より高ければ、偉大な企業を築くことはできない。
  • 偉大な企業を築いてきた人たちは皆、企業が成長していくときに最大のボトルネックになるのが、市場でも技術でも競争でも製品でもないことを理解している。
  • どの要因よりも重要な点がある。それは適切な人びとを採用し維持する能力である。
  • サーキット・シティの経営陣はパッカードの法則を直観的に理解している。
  • 何年か前のクリスマスの翌日、カリフォルニア州サンタバーバラ近くで車を運転していて、サーキット・シティの店舗には他社の店舗と違いがあることに気づいた。
  • 他社の店舗には顧客を呼び込むための看板や旗があって、「いつもいちばん安い店」「クリスマス後の大安売り」「クリスマス後の買い物はここ」などと書かれている。
  • だが、サーキット・シティの店舗は違った。「最高の人材をいつも求めている」と書かれていたのだ。
  • この看板を見て、同社が偉大な企業に飛躍した時期の副社長、ウォルター・ブルカートとのインタビューを思い出した。
  • 凡庸から卓越への飛躍をもたらした要因を重要なものから順に五つあげるよう求めたとき、ブルカートはこう答えた。
  • 「第一は人、第二は人、第三は人、第四は人、第五も人だ。転換のかなりの部分は、適切な人を選ぶ点でしっかりした方法をとったことで可能になった」。
  • そしてブルカートは、同社が勢いよく成長した時期にCEOのアラン・ウルツェルとこんな会話をかわしたと話してくれた。
  • 「あるとき、『アラン、このポストやあのポストに、まさに適切な人材がなかなか見つからないので、疲れ切ってきた。
  • どこで妥協すればいいのだろう』と聞いたら、アランは躊躇なくこう答えた。
  • 『妥協はしない。別の方法を見つけて、最適の人材を探そう』と」(43)サーキット・シティのアラン・ウルツェルとサイロのシドニー・クーパーの大きな違いのひとつは、ウルツェルが当初の何年か、適切な人びとをバスに乗せることにかなりの時間を使ったのに対して、クーパーが時間の八十パーセントを買収対象になる適切な店舗を選ぶのに費やした点である(44)。
  • ウルツェルの当初の目標は、経営陣を業界で最高のプロ集団にすることであった。クーパーの当初の目標は、要するにできるかぎり速く成長することであった。
  • サーキット・シティは配達の運転手から副社長にいたるまで、すべての段階で適切な人材を採用することにおどろくほど力をいれたが、サイロは、商品を傷つけることなく配達するといった基本中の基本すらできないと言われるようになった(45)。
  • サーキット・シティのダン・レクシンガーはこう語っている。
  • 「当社は配達の運転手を業界一にした。運転手には『サーキット・シティの従業員のうち、顧客に最後に接するのが君だ。
  • 制服を支給する。
  • 髭をかならず剃り、身体をいつも清潔にしていなければいけない。プロになってほしい』と話した。
  • 配達のときの顧客への対応の変わりようは、まったく信じられないほどだった。
  • 配達の運転手が丁寧だったという感謝の手紙をたくさん受け取った」(46)。
  • ウルツェルがCEOに就任して五年の間、サーキット・シティとサイロは基本的におなじ事業戦略をとっていた(「何をすべきか」ではおなじ答えを出していた)。
  • しかしサーキット・シティはロケットのように勢いよく成長し、転換点以降の十五年間に株式運用成績が市場平均の十八・五倍にもなったが、サイロは一進一退を繰り返して、最終的に外国企業に買収された(47)。
  • 戦略は同じだが、人が違い、実績が違っている。
  • 第二の実際的な方法‐人を入れ換える必要があることが分かれば、行動するだれかをしっかりと管理する必要があると感じるようになったのであれば、採用で間違いをおかしたのだ。
  • あの人材は管理を必要としない。指針を与え、教え、導く必要はある。3だが、しっかり管理する必要はない。
  • その後にどうなるかは、だれでも経験しているか見聞きしている。不適切な人たちがバスに乗っており、そのことは分かっている。
  • だが、様子を見守り、決定を遅らせ、別の方法を試し、三回目、四回目のチャンスを与え、状況が良くなるよう期待し、その人たちをうまく管理する方法を試すために時間を使い、その人たちの足りない部分を補う小さな仕組みを作る。
  • それ以外にもさまざまな手を打つが、状況は良くならない。
  • 自宅に帰っても、その人たちをどうすべきか考え込み(あるいは配偶者に愚痴をこぼして)、時間をとられている。
  • 悪いことに、その人に時間とエネルギーを費やしている分、指導や共同作業で適切な人たちとの関係を強めていくことができなくなる。
  • え一向に前進しない状況が延々続き、最後に本人が辞めていくか(重荷がなくなって一安心だ)、我慢しきれなくなって行動する(やはり、重荷をおろせたと一安心できる)。
  • そのとき、周囲の適切な人たちはみな不思議に思っている。
  • 「もっと早く手を打てばよかったのに」と。
  • 不適切な人物が職にしがみついているのを許していては、周囲の適切な人たちに対して不当な行動をとることになる。
  • 不適切な人物がしっかりした仕事をしないので、適切な人たちが尻ぬぐいや穴埋めをするしかなくなるからだ。
  • それ以上に問題なのは、最高の人材が辞めていく原因になりかねないことだ。
  • すぐれた業績をあげる人たちは業績向上を強く願っていて、これを仕事の原動力にしている。自分が努力しても不適切な人たちに足を引っ張られると考えるようになれば、いずれ苛立ちが嵩じてくる。
  • 延々待ったすえに行動を起こすのでは、バスから降りる必要がある人たちに対しても不当な行動をとることになる。
  • いずれ降りてもらうしかないと分かっているとき、その相手に席を与えつづけていては、相手の一生のうちそれだけの時間を盗むことになる。
  • 相手はその時間を、力を発揮できる場所を探すのに使えたはずなのだ。
  • そして、もっと自分に正直になって考えてみれば、延々と待ちつづけるのは、相手を気づかっているからではなく、その方が自分にとって楽だからであることに気づくはずだ。
  • そこそこ仕事はこなしているわけだし、別の人材を探すとなればかなり苦労する。だから、問題を避けているのだ。
  • あるいは問題に真正面から取り組もうとすると一苦労だし、不快でもある。苦労と不快を避けたいので、ひたすら待ちつづける。
  • 待って待って待ちつづける。そのとき、周囲の最高の人たちはみな不思議に思っている。
  • 「いつになったら行動するのだろう。いったいいつまで、こんな状態がつづくのだろう」と。
  • ムーディーズの『会社情報レポート』のデータを使うと、経営陣交代のパターンを検討できる。
  • われわれの調査では、飛躍した企業と比較対象企業との間に、年当たりの離職率に差がないことが分かった。だが、経営陣の離職のパターンには違いがあった(48)。
  • 飛躍した企業では、経営陣の離職時期が両極端に分かれていた。
  • バスに長期にわたって乗りつづけているか、そうでなければごく早い時期にバスから降りている。
  • 言い換えれば、飛躍した企業では、経営陣の回転率が高いわけではないが、回転のパターンがすぐれている。
  • 飛躍を導いた指導者は、経営にあたって「たくさんの人を試して、うまくいった人を残す」安易な方法はとっていない。
  • まったく違った方法をとっており、こうまとめることができる。
  • 「時間を十分にかけて、はじめからAクラス上位の人を厳格に選ぼう。人選が正しければ、その人物が長くつとめてくれるように、できるかぎりのことをしよう。
  • 人選が間違っていれば、間違いを認めて、われわれは自分たちの仕事を続けられるようにし、相手も自分の人生を追求できるようにしよう」しかし、飛躍を導いた指導者は判断を急ぐことはない。
  • 席にふさわしくない人物がいると感じても、かなりの努力を払った後にはじめて、バスに乗るべきではなかった人物が乗っているとの結論を出すことが多い。
  • コールマン・モックラーはジレットのCEOに就任したとき、走っているバスの窓から大量の人びとを無闇に放り出したりはしなかった。
  • CEOに就任してから二年間、五十五パーセントの時間を使って経営陣とともに社内を調べて回り、上位五十人の幹部のうち三十八人を入れ換えるか異動させている。
  • 「適切な人材を適切な場所にあてるために費やす一分間は、後の何週間分にもあたる価値がある」とモックラーは語っている(49)。
  • サーキット・シティのアラン・ウルツェルも、この章のごく初期の原稿を読んで、以下のコメントを送ってくれた。
  • 他社と比較して「適切な人をバスに乗せる」方法をとっているとの指摘はまさに的を射ている。
  • これに関連してもうひとつ重要な点がある。わたしはバスのどの席にだれが坐るべきかを考え、議論するのにかなりの時間をかけてきた。これを「四角い穴には四角の杭を、丸い穴には丸い杭を」と表現してきた。
  • ……真面目で有能な人を業績が悪いからといって解雇するのではなく、一度か二度、三度ですらも能力を発揮できそうなポストに移してみることが重要だ。
  • 坐っている席が悪いだけなのか、それともバスから降ろすべきなのかを確認できるようになるまでには時間がかかる場合がある。
  • とはいえ、飛躍をもたらした指導者は人を入れ換えなければならないと分かったとき、行動している。だが、人を入れ換えなければならないと分かったことが、どうすれば分かるのだろうか。
  • 二つの問いが役立つだろう。
  • 第一に、バスから降ろすべきかではなく、採用すべきかが問題だと想定した場合、その人物をもう一度雇うだろうか。
  • 第二に、その人物がやってきて、素晴らしい機会があるので会社を辞めると話したとするなら、深く失望するだろうか、それともそっと胸をなでおろすだろうか。
  • 第三の実際的な方法‐最高の人材は最高の機会の追求にあて、最大の問題の解決にはあてない一九六〇年代初め、R・J・レイノルズとフィリップ・モリスは売上高の大部分を国内事業で得ていた。
  • R・J・レイノルズは国際事業について、「世界のどこかにいる外国人がキャメルを買いたいというのなら、電話をかけてくればいいんだ」という姿勢をとっていた(50)。
  • フィリップ・モリスのジョー・カルマンは違った見方をしていた。国際市場こそが、長期的な成長の最大の機会だとみていた。
  • その時点には、国際事業は売上高でみて一パーセントにも満たなかったのだが。カルマンは国際市場開拓の最高の「戦略」は何かと考えた結果、素晴らしい答えを見つけ出した。「何をすべきか」ではなく「だれを選ぶか」の答えであった。
  • 自社でもっとも優秀なジョージ・ワイスマンを国内事業責任者から国際事業責任者に移したのだ。このとき、国際事業とはほとんど名のみの存在であった。
  • 小規模な輸出部門と、業績不振のベネズエラ事業と、オーストラリア事業、それに小規模なカナダ事業があるだけであった。
  • 「ジョージ〔ワイスマン〕が国際事業責任者に転じたとき、どんな失敗をしたのだろうと考えた社員が多かった」と、ワイスマンの部下のひとりが話してくれた(51)。
  • 「閑職に追いやられたのか、降格になったのか、放り出されたのか、理解に苦しんだ。会社の事業の九十九パーセントに責任を負っていたのに、翌日からは一パーセント以下を担当するようになったのだから」とワイスマンも語る(52)。
  • しかし、フォーブス誌が二十年後に伝えたように、ワイスマンをごくごく小さな部門の責任者にすえたカルマンの決定は、天才的だったといえる。
  • ワイスマンは都会風で洗練されており、ヨーロッパなどの市場を開拓するにはぴったりの人物だ。やがて、国際部門を同社で成長率がもっとも高く、もっとも規模の大きい部門に育て上げた。
  • たとえばワイスマンの指揮のもと、マルボロは世界市場で第一位になったが、アメリカ市場で第一位になったのはその三年後であった(53)。
  • R・J・レイノルズとフィリップ・モリスの違いは、一般的にみられるパターンの好例である。
  • 飛躍した企業は、最高の人材を最高の機会の追求にあてており、最大の問題の解決にはあてていない。
  • 比較対象企業にはその逆の行動をとる傾向があり、問題を解決しても無難になるだけで、偉大になるには機会を追求するしか道がない事実を認識できていない。この点に関連して、もうひとつ重要なことがある。
  • 問題の部門を売却する決定をくだしたとき、優秀な人たちを一緒に売り渡してはいけない。優秀な人たちにはいつもバスに座席が確保されているようにすれば、優秀な人たちが行く先の変更を支持する可能性が高くなる。
  • たとえばキンバリー・クラークが製紙工場を売却したとき、ダーウィン・スミスは明確な方針を示した。
  • 製紙事業は売却するが、優秀な人材は手放さないという方針である。ディック・オークターがこう説明している。
  • 「当社の幹部の多くは製紙部門で育ってきた。ところが突然、花形だった部門が売却されることになり、自分の将来はどうなるのかと不安になった。
  • そこでダーウィン〔スミス〕は、『才能ある幹部は全員必要だ。全員に残ってもらう』と言った」(54)。
  • 製紙部門の幹部は消費者事業の経験がないに等しかったが、スミスは優秀な幹部を全員、消費者事業部門に移した。
  • われわれは同社の経営幹部、ディック・アパートにインタビューをした。キャリアの大部分を製紙部門ですごしており、その部門が消費者向け事業に大規模に進出する資金を作るために売却されている。
  • だがアパートは、誇りと興奮に満ちた口調で同社の変身について語ってくれた。
  • 製紙工場の売却がいかにむずかしい決断だったか、製紙事業を売却してその代金を消費者向け事業に投資する先見性のある決定をどのようにくだしたか、プロクター&ギャンブルをどのようにして追い抜いたかといった話である。
  • 「製紙事業を解体する決定に対して、わたしはまったく反対しなかった。そのとき製紙工場を売却したが、わたしは完全に賛成だった」(55)。
  • この点を少し考えてみよう。
  • 優秀な人びとは偉大なものを築く過程に参加したいと望んでおり、アパートは自分がキャリアの大部分をすごしてきた部門を売却することで、キンバリー・クラークが偉大な企業になりうると考えたのだ。
  • フィリップ・モリスとキンバリー・クラークの例は「適切な人」について、あとひとつ取り上げるべき点を示している。
  • 飛躍を遂げた企業はどれも、経営陣に第五水準の雰囲気があり、転換期にはとくにそうだった。
  • 経営幹部の全員がダーウィン・スミスやコールマン・モックラーと変わらないほど徹底した第五水準の指導者であったわけではない。
  • しかし、経営陣の中核メンバーはいずれも、野心を自分個人にではなく企業に向けている。この点から、これらの経営幹部は第五水準の素質をもっていたとみられる。
  • 少なくとも、第五水準のリーダーシップのスタイルとぶつからない形で仕事をする能力をもっていたとみられる。
  • ここで疑問をもつ読者もいるだろう。
  • 「第五水準の経営陣の一員と、ごく普通のよき兵士とで、どこに違いがあるのか」と。第五水準の経営陣の一員は権威に盲従するような人物ではない。
  • 個人としてみても強い指導力をもっており、意欲と能力が十分にあるので、自分が担当する部門を世界最高級の事業に育て上げる。
  • そして経営陣の一員として、会社を偉大な企業にするために必要なことをすべて行う方向に、それぞれの強みを活かしていく能力がなければならない。
  • 偉大な企業への飛躍を達成するために不可欠な要因のひとつは、少々逆説的だともいえる。経営陣が、一方では、最善の答えを探し出すために活発に議論し、ときには激論をかわさなければならない。
  • その一方では、方針が決まれば、自分が担当する部門の利害を超えて、決定を全面的に支持しなければならない。フィリップ・モリスに関するある記事で、カルマンの時代がこう描かれている。
  • 「この会社の人たちはどんな点でも意見が一致することがなく、あらゆる点を議論する。相手をやっつけるまで議論し、上から下まで、優秀な人たちはみな議論にくわわる。だが、決定しなければならない時期になれば、どのような決定をくだすべきかがはっきりしてくる。これがフィリップ・モリスの核心だ」(56)。
  • 同社のある経営幹部が語る。
  • 「どれだけ議論しても、最善の答えをいつも探している。最後には全員が決定を支持する。議論はすべて会社全体の利益のためのものであって、各人が自分の利益を守るためのものではない」(57)。
  • 偉大な企業と素晴らしい人生
  • 偉大な企業への飛躍を調査した結果をセミナーで話すと、ほとんどいつも、良好から偉大への飛躍のために個人の生活が犠牲になるのではないかとの質問を受ける。
  • 偉大な企業を築きながら、生活の面でも素晴らしい人生を送ることはできるのだろうか。できる。その秘訣はこの章で論じた点にある。
  • わたしは香港での経営者会議に出席して、ジレットの経営幹部の夫妻と何日か行動をともにしたことがある。
  • 雑談のなかで、ジレットを飛躍させる点でもっとも功績があったCEO、コールマン・モックラーが素晴らしい人生を送ったのかを聞いてみた。
  • 夫妻によれば、コールマンの人生は三つの愛するものを中心にしていたという。家族、ハーバード大学、ジレットの三つだ。
  • 一九八〇年代に乗っ取り攻勢をかけられた最悪の時期、厳しい戦いの時期ですら、そしてジレットの事業が世界的に拡大していったなかでも、モックラーは生活のバランスをおどろくほど保っていた。
  • 家族とすごす時間をそれほど減らしておらず、夜や週末にはたらくことはまずなかった。教会には欠かさず通った。
  • ハーバードの理事としての活動も手を抜いていない(58)。どうしてそうできたのかと質問すると、こう答えてくれた。
  • 「それほどむずかしいことではなかったのだ。適切な人を集める能力が高く、適切な人材を適切な場所にあてていたので、昼も夜も長時間はたらかなければならない状況にはならなかった。
  • コールマン〔モックラー〕が成功を収め、生活のバランスをうまくとれた秘訣はここにある」。モックラーとはオフィスで会うのとおなじぐらい、金物店で会うことが多かったという。
  • 「自宅や庭をぶらぶら歩き回って、あちこちを直すのをほんとうに楽しんでいた。そうやって気分転換する時間をいつでも見つけ出せるようだった」。
  • 夫人も話してくれた。
  • 「コールマンが亡くなったとき、みなで葬儀に行ったが、そのとき礼拝堂の中を見渡して、故人への愛情が満ちていると感じた。
  • 時間のほとんどを愛情をもって接してくれる人たち、仕事を愛する人たち、互いに愛し合っている人たちとともにすごしてきた。
  • 職場でも、自宅でも、社会活動の場でも」この話はぴんとくるものであった。
  • 偉大な企業への飛躍を導いた経営陣には、うまくは説明できないが、あきらかに他の人たちと違う部分があったからだ。
  • フィリップ・モリスのジョージ・ワイスマンとのインタビューの最後に、わたしはこう話した。
  • 「会社での話を聞いていると、恋愛の話をされているような印象を受けた」。
  • ワイスマンは笑みを浮かべた。
  • 「そう。結婚のとき以外では、あれが人生でいちばん熱烈な恋愛だった。こんな話を理解してくれる人はそう多くはないだろうが、会社の同僚なら分かってくれると思う」。
  • ワイスマンらの経営幹部の多くは引退後も長く本社内にオフィスを維持し、頻繁に出掛けている。
  • 世界本社には、「過去の魔法使いの殿堂」と呼ばれる一画がある(59)。
  • ワイスマン、カルマン、マクスウェルらがここにあるオフィスを頻繁に訪れている。それも大部分、仲間に会うのが楽しいからなのだ。キンバリー・クラークのディック・アパートもインタビューでこう語っている。
  • 「キンバリー・クラークではたらいた四十一年間に、社内で不親切なことを言われた経験は一度もない。雇われたとき、わたしは神に感謝した。素晴らしい人たちとともにはたらけるからだ。尊重しあい、尊敬しあっている素晴らしい人ばかりだ」(60)
  • 偉大な企業への飛躍を導いた経営陣に加わっていた人たちは、終生の友になる傾向がある。ともにはたらいた時期から数年たち、数十年たっても、密接に連絡をとりあっていることが多い。
  • これらの人たちから転換期の話を聞くと、おどろかされる。どれほど苦しい時期にも、どれほど大きな課題でも、仕事を楽しんでいたのである。
  • 一緒にいるのが楽しく、顔を合わせる日が早くこないかと思っていた。良好から偉大に飛躍した時期が、人生のなかでいちばん充実していた時期だったと語る人が多い。
  • この時期にともにはたらいたことで、互いに尊敬しあうようになっただけでなく、終生の友になったのだ。
  • 「最初に人を選ぶ」原則に忠実なことが、偉大な企業と素晴らしい人生の密接な関係を作りだしているとも思える。
  • 何を達成できたとしても、時間の大部分を愛情と尊敬で結ばれた人たちとすごしているのでなければ、素晴らしい人生にはならないからである。
  • 愛情と尊敬で結ばれた人たち、おなじバスに乗っているのが楽しい人たち、失望させられたりはしない人たちと時間の大部分をすごしていれば、バスの行く先がどこであろうと、まず間違いなく素晴らしい人生になる。
  • インタビューの結果からいうなら、飛躍した企業の経営幹部はあきらかに仕事を愛していた。そして、それは主に、ともにはたらく人たちに愛情をもっていたからだ。
  • 章の要約最初に人を選び、その後に目標を選ぶ要点・偉大な企業への飛躍を導いた指導者は、まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、つぎにどこに向かうべきかを決めている。
  • ・この章の要点は適切な人材を集めることだけではない。「だれを選ぶか」をまず決めて、その後に「何をすべきか」を決める。
  • ビジョンも、戦略も、戦術も、組織構造も、技術も、「だれを選ぶか」を決めた後に考える。「だれを選ぶか」をまず決めて、その後に「何をすべきか」を決める。
  • この原則を厳格に一貫して適用する。
  • ・比較対象企業は、「一人の天才を一千人で支える」方式をとっている場合が多い。天才的な指導者がビジョンを確立し、ビジョンを実現するために有能な兵士を集める方式である。
  • この方式は天才が退けば崩れる。
  • ・飛躍を導いた指導者は、人事の決定に厳格であって冷酷ではない。業績向上の主な戦略としてレイオフやリストラを使うことはない。比較対象企業はレイオフをはるかに頻繁に使っている。
  • ・人事の決定で厳格になるための実際的な方法を三つ見つけ出した。
  • ㈠疑問があれば採用せず、人材を探しつづける(関連する点として、成長の最大のボトルネックは何よりも、適切な人びとを採用し維持する能力である)。
  • ㈡人を入れ換える必要があることが分かれば、行動する(関連する点として、まず、坐っている席が悪いだけなのかを確認する)。
  • ㈢最高の人材は最高の機会の追求にあて、最大の問題の解決にはあてない(関連する点として、問題の部門を売却する決定をくだしたとき、優秀な人たちを一緒に売り渡してはいけない)。
  • ・偉大な企業への飛躍を導いた経営陣は、最善の答えを探し出すために活発に議論し、方針が決まれば、自分が担当する部門の利害を超えて、決定を全面的に支持する人たちで構成されている。
  • 意外な調査結果・経営陣の報酬と飛躍とを結び付けるような一貫したパターンは発見できなかった。
  • 報酬制度の目的は、不適切な人びとから正しい行動を引き出すことにはなく、適切な人をバスに乗せ、その後もバスに乗りつづけてもらうことにある。
  • ・「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言は間違っている。
  • 人材は最重要の資産ではない。
  • 適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。
  • ・どういう人が「適切な人材」なのかは、専門知識、学歴、業務経験より、性格と基礎的能力によって決まる。
  • 第四章最後にはかならず勝つ──厳しい現実を直視する
  • 政治家にとって、すぐに失望させられる根拠のない期待を国民に向かって主張するほど最悪の間違いはない。
  • ウィンストン・S・チャーチル『第二次世界大戦』第三部第七章(1)
  • 一九五〇年代初め、A&P(正式にはグレート・アトランティック&パシフィック・ティー社)は世界一の小売り企業であり、アメリカでも最大級の企業であった。
  • 年間の売上高がゼネラル・モーターズについで第二位になったこともある(2)。
  • これに対してクローガーは地味な食品雑貨チェーンであり、規模はA&Pの半分にも満たず、株式運用成績も市場平均並みでしかなかった。
  • 一九六〇年代になって、A&Pは衰退への道を歩むようになったが、クローガーは逆に、偉大な企業に飛躍する基礎を築きはじめた。
  • 五九年から七三年までの株式運用成績をみると、両社ともに市場平均を下回っており、クローガーがA&Pをわずかに上回っていた。
  • 七三年からは、二社の実績がまったくかけはなれるようになり、その後二十五年間の株式運用成績をみると、クローガーが市場平均の十倍、A&Pの八十倍になっている。
  • 両社の命運がこれほど劇的に逆転したのはなぜなのだろう。
  • A&Pほどの超優良企業がここまで惨めな状態になったのはなぜなのだろう。
  • A&Pは二十世紀前半、二回の世界大戦と大恐慌によってアメリカ人が質素に暮らすしかなかった時代に、完璧な事業方式を確立していた。
  • 安価な食品雑貨を大量に、実用本位の店舗で販売する方式である。
  • しかし二十世紀後半にはアメリカ人は豊かになり、嗜好が変わった。
  • もっときれいな店舗、大きな店舗、品ぞろえが豊富な店舗を望むようになった。焼き立てのパン、花、健康食品、風邪薬、新鮮野菜、四十五種類のシリアル、十種類の牛乳を求めるようになった。
  • 五種類の高級芽キャベツ、さまざまな調合の小麦粉、中国の薬草などの変わった品物を求めるようになった。
  • 買い物のついでに銀行の用事をすませたり、インフルエンザの予防注射を受けたりすることすら望むようになった。
  • 要するに、食品雑貨店で買い物をしようとは思わなくなったのだ。
  • 望んでいるのはスーパーマーケット、それもSの大きな文字を胸につけたスーパーである。
  • ほとんど何でも売っており、大きな駐車場があり、価格が安く、店内が清潔で、大量にレジがある、そういう店なのだ。
  • ここまで読んで、こう考えた読者も少なくないだろう。
  • 「要するに、A&Pは時代後れになった企業の典型だというわけだ。前の時代にはぴったりの戦略をもっていたが、状況が変わり、時代に取り残されるようになった。
  • 時代に適応した若い企業が、顧客の要求をもっと満たしたからだ。それで、この話に何か興味深い点があるのだろうか」では興味深い点をあげよう。
  • クローガーもA&Pもともに古い企業であり、一九七〇年にはクローガーが設立から八十二年、A&Pが百十一年たっていた。
  • どちらの企業も、事業のほぼすべてが戦前型の食品雑貨店であった。どちらの企業も事業基盤が強固な地域は、国内の成長地域ではなかった。どちらの企業も事業環境が変化してきたことを知っていた。
  • ところが、この二社のうち一社は、厳しい現実を直視し、現実に対応して事業方式を完全に変更した。もう一社は砂に頭を突っ込んだままであった。
  • 一九五八年にフォーブス誌はA&Pを、年老いた王子のもと、鎖国政策をとる絶対王朝だと評している(3)。
  • A&P王朝を築いたハートフォード兄弟の後継者、ラルフ・バーガーは何よりの二つの点を維持しようとしていた。
  • 家族財団が求める現金配当と、ハートフォード兄弟の過去の栄光である。
  • 同社のある取締役によれば、バーガーは「自分は故ジョン・ハートフォードの生まれ変わりなのだと考えていた。
  • 襟につける花を毎日、ハートフォード家の温室から取り寄せていたほどだ。
  • どれほど反対を受けようと、ジョン〔ハートフォード〕が選んだと考える方針をとろうとした」(4)。
  • バーガーは意思決定にあたって「ハートフォードならどうしただろうか」と考える社風を作り上げ、「百年にわたる成功の重みは絶対だ」をモットーにした(5)。
  • そのバーガーを通じて、ハートフォードは二十年近く、取締役会で圧倒的な力を維持していた。死後にも影響力をもちつづけたのだ(6)。
  • 自社の事業方式が事業環境の変化によって時代後れになった、この厳しい現実がつぎつぎに明らかになってきたとき、A&Pはこの現実から身を守ろうと必死になっていった。
  • ひとつの試みとして、ゴールデン・キーと名付けた新店舗を開いた。
  • 別ブランドの店舗で、新しい方法や方式を実験し、顧客の要望を学べるようにしたのだ(7)。
  • A&Pのプライベート・ブランド商品は扱わず、店長がかなりの裁量権をもつようにし、斬新な売り場を作り、新しい時代のスーパーマーケットに近づいていった。買い物客の受けはきわめて良かった。
  • こうしてA&Pは社内の実験の結果から、市場シェアが低下してきた理由と打つべき手を理解できるようになった。それで、A&Pの経営陣はゴールデン・キー店をどうしただろうか。この店舗が示した答えが気に入らなかったため、閉鎖した(8)。
  • その後A&Pは、戦略をつぎつぎに取り替え、問題を一気に解決できる策をつねに探すようになった。
  • 従業員の士気を高める催しを開き、さまざまな計画に取り組み、流行の経営理論に飛びつき、CEOを更迭し、新CEOを雇い、またしても更迭した。
  • ある業界関係者が「焦土作戦」と呼んだ戦略を実行に移した。
  • 大幅な値引きで市場シェアを回復する戦略だが、問題の根源、つまり買い物客が値下げを望んでいるのではなく、別の店舗形態を望んでいる点には対応しようとしなかった(9)。
  • 値下げによって、コスト削減に取り組むしかなくなり、その結果、店舗が一層冴えないものになり、サービスが低下していった。
  • その結果、買い物客がさらに減り、粗利益率がさらに低下し、店舗は薄汚くなり、サービスがさらに低下した。
  • 同社の元幹部のひとりが語る。
  • 「やがて汚れがたまるようになった。店舗に塵があるだけでなく、汚い塵がたまるようになった」(10)そのころクローガーでは、まったく違った動きが起こっていた。
  • 同社も一九六〇年代にスーパーマーケットの業態を実験した(11)。
  • 七〇年には、経営陣は否定しがたい結論に達していた。
  • それまでの方式の食品雑貨店(同社売上高のほぼ百パーセントを占める事業)が絶滅する運命にあるとの結論である。
  • しかしA&Pとは違って、クローガーはこの厳しい現実を直視し、対策をとっていった。
  • クローガーの興隆をもたらした方針は単純明快であり、ある意味では笑いたくなるほど単純だ。
  • インタビューのとき、ライル・エベリンガムと、その後継者で転換期のCEO、ジム・ヘリングは丁寧で協力的だったが、われわれの質問に少々気分を害したようだ。
  • 二人にとって、明白な方針をとっただけだったのだ。
  • 飛躍をもたらした要因のうち上位五つがそれぞれ、どのような比率で寄与したかを質問したところ、エベリンガムはこう答えた。
  • 「質問の意味がどうもよく分からない。われわれは要するに徹底した調査を行ったが、それで集まったデータは明白な事実を示していた。
  • スーパーマーケットこそが将来への道なのだ。それに、各市場で一位か二位になれないのなら撤退するしかないことも学んだ(*)。
  • たしかに、当初は懐疑的な見方もあった。
  • しかし事実をみれば、何をすべきか疑問の余地などなかった。だから、それを実行しただけだ」(12)*これは一九七〇年代初めの話であり、「一位か二位になれないのなら撤退する」という考えが主流になるのは、十年以上後であることに注意したい。
  • 飛躍した企業はすべてそうだが、クローガーも目の前にあるデータに注目してこの考えを導き出したのであり、他人が作りだしたトレンドや流行にしたがったわけではない。
  • 興味深い点だが、飛躍した企業の半分以上が「一位か二位になれないのなら撤退する」という方針を、それが経営理論としてもてはやされるようになる前に何らかの形で確立している。
  • クローガーは、すべての店舗を閉鎖するか、改装するか、移転し、新しい現実に合わない地域からは撤退する決定をくだした。
  • 事業のすべてをひっくりかえすことになった。一店舗ずつ、一地域ずつ、一都市ずつ、一州ずつ。
  • 一九九〇年代初めには、事業全体を新しい方式で作りなおす作業が終わり、食品雑貨チェーンでアメリカ第一位になる道を歩んでいた。九九年には、第一位の座を獲得している(13)。
  • 一方、A&Pはいまだに店舗の半分以上が五〇年代の規模であり、かつての偉大な企業の成れの果てというべき悲惨な状況に陥っている(14)。
  • 「事実は夢にまさる」今回の調査で得られた大きな結論のひとつとして、偉大な企業への飛躍が、いくつもの正しい決定をひとつずつ粘り強く実行して積み重ねていった結果であることがあげられる。当然ながら、飛躍した企業が間違いをおかさなかったわけではない。
  • しかし全体としてみれば、正しい決定が間違った決定よりはるかに多いし、比較対象企業とくらべて、正しい決定の数がはるかに多い。
  • それ以上に重要な点として、たとえば事業全体をスーパーマーケットに転換させる目標にすべての資源を投入したクルーガーの決定のように、ほんとうに大きな決定で、これら企業はおどろくほど的確だった。ここから、当然の疑問が出てくる。
  • たまたま運に恵まれていたために、正しい決定をくだせた企業が調査対象になったにすぎないのだろうか。
  • それとも、これら企業の意思決定の過程に何か違いがあって、そのために正しい決定をくだせる確率が劇的に高くなっているのだろうか。
  • 分析の結果得られた答えは、意思決定の過程に大きな違いがあるというものであった。
  • 飛躍を遂げた企業は、二つの特徴的な形態で規律ある考え方をとっていた。
  • 第一がこの章のテーマであり、意思決定の全過程にわたって厳しい現実を直視する姿勢を貫いている(第二がつぎの章のテーマであり、すべての決定にあたって、単純だがきわめて賢明な判断の枠組みを用いている)。
  • クローガーの場合のように、状況がどうなっているかをつかもうと、真摯に懸命に努力すれば、正しい決定が自明になる場合もある。
  • もちろん、かならず自明になるわけではないが、そうなることは少なくない。そして、すべての決定が明白になるわけではなくても、確実にいえる点がひとつある。
  • 厳しい現実を直視する姿勢がない場合には、正しい判断をつぎつぎにくだしていくことはできない。
  • 飛躍した企業はこの原則を守っており、比較対象企業は一般に、この原則を守っていない。ピットニー・ボウズとアドレソグラフを比較してみよう。
  • ある時点でこの二社以上に性格が似ていて、その後にこの二社以上に劇的に命運が分かれた二つの企業を探し出すのは困難だろう。
  • 一九七三年まで、両社は売上高も、利益も、従業員数も、株価動向も、きわめてよく似ていた。
  • 両社ともに市場で独占に近い地位を確保し、顧客基盤もほぼ重なっていた。
  • ピットニー・ボウズは郵便料金メーターで、アドレソグラフは宛て名印刷機で、それぞれ圧倒的な市場シェアを握っていた。
  • そして両社とも、独占状態を近く失う現実に直面していた(15)。
  • しかし二〇〇〇年には、ピットニー・ボウズが従業員数三万人以上、売上高四十億ドル以上の企業に成長しているのに対して、アドレソグラフは売上高一億ドル以下、従業員わずか六百七十人と、見る影もない(16)。
  • 株式運用成績は、ピットニー・ボウズがアドレソグラフのなんと三千五百八十一倍にもなっている。
  • 一九七六年、大きなビジョンをもったカリスマ的な経営者、ロイ・アッシュがアドレソグラフのCEOに就任した。
  • アッシュは「複合企業経営者」を自認しており、それ以前に大量の買収によってリットンを築き上げたが、経営困難に陥った経歴がある。
  • フォーチュン誌によれば、アドレソグラフを舞台に、指導者としての自分の力を世界に示そうとした(17)。
  • アッシュは当時の新興分野であるOA市場で、IBM、ゼロックス、コダックなどを圧倒する企業を作り上げるビジョンを掲げた。
  • それまで、宛て名印刷機で圧倒的な強みをもっていたにすぎない企業にしては、きわめて大胆な計画だ(18)。
  • 大胆なビジョンを掲げること自体は悪いことではない。
  • だが、アッシュは非現実的な目標の追求に熱心なあまり、計画が失敗に終わって会社全体が倒れかねないことを示す事実が積み重なっても、直視しようとしなかったとビジネス・ウィーク誌が伝えている(19)。
  • 利益が出ている部門から現金を吸い上げて中核事業の衰退を招き、その資金を、ほとんど成功の見込みのない事業につぎ込んでいった(20)。
  • アッシュは解雇され、アドレソグラフは連邦破産法に基づく会社更生を申請した(同社はその後、再建された)。
  • そうなってもアッシュは現実を認めようとはせず、「いくつかの戦いには負けたが、戦争には勝っていた」と述べている(21)。
  • しかし、同社は戦争に勝っているどころではなかったし、社内の人間はみな、その時点で現実を認識していた。
  • しかし、真実を報告しても聞いてもらえない状態が続いて、ついに手遅れになった(22)。
  • 同社の主要な幹部の多くは、現実を直視するよう経営陣に求めても効果がないと諦めて、この時期に会社に見切りをつけている(23)。
  • おそらく、アッシュがビジョンを掲げて同社を飛躍させようと試みた点は、ある程度まで評価すべきだろう(そして、公平を期すために付け加えるなら、アッシュは計画を完全に実行に移す前に解雇されている)(24)。
  • しかし、当時に書かれた多数のしっかりした記事を読むと、アッシュが自分のビジョンと矛盾する現実から目をそむけていた事実が浮かび上がってくる。
  • 偉大な企業になるビジョンを追うこと自体には何の問題もない。
  • 飛躍を遂げた企業はいずれも、偉大な企業を築こうと努力しているのだから。
  • しかし比較対象企業とは違って、飛躍した企業は、厳しい現実を認識して、偉大な企業への道をたえず見直している。
  • 「岩を転がしてみたら、奇妙なものが下にいっぱいあったとする。
  • そのとき、岩をもとに戻す人もいるだろうし、そこにあったのがとんでもなく恐ろしいものであったとしても、岩を転がして奇妙なものをしっかり確認するのが自分の仕事だと考える人もいるだろう」(25)。
  • これはピットニー・ボウズのフレッド・パーデューの発言だが、われわれがインタビューを行った同社経営幹部のうちだれの発言であっても不思議ではない。
  • 率直に言って、世界のなかの自社の立場について、全員が少し神経質すぎるし、強迫観念にとらわれているとすら思える。
  • ある経営幹部は、「当社の企業文化では、自己満足は極端に嫌われる」と語った(26)。
  • 「どれほど偉大な業績を達成しても、会社の勢いを維持できるほどではないと、すぐに考える」と別の経営幹部は述べている(27)。
  • ピットニー・ボウズは新年はじめての経営会議で例年、十五分ほどで前年の業績を回顧し(例外なく素晴らしい業績をあげているが)、その後二時間をかけて今後の業績の悪化をもたらしかねない「奇妙で恐ろしいもの」について議論する(28)。
  • 同社の営業会議は、ほとんどの企業でみられるような「当社はなんと偉大ではないか」といった調子のものとはまったく違っている。
  • 経営陣全員が出席して、顧客に直接に接している営業担当者から厳しい質問や批判を受ける(29)。
  • 同社が長年築き上げてきた伝統のひとつだが、会議で従業員が経営陣に会社の間違いを指摘し、奇妙なものがついた岩を突きつけて、「この点にもっと注意すべきだ」と主張できるようになっている(30)。
  • アドレソグラフの事例は、とくにピットニー・ボウズと比較すると、決定的な点を示している。
  • ロイ・アッシュのようなカリスマ的で強力な経営者は、ひとつ間違えればすぐに、社内の人間にとって事実上の現実になる。
  • 今回の調査で何度もでてきた点だが、比較対象企業では経営者がきわめて強い力で会社を引っ張り、社内に恐怖心を植えつけた結果、従業員が経営者の顔色をうかがうようになり、経営者の発言や考えや行動ばかりを気にして、社外の現実や、それが自社に与える影響には注意しなくなることが多かった。
  • たとえば前の章で紹介したバンク・オブ・アメリカがそうで、CEOがどう考えているかが分かるまで、幹部は意見すら出そうとしなかった。
  • このような雰囲気は、ウェルズ・ファーゴやピットニー・ボウズにはなかった。
  • 従業員や幹部は経営陣の意向を気にするよりも、奇妙で恐ろしいものを懸念している。
  • 従業員や幹部が何よりも注意すべき現実として、社外の現実ではなく、自分の顔色を心配するような状況を経営者が許していると、会社は凡庸になり、もっと悪い方向にすら進みかねない。
  • カリスマ的な指導者よりも、それほどカリスマ的でない指導者の方が、長期的な実績が良くなることが多い理由のひとつはここにある。
  • カリスマ的で強い個性をもつ経営者にとって、カリスマ性が強みになると同時に、弱みにもなりうるとの見方は、じっくり検討してみる価値がある。
  • 経営者が強い個性をもっているとき、部下が厳しい現実を報告しなくなれば、問題の種を蒔く結果になりかねない。
  • カリスマ性の弱みを克服することは可能だが、それには意識的な努力が必要だ。
  • ウィンストン・チャーチルは強い個性が弱みになりうることを理解し、第二次世界大戦のとき、この弱みを見事に補う方法をとった。
  • 周知のように、イギリスが和平を乞うかどうかではなく、いつ乞うのかだけが問題だと世界中がみていたとき、チャーチルはイギリスが生き残るのはもちろん、大戦に勝利し偉大な国家として強力な立場を維持するとの大胆なビジョンを確固として掲げていた。
  • 最悪の時期、ヨーロッパ大陸と北アフリカがほぼすべて、ナチスの支配下にあり、アメリカはヨーロッパの戦いにはくわわりたくないと望んでいた。
  • ヒトラーは一つの正面に力を集中して、まだソ連には攻め込んでいなかった。
  • この時期に、チャーチルはこう語っている。
  • 「われわれはヒトラーを滅ぼし、ナチス体制をすべての痕跡にいたるまで滅ぼす決意をかためている。
  • 何があろうとも、この決意は変わらない。
  • 何があろうとも。
  • われわれは決して交渉しない。
  • ヒトラーとも、その配下のだれとも、交渉しない。
  • われわれはヒトラーと陸で戦う。
  • 海で戦う。
  • 空で戦う。
  • 神の恵みを受けて、ヒトラーの影を地上から取り除くまで戦う」(31)。
  • チャーチルはこの大胆なビジョンを武器にしながらも、きわめて厳しい現実から決して目をそらさなかった。
  • 傑出したカリスマ的な性格のために、悪いニュースが薄められた形でしか自分に伝えられないのではないかと恐れていた。
  • そこで戦争の初期に、通常の指揮命令系統とは独立した部門として、「統計局」を設立し、現実のうちとくに厳しい事実を、まったくフィルターを通さない生のままの形で、首相につねに提供することを第一の任務とした(32)。
  • チャーチルは戦争の指導にあたってこの部門をきわめて重視し、事実を伝えるよう、事実だけを伝えるよう繰り返し求めている。
  • ナチスの機甲部隊がヨーロッパ大陸を席巻したころ、チャーチルはベッドでぐっすり眠ることができた。
  • 「元気づけてくれる夢の必要はなかった。
  • 事実は夢にまさるのである」と、『第二次世界
  • 大戦』に書いている(33)。
  • 真実に耳を傾ける社風を作る
  • ここで疑問をもつ読者もいるだろう。
  • 「厳しい現実を明らかにして、どうやって人びとの意欲を引き出すのか。
  • 意欲を引き出す動機付けで中心になるのは、説得力のあるビジョンではないのか」。
  • 答えは意外なことに、そうではないというものである。
  • ビジョンが重要でないというのではない。
  • 従業員や幹部の動機付けに努力するのは、大部分、時間の無駄なのだ。
  • この本で繰り返し論じる重要なテーマのひとつは、今回の調査の結果をうまく実行に移せば、従業員の意欲を引き出すために時間とエネルギーを費やす必要はなくなるというものである。
  • 適正な人たちがバスに乗るようにすれば、全員が偉大なものを築こうという意欲をもっている。
  • したがって、ほんとうの問題はこうなる。
  • 「従業員の意欲を挫かないようにするにはどうすればいいのか」である。
  • そして、やる気をなくさせる行動のなかでも、すぐに失望させられる根拠のない期待を主張することほど最悪のものはない。
  • リーダーシップの要点はビジョンである。
  • これは事実だ。
  • だが、それと変わらぬほど重要な点に、真実に耳を傾ける社風、厳しい事実を直視する社風を作ることがある。
  • 「自分の意見を言える」機会と、「上司が意見を聞く」機会との間には天地の開きがある。
  • 偉大な企業への飛躍を導いた指導者は、この違いを理解しており、上司が意見を聞く機会、そして究極的には真実に耳を傾ける機会が十分にある企業文化を作り上げている。
  • では、上司が真実に耳を傾ける社風は、どのようにして作ればいいのか。
  • 以下に四つの基本的な方法を紹介しよう。
  • 答えではなく、質問によって指導する一九七三年、父親からCEOの職を引き継いで一年たったとき、アラン・ウルツェルの会社は倒産の淵にあり、銀行ローン契約にもう少しで違反しかねない状態に追い込まれていた。
  • 当時の社名はワーズであり(小売り大手のモンゴメリー・ワードとは無関係)、家電とハイファイ機器の販売店を寄せ集めただけで、全体を統一する概念もなかった。
  • それから十年間、ウルツェルらの経営陣は同社の経営を立て直しただけでなく、サーキット・シティの業態を確立して、その後におどろくべき実績をあげる基礎を築いた。
  • 一九八二年の転換点から二〇〇〇年一月一日までの同社株の運用成績は、市場平均の二十二倍にもなっている。
  • ウルツェルは、倒産寸前からこの輝かしい実績をあげるまでの長い旅路をはじめるにあたって、会社をどこに導くのかとの問いに、おどろくような答えを示した。
  • 「わたしには分からない」という答えだ。
  • アドレソグラフのロイ・アッシュのような経営者とは違って、ウルツェルは「正しい答え」を示したい気持ちを抑えた。
  • 適切な人たちをバスに乗せると、答えではなく、質問からはじめたのだ。
  • ある取締役はこう語る。
  • 「アラン〔ウルツェル〕が火付け役になった。
  • 素晴らしい質問をする能力をもっている。
  • だから、取締役会では感激するような論争が何度も行われた。
  • 取締役会が安っぽいショーになって、取締役がただ話を拝聴し、話が終わったら食事に行くといったことは一度もなかった」(34)。
  • ウルツェルは、取締役会で受ける質問の数より、自分が出す質問の数の方が多く、このようなCEOは大企業にはごく少数しかいない。
  • 経営幹部にも同じように接しており、つねに質問を投げかけて答えを求め、調べ、刺激する方法をとっている。
  • 偉大な企業への道筋のどの段階でも、ウルツェルは現実とその意味を鮮明に理解できるようになるまで、質問を出しつづけている。
  • ウルツェルはこう語る。
  • 「社内では審問官と呼ばれていた。
  • いつも質問によって方向を決めていたからだ。
  • ブルドックのように、理解できるようになるまで質問責めにして相手を放さない。
  • なぜだ、なぜだと言いつづける」ウルツェルは典型だが、飛躍を導いた指導者はみな、ソクラテスのような方法を使っている。
  • さらに、質問するのは、ひとつの理由、たったひとつの理由からである。
  • 理解するためなのだ。
  • 相手を誘導するために質問を使うことはないし(「この点でわたしの意見に賛成できないのかね」とは質問しない)、だれかを非難したり黙らせるために質問することはない(「どうしてこれに失敗したんだ」とは聞かない)。
  • 転換期の経営陣について当時の経営幹部に質問すると、時間のかなりの部分を「理解しようとする努力」に費やしたという答えが多かった。
  • 飛躍を導いた指導者は、非公式の会合をとくにうまく使っている。
  • 何人かの幹部や従業員を集めて、台本も議題も議論すべき行動項目もないまま話し合う。
  • まず、「何を考えているのか」「それについて話してくれないか」「わたしが理解できるようにしてくれないか」「心配すべき点は何だろうか」といった質問を出す。
  • 議題を決めない会合が、現実を浮かび上がらせる場になっている。
  • 偉大さへと導くとは、まず答えを考え、理想を実現するビジョンに向けて人びとの意欲を引き出すことを意味しているわけではない。
  • 答えを出せるほどには現実を理解できていない事実を謙虚に認めて、最善の知識が得られるような質問をしていくことを意味する。
  • 対話と論争を行い、強制はしない一九六五年、ニューコアほどみじめな企業を探すのはむずかしかったはずだ。
  • 黒字の部門はひとつしかない。
  • 他の部門はすべて赤字を垂れ流している。
  • 誇るにたる企業文化はない。
  • 一貫した方向もない。
  • 倒産一歩手前の状況にある。
  • 当時の社名はニュークリア・コーポレーション・オブ・アメリカであり、放射能の測定に使う「シンチレーション・プローブ」という名前の製品など、核エネルギー関連製品を主力にしていた。
  • 主力事業との関連のない事業をいくつか買収し、半導体用資材、希土類素材、静電気コピー機、屋根用の梁などの分野にも進出していた。
  • 六五年に変身をはじめたとき、鉄鋼はまったく製造していなかった。
  • 利益もまったく生み出せていなかった。
  • 三十年後、ニューコアは世界第四位の鉄鋼メーカーであり(35)、一九九九年にはアメリカの鉄鋼業界で利益が第一位になった(36)。
  • まったくみじめだったニュークリア・コーポレーション・オブ・アメリカが、アメリカを代表する鉄鋼会社のニューコアに変身したのは、どうしてだろうか。
  • 第一に、第五水準の指導者、ケン・アイバーソンが屋根梁部門の責任者からCEOに昇進したのが大きな契機になった。
  • 第二に、アイバーソンが適切な人びとをバスに乗せ、おどろくほどの経営陣を作り上げた。
  • たとえばサム・シーゲルは同僚のひとりに「世界一の財務マネジャーで、魔術師だ」と評されているし、デービッド・アイコックは業務管理の天才である(
  • 37)。
  • それでつぎに何をしたのか。
  • アラン・ウルツェルと同様に、アイバーソンも偉大な企業を築く夢をいだいていたが、どうすれば偉大な企業になれるのかの「正しい答え」からはじめることを拒否した。
  • そして、ソクラテスのような司会者になって、激烈な論争を繰り返した。
  • アイバーソンは語る。
  • 「われわれは部門責任者会議を連続して開催するようになり、わたしの役割は司会だった。
  • 会議は混乱の極みだった。
  • 何時間にもわたって、何らかの結論が出るまで問題を議論した。
  • ……ときには議論が沸騰して、出席者がテーブルの向こう側に押しかける構えまでみせて……怒鳴りあった。
  • 腕を振り回し、テーブルを叩いた。
  • 出席者の顔は紅潮し、血管が膨れた」(38)アイバーソンの下ではたらいた幹部が、長年繰り返されてきた光景を話してくれた。
  • 幹部の一団がアイバーソンのオフィスに押しかけて怒鳴りあうが、やがて結論に達して出ていく光景である(39)。
  • 議論し激しく論争し、核関連事業を売却した。
  • 議論し激しく論争し、屋根用の梁に事業を集中させた。
  • 議論し激しく論争し、鉄鋼の製造をはじめた。
  • 議論し激しく論争し、電炉に投資した。
  • 議論し激しく論争し、第二の電炉工場を建設した。
  • われわれがインタビューをしたニューコアの経営幹部は全員、同社には論争の社風があり、同社の戦略が「徹底した議論と戦いを繰り返すなかで形作られてきた」と語っている(40)。
  • ニューコアがそうであるように、偉大さへの飛躍を遂げた企業はすべて、激しい議論を好む傾向をもっている。
  • 「大声での論争」「白熱した議論」「健全な対立」といった言葉が、すべての会社の記事やインタビュー記録に繰り返しでてくる。
  • 方針を決めた後に従業員が「自分の意見を言える」機会を作り、「参加型」の形を整える、そういう場として会議を使ったりはしない。
  • 科学者の白熱した論争に似ており、全員が最善の答えを探している。
  • 解剖を行い、非難はしない一九七八年、フィリップ・モリスはセブンアップを買収したが、八年後に売却して損失を計上した(41)。
  • 同社の総資産と比較すれば、損失額はそれほど多くはなかったが、目立った失敗だったし、経営陣の貴重な時間が何千時間もこれに費やされている。
  • フィリップ・モリスの経営幹部にインタビューを行ったとき、各人がこの失敗について自分の意見を述べ、おおっぴらに議論することにおどろかされた。
  • みじめな大失敗を隠すどころか、病気を直すには話す必要があると感じているかのようであった。
  • ジョゼフ・カルマンは『わたしは幸運に恵まれた』で、五ページにわたってセブンアップの失態を分析している。
  • 決定に欠陥があった不都合な事実を隠してはいない。
  • 五ページにわたって、誤りとその意味、そこから得られる教訓を冷静に分析しているのだ。
  • セブンアップ買収の失敗の分析には、延べ数千時間まではいかないにしろ、延べ数百時間が費やされている。
  • しかし、この目立った失敗について議論するなかで、失敗の責任者がだれなのかは、まったく話題になっていない。
  • もっともひとつだけ例外があった。
  • カルマンが鏡の前に立って、失敗の責任はこの人物にあると、自分を指さしているのだ。
  • 「これも、カルマンの計画がうまくいかなかった例のひとつだ」とカルマンは書いている(42)。
  • それにとどまらず、買収を決定する前に反対意見をもっとよく聞いていれば、悲惨な失敗を避けられた可能性もあったと示唆している。
  • 正しい意見であったことが後に分かった主張をしていて、自分よりも先をみる目があった人たちの名前をあげて評価しているほどである。
  • どの経営者も、素晴らしい実績をあげてきたというイメージを売り込もうと必死になり、成功したときは、自分が部下の反対を押し切って先見性のある方針をとったためだと自慢し、失敗したときは、他人に責任を押しつけようとする、そういう時代風潮のなかで、カルマンのような人物にぶつかると、じつに爽やかな気分になる。
  • カルマンは、セブンアップの失敗に対する同社の姿勢を確立した。
  • この間違った決定の責任は自分にあるが、高い授業料を払って得た教訓を最大限に引き出す責任は全員にあると語ったのだ。
  • 解剖を行い、非難はしないようにすれば、真実に耳を傾ける社風を作る点で大きく前進できる。
  • 適切な人たちがバスに乗るようにしていれば、だれかに責任を押しつける必要はまずなくなり、理解し学ぶことに専念できる。
  • 「赤旗」の仕組みを作る情報の時代になり、質の高い情報、大量の情報をもっているかどうかが勝敗の分かれ目だとされている。
  • しかし、企業の興隆と衰退の様子をみていくと、情報が不足していたために衰退した企業はほとんどないことに気づくはずだ。
  • ベスレヘム・スチールの経営陣は、ニューコアなどの電炉メーカーの脅威を何年も前から知っていた。
  • ほとんど注意も払っていなかったが、あるとき気づいてみると、市場シェアを大幅に奪われていた(43)。
  • アップジョンは、開発中の新薬のうちいくつかが、予想されたほどの薬効をもたないばかりか、深刻な副作用の可能性があることを示す情報を十分に入手していた。
  • しかし、これらの問題を往々にして無視してきた。
  • たとえばハルシオンの事件では、ニューズウィーク誌が「ハルシオンの安全性に関する懸念を無視するのが、事実上の会社方針になっていた」という社内関係者の発言を引用している。
  • 別の事件では、自社に問題があった事実には目をつぶって、マスコミを使った不当な攻撃だと反論しようとした(44)。
  • バンク・オブ・アメリカの経営陣は、規制緩和の現実について大量の情報をもっていた。
  • だが、この現実がもつ大きな意味のひとつを直視しようとしなかった。
  • 規制緩和が進めば、銀行業務は価格勝負になり、上品で贅沢な銀行家の伝統は消えていくしかないのだ。
  • 同行がこの事実を認識するようになったのは、十八億ドルもの赤字を出してからである。
  • これに対してウェルズ・ファーゴのカール・ライヒャルトは、前任者に「究極の現実主義者」と評された人物であり、規制緩和の厳しい現実に真っ正面から取り組んだ(45)。
  • 銀行家の仲間には気の毒なことだが、銀行家という階層は維持できなくなった。
  • これからは銀行経営も一般企業の経営と同じであり、マクドナルドと変わらないほどコストと効率性を重視しなければならない。
  • そうライヒャルトは考えた。
  • 偉大な実績に飛躍した企業が比較対象企業より、情報の量が多かったか、質が高かったことを示す事実は見つからなかった。
  • そういう事実はまったくなかったのだ。
  • どちらの種類の企業も、良質の情報を同じように入手できた。
  • したがって、カギは情報の質にはない。
  • 入手した情報を無視できない情報に変えられるかどうかがカギである。
  • この点を達成する強力な方法のひとつに、「赤旗の仕組み」がある。
  • 自分の例をもちだして恐縮だが、以下のような仕組みである。
  • スタンフォード大学経営学大学院で事例研究の授業を行っていたとき、院生にレター・サイズの真っ赤な紙を支給し、このような説明をつけた。
  • 「これは今学期用の赤旗である。
  • 赤旗を持って手をあげれば、授業をそこで止めて、自由に発言することができ
  • る。
  • 赤旗をいつ、何に使うかについての制限はまったくない。
  • 使い方は完全に各自の自由に任されている。
  • 意見を言うため、自分の体験を話すため、分析を発表するため、教授への反対意見を述べるため、ゲストのCEOを批判するため、他の院生の発言に反論するため、質問するため、提案のためなど、どのような目的にも使える。
  • 赤旗をどのように使おうとも、罰せられることはない。
  • 赤旗は一学期に一回に限り利用できる。
  • 各人に支給された赤旗は譲渡不能である。
  • 他の院生に売却ないしは譲渡することはできない」この仕組みを採用したとき、その結果、授業で何が起こるのか、まったく予想がつかなかった。
  • あるとき、ひとりの院生が赤旗を掲げてこう発言した。
  • 「コリンズ教授。
  • 今日の授業はとくに非効率的だと思います。
  • 質問によって答えを誘導しすぎていて、われわれが自分で考えることができなくなっています。
  • 自分で考えさせていただけませんか」。
  • 赤旗の仕組みによって、わたしは質問の仕方が悪いために、院生の学習が妨げられている厳しい現実を直視せざるをえなくなった。
  • 学期末の調査でも同じ情報が得られるかもしれない。
  • しかし、赤旗の仕組みによって、その場で、クラスの全員の前で授業の問題点についての情報を受け取れば、絶対に無視できない情報になる。
  • この仕組みは、ブルース・ウールパートがグラニトロックではじめた「減額払い」制度にヒントを得たものである。
  • 減額払い制度で、同社は顧客に、同社の製品やサービスに満足できなかったとき、主観的な判断だけに基づいて、請求書に対する支払いを自由に減額する権利を認めている。
  • 返品制度ではない。
  • 顧客は受け取った製品を返す必要はない。
  • グラニトロックに連絡して許可を得る必要もない。
  • 請求書のうち、気に入らなかった項目に丸を付け、その金額を総額から差し引き、残額を支払えばいい。
  • 減額払い制度を作った理由を質問すると、ウールパートはこう答えた。
  • 「顧客調査を行えば大量の情報が得られる。
  • だが、うまく説明をつけて納得する方法がいくらでもある。
  • 減額払いなら、情報に注意しないわけにはいかなくなる。
  • 顧客が怒っていても、その顧客を失うまでまったく気づかないことが少なくない。
  • 減額払いが早期警戒信号になって、すぐに対応しなくてはならなくなる。
  • 顧客が離れていく段階のはるか前に対応できる」飛躍した企業では一般に、赤旗の仕組みが減額払いのように鮮明な形で使われているわけではなかった。
  • それでも、この方法をここに書くことにしたのは、リサーチ・アシスタントのレイン・ホーナンの強い主張に説得力があったからだ。
  • ホーナンは別の調査で、大量の企業の仕組みを組織的に調査し、整理する仕事をしており、こう主張した。
  • 第五水準の指導者としての能力を完全にもっていれば赤旗の仕組みは不必要かもしれない。
  • しかし、第五水準にはまだ達していないか、カリスマ性の弱みを克服できていない場合、入手した情報を無視できない情報に変え、真実に耳を傾ける社風を作るために、赤旗の仕組みが実用的で役立つ方法になる(*)。
  • *企業のさまざまな仕組みに関しては、TurningGoalsintoResults:ThePowerofCatalyticMechanism,HarvardBusinessReview,JulyAugust,1999を参照。
  • 厳しい現実のなかで勝利への確信を失わない
  • プロクター&ギャンブルが一九六〇年代後半、消費者向け紙製品市場に進出したとき、この市場で最大手だったスコット・ペーパーは、まともに戦うこともなくトップの座を明け渡し、事業多角化の道を探りはじめた(46)。
  • 「同社が一九七一年に開催したアナリスト会議は、ほんとうに気が滅入るものだった。
  • 経営陣は要するにタオルを投げて、『ひどい目にあった』というばかりだった」と、あるアナリストが述べている(47)。
  • かつては誇り高かった同社が競争相手について、「ご案内のように、最高の企業と比較すれば当社は不利な立場にありまして……」と言い、溜め息をつきながら「もちろん、当社より苦しい立場にある企業がたくさんあるわけで、少しは慰められますが……」と語る(48)。
  • スコット・ペーパーは攻撃をどのようにはねかえして勝利を収めるかを考えるのではなく、ただひたすら守りの姿勢をとった。
  • 市場のうち高級品部門を明け渡し、中級品部門におとなしく隠れていれば、自社の市場に参入してきた巨大企業も見逃してくれるだろうと期待した(49)。
  • これに対してキンバリー・クラークは、プロクター&ギャンブルとの競争を重荷ではなく、機会だととらえた。
  • ダーウィン・スミスらの経営陣は、最高の企業に挑戦するという考えに興奮し、自社を鍛え、強くする機会になると考えた。
  • 同時に、社内のすべての階層の幹部と従業員の競争意識を刺激する方法にもなるとみていた。
  • 社内のある会議で、ダーウィン・スミスが立ち上がり、こう切り出した。
  • 「全員立ち上がって、黙祷をしてほしい」。
  • みな、何があったのかと周囲を見回し、なぜ黙祷するのだろうといぶかった。
  • だれかが死んだのだろうか。
  • 一瞬ためらった後、全員が立ち上がって自分の靴を眺めて黙祷した。
  • しばしの間をおいて、スミスは顔をあげ、重々しい口調で語った。
  • 「いまのはプロクター&ギャンブルへの黙祷だ」全員が沸き立った。
  • その場にいた取締役のブレア・ホワイトは語る。
  • 「全員が興奮した。
  • 上から下まで、工場の現場にいたるまで。
  • われわれは巨人と戦うのだ」(50)。
  • スミスの後継者のウェイン・サンダーズは、最高の企業との戦いには信じがたいほどの利点があると話してくれた。
  • 「プロクター&ギャンブルほど素晴らしい競争相手がいるだろうか。
  • いるはずがない。
  • こう言うのは、同社を心から尊敬しているからだ。
  • 当社より規模が大きい。
  • 人材が豊富だ。
  • マーケティングの力は偉大だ。
  • 競争相手のすべてを蹴散らしてきた。
  • たったひとつの例外がキンバリー・クラークだ。
  • この点を当社はほんとうに誇りに思っている」(51)スコット・ペーパーとキンバリー・クラークがプロクター&ギャンブルに正反対の対応をみせた事実から、われわれは決定的な点を学ぶことができた。
  • 厳しい現実に直面したとき、偉大な企業は強くなり士気が高くなっているのであって、弱くなったり士気が落ちたりはしていない。
  • 厳しい現実を真っ向から見据えて、「われわれは決して諦めない。
  • 決して降伏しない。
  • 時間がかかるとしても、かならず勝つ方法を見つけ出す」と宣言すれば、気分は高揚する。
  • クローガーのロバート・アダーズがインタビューの最後に、この点をうまくまとめてくれた。
  • 二十年にわたる組織的な努力によって事業方式を完全に変更するとてつもない任務に直面したとき、経営陣の心理はこうだったという。
  • 「われわれの行動には、チャーチルに似た性格があった。
  • 生き抜くことへのきわめて強い意思があった。
  • 当社はクローガーであり、クローガーはわれわれがくる前にもあったし、われわれが去ってからも長い期間にわたって生き残っていく。
  • そして、この戦いにはかならず勝ってみせる。
  • 百年かかるかもしれないが、それが必要なら百年努力を続ける」(52)今回の調査の過程で、われわれは被害者研究国際委員会による「不撓不屈」の研究を繰り返し思い出していた。
  • これは、癌患者、捕虜、事故の犠牲者など、深刻な危機に直面して生き残った人たちを対象とする研究である。
  • 研究によれば、危機に直面した人たち
  • のその後は三つに分類できる。
  • 危機の打撃から立ち直れない人たち、普通の生活に戻る人たち、危機の経験を糧にして強くなる人たちである(53)。
  • 飛躍した企業は第三のグループに似ており、「不撓不屈要因」をもっている。
  • ファニーメイが一九八〇年代初めに変身をはじめたとき、経営再建に成功する確率が高いとはほとんどだれも考えてはいなかったし、まして偉大な企業になるとはみていなかった。
  • 総額五百六十億ドルのローンが赤字になっていたのだ。
  • 民間金融機関から買い取った住宅ローンで約九パーセントの金利を受け取っていたが、そのための資金は最高十五パーセントの金利で調達していた。
  • 五百六十億ドルにこの逆ざやを掛ければ、とてつもない金額になる。
  • それだけでなく、ファニーメイは住宅ローン関連以外に事業を多角化することを禁じられている。
  • 同社の命運は金利の動向しだいで、金利が上昇すれば赤字になり、下落すれば黒字になるというのが大方の見方であった。
  • 金融当局が金利を引き下げる手を打たないかぎり、成功するはずがないという意見が強かった(54)。
  • 「利下げに期待する以外にない」とあるアナリストは述べている(55)。
  • しかし、ダービッド・マクスウェルが組織した新経営陣は、状況をそうはみていなかった。
  • 勝利の確信が揺らぐことはなく、われわれのインタビューでは、目標は単なる生き残りではなく、偉大な企業として圧倒的な力をもつようになることだったと全員が強調している。
  • たしかに、逆ざやは厳しい現実であって、魔法で消えたりはしないものである。
  • だから、金利リスク管理で世界一の資本市場参加者になる以外に道はない。
  • マクスウェルらの経営陣は、金利への依存度を大幅に低めた新しい事業方式を構築する作業にとりかかり、きわめて高度なモーゲージ証券を作りだした。
  • ほとんどのアナリストはこの動きを嘲笑した。
  • 「五百六十億ドルのローンが赤字を垂れ流しているときに、新しい金融商品を開発するというのだから、冗談はほどほどにしてくれというしかない。
  • 倒産の危機を乗り切るために連邦政府保証を求めているクライスラーが航空機事業に乗り出すようなものだ」とあるアナリストが述べている(56)。
  • マクスウェルとのインタビューの終わりに、最悪期のこうした悲観的な見方にファニーメイの経営陣はどのように対処したのかとわたしは質問した。
  • 答えはこうだった。
  • 「社内ではそういう問題はまったくなかった。
  • もちろん、愚かな慣行を大量にやめなければならなかったし、まったく新しい種類の金融商品を開発しなければならなかった。
  • だが、失敗の可能性を考えるようなことはまったくなかった。
  • 悲惨な状況に陥ったのを機に、ファニーメイを偉大な企業に作り替えようと考えていた」(57)調査チームの会議で、ファニーメイの事例をみていくと、リー・メイジャーズ主演の昔のテレビ・ドラマ『サイボーグ危機一髪』を思い出すという意見が出された。
  • 砂漠で月着陸船の訓練をしていた宇宙飛行士が事故で重体になった。
  • 治療にあたった医師団は、患者の命を救うことだけを目標にするのではなく、六百万ドルをかけて超人的なサイボーグに改造し、強力な左目や人工の手足など、原子力エネルギーで動く機構を埋め込んだ(58)。
  • これと同じように、マクスウェルらの経営陣は、ファニーメイが赤字を垂れ流し、倒産の淵に立たされたとき、リストラで会社を救えばいいとは考えなかった。
  • これを機会に、はるかに強靱で強力な会社に作り替えようとしたのだ。
  • 一歩ずつ、一日ずつ、一月ずつ、リスク管理を中心に据えて事業方式を完全に作り替える作業を続け、ウォール街のどの金融機関にも負けない高収益を達成できるように企業文化を変えていった。
  • やがて、十五年間の株式運用成績が市場平均の八倍近くに達するまでになった。
  • ストックデールの逆説
  • もちろん、飛躍した企業がすべて、ファニーメイのような深刻な危機に直面したわけではない。
  • そういう企業は半分に満たない。
  • しかし、どの企業も偉大さへの飛躍の過程で、何らかの形で逆境にぶつかっている。
  • ジレットは乗っ取り攻勢に、ニューコアは輸入品の攻勢に、ウェルズ・ファーゴは規制緩和に、ピットニー・ボウズは独占市場の喪失に、アボットは大規模な製品回収に、クローガーはほぼすべての店舗を入れ換える必要に、それぞれ直面した。
  • どの場合にも、経営陣は二面性をもった強力な姿勢で困難に対応している。
  • 一方では、決して目をそらすことなく、厳しい現実を現実として受け入れている。
  • 他方では、最後にはかならず勝利するとの確信を持ちつづけ、厳しい現実はあっても、偉大な会社になって圧倒的な力をもつようになる目標を追求している。
  • この二面性を、われわれは「ストックデールの逆説」と呼ぶようになった。
  • これはジム・ストックデール将軍に因んだ言葉である。
  • ベトナム戦争の最盛期、「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれた捕虜収容所で、最高位のアメリカ軍人だった人物だ。
  • 一九六五年から七三年まで八年間の捕虜生活で、二十回以上にわたって拷問を受け、捕虜の権利を認められず、いつ釈放されるか見込みがたたず、生き残って家族に再開できるかすら分からない状況を生き抜いてきた。
  • 捕虜の責任者の地位を引き受け、できるかぎり多数の捕虜が生き残れる状況を作りだすとともに、収容所側と戦い、捕虜を宣伝に使おうとする敵の意図を挫くために全力をつくした。
  • 椅子を自分の顔にたたきつけ、剃刀で切って顔を傷つけ、「厚遇されている捕虜」の一員としてテレビ撮影されないようにしたこともある。
  • 見つかればさらに拷問を受けるし、殺される可能性もあることを覚悟して、妻との手紙で秘密情報を交換している。
  • 拷問を受けたときにどう対応すべきか、規則をさだめてもいる(拷問に耐え抜くことはだれにもできない。
  • そこで、段階的な仕組みを作った。
  • ある時間がたったら、ある部分まではしゃべってもいい。
  • これによって捕虜になった将兵は生き抜く目標をもてる)。
  • 捕虜同士の精巧な連絡手段を作り上げ、収容所側が狙いとする孤立感を和らげた。
  • これはモールス信号のような信号で、縦横がそれぞれ五個の行列でアルファベットの各文字をあらわす(トン・トンでA、トン・休止・トン・トンでB、トン・トン・休止・トンでFなどで二十五文字をあらわし、Kの繰り返しでCをあらわす)。
  • ストックデールが撃墜されて三年たった日、話をしないよう命じられた捕虜が中庭を掃除しながら、この信号を使って皆でストックデールを讃える言葉を贈ったこともある。
  • 釈放されて帰国した後、ストックデールは海軍の歴史ではじめて、航空記章と名誉勲章を付けた中将になった(59)。
  • そのストックデールに会うことになって、わたしが興奮したのは理解いただけるだろう。
  • わたしのクラスの院生がストックデールについての論文を書いた。
  • そのときストックデールはわたしの研究室のすぐ向かいにあるフーバー研究所で上級研究員としてストア哲学を研究しており、わたしとその院生を昼食に招待してくれた。
  • 下調べをしようと、わたしは『愛と戦争』を読んだ。
  • ストックデール夫妻が交互に執筆して、八年間の体験を記録した本である。
  • 本を読み進めると、気持ちが暗くなっていった。
  • やりきれなくなるほど暗い本なのだ。
  • いつ終わるともしれない苦難が続き、収容所側は残忍だ。
  • やがて、少しずつみえてくるものがあった。
  • 「自分はこうして、暖かく快適な研究室に坐って、美しいスタンフォードのキャンパスを眺めながら、美しい土曜日の午後をすごしている。
  • この本を読んで気分が暗くなっているが、自分は結末を知っているのだ。
  • 収容所から釈放され、家族との再開を果たし、アメリカの英雄になり、後半生をこの美しいキャンパスですごし、哲学を研究している。
  • それを知っているのに気分が暗くなるのなら、収容所に放り込まれ、結末がどうなるかも知らなかった本人は、いっ
  • たいどのようにして苦境に対処したのだろうか」わたしの質問に、ストックデールはこう答えた。
  • 「わたしは結末について確信を失うことはなかった。
  • ここから出られるだけでなく、最後にはかならず勝利を収めて、この経験を人生の決定的な出来事にし、あれほど貴重な体験はなかったと言えるようにすると」***わたしは何も言えなくなった。
  • 教員クラブに向かって、ゆっくりと歩いていた。
  • ストックデールは繰り返し受けた拷問の傷が癒えず、曲がらない膝をかばって足を丸く回転させながらゆっくりゆっくりと歩いている。
  • 百メートルほど歩いたころ、わたしはようやく次の質問をした。
  • 「耐えられなかったのは、どういう人ですか」「それは簡単に答えられる。
  • 楽観主義者だ」「楽観主義者ですか。
  • 意味が理解できないのですが」。
  • わたしは頭が混乱した。
  • 百メートル前に聞いた話とまったく違うではないか。
  • 「楽観主義者だ。
  • そう、クリスマスまでには出られると考える人たちだ。
  • クリスマスが近づき、終わる。
  • そうすると、復活祭までには出られると考える。
  • そして復活祭が近づき、終わる。
  • つぎは感謝祭、そしてつぎはまたクリスマス。
  • 失望が重なって死んでいく」ふたたび長い沈黙があり、長い距離を歩いた。
  • そしてストックデールはわたしに顔を向け、こう言った。
  • 「これはきわめて重要な教訓だ。
  • 最後にはかならず勝つという確信、これを失ってはいけない。
  • だがこの確信と、それがどんなものであれ、自分がおかれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視する規律とを混同してはいけない」わたしは、楽観主義者をさとすストックデールの姿を頭のなかで思い描き、その像がいまだに消えることがない。
  • 「クリスマスまでに出られるなんてことはない。
  • その現実を直視しろ」***ストックデール将軍とのこの会話は忘れられないものになり、自分を磨いていくうえで強い影響を受けるようになった。
  • 人生は公平ではない。
  • ときには有利な状況に恵まれ、ときには不利な状況に追い込まれる。
  • 人はだれでも、人生のどこかで失望を味わい、絶望的な事態にぶつかる。
  • 納得できる「理由」もなく、責任を追求できる相手もいない挫折を味わう。
  • 病気になることもある。
  • 大怪我をすることもある。
  • 事故にあうこともある。
  • 愛する人に先立たれることもある。
  • 政治的な動きがからんだ組織再編で職を失うこともある。
  • ベトナム上空で撃墜され、八年にわたって捕虜収容所に放り込まれることもある。
  • 違いをもたらすのは、困難にぶつかるかぶつからないかではない。
  • 人生のなかでかならずぶつかる困難にどう対応するかだ。
  • これがストックデールから学んだ点だ。
  • 厳しい状況にぶつかったとき、最後にはかならず勝つという確信を失ってはならず、同時に、自分がおかれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視しなければならない。
  • このストックデールの逆説は、困難を経て弱くなるのではなく強くなるための強力な武器になった。
  • わたしだけではない。
  • この教訓を学び、活かそうと試みたもの全員にとって、強力な武器になっている。
  • ストックデールの逆説どれほどの困難にぶつかっても、最後にはかならず勝つという確信を失ってはならない。
  • そして同時にそれがどんなものであれ、自分がおかれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視しなければならない。
  • わたしは当初、ストックデールと歩きながらかわした会話を、偉大な企業の調査と関連付けようとはまったく考えていなかった。
  • これは企業に関する教訓ではなく、個人に関する教訓だと思えたからだ。
  • しかし、調査結果が明らかになっていくとともに、わたしは繰り返しこの教訓について考えるようになった。
  • とうとうある日の調査チーム会議で、ストックデールの物語を話すことにした。
  • 話しおわったとき、しばしの沈黙が続いた。
  • 「トンチンカンなことを言っていると思われているのだろうな」とわたしは考えていた。
  • するとドゥエイン・ダフィーが口を開いた。
  • 物静かで思慮深く、A&Pとクローガーの比較分析を担当してきた。
  • 「まさに、わたしが苦闘してきた点だ。
  • A&Pとクローガーの決定的な違いをなんとかつかもうとしてきた。
  • これがまさにその点だ。
  • クローガーはストックデールに似ており、A&Pはクリスマスまでには出られると考える楽観主義者に似ている」他の人たちも賛成し、それぞれが比較分析を担当した企業にも同じ違いがあると指摘した。
  • ウェルズ・ファーゴとバンク・オブ・アメリカがどちらも規制緩和に直面したとき、キンバリー・クラークとスコット・ペーパーがどちらもプロクター&ギャンブルという強敵にぶつかったとき、ピットニー・ボウズとアドレソグラフがどちらも独占市場を失ったとき、ニューコアとベスレヘム・スチールがどちらも輸入品の攻勢を受けたときなどなどである。
  • 良好から偉大に飛躍した企業はすべて、同じ逆説的な姿勢をとっている。
  • われわれはこの姿勢を「ストックデールの逆説」と名付けることにした。
  • ストックデールの逆説は、自分自身の人生であれ、他人を率いる点であれ、偉大さを築き上げた人全員の特徴になっている。
  • チャーチルは第二次世界大戦のときにこの特徴をもっていた。
  • ストックデール将軍は捕虜収容所で、そしてそれ以前のビクトール・フランクルは強制収容所で、この特徴をもっていた。
  • 偉大な業績をあげた企業は、自由世界を救うほどの偉業をなし遂げたわけではないし、捕虜収容所に放り込まれるほどの極限状態を経験したわけではないが、いずれもストックデールの逆説を奉じている。
  • 状況がどれほど厳しくても、自社の凡庸さがどれほど気の滅入るものであっても、生き残るだけではなく、偉大な企業になって圧倒的な力をもつようになるとの確信が揺るぐことがない。
  • しかし同時に、自分がおかれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視する姿勢を崩さない。
  • 今回の調査で発見した点のほとんどがそうだが、偉大さをもたらす主要な要因は拍子抜けするほど単純明快である。
  • 飛躍を導いた指導者は、大量の雑音を取り除いて、最大の影響を与える少数の点に焦点をあてる。
  • そうできるのはかなりの部分、ストックデールの逆説の両面をつねに大切にしていて、片方だけに目を奪われることがないからである。
  • この二重性を身につけることができれば、正しい決定をつぎつぎにくだしていき、いずれはほんとうに大きな決定を行うために、単純だがきわめて賢明な概念を発見できる可能性を劇的に高められる。
  • こうした単純だが統一のとれた概念があれば、画期的な業績をあげられる企業への変身まであと一歩になる。
  • 次章ではこのような概念の構築を取り上げる。
  • 章の要約
  • 厳しい現実を直視する要点・偉大な実績に飛躍した企業はすべて、偉大さへの道を発見する過程の第一歩として、自分がおかれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視している。
  • ・自社がおかれている状況の真実を把握しようと、真摯に懸命に取り組めば、正しい決定が自明になることが少なくない。厳しい現実を直視する姿勢を貫いていなければ、正しい決定をくだすのは不可能である。
  • ・偉大な企業に飛躍するためにまず行うべき点は、上司が意見を聞く機会、そして究極的には真実に耳を傾ける機会が十分にある企業文化を作り上げることである。
  • ・上司が真実に耳を傾ける社風を作る基本的な方法が四つある。
  • ㈠答えではなく、質問によって指導する。
  • ㈡対話と論争を行い、強制はしない。
  • ㈢解剖を行い、非難はしない。
  • ㈣入手した情報を無視できない情報に変える「赤旗」の仕組みを作る。
  • ・飛躍した企業は、比較対象企業と変わらぬほど逆境にぶつかったが、逆境への対応の仕方が違っている。厳しい現実に真っ向から取り組んでいる。この結果、逆境を通り抜けた後にさらに強くなっている。
  • ・偉大さへの飛躍を導く姿勢のカギは、ストックデールの逆説である。どれほどの困難にぶつかっても、最後にはかならず勝つという確信を失ってはならない。
  • そして同時に、それがどんなものであれ、自分がおかれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視しなければならない。
  • 意外な調査結果・カリスマ性は強みになると同時に、弱みにもなりうる。経営者が強い個性をもっているとき、部下が厳しい現実を報告しなくなりかねない。
  • ・リーダーシップはビジョンだけを出発点とするものではない。人びとが厳しい現実を直視し、その意味を考えて行動するよう促すことを出発点とする。
  • ・従業員や幹部の動機付けに努力するのは、時間の無駄である。ほんとうの問題は「どうすれば従業員の意欲を引き出せるか」ではない。適正な人たちがバスに乗っていれば、全員が意欲をもっている。
  • 問題は、人びとの意欲を挫かないようにするにはどうすればいいのかである。そして、厳しい現実を無視するのは、やる気をなくさせる行動のなかでもとくに打撃が大きいものだ。
  • 第五章単純明快な戦略──針鼠の概念
  • 汝自身を知れ。
  • アポロ神殿に書かれた言葉、プラトンによる(1)
  • 読者は針鼠だろうか、それとも狐だろうか。
  • アイザイア・バーリンは有名な随筆「針鼠と狐」で、世間には針鼠型の人と狐型の人がいると指摘した。
  • これは古代ギリシャの寓話、「狐はたくさんのことを知っているが、針鼠はたったひとつ、肝心要の点を知っている」に基づいたものだ(2)。
  • 狐は賢い動物で、複雑な作戦をつぎつぎに編み出して、針鼠を不意打ちにしようとする。
  • 昼も夜も、針鼠の巣の周囲をうろつき、完璧の機会をとらえて襲いかかろうとしている。
  • 狐は動作が俊敏で、毛並みが美しく、足が速く、頭が良く、針鼠ごときに負けるはずがないと思える。
  • 対する針鼠は何とも冴えない動物で、山荒とアルマジロの間の子のような姿形だ。
  • 短い足でちょこちょこ歩き、餌を探し、巣を守るだけの単純な生活をおくっている。
  • 狐は針鼠の通り道のすぐ近くにひそんで、息をころしている。
  • 針鼠は餌探しに熱中していて、狐の狙い通りの場所にやってくる。
  • 「よし、今度こそ仕止めてやる」。
  • 狐は地面を蹴って、目にもとまらぬ速さで飛びかかる。
  • ちっぽけな針鼠は殺気を感じ、目をあげる。
  • 「またまたお出ましだ。
  • 何度失敗しても懲りない奴だなあ」。
  • 身体を丸めて、小さな球のようになる。
  • 鋭い針がどの方向にも突き出している。
  • 獲物を目の前にした狐は、針鼠の防御態勢をみて飛びかかるのを諦める。
  • だが森の中に引き返しながら、もう次の作戦をあれこれ考えている。
  • 針鼠と狐の戦いは毎日、少しずつ形を変えて繰り返される。
  • 狐の方がはるかに知恵があるのに、勝つのはいつも針鼠だ。
  • バーリンはこの短い寓話に基づいて、人間を狐型と針鼠型という二つの基本型に分類した。
  • 狐型の人たちはいくつもの目標を同時に追求し、複雑な世界を複雑なものとして理解する。
  • 「力を分散させ、いくつもの動きを起こしており」、全体的な概念や統一のとれたビジョンに考えをまとめていこうとはしない。
  • これに対して針鼠型の人たちは、複雑な世界をひとつの系統だった考え、基本原理、基本概念によって単純化し、これですべてをまとめ、すべての行動を決定している。
  • 世界がどれほど複雑であっても、針鼠型の人たちはあらゆる課題や難題を単純な、そう、単純すぎるほど単純な針鼠の概念によってとらえる。
  • 針鼠型の人たちにとって、針鼠の概念に関係しない点は注目するに値しない。
  • プリンストン大学のマービン・ブレスラー教授とはよく話し込むことがあるが、そんな機会のひとつに教授が針鼠の強さを指摘した。
  • 「大きな影響を与える業績を残した人たちと、同じように優秀でもそれほどの影響を与えられなかった人たちとの間に、どのような違いがあるか、分かるだろうか。
  • 偉人は皆、針鼠なのだ」。
  • フロイトは無意識の世界に、ダーウィンは自然選択に、マルクスは階級闘争に、アインシュタインは相対性原理に、アダム・スミスは分業に、それぞれ関心を集中させている。
  • いずれも針鼠なのだ。
  • 複雑な世界について考え抜き、単純化してとらえている。
  • 「偉大な足跡を残した人たちはかならず、『素晴らしい見方だが、単純化しすぎだ』という批判を受けている」(3)針鼠型の人たちはもちろん、愚かではない。
  • まったく逆である。
  • 理解を深めていけば、本質は単純であることを知っているのだ。
  • 相対性理論のe=mcほど単純な公式がありうるだろうか。
  • 無意識をイド、自我、超自我で説明することほど単純な考えがありうるだろうか。
  • アダム・スミスのピン製造所と「見えざる手」ほど簡潔な説明がありうるだろうか。
  • 針鼠型の人たちは愚かなのではない。
  • 本質を深く見抜く力をもっているために、複雑さの奥にある基本的なパターンを把握できるのだ。
  • 針鼠型の人たちは本質を見抜き、本質以外の点を無視する。
  • 針鼠と狐の話が、偉大な企業への飛躍とどのような点で関係があるのだろう。
  • 答えはこうだ。
  • すべての点で関係がある。
  • 偉大な企業への飛躍を導いた経営者は、程度の違いはあっても、全員が針鼠型である。
  • 針鼠型の考え方によって、「針鼠の概念」とわれわれが呼ぶようになったものを、それぞれの会社に合わせて確立している。
  • 比較対象企業を率いた経営者は狐型が多く、針鼠の概念にみられる単純明快さの利点を獲得できず、力が分散し、焦点がぼけ、方針に一貫性がなくなっている。
  • ウォルグリーンズVSエッカード
  • ウォルグリーンズとエッカードについて考えてみよう。
  • 前述のように、ウォルグリーンズは一九七五年末から二〇〇〇年までの株式運用成績が市場平均の十五倍になり、GE、メルク、コカ・コーラ、インテルなどの優良企業を軽く上回る実績をあげている。
  • 同社のように無名で、退屈だとすらいわれそうな企業にしては、おどろくべき実績である。
  • コーク・ウォルグリーンとのインタビューで、わたしはこの偉大な実績をあげてきた理由をもっと掘り下げて、われわれが理解できるようにしてほしいと、繰り返し求めた。
  • 最後に、ウォルグリーンは少々苛立ちながら、こう語った。
  • 「そんなに複雑な話ではない。
  • 概念がつかめたら、後はひたすら真っ直ぐに進んできただけだ」(4)ではどのような概念なのか。
  • じつに単純な概念である。
  • もっとも便利な最高のドラッグ・ストアで、来客一人当たりの利益を最大限に増やす。
  • これだけだ。
  • この戦略で突破口を開き、インテルやGEやコカ・コーラやメルクを上回る実績をあげてきた。
  • ウォルグリーンズは針鼠型の典型ともいえるスタイルで、この単純な概念を採用し、熱狂的ともいえるほど一貫して実行していった。
  • 利便性が劣る立地の店舗を組織的に、利便性がすぐれた立地に移転した。
  • 理想は角地であり、どの方向からもすぐに出入りできる店舗である。
  • 立地条件がよく、収益性が高い店舗からほんの半ブロックのところにある角地に空きができた場合、賃借契約の解約にたとえ百万ドルかかっても、その店舗を閉じて、角地に新店舗を開く(5)。
  • ドライブスルー薬局という新しい業態を実験し、消費者の受けがよかったことから、数百店を開店した。
  • 都市部では店舗を密集させ、どこからでも数ブロック歩けばかならず店舗があるようにする方針を掲げている(6)。
  • たとえばサンフランシスコの中心街では、半径一マイルに九つの店舗を設けている。
  • 九店舗だ(7)。
  • くわしくみていくと、いくつかの都市ではウォルグリーンズの店舗が、シアトルのスターバックス店と変わらないほどの密集している。
  • この利便性の概念は、来客一人当たりの利益という単純な財務上の概念と結び付いている。
  • 店舗の密集(一マイル以内に九店舗もの密集)によってそれぞれの地区で数量効果を確保し、それによって生み出した資金を投資してさらに店舗を密集させる。
  • それによって来客数をさらに増やす。
  • 一時間の写真現像・焼き付けサービスなど、粗利益率の高いサービスをくわえて、来客一人当たりの利益を増やす。
  • 利便性が高くなれば来客数が増え、そのうえ来客一人当たりの利益が増えているので、キャッシュフローが増えて、さらに便利な店舗を建設できる。
  • 同社はこの信じがたいほど単純なアイデアに基づいて、一店舗ずつ、一ブロックずつ、一都市ずつ、一地方ずつ、針鼠の概念を徹底させていった。
  • 経営の流行をあおる人たち、ビジョンの賢明さを売り込む人たち、大風呂敷を広げる未来学者、恐怖心をあおる人たち、動機付けの妙薬を説く経営の教祖などが氾濫しているいま、たったひとつの単純な概念を打ち立て、想像力を発揮してそれを見事に実行に移し、目ざましい実績をあげた企業をみると、胸がすくようだ。
  • 利便性の高いドラッグストアで世界一になり、来客一人当たりの利益を着実に増やしていく。
  • これほど明白で単純明快な概念があるだろうか。
  • しかし、この方針が明白だし、単純明快なものであるとするなら、エッカードはどうして同じ方針をとらなかったのだろうか。
  • ウォルグリーンズが利便性と密集の概念を実現できる都市だけに事業を集中させているのに対して、エッカードでは、これに似た一貫性のある成長戦略が確立されていたことを示す事実は見あたらなかった。
  • エッカードの経営陣は根っからの買収屋であり、店舗をまとめて買収する機会につぎつぎに飛びついていった。
  • 全体を統一する明確な概念をもたないまま、ここで四十二店、あそこで三十六店と、手当たり次第に店舗を買収していった。
  • ウォルグリーンズの経営陣は、収益性の高い成長を達成するには針鼠の概念にあわない部分をすべて取り除いていく必要があることを理解していた。
  • これに対してエッカードの経営陣は成長のための成長を追い求めた。
  • 一九八〇年代初め、ウォルグリーンズが利便性の高いドラッグストアの概念の実現に熱狂的ともいえるほどの熱意で取り組むようになったころ、エッカードはアメリカン・ホーム・ビデオを買収してビデオ市場に参入した。
  • エッカードのCEOは一九八一年にフォーブス誌のインタビューで、「事業を絞り込むほど強くなると感じている人もいる。
  • しかしわたしは成長を求めている。
  • ホーム・ビデオ産業は急成長していて、その点で、たとえばドラッグストア・チェーンとは違っている」と語っている(8)。
  • この新規事業は結局三千百万ドルの損失を出した後、タンディに売却することになった。
  • タンディは簿価より七千二百万ドル低い価格で買収できたと自慢している(9)。
  • エッカードがアメリカン・ホーム・ビデオを買収した年、ウォルグリーンズとエッカードは売上高がどちらも十七億ドルで、ほぼ並んでいた。
  • 十年後にはウォルグリーンズは売上高でエッカードの二倍になり、この十年間の累積純利益はエッカードより十億ドルも多かった。
  • 二十年後には、ウォルグリーンズはさらに強くなり、今回の調査対象企業のなかでも偉大な業績がとくに長続きしている。
  • 一方のエッカードはJ・C・ペニーに買収されて独立を失っている(10)。
  • 三つの円
  • 針鼠の概念が生まれたのは、調査チームの会議で、ウォルグリーンズの目ざましい実績の背景を理解しようと議論していたときである。
  • わたしは質問した。
  • 「要するに戦略があったということではないのか。
  • 利便性の高いドラッグストア、来客一人当たりの利益、これは要するに基本戦略ではないのか。
  • 基本戦略がどうして、それほど面白いといえるのだろうか」両社の比較分析を担当したジェニー・クーパーが発言した。
  • 「しかし、エッカードも戦略をもっていた。
  • だから、戦略を確立していただけだとはいえない。
  • 両社とも戦略をもっていたのだから」。
  • この見方は正しかった。
  • 戦略を確立していた点だけでは、飛躍を遂げた企業と比較対象企業に違いがあったとはいえない。
  • どちらの企業も戦略的計画をたてていたし、飛躍した企業の方が戦略の開発と長期計画の策定に時間とエネルギーをかけたといえる事実はまったくなかった。
  • 「だったら、良い戦略と悪い戦略の違いなのだろうか」ここで全員がしばし考え込んだ。
  • そしてリー・ウィルバンクスが発言した。
  • 「しかし、とくに目立つのは、信じがたいほどの単純さだ。
  • クローガーのスーパーマーケットの概念にしても、キンバリー・クラークの消費者向け紙製品市場への注力にしても、ウォルグリーンズの利便性の高いドラッグストアにしても、どれも単純で単純で、思い切り単純なアイデアだ」これをきっかけに調査チームの全員が議論にくわわり、各自が担当した企業でもおなじことがいえると語った。
  • すぐに十分に明らかになった点だが、飛躍した企業はすべて、きわめて単純な概念を確立して、これを判断基準としてすべての決定をくだしていた。
  • そしてこの概念の確立の時期は、実績が飛躍をはじめた時期に一致していた。
  • 一方、比較対象企業はエッカードにみられるように、成長のための派手な戦略によって足をすくわれている。
  • そこでわたしはふたたび質問した。
  • 「話は分かったが、単純なだけで十分なのだろうか。
  • 単純だからといって、正しいとはかぎらない。
  • 単純だが間違った考えをいだいていた企業が失敗した例は、山ほどあるではないか」こうしてわれわれは、飛躍した企業と比較対象企業の間に、経営を導く概念にどのような違いがあるのかを組織的に調査することにした。
  • 数か月にわたって情報を選り分け、整理し、さまざまな可能性を検討しては捨て去った結果、ようやくひとつの結論を導き出すことができた。
  • 飛躍を遂げた企業が確立した針鼠の概念はいずれも、単純でありさえすればいいという性質のものではなかった。
  • 偉大な実績に飛躍した企業と比較対象企業との間には、戦略に二つの基本的な点で決定的な違いがあった。
  • 第一に、飛躍した企業では、戦略の策定の基礎として、三つの主要な側面を深く理解している。
  • これらの側面をわれわれは、「三つの円」と呼ぶようになった。
  • 第二に、飛躍した企業では、この深い理解を単純で明快な概念にまとめ、この概念をすべての活動の指針にしている。
  • これが「針鼠の概念」である。
  • つまり、針鼠の概念は単純で明快な概念であり、以下の三つの円が重なる部分に関する深い理解から導き出されている。
  • ㈠自社が世界一になれる部分はどこか(同様に重要な点として、世界一になれない部分はどこか)。
  • この基準は、中核的能力がどこにあるかよりもはるかに厳しい。
  • 中核的能力があっても、その部分で世界一になれるとはかぎらない。
  • 逆に、世界一になれる部分は、その時点で従事していない事業かもしれない。
  • ㈡経済的原動力になるのは何か。
  • 飛躍した企業はいずれも、鋭い分析によって、キャッシュフローと利益を継続的に大量に生み出すもっとも効率的な方法を見抜いている。
  • 具体的には、財務実績に最大の影響を与える分母をたったひとつ選んで、「X当たり
  • 利益」という形で目標を設定している(非営利事業であれば、「X当たり年間予算」になるだろう)。
  • ㈢情熱をもって取り組めるのは何か。
  • 偉大な企業は、情熱をかきたてられる事業に焦点を絞っている。
  • どうすれば熱意を刺激できるのかではなく、どのような事業になら情熱をもっているかを見つけ出すことがカギになっている。
  • 三つの円を素早く理解するには、企業についてではなく、自分の仕事について考えてみるといい。
  • 以下の三つの基準に合う仕事ができると考えてみよう。
  • 第一に、持って生まれた能力にぴったりの仕事であり、その能力を活かして、おそらくは世界でも有数の力を発揮できるようになる(自分はこの仕事をするために生まれてきたのだと思える)。
  • 第二に、その仕事で十分な報酬が得られる(これをやってこんなにお金が入ってくるなんて、夢のようではないかと思える)。
  • 第三に、自分の仕事に情熱をもっており、仕事が好きでたまらず、仕事をやっていること自体が楽しい(毎朝、目が覚めて仕事に出掛けるのが楽しく、自分の仕事に誇りをもっている)。
  • この三つの円が重なる部分を見つけ出し、それを単純で明快な概念にまとめて自分の指針にすることができれば、自分の人生を導く針鼠の概念を確立できたことになる。
  • 針鼠の概念を完成させるには、この三つの円のすべてが必要である。
  • 巨額の利益を確保できるが、世界一にはなれない事業を行っているのであれば、成功を収めることはできても、偉大にはなれない。
  • ある事業で世界一になれても、その事業にもともと情熱をもっているわけではないのであれば、世界一の地位を維持することはできない。
  • 最後に、その事業に情熱を燃やしていても、世界一になれないか、財務面に問題があれば、事業を楽しむことはできても、まさに偉業といえる実績をあげることはできない。
  • 世界一になれる部分となれない部分
  • 「自分たちが理解している部分に全力を集中し、自負心によってではなく、自分たちの能力によって何をするかを決めている」(11)。
  • ウォーレン・バフェットは、銀行業界の先行きには深刻な懸念を持ちながら、ウェルズ・ファーゴに二億九千万ドルを投資したとき、こう書いている(12)。
  • ウェルズ・ファーゴは針鼠の概念を確立するまで、世界的な銀行になることを目標にシティコープに追随していた。
  • それも凡庸な追随者にすぎなかった。
  • その後、まずはディック・クーリーのもと、つぎにカール・ライヒャルトのもと、経営陣がいくつかの鋭い問いをたてるようになった。
  • どこにも負けない事業にできる部分はどこなのか、そして同様に重要な問いとして、どこにも負けない事業にならない部分はどこなのか。
  • そして、最高になれないのであれば、その事業にかかわる意味がはたしてあるのか。
  • こうして同行の経営陣は自負心を棚上げにして、国際事業の大部分から撤退し、世界的な銀行事業ではシティコープに勝てない事実を受け入れた(13)。
  • そのうえで、自行が世界一になりうる部分に関心を集中させた。
  • 銀行をビジネスとして経営すること、それもアメリカ西部に事業地域を絞り込んで経営することである。
  • 正解であった。
  • これが針鼠の概念になって、ウェルズ・ファーゴはシティコープに追随する凡庸な銀行から、世界有数の好業績をあげる銀行に飛躍できた。
  • 転換点のCEO、カール・ライヒャルトは、まさに針鼠型の典型だといえる。
  • バンク・オブ・アメリカのCEOが規制緩和に直面してパニックに陥り、反動と革命の間を揺れ動き、複雑なモデルと時間のかかる集団療法を使う経営変革の教祖を雇ったのに対して、ライヒャルトは複雑さをすべてはぎとって、肝心要の単純な概念を提示した(14)。
  • われわれのインタビューでこう語っている。
  • 「宇宙科学のようなむずかしい話ではない。
  • われわれの動きはきわめて単純であり、単純にしてきた。
  • あまりに単純で自明なことなので、それについて話すのが滑稽に思えるほどだ。
  • 競争が熾烈な産業、規制のない産業から銀行業界に移った経営者なら、ごく並みの人でも、雀が夏虫の群れに飛びつくように、この戦略に飛びつくだろう」(15)ライヒャルトはこの単純な針鼠の概念を徹底して追求するよう求め、「カリフォルニア州モデストの方が東京よりも利益があがる」と繰り返し語っている(16)。
  • ライヒャルトには単純化の素晴らしい才能があると、周囲の人たちが驚嘆している。
  • 部下のひとりはこう語っている。
  • 「オリンピックの高飛び込みに出場したら、五回転ひねりとかはやらないだろう。
  • 世界一のスワン・ダイブを完璧に、何回も披露するだろう」(17)ウェルズ・ファーゴは針鼠の概念に徹底して注力したので、この概念が「お題目」になったという。
  • われわれのインタビューでも、経営陣が皆、同じ基本について語っている。
  • 「そんなに複雑なことはしていない。
  • 事業の現実を直視して、どこにも負けない事業にできると分かっている少数の部分に全力を集中した。
  • 自負心を満足させることはできても、最高にはなれない分野には、注意を分散させないようにした」ここから、この章でもとくに重要な点を導き出せる。
  • 針鼠の概念は、最高を目指すことではないし、最高になるための戦略でもないし、最高になる意思でもないし、最高になるための計画でもない。
  • 最高になれる部分はどこかについての理解なのだ。
  • この違いは、まさに決定的である。
  • どの企業も、何らかの点で最高になりたいと願っている。
  • しかし、自負心で目を曇らせることなく現実を厳しく見つめ、世界一になれる部分がどこなのか、そして、同様に重要な点として、世界一になれない部分がどこなのかをほんとうに理解している企業は少ない。
  • そしてこの点こそが、飛躍を達成した企業と比較対象企業とを隔てる主な違いのひとつなのだ。
  • アボット・ラボラトリーズとアップジョンの違いを考えてみよう。
  • 一九六四年には、両社は売上高、利益、製品構成のどれをとっても、きわめてよく似ていた。
  • 両社とも事業のかなりの部分が医薬品であり、主に抗生物質であった。
  • 両社とも家族経営であった。
  • 両社とも医薬品業界の競争で後れをとっていた。
  • ところが一九七四年に、アボットは突破段階に入り、その後十五年間の株式運用成績が、市場平均の四・〇倍、アップジョンの五・五倍になった。
  • 両社の決定的な違いのひとつは、アボットが最高になれる部分を認識して針鼠の概念を確立したのに対して、アップジョンがそうしなかったことである。
  • アボットは厳しい現実を直視することを出発点としている。
  • 一九六四年には、医薬品業界で最高になる道は閉ざされていた。
  • 四〇年代から五〇年代にかけて、アボットがエリスロマイシンという金のなる木に頼りきって惰眠をむさぼっていた間に、メルクなどの大手はハーバード大学やカリフォルニア大学バークリー校に匹敵する研究機関を作り上げていた。
  • 一九六四年、ジョージ・ケインらのアボットの経営陣が気づいたときには、メルクなどの大手に研究体制で大きく水を開けられていて、医薬品業界で最高の企業になろうとするのは、高校のアメリカン・フットボール・チームが、ダラス・カウボーイズと戦おうとするようなものになっていた。
  • アボットは設立以来、医薬品事業を主力にしてきたのだが、最高の医薬品会社を目指すのは現実的ではなくなっていた。
  • そこで第
  • 五水準の指導者に導かれ、ストックデールの逆説のうち確信の部分を用いて(偉大な企業になって勝利を収める道はあるに違いない、その道を探してみせる)、アボットの経営陣は世界一になれる部分を理解する努力を続けた。
  • 一九六七年ごろ、カギが見つかった。
  • 最高の医薬品会社になる機会は逃したが、医療のコスト効率を高める製品の開発では、一頭地を抜く企業になる機会があることが分かったのだ。
  • 同社が開発を続けてきたものに病院用の栄養剤があり、手術後の患者が体力を素早く回復できるようにすることを狙っていた。
  • また、診断用の機器があり、医療コストを引き下げる主要な方法のひとつは診断を適切にすることである。
  • アボットはやがて、この二つの分野で第一位の地位を獲得し、医療のコスト効率を高める製品の開発で世界一の企業になる道を歩むようになった(18)。
  • アップジョンは同じ厳しい現実を直視せず、メルクをいつか追い抜く夢を見つづけていた(19)。
  • 後に医薬品業界の大手にさらに引き離されたとき、プラスチックや化学品など、世界一にはなれるはずもない分野に事業を多角化した。
  • 大手にさらに引き離されるようになって、今度は処方薬に事業を絞り込んだが、巨額のコストがかかる新薬開発競争で勝利を収めるには規模が小さすぎる事実を直視しようとはしなかった(20)。
  • アップジョンはアボットと比較して、売上高に対する研究開発費の比率がつねに二倍近くに達していたが、利益は半分以下に低迷し、一九九五年についに買収されている(21)。
  • アボットとアップジョンを比較すると、「中核事業」と針鼠の概念の違いがよく分かる。
  • ある事業が中核事業だからといって、何年にもわたり、ときには何十年にもわたって従事してきたからといって、それで世界一になれるとはかぎらない。
  • そして、中核事業で世界一になりえないのであれば、中核事業は針鼠の概念の基礎にはならない。
  • 針鼠の概念はあきらかに、中核的能力と同じではない。
  • 何らかの部分に能力があっても、それで世界一になれるとはかぎらない。
  • 高校の数学でつねに最高の成績を収め、大学進学適性試験の数学でも点が高く、数学の能力の高さを示した学生について考えてみよう。
  • この学生は数学者になるべきなのだろうか。
  • そうとはかぎらない。
  • 大学で数学を学び、やはり成績が良かったが、はるかに数学の才能に恵まれている人が何人もいることに気づいたとしよう。
  • そういう学生のひとりがこう語っている。
  • 「期末試験の問題を解くのに、自分は三時間かかる。
  • ところが同じ問題を三十分で解いて、A+をとる学生がいる。
  • 脳の構造が違うのだ。
  • 自分は優秀な数学者にはなれるかもしれないが、最高にはなれないことにすぐに気づかされた」。
  • この学生は両親や友人から、「でも素晴らしい成績じゃない」と、数学を続けるように言われつづけるかもしれない。
  • このようにして、自分が完全には卓越できなかったり、望みの水準を達成できない仕事に引きつけられたり、おしこめられたりする人が多い。
  • 「能力の罠」にとらわれ、明快な針鼠の概念を確立できない状態になって、偉大な業績をあげることはまずできない。
  • 針鼠の概念で要求される基準はきわめて高い。
  • 強みや能力を活かすことには止まらない。
  • 自分の組織がほんとうに世界一になれる潜在力をもっている部分、それをいつまでも続けられる部分がどこにあるのかを理解しなければならない。
  • アップジョンにみられるように、比較対象企業は「良好」ではあっても偉大にはなれない分野にこだわるか、それ以上に悪い場合には、最高になる可能性がまったくない分野で、楽に成長し、楽に利益をあげる機会を追求しようとする。
  • 利益は確保できても、偉大には決してなれない。
  • 偉大な企業へと飛躍するには、「能力の罠」を克服しなければならない。
  • そのためには、「何かをうまくできるからといって、利益をあげていて成長しているからといって、それで最高になれるとかぎらない」と判断する規律がなければならない。
  • 飛躍を遂げた企業は、無難な仕事を続けていても無難になれるだけであることを理解している。
  • どこにも負けない事業になりうる部分だけに注力することが、偉大な企業への唯一の道である。
  • 飛躍した企業はいずれも、どこかの時点でこの原理を深く理解するようになり、最高になりうる狭い分野に資源を集中して将来をかけている(表を参照)。
  • 比較対象企業はほとんどの場合、この点を理解していない。
  • 針鼠の概念のうち「世界一になれる部分」この表は、飛躍を遂げた十一社が、飛躍の基礎になった針鼠の概念を確立する際に、各社が理解した点を示している。
  • 注──これは、転換をはじめた時点ですでに各社が世界一だった点ではない(これら企業のほとんどは、世界一といえる点がどこにもなかった)。
  • 世界一になれると理解した点を示している。
  • アボット・ラボラトリーズ医療コストを引き下げる製品の開発で世界一になれる。
  • 注──売上構成比で九十九%を占めていた医薬品では世界一になれない現実を直視した(22)。
  • そこで、病院用栄養剤、診断用機器、病院用資材を中心に、医療コストの引き下げに寄与できる商品ラインの開発に焦点を変更した。
  • サーキット・シティ大型家電製品の販売にサービス、選択、節約、満足の「4Sモデル」を適用する点で世界一になれる。
  • 注──大型家電製品の小売りで、地域的に分散した事業を遠隔管理して、マクドナルドに匹敵する企業になれると理解した。
  • 同社の特徴は4Sモデルそのものにではなく、このモデルを一貫して見事に実行してきた点にある。
  • ファニーメイ住宅ローンに関連するすべての点で、世界一の資本市場参加者になれる。
  • 注──決定的な理解は、第一にウォール街のどの企業にも負けない資本市場参加者になれること、第二にモーゲージ証券のリスク評価について他社にはない能力を開発できることの二点である。
  • ジレット高度な製造技術を必要とする日用品の世界的なブランドを確立する点で世界一になれる。
  • 注──二つの大きく違った能力を組み合わせられることを理解した。
  • 第一が耐久性がきわめて高い製品(たとえば剃刀の刃)
  • を低コストで大量に製造する能力がある。
  • 第二に、世界的な消費者ブランドを築き、剃刀や歯ブラシの「コカ・コーラ」になる能力がある。
  • キンバリー・クラーク消費者向け紙製品で世界一になれる。
  • 注──紙製品で「カテゴリー・キラー」のブランドを構築する潜在力があることに気づいた。
  • つまり、クリネックスのように、ブランド名がカテゴリーの名前と同一視されるようなブランドを構築できることを認識した。
  • クローガー革新的なスーパーマーケットで世界一になれる。
  • 注──食品雑貨店の革新ではつねに強みをもっていた。
  • この能力を使って、革新的で粗利益率が高い「ミニ・ストア」を一か所に集めたスーパーマーケットの業態を作り上げた。
  • ニューコア企業文化と技術力を利用して、鉄鋼を低コストで製造する点で世界一になれる。
  • 注──自社に二つの大きな強みがあることを認識した。
  • 第一が業績重視の企業文化を築き上げる点、第二が将来性を見据えて新製造技術を採用する点である。
  • この二つを組み合わせて、アメリカでもっとも低コストの鉄鋼会社になることができた。
  • フィリップ・モリスタバコで、後にはその他の消費財で、ブランド・ロイヤルティを築く点で世界一になれる。
  • 注──転換期の初期には、世界一のタバコ会社になれるとみていた。
  • 後にタバコ以外の分野に事業を多角化したが(企業防衛のために、すべてのタバコ会社がおなじ戦略をとったが)、同社はビール、タバコ、チョコレート、コーヒーなどの「罪深い」製品と食品でブランドを構築する能力を活かすことに注力した。
  • ピットニー・ボウズ高度な事務機器を必要とする「メッセージ交換」の分野で世界一になれる。
  • 注──郵便料金メーターからの事業拡大をいかにしてはかるかの問題に取り組んでいたとき、自社の強みについて二つの点を理解した。
  • 第一に、自社を郵便関連事業の会社だととらえる必要はなく、もっと幅広くメッセージ交換関連事業の会社だととらえられる。
  • 第二に、高度な機器を事務部門に提供する点でとくに強みをもっている。
  • ウォルグリーンズ利便性の高いドラッグストアで世界一になれる。
  • 注──ドラッグストア事業ではあるが、同時にコンビニエンス・ストア事業でもあると考えた。
  • そこで利便性の高い立地を組織的に確保し、狭い地域に大量の店舗を密集させ、ドライブスルー薬局という新業態を開発した。
  • また、情報技術に巨額を投資し、最近ではインターネット・サイトも開発して、世界中のウォルグリーンズ店を結び、巨大な「街角の薬局」を作り上げた。
  • ウェルズ・ファーゴアメリカ西部に事業地域を絞り込んで、銀行をビジネスとして経営することで世界一になれる。
  • 注──二つの決定的な点を理解した。
  • 第一に、ほとんどの銀行は自分たちを銀行と考え、銀行のようにふるまい、銀行家の文化を守っている。
  • ウェルズ・ファーゴは自分たちがビジネスに従事していて、その対象がたまたま銀行業務であるにすぎないと考えた。
  • 「ビジネスのように経営する」「自分が所有しているかのように経営する」が合言葉になった。
  • 第二に、世界的な銀行として世界一になることはできないが、アメリカ西部では第一位になれることを認識した。
  • 経済的原動力は何か
  • 超優良に飛躍した企業は、何とも地味な産業で目ざましい実績をあげている場合が多い。
  • 銀行株が市場のセクター別運用成績で下位四分の一に入っていた時期に、ウェルズ・ファーゴ株の運用成績は市場平均の四倍にのぼった。
  • それ以上に違いが大きいのはピットニー・ポウズとニューコアであり、どちらも下から五パーセントのセクターに属しているが、株式の運用成績が市場平均の五倍を軽く超えている。
  • 飛躍した十一社のうち、偉大な産業(上位十パーセントの産業)に属していたのは一社だけだ。
  • 五社は並みの産業の企業であり、残り五社は低迷している産業か、悲惨な産業の企業である(付録五Aの産業分析の要約を参照)。
  • 今回の調査によって、偉大な産業で事業を行っていなければ偉大な企業になれないわけではないことが明確に示された。
  • 飛躍した企業は、産業がどのような状況にあっても、経済的原動力を信じられないほど強めている。
  • これが可能になったのは、事業の経済的な現実を深く理解しているからである。
  • この本はミクロ経済の動向を扱うものではない。
  • 企業ごとに、産業ごとに経済的な現実には違いがあり、この違いをくわしく論じていこうとは思わない。
  • ここで強調したいのは、飛躍を遂げた十一社がいずれも、それぞれの経済的な現実を深く理解し、経済的原動力を強化するカギを理解して、この理解に基づいて事業体制を構築していることである。
  • だがそれだけではない。
  • 調査の過程でさらに刺激的な事実が浮かび上がってきた。
  • 飛躍した企業はいずれも、この深い理解をたったひとつの「財務指標の分母」という形にまとめているのだ。
  • この点はこう考えると分かりやすい。
  • 自社で「X当たり利益」(非営利事業なら「X当たり年間予算」)をたったひとつ、基準になる財務指標として採用し、これを長期にわたって一貫して上昇させていくことを目標にすると想定した場合、Xに何を選べば、自社の経済的原動力にもっとも大きく、もっとも持続的な影響を与えられ
  • るだろうかと。
  • このように問いを立てれば、組織の経済的な現実がどのような仕組みになっているのか、深く理解できることをわれわれは学んできた。
  • たとえばウォルグリーンズは、一店舗当たり利益など、業界で通常使われている財務指標を捨てて、来客一人当たり利益に焦点を合わせるようになった。
  • 利便性のある立地に出店すればコスト高になるが、同社は来客一人当たり利益の増加に的を絞ったため、半径一マイル以内に九店舗を設けるほど、店舗の利便性を高めていくと同時に、チェーン全体の収益性を高めていくことができた。
  • 通常の指標である一店舗当たり利益を重視すれば、利便性という概念と矛盾する(一店舗当たり利益を増やすには、店舗数を減らし、低コストで出店できる店に絞り込むのが、もっとも簡単な方法である。
  • これでは利便性という概念を破壊してしまう)。
  • ウェルズ・ファーゴの例を考えてみよう。
  • 同行の経営陣は、規制緩和によって銀行業務が価格勝負になる厳しい現実を直視したとき、貸出一件当たり利益、預金一件当たり利益などの通常の財務指標がもはや財務実績を向上させるカギにはならないことに気づいた。
  • そこで、新たな指標として、従業員一人当たりの利益を採用した。
  • この見方に基づいて、同行は営業網をいち早く、簡素な支店と現金自動受払機(ATM)を中心とするものに変更していった。
  • カギになる分母は微妙な場合もあるし、ときには明白ではない場合もある。
  • ここで重要な点は、分母に関する問いを使って、自社の経済的現実に関する理解を深めることである。
  • たとえばファニーメイは、微妙な分母を採用して住宅ローンのリスク水準当たり利益を指標としており、住宅ローン一件当たりという「明白な」分母は使っていない。
  • じつに見事な選択である。
  • ファニーメイの経済を支えているのは、住宅ローンの債務不履行リスクを判断する能力がどの機関よりも高いことである。
  • この理解に基づいて、民間金融機関が貸し付けた住宅ローンを買い取り、元利返済を保証した証券にまとめ、リスクに見合ったスプレッドを上乗せして金融市場で売却する。
  • この事業についての深い理解に基づいた単純で、賢明で、正しい分母であり、明白ではない分母である。
  • たとえばニューコアは、価格競争が熾烈な鉄鋼業界で成功を収めるにあたって、鉄鋼製品一トン当たりの利益を指標としている。
  • 一見、従業員一人当たりか、固定経費一ドル当たりが分母として適切なように思えるかもしれない。
  • だが、ニューコアの経営陣は、自社の経済的原動力の核心が、しっかりした労働観を特徴とする企業文化と先進的な生産技術の利用との組み合わせにあることを理解している。
  • 従業員一人当たり利益や固定経費一ドル当たり利益を指標とした場合には、鉄鋼製品一トン当たり利益を指標にした場合ほどには、この二つの強みをとらえられない。
  • 分母は一つでなければならないのだろうか。
  • かならずしもそうとはいえない。
  • だが、たったひとつに絞り込もうとする方が、分母を三つか四つまで絞り込めた段階で満足するより、理解が深くなることが多い。
  • 分母に何を選ぶかという問いに答えようとすれば、自社の経済的原動力を強化するカギを深く理解しないわけにはいかなくなる。
  • 今回の調査で分母の問いの重要性が明らかになってきたとき、われわれはいくつもの企業で、経営陣にこの問いを出して試してみた。
  • そして、この問いをきっかけに、熱心な議論と論争がかならず起こることが分かった。
  • さらに、経営陣がひとつの分母にまで絞り込めなかった場合でも(あるいは、ひとつの分母に絞り込むわけにはいかないと判断した場合でも)、この問いに答えようとしたことで、事業についての理解が深まっている。
  • そしてこの点こそが、重要なのだ。
  • ひとつの分母を選ばなければならないからひとつの分母を選ぶのではない。
  • 自社の事業を深く理解して、事業の経済性をさらに強固にし、持続するものにすることこそが目標なのだ。
  • 財務指標の分母飛躍を遂げた十一社が転換期に獲得した財務指標の分母に関する認識アボット財務指標の分母──従業員一人当たり認識──製品ライン当たりの利益から従業員一人当たり利益に変更。
  • 医療コストの引き下げに寄与するとの考えによる。
  • サーキット・シティ財務指標の分母──地域当たり認識──一店舗当たり利益から地域当たり利益に変更。
  • 地域ごとの規模の経済を反映させた。
  • 店舗ごとの利益も引き続き重視したが、地域ごとに業績を考えるようになった点が決定打になって、サイロに差をつけることができた。
  • ファニーメイ財務指標の分母──住宅ローンのリスク水準当たり認識──住宅ローン一件当たり利益から住宅ローンのリスク水準当たり利益に変更。
  • 金利リスクの管理によって、業績に対する金利動向の影響を軽減できるとの基本的な認識による。
  • ジレット財務指標の分母──顧客一人当たり認識──部門当たり利益から顧客一人当たり利益に変更。
  • 反復購入(たとえばレーザー・カートリッジ)と製品一個当たり利益の多さ(たとえば使い捨て型ではない剃刀のマッハ3)の力を認識した結果である。
  • キンバリー・クラーク財務指標の分母──消費者向けブランド一つ当たり認識──固定資産(製紙工場)当たり利益から消費者向けブランド一つ当たり利益に変更。
  • 景気循環型ではなく、景気が良いときも悪いときも収益性が高い。
  • クローガー財務指標の分母──地域の人口千人当たり認識──一店舗当たり利益から地域の人口千人当たり利益に変更。
  • 地域市場でのシェアが食品雑貨店の採算を決めるとの認識
  • による。
  • 地域市場シェアが一位か二位になれないのであれば、撤退する。
  • ニューコア財務指標の分母──鉄鋼製品一トン当たり認識──部門当たり利益から鉄鋼製品一トン当たり利益に変更。
  • 生産性の高さをもたらす企業文化と電炉技術の組み合わせに注目し、数量だけを重視する姿勢をあらためた。
  • フィリップ・モリス財務指標の分母──世界的なブランド・カテゴリー当たり認識──営業地域当たり利益から世界的なブランド・カテゴリー当たり利益に変更。
  • コカ・コーラのように世界的に力のあるブランドこそが偉大さを達成する際にカギになるとの認識による。
  • ピットニー・ボウズ財務指標の分母──顧客一社当たり認識──郵便料金メーター一台当たり利益から顧客一社当たりに変更。
  • 郵便料金メーターを足掛かりに、幅広い高度な製品を顧客の事務部門に提供できるとの認識による。
  • ウォルグリーンズ財務指標の分母──来客一人当たり認識──一店舗当たり利益から来客一人当たり利益に変更。
  • 利便性が高くコストが高い立地と持続可能な経済性の両立を認識した結果である。
  • ウェルズ・ファーゴ財務指標の分母──従業員一人当たり認識──ローン一件当たり利益から従業員一人当たり利益に変更。
  • 規制緩和によって銀行業務が価格勝負になる厳しい現実を認識したため。
  • 飛躍した企業はいずれも、カギになる分母をひとつ見つけ出している。
  • そして比較対象企業はほとんどの場合、これを見つけ出していない。
  • もっとも、比較対象企業のうち一社だけは例外であり、自社の経済的原動力を深く理解している。
  • この企業、ハスブロが業績を伸ばしたのは、GIジョーやモノポリーのような定番の玩具やゲームの方が、一時的な大ヒット商品よりもキャッシュフローを着実に生み出せることを見抜いたからである(23)。
  • ハスブロは比較対象企業のなかでただ一社、針鼠の概念の三つの円をすべて理解していた。
  • 長年親しまれてきた定番の玩具を買収し、復活させ、時機を見計らって再発売し、手直しして、ブランド当たりの利益を増やしていった。
  • そして、経営陣や従業員は自社の事業に熱意を燃やしていた。
  • 三つの円についての理解に基づいて組織的に事業を構築していき、今回調査した比較対象企業のなかで、もっともすぐれた実績をあげている。
  • 針鼠の概念の力をさらに示す事例になっている。
  • ハスブロが偉大な企業への道を持続できなかった一因は、CEOのスティーブン・ハッセンフェルドが急逝した後、三つの円の中に止まる規律を失ったことにある。
  • ハスブロの事例は、きわめて重要な教訓になる。
  • この本に示した考えをうまく適用し、その後に適用をやめた場合、偉大な企業から平凡な企業に後退するし、もっと悪い状態に後退することもあるのだ。
  • 偉大な企業でありつづけるには、それをもたらした原則を守りつづけるしかない。
  • 情熱を理解する
  • フィリップ・モリスの経営陣にインタビューを行ったとき、われわれは事業への情熱が強烈なことにおどろかされた。
  • 最初に人を選ぶ原則を扱った第三章で紹介したように、ジョージ・ワイスマンは同社での仕事について、結婚のとき以外では、人生でいちばん熱烈な恋愛だったと話している。
  • 同社は消費財のなかでとくに罪深いとされている製品を扱っており、タバコのマルボロ、ビールのミラー、脂肪分六十七パーセントのチーズのベルビータ、カフェイン中毒の人が飲むマクスウェル・ハウス・コーヒー、チョコレート中毒の人が食べるトブローネなどがあるが、同社の人びとは事業に強烈な情熱をもっている。
  • 経営陣のほとんどは、自社製品の熱心な愛好者だ。
  • 一九七九年、同社副会長で愛煙家のロス・ミルハイザーは、「わたしはタバコが好きだ。
  • 人生を、生きる価値があるものにしてくれる」と語っている(24)。
  • フィリップ・モリスの人たちは自社に愛情をもっており、自社の事業に情熱をもっている。
  • マルボロの広告にあるように、一匹狼で、独立精神が旺盛なカウボーイこそが自分の姿だと考えているようだ。
  • われわれには喫煙の権利があり、われわれはこの権利を守ると主張しているのだ。
  • 前回の調査で、取締役のひとりがこう語った。
  • 「フィリップ・モリスの取締役会の一員になっているのは、ほんとうにうれしい。
  • ほんとうに特別な集団に属していると感じられる」。
  • そう話して、この取締役は誇らしげに煙を吐き出した(25)。
  • こう思う読者もいるだろう。
  • 「タバコ産業が追い詰められているからにすぎない。
  • そう考えるのが当然だ。
  • そう考えなければ、夜も眠れない」。
  • しかし忘れてはならない点がある。
  • R・J・レイノルズもタバコ会社であり、やはり非難を浴びている。
  • しかしフィリップ・モリスとは違って、同社の経営陣はタバコからの事業多角化をはかり、成長が見込める分野ならどんな分野の事業でも買収している。
  • その事業に情熱をもてるのか、その分野で世界一になれるのかといった点は、考えもしない。
  • フィリップ・モリスはタバコに近い分野に事業を絞り込んでおり、これは主にタバコ事業が好きだからだ。
  • これに対してR・J・レイノルズの経営陣は、タバコ事業を金儲けの手段だとしか考えていない。
  • ブライアン・バローとジョン・ヘルヤーの『野蛮な来訪者』に鮮明に描かれたように、R・J・レイノルズの経営陣はLBOによって自分たちが金持ちになること以外には情熱をもたなくなった(26)。
  • 「情熱」のようにとらえどころがない心理的な点を、戦略の枠組みのなかの不可欠な要素のひとつとして論じるのは、場違いだと思えるかもしれない。
  • しかし、飛躍した企業ではいずれも、情熱が針鼠の概念に不可欠な要素になっている。
  • 情熱は作りだせるもので
  • はない。
  • 「動機付け」によって情熱を感じるよう従業員を導くこともできない。
  • 自分が情熱をもてるもの、周囲の人たちが情熱をもてるものを発見することしかできない。
  • 偉大な実績への飛躍を遂げた企業は、「会社の事業に皆で情熱を傾けよう」と呼びかけたわけではない。
  • 正反対の賢明な方法をとっている。
  • つまり、自分たちが情熱を燃やせることだけに取り組む方針をとっている。
  • キンバリー・クラークの経営陣が消費者向け紙製品事業に移行したとき、この事業の方が情熱をもてることが大きな理由であった。
  • ある経営幹部は、それまでの主力だった製紙事業も悪くはないが、「紙おむつのようなカリスマ性がない」と語っている(27)。
  • ジレットの経営陣が技術的に高度で比較的高価な髭剃り用製品の開発を選択し、薄利多売の使い捨て型製品での戦いから抜け出したのは、かなりの部分、安価な使い捨て剃刀の事業には情熱を燃やすことができなかったからだ。
  • 「ザイエンは髭剃り用製品について語るとき、ボーイングやヒューズの技術者ならこう話すだろうと思えるほど、技術の話に夢中になる」と、一九九六年にあるジャーナリストがジレットのCEOについて書いている(28)。
  • 同社は針鼠の概念にぴったりの事業に固執しているときに、もっとも力を発揮している。
  • 「ジレットの事業に情熱をもたない人は、同社に応募すべきではない」と、ウォール・ストリート・ジャーナル紙が伝えた。
  • この記事には、名門の経営学大学院の卒業生が、デオドラントへの情熱を十分に示さなかったとして採用されなかった例が紹介されている(29)。
  • おそらく、デオドラントには熱心になれないという読者も多いだろう。
  • 医薬品やドラッグストアやタバコや郵便料金メーターに情熱をもつとは考えにくいと思うかもしれない。
  • 銀行をマクドナルドのように効率化することに熱中したり、紙おむつがカリスマ的だと考えたりするのは、いったいどういう人物なのだろうと首をひねるかもしれない。
  • だが、それは問題ではない。
  • 重要なのは、これら企業の人たちが自社の事業に情熱をもち、しかも強烈な情熱、心からの情熱をもっていることである。
  • とはいっても、事業の過程自体に情熱をもっていなければならないわけではない(もっている場合もあるだろうが)。
  • 情熱は、自社の役割に対するものであってもよい。
  • たとえばファニーメイの人たちは、住宅ローンをまとめて市場性のある証券にする過程に情熱を燃やしているわけではない。
  • しかし、あらゆる階層、あらゆる出身、あらゆる人種の国民が、住宅を持つというアメリカン・ドリームを実現できるように助力する目標に、おどろくほどの情熱を傾けている。
  • リンダ・ナイトは一九八三年、ファニーメイにとっての最悪期に同社に入っており、われわれのインタビューでこう話してくれた。
  • 「古くからの企業が経営困難に陥った話はいくらでもあるが、ファニーメイは特別だ。
  • アメリカの国民が住宅を買う夢を実現しようとするとき、その中心に位置している。
  • この役割は、金を儲けることよりはるかに重要だ。
  • だからこそ、わたしはこの会社を維持し、守り、強化することに強い使命感を感じている」(30)。
  • 別の経営幹部はこう語っている。
  • 「当社はアメリカ社会の構造を強化する点で主要な役割を果たしているとみている。
  • 以前には荒廃していたが、持ち家比率が上昇して復活した地域を車で通るたびに、わたしははりきって仕事に取り組めるようになる」
  • 虚勢ではなく現実の認識
  • 調査チームの会議では、「針鼠前」の状態と「針鼠後」の状態の違いが頻繁に話題になった。
  • 針鼠前の状態は、霧のなかを手さぐりで進むようなものだ。
  • 長い遠征で前進してきたのはたしかだが、状況がよくわからない。
  • 分かれ道にぶつかるたびに、先がほとんど見えない状態で、慎重にゆっくりと進まなければならなくなる。
  • ところが針鼠の概念を確立すると、霧は晴れ、見通しもよくなり、何キロも先まではっきりと見えるようになる。
  • 分かれ道でどちらに行くか迷うことも少なくなる。
  • 恐る恐るの前進が並み足になり、並み足が駆け足になる。
  • 針鼠後の状態では、何キロもの道のりもあっという間になり、以前なら濃霧に包まれて判断に迷った分かれ道でも、進路に迷うことはない。
  • 比較対象企業で何とも印象的な点は、繰り返し改革の方針を掲げ、腕を振り上げて改革を説き、カリスマ的なリーダーが活躍しているが、霧のなかの手さぐり状態からめったに抜け出せていないことだ。
  • 駆け足で進もうと努力するが、分かれ道で判断を間違え、しばらくたって引き返すしかなくなる。
  • あるいは、道を完全に見失って、木にぶつかったり、谷底に転げ落ちたりする(もっとも、その際にも動きは速いし、堂々としているのだが)。
  • 偉大な企業にとってきわめて単純で明快な世界が、比較対象企業にとっては複雑だし、霧に包まれている。
  • なぜなのか。
  • 理由は二つある。
  • 第一に、比較対象企業は適切な問い、二つの円で示された問いを立てていない。
  • 第二に、目標と戦略を設定するにあたって、現実の理解に頼るのではなく、虚勢に頼っている。
  • 比較対象企業でこの点がどこよりも目立つのは、成長を闇雲に追求していることである。
  • 比較対象企業の三分の二以上は、針鼠の概念を確立できないまま、成長に固執している(31)。
  • 「どれほどの対価を支払っても成長を達成する」「これだけの金額をかければ、成功を収められる」といった表現が、比較対象企業の資料で随所に出てくる。
  • これに対して、飛躍した企業には、成長にあくまでもこだわった企業は一社もない。
  • ところがこれら企業が、お題目のように成長を唱えている企業よりもはるかに、収益性の高い成長を持続させている。
  • グレート・ウェスタンとファニーメイの例を考えてみよう。
  • ウォール・ストリート・ジャーナル紙がこう伝えている。
  • 「グレート・ウェスタンは若干不格好な企業だ。
  • 成長のためなら、どんな分野にも進出する」(32)。
  • 同社は金融、リース、保険、移動住宅などで事業を展開し、事業拡大のためにつぎつぎに買収を進めていった(33)。
  • さらに大きく、さらに多くが目標であった。
  • 一九八五年、同社のCEOはアナリスト会議でこう語っている。
  • 「当社をなんと呼んでもかまわない。
  • 銀行でもいいし、貯蓄貸付組合でもいいし、縞馬でもいい」(34)。
  • ファニーメイはまったく対照的で、単純で明快な理解に基づいて事業を展開している。
  • 住宅ローンに関連する点で、最高の資本市場参加者になりうるし、住宅ローンの資金を調達できる資本市場を開発する点では、ゴールドマン・サックスやソロモン・ブラザーズすらも追い抜けるとの理解である。
  • そして、モーゲージ証券の販売ではなく、リスク管理に焦点をあてて事業を再構築し、強力な企業を作り上げた。
  • この企業を強い熱情をもって経営していった。
  • 国民すべてが住宅を所有できるようにする目標に向けて、同社が
  • 重要な役割を果している点が、ファニーメイにとって情熱の源泉になっている。
  • 一九八四年まで、グレート・ウェスタンとファニーメイは、株価の動きにほとんど違いがなかった。
  • ところが針鼠の概念を確立して一年たったこの年から、ファニーメイ株は急上昇を続けるようになった。
  • 一方のグレート・ウェスタン株はその後も冴えない動きを続け、九七年に買収される直前に急騰したのみであった。
  • ファニーメイは「成長」に固執することなく、単純明快な概念に焦点を合わせた結果、八四年の転換の年から九六年までに営業収益を三倍近くまで伸ばしている。
  • これに対してグレート・ウェスタンは、成長剤をがぶ飲みしてしてきたにもかかわらず、同じ期間に営業収益と利益が二十五パーセントしか伸びておらず、九七年には独立を失った。
  • ファニーメイとグレート・ウェスタンの比較から、決定的な点が浮かび上がってくる。
  • 「成長を目指せ」は針鼠の概念ではないのだ。
  • 適切な針鼠の概念を確立し、その概念に基づいて一貫して決定をくだしていけば、企業に勢いがつく。
  • 最大の問題はいかにして成長するかではなく、いかにして速く成長しすぎないようにするかになる。
  • 針鼠の概念は、偉大な企業への道筋の転機である。
  • ほとんどの場合、針鼠の概念を確立してから数年以内に実績の転換点に達している。
  • また、次章以降に論じる点はすべて、針鼠の概念を前提にしている。
  • 第六章以降で十分に明らかになるように、規律ある人材、規律ある考えにつづく概念の枠組みの第三段階、規律ある行動は、針鼠の概念があってはじめて意味のあるものになる。
  • 針鼠の概念はこのように決定的に重要ではあるが(というよりも、決定的に重要だからこそ)、この概念に安易に飛びつこうとすると、とんでもない間違いをおかすことになろう。
  • 二日の予定で保養地にこもり、大量の図表を引っ張りだし、活気あふれる議論を行い、深い理解を獲得するというわけにはいかない。
  • もちろん、そうしてはいけないというわけではないが、おそらくは正しい結論に達することができないだろう。
  • アインシュタインはこう考えたのだろうか。
  • そろそろ偉大な科学者になる時期がきたようなので、この週末は高級ホテルにこもって、図表を引っ張りだし、宇宙の秘密を解明しよう……。
  • 深い理解はこのような形では得られない。
  • アインシュタインは霧の中を十年間もさまよった後、ようやく特殊相対性理論を確立できた。
  • そして、アインシュタインはきわめて優秀なのだ(35)。
  • 飛躍した企業は、針鼠の概念を確立するまでに平均四年かかっている。
  • 科学の理論がそうであるように、針鼠の概念が確立できれば、複雑な世界を単純明快に理解できるようになり、その後の意思決定がはるかに容易になる。
  • この概念は、確立できた後にみれば、一点の曇りもないほど明快で、ほれぼれするほど単純だが、この概念を確立するまでの道のりは恐ろしく困難で、時間がかかることもある。
  • 針鼠の概念の確立は、その性格上、反復の過程であって、一回で終わるようなものではないことを認識すべきだ。
  • 針鼠の概念を確立しようとするとき、もっとも大切な点は、厳しい現実を直視し、三つの円に基づく問いに導かれて、適切な人たちが活発に議論をかわし、論争を行うことである。
  • 世界一になれる点をほんとうに理解し、成功を収められるというだけの点との間に、ほんとうに区別をつけているのだろうか。
  • 自社の経済的原動力と、たったひとつの分母をほんとうに理解しているのだろうか。
  • 自分たちがもっとも情熱を燃やせる点をほんとうに理解しているのだろうか。
  • この過程を促進しようとするとき、とくに役立つ仕組みに、われわれが「評議会」と名付けたものがある。
  • 評議会は適切な人たちで構成し、三つの円に基づく議論と討論を長期にわたって反復し、組織が直面する決定的な問題と決定について考えていく(「評議会の性格」の表を参照)。
  • 針鼠の概念を獲得するにはどうすればいいのかとの質問に答えるために、「針鼠の概念の獲得」の図を作成した。
  • この質問を受けると、わたしは図を示しながら、こう答える。
  • 「評議会を作って、この図をモデルにする。
  • 正しい問いを立てて、活発に議論し、決定をくだし、その結果を解剖して学ぶ。
  • この過程をすべて、三つの円を指針にして進めていく。
  • この理解の過程を続けていけばいい」こう答えると、つぎの質問が出てくる。
  • 「針鼠の概念の獲得の過程を加速するにはどうすればいいのか」。
  • この質問を受けると、わたしは「このサイクルの回転を速くし、ある期間内の回転数を増やしていけばいい」と答える。
  • このサイクルを十分な回数、経過すれば、そして、三つの円を絶対の指針にしていれば、やがて、針鼠の概念の確立に必要な深い理解が得られるだろう。
  • 一日で到達することはできないが、いずれ到達できる。
  • 評議会の性格⑴評議会は組織が直面する重要な点を理解するための仕組みである。
  • ⑵評議会は指導的な立場にある経営幹部が組織し、利用し、通常五人から十二人で構成される。
  • ⑶評議会の参加者は、理解を得るために議論し、論争することができ、自分の主張を通したり、自分の部門の既得権を守るといった利己的な目標を追求するために議論するのではない。
  • ⑷評議会の参加者は、互いに尊敬しあっており、この点に例外はない。
  • ⑸評議会は見方がさまざまな参加者で構成されるが、どの参加者も、組織か組織を取り巻く環境のうちいずれかの側面について、深い知識をもっている。
  • ⑹評議会には経営陣の主要メンバーがくわわるが、経営陣以外が参加することもあるし、経営幹部が全員、参加するわけではない。
  • ⑺評議会は常設の組織であって、個々の課題を扱う臨時の組織ではない。
  • ⑻評議会は定期的に会合をもち、多ければ週に一回、少なければ四半期に一回集まる。
  • ⑼評議会は全会一致を追求しない。
  • 全会一致の決定がしばしば賢明な決定ではないことを認識しているからである。
  • 最終決定の責任は、指導的な立場にある経営幹部が負う。
  • ⑽評議会は非公式の組織であり、公式の組織図や公式の文書には記載されない。
  • ⑾評議会の名称はさまざまなものがありうるが、通常は何気ない名前が付けられている。
  • 良好から偉大に飛躍した企業では、「長期利益向上委員会」「会社製品委員会」「戦略的思考グループ」「経営評議会」などの耳当たりのいい名前が付けられていた。
  • どの組織も針鼠の概念を見つけ出すことができるのだろうか。
  • あるとき目が覚め、厳しい現実を誠実に見つめるようになって、「世界一といえる部分はどこにもないし、これまでにもなかった」との結論に達したとすれば、どうすればいいのか。
  • この点にこそ、今回の調査でもとくに素晴らしい発見があった。
  • 選ばれた十一社の半数以上は、世界一だといえる点はどこにもなかったし、世界一になれる見込みもなかった。
  • だが、どの企業もストックデールの逆説を信じて、こう考えた。
  • 「世界一になれる点がどこかにあるはずだ。
  • それを探し出してみせる。
  • 世界一にはなれない点がある厳しい現実も、直視しなければならない。
  • この点で幻想を抱いてはならない」。
  • そして、そのときの状況がどれほど惨めであっても、針鼠の概念を見つけ出すことができている。
  • 自社のために針鼠の概念を確立しようとするとき、覚えておくべきことがある。
  • 偉大な業績に飛躍した企業がようやく針鼠の概念をつかんだとき、それは比較対象企業に典型的にみられるものとは違って、苛立たしいほど退屈で根拠のない虚勢ではなかった。
  • 「この点で世界一になれる」というのは事実の認識である。
  • 空が青いとか草が緑色だというのと変わらない事実の認識なのだ。
  • 針鼠の概念を正しく把握できたとき、真実をつかめたという静かな感動が生まれる。
  • モーツァルトのピアノ協奏曲の緩徐楽章で、満員の聴衆が静まり返るなか、最後の鮮明な単音が完璧に響いたようなものだ。
  • ほとんど何も語る必要はない。
  • 真実が静かに、すべてを語ってくれる。
  • 私事で恐縮ではあるが、虚勢と理解の決定的な違いを考えるときに思い出すことがある。
  • 妻のジョアンナが一九八〇年代初めにマラソンとトライアスロンの大会に出場するようになった。
  • レースの経験を積み、レースの記録、水泳の記録、順位が向上するとともに、妻は勢いがついてきたと感じた。
  • あるとき、世界の一流選手が参加するトライアスロン大会に出場した。
  • 水泳が弱く、数百位だったし、空力設計ではない重い自転車で長い坂を苦労してのぼったが、それでも十位以内に入ることができた。
  • それから数週間の後、朝食の席で、新聞を読んでいた妻が顔をあげ、落ちついた声で静かに語った。
  • 「鉄人レースに勝てると思う」鉄人レースはトライアスロンの世界大会だ。
  • 三・八九キロの水泳、百八十キロの自転車、四十二・一九五キロのマラソンでタイムを競うレースであり、灼熱のハワイ、コナ海岸で開催される。
  • 「もちろん、会社を辞めて、大学院への進学も諦めて、練習に専念するしかないけど」。
  • このとき、妻はいくつかの一流の経営学大学院から合格通知を受け取っていた。
  • この言葉は、虚勢ではなかった。
  • 誇張でもなく、元気づけでもなく、願望でもない。
  • わたしを説得しようとしたわけではない。
  • 自分が理解するようになった点は事実であって、壁の色が白いというのと変わらないほど、衝撃的でも何でもない事実なのだと語ったのだ。
  • トライアスロンには情熱を燃やしている。
  • もって生まれた能力もある。
  • そして鉄人レースで優勝できれば、経済的にも潤う。
  • 鉄人レースで勝つ目標は、妻が自分の針鼠の概念を理解した結果なのだ。
  • そこで、妻は優勝を目指すようになった。
  • 仕事は辞めた。
  • 大学院への進学も諦めた。
  • 製紙工場を売却したのだ(ただし、わたしをバスに乗せつづけてくれた)。
  • 三年後、一九八五年十月の暑い日、妻はハワイ鉄人レースで優勝し、世界チャンピオンになった。
  • 鉄人レースでの優勝を目指すようになったとき、妻はトライアスロンでほんとうに世界一になれるかどうか、分かっていたわけではない。
  • しかし、世界一になる可能性があること、手が届く目標であること、夢に酔っているわけではないことを妻は認識していた。
  • そしてこの認識が違いをもたらしている。
  • この認識は、平凡な人生から偉大な人生に飛躍したいのであれば、不可欠なものであり、偉
  • 大になれなかった人たちがたいていは獲得できなかったものである。
  • 章の要約
  • 針鼠の概念要点・偉大な企業になるには、三つの円が重なる部分を深く理解し、単純明快な概念(針鼠の概念)を確立する必要がある。
  • ・その際のカギは、自社が世界一になれる部分はどこか、そして同様に重要な点として、世界一になれない部分はどこかを理解することである(世界一に「なりたい」分野ではない)。針鼠の概念は目標ではないし、戦略でもないし、意図でもない。理解である。
  • ・中核事業で世界一になれないのであれば、中核事業は針鼠の概念の基礎にはなりえない。
  • ・世界一になれるとの理解は、中核的能力よりもはるかに厳しい基準である。能力があっても、ほんとうに世界一になれるほどの能力だとはかぎらない。逆に、世界一になれる事業があるが、現在はその事業について能力がない場合もある。
  • ・経済的原動力になるのが何かを見つけ出すには、最大の影響を与えるひとつの分母を探し出すべきだ(企業なら「X当たり利益」、非営利事業なら「X当たり年間予算」のXを探し出す)。
  • ・偉大な実績に飛躍した企業は理解に基づいて目標と戦略を設定している。比較対象企業は虚勢に基づいて目標と戦略を設定している。
  • ・針鼠の概念の確立は、反復の過程である。評議会が有益な手段になりうる。意外な調査結果・偉大な実績に飛躍した企業は針鼠に似ている。針鼠は単純で冴えない動物だが、たったひとつ、肝心要の点を知っており、その点から離れない。比較対象企業は狐に似ている。狐は賢く、さまざまな点を知っているが、一貫性がない。
  • ・飛躍した企業は、針鼠の概念を獲得するまでに平均四年かかっている。
  • ・戦略を確立していた点だけでは、飛躍した企業と比較対象企業に違いはなかった。どちらの種類の企業も戦略計画をたてていたし、飛躍した企業の方が戦略の開発に時間とエネルギーをかけたといえる事実はまったくなかった。
  • ・偉大な実績を持続するためには、偉大な産業で事業を行っていなければならないわけではまったくない。飛躍した企業は、産業がどれほど悲惨であっても、卓越した利益をあげる方法を見つけだしている。
  • 第六章人ではなく、システムを管理する──規律の文化
  • 自由は全体の一部でしかなく、真実の半分でしかない。
  • ……だからこそわたしは、東海岸の自由の女神像に対して、西海岸に責任の女神像を建てるべきだと主張している。
  • ビクトール・E・フランクル『意味の追求』(1)
  • 一九八〇年、ジョージ・ラスマンはバイオ企業、アムジェンの設立にくわわった。
  • それから二十年、生き残りに必死のベンチャー企業だったアムジェンは、売上高三十二億ドル、従業員六千四百人の企業に成長し、化学療法や血液透析で苦しむ患者の生活の質を高める血液製剤を製造している(2)。
  • ラスマンの指導のもと、同社は収益性と成長を一貫して達成している数少ないバイオ企業の一社になっている。
  • 収益性が持続していることから、株価が一九八三年六月の株式公開から二〇〇〇年一月までに百五十倍以上になったほどだ。
  • 株式公開にあたって七千ドルを投資した投資家は、百万ドルを超える利益を確保できた計算になる。
  • 市場平均と比較すると、株式運用成績が約十三倍になる。
  • ベンチャー企業が偉大な企業になる例はきわめて少ないが、これはかなりの部分、成長と成功への対応を間違えるからだ。
  • ベンチャー企業の成功は、創造力と想像力、未知の領域への大胆な進出、先見性に基づく熱意によるものである。
  • 会社が成長し、事業が複雑になると、成功によって足をすくわれるようになる。
  • 新しい従業員が増えすぎ、新しい顧客が増えすぎ、新しい受注が増えすぎ、新しい製品が増えすぎるのだ。
  • かつては楽しくて仕方なかった仕事が、混乱の極みになって手に負えなくなる。
  • 計画がなく、経理体制がなく、システムがなく、採用基準がないことから、摩擦が生まれる。
  • 問題がつぎつぎに出てくる。
  • 顧客に関する問題、キャッシュフローの問題、スケジュールの遅れの問題などである。
  • これら問題に対応して、たいていは取締役のだれかがこう言いだす。
  • 「大人になる時期がきた。
  • 経営管理のプロが必要になっている」。
  • こうしてMBA(経営学修士)を雇うようになり、一流企業で経験を積んだ経営管理者を雇うようになる。
  • 手順や手続きやチェック・リストなどなどが雑草のようにはびこりだす。
  • なんでも平等だったかつての雰囲気がなくなり、階層構造が作られる。
  • 指揮命令系統がはじめて姿をあらわす。
  • 上司と部下の関係が明確になり、特権をもつ経営幹部の階層ができあがる。
  • 「われわれ」と「やつら」の区別があらわれ、普通の企業に近づく。
  • やがて、経営管理者が混乱を収拾する。
  • 秩序を作りだして混乱を抑えるが、同時に起業家精神を殺してしまう。
  • 創業当時からの幹部が不満を口にするようになる。
  • 「この会社も面白くなくなった。
  • 以前なら仕事に必死だった。
  • いまでは、馬鹿げた書類を書くのに時間をとられ、馬鹿げた規則を守らなければならなくなった。
  • 最悪なのは、何の役にも立たない会議で、馬鹿のように時間をとられるようになったことだ」。
  • 創造力も衰えてくる。
  • とくに創造性の豊かな人たちが、官僚制度と階層制度の膨張に嫌気がさして、会社を辞めていくからだ。
  • 興奮を呼んだベンチャー企業も並みの企業になり、これといって強みのない企業になる。
  • 凡庸さという癌が猛烈に増殖する。
  • ジョージ・ラスマンは、起業家精神の死をもたらすこの悪循環をうまく避けてきた。
  • 官僚制度が規律の欠如と無能力という問題を補うためのものであることを理解していた。
  • はじめに適切な人を選ぶようにすれば、この問題はほぼ解決するのだ。
  • ほとんどの企業は、ごく少数、バスに紛れ込んだ不適切な人たちを管理するために、官僚的な規則を作る。
  • すると、適切な人たちがバスを降りるようになり、不適切な人たちの比率が高まる。
  • すると、規律の欠如と無能力という問題を補うために、官僚制度を強化しなければならなくなる。
  • すると、適切な人たちがさらに去っていく。
  • まさに悪循環になるのだ。
  • ラスマンは、これに代わる方法があることも理解していた。
  • 官僚制度と階層制度を避け、規律の文化を作り上げる方法である。
  • 規律の文化と起業家の精神、補完関係にあるこの二つを組み合わせれば、すぐれた実績をあげ、しかもそれを持続させる魔法の妙薬になる。
  • この章の初めに、偉大な企業へ飛躍した事例ではなく、バイオ起業家の事例を紹介したのはなぜなのか。
  • それは、ラスマンが起業家として成功を収めたのはかなりの部分、アムジェン設立の前にアボット・ラボラトリーズに勤務していたときに学んだ点を実践したためだと語っているからだ。
  • アボットで学んだのは、一年の目標を決めたとき、それをコンクリートに刻んでおく考えである。
  • 何か月かたって計画を変えることはできる。
  • しかし、実績を判断するときの基準を変えてはならない。
  • 年末には年初に決めた目標をかならず達成する厳格さをもたなければならない。
  • 目標を書き換えることは許されない。
  • 目標を調整するか、細工して、その目標を達成するつもりはなかったのだと言いくるめたり、目標を再調整して見栄えを良くしたりすることは許されない。
  • その年の実績だけを強調することも許されない。
  • 実績はかならず、年初に約束した言葉そのものと比較して評価する。
  • 目標がいかに厳しいものであっても、この点に変わりはない。
  • これがアボットで学んだ規律であり、この規律をアムジェンでも維持した(3)。
  • アボットの規律はかなりの部分、一九六八年、おどろくべき財務管理者、バーナード・H・セムラーを雇ったときにはじまっている。
  • セムラーは自分の仕事について、ごく普通の管理会計や経理をこなせばいいとは考えていなかった。
  • そして、企業文化を変える仕組みの構築にとりかかった。
  • まったく新しい枠組みを作り上げて、「責任会計」と名付けた。
  • 経費、売上、投資のすべての項目にそれぞれ、責任者をひとり決めていく(4)。
  • 一九六〇年代にはまったく斬新な方法であり、アボットの管理職全員が、仕事の種類がどうであれ、それぞれの投資利益率に責任を負うようにするのが狙いであった。
  • しかも、投資家がみずからの事業への投資に責任を負うのと変わらぬ厳格さをもたせた。
  • 通常の予算配分を隠れ蓑にすることはできないし、経営管理の非効率さを覆い隠すのに使えるあいまいな予算項目はないし、他人に責任を転嫁することもできない(5)。
  • しかし、アボットの仕組みの良さは、厳格さだけにあるわけではない。
  • 厳格さと規律を基礎に、創造性と起業家精神を発揮できるようにした点にこそ良さがある。
  • ジョージ・ラスマンはこう説明する。
  • 「アボットは規律がしっかりしているが、直線的な考え方はしない。
  • たとえば財務の厳格さと同時に、創造的な仕事に不可欠な多様な見方をもっている。
  • 財務の規律によって、ほんとうに創造的な仕事のための資源を確保する」(6)。
  • アボットは売上高に対する一般管理費の比率を業界でもっとも低い水準に抑えている(第二位に大差をつけている)。
  • そして同時に、3Mと変わらぬほど新製品開発を活発に進めており、過去四年間に発売した製品で売上高の最高六十五パーセントを確保している(7)。
  • このような創造的な二面性は転換期のアボットのすべての側面に浸透しており、企業文化の奥深くに刷り込まれている。
  • 一方では、アボットは起業家精神が旺盛な指導者を採用し、目標達成のために最善の道を決める自由を与える。
  • 他方では、個々の幹部はアボットの仕組みを完全に受け入れなければならず、目標達成に対して厳格な責任を負う。
  • 自由を与えているが、枠組みの中での自由なのだ。
  • アボットは柔軟に機会をとらえる起業家の熱意を重視している(「計画策定はきわめて貴重だが、計画そのものには価値がないことを認識している」とアボットの幹部が語る)(8)。
  • しかし同時に、三つの円の基準に合わない機会に対しては、「ノー」という規律をもっている。
  • 各部門には幅広く製品開発を進めるよう励ましているが、同時に医療のコスト効率向上に貢献するという針鼠の概念を熱狂的ともいえるほどに信奉している。
  • アボット・ラボラトリーズのこの性格は、今回の調査で得られた主要な結論のひとつ、「規律の文化」を示す好例である。
  • 「文化」はその性格上、この種の議論では若干扱いにくく、三つの円のような明確な枠組みにはなりにくい。
  • しかし、この章の要点はひとつの考え方にまとめることができる。
  • 三つの円が重なる部分で、熱狂的といえるほど針鼠の概念を維持して、規律ある行動をみながとる文化を築き上げることである。
  • もう少しくわしくいうなら、これは以下の四点を意味する。
  • ㈠枠組みの中での自由と規律という考えを中心にした文化を築く。
  • ㈡この文化にふさわしい人材として、みずから規律を守る人たち、自分の責任を果たすためには最大限の努力を惜しまない人たちを集める。
  • 「コッテージ・チーズを洗う」人たちだ。
  • ㈢規律の文化を規律をもたらす暴君と混同してはならない。
  • ㈣針鼠の概念を徹底して守り、三つの円が重なる部分を熱狂的ともいえるほど重視する。
  • これと変わらぬほど重要な点として、「止めるべき点のリスト」を作り、三つの円が重なる部分から外れるものを組織的に取り除いていく。
  • 枠組みのなかの自由と規律
  • 航空機のパイロットについて考えてみよう。
  • コックピットの機長席に坐ると、多数の複雑なスイッチや計器があり、八千四百万ドルの巨大な機械に責任を負う。
  • 乗客が頭上のクローゼットに手荷物を押し込み、客室乗務員が乗客全員を席につけるために走り回っているころ、パイロットはフライト前のチェック項目を点検している。
  • ひとつずつ順を追って、組織的にすべての項目をチェックする。
  • 離陸の準備が終わると、航空管制官と交信し、その指示に厳密に従う。
  • ゲートからどの方向に向かうのか、どの誘導路を使うのか、どの滑走路を使うのか、どの方向に滑走するのか、すべてを指示される。
  • 許可が出てはじめて、エンジンの出力をあげて離陸する。
  • 離陸後も、航空管制官とつねに交信して、民間航空機の航空路に指定されている狭い空域を飛行する。
  • しかし、着陸間近になって激しい雷雨に見舞われることもある。
  • 機体は強風にあおられ、しかも横風が不規則に変化するので、右に左に傾く。
  • 窓の外には地上は見えない。
  • 灰色の雲が濃くなり薄くなり、雨が窓に叩きつける。
  • 客室乗務員からのアナウンスがある。
  • 「着陸まで、お席を離れないようにとの指示が出されております。
  • シートを一杯まで立て、お荷物はすべて前のシートの下に入れてください。
  • 間もなく着陸します」「滑走路の手前に着陸したりしないだろうな」と、旅慣れない乗客は不安になる。
  • 風が激しく、稲妻も時折光っているからだ。
  • しかし、旅慣れた乗客は雑誌を読みつづけていたり、隣の人と話し込んでいたり、到着後の会議に備えたりしている。
  • 「こんなことは何
  • 度もあった。
  • 安全を確認して着陸するだろう」と考えている。
  • 案の定、車輪をおろし、五百トン近い巨体が時速二百キロにまで減速して滑走路に近づいたとき、エンジン音が突然高まり、乗客はシートに身体が押しつけられるのを感じた。
  • 航空機は加速して上空に戻る。
  • 大きな円弧を描いて、空港に戻る。
  • パイロットはこの時間を使って、機内放送で状況を伝える。
  • 「ご説明します。
  • 横風が強かったため、着陸を中止しました。
  • もう一度試みます」。
  • 次には風がちょうど弱まり、安全に着陸できた。
  • ここで、パイロットの動きについてちょっと考えてみよう。
  • パイロットはきわめて厳格な枠組みのなかではたらいている。
  • この枠組みから離れる自由はもっていない(パイロットが機内放送でこう話すのを聞きたいとは思わないはずだ。
  • 「最近読んだ経営書に、エンパワーメントの価値が説かれていたんだ。
  • 実験の自由、創造性を発揮する自由、起業家精神を発揮する自由、大量のものを試してうまくいったものを残す自由、今日はこれをやってみたい」)。
  • しかし同時に、離陸するかどうか、着陸するかどうか、着陸を止めるかどうか、別の空港に向かうかどうかといった決定的な判断は、パイロットに任されている。
  • 枠組みは厳格でも、ひとつの中心的な事実ははっきりしている。
  • パイロットは航空機と乗客乗員の生命に対して、最終的な責任を負っているのだ。
  • ここで主張したいのは、航空管制制度のような厳格で厳密なシステムを作るべきだということではない。
  • 航空機は企業とは違う。
  • ひとつ間違えれば粉々になって数百人が命を落とす。
  • だが、航空会社の顧客サービスはなんともいただけない場合があるとしても、安全に目的地に行き着けることだけはまずたしかだと安心できる。
  • ここでパイロットの話を持ち出したのは、良好から偉大に飛躍した企業の内部の動きをみていくと、航空機パイロットの方式のうち、最善の部分を思い出させるものがあるからだ。
  • つまり、高度に発達した枠組みの中での自由と責任である。
  • 偉大な実績に飛躍した企業は、はっきりした制約のある一貫したシステムを構築しているが、同時に、このシステムの枠組みの中で、従業員に自由と責任を与えている。
  • みずから規律を守るので管理の必要のない人たちを雇い、人間ではなく、システムを管理している。
  • サーキット・シティのビル・リーバスはこう語る。
  • 「はるか遠くにある店舗を、遠くから管理して経営できる秘訣はここにある。
  • 優秀な店長が店舗経営に最終的な責任を負い、優秀なシステムの枠内で経営する。
  • 経営幹部と従業員には、システムを信頼し、システムをうまく動かすために必要な行動はすべてとる人材を集めなければならない。
  • しかし、このシステムの枠内では、店長はその責任にみあって、裁量の余地を十分にもつようにする」(9)。
  • ある意味で、サーキット・シティは家電小売りの分野で、外食産業でのマクドナルドに似た位置を占めるようになった。
  • 最高級というわけではないが、チェーン全体の一貫性が見事にとれている。
  • そしてシステムは進化を続けており、実験を重ねたうえで、コンピューターやVTRなどの新たな商品をくわえている(マクドナルドが朝食用のエッグ・マクマフィンをくわえたように)。
  • しかし、どの時点でみても、すべての店舗がシステムの枠組みのなかで営業している。
  • ビル・ツィーデンはこう語る。
  • 「この点が一九八〇年代初めにこの業界で、当社と他社の最大の違いになっていた。
  • 他社は店舗網を拡大できなくなったが、当社は拡大できた。
  • 全米で同じ形態の店舗を、つねに一貫性を保って出店できた」(10)。
  • この点が主因のひとつになって、サーキット・シティは八〇年代初めに飛躍するようになり、その後の十五年間に、株式の運用成績が市場平均の十八倍にもなった。
  • ある意味で、この本の内容はかなりの部分、規律の文化をいかに作り上げるかに関するものである。
  • 転換の第一段階は規律のある人材だ。
  • 第一段階は、不適切な人たちに規律を課して適切な行動をとらせることにはなく、みずから規律を守る人たちをバスに乗せることにある。
  • 第二の段階は規律ある考えだ。
  • 厳しい現実を直視する規律が必要であり、同時に、偉大さへの道を作りだすことは可能だし、そうしてみせるという確信が確固としていなければない。
  • もっとも重要な点として、現実を理解するためにあくまでも努力し、針鼠の概念を確立する必要がある。
  • 最後に、規律ある行動が必要であり、これがこの章のテーマになっている。
  • この順序は重要だ。
  • 比較対象企業は、いきなり規律ある行動を目指していることが少なくない。
  • しかし、規律ある行動は、みずから規律を守る人たちがいなければ持続させることができない。
  • そして、規律ある考えがない状態で規律ある行動をとれば、悲惨な結果になる。
  • そう、規律だけでは、偉大な成果は生まれないのだ。
  • 歴史をみていくと、おどろくほどの規律をもって、見事に隊列を組み、正確な足取りで悲惨への道を歩んだ組織がいくらでもある。
  • 重要なのは規律自体ではない。
  • みずから規律を守る人たちを集め、この人たちが徹底的に考え、その後に、針鼠の概念に基づいて設計された一貫したシステムの枠組みのなかで、規律ある行動をとることが重要なのだ。
  • コッテージ・チーズを洗う
  • 今回の調査の過程で、いくつかの言葉に繰り返しぶつかることが印象的だった。
  • 「規律」「厳しい」「根気強い」「断固として」「熱心」「几帳面」「綿密」「組織的」「整然と」「職人のように」「厳格」「一貫性のある」「絞り込んだ」「責任ある」「責任をとる」といった言葉が、飛躍した企業に関する記事、インタビュー、原資料には繰り返し使われていた。
  • そして、直接比較対象企業の資料にはおどろくほど見当たらなかった。
  • 飛躍を遂げた企業の人たちは、それぞれの責任を果たそうとする意欲が極端に強く、熱狂的ともいえるほどの場合すらある。
  • われわれはこの点を「コッテージ・チーズを洗う」と表現するようになった。
  • これはハワイの鉄人レースで六回優勝したトライアスロンの世界的なスター選手、デーブ・スコットの逸話に因んだ表現である。
  • スコットは毎日の練習で、平均して自転車で百二十キロ、水泳で二万メートル、長距離走で二十七キロを一日も欠かさずこなしている。
  • 太りすぎるはずもない。
  • それでもスコットは脂肪分が少なく、炭水化物が多い食事をとれば、さらに能力が高まると確信している。
  • そこで、毎日の練習で少なくとも五千カロリーを消費していながら、文字通りコッテージ・チーズを洗って、脂肪分を少しでも取り除いた後に食べるようにしている。
  • 鉄人レースに勝つにはコッテージ・チーズを洗わなければならないことを示す証拠があるわけではない。
  • 核心はそこにはない。
  • チーズを洗うのは小さなことではあるが、この小さな方法によって自分の力がさらに少し強まると本人が確信している点にこそ核心がある。
  • この小さな方法を他の多数の方法に付け加えることによって、強烈なほど規律のある一貫した計画を作り上げているのだ。
  • わたしはいつも、デーブ・スコットが四十二・一九五キロを走っている様子を思い浮かべる。
  • 四十度近い暑さのなか、黒い溶岩に覆われたハワイの海岸を走る。
  • しかもその前には、三・八九キロを泳ぎ、猛烈な逆風を受けながら百八十キロを自転車で駆け抜けている。
  • 走りながらおそらく、「毎日、コッテージ・チーズを洗ってきたことを思えば、これぐらいはたいしたことではない」と考えているのではないだろうか。
  • 突飛な比喩であることは承知している。
  • しかしある意味で、飛躍した企業はどれも、デーブ・スコットに似ている。
  • 偉大になれたのはなぜか、その答えはかなりの部分、慎重に選び抜いた分野で世界一になるために必要なことはすべて行い、そして、一層の改善をつねに目指す姿勢、この規律にある。
  • 秘訣はこれほど単純なのだ。
  • そして、これほどむずかしいことなのだ。
  • どの組織も世界一になれれば素晴らしいと考えている。
  • しかし、ほとんどの組織は、自尊心に目を曇らされることなく世界一になれる部分を見つけ出す規律と、可能性を現実に変えるために必要な点をすべて行う意思が欠けている。
  • コッテージ・チーズを洗う規律が欠けているのだ。
  • ウェルズ・ファーゴVSバンク・オブ・アメリカ
  • ウェルズ・ファーゴとバンク・オブ・アメリカを比較してみよう。
  • カール・ライヒャルトは、規制緩和による激動を経てウェルズ・ファーゴが強くなるのであって、弱くはならないことを決して疑わなかった。
  • そして、偉大な企業になるカギは、賢明な新戦略を打ち立てることにはなく、百年前から作り上げられてきた銀行家の考え方を一途な決意によって取り除くことにあるとみていた。
  • 「銀行には無駄が多すぎる。
  • 無駄を取り除くのに必要なのは粘り強さであって、賢明さではない」と語っている(11)。
  • ライヒャルトは率先垂範の姿勢を明確に示した。
  • 経営陣が安穏としていながら、他の人たちに痛みを強いるようなことはしない。
  • 経営陣が自分たちのコッテージ・チーズを洗うことからはじめる。
  • そう考えて、経営陣の報酬を二年間凍結した(この当時、ウェルズ・ファーゴは過去最高に近い利益をあげていたのだが)(12)。
  • 経営幹部専用の食堂を閉鎖し、学生寮食堂の運営会社に社員食堂の運営を任せた(13)。
  • 経営幹部専用のエレベーターを廃止し、社有機を売却し、水やりにコストがかかりすぎるとして経営幹部用オフィスに鉢植えの植物をおくことを禁止した(14)。
  • 経営幹部用オフィスで無料のコーヒーをなくした。
  • 経営陣用のクリスマス・ツリーを廃止した(15)。
  • 美しいバインダーでとじた報告書が届くと、「こんなことに自分の金を使おうと考えるのか。
  • バインダーで何か良くなる点があるのか」というメモをつけて送り返した(16)。
  • 経営陣の会議のときに坐る椅子はぼろぼろで、布が破れて詰め物が飛びだしている。
  • ライヒャルトはそんな椅子に坐り、詰め物を引っ張りながら、支出計画の提案を聞くこともある。
  • 「こうして、必須とされた計画がいくつも葬り去られていった」とある記事が伝えている(17)。
  • 通りを隔てたバンク・オブ・アメリカの本店では、やはり規制緩和に直面して、無駄をなくす必要に経営陣が気づいていた。
  • しかしウェルズ・ファーゴとは違って、経営陣がみずからのコッテージ・チーズを洗う規律をもっていなかった。
  • サンフランシスコ中心街にそそりたつ本店ビルに、豪華なオフィスを維持していた。
  • 『巨大銀行の崩壊』によれば、CEOのオフィスは「東北の角部屋であり、大きな会議室が付属し、中東の絨毯が敷きつめられ、天井から床までのガラス窓があって、ゴールデン・ゲートからベイ・ブリッジまで、サンフランシスコ湾が一望のもとに見渡せる」という(経営陣の椅子で詰め物が飛びだしている話は、どこにもなかった)(18)。
  • エレベーターは経営陣用の階と一階とを直通で結んでおり、下々が入り込んでくることはない。
  • 経営幹部用オフィスは
  • 広くゆったりとしているので、天井も窓も実際よりも高いように感じられ、雲の上に浮かぶエリートの宮殿に坐って、異邦人が住む世界を支配しているように感じられる(19)。
  • これほど快適な生活を送っているのに、コッテージ・チーズを洗う必要があるだろうか。
  • バンク・オブ・アメリカは一九八〇年代半ばの三年間に十八億ドルの赤字を出した後、ようやく規制緩和によって不可欠になった改革に取り組むようになる(それも大部分、ウェルズ・ファーゴから経営幹部を引き抜いて可能になった)(20)。
  • しかし、経営困難に陥った最悪の時期にも、経営陣が現実の世界から遊離する原因になっている特権を取り除くことができなかった。
  • 危機の時期に取締役会で取締役のひとりが、「社有機の売却」など、賢明な提案を行ったことがある。
  • 他の取締役は提案をおとなしく聞きはしたが、何の行動もとらなかった(21)。
  • 必要なのは文化であり、暴君ではない
  • この章のテーマの「規律の文化」を本書では取り上げないという決定をもう少しでくだそうとしたことがあった。
  • たしかに、良好から偉大に飛躍した企業は直接比較対象企業とくらべて、規律がしっかりしている。
  • ウェルズ・ファーゴとバンク・オブ・アメリカの違いがその好例だ。
  • だが、持続できなかった比較対象企業は、良好から偉大に飛躍した企業と変わらぬほど規律がしっかりしていた。
  • 調査チームの会議で、エリック・ハーゲンがリーダーシップの文化を調査対象企業全体にわたって調べる特別分析の結果を発表した。
  • 「この分析に基づけば、調査結果のひとつとして規律をあげられるとは思えない。
  • 持続できなかった比較対象企業のCEOはそれぞれの会社に、きわめて厳しい規律を持ち込んでいると断言できる。
  • これら企業が当初に偉大な実績を残せたのは、そのためだ。
  • したがって、規律は違いをもたらす要因の基準を満たせていない」なぜなのか、興味をもったわれわれは、この問題をさらに追求することにした。
  • ハーゲンが一層深い分析を担当した。
  • 事実をさらに検討していった結果、ひとつの点が明らかになっていった。
  • 表面は似ているものの、飛躍した企業と飛躍を持続できなかった比較対象企業の間には、規律に関する考え方に大きな違いがあったのだ。
  • 偉大な企業では、第五水準の指導者が持続性のある規律の文化を築き上げている。
  • これに対して飛躍を持続できなかった比較対象企業では、第四水準の経営者が強烈な力を発揮し、ひとりで組織に規律をもたらしていた。
  • 典型例といえるのがレイ・マクドナルドである。
  • 一九六四年にバローズを率いるようになった経営者だ。
  • 優秀だが他人を苛立たせる人物で、ひとりでしゃべり、ひとりで冗談を言い、自分より頭が悪いと思える人(要するに自分の周囲にいるほぼ全員)を容赦なく批判した。
  • 強烈な個性によって物事を動かし、「マクドナルドの万力」と呼ばれたほど強い圧力をかける方法をとった(22)。
  • 任期中には、素晴らしい実績を残している。
  • マクドナルドが社長に就任した一九六四年から引退した七七年末まで、株式の運用成績は市場平均の六・六倍にのぼった(23)。
  • しかし、同社にはマクドナルドの引退後まで残る規律の文化がなかった。
  • 引退の後、マクドナルドに仕えた経営幹部は何も決断できなくなり、ビジネス・ウィーク誌によれば、同社は「何をする能力もなくなった」(24)。
  • バローズは長期低落傾向をたどるようになり、マクドナルド時代の終わりから二〇〇〇年までの株式運用成績は、市場平均を九十三パーセント下回るまでになった。
  • スタンリー・ゴールトのもとでのラバーメイドも、同様の経緯をたどっている。
  • 第五水準のリーダーシップを扱った第二章で紹介したように、ゴールトは暴君だとの非難に対して、「たしかに暴君だが、誠実な暴君だ」と答えている。
  • ゴールトは厳しい規律をラバーメイドに持ち込んだ。
  • 厳密な計画と競合他社の分析、組織的な市場調査、利益分析、厳しいコスト管理などである。
  • 「信じられないほど規律のある企業だ。
  • ラバーメイドの事業への取り組みは信じがたいほど徹底している」とあるアナリストが書いている(25)。
  • 正確さと組織性を旨とするゴールトは朝六時半には出社し、いつも週に八十時間はたらき、経営幹部にも同じようにはたらくよう求めた(26)。
  • ゴールトは規律をもたらす中心であり、品質管理の中心でもあった。
  • あるときマンハッタンの街を歩いていて、ドアマンがラバーメイド製の塵取りに塵を入れながら、ぶつぶつと文句を言っているのに気づいた。
  • 「すぐにその場に戻って、何が問題なんだと質問をはじめた」と、リチャード・ゲイツがフォーチュン誌に話している。
  • ゴールトは塵取りの縁の部分が分厚すぎるのだと判断し、すぐに技術者に命令して設計を変更させた。
  • 「品質のことになると、わたしは猛烈にうるさくなる」とゴールトは語った。
  • 最高業務責任者もこれに同意して、「顔が青ざめてくる」と語っている(27)。
  • ラバーメイドはひとりで会社に規律をもたらす暴君のもと、劇的な成長を遂げたが、暴君が去るとともに、やはり劇的に転落していった。
  • ゴールトのもと、ラバーメイドは株式の運用成績が市場平均の三・六倍になった。
  • ゴールトが去った後、市場平均より五十九パーセント低くなった段階でニューエルに買収された。
  • 規律をもたらす経営者の例でとくに面白いのが、リー・アイアコッカだ。
  • ビジネス・ウィーク誌はアイアコッカを、「権力者、実力者、リー」と表現している(28)。
  • 一九七九年にクライスラーの社長に就任すると、周囲を圧倒する個性を活かして組織に規律をもたらした。
  • 「わたしはすぐに気づいた。
  • ここは混乱状態で、秩序と規律が必要だ。
  • それもただちに」と、アイアコッカは就任直後の状況について書いている(29)。
  • 最初の一年に、アイアコッカは経営陣の構造を完全に改め、厳密な財務管理を導入し、品質管理を向上させ、生産スケジュールを合理化し、大量のレイオフを実施して現金流出を抑えた(30)。
  • 「まるで野戦病院の外科医のようだと感じた。
  • ……思い切った手術で救えるものを救うしかない」(31)。
  • 労働組合との交渉では、こう通告した。
  • 「協力なんかできないと言うんだったら、お前らの頭を吹っ飛ばしてやる。
  • 明日の朝、倒産を宣言するからな。
  • 全員失業するんだぞ」(32)。
  • アイアコッカは目ざましい実績をあげ、クライスラーは産業史のなかでもとくに有名な経営再建の事例になった。
  • しかし、在任期間のほぼ半ばになって、アイアコッカは焦点を見失ったようで、クライスラーはふたたび転落するようになった。
  • ウォール・ストリート・ジャーナル紙がこう伝えている。
  • 「アイアコッカは自由の女神像修復の責任者になり、予算削減に関する議会委員会の委員になり、二冊目の本を執筆した。
  • 新聞にコラムを書き、イタリアに農園を買って自家製のワインやオリーブ油を作るようになった。
  • ……これらの動きで注意が分散し、クライスラーが現在問題にぶつかる原因になっているとの批判がだされている。
  • ……注意の分散の点はさておき、国民のヒーローの役割を担うのが、経営者にとって荷が重いことであるのは間違いない」(33)国民のヒーローという副業以上に打撃になったのは、世界一になれる分野に事業を集中させる規律がなく、まったく規律を欠いた事業多角化に乗り出した点だ。
  • 一九八五年には、航空宇宙事業の魅力に引きつけられた。
  • ほとんどの経営者がガルフストリームのジェット機一機を保有して満足しているのに、アイアコッカはガルフストリームを会社ごと買う決定をくだした(34)。
  • やはり八〇年代半ばにはイタリアのスポーツカー・メーカー、マセラッティとの合弁会社に巨額を投じ、結局は失敗に終わった。
  • 「アイアコッカはイタリア人に弱い」と、クライスラーの元経営幹部が語っている(35)。
  • 「アイアコッカはイタリア中部のトスカナに小規模な地所を保有しており、イタリア企業との提携に熱心なあまり、経済的な現実を無視したと業界筋はみている」とビジネス・ウィーク誌が伝えた。
  • マセラッティとの合弁事業の失敗では総額二億ドルの損失が出たとの推定もあり、「高価で少量生産のスポーツカー事業ではとてつもない金額だ。
  • 生産台数は数千台にすぎないのだから」とフォーブス誌が書いている(36)。
  • アイアコッカは、在任期間の前半には素晴らしい実績を残し、倒産寸前だった同社を、市場平均の三倍近い株式運用成績を達成するまでにした。
  • しかし在任期間の後半には、株式の運用成績が市場平均を三十一パーセント下回り、またしても倒産の危機に瀕するまでになった(37)。
  • 「心臓病患者によくみられるように、数年前の手術で生き延びたのに、またも健康に悪い生活習慣に戻ってしまった」と、同社の経営幹部が書いている(38)。
  • これらの事例は、持続できなかった比較対象企業のすべてにみられるパターンの典型例だ。
  • 暴君が持ち込んだ規律によって目ざましく上昇するが、その後やはり目ざましいばかりに転落する。
  • 転落するのは、規律をもたらした経営者が去って、持続する規律の文化を残さなかったときか、規律をもたらした経営者自身が規律を失い、三つの円が重なる部分からさまよいでたときである。
  • 偉大な業績をあげるために規律が必要なのは事実だ。
  • しかし、規律ある行動をとっていても、三つの円に関する規律ある理解がない場合には、偉大な実績を持続させることはできない。
  • 針鼠の概念を徹底して守る
  • ピットニー・ボウズは四十年近くにわたって、独占という繭に守られてぬくぬくしていた。
  • 郵政公社との密接な関係があり、郵便料金メーターの特許を握っていたことから、同社は重量制郵便物市場で百パーセントのシェアを獲得していた(39)。
  • 一九五〇年代末にはアメリカの郵便物のうち半分近くで同社のメーターが使われていた(40)。
  • 粗利益率は八十パーセントを超え、競争はなく、市場は巨大で、不況の影響は受けないのだから、同社は偉大な企業ではないが、偉大な独占市場を握る企業だったといえる。
  • しかしその後、独占という繭をはぎとられた企業のほとんどがそうなるように、ピットニー・ボウズは長期にわたる転落の道を歩むようになった。
  • 最初に打撃になったのは、同意判決によって、特許実施権を競合他社に無料で提供するよう義務づけられたことだ(41)。
  • 六年後には、十六社が市場に参入していた(42)。
  • 天が落ちてきたと恐怖にかられたチキン・リトルのように、同社はあわてて事業多角化に乗り出し、お粗末な買収や合弁事業設立に資金をつぎ込んだ。
  • そのひとつ、コンピューター小売事業への進出では、七千万ドルの損失を出している。
  • 当時の株主資本の五十四パーセントにあたる巨額の損失である。
  • 一九七三年には、設立以来はじめての赤字決算になった。
  • 市場の独占によって守られてきた企業が、市場の競争という厳しい現実に直面して徐々に解体していく、何度も繰り返されてきたこの動きの典型例になろうとしていた。
  • 幸い、第五水準の指導者、フレッド・アレンが同社を率いるようになり、厳しい問いをたてて世界のなかでの自社の役割を深く理解するようになった。
  • 自社を「郵便料金メーター」の企業だと考えるのではなく、もっと幅広い「メッセージ交換」の概念の範囲内で、企業の事務部門に製品・サービスを提供する企業として世界一になれるとみるようになった。
  • また、高級ファックス機や専用コピー機などの高度な事務機器を販売すれば、顧客一社当たり利益という経済的原動力にぴったりだし、広範囲な販売・サービス網を活用できるとみるようになった。
  • フレッド・アレンと後継者のジョージ・ハーベイは、規律ある事業多角化の方式を打ち立てた。
  • たとえば同社はやがて、大企業向けの高級ファックス機事業を四十五パーセントの市場シェアを握り、収益性がきわめて高いドル箱に育て上げている(43)。
  • ハーベイは、新技術と新製品の開発に組織的に投資する仕組みを作り、郵便物の封緘と発送を行うパラゴン郵便処理機などの開発を進め、一九八〇年代後半にはそれまで三年間に発売した製品が売上高の半分をつねに占めるまでになった(44)。
  • 最近では、事務機器とインターネットを接続する動きで先頭を切っており、規律ある事業多角化の新たな機会にしている。
  • ここで重要なのは、事業多角化と技術革新の一歩一歩がすべて、三つの円の重なる部分のものであることだ。
  • 同社株の運用成績は、同意判決の時点から一九七三年の最悪期まで、市場平均を七十七パーセント下回ったが、進路を変更したこの年から九九年初めまででは市場平均の十一倍以上になっている。
  • 一九七三年から二〇〇〇年までの株式運用成績でみると、コカ・コーラ、3M、ジョンソン&ジョンソン、メルク、モトローラ、プロクター&ギャンブル、ヒューレット・パッカード、ウォルト・
  • ディズニーを上回り、GEすら上回っている。
  • 独占の繭のなかでぬくぬくしていた企業が、独占を失った後、ここまでの実績を残している例が他に思い浮かぶだろうか。
  • AT&Tは低迷している。
  • ゼロックスもここまでの実績は残せていない。
  • IBMすらそうだ。
  • ピットニー・ボウズの動きをみていくと、三つの円が重なる部分に止まる規律を失ったときにどうなるか、逆に、この規律を取り戻したときにどうなるかがよく分かる。
  • 偉大な実績に飛躍した企業は成長の過程で、きわめて単純な原則を守っている。
  • 針鼠の概念に合わないものはやらない。
  • 関連のない事業には進出しない。
  • 関連のない買収は行わない。
  • 関連のない合弁事業には乗り出さない。
  • 自社に合わないことは行わない。
  • 例外は認めない。
  • これに対して、三つの円が重なる部分に止まる規律を欠いていた点が、比較対象企業のほぼすべてで、業績低迷の主因になっている。
  • 比較対象企業はいずれも、三つの円を理解しようとする規律を欠いているか、あるいは、三つの円が重なる部分に止まる規律を欠いている。
  • R・J・レイノルズが典型例だ。
  • 一九六〇年代まで、同社は単純明快な概念を確立していて、アメリカで第一位のタバコ会社であることが概念の中心になっていた。
  • そして、この地位を少なくとも二十五年にわたって維持していた(45)。
  • ところが一九六四年、アメリカ保健教育福祉省公衆衛生局長が喫煙と癌の関係に関する報告書を発表し、同社は自衛手段として事業多角化をはかるようになった。
  • もちろん、このときタバコ各社はおなじ理由で一斉に事業多角化に取り組んでおり、フィリップ・モリスも例外ではない。
  • しかしR・J・レイノルズが三つの円から離れていった動きは、どのような論理でも説明かつかないものであった。
  • 一九七〇年、R・J・レイノルズは総資産の三分の一近い資金を投じて、コンテナ船海運会社のシー・ランドと石油会社のアミンオイルを買収した。
  • 生産した原油を自社で運送して利益をあげると説明された(46)。
  • この考え自体は、決して悪いものではない。
  • だが、同社の針鼠の概念に、いったいどのように関連するのだろう。
  • これはまったく規律を欠いた買収であり、シー・ランドの創業者がR・J・レイノルズ会長の親友だったことがきっかけになったものであった(47)。
  • 買収後もシー・ランドに二十億ドル以上をつぎ込んだため、投資総額はR・J・レイノルズの株主資本に匹敵するほどになった(48)。
  • 何年にもわたって不振の海運事業に資金を投入しつづけ、タバコ事業を資金不足に陥らせたあげく、同社は失敗を認め、シー・ランドを売却した(49)。
  • 創業者のレイノルズの孫のひとりがこう嘆いている。
  • 「連中はタバコの製造と販売にかけては世界一だが、海運と石油について何を知っているというのだ。
  • 倒産の心配まではしていないが、世間知らずの少年が小遣いをもらいすぎたときのようではないか」(50)公正を期すために触れるなら、フィリップ・モリスも事業多角化では成功続きだったわけではなく、たとえばセブンアップの買収は失敗に終わった。
  • しかしR・J・レイノルズとは対照的に、フィリップ・モリスは一九六四年の公衆衛生局長の報告書に対応するにあたって、はるかに規律ある行動をとっている。
  • 針鼠の概念を捨てるのではなく、それを見直し、健康的とはいえない消費財(タバコ、ビール、ソフト・ドリンク、コーヒー、チョコレート、チーズなど)で世界的ブランドの構築を目指すようになった。
  • このようにして、三つの円の重なる部分に止まりつづける規律を厳しく守りつづけたことが、六四年の公衆衛生局長報告書の発表後、まったくおなじ機会と脅威にぶつかったこの二社の業績が劇的に乖離した主因のひとつになった。
  • 六四年から八九年まで(つまり、R・J・レイノルズがLBOによって株式市場から姿を消すまでの間)、株式の運用成績でみて、フィリップ・モリスはR・J・レイノルズの四倍になった。
  • 針鼠の概念を見つけ出す規律をもった企業は少なく、その内部に止まりつづける規律をもった企業はさらに少ない。
  • この規律をもたない企業は、単純な逆説を理解できていない。
  • 三つの円の重なる部分に止まる規律をもつほど、成長と貢献の魅力的な機会が増えるという逆説である。
  • 偉大な企業は、機会が少なすぎて飢える可能性よりも、機会が多すぎて消化不良に苦しむ可能性の方が高いのだ。
  • だから、機会を作りだすことではなく、機会を取捨選択することが課題になる。
  • 大きな機会にぶつかって「ありがたいが見送りたい」と言うには、規律が必要だ。
  • 「一生に一度の機会」であっても、三つの円が重なる部分に入っていないのであれば、飛びつく理由はまったくない。
  • 針鼠の概念を熱狂的といえるほど維持するとの考えは、戦略的事業の選択だけを対象にするものではない。
  • 組織を管理し、築き上げる方法のすべてに関連しうるものである。
  • ニューコアは、文化と技術を活用して鉄鋼を生産するという針鼠の概念に基づいて事業を築き上げてきた。
  • ニューコアの概念の中心には、階層制がほとんどない平等主義と実力主義によって、従業員の利害を経営陣や株主の利害とを一致させるとの考えがある。
  • ケン・アイバーソンは、一九九八年の著書『真実が人を動かす』でこう書いている。
  • ほとんどの企業で、いまだに不平等がはびこっている。
  • ここでいう不平等とは階層制によるものであり、これによって「われわれ」対「やつら」という図式が正当化され、組織に定着する。
  • ……企業の階層の最上部に位置する人たちは、自分たちの特権をつぎつぎに作りだし、実際の仕事を担っている従業員に特権を見せびらかしている。
  • そうしておいて、経費削減や収益性向上を経営陣が呼びかけても、従業員はなぜ動かないのかと首をひねっている。
  • ……経営階層の最上部にいる人たちが、階層制によって従業員をつねに押さえつけていながら、従業員の動機付けに巨額を投じていることを考えるたびに、わたしは信じがたいと首をひねっている(51)。
  • われわれのインタビューで、ケン・アイバーソンは、ニューコアの成功の百パーセント近くが、単純な概念を、その概念に一致する規律ある行動の形で実行に移していった結果だと述べている。
  • 売上高が三十五億ドルになり、フォーチュン誌の大企業五百社に入っても、経営階層はわずか四つしかない。
  • 本社には経営幹部、財務スタッフ、秘書を合わせて二十五人以下しか勤務していないし、小さな歯科医院ほどの大きさしかない賃借のオフィスではたらいている(52)。
  • ロビーには安物の合板の家具しかなく、ロビー自体もクローゼットほどの大きさしかない。
  • 豪華な食堂はなく、経営幹部への来訪者があると、向かいの商店街にあるサンドイッチ店、フィルズ・ダイナーでもてなす(53)。
  • 経営幹部だからといって、現場の従業員よりも付加給付が手厚いわけではない。
  • それどころか、経営幹部の方が付加給付は少ない。
  • たとえば、経営幹部以外の全従業員は、子供が高校卒業後に教育を受けている場合、最長四年間にわたって子供一人当たり年に二千ドルを給付される(54)。
  • あるとき、従業員の一人がマービン・ポールマンのところに来て、こう質問した。
  • 「うちには子供が九人いる。
  • 子供が大学や専門学校などに進学するとき、九人の子供たちのひとりひとりに四年間、教育手当てを払ってもらえるのですか」。
  • ポールマンはその通り、ひとりひとりに払うと答えた。
  • 「その従業員は坐り込んで泣きだした。
  • この場面は忘れられない。
  • われわれがやろうとしていることを、見事にとらえた瞬間だったからだ」(55)ニューコアでは、高収益をあげた年には社内の全員が潤う。
  • 従業員の給与はきわめて高く、「ニューコアに解雇されたら、離婚だからね」と妻に言われた従業員がいるほどだ(56)。
  • しかし、景気が悪くなって苦しくなると、上から下まで全員の給与が減る。
  • たとえば一九八二年の景気後退の際には、一般従業員は二十五パーセントの減収になった。
  • 経営幹部は六十パーセント、CEOは七十五パーセントの減収になっている(57)。
  • ニューコアはどんな組織にもいずれはびこる階層差を根絶するために、極端な方法までとっている。
  • 七千人の従業員全員の氏名を年次報告書に記載しており、取締役と経営幹部の氏名だけを紹介する通常の方法はとっていない(58)。
  • 工場では安全管理者と訪問客は例外だが、それ以外の全員がおなじ色のヘルメットをかぶる。
  • ヘルメットの色なんて小さなことだと思えるかもしれないが、これがかなりの物議をかもしている。
  • 現場主任の何人かが、ヘルメットの色は一般の従業員より地位が高いことを示すもので、車の後部の目立つところにおけるステータス・シンボルとして重要なのだと抗議した。
  • ニューコアはこの抗議を受けて、何度も集会を開き、社内での地位と権威は指導力によるものであって、地位によるものではないと説明した。
  • それでは納得できないのであれば、階層差がどうしても必要だと感じるのであれば、ニューコアはふさわしい職場ではないと説明したのである(59)。
  • ニューコアの本社が歯科医院の規模であるのに対して、ベスレヘム・スチールは経営幹部用に二十一階建ての本社ビルを作った。
  • それも、普通の長方形ではなく、十字型のビルにし、建設費を余分にかけている。
  • 角部屋を求める多数の副社長の要望にこたえるためである。
  • 「副社長はみな……二方向に窓がある部屋でなければ納得しない。
  • この要望があるので、この設計を考えた」と同社の経営幹部が説明している(60)。
  • ジョン・ストロマイヤーが『ベスレヘムの危機』で同社の文化をくわしく描いており、ニューコアとは想像できるかぎり正反対の極にあるといえる。
  • 社有機を多数抱え、経営幹部の子供が大学に行くときや、週末に保養地に行くときにすら、使われている。
  • 経営幹部用に十八ホールのゴルフ・コースがあり、クラブは同社の資金で改装され、幹部の序列によってシャワーの順番まで決まっているという(61)。
  • われわれが達した結論を述べるなら、ベスレヘム・スチールの経営陣は、階層制度を永続化し、自分たちをエリートの地位に高めることを経営の目標にしている。
  • 一九七〇年代と八〇年代に同社が低落傾向をたどった主因は、輸入でも技術でもない。
  • 何よりも、幹部の関心が顧客でも競争相手でも外部世界の変化でもなく、社内の複雑な階層制度で細かな特権を獲得していくことに向けられていた点にこそある。
  • ニューコアは業績が好転しはじめた一九六六年から九九年までの間、三十四年連続して利益を確保しているが、ベスレヘム・スチールはおなじ三十四年のうち十二年に赤字を出し、累積損益は赤字になっている。
  • 九〇年代には、ニューコアはどの年にもベスレヘムを上回る利益を出しており、十年前には三分の一しかなかった売上高でも、九〇年代末にはついに、ベスレヘムを追い抜いた(62)。
  • それ以上におどろくのは、従業員一人当たり利益が五年平均でベスレヘムの十倍近くに達していることだ(63)。
  • 株式投資家にとっての運用成績は、ニューコアがベスレヘムの二百倍以上になっている。
  • 公正を期すために触れておくなら、ベスレヘム・スチールはニューコアがぶつかっていない大きな問題をかかえていた。
  • 労使関係が悪く、労働組合が強い力をもっているのだ。
  • ニューコアは労働組合がなく、従業員との関係がおどろくほど良い。
  • 労働組合のオルグがある工場を訪れたことがあったが、従業員は会社への忠誠心がきわめて強く、オルグに怒号を浴びせて砂を投げつけたため、管理職がオルグを守らなければならなくなったほどである(64)。
  • しかし、労働組合が重荷になったという議論から、決定的な問いが生まれる。
  • ニューコアで従業員との関係がこれほど良いのはなぜなのかという問いである。
  • 答えはこうだ。
  • ケン・アイバーソンらの経営陣が、従業員の利害と経営陣の利害を一致させるという単純明快な針鼠の概念を確立し、それ以上に重要な点として、この概念に一致した組織を作り上げるために、極端だと思える手まで使う意思をもっているからなのだ。
  • 熱狂的だともいえるほどだが、偉大な業績を達成するには、針鼠の概念にのっとった一貫性という考えを、熱狂的ともいえるほど信奉していなればならない。
  • 止めるべきことのリストを作る
  • やるべきことのリストがあるだろうか。
  • それだけではなく、止めるべきことのリストも作っているだろうか。
  • ほとんどの人は忙しいわりに、規律のない毎日を送っている。
  • 「やるべきこと」のリストをたえず膨らませ、あれもやり、これもやり、さらにこれもやって勢いをつけようとつとめている。
  • しかし、めったに成功しない。
  • ところが飛躍を導いた指導者は、「やるべきこと」のリストと変わらないほど、「止めるべきこと」のリストを活用している。
  • 無意味なことをあらゆる種類にわたって止める点で、おどろくほどの規律を示している。
  • ダーウィン・スミスがキンバリー・クラークのCEOになったとき、「止めるべきこと」のリストを大いに活用した。
  • ウォール街
  • と年間の業績を予想するゲームを続けていると、関心が短期的業績に集まりすぎるとみて、予想の発表を取り止めた。
  • 「毎年、将来の利益の予想を発表することで、株主が全体として利益を得られるとは思えない。
  • したがって、予想を取り止める」とスミスは語った(65)。
  • 職階を無意味に増やしていく動きは、階層へのこだわりと官僚的な階層制を示すものだと判断し、職階をすべて廃止した。
  • 社外との関係でどうしても必要な役職にある場合を除いて、職階をもつものはいなくなった。
  • 階層が増えていくのは、企業王国建設の自然な結果だと判断した。
  • そこで、単純で見事な仕組みを作って、何段階にもわたる階層を一気に廃止した。
  • 自分の責任を果たすには部下が十五人以上必要だと同僚を説得できないかぎり、部下をなくすという仕組みである(これは一九七〇年代のことであり、階層の削減が最新流行になる前である点に注意)(66)。
  • 自社を消費関連企業とみるべきで、製紙会社とみるべきではないとの見方を強化するために、製紙関連のすべての業界団体から脱退した(67)。
  • 飛躍を遂げた企業は、独特の予算管理を通じて「止めるべきこと」を止める仕組みを作り上げている。
  • ここで考えてみよう。
  • 予算編成の目的は何なのかと。
  • ほとんどの人は、それぞれの活動への資金の割り当てを決めるためか、経費を管理するためと答えるはずだ。
  • しかし、偉大な企業への飛躍という観点からは、このどちらの答えも間違いである。
  • 超優良に飛躍した企業では、予算編成は、どの分野に十分な資金を投入し、どの分野に資金をまったく割り当てないかを決める規律の仕組みになっている。
  • 言い換えれば、予算編成とは、それぞれの活動にどれだけの資金を割り当てるかを決めるものではない。
  • どの活動は針鼠の概念に最適で、したがって集中的に強化すべきか、どの活動は完全に廃止すべきかを決めるものである。
  • キンバリー・クラークは製紙事業から消費財事業に資源配分の重点を移したわけではない。
  • 製紙事業から完全に撤退し、製紙工場を売却し、それで得た資金をすべて、成長している消費財事業に投入したのだ。
  • わたしは以前に、大手製紙会社の何人かの経営幹部と面白い会話をかわしたことがある。
  • この会社は良好な企業だが、偉大だといえるほどにはなっていない。
  • キンバリーが消費財会社になる以前には、直接に競合していた。
  • わたしは好奇心から、キンバリー・クラークについてどう思うかと聞いてみた。
  • 「キンバリーの動きは公正ではない」という答えが返ってきた。
  • 「公正ではないですか」とわたしは不思議に思って聞き返した。
  • 「たしかにキンバリーははるかに成功を収めるようになった。
  • しかし、われわれも製紙事業を売却して、強力な消費財企業になれば、やはり偉大な企業になれたかもしれない。
  • ところがわれわれは、製紙事業への投資がはるかに多い。
  • だからとても、そこまで踏み切れなかった」飛躍を遂げた企業の動きを後から振り返ってみると、おどろくほど思い切った行動をとって、資源をひとつか少数の分野に振り向けている。
  • 三つの円が重なる部分を理解できると、大胆な賭に保険をかけることはまずない。
  • クローガーは事業を完全に転換してスーパーマーケット網を作り上げていったが、A&Pは古くからの店舗にしがみつく「安全な」方針をとった。
  • アボットは診断と病院用栄養剤で世界一になるために資源の大部分を投入したが、アップジョンは医薬品という中核事業にしがみついた(世界一になれるはずがない分野だ)。
  • ウォルグリーンズは収益性の高い外食事業から撤退し、利便性の高い最高のドラッグストアというひとつのアイデアに全力を投入した。
  • ジレットはセンサーに、ニューコアは電炉に全力を投入しており、キンバリー・クラークは製紙工場を売却して消費財事業にすべての資源を集中させた。
  • どの企業も、針鼠の概念を理解すると、巨額の投資を進める大胆さをもっていた。
  • もっとも効果的な投資戦略は、「正しく選択した分野への非分散型投資」である。
  • 冗談のように聞こえるかもしれないが、良好から偉大に飛躍した企業がとった方法はこれである。
  • 「正しく選択する」とは、針鼠の概念を獲得することを意味する。
  • 「非分散型」とは、三つの円の重なる部分に入る分野に十分に投資し、それ以外の分野の活動をすべて取り止めることを意味する。
  • もちろんここでカギになるのは、「正しく選択した分野への」という但し書の部分だ。
  • だが、選択が正しいかどうか、どうして分かるのだろうか。
  • 各社を調査していった結果、すべての要素を揃えていけば、正しい選択を行うのはそれほどむずかしくはないことが分かった。
  • 第五水準の指導者がいて、適切な人をバスに乗せ、厳しい現実を直視する規律をもち、真実に耳を傾ける社風を作りだし、評議会を作って三つの円が重なる部分で活動し、すべての決定を単純明快な針鼠の概念にしたがってくだし、虚勢ではなく現実の理解に基づいて行動すればいい。
  • これらのすべての要素を揃えていれば、大きな決定を正しく行えるようになるだろう。
  • 最大の問題は、正しい選択が何なのかが分かったとき、正しいことを行う規律をもち、それと同様に大切な点として、不適切なことを止める規律をもつことである。
  • 章の要約
  • 規律の文化要点・偉大な業績を維持するカギは、みずから規律を守り、規律ある行動をとり、三つの円が重なる部分を熱狂的ともいえるほど重視する人たちが集まる企業文化を作り上げることにある。
  • ・官僚制度は規律の欠如と無能力という問題を補うためのものであり、この問題は不適切な人をバスに乗せていることに起因している。適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろせば、組織を窒息させる官僚制度は不要になる。
  • ・規律の文化には二面性がある。一方では一貫性のあるシステムを守る人たちが必要だ。しかし他方では、このシステムの枠組みのなかで、自由と責任を与える。
  • ・規律の文化は行動の面にかぎられるものではない。規律ある考えができ、つぎに規律ある行動をとる規律ある人材が必要である。
  • ・飛躍した企業は、外部からみれば退屈だとか月並みだとか思えるかもしれない。しかし内部をくわしくみていくと、極端なほど勤勉で、おどろくほど徹底して仕事に取り組む人たちが大勢いる(コッテージ・チーズを洗う人たちだ)。
  • ・規律の文化と規律をもたらす暴君とを混同してはならない。このふたつはまったく違ったものであり、規律の文化はきわめて有益だが、規律をもたらす暴君はきわめて有害である。救世主のCEOが強烈な個性によって規律を持ち込んだ場合、偉大な業績を持続できないのが通常だ。
  • ・偉大な業績を持続させるためにもっとも重要な点は、針鼠の概念を熱狂的ともいえるほど信奉し、三つの円の重なる部分に入らないものであれば、どんな機会でも見送る意思をもつことである。意外な調査結果・宗教的ともいえるほどの一貫性をもって、三つの円の重なる部分に止まる規律をもつほど、成長と貢献の魅力的な機会が増える。
  • ・「一生に一度の機会」であっても、三つの円が重なる部分に入っていないのであれば、飛びつく理由はまったくない。偉大な企業になれば、そのような機会にたくさんぶつかるようになる。
  • ・超優良に飛躍した企業では、予算編成は、それぞれの活動にどれだけの資金を割り当てるかを決めるものではない。どの活動は針鼠の概念に最適で、したがって集中的に強化すべきか、どの活動は完全に廃止すべきかを決めるものである。
  • ・「止めるべきこと」のリストは、「やるべきこと」のリストよりも重要である。
  • 第七章新技術にふりまわされない──促進剤としての技術
  • ほとんどの人は考えるぐらいなら死ぬほうがいいと思っている。
  • そして、死んでいく人が多い。
  • バートランド・ラッセル(1)
  • 一九九九年七月二十八日、インターネット薬局の草分けの一社、ドラッグストア・ドット・コムが株式を公開した。
  • 取引開始の直後から同社株は公開価格の三倍近くまで上昇し、六十五ドルになった。
  • 四週間後には六十九ドルになり、株式時価総額が三十五億ドルを超えた。
  • 営業をはじめて九か月にもならず、従業員が五百人以下、配当は少なくとも数年にわたって期待できず(数十年にわたってかもしれないが)、黒字転換を果たすまでに数億ドルの赤字を出す計画をたてている企業にしては悪くない株価だ(2)。
  • この異例の株価が正当だとする理屈は、どのように組み立てられていたのだろうか。
  • 「新技術によってすべてが変わる」と主張された。
  • 「インターネットはすべての事業に革命をもたらす」と教祖が唱えた。
  • 「インターネットで未開の巨大市場の開拓がはじまった。
  • この市場に一番乗りを果たし、素早く動き、市場シェアを獲得すれば、それにどれほどのコストがかかっても、勝利を収められる」と起業家が叫んだ。
  • 歴史のなかでもめったにない時期にさしかかり、偉大な企業を築こうと努力するという考え方自体が時代後れでかび臭くなったように思えた。
  • 「株式を公開できる企業を築け」が合言葉になっているようだった。
  • どんな事業でもかまわないから、インターネット関連の事業をしていると吹聴すればいい。
  • 利益をあげていなくても(会社といえるほどになっていなくても)、株式公開で金持ちになれる。
  • 準備から突破への苦しい道を歩み、ほんとうに有効な事業方式を苦労して組み立てる必要などあるのだろうか。
  • 「新技術」と叫ぶか、「ニュー・エコノミー」と叫ぶだけで、数億ドルが流れ込んでくるのだから。
  • なかには、まともな企業を築く意思すら示さず、ましてや偉大な企業を築こうなどとは考えてもいない起業家もいた。
  • 二〇〇〇年三月には、情報提供用のウェブ・サイトと事業計画があるだけで、他には何もないまま株式公開を申請した起業家がいたほどだ。
  • この起業家はインダストリー・スタンダード誌のインタビューで、事業をはじめる前に株式を公開するのは奇妙に思えるかもしれないと認めたが、それでも、売上も従業員も顧客もなく、会社の実態すらない状況で、百十万株を一株当たり七~九ドルで投資家に売りつけようとした(3)。
  • インターネットの新技術の時代に、オールド・エコノミーの遺物のような古臭い考えをだれが必要とするだろう。
  • そう考えられていた。
  • 熱狂の最盛期に、ドラッグストア・ドット・コムがウォルグリーンズに挑戦状を突きつけた。
  • ウォルグリーンズ株はドット・コム株ブームで打撃を受け、ドラッグストア・ドット・コムの株式公開までの数か月に四十パーセント以上、株価が下落した。
  • 一九九九年十月、フォーブス誌はこう伝えている。
  • 「インターネット事業の競争に勝つのは、元気のいい新興企業だと投資家は判断しているようだ。
  • たとえばドラッグストア・ドット・コムがそうで、株価は一株当たり売上高の三百九十八倍に達していて、ウォルグリーンズの同一・四倍を大きく引き離している」(4)。
  • 証券会社のアナリストはウォルグリーンズ株の推奨を引き下げ、同社株の時価総額は百五十億ドル近く減少して、インターネットの脅威に対応するよう同社に求める圧力が強まっていった(5)。
  • この狂乱のなかで、ウォルグリーンズはどう対応しただろうか。
  • 「当社は、這い、歩き、走るを信条としている」と、ダン・ジョーントがインターネットに慎重に組織的に取り組む姿勢をフォーブス誌に語っている。
  • 同社経営陣は天が落ちてきたと騒ぐのではなく、当時としては異例の動きをとった。
  • 立ち止まって考えることにした。
  • 頭を使って熟慮することにしたのである。
  • はじめはゆっくりと(這うように)、ウェブ・サイトの実験を開始し、その間に社内でインターネット事業の意味について、自社の針鼠の概念との関連で徹底した議論を行った。
  • インターネットが利便性の概念とどのように関連するのだろうか。
  • どうすれば、来客一人当たりキャッシュフローという指標に結び付けることができるのか。
  • インターネットをどのように使えば、世界のどの企業よりもすぐれている点をさらに強化でき、情熱をもてる方法で事業を進められるのだろうか。
  • この議論を進めるとき、同社経営陣はストックデールの逆説を信奉していた。
  • 「当社がインターネットの世界で傑出した企業になりうるとの確信は揺るがない。
  • そして同時に、インターネットの厳しい現実を直視しなければならない」。
  • 同社経営幹部のひとりが、この歴史的な時期について面白い話を聞かせてくれた。
  • インターネット時代を代表する人物のひとりが、「ウォルグリーンズか。
  • インターネットの世界にはいかにも古臭く、泥臭い会社だ。
  • 時代の流れに取り残されるだろう」といった発言をした。
  • 同社の人たちは、インターネットのエリートによるこの傲慢な発言に苛立ちはしたが、公の場で反論しようと真剣に考えたことはなかった。
  • 「やるべきことを静かにやっていけばいい。
  • 連中がとんでもない犬の尻尾を引っ張っていたことが、いずれはっきりしてくる」とある幹部が語った。
  • やがて少し動きが速くなり(歩くように)、同社はインターネットを自社の高度な在庫・物流管理システムに直接に結び付ける方法を見つけ出し、やがて、利便性の概念とも結び付ける方法を見つけ出した。
  • 処方をオンラインで入力し、車に乗り込んで近くのウォルグリーンズのドライブスルー店に行けば(そのときたまたま、どこかの都市に行っていても、近くにある店に行きさえすれば)、窓口でほんの少し待つだけで薬を受け取れる。
  • その方が便利なら、発送してもらうこともできる。
  • 大あわての右往左往もなければ、大げさな宣伝もなければ、虚勢もない。
  • 現実を理解するために静かに努力し、考え抜かれた手段を静かにとっていった。
  • そして最後に(走るように)、ウォルグリーンズは大きな賭にでた。
  • ほとんどのドット・コム専業企業に負けないほど、高度でうまく設計されたインターネット・サイトを開設したのだ。
  • 二〇〇〇年十月、この章を書く直前に、われわれはウォルグリーンズ・ドット・コムを使ってみた。
  • 使いやすいし、その時点で電子商取引の雄だったアマゾン・ドット・コムとくらべても遜色ないほど、配達の仕組みが信頼でき、よく考え抜かれている。
  • フォーブス誌の記事からちょうど一年たって、ウォルグリーンズはインターネットを利用して勢いをさらに強める方法をみいだし、同社はさらに強固になった。
  • 求人を大幅に増やすと発表し(それもインターネット・サイトで)、一層の成長を支える人材を集めている。
  • 一九九九年にドット・コムの脅威への懸念が最高潮に達した時点から一年以内に、株価は二倍近くに上昇した。
  • では、ドラッグストア・ドット・コムはどうなったか。
  • 巨額の損失が続いたことから、資金を節約するためにレイオフを発表した。
  • 株価は最高値をつけてから一年少しで二十六分の一に下がった。
  • 時価総額のほとんどを失ったのだ(6)。
  • ウォルグリーンズは這い、歩き、走るようになったが、ドラッグストア・ドット・コムは逆に走りから歩きになり、ついには這うようになった。
  • ドラッグストア・ドット・コムが今後、すぐれた業績を持続できる方法を見つけ出し、偉大な企業になる可能性もある。
  • しかし、派手な技術や、大げさな宣伝や、株式市場の根拠なき熱狂によって偉大になるのではない。
  • 偉大な企業になるとするなら、それは、三つの円の理解に基づく一貫した概念を実現するために、技術をどのように適用するかを見つけ出したときである。
  • 技術と針鼠の概念こういう意見もあるだろう。
  • 「インターネットへの熱狂は投機のバブルにすぎず、それがはじけただけのことだ。
  • それがどうしたというのだ。
  • バブルがいつまでも続くものではないことは、だれでも知っている。
  • 良好から偉大への飛躍について、そこから何を学べるというのか」はっきりさせておこう。
  • この章の要点はインターネット・バブルでみられた具体的な事例に直接に関係しているわけではない。
  • バブルは膨らんでははじける。
  • 鉄道が登場したときにそうなった。
  • 電気の登場でもそうなった。
  • ラジオでもそうなった。
  • パソコンでもそうなった。
  • インターネットでもそうなった。
  • 今後も、新しい技術の登場とともにバブルが膨らみはじけるだろう。
  • しかし、技術がさまざまに変化しても、偉大な企業は変化に適応し、乗り切っていく。
  • 過去百年間に登場した偉大な企業は、ウォルマートからウォルグリーンズまで、プロクター&ギャンブルからキンバリー・クラークまで、メルクからアボットまで、どの企業も電気、テレビ、インターネットなど、いくつもの技術変化を乗り切っている。
  • これまでも技術の変化に適応して偉大さを維持してきた。
  • 今後も適応していくだろう。
  • 技術の進歩による事業環境の変化は決して新しいことではない。
  • だから、ほんとうに問題になるのは「技術はどのような役割を果たすか」ではない。
  • 「偉大さへの飛躍を遂げた企業が技術について、通常とは違った考え方をしているのはどの部分か」である。
  • ウォルグリーンズがいずれインターネットを理解することは、事前に予想できたはずだ。
  • 同社は長期にわたって情報技術分野に巨額を投資してきており、業界の他社が情報技術を活用するようになった時期は、同社よりはるかに遅かった。
  • 一九八〇年代初めには、インターコムと呼ぶ大がかりなネットワークを他社に先駆けて構築した。
  • これは単純明快な考えに基づくものだ。
  • 自社の店舗すべてを結ぶネットワークを構築し、顧客データを中央に集めておけば、顧客は全米のどの店舗に行っても、地元の店舗と同じサービスを受けられる。
  • たとえば、フロリダ州に住む顧客がアリゾナ州フェニックスに旅行したときに処方薬を切らしてしまったとしよう。
  • フェニックスの店舗に行けば何の問題もなく、自宅近くの店舗と同じように、データを調べて必要な薬をだしてくれる。
  • そんなことはごく普通ではないかと思えるかもしれないが、それはいまの感覚で考えるからだ。
  • ウォルグリーンズが一九七〇年代後半にインターコムに投資したとき、業界にはこれに似たシステムをもっている企業はまったくなかった。
  • インターコムには最終的に四億ドル以上を投資しており、うち一億ドルは自社の衛星通信網への投資であった(7)。
  • インターコムの中央管理センターは「ウォルグリーン地上局」と名付けられていて、ここを見学すると「高度な電子機器が大量に並んでおり、NASAの管制センターを見学しているかのように感じられる」と、ある業界紙が伝えている(8)。
  • 同社の技術陣は情報システムのすべてを保守管理する能力をもつようになり、外部の専門家には頼っていない(9)。
  • それだけではない。
  • スキャナー、ロボット、コンピューター在庫管理、高度な倉庫管理システムの利用でも、同社は先頭を切っている。
  • インターネットは、それまでの動きを一歩前進させるものにすぎない。
  • ウォルグリーンズがこれらの先進技術を取り入れてきたのは、先進技術に夢中だからではないし、時代に取り残されるとの恐怖心をいだいたからでもない。
  • 技術は、突破段階に入った後、その勢いを加速するための手段として使われている。
  • そして、利便性の高いドラッグストアによって来客一人当たりの利益を増やしていくという針鼠の概念に、直接に結び付けて使われている。
  • 余談ながら、一九九〇年代後半に同社が情報技術力を高めていったとき、その指揮をとる最高情報責任者(CIO)は薬剤師であって、情報技術の専門家ではなかった(10)。
  • 同社の姿勢はいつもはっきりしている。
  • 針鼠の概念が情報技術の利用方法を決めるのであって、その逆ではない。
  • ウォルグリーンズだけではない。
  • 飛躍した企業はいずれも、技術力を高めてきている。
  • しかし、技術一般ではなく、慎重に選択した分野の技術の応用で、先駆者になっている。
  • 飛躍した企業はいずれも、技術の応用で先駆者になったが、どの分野の技術なのかは会社によって大きく違っている(「各社が促進剤とした技術」を参照)。
  • たとえばクローガーは、バーコード・スキャナーを逸早く利用し、店舗での販売と裏方の在庫管理を結び付けて、A&Pを追い抜く動きを加速させた。
  • 面白くもないと思われるかもしれない。
  • 在庫管理なぞに胸踊らせる人はほとんどいない。
  • だが、こう考えてみるべきだ。
  • 倉庫に入って、そこに積み上げられた箱に入っているものがコーン・フレークスでも野菜の缶詰でもなく、じつは紙幣なのだと。
  • 手が切れそうなパリパリの紙幣が、パレットに乗せられて天井まで積み上げられているのだと。
  • これこそが、在庫についての正しい見方なのだ。
  • 野菜の缶詰の箱は、ただの野菜の缶詰の箱ではない。
  • 現金である。
  • 現金が倉庫に眠っており、野菜の缶詰を売るまでは何の役にも立たない。
  • 前述のように、クローガーは暗くて古くて小さな食品雑貨店を組織的に閉店し、明るく大きく快適なスーパーマーケットに置き換えていった。
  • この目標を達成するために、総額九十億ドルを超える投資を行っており、これだけの資金を粗利益率の低い食品雑貨小売り事業で生み出さなければならなかった。
  • 投資額がいかに大きかったかは、同社が年間の税引き利益の平均二倍を超える設備投資を、三十年間にわたって毎年続けてきたことをみれば理解できるだろう(11)。
  • さらに印象的な点をあげるなら、同社は一九八八年、買収攻勢を撃退するために、五十五億ドルの高利回り債を発行し、株主に一株当たり四十ドルの現金と八ドルの劣後債を特別配当として支払いながらも、八〇年代、九〇年代に巨額の現金を必要とする店舗の入れ替えを進めている(12)。
  • 同社は店舗をすべて一新し、楽しく買い物ができるようにし、扱う商品を飛躍的に増やすと同時に、数十億ドルの負債を返済しているのだ。
  • バーコード・スキャナーの技術をうまく使い、手が切れそうなパリパリの紙幣を倉庫から運び出し、活用して、帽子から一匹ではなく、二匹でもなく、三匹の兎を取り出す見事な手品を成功させた。
  • ジレットも技術の応用で先駆者になった。
  • しかし、ジレットが促進剤としたのは、情報技術ではなく、主に製造技術だ。
  • 低コストで耐久性のある剃刀の刃を文字通り何十億枚も製造するのに、どのような技術が必要かを考えてみればいい。
  • ジレットの剃刀を手に取るとき、その刃はもちろん完璧だし、髭剃り一回当たりのコストは低いと消費者は考えている。
  • センサーを例にとるなら、ジレットは総額二億ドル以上を設計と開発に投資した。
  • その中心は製造過程の革新であり、二十九の特許権を取得している(13)。
  • レーザー溶接技術を髭剃り製品の大量生産に応用したが、この技術は通常、心臓用ペースメーカーなど、高度で高価な製品の製造に使われているものだ(14)。
  • ジレットの髭剃り製品のカギは製造技術の独自性にあるため、同社はコカ・コーラが調合の秘密を守るのと変わらぬほど厳重に製造技術の秘密を守っている。
  • 警備員は武装しているし、秘密情報を扱う従業員に対する身元調査まである(1
  • )。
  • 各社が促進剤とした技術企業名促進剤とした技術アボットコンピューター技術の先進的応用。
  • これにより従業員一人当たり利益という財務指標を向上させた。
  • 医薬品の研究開発では最先端ではなく、この点でメルク、ファイザーなど、針鼠の概念が違う企業と競争しない姿勢をとる。
  • サーキット・シティPOSと在庫管理の高度な技術の先駆的応用。
  • 大型家電製品の小売りで、マクドナルドに匹敵する企業になるとの概念に結びつき、地域的に分散した事業を一貫した方式で管理できるようにした。
  • ファニーメイ高度な数式とコンピューター分析の先駆的応用。
  • 住宅ローンのリスクを正確に評価できるようになり、リスク水準当たり利益という財務指標を向上させた。
  • リスク分析のエクスパート・システムで低所得者層が住宅ローンを借りやすくし、国民すべてが住宅を所有できるようにすることへの情熱と結び付ける。
  • ジレット耐久性がきわめて高い製品を低コストで大量に製造する高度な技術の先駆的応用。
  • コカ・コーラが調合の秘密を守るのと変わらぬほど厳重に製造技術の秘密を守る。
  • キンバリー・クラーク不織素材を中心とする製造技術の先駆的応用。
  • 製品の品質を追求する情熱と結び付ける。
  • 高度な研究開発施設をもち、「体温と湿度をはかるセンサーをつけた乳児が遊んでいる」クローガーコンピューター・情報技術の高度な応用。
  • これによりスーパーマーケットをたえず改良。
  • バーコード・スキャナーの本格的導入で先頭を切り、キャッシュフロー・サイクルを向上させ、店舗網の大規模な更新のための資金を生み出した。
  • ニューコア最先端の電炉製鋼技術の先駆的応用。
  • 世界中を探し回り最先端技術を導入。
  • 薄板連続鋳造といったリスクが高いとみられていた技術に純資産の五十パーセントを投入するなど、思い切った投資を行う。
  • フィリップ・モリス包装・製造技術の先駆的応用。
  • ボックス型包装技術を導入し、タバコの包装に二十年ぶりの技術革新をもたらす。
  • 製造工程へのコンピューター利用で先駆者になった。
  • 最先端の製造・品質管理技術の実験・試験・改良を担う製造センターに巨額を投資。
  • ピットニー・ボウズ郵便業務への先端技術の先駆的応用。
  • 当初は機械式の郵便料金メーターを開発。
  • 後に、電気・ソフトウェア・通信・インターネット技術の開発に巨額を投資し、高度な事務機器を開発。
  • 一九八〇年代には郵便料金メーターの根本的な改良に巨額の研究開発費を投じた。
  • ウォルグリーンズ衛星通信とコンピューター・ネットワークの技術の先駆的応用。
  • 利便性の高いドラッグストアの概念に結び付け、顧客層と立地によるニーズの違いに対応。
  • 衛星通信網への思い切った投資によって全店舗を結び、巨大な「街角の薬局」を作り上げた。
  • 「NASAの管制センターのようだ」と評されている。
  • 業界他社より少なくとも十年先行。
  • ウェルズ・ファーゴ情報技術の先駆的応用。
  • 従業員一人当たり利益を増加させる。
  • 二十四時間の電話バンキング、ATMを早期に導入、ATMでの投資信託商品売買で先頭を切り、インターネット・バンキング、電子バンキングで先駆者に。
  • 貸出のリスク評価を向上させる高度な数学モデルで先駆的。
  • 技術は業績の勢いの源ではなく、促進剤ジム・ジョンソンはデービッド・マクスウェルの後任としてファニーメイ(連邦抵当金庫)のCEOに就任した後、コンサルティング会社に自社の技術監査を依頼した。
  • 監査を担当した主任コンサルタントのビル・ケルビーは四段階の評価を用い、四を最先端、一を石器時代並みとした。
  • ファニーメイの評価は二にすぎなかった。
  • そこで「最初に人を選ぶ」原則にしたがって、同社はケルビーを雇って技術水準を向上させることにした(16)。
  • ケルビーが入社した一九九〇年には、同社は技術の利用でウォール街の大手に十年ほど遅れていた。
  • その後の五年間に、ケルビーは組織的な努力によって、ファニーメイの技術水準を四段階評価で二・〇から三・八まで引き上げていった(17)。
  • 三百を超えるアプリケーション・ソフトを開発した。
  • たとえば六千億ドルのモーゲージ・ポートフォリオを管理する高度な分析ソフト、六千万の物件のデータを収めたオンライン・データベースを開発し、業務の合理化によって、書類作成と事務作業を大幅に削減した。
  • 「事務部門が中心だった情報技術の利用を他の部門にも広げて、事業のすべての部分を変えていくのに活用した。
  • エクスパート・システムを開発して、住宅購入のコストを引き下げた。
  • 当社のソフトを利用すれば、金融機関は住宅ローンの承認に必要な時間を三十日から三十分に短縮でき、それに要するコストを一件当たり一千ドル節減できる」とケルビーは語る。
  • 現在までに、このシステムによって住宅購入者が負担するコストが累計四十億ドル近く節減されている(18)。
  • ファニーメイの転換は一九八一年、デービッド・マクスウェルがCEOに就任したときにはじまっているが、九〇年代初めまで、同社が技術の利用で大幅に後れをとっていた事実に注目すべきだ。
  • 情報技術の利用がファニーメイにとってきわめて重要になったのは事実だが、そうなったのは針鼠の概念を発見した後、突破段階に入ってからなのだ。
  • 情報技術の利用は、同社の経営陣がいう転換の「第二の風」で主要な要因になり、促進剤の役割を果たした(19)。
  • クローガーでもジレットでもウォルグリーンズでも同じであり、飛躍を遂げた企業のすべてで同じである。
  • 技術の利用で先駆者になるのは、転換期の始点ではなく、そのかなり後である。
  • この点から、この章の中心になるテーマを導き出すことができた。
  • 技術は適切に利用すれば業績の勢いの促進剤になるが、勢いを作りだすわけではない。
  • 偉大な業績に飛躍した企業が、先駆的な技術の利用によって転換をはじめたケースはな
  • い。
  • 理由は簡単だ。
  • 技術をうまく活用するにはまず、どの技術が自社にとって重要なのかを判断できなければならないからだ。
  • ではどのような技術が重要なのか。
  • 針鼠の概念の三つの円が重なる部分に直接に関係する技術、重要なのはそういう技術だけである。
  • 偉大な企業への飛躍に際して、技術をうまく活用するには、以下のように問いかけるべきだ。
  • この技術は自社の針鼠の概念に直接に適合しているだろうかと。
  • この問いへの答えがイエスであれば、その技術の利用で先駆者になる必要がある。
  • ノーであれば、その技術は必要なのかと考えるべきだ。
  • この問いへの答えがイエスなら、ごく普通に採用すればいい(偉大な企業になるために、最先端の電話システムをもつ必要はない)。
  • 答えがノーであれば、その技術は自社にとって無関係であり、無視できる。
  • 技術の利用で先駆者になることも、飛躍を遂げた企業が針鼠の概念の枠内に止まる規律をもつ点のあらわれのひとつなのだと、われわれは考えるようになった。
  • 概念的にいえば、これら企業が技術分野の判断をくだすときの考え方は、他の分野の判断をくだす際の考え方と何ら変わらない。
  • 規律ある人びとが、規律ある考えをし、規律ある行動をとっている。
  • ある技術が三つの円の重なる部分に収まらないのであれば、大騒ぎや恐怖心を無視し、事実の認識に基づいておどろくほど落ちついて事業を進めていく。
  • しかし、どの技術が重要なのかを理解したとき、その技術の適用に熱狂的ともいえるほど熱心に取り組み、創造性を発揮する。
  • これに対して比較対象企業では、技術の利用で先駆者になったケースは三つしかなかった。
  • クライスラーのコンピューター援用設計(CAD)、ハリスの印刷への電子技術の応用、ラバーメイドの先進的製造技術である。
  • いずれも持続できなかった比較対象企業であり、技術力だけでは偉大な業績を維持できないことを示している。
  • たとえばクライスラーは、CADなどの先進的設計技術を見事に利用してきたが、この技術力を一貫した針鼠の概念と結び付けることができなかった。
  • 一九八〇年代半ば、ガルフストリームのジェット機やマセラッティのスポーツカーなど、三つの円から外れる部分にさまよい出るようになって、先進的な技術力だけでは業績がふたたび大幅に悪化するのをくい止めることはできなかった。
  • 針鼠の概念が明確になっておらず、三つの円の重なる部分に止まる規律がない場合、技術力で偉大な企業を築くことはできない。
  • 技術の罠この章を執筆しながら、頭を離れない出来事が二つある。
  • 第一は、タイム誌が一九九九年に、「二十世紀を代表する人物」にアルベルト・アインシュタインを選んだことである。
  • 「その人物がいなければ、現在の世界がどれほど変わっていたか」という基準で二十世紀を代表する人物を選ぶとすれば、アインシュタインが選ばれたのは意外だ。
  • チャーチル、ヒトラー、スターリン、ガンジーらの指導者が、良い方向であれ悪い方向であれ、人類の歴史の方向を変えてきたからだ。
  • 物理学者によれば、アインシュタインがいなくても、相対性理論がいずれ確立されたのは間違いない。
  • その時期はたぶん五年遅れであり、十年遅れなら確実で、五十年も遅れることはありえないという(20)。
  • この時期が遅れていれば、広島と長崎に原爆が投下されることはなかっただろう。
  • しかし、アインシュタインが選ばれたのはなぜなのか。
  • タイム誌はこの選択について、こう説明している。
  • 「政治家の影響力と科学者の影響力を比較するのはむずかしい。
  • とはいえ、政治が特徴になった時代もあれば、文化が特徴になった時代もあり、科学の進歩が特徴になった時代もある。
  • ……では将来、二十世紀はどういう時代だったとみられるだろうか。
  • 民主主義の時代として。
  • たしかにそうだ。
  • 公民権の時代として。
  • これも正しいだろう。
  • だが、二十世紀は何よりも、科学技術の進歩が世界を震撼した時代として後年、記憶されることになるだろう。
  • ……科学技術の進歩はある意味で、どの政治家よりも自由の拡大に貢献している。
  • 何よりも科学技術の進歩の時代として記憶されるこの世紀に、……時代を象徴する人物として傑出しているのは……アルベルト・アインシュタインである」(21)要するに、タイム誌の編集部は二十世紀を代表する人物を選ぶのではなく、二十世紀を代表するテーマとして科学と技術をまず選び、つぎにこのテーマでもっとも著名な人物を選んだのである。
  • 面白いことに、二十世紀を代表する人物にアインシュタインを選んだと発表した直前に、タイム誌は一九九九年を代表する人物を発表している。
  • だれを選んだのだろうか。
  • 電子商取引の顔、アマゾン・ドット・コムのシェフ・ベゾスだ。
  • これもまた、技術による変化に執着する文化を反映した選択である。
  • はっきりさせておきたいが、わたしはタイム誌の選択に賛成したいわけでも反対したいわけでもない。
  • この二つの選択が興味深いと考えているだけである。
  • この選択は現代人の心理を見事に映し出している。
  • 現代に生きる人間が共通にもつこだわりのひとつは、技術とそれが与える影響なのである。
  • この点から第二の出来事を思い出す。
  • この本の執筆という厳しい仕事から短期間離れて、わたしはミネソタ州に行き、マスターズ・フォーラムで講演を行った。
  • マスターズ・フォーラムは十五年近く、経営者向けのセミナーを続けており、その間に繰り返し取りあげられたテーマが何なのかにわたしは興味をもった。
  • 責任者のジム・エリクソンとパティ・グリフィン・ジェンセンが答えてくれた。
  • 「いつも取り上げられるテーマに技術、変化、両者の関係がある」「どうしてだと思いますか」「自分に何が分かっていないかは、分からないものだ。
  • そして経営者はみな、新しい技術が知らぬ間に背後から近づいてきて、自分を引き倒すのではないかと恐れている。
  • 技術を理解しておらず、技術を恐れている人が多い。
  • そして技術は変化をもたらす重要な要因で、技術に注意を払っておくべきだと全員が確信している」このように技術が強迫観念になっていることを考えれば、そして、良好から偉大に飛躍した企業が技術の利用で先駆者になっていることを考えれば、これら企業の経営陣にわれわれがインタビューを行ったとき、「技術」が話題のうちかなりの部分を占めていたはずだと思えるかもしれない。
  • まったく意外なことに、われわれが偉大な企業への飛躍を導いた経営幹部を対象に行ったインタビューでは、全体の八十パーセントは、飛躍をもたらした上位五つの要因のなかに技術をあげていない。
  • さらに、技術をあげた場合にも、順位の中央値は第四位にすぎなかった。
  • インタビューを行った八十四人のうち、技術を第一位にあげた人は、二人にすぎなかった。
  • 技術が決定的に重要であれば、飛躍を遂げた企業の経営陣はどうして、技術についてほとんど触れていないのだろうか。
  • 技術を無視しているからではないのはたしかだ。
  • これら企業はいずれも、高度な技術力をもち、この点で比較対象企業を大きく引き離してい
  • る。
  • 何社かは、技術の先駆的な利用についてマスコミに大きく取り上げられ、賞を受けている。
  • ところが、経営陣はほとんど技術の問題について語っていない。
  • マスコミと経営者とでは、まったく違った企業について論じているかのようだ。
  • たとえばニューコアは、電炉製鋼技術を積極的に利用した先駆者として広く知られており、数十の記事と二冊の本で連続鋳造と電炉への大胆な投資が褒めたたえられている(22)。
  • 経営学大学院では、新技術の導入によって古い秩序を打ち壊した決定的な事例だとされている。
  • しかし、われわれが偉大な企業への飛躍をもたらした要因を上から五つあげるよう求めたとき、ニューコアの転換期のCEO、ケン・アイバーソンは、技術力を第一位にはあげなかった。
  • 第二位にもあげなかった。
  • 第三位でもなかった。
  • 第四位でもない。
  • では、第五位だろうか。
  • これも違っていた。
  • 「主要な要因は、会社の一貫性、組織全体にわれわれの考え方を浸透させる能力、それを可能にした要因として、経営階層がなく官僚主義がない組織だ」(23)この点について、少し考えてみよう。
  • 完璧な事例研究があり、新技術によって古い秩序を覆したとされている。
  • ところが、その中心になった経営者が、飛躍をもたらした上位五つの要因のなかに、技術をあげることすらしていない。
  • ニューコアの他の経営幹部にインタビューを行った結果も、これと変わらない。
  • 対象にした七人の経営幹部と取締役のうち、技術力を第一の要因としてあげた人はひとりだけであり、ほとんどの人は他の要因を指摘している。
  • 新技術に大胆に投資したことに触れた人は何人かいたが、他の要因の方が重要だったと語っている。
  • 農民の労働観をもつ人たちをバスに乗せ、適切な人を経営の主要な地位につけ、組織を単純にして官僚制をなくし、業績重視の厳しい企業文化で製品一トン当たりの利益を増やしていったといった要因である。
  • 技術力はニューコアにとって成功をもたらす要因であったのはたしかだが、副次的な要因にすぎなかったのだ。
  • ある経営幹部がこう要約している。
  • 「当社の成功の二十パーセントは、採用した新技術によるものだが、……八十パーセントは企業文化によるものだ」(24)
  • ニューコアとまったく同じ技術を、まったく同じ時期に、まったく同じ資源をもった企業が採用したとしても、ニューコアのような実績をあげることはできなかったはずだ。
  • デイトナ五百に似ているともいえる。
  • このレースに勝利を収めるためにもっとも重要な要因は自動車ではなく、ドライバーとチームだ。
  • 自動車は市販車を小幅改造したもので、重要でないというわけではないが、副次的な要因にすぎない。
  • 業績が凡庸なのは何よりも経営の失敗によるものであり、技術力が低いためではない。
  • たとえばベスレヘム・スチールが低迷しているのは、電炉技術に押されたことよりも、長年にわたって労使関係が険悪なことの結果であり、労使関係が悪いのは経営の考え方が遅れており、非効率なためである。
  • 同社はニューコアなどの電炉メーカーがかなりの市場シェアを握るようになる以前から、長期低落をはじめている(25)。
  • 一九八六年にニューコアが連続鋳造を導入して技術面で飛躍した時点では、ベスレヘム株は六六年からの運用成績でみて、市場平均に対して八十パーセント以上も下落していた。
  • とはいっても、ベスレヘムの苦境に技術が無関係だったというわけではない。
  • 技術は要因のひとつだったし、やがては大きな要因になった。
  • だが、技術は同社の没落を促進した要因であって、原因ではない。
  • ここでも同じ原則がはたらいている。
  • 技術は促進剤であって原因ではないのだ。
  • ただし、この場合には技術の影響が逆方向になっている。
  • われわれは比較対象企業のすべてを検討していったが、業績低迷をもたらした主因が、新技術という魚雷に吹き飛ばされたことであった事例はひとつも見つからなかった。
  • R・J・レイノルズが世界一のタバコ会社の地位を失ったのは技術の変化のためではない。
  • 経営陣が規律を欠いた事業多角化で混乱したからであり、後には、経営陣が会社を食い物にして金持ちになろうとしたからだ。
  • A&Pがアメリカ第二位の座からほとんど影響力をもたない企業にまで転落したのは、バーコード・スキャナーの導入でクローガーに遅れをとったからではない。
  • 食品雑貨小売りの性格が変化した厳しい現実を直視する規律を欠いていたからだ。
  • 今回の調査では、かつて超優良であった企業の没落(そして、ほとんどの企業が凡庸さから抜け出せないこと)が技術の変化を主因とするものだとの見方を支える事実はでてこなかった。
  • たしかに技術は重要だ。
  • 技術面で遅れていては、偉大な企業にはなれない。
  • しかし、技術そのものが偉大な企業への飛躍や偉大な企業の没落の主因になることはない。
  • 経営史をみても、新技術の先駆者が最終的に勝者になった例はきわめて少ない。
  • たとえば、パソコン用スプレッドシート・ソフトで先陣を切ったのはビジカルクであった(26)。
  • いま、ビジカルクはどうなっているのか。
  • 周囲にビジカルクを使っている人がいるだろうか。
  • このソフトを開発した企業はどうなったのか。
  • 消えてしまった。
  • いまでは存続すらしていない。
  • ビジカルクはやがてロータス1‐2‐3に負け、ロータスはエクセルに負けた(27)。
  • ロータス社は業績が急激に悪化し、IBMに身売りしてようやく生き残った(28)。
  • 同様に、ポータブル型のパソコンを初期に販売していたのは、オズボーンなど、いまでは姿を消した企業だ(29)。
  • 現在ではデル、ソニーなどがこの市場で有力になっている。
  • 二番手(あるいは三番手、四番手)の追随企業が新たな市場を切り開いた企業を打ち負かすパターンは、技術と経済の変化の歴史に繰り返しあらわれている。
  • IBMは当初、コンピューターの商業化で先頭を走っていたわけではない。
  • コンピューターではじめて商業的に成功を収めたのは、ユニバックを開発したレミントン・ランドだ。
  • IBMは大きく遅れたため、同社のはじめてのコンピューターが「IBMのユニバック」と呼ばれたほどである(30)。
  • ボーイングはジェット旅客機の先駆者ではない。
  • 先駆者はデ・ハビランドだが、コメットがつぎつぎに空中分解を起こし、ブランド・イメージが傷ついて失速した。
  • ボーイングは市場への参入は遅かったが、航空機の安全性と信頼性の向上に投資し、三十年以上にわたって市場で圧倒的な地位を占めている(31)。
  • このような例は、何ページでもあげていくことができる。
  • GEは交流電力の先駆者ではない。
  • 先駆者はウェスチングハウスである(32)。
  • パーム・パイロットは携帯情報端末の先駆者ではない。
  • 先駆者はニュートンを開発して注目を集めたアップルだ(33)。
  • AOLはパソコン通信の先駆者ではない。
  • 先駆者はコンピュサーブとプロディジーだ(34)。
  • 技術面では先頭を走っていたが、結局は勝利を収めて偉大な企業になることができなかった企業なら、長い長いリストを作ることができる。
  • こういうリストを作れば、きわめて興味深いものになるだろうが、どの例も基本的な真実を示すものになろう。
  • 技術そのものでは、凡庸な企業を超優良企業に飛躍させることはできないし、企業の没落を防ぐこともできないのだ。
  • 歴史は繰り返しこの真実を教えている。
  • ベトナム戦争を考えてみよう。
  • アメリカには最先端の技術力をもつ軍隊があった。
  • 超音速ジェット戦闘機があった。
  • 戦闘ヘリコプターがあった。
  • 先進的な武器があった。
  • コンピューターがあった。
  • 高度な通信機器があった。
  • 何百キロにもわたる国境にセンサーを設置した。
  • ところが、圧倒的な軍事技術力に依存したために、負けるはずがないとの驕りが生まれた。
  • アメリカに欠けていたのは技術力ではない。
  • 戦争についての単純で一貫した概念、技術力の活かし方を決める概念が欠けていた。
  • いくつもの効果のない戦略の間を揺れ動き、主導権を握ることができなかった。
  • 一方、技術力に劣る北ベトナム軍は、単純で一貫した概念を信奉していた。
  • ゲリラによる消耗戦によって、戦争に対するアメリカ国内の世論の支持を低下させていくことである。
  • 戦争に利用したささやかな技術は、この単純な概念に直接に結びついていた。
  • たとえばAK47ライフルは戦場で、複雑なM‐16よりはるかに信頼性が高く、修理も簡単だ。
  • そして周知のように、アメリカは高度な軍事技術をもちながら、ベトナム戦争で敗北した。
  • 技術こそが企業の成功のカギだと考えているのであれば、ベトナム戦争についてじっくりと考えてみるべきだ。
  • 技術への闇雲な依存は、強みではなく、弱みになりかねない。
  • もちろん、深い理解に基づく単純明快で一貫した概念に結び付けた形で使えば、技術力は業績の勢いを促進する不可欠な要素になる。
  • だが、使い方を間違えれば、単純明快で一貫した概念にどう結びつくのかを深く理解しないまま、安易な解決策として技術に飛びついた場合には、みずからが招いた転落を促進する要因になる。
  • 取り残されることへの恐怖心調査チーム内で、技術の問題が独立した章として扱うほど重要かどうか、激しい議論が戦わされた。
  • スコット・ジョーンズがこう主張した。
  • 「技術の問題を扱った章は不可欠だ。
  • いまでは経営学大学院でみな、技術の重要性をたた
  • き込まれている。
  • この問題を扱わなければ、大きな穴を残したままの本になる」ブライアン・ラーセンが反論した。
  • 「だが、技術に関する結論は、規律ある行動の特殊例にすぎないと思う。
  • 規律ある行動の章に書くべき点だ。
  • 規律ある行動とは三つの円が重なる部分に止まることであり、技術に関する結論の要点もそこにある」スコット・シーダバーグが指摘した。
  • 「たしかにそうだが、きわめて特殊な例だ。
  • 偉大な企業はすべて、技術の応用で先駆者の中の先駆者になっており、その時期も、だれもが技術に執着するようになるはるか前だ」「しかし、第五水準、針鼠の概念、最初に人を選ぶといった原則にくらべると、技術の問題ははるかに小さいと思える。
  • ブライン〔ラーセン〕の意見に賛成だ。
  • 技術の問題はたしかに重要だが、規律ある行動の一部か、あるいは弾み車の一部として重要だというにすぎない」とアンバー・ヤングが反論した。
  • この議論は夏中続いた。
  • そしてクリス・ジョーンズが例によって静かに、思慮深く、決定的な問いをだした。
  • 「飛躍した企業はなぜ、技術の問題について均衡のとれた見方を維持できているのだろう。
  • インターネットへの反応が典型だが、ほとんどの企業が受け身の姿勢になったり、揺れ動いたり、あわてふためいたり、天が落ちてきたかのように行動しているのに」いったいなぜなのだろう。
  • この問いによって、われわれは偉大な企業と凡庸な企業との決定的な違いに注目するようになり、この違いを考えれば、技術の問題を単独の章にすべきだとする意見が大勢を占めるようになった。
  • もし読者に機会があって、飛躍を導いた経営幹部の二千ページを超えるインタビュー記録を読みとおすことがあれば、「競争戦略」がまったく話題になっていないことにおどろくはずだ。
  • たしかに、戦略については語っているし、業績についても語っているし、世界一になることについても語っているし、勝利を収めることについてすら語っている。
  • しかしだれも、受け身の姿勢を示してはおらず、他社の動きにどう対応するかという観点から戦略を考えてはいない。
  • 何かを作り上げようと試みたとき、改善しようと試みたときはいつも、何らかの絶対的な基準に近づこうとしている。
  • 一九八〇年代にピットニー・ボウズを変身させたとき、何が動機になったのかとジョージ・ハーベイに質問したところ、こういう答えが返ってきた。
  • 「わたしはつねに、ピットニー・ボウズが偉大な企業になってほしいと考えてきた。
  • これを出発点にしよう。
  • そこから出発する。
  • これは正当化する必要もなければ、説明する必要もないことだ。
  • いまは偉大ではない。
  • 明日も偉大にはなれない。
  • つねに変化を続ける世界で偉大な企業になるには、やるべきことがいつもやまほどある」(35)。
  • ウェイン・サンダーズがキンバリー・クラークの社内の動きを典型的に示すようになった精神をこうまとめている。
  • 「われわれは決して満足しない。
  • 喜ぶことはあっても、満足はしない」(36)飛躍を遂げた企業は、恐怖によって動かされてはいない。
  • 自分たちが理解できないことへの恐怖によって動かされてはいない。
  • 馬鹿にされることへの恐怖によって動かされてはいない。
  • 他社が大成功を収めるのを指をくわえてみる羽目になることへの恐怖によって動かされてはいない。
  • 競争で打撃を受けることへの恐怖によって動かされてはいない。
  • 偉大さへの飛躍を導いた経営者は、何かを作り上げたいという深い欲求と、高い理想を純粋に追い求める自分自身の衝動とに動かされている。
  • これに対して、凡庸さに陥り、凡庸さから抜け出せない体質を作った経営者は、取り残されることへの恐怖に動かされている。
  • この違いを示す例としては、一九九〇年代後半、今回の調査を行っていたまさにその時期に起こった情報技術バブルに勝るものはない。
  • 偉大な企業と凡庸な企業の違いを観察するには、まさに完璧に近い舞台になった。
  • 偉大な企業がウォルグリーンズの例にみられるように、静かに現実を理解し、考え抜かれた手段を静かにとっていったのに対して、凡庸な企業は恐怖にかられて、あわてて行動した。
  • 実際のところ、この章の要点は技術そのものに関することではない。
  • コンピューターだろうが電気通信だろうがロボットだろうがインターネットだろうが、どのような技術も、いかに素晴らしいものであっても、それ自体で飛躍のきっかけになることはない。
  • どのような技術力があっても、それで第五水準の指導者になれるわけではない。
  • どのような技術力があっても、不適切な人たちが適切になるわけではない。
  • どのような技術力があっても、厳しい現実に直面する規律をもたらしてはくれない。
  • どのような技術力があっても、最後には勝つという確信をもたらしてはくれない。
  • どのような技術力があっても、三つの円が重なる部分に関する深い理解に代わるものにはならず、その理解を単純明快な針鼠の概念にまとめる作業を不要にすることはない。
  • どのような技術力があっても、規律の文化を作りだしてはくれない。
  • どのような技術力があっても、可能性を実現しようとしないのは許しがたい罪悪だとの信念、超優良になれるのに凡庸のままに止まっているのは許しがたい罪悪だとの信念をやしなってはくれない。
  • 変化が大きく、混乱が生まれている時期にすらも、これらの基本をあくまでも守り、バランスを維持していれば、業績に勢いがつくようになり、やがて突破段階に入る。
  • そうはせず、受け身になって右往左往していれば、悪循環に陥り、凡庸の状態に止まる。
  • この点は、大きな構図でみたときに偉大と良好を隔てる決定的な違いであり、今回の調査のこの核心は弾み車と悪循環の比喩によってとらえることができる。
  • 次章では、全体を包括するこの違いについてみていこう。
  • 章の要約
  • 促進剤としての技術要点・偉大な業績への飛躍を遂げた企業は、技術と技術の変化について、凡庸な企業とは違った考え方をしている。
  • ・飛躍した企業は技術の流行に乗るのを避けているが、慎重に選んだ分野の技術の利用で先駆者になっている。
  • ・どの技術分野に関しても決定的な問いは、その技術が自社の針鼠の概念に直接に適合しているのかである。この問いへの答えがイエスであれば、その技術の利用で先駆者になる必要がある。ノーであれば、ごく普通に採用するか無視すればいい。
  • ・技術は適切に利用すれば業績の勢いの促進剤になるが、勢いを作りだすわけではない。偉大な業績に飛躍した企業が、先駆的な技術の利用によって転換をはじめたケースはない。しかし、三つの円を理解するようになり、業績が飛躍するようになった後に、どの企業も技術の利用で先駆者になっている。
  • ・飛躍した企業が開発した最先端技術を直接比較対象企業に無料で提供しても、比較対象企業は偉大な企業に近い業績をあげることはできないだろう。
  • ・技術の変化にどのように反応するかは、偉大な企業と凡庸な企業の動機の違いを見事に示すものになる。偉大な企業は思慮深く、創造性豊かに対応し、自社の可能性を実現したいとの動機によって行動する。凡庸な企業は受け身になって右往左往し、取り残されることへの恐怖によって行動する。
  • 予想外の調査結果・かつて超優良であった企業の没落(そしてほとんどの企業が凡庸さから抜け出せないこと)が技術の変化を主因とするものだとの見方を支える事実はでてこなかった。
  • たしかに技術面で遅れていては、偉大な企業にはなれない。しかし、技術そのものが偉大な企業への飛躍や偉大な企業の没落の主因になることはない。
  • ・偉大な業績への飛躍を導いた経営幹部を対象に行ったインタビューでは、全体の八十パーセントは、飛躍をもたらした上位五つの要因のひとつとして技術をあげていない。ニューコアのように、新技術の利用の先駆者として有名な企業でも、この点は変わらない。
  • ・技術が急激に大幅に変化する時期にすらも、「這い、歩き、走る」方法がきわめて効果的になりうる。
  • 第八章劇的な転換はゆっくり進む──弾み車と悪循環
  • 革命とは車輪を回すことである。
  • イーゴリ・ストラビンスキー(1)
  • 巨大で重い弾み車を思い浮かべてみよう。
  • 金属製の巨大な輪であり、水平に取り付けられていて中心には軸がある。
  • 直径は十メートルほど、厚さは六十センチほど、重さは二トンほどある。
  • この弾み車をできるだけ速く、できるだけ長期にわたって回しつづけるのが自分の仕事だと考えてみる。
  • 必死になって押すと、弾み車が何センチか動く。
  • 動いているのかどうか、分からないほどゆっくりした回転だ。
  • それでも押しつづけると、二時間か三時間がたって、ようやく弾み車が一回転する。
  • 押しつづける。
  • 回転が少し速くなる。
  • 力をだしつづける。
  • ようやく二回転目が終わる。
  • 同じ方向に押しつづける。
  • 三回転、四回転、五回転、六回転。
  • 徐々に回転速度が速くなっていく。
  • 七回転、八回転。
  • さらに押しつづける。
  • 九回転、十回転。
  • 勢いがついてくる。
  • 十一回転、十二回転、どんどん速くなる。
  • 二十回転、三十回転、五十回転、百回転。
  • そしてどこかで突破段階に入る。
  • 勢いが勢いを呼ぶようになり、回転がどんどん速くなる。
  • 弾み車の重さが逆に有利になる。
  • 一回転目より強い力で押しているわけではないのに、速さがどんどん増していく。
  • どの回転もそれまでの努力によるものであり、努力の積み重ねによって加速度的に回転が速まっていく。
  • 一千回転、一万回転、十万回転になり、重量のある弾み車が飛ぶように回って、止めようがないほどの勢いになる。
  • ここでだれかがやってきて、こう質問したとしよう。
  • 「どんな一押しで、ここまで回転を速めたのか教えてくれないか」この質問には答えようがない。
  • 意味をなさない質問なのだ。
  • 一回目の押しだろうか。
  • 二回目の押しだろうか。
  • 五十回目の押しだろうか。
  • 百回目の押しだろうか。
  • 違う。
  • どれかひとつの押しが重要だったわけではない。
  • 重要なのは、これまでのすべての押しであり、同じ方向への押しを積みかさねてきたことである。
  • なかには強く押したときもあったかもしれないが、そのときにどれほど強く押していても、弾み車にくわえた力の全体にくらべれば、ごくごく一部にすぎない。
  • 準備と突破(*)*「準備と突破」という言葉は、デイビッド・S・ランデスの『強国論』による。
  • 第七章冒頭にこう書かれている。
  • 「問題は実際には二つに分かれている。
  • 第一は、なぜ、どのようにして、ある国が慣習と伝統の殼を破って、生産の新しい段階に進めたのかである。
  • ……この点に関してわたしは、準備(つまり、知識とノウハウの蓄積)と、突破(つまり、最低水準への到達と突破)の二つを強調したい」。
  • われわれはこの部分を読んで、今回の調査に適用できると判断し、この言葉を偉大な実績に飛躍した企業の動向を表現するのに使うことにした。
  • 弾み車の比喩は、飛躍に向かう動きが社内でどのように感じられたか、全体的な印象をとらえたものである。
  • 最終的な結果がどれほど劇的であろうと、飛躍は一気に達成されるものではない。
  • たったひとつの決定的な動き、大がかりな取り組み、起死回生の技術革新、めったにない幸運、痛みを伴う大改革があったわけではない。
  • 飛躍の道は小さな努力の積み重ねによって開かれていく。
  • 一歩一歩、行動を積み重ね、決定を積み重ね、弾み車の回転を積み重ねていき、それらの積み重ねによって目ざましい業績が持続するようになる。
  • しかし、マスコミの報道を読むと、まったく違った結論に達するかもしれない。
  • マスコミが取り上げるのは、弾み車が一分間に一千回転するようになってからであることが少なくない。
  • このため、飛躍について受ける印象がまったく歪んでしまう。
  • 一夜にして変身を遂げ、一気に突破の段階に入ったかのように思える。
  • たとえば、一九八四年八月二十七日付けのフォーブス誌にサーキット・シティについての記事が掲載されている。
  • 同社が全米向けのマスコミで取り上げられたのは、これがはじめてであった。
  • それほど大きな扱いではなく、二ページのもので、同社の成長がはたして続くのか疑問だと論じている(2)。
  • とはいえ、この記事はサーキット・シティが凡庸さから抜け出したことをはじめて認めたものだ。
  • 記者は好調な新興企業を探し当て、一夜にして成功を収めたかのように紹介している。
  • しかし、この突然の成功物語は、じつのところ十年以上にわたる努力の成果であった。
  • アラン・ウルツェルは一九七三年に父親からCEOの地位を引き継いだが、このとき会社は倒産寸前の苦境にあった。
  • ウルツェルはまず、経営陣を入れ替え、つぎに社内と社外の厳しい現実を客観的に理解する努力をはじめた。
  • 七四年、巨額の債務に苦しみながらも、倉庫ショールーム型の店舗(ブランド商品を大量に在庫し、割引価格で販売し、ただちに配送する店舗)の実験を開始し、バージニア州リッチモンドに実験店舗を作って家電製品を販売した。
  • 七六年、消費者向けエレクトロニクス商品で倉庫ショールーム型店舗の実験を開始し、七七年にはこの業態を発展させて、はじめてのサーキット・シティ店を開設した。
  • この業態が成功を収め、同社はステレオ販売店をサーキット・シティ店に組織的に転換するようになった。
  • 一九八二年、弾み車を回しはじめて九年がたって、ウルツェルらの経営陣はサーキット・シティ・スーパーストアの業態に全力を投入する決定をくだした。
  • その後五年間、すべての店舗をこの業態に転換していったとき、同社はニューヨーク証券取引所上場企業のなかで株式運用成績が最高になった(3)。
  • 八二年から九九年までの運用成績でみると、同社株は市場平均の二十二倍になり、インテル、ウォルマート、GE、ヒューレット・パッカード、コカ・コーラの各銘柄を軽く上回った。
  • 意外とはいえないはずだが、この時期にサーキット・シティはマスコミの注目を集めるようになった。
  • 転換点までの十年間には重要な記事はひとつもなかったが、転換点以降は九十七の記事があり、そのうち二十二は長文にわたるものであった。
  • 転換点までは同社は存在すらしなかったようだ。
  • 実際には一九六八年以降、主要な証券取引所で株式が取引されてきたし、ウルツェルらの経営陣は突破にいたる十年間におどろくほど前進していたのだが。
  • サーキット・シティは例外ではない。
  • どの企業をみても、転換点までの十年間には転換点の後の十年間に比較して記事の数が少なく、その差は平均三倍に近い(4)。
  • たとえば、ケン・アイバーソンとサム・シーゲルは一九六五年からニューコアの弾み車を回しつづけてきた。
  • それから十年間、だれも同社には注目せず、少なくとも経済関係のマスコミや鉄鋼業界の企業は注目していなかった。
  • 七〇年に、ベスレヘム・スチールかUSスチールの経営幹部が「ニューコアの脅威」について質問を受けたとすると、同社の名前を知っていたとしても(知らなかった可能性が高いが)、笑い飛ばしていただろう。
  • 七五年は、株式運用成績の図で転換点になった年だが、このときにはすでに三番目の電炉を作り、独特の生産性向上の企業文化をはるか以前に確立していて、アメリカ鉄鋼業界でもっとも収益性の高い企業になる道
  • を歩んでいた(5)。
  • しかし、大型の記事がはじめて掲載されたのは、ビジネス・ウィーク誌では七八年、つまり転換への動きがはじまってから十三年後であり、フォーチュン誌では十六年後である。
  • 六五年から七五年まで、ニューコアの記事は十一しかなく、どれも長文のものはなかった。
  • ところが、七六年から九五年まででは九十六の記事が見つかり、そのうち四十は長文のものか、全米誌の特集記事であった。
  • ここで、こう考える読者もいるだろう。
  • それは当然ではないか。
  • これら企業が大成功を収めるようになった後に、記事が増えるのは当たり前だ。
  • その点がどのような意味をもっているのかと。
  • 重要な点はこうだ。
  • 通常、偉大な企業への転換が外部からどう見えるかをもとに、内部で転換を経験した人たちがどう感じたはずかを考えている。
  • 外部から見れば、転換は劇的で、革命的ともいえるほどの飛躍だと思える。
  • しかし内部から見れば、印象がまったく違っていて、生物の成長に似ている。
  • 卵があると考えてみよう。
  • はじめはだれも興味をもたないが、ある日、殼が割れて中から雛が出てくる。
  • 著名な新聞や雑誌がこの話題に飛びつき、「卵が雛に変身」「卵のおどろくべき革命」「卵の目ざましい転換」といった特集記事を掲載する。
  • 卵が一夜にして変容し、根本的な変化を遂げて雛になったかのようだ。
  • しかし、雛から見ればどうだろう。
  • 見え方がまったく違っている。
  • 眠ったように見える卵を世間が無視している間に、雛は少しずつ大きくなり、変化し、孵化したのである。
  • 雛の観点からは、卵を割るのは長い時間をかけてたどってきた過程をもう一歩進めたものにすぎない。
  • たしかに大きな一歩ではあるが、外部から眺めたときの印象とは違って、根本的な変化というわけではない。
  • この比喩が少々馬鹿げていることは認めよう。
  • しかしこの比喩で、われわれの調査で得られたきわめて重要な結論が理解しやすくなるはずである。
  • われわれは調査の過程でつねに、「決定打」や「奇跡の瞬間」を、転換の性格を示すものとして探し求めてきた。
  • インタビューでは、それを明らかにするよう強く求めることすらしてきた。
  • ところが、良好から偉大への飛躍を導いた経営幹部は、転換期を象徴する出来事や瞬間を指摘することができなかった。
  • 偉大さへの飛躍をもたらした要因に、重要度にしたがって順番と比率をつけるという考え方自体に拒否反応を示すことが少なくなかった。
  • 飛躍したどの企業でも、インタビューに応じた経営幹部の少なくともひとりが、この考え方に警告を発している。
  • たとえばこうだ。
  • 「いくつかの要因に分解して因果関係を調べたり、『分かった』とか『これぞ決定打』とかの瞬間を探し出したりすることはできない。
  • 相互に関連する小さな動きを大量に積み重ねていった結果なのだから」今回の調査でぶつかった動きのうちもっとも劇的だったのは、キンバリー・クラークによる製紙工場の売却だが、これすら、生物の成長のような積み重ねの結果だったと同社の経営幹部は語っている。
  • 「ダーウィン〔スミス〕は会社の方向を一夜にして変えたわけではない。
  • 時間をかけて進化していったのだ」とある幹部は語っている(6)。
  • 「変化は一気に進められたわけではない。
  • 徐々に進められていったので、数年たってからでないと、だれの目にも明らかだといえるほどにはならなかった」と別の幹部も語った(7)。
  • もちろん製紙工場の売却は大きな一押しではあったが、弾み車はこの一回の押しだけで回っているわけでない。
  • 製紙工場を売却した後も、消費者向け紙製品市場で第一位になるまでには、何万回となく強弱さまざまな力で弾み車を押しつづけ、努力を積み重ねる必要があった。
  • 何年もたって勢いが十分についてはじめて、マスコミが同社の良好から偉大への飛躍を報じるようになった。
  • フォーブス誌はこう書いている。
  • 「キンバリー・クラークが……プロクター&ギャンブルに真っ向から挑戦する決定をくだしたとき、……本誌は悲惨な結果になると予想した。
  • なんと馬鹿げたことを考えるのだろうとみていた。
  • だが、それは馬鹿げた考えではなかった。
  • 賢明な考えだったのだ」(8)。
  • この二つの記事の間にどれぐらいの年数がたっていたのだろうか。
  • 二十一年である。
  • 今回の調査を進めていた間、われわれは研究所を訪れた経営者にかならず、この調査でどんな点を知りたいのか質問することにしていた。
  • あるCEOはこう質問した。
  • 「その動きをなんと呼んでいたのか。
  • 名前を付けていたのだろうか。
  • その当時にどのように話していたのだろうか」。
  • 素晴らしい質問だ。
  • そこでわれわれは調査していった。
  • 答えはおどろくようなものであった。
  • 名前はついていなかったのである。
  • 超優良に飛躍した企業は、転換の動きに名前をつけていなかった。
  • 開始の式典はなく、標語もなく、何か特別のことをやっているという感覚すらなかった。
  • 大きな転換の過程にあることに気づいたのは、転換がかなり進んでからだったと語った経営幹部も少なくない。
  • 転換の動きは内部のものにとって、後からみたときの方が、その当時よりも分かりやすいことが多い。
  • こうして、徐々に事実がみえてきた。
  • 魔法の瞬間はなかったのだ(「魔法の瞬間はない」の表を参照)。
  • 外部から眺めているものにとっては、一撃によって突破口を開いたようにみえるが、内部で転換を経験したものにとっては、印象がまったく違っている。
  • 考え抜かれた静かな過程であり、まず、将来に最高の業績を達成するために何が必要なのかを認識し、つぎに、各段階をひとつずつ順にとっていく。
  • 弾み車を一回ずつ回転させていくように。
  • 弾み車を同じ方向に、長期にわたって押しつづけていれば、いずれかならず突破の時点がくる。
  • わたしはこの点を説明するとき、調査の対象からは外れるが、考え方を見事に示せる例を使うことがある。
  • その例は、一九六〇年代から七〇年代前半にかけてバスケットボールで圧倒的な力を誇ったUCLAブルーインズである。
  • バスケットボールのファンならほとんどだれでも、ブルーインズが伝説の名コーチ、ジョン・ウッデンのもと、全米大学選手権で十二年間に十回優勝し、あるときには六十一連勝を記録したことを知っている(21)。
  • しかし、ウッデンがUCLAブルーインズのコーチになって、全米大学選手権で初優勝するまでに何年かかったか知っているだろうか。
  • 答えは十五年である。
  • 一九四八年から六三年まで、ウッデンは地味な努力を続け、六四年の初優勝にこぎつけた。
  • この十五年間、チームの基礎を築き、優秀な高校生選手を発掘する組織を作り、一貫した考え方を実行し、フル・コート・プレスのスタイルに磨きをかけていった。
  • 当初は物静かで穏やかに話すコーチにも、UCLAブルーインズにも、だれもそれほど注目していなかったが、あるとき突破段階に達し、十年以上にわたって全米の強豪をつぎつぎに打ち破るようになった。
  • ウッデンのバスケットボール王国がそうであるように、飛躍を遂げ、その地位を維持している企業はいずれも、準備をへて突破にいたる一般的なパターンをたどっている。
  • 準備の段階から突破の段階まで、長い期間がかかった場合もあるし、短期間で移行できた場合もある。
  • 準備段階はサーキット・シティでは九年、ニューコアでは十年だったが、ジレットではわずか五年、ファニーメイでは三年、ピットニー・ボウズでは約二年だった。
  • しかし、期間は長くても短くても、良好から偉大への飛躍はすべて同じ基本的パター
  • ンをたどっているのだ。
  • 弾み車の一回転ごとに勢いを蓄積し、やがて準備段階から突破段階に移行する。
  • 魔法の瞬間はない(経営陣のインタビューでの典型的な発言)アボット「突然のひらめきや啓示があったわけではない」(9)「当社の変化は大きかったが、さまざまな点で小さな変化を積み重ねたものにすぎない。
  • 変革が大成功を収めたのはそのためだ。
  • 一段階ずつ着実に登っていく方法をとり、それまでに達成した点とさまざまな意味で共通する点につぎに取り組むようにした」(10)サーキット・シティ「量販店に事業を絞り込む転換の動きは一夜にして起こったわけではない。
  • この業態をはじめて考えたのは一九七四年だが、店舗をすべてサーキット・シティ店に転換したのは約十年たってからだ。
  • その前に業態に磨きをかけ、十分に勢いをつけて、当社の将来をすべてこの業態に賭けられるようにした」(11)ファニーメイ「魔法の瞬間はなく、はっきりした転換点もなかった。
  • さまざまな点の組み合わせであった。
  • 最終的な結果は劇的だが、進化の過程に似ていた」(12)ジレット「大きな決定をそうと意識してくだしたり、大がかりな取り組みを行って大きな変革や転換を開始したわけではなかった。
  • 経営陣のひとりひとりが、そして経営陣全体が、業績を大幅に向上させるために何ができるのか、結論をだしていった」(13)キンバリー・クラーク「思われているほど唐突な動きではなかった。
  • 一夜にして起こったわけではない。
  • 成長していったのだ。
  • アイデアが膨らみ、つぎつぎにでてきて、実現していった」(14)クローガー「突然のひらめきではなかった。
  • スーパーマーケットの実験店がどう発展していくか、みなで注目していた。
  • そして、業界がその方向に進んでいくと納得するようになった。
  • ライル〔エベリンガム〕の功績は、いますぐに、きわめて意識的に変化をはじめようと言ったことにある」(15)ニューコア「理念を決定したことは一度もない。
  • いくつもの苦しい議論や争いによって発展してきた。
  • そのとき、なんのために争っているのかが分かっていたのかは疑問だが、後になって振り返り、理念を確立するために争ってきたと言えるようになった」(16)フィリップ・モリス「良好から偉大への飛躍を象徴する大きな出来事を指摘するのは不可能だ。
  • 当社の成功は、革命的な動きではなく、進化の動きであり、成功を積み重ねていった結果だからだ。
  • 決定的な出来事があったとは思えない」(17)ピットニー・ボウズ「変革についてそう話し合ってきたわけではない。
  • ごく初期に、必要なのは変革ではなく、進化だと認識した。
  • やり方を変えなければならないと認識したのだ。
  • 進化は変革とは大きく違うと認識していた」(18)ウォルグリーンズ「決定的な会議や啓示の瞬間があったわけではない。
  • 突然に電気がついてあたりが明るくなったような瞬間があったわけでもない。
  • ある種の進化の過程だった」(19)ウェルズ・ファーゴ「スイッチを入れたような瞬間はなかった。
  • 方向が少しずつあきらかになり、確信が強まっていった。
  • カール〔ライヒャルト〕がCEOになったとき、方針の大転換はまったくなかった。
  • ディック〔クーリー〕が進化の第一段階を率い、カールがつぎの段階を率いた。
  • 円滑に進み、突然の変化はなかった」(20)贅沢な環境に恵まれたわけではない弾み車による準備と突破の動きが、贅沢な環境に恵まれた結果ではなかった点を理解しておくことが重要である。
  • 「状況が厳しいので、長期的な目標を追求するような余裕はない」と思うのであれば、飛躍を遂げた企業が、短期的な状況がどれほど厳しくても、この動きをとってきたことを考えるべきだ。
  • ウェルズ・ファーゴは規制緩和に、ニューコアとサーキット・シティは倒産の危機に、ジレットとクローガーは買収攻勢に、ファニーメイは一営業日当たり百万ドルの損失に、それぞれ直面していた。
  • 短期的な業績を高めるよう求めるウォール街からの圧力にどう対応するかでも、おなじことがいえる。
  • ファニーメイのデービッド・マクスウェルはこう語っている。
  • 「ウォール街の圧力があるから、偉大さを持続できる企業を築くのは無理だという意見があるが、この意見には賛成できない。
  • われわれはアナリストと意見を交換し、われわれが何をし、どこに向かっているのか、アナリストを教育していった。
  • はじめは、なかなか耳を傾けてもらえないアナリストが多かったが、それが現実なのだから受け入れるしかない。
  • しかし、最悪期を抜け出すと、毎年業績を向上させてアナリストの期待にこたえていった。
  • 数年たつと、業績がすぐれているので人気銘柄になり、すべてがうまく回転するようになった」(22)。
  • まさに人気銘柄だ。
  • マクスウェルがCEOに就任して当初二年間は、ファニーメイ株は運用成績が市場平均より低かったが、その後は株価に勢いがついた。
  • 一九八四年末に同社株に投資した一ドルが、二〇〇〇年には六十四ドルになっており、一九九〇年代後半にナスダック指数が急騰したなかでも、市場平均の六倍近い運用成績になった。
  • 飛躍した企業は、短期的な業績向上を求める圧力をウォール街から受けている点で、比較対象企業と変わりはない。
  • しかし、比較対象企業とは違って、この圧力を受けながらも弾み車による準備と突破を目指す忍耐力と規律をもっていた。
  • そして最終的にはウォール街の尺度でみても異例といえるほど、成功を収めている。
  • 飛躍を達成するカギは、弾み車を利用して短期的な圧力を管理することにある。
  • そのための見事な方法に、アボット・ラボラトリーズの「ブルー・プラン」がある。
  • 毎年、アボットはウォール街のアナリストに一株当たり利益伸び率の目標を伝える。
  • たとえば、今期の目標は十五パーセントだと伝える。
  • 同時に、社内目標はそれよりはるかに高く、たとえば二十五パーセントか、三十パーセントにすら設定する。
  • そして、予算をつけていない新規事業計画のリストを作り、優先順位をつける。
  • これがブルー・プランだ。
  • 年末にかけて、アナリストの予想よりは高いが、実際に伸び率よりは低い数値を選ぶ。
  • この「アナリストが喜ぶ」伸び率と実際の伸び率の差を、ブルー・プラン用の予算として割り当てる。
  • 短期的な圧力を管理しながら、将来のために組織的に投資する見事な仕組みである(23)。
  • アボットの比較対象企業には、ブルー・プランに似た仕組みはまったくなかった。
  • アップジョンの経営陣は「当社の将来性を信じてほしい」などの口上で自社の株式を売り込もうとし、「長期的な目標に向けた投資」という言葉を重々しく口にする。
  • 業績が悪かったときにはとくに、この言葉を使う(24)。
  • そして、養毛剤のロゲインなどの一発狙いの製品に繰り返し巨額を注ぎ込み、大ヒット商品によって準備の段階を飛び越し、一気に突破の段階に進もうと試みてきた。
  • 同社の動きをみていくと、賭けごとが好きな人がラスベガスのルーレットで赤にチップを積み上げ、「将来への投資なんだ」と言っているように思える。
  • もちろん、将来がやってきたとき、約束された業績が達成できることはめったにない。
  • 意外だとはいえないはずだが、アボットが一貫して好業績を達成し、ウォール街で人気銘柄になったのに対して、アップジョンはつねに期待を裏切られる銘柄になった。
  • 一九五九年からアボットが突破の段階に入った七四年まで、二つの銘柄の値動きはほぼ平行していた。
  • ところが七四年以降、アップジョンは株式運用成績でアボットに六倍の差をつけられ、九五年に買収された。
  • ファニーメイやアボットが典型だが、飛躍した企業はすべて、準備と突破の時期にウォール街との関係をうまく管理しており、この二つに矛盾があるとはみていない。
  • 実績を積み重ねていくことに注力し、使い古された手ではあるが、約束は控えめにし、それを超える業績を達成する方法も使っている。
  • そして実績を積み重ねるようになると(弾み車に勢いがついてくると)、ウォール街の熱心な支持を集めるようになる。
  • 弾み車効果飛躍を遂げた企業は、単純明快な真実を知っている。
  • つねに改善を続け、業績を伸ばしつづけている事実に、きわめて大きな力があることを知っているのだ。
  • 当初はいかに小幅なものであっても、目に見える成果を指摘し、これまでの段階が全体のなかでどのような位置を占めているかを示し、全体的な概念が役立つことを示す。
  • このようにして、勢いがついてきたことを確認でき、感じられるようにすれば、熱意をもって参加する人が増えるようになる。
  • われわれはこれを「弾み車効果」と呼ぶようになった。
  • この効果は、外部の投資家だけでなく、社内にもあらわれてくる。
  • 調査チーム内の逸話を紹介しよう。
  • 調査が決定的な段階に差しかかったとき、チームの何人かが反乱を起こしかけた。
  • インタビュー結果を机の上に放り投げて、「あの馬鹿げた質問を続けなければいけないのか」と詰問した。
  • 「どの質問が馬鹿げているというんだ」とわたしは聞き返した。
  • 「社員の意欲と力の結集、それに変化をいかに管理したかの質問だ」「その質問は馬鹿げていない。
  • とくに重要な質問のひとつだ」「転換をもたらした経営幹部が何人も、馬鹿げた質問だといっている。
  • なかには、質問の意味が分からないという経営幹部までいる」
  • 「それは知っているが、質問を続けるべきだ。
  • インタビューのすべてに一貫性をもたせなければいけない。
  • それに、質問の意味が理解されないのなら、なおさら知りたくなる。
  • だから、検討を続けてほしい。
  • 変化への抵抗をどのように克服して、力を結集したのかを理解しなければならない」わたしは、改革に向けてどのように力を結集するかが、飛躍をもたらした経営者にとって大きな課題のひとつだったはずだと予想していた。
  • われわれの研究所を訪問した経営者がほとんど全員、この点を何らかの形で質問したからだ。
  • 「ボートの進路を変えるにはどうすればいいのか」「社員が新しいビジョンの実現に意欲をもつようにするにはどうすれはいいのか」「全員が力を結集するようにする動機付けの方法はあるのか」「改革への支持をどのようにして獲得するのか」といった質問である。
  • まったく意外なことに、いかにして力を結集するのかは、飛躍を指導した経営者にとって大きな問題ではなかった。
  • 偉大さへの飛躍を遂げた企業はあきらかに、信じがたいほど意欲を引き出し、力を結集させ、変化を見事に管理してきた。
  • しかし、その点を考えるのに、あまり時間を費やしていない。
  • まったく自明の点だったのだ。
  • 条件がうまく整えば、意欲や力の結集や動機付けや改革への支持は問題ではなくなる。
  • これらの点は自然に解決する。
  • この点をわれわれは学んだ。
  • クローガーの事例を考えてみよう。
  • 五万人を超える従業員が、レジ、袋詰め、倉庫管理、野菜の洗浄など、さまざまな職種ではたらいている。
  • これらの従業員にまったく新しい戦略、それも会社の構成から食品雑貨の販売方法まで、事実上すべてを変える戦略を示して支持を得るために、どのような手を打ったのだろうか。
  • 答えはこうだ。
  • どんな手も打たなかった。
  • 少なくとも大規模なイベントを開催したり、大きな計画を発表したりすることはなかった。
  • ジム・ヘリングは、クローガーを変革の道に導いた第五水準の指導者だが、われわれのインタビューで、派手な宣伝や動機付けの試みはすべて避けたと語っている。
  • まずは経営陣が弾み車を押して、計画の正しさを示す事実を目に見える形で作っていった。
  • 「みなが確認できるような形で、実績を示していった。
  • ひとつの段階を成功させてからつぎの段階に移るように計画をたてた。
  • こうして、従業員の大多数が言葉によってではなく、成功ぶりをみて計画の正しさを確認できるようにした」(25)。
  • ヘリングは大胆なビジョンのもとで力を結集するようにするにはどうすればいいかを理解していた。
  • そのビジョンに基づいて弾み車を回していき、二回転から四回転に、四回転から八回転に、八回転から十六回転に回転数を増やしていく。
  • そして、こう話すのだ。
  • 「われわれがやっていることをみてくれ。
  • いかにうまくいっているかをみてほしい。
  • この動きを続けていけば、あそこまで行けるはずだ」飛躍した企業は、当初は大きな目標を公表していない場合が多い。
  • まずは弾み車を回しはじめる。
  • 理解から行動に、一段ずつ段階を踏んで、一回転ずつ回していく。
  • 弾み車に勢いがついてから、周囲の人たちにこう話す。
  • 「この動きを続けていけば、何々が達成できないと考える理由はない」たとえば、ニューコアは一九六五年に弾み車を回しはじめた。
  • 当初は倒産を避けるために努力し、つぎに、信頼できる仕入れ先がなかったことから電炉工場を建設した。
  • やがてどの企業よりも安価で高品質の鉄鋼を作る技術が自社にあることに気づいた。
  • そこで、電炉工場をひとつずつ増やしていった。
  • 顧客を獲得し、顧客を増やし、さらに増やしていった。
  • 弾み車に勢いがつくようになり、一回転ごとに、一か月ごとに、一年ごとに勢いが強くなった。
  • そして一九七五年ごろ、ニューコアの人たちはこのまま弾み車を押しつづけていけば、やがてアメリカの鉄鋼業界でもっとも収益性が高い企業になれることに気づいた。
  • マービン・ポールマンが語っている。
  • 「一九七五年にケン・アイバーソンと話し合ったのを覚えている。
  • 『マービン、われわれはアメリカで第一位の鉄鋼会社になれると思う』。
  • これは一九七五年の話だ。
  • そこでわたしは質問した。
  • 『いつ第一位になれるんだ』『それは分からない。
  • でも、いまの動きを続けていけば、第一位になれないと考える理由は見当たらない』という」(26)。
  • それから二十年以上かかったが、ニューコアは弾み車を押しつづけ、フォーチュン誌の大企業一千社の鉄鋼会社のなかで、利益がもっとも多い企業になった(27)。
  • 弾み車に語らせる方法をとれば、目標を熱心に伝える必要はない。
  • 弾み車の勢いをみて、各人が判断してくれる。
  • 「これを続けていけば、すごいことができるぞ」。
  • この可能性を実現しようとみなが考えるようになり、目標はおのずから決まってくる。
  • この点について、少し考えてみよう。
  • 適切な人たちが何よりも望んでいることは、何だろうか。
  • 勝利に向かって進んでいるチームの一員になることだ。
  • 目に見えるたしかな業績の実現に貢献したいと望んでいる。
  • たしかに成功を収められる何かに参加して興奮を味わいたいと望んでいる。
  • 厳しい現実を直視して生まれた単純明快な計画をみれば、虚勢ではなく、現実の理解から生み出された計画をみれば、「これはうまくいく。
  • 参加させてほしい」と言う可能性が高い。
  • 経営陣が一枚岩になって単純明快な計画を推進し、第五水準の指導者に私心がなく、計画の達成に打ち込んでいるのをみれば、斜に構えていた人も真剣になる。
  • 勢いの魔力が実感できるようになったとき、つまり、目に見える成果を確認できるようになり、弾み車の回転速度があがってきたと感じられるようになったとき、多数の人たちが弾み車を押す動きにくわわるようになる。
  • 悪循環比較対象企業では、これとはまったく違ったパターンが目立っていた。
  • 考え抜かれた静かな過程によって何が必要なのかを認識しそれを着実に実行していくのではなく、新しい方針を頻繁に打ち立て、それも「従業員の動機付け」のために派手に発表し宣伝することが多いが、やがて新方針でも好業績を持続できないことが分かる。
  • 決定的な行動、壮大な計画、画期的な技術革新、魔法の瞬間など、苦しい準備段階を飛び越し、突破段階に一気に進む方法を探し求めている。
  • 弾み車を押しはじめても、すぐにそれをやめて方針を変え、逆の方向に押しはじめる。
  • そしてすぐにそれをやめて方針を変え、また逆の方向に押しはじめる。
  • 右往左往を繰り返し、持続的な勢いを作りだせないまま、われわれが「悪循環」と呼ぶ状態に陥っていく。
  • ワーナー・ランバートの事例をみてみよう。
  • 同社はジレットの直接比較対象企業である。
  • 一九七九年、同社はビジネス・ウィーク誌に、消費者向け製品で第一位の座を目指すと語った(28)。
  • 一年後の一九八〇年、突然方向を変え、医薬品に照準を合わせた。
  • 「当社の目標は明快であり、メルク、イーライ・リリー、スミスクラインはじめ、すべての医薬品会社を打ち負かすことだ」と語っている(29)。
  • 一九八一年、またも方向を変え、事業多角化と消費財事業に戻った(30)。
  • 六年後の一九八七年、またも方針を逆転させ、消費者向け事業から医薬品事業に重点を移して、メルクを追い抜く目標を掲げた(その一方で、消費財の広告に研究開発費の三倍を支出しており、メルク打倒を目指すにしては奇妙な戦略をとっている)(31)。
  • 一九九〇年代初め、クリントン政権が掲げた医療制度改革に反応して、またしても方向を変え、事業多角化と消費者向けブランドの構築を目指した(32)。
  • ワーナー・ランバートではCEOが代わるたびに、新しい方針が打ち出されて、前任者が作りだした勢いが打ち消されている。
  • 一九八二年、CEOのワード・ハーゲンが巨額を投じて病院用資材事業を買収し、突破口を開こうとした。
  • 三年後、後任者のジョー・ウィリアムズが病院用資材事業から撤退し、五億五千万ドルの特別損失を計上した(33)。
  • こうして、メルクを追い抜くことに全力をあげる態勢を築こうとしたが、その後継者は事業多角化と消費財事業に方向を転換した。
  • このように代々のCEOがそれぞれ、独自の方針を打ち出して自分の足跡を残そうとしたため、同社は前進と後退を繰り返し、右往左往を繰り返してきた。
  • 一九七九年から九八年までに、ワーナー・ランバートでは三代のCEOがそれぞれ一回、合計三回の大がかりなリストラを実施し、合計二万人を解雇して短期的な業績回復をはかった。
  • 業績が急回復してもすぐに低迷するパターンを繰り返し、準備から突破に移行して弾み車の勢いが持続する状況にはならなかった。
  • 株式の運用成績は市場平均並みになり、最後にはファイザーに買収されて姿を消した(34)。
  • ワーナー・ランバートの事例は極端だが、比較対象企業のすべてが何らかの形で悪循環に陥っている(付録八Aにまとめてある)。
  • 悪循環の具体的な内容には各社で違いがあるが、広範囲にみられるパターンがいくつかあり、そのうち二つはとくに論じておく価値がある。
  • 第一が買収の使い方の間違いであり、第二がそれまでの積み重ねを無にする経営者の選任である。
  • 間違った買収ピーター・ドラッカーはかつて、こう語っている。
  • 経営者が合併や買収に乗り出すのは、健全な根拠があるからというより、ほんとうに役立つ仕事と比較してはるかに強烈な興奮を味わえるからだと(35)。
  • まさにそうであり、比較対象企業の関係者なら、一九八〇年代に流行したバンパー・ステッカーの言葉、「調子が悪くなったら、買い物に行こう」に苦笑するはずである。
  • われわれは偉大な企業への道筋で企業買収が果たす役割を理解しようと、調査対象のすべての企業について、転換の十年前から一九九八年までのすべての買収と事業売却を対象に、徹底した定量分析と定性分析を行った。
  • 買収の金額や規模についてはとくに目立った点はなかったが、良好から偉大に飛躍した企業と比較対象企業の間には、買収の成功率に大きな差があった(付録八Bを参照)。
  • 偉大な実績に飛躍した企業で、買収の成功率が高く、大型買収ではとくに成功率が高いのはなぜなのだろうか。
  • 成功のカギは、大型買収が一般に、針鼠の概念を確立した後、弾み車の勢いが強くなった後に実施されている点にある。
  • 買収は、弾み車の勢いの促進剤として使っており、勢いの源泉にはしていない。
  • これに対して比較対象企業では、買収や合併によって突破の段階に一気に進もうと試みることが少なくない。
  • これがうまくいった例はない。
  • 中核事業が苦境に陥っているとき、大型買収に取り組むことが少なくない。
  • その目的は、増益率を高めるため、多角化によって苦境から逃れるため、経営者の名声を高めるためなどだ。
  • だが、自社が世界一になれる部分はどこか、経済的原動力になるものは何か、情熱をもって取り組めるものは何かという基本的な問いに答えようとはしない。
  • そして、単純な真実を学ぼうとはしない。
  • 企業買収に資金を注ぎ込めば成長を達成することはできても、偉大さへの道を確保することは絶対にできないのだ。
  • 凡庸な二社が合併しても、偉大な一社になることはありえない。
  • 弾み車の動きをとめる経営者悪循環でよくみられるパターンにはもうひとつ、新しい経営者が弾み車の回転をとめ、まったく新しい方向に回しはじめることがあげられる。
  • たとえばハリス・コーポレーションは、一九六〇年代初めに偉大な企業への転換をもたらす概念をかなりの部分取り入れ、典型的な準備過程をたどって、突破への道を歩みはじめた。
  • ジョージ・ダイブリーと後継者のリチャード・タリスは、印刷と通信への技術の適用で世界一になれるとの理解に基づいて、針鼠の概念を確立した。
  • この概念を完全に守る規律はもたず、三つの円の重なる部分から少しさまよいでる傾向がタリスにはあったが、それでも同社は大きく前進し、素晴らしい業績をあげるようになった。
  • 飛躍を達成できそうな有力候補になり、一九七五年に突破の段階に入った。
  • ところがその後、弾み車は回転をとめてしまった。
  • 一九七八年、ジョゼフ・ボイドがCEOに就任した。
  • 勤務していたラディエーション社が何年か前にハリスに買収されて、同社に入った経営幹部である。
  • CEOになってはじめてくだした大きな決定は、本社をクリーブランドからフロリダ州メルバーンに移すことであった。
  • そこはラディエーション社の地元であり、ボイドの自宅があり、全長十五メートルのモーターボート「やくざな怠け者」号もある(36)。
  • 一九八三年、ボイドは印刷機事業を売却して弾み車に急ブレーキをかけた。
  • 当時、ハリスは印刷機の製造で世界一であった。
  • 同社でとくに収益性が高い部門であり、営業利益の三分の一近くを稼ぎだしていた(37)。
  • この花形部門を売却して得た資金で、ボイドは何をしようとしたのだろうか。
  • オフィス・オートメイション(OA)事業への挑戦であった。
  • しかし、ハリスがOA機器で世界一になれる可能性はあったのだろうか。
  • あったとは考えにくい。
  • ソフトウェア開発で「恐ろしい」問題にぶつかり、ハリスのはじめてのワークステーションの発売が遅れて、IBM、DEC、ワングが覇を競う戦場への参入は当初からつまづいた(38)。
  • つぎに、別の道から突破段階に一気に達しようと、株主資本の三分の一を投じて、低価格ワープロ専用機のラニエ・ビジネス・プロダクツを買収した(39)。
  • コンピューターワールド誌はこう報じた。
  • 「ボイドはOA市場に狙いをさだ
  • めている。
  • ……だがハリスは、オフィス向け製品をまったくもっていない。
  • ワープロ機の設計と販売の試みはみじめな失敗に終わった。
  • ……市場をまったく理解しておらず、発売にこぎつけることすらできなかった」(40)弾み車はダイブリーとタリスのもとで勢いよく回転していたが、軸を離れて空中に飛び出し、床に激突して動かなくなった。
  • ハリス株の運用成績は、一九七三年末から七八年末まで、市場平均の五倍以上になっていた。
  • ところが七八年末から八三年末まででは市場平均を三十九パーセント下回り、八八年まででは七十パーセント以上下回っている。
  • 弾み車で勢いをつけていた企業が、悪循環に陥るようになったのだ。
  • すべてをつつみこむ弾み車の概念飛躍の課程をみていくとき、何度も頭に浮かぶ言葉のひとつに「一貫性」がある。
  • もうひとつの言葉は、物理学者のR・J・ピーターソン教授に教えられた「干渉性」である。
  • 「一足す一はいくつだろう」。
  • 教授はこう問いかけて間をおき、効果を狙った。
  • 「四だ。
  • 物理学には干渉性という概念があって、複数の要因が互いに強めあうことがある。
  • 弾み車の章を読んでいるとき、干渉性の原理が頭からはなれなかった」。
  • どのような言葉で表現しようと、基本的な考えは変わらない。
  • 全体の各部分が互いに強めあって統合されたシステムになり、部分の合計よりもはるかに強力になっているのだ。
  • 長期にわたって一貫性を保ち、何世代にもわたって一貫性を保ってはじめて、業績を最大限に伸ばすことができる。
  • ある意味では、この本で論じた点はすべて、準備から突破にいたる弾み車のパターンの各部分を調査し説明したものだといえる(「弾み車と悪循環の見分け方」の表を参照)。
  • 少し離れて全体的な枠組みを眺め渡してみると、すべての要因が組み合わされてこのパターンが作られており、それぞれの要因が弾み車を押す力になっていることが分かる。
  • すべては第五水準の指導者からはじまる。
  • 第五水準の指導者は弾み車の方式に自然にひかれる。
  • 派手な方針を打ち出して「これぞ指導」とみられることは望まない。
  • 考え抜かれた静かな過程によって弾み車を押しつづけ、だれの目にも明らかな「実績」を生み出すことに関心がある。
  • 適切な人たちをバスに乗せ、不適切な人たちをバスから降ろし、適切な人が適切な座席に坐るようにする。
  • 準備段階の初期にはこれらがいずれも決定的な一歩になり、弾み車を押す重要な力になる。
  • 同様に重要な点は、ストックデールの逆説を思い起こすことである。
  • 「クリスマスまでに突破段階に達することはない。
  • しかし、正しい方向に押しつづけていれば、いずれ、突破段階に入る」。
  • このように考えて厳しい現実を直視すれば、弾み車を回転させるためにとるべき手段、自明ではあるがむずかしい手段を理解できる。
  • 最後にはかならず勝てるという確信があれば、何か月はおろか何年もかかる準備段階を切り抜けられる。
  • つぎに、針鼠の概念の三つの円を深く理解するようになり、その理解に基づく方向に弾み車を押しつづけていれば、やがて勢いがついて突破段階に入り、促進剤によって勢いを加速できる。
  • とくに重要な促進剤は、三つの円が重なる部分に直接に関連する技術の先駆的な応用である。
  • 結局のところ、突破段階に達するには、自社の針鼠の概念に基づく正しい決定を積み重ねていく規律をもっていなければならない。
  • 規律ある行動が不可欠であり、それには規律ある人材による規律ある考えが不可欠である。
  • これがカギだ。
  • これが突破への道を切り開くカギである。
  • 要するに、以上の枠組みの各概念を懸命に賢明に適用していき、弾み車を一貫した方向に押しつづけ、一歩ずつ、一回転ずつ勢いを蓄積していけば、いずれ突破段階に達する。
  • その時期は今日ではないし、明日ではないし、来週でもない。
  • 来年ですらないかもしれない。
  • しかし、いずれそうなる。
  • 突破段階に達したとき、まったく新しい課題にぶつかる。
  • 高まる期待に対応して勢いを加速するにはどうすればいいのか。
  • 将来にわたって、弾み車が回転を続けていくようにするにはどうすればいいのか。
  • 要するに、飛躍をいかにもたらすのかは課題ではなくなり、偉大さを持続するにはどうすべきかが課題になる。
  • この点を、最後の章で扱う。
  • 章の要約
  • 弾み車と悪循環要点・偉大な企業への飛躍は、外部からみれば劇的で革命的だとみえるが、内部からみれば生物の成長のような積み重ねの過程だと感じられる。
  • 最終的な結果(劇的な結果)と過程(生物の成長のような積み重ねの過程)を混同すると、見方が歪んで、実際には長期間にわたる動きであることがみえにくくなる。
  • ・最終結果がどれほど劇的であっても、偉大な企業への飛躍が一気に達成されることはない。決定的な行動、壮大な計画、画期的な技術革新、たったひとつの幸運、魔法の瞬間といったものはない。
  • ・偉大さを持続できる転換は、準備段階から突破段階に移行するパターンをつねにたどっている。巨大で重い弾み車を回転させるのに似て、当初はわずかに前進するだけでも並大抵ではない努力が必要だが、長期にわたって、一貫性をもたせてひとつの方向に押しつづけていれば、弾み車に勢いがつき、やがて突破段階に入る。
  • ・比較対象企業はこれとはまったく違う「悪循環」のパターンに陥っている。弾み車を押しつづけて一回転ずつ勢いを積み重ねていくのではなく、準備段階を飛び越して一気に突破段階に入ろうとする。そして業績が期待外れになると、右往左往して一貫した方向を維持できなくなる。
  • ・比較対象企業は、賢明とはいえない大型合併によって突破口を開こうと試みることが多い。これに対して、偉大な実績に飛躍した企業は通常、突破段階に達した後に、すでに高速で回転している弾み車の勢いをさらに加速する手段として、大型買収を使っている。意外な調査結果・飛躍した企業の内部にいた関係者は、転換の時点ではその規模の大きさに気づかず、後に振り返ってみてはじめて、大規模な転換であったことに気づいている場合が少なくない。転換の動きには名前や、標語や、開始の式典や、特別な計画など、何か特別なことをやっていると思わせるものは何もなかった。
  • ・偉大な企業への飛躍を導いた指導者は、「力の結集」「従業員の動機付け」「変化の管理」にはほとんど力をいれていない。条件がうまく整えば、意欲や力の結集や動機付けや改革への支持の問題は、自然に解決する。力の結集は主に実績と勢いの結果であり、逆ではない。
  • ・短期的な業績向上を求めるウォール街の圧力は、弾み車の方法と矛盾しない。弾み車効果はこうした圧力のもとで発揮できないわけではない。それどころか、こうした圧力に対応する際のカギになる。
  • 第九章ビジョナリー・カンパニーへの道
  • 人生でなし遂げた点こそが、その人の最大の魅力だ。パブロ・ピカソ(1)
  • この本の調査をはじめたとき、難題にぶつかった。調査に際して、『ビジョナリー・カンパニー』(BTL)で論じた点をどう扱うかである。
  • 手短にいうなら、『ビジョナリー・カンパニー』は一九九〇年代前半にスタンフォード大学経営学大学院で行われた六年間におよぶ調査の結果をまとめたものであり、「永続する偉大な企業を一から築き上げるには、何が必要なのか」という問いに答えたものである。
  • 調査方法に関する師のジェリー・I・ポラスとわたしの共著であり、偉大さを維持してきた十八の企業を調査した結果に基づいている。
  • この十八社はいずれも時代の試練を経ており、なかには十九世紀に設立された企業もあり、しかも、二十世紀後半に広く尊敬されている卓越した企業である。
  • 調査対象には、一八三七年設立のプロクター&ギャンブル、一八五〇年設立のアメリカン・エクスプレス、一八八六年設立のジョンソン&ジョンソン、一八九二年設立のゼネラル・エレクトリックがある。
  • 調査対象の一社、シティコープ(現在のシティグループ)は設立が一八一二年であり、ナポレオンがモスクワに進軍した年にあたっている。
  • もっとも「若い」企業はウォルマートとソニーで、一九四五年に設立されている。今回の調査と同様に、直接比較企業を選んだ。
  • 3Mとノートン、ウォルト・ディズニーとコロンビア・ピクチャーズ、マリオットとハワード・ジョンソンなど、十八対の企業を比較した。
  • 要するに前回の調査では、どちらも数十年から百年以上継続している偉大な企業と凡庸な企業を比較して、決定的な違いを見つけ出そうと試みた。
  • 凡庸から偉大に飛躍した企業を対象とする今回の調査で、はじめての夏の調査チームが集まったとき、「調査を進めるにあたって『ビジョナリー・カンパニー』はどのような役割を担うべきか」とわたしは質問した。
  • 「何の役割も担うべきではない。以前の調査の延長にすぎないのだったら、チームにくわわる理由はなかった」とブライアン・バグリーが主張した。
  • 「同感だ。新しい調査で新しい問いに答えるというから、やる気になっている。前の本の穴を埋めようとすれば、満足な結果にはならないだろう」とアリソン・シンクレアが語った。
  • 「ちょっと待ってほしい。前回の調査には六年を費やしているんだ。前回の調査を基礎にすれば、役立つ可能性はないだろうか」とわたしは答えた。
  • 「今回の調査のアイデアを得たのは、凡庸な企業を偉大な企業に変えるにはどうすればいいのかとの質問に『ビジョナリー・カンパニー』が答えていないとマッキンゼー幹部に指摘されたときだと聞いている。答えが違っていればどうなるのだろう」とポール・ワイスマンが指摘した。
  • 論争は行きつ戻りつ、数週間にわたって続いた。最後にステファニー・ジャッドがこう発言してわたしは納得した。
  • 「『ビジョナリー・カンパニー』の考えは素晴らしいと思うが、だからこそ、心配でならない。
  • この本を参照して調査を進めていった場合、堂々巡りになって、先入観から抜け出せなくなるのではないだろうか」。
  • こうして、調査を一から進めていき、以前の調査結果と一致するかどうかにかかわらず、今回の調査で浮かび上がってくるものを見つけ出す方が、はるかにリスクが少ないことがはっきりした。
  • こうして、調査の初期の段階で、きわめて重要な決定をくだした。『ビジョナリー・カンパニー』はなかったと考えて調査を進めることにしたのだ。
  • 凡庸な企業が偉大な企業に飛躍するときのカギになった要因を、前回の調査の結果に影響されることなく明確にとらえるには、これが唯一の方法であった。
  • 調査が終わってから、「二つの調査の結果に関係があるとすれば、どのような関係があるのか」を考えればいい。
  • あれから五年たち、調査が終わったいま、二つの調査の結果がどのような関係にあるのかを、一歩下がった位置から見渡せるようになった。
  • 二つの調査の結果をながめていくと、四つの点を結論として指摘できる。
  • ㈠『ビジョナリー・カンパニー』で取り上げた永続する偉大な企業をみていくと、初期の指導者が偉大な企業への飛躍をもたらす枠組みを適用していた事実が、かなりはっきりとみてとれる。
  • 違いはただ一点、これら指導者が初期段階の小企業を率いる起業家であって、既存の企業を飛躍させようとする経営者ではなかったことだけである。
  • ㈡思いもよらなかったことだが、この本(GTG)は『ビジョナリー・カンパニー』の続編ではなく、逆に前編なのだとわたしは考えるようになっている。
  • GTGで扱った方法を適用して、ベンチャー企業や既存企業を、偉大な業績を持続できる企業にする。
  • つぎに『ビジョナリー・カンパニー』で紹介した方法を適用して、偉大な企業が偉大さを永続できるようにする。
  • 既存企業またはベンチャー企業+偉大な企業への飛躍の概念偉大な実績の持続+『ビジョナリー・カンパニー』の概念永続する卓越した企業㈢偉大な企業を、永続する卓越した企業に転換させるには、『ビジョナリー・カンパニー』の中心概念を適用する。
  • つまり、基本的価値観と利益を超えた目標(基本理念)を見つけ出し、「基本理念を維持し、進歩を促す」仕組みを組み合わせる。
  • ㈣二つの調査の結果には、共鳴しあう部分がきわめて多い。
  • 一方の調査で得られた考えが、他方の調査で得られた考えを豊かにし、裏付けている。
  • とくに、『ビジョナリー・カンパニー』で提起されてはいたが、答えられなかった点に、今回の調査で回答をだせるようになった。
  • それは、社運を賭けた大胆な目標(BHAG)のうち、良いものと悪いものの違いがどこにあるのかという問いである。
  • ビジョナリー・カンパニーへ至る初期段階
  • 前回の調査を振り返ってみると、永続する偉大な企業は創業期に、偉大な企業への飛躍の枠組みにしたがって、準備段階から突破段階にいたる道筋をたしかにたどっていると思える。
  • たとえば、ウォルマートの進化の過程は、準備から突破への弾み車のパターンをたどっている。
  • 一般の見方では、ウォルマートの創業者、サム・ウォルトンが地方のディスカウント店という先見的なアイデアによって突然に登場し、まだベンチャー企業だったときに突破段階に入ったとされている。
  • しかし、現実はまるで違っている。サム・ウォルトンが事業をはじめたのは一九四五年であり、食品雑貨店一店で出発した。二つ目の店舗をもったのは七年たってからである。
  • 一歩ずつ、一回転ずつ、弾み車を押していき、一九六〇年代半ばになってようやく、大型ディスカウント店の概念が進化の自然の段階として生まれてきた。
  • 食品雑貨店一店舗からウォルマート店三十八店まで成長するのに、ウォルトンは四半世紀をかけている。
  • その後、一九七〇年から二〇〇〇年まで、ウォルマートは突破段階に入り、店舗数が三千店を超え、売上高は一千五百億ドルを超えた(2)。
  • そう、一千五百億ドルである。卵から雛が飛び出す話を弾み車の章に記したが、まさにこの話のように、ウォルマートは孵化するまでに二十年以上かかっているのだ。
  • サム・ウォルトンはこう書いている。ウォルマートはなぜか、……偉大なアイデアによって一夜にして大成功を収めたとの印象をもたれてきた。
  • しかし……これは一九四五年から続けてきたことすべての結果なのである。
  • ……そして、一夜にして収めた成功のほとんどがじつはそうであるように、ウォルマートの成功も約二十年かかって達成できたものなのだ(3)。
  • 準備段階に針鼠の概念を確立し、その後に弾み車が突破段階の勢いをつけるようになった典型例があるとするなら、ウォルマートはまさにそうだ。
  • たったひとつ違う点は、サム・ウォルトンが起業家として、事業を一から築き上げており、良好な企業のCEOとして偉大な企業への飛躍を導いたわけではなかったことだ。
  • しかし、基本的な考えには違いはない(4)。
  • ヒューレット・パッカード(HP)も、ビジョナリー・カンパニーの創業期に偉大な企業への躍進の概念が使われていることを示す好例だ。
  • たとえばビル・ヒューレットとデービッド・パッカードがHPを設立したときに考えていたのは、目標ではなく、人であった。
  • 二人で会社を作ることだったのだ。二人は大学院で無二の親友同士であり、優れた企業を築いて、自分たちに似た価値観と価値基準をもつ人たちを集めたいと望んでいた。
  • 一九三七年八月二十三日の設立総会議事録によれば、まず、きわめて幅広くみた電気工学の分野での製品の設計・製造・販売を事業にすると決定した。
  • しかし、議事録にはその直後に、「何を製造するかの決定は先送りした」と書かれている(5)。
  • ヒューレットとパッカードはそれから数か月、ガレージから抜け出すための製品を何か、何でもいいから考えだすために試行錯誤を続けた。
  • ヨット用送信機、空調制御装置、医療機器、蓄音機用アンプなどなどである。
  • ボーリングのファウルライン表示器、望遠鏡のクロック・ドライブ、減量のためのショック装置などを製造した。創業期には何を製造するかはほとんど問題ではなかった。
  • 技術の進歩に貢献し、ヒューレットとパッカードが志を同じくする人たちとともに企業を築いていけるのであれば、それだけでよかった(6)。
  • まさに「最初に人を選び、その後に目標を選ぶ」の典型のような出発点だ。後に、会社が発展しても、「最初に人を選ぶ」原則を守り通している。
  • 第二次大戦が終わり、軍の契約が打ち切られて売上高が減少した時期に、政府の研究機関から優秀な人材を大量に引き抜いたが、このとき、何の研究を任せるかはまったく考えていなかった。
  • 第三章で紹介した「パッカードの法則」を思い出してみよう。
  • 「どの企業も、成長を担う適切な人材を集められるよりも速いペースで売上高を増やしつづけながら、偉大な企業になることはできない」。
  • ヒューレットとパッカードはこの概念を信奉しつづけ、機会があれば優秀な人材を余分に集めている。
  • ヒューレットとパッカードはともに第五水準の指導者の典型であり、当初は起業家として、後に成長する企業の経営者として、第五水準の姿勢を貫いてきた。
  • HPが世界的ハイテク企業の地位を獲得してから何年もたっても、ヒューレットはおどろくほどの謙虚さを維持している。
  • 一九七二年に、GPのバーニー・オリバー副社長がIEEE(米国電気電子学会)の創業者賞審査委員会にあてた推薦状に、こう書いている。
  • 当社の成功はうれしいことだが、創業者はうかれてはいない。ごく最近の経営評議会会議で、ヒューレットはこう語った。
  • 「当社が成長してきたのは、産業が成長してきたからだ。ロケットが発射されたときに、運良く先端に乗っていた。自分たちの業績だといえる点はまったくない」。
  • 一瞬の沈黙があって、この謙虚な意見が出席者に浸透した後、パッカードが発言した。
  • 「たしかにそうだが、恵まれた機会を完全に駄目にしなかったとはいえる」(7)わたしは最晩年のデーブ・パッカードを訪問したことがある。
  • シリコン・バレーのごく初期に十億ドルを超える資産を築いた人物だが、一九五七年に夫婦で建てた小さな家に住んでいた。
  • 質素な果樹園が眼下に広がっている。小さな台所には古びたリノリウムがしいてあり、リビングの家具も質素だ。
  • 「わたしは億万長者だ、重要人物だ、成功者だ」といわんばかりの豪邸を必要としない人柄を示している。
  • 三十六年間、パッカードとともにはたらいたビル・テリーによれば、「楽しい時間といえば、親しい友人とフェンスの修理をしてすごすことだと考えている」という(8)。
  • 五十六億ドルの遺産は慈善基金に寄付した。
  • パッカードの死後、家族が追悼の小冊子を作ったが、故人の写真は作業服を着てトラクターに乗っているようすを写したものであった。
  • 写真説明は、二十世紀を代表する偉大な産業人であることには触れていない(9)。
  • 「デービッド・パッカード、一九二一~一九九六年、農場主など」と書かれている。まさに第五水準だ。
  • 永続する企業に不可欠なもうひとつの要因
  • ビル・ヒューレットとのインタビューで、われわれは長い経歴のなかでもっとも誇りに思う点は何かと質問した。
  • 「一生の仕事を振り返ったとき、たぶんもっとも誇りに思っている点は、価値観、行動、成功によって、世界の企業の経営方法に大きな影響を与えた会社を築く一助になれたことだろう」とヒューレットは答えた(10)。
  • 「HPウェイ」と呼ばれるようになった同社の経営姿勢は、同社が深く確信している基本的価値観を映したものであり、どの製品よりも同社の独自性を示すものである。
  • 同社の基本的価値
  • 観は、技術の進歩に貢献すること、個人を大切にすること、活動する地域社会への責任を果たすこと、利益は会社の基本的な目標にはならないとの確信などである。
  • これらの価値観は現在ではごく普通になっているが、一九五〇年代にはきわめて革新的であった。
  • パッカードは当時、他社の経営者についてこう語っている。
  • 「全員がそれなりに礼儀正しく反対の意思を示しただけだが、わたしについて、自分たちの仲間ではなく、重要な企業の経営者としては不適格だと確信していることは、どうみても明らかだった」(11)ヒューレットとパッカードは、永続する偉大な企業という卓越した地位を獲得する際にカギになる「追加要因」を示す典型例だといえる。
  • ビジョナリー・カンパニーへの移行には、この要因が決定的に重要である。
  • この要因は会社を導く基本理念であり、基本的価値観と基本的目的(単なる金儲けを超えた企業の存在理由)から構成される。
  • 独立宣言(「われわれは、次の真理は自明であると考える……」)に似ており、完璧に実践されているわけではないが、追求すべき目標として、自社の存在がなぜ重要なのかとの問いへの答えとして、つねに意識されている。
  • 永続する偉大な企業は、株主に収益を提供するだけのために事業を行っているわけではない。
  • ほんとうの意味で偉大な企業にとって、利益とキャッシュフローは健全な身体にとつての血と水のようなものである。
  • 生きていくには必要不可欠なものだが、生きていく目的ではない。
  • メルクが糸状虫症治療薬を開発し配付する決定をくだしたことを『ビジョナリー・カンパニー』で紹介した。
  • 糸状虫症は寄生虫による病気の一種で、百万人を超える患者がおり、目を侵して失明をもたらす。
  • 患者はアマゾンなどの後進地域の人たちであり、薬を買えないほど貧しいので、メルクは遠隔地の村に薬を配付する組織を作り、世界中の数百万人に無料で提供した(12)。
  • もちろん、メルクは慈善団体ではないし、自社を慈善団体だとはみていない。
  • それどころか、きわめて収益性の高い企業として、市場平均をつねに上回る実績をあげている。
  • いまでは年に六十億ドル近い利益をあげ、一九四六年から二〇〇〇年までの株式運用成績は市場平均の十倍以上になっている。
  • だが、目ざましい業績をあげながらも、メルクは自社の存在理由が金儲けにあるとは考えていない。
  • 一九五〇年に、創業者の息子のジョージ・メルク二世が同社の理念を確立した。
  • 医薬品は患者のためにあることを忘れない。
  • ……医薬品は利益のためにあるのではない。
  • 利益は後からついてくるものであり、われわれがこの点を忘れなければ、利益はかならずついてくる。
  • このことを肝に銘じていればいるほど、利益は大きくなる(13)。
  • 基本的価値観について重要な点をあげておくなら、永続する偉大な企業になるための「正しい」価値観があるわけではない。
  • これだけは必要不可欠だと思える価値観でも、永続する偉大な企業のなかにかならず、その価値観をもたない企業がある。
  • たとえば、顧客に対する情熱をもっていなくてもいい(ソニーはもっていない)。
  • 個人を尊重する価値観はなくてもいい(ディズニーにはない)。
  • 品質重視の価値観はなくてもいい(ウォルマートにはない)。
  • 社会への責任という価値観はなくてもいい(フォードにはない)。
  • これらがなくても、永続する偉大な企業への道で障害にはならない。
  • これは、『ビジョナリー・カンパニー』で紹介した調査結果のなかでも、とりわけ意外な点である。
  • 偉大さの永続のためには基本的価値観が不可欠だが、基本的価値観がどのようなものなのかはとくに重要ではないように思えるのだ。
  • どのような基本的価値観をもっているかではなく、基本的価値観をもっているのかどうか、基本的価値観が社内で知られているか、基本的価値観を組織に組み入れているか、長期にわたって基本的価値観を維持しているのかが問題なのだ。
  • 基本理念の維持の概念は、永続する偉大な企業の特徴の中心になっている。
  • ここから出てくる当然の疑問はこうだ。
  • 基本理念を維持しながら、世界の変化に対応するにはどうすればいいのか。
  • 答えはこうだ。
  • 「基本理念を維持し、進歩を促す」考え方を大切にすることである。
  • 永続する偉大な企業は、基本的な価値観と目的を維持しながら、事業戦略や事業慣行では世界の変化にたえず適用している。
  • これが「基本理念を維持し、進歩を促す」魔法の組み合わせである。
  • ウォルト・ディズニーの動きが、この二重性を見事に示している。
  • 一九二三年、カンザス・シティでアニメ映画を制作していた二十一歳の元気一杯の若者がロサンゼルスに移り住み、映画会社で職を探した。
  • どの映画会社も雇ってくれなかったので、ごくわずかな貯金をはたいてキャメラを借り、叔父の家のガレージをスタジオにして、アニメ漫画の短編映画を作ることにした。
  • 三四年には、それまでに例がない大胆な試みとして、長編アニメ劇映画を制作し、『白雪姫』『ピノキオ』『ファンタジア』『バンビ』で成功を収めた。
  • 五〇年代にはテレビに進出して、「ミッキーマウス・クラブ」を制作した。
  • やはり五〇年代に、ウォルト・ディズニーはいくつもの遊園地に行き、嫌悪感をおぼえた。
  • 「汚く、まやかしばかりで、目つきの悪い連中が経営している」と語っている(14)。
  • 自分ならはるかによいものができ、たぶん、世界一の遊園地を作れると考えた。
  • そこで、テーマ・パークというまったく新しい事業に進出し、まずはディズニー・ランドを、つぎにウォルト・ディズニー・ワールドとEPCOTセンターを建設した。
  • やがて、ディズニーのテーマ・パークは、世界中の数多くの家族にとって、忘れられない思い出になっている。
  • 同社はこのように、短編漫画から長編アニメ劇映画に、「ミッキーマウス・クラブ」からディズニー・ワールドに、事業を劇的に変化させてきたが、基本的価値観は一貫して維持している。
  • 創造力と想像力への熱狂的な確信、細部へのあくなきこだわり、皮肉な見方の嫌悪、「ディズニーの魔法」の維持などの価値観である。
  • また、目的に関してもおどろくほどの一貫性を維持しており、どの事業でも人びとを幸せにし、とくに子供を幸せにすることを目的にする姿勢が浸透している。
  • この目的は国境を越え、時代を超えて一貫している。
  • 一九九五年、わたしは妻とともにイスラエルを訪問したとき、ディズニー製品を中東で販売している人に出会った。
  • 「この事業は要するに、子供たちが笑顔をみせるようにすることだ。
  • これは中東ではほんとうに大切な点だ。
  • 子供たちの笑顔が少ないからだ」。
  • ウォルト・ディズニーはまさに「基本理念を維持し、進歩を促す」考え方の好例であり、基本理念はつねに変わらないが、戦略と慣行は時代とともに変化している。
  • そしてこの原則を守っている点が、同社が永続する偉大な企業の地位を確保できている基本的理由である。
  • 良いBHAGと悪いBHAG
  • 「本書と『ビジョナリー・カンパニー』概念の関連」の表に、二つの調査で得られた概念の関連を示した。
  • 一般的にいえば、偉大な企業への飛躍をもたらす概念が、『ビジョナリー・カンパニー』の概念で成功を収めるための基礎になっているようだ。
  • 本書では、弾み車を回転させ、準備段階から突破段階に移行するための基本的な考えを扱っており、『ビジョナリー・カンパニー』では弾み車の回転を遠い将来まで加速させていき、尊敬される企業になるための基本的な考えを扱っていると、わたしは考えている。
  • 表をみていけば、飛躍をもたらす要因がいずれも、『ビジョナリー・カンパニー』の四つの基本的な概念を実現する役割を果たすことに気づくはずである。
  • 『ビジョナリー・カンパニー』の四つの基本的な概念は、以下のように要約できる。
  • 時を告げるのではなく、時計をつくる経営者の何回もの世代交代、いくつもの製品サイクルを通じて継続し、環境の変化に適応できる組織を作り上げる。
  • ひとりの偉大な指導者や、ひとつの偉大なアイデアを中心に企業を作るのとは正反対の考え方である。
  • ANDの才能いくつもの側面で両極にあるものをどちらも追求する。
  • 「AかBか」を選ぶのではなく、「AとBの両方」を実現する方法を考える。
  • 目的と利益、持続性と変化、自由と責任などである。
  • 基本理念基本的価値観(組織にとって不可欠で不変の主義)と基本的目的(単なる金儲けを超えた会社の根本的な存在理由)を徹底させ、長期にわたって意思決定を導く原則とし、組織全体が力を奮い立たせる原則にする。
  • 基本理念を維持し、進歩を促す基本理念をゆるぎない土台にするとともに、基本理念以外のすべての点では変化、改善、革新、若返りを促す。
  • 慣行や戦略は変えていくが、基本的価値観と目的は維持する。
  • 基本理念に一致するBHAGを設定し、達成する。
  • 本書と『ビジョナリー・カンパニー』概念の関連第五水準のリーダーシップ時を告げるのではなく、時計をつくる──第五水準の指導者は自分がいなくても前進していける企業を築く。
  • 不可欠な存在になって自分のエゴを満足させたりはしない。
  • ANDの才能──個人としての謙虚さと、職業人としての意思の強さ。
  • 基本理念──第五水準の指導者は会社とその理念に関してはきわめて野心的であり、自分個人の成功を超えた目的意識をもっている。
  • 基本理念を維持し、進歩を促す──第五水準の指導者は目に見える業績と成果を達成するために、たえず進歩を促す。
  • そのためには自分の兄弟を解雇することもいとわない。
  • 最初に人を選び、その後に目標を選ぶ時を告げるのではなく、時計をつくる──最初に人を選ぶのは時計をつくる作業、最初に目標を選ぶのは(戦略を設定するのは)時を告げる作業である。
  • ANDの才能──適切な人をバスに乗せることと、不適切な人をバスから降ろすこと。
  • 基本理念──「最初に人を選ぶ」とは、能力やスキルではなく、基本的価値観と目的への適合性によって人を選ぶことを意味する。
  • 基本理念を維持し、進歩を促す──「最初に人を選ぶ」場合、社内昇格を優先させることになり、基本理念を強化できる。
  • 厳しい現実を直視する時を告げるのではなく、時計をつくる──上司が真実に耳を傾ける社風をつくるのは、時計をつくることにあたる。
  • 赤旗の仕組みがあれは、一層そうなる。
  • ANDの才能──自分がおかれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視することと、最後にはかならず勝つという確信を失わないこと。
  • ストックデールの逆説。
  • 基本理念──厳しい現実を直視すれば、組織がほんとうに基本的なものとしてもっている価値観と、基本的価値観にしたいと希望しているだけのものを識別できる。
  • 基本理念を維持し、進歩を促す──厳しい現実を直視すれば、進歩を促すために何をすべきかが明確になる。
  • 針鼠の概念時を告げるのではなく、時計をつくる──評議会の仕組みは究極の時計作りである。
  • ANDの才能──深い理解と、信じがたいほどの単純さ。
  • 基本理念──「情熱をもって取り組めるもの」の円は基本的価値観と目的に見事に重なる。
  • 情熱をもっていて、どんな状況になっても放棄しない価値観だけが、ほんとうの基本的価値観である。
  • 基本理念を維持し、進歩を促す──良いBHAGは理解によって設定されたものである。
  • 悪いBHAGは虚勢によって設定されたものである。
  • 偉大なBHAGは三つの円の重なる部分にぴったりと収まっている。
  • 規律の文化時を告げるのではなく、時計をつくる──強烈な個性によって規律をもたらすのは時を告げることであり、持続する規律の文化を築くのは時計作りである。
  • ANDの才能──自由と、責任。
  • 基本理念──規律の文化によって、組織の価値観と基準を共有していない人ははじき飛ばされる。
  • 基本理念を維持し、進歩を促す──規律の文化があれば、成果をあげる最善の道を実験し、見つけ出す自由を従業員に与えられる。
  • 促進剤としての技術時を告げるのではなく、時計をつくる──促進剤としての技術は時計の主要部品のひとつである。
  • ANDの才能──技術の流行を避けることと、技術の応用で先駆者になること。
  • 基本理念──偉大な企業では、技術が基本的価値観に従属するのであって、その逆ではない。
  • 基本理念を維持し、進歩を促す──適切な技術によって弾み車の勢いが加速し、BHAGの達成に向けて前進する。
  • 悪循環ではなく弾み車時を告げるのではなく、時計をつくる──弾み車効果によって勢いが持続するようになり、先見性のあるカリスマ的指導者に依存しなくても従業員の動機付けが可能になる。
  • ANDの才能──段階的な進化の過程と、革命的で劇的な結果。
  • 基本理念──悪循環に陥れば、従業員は「会社の存在意義と理念は何なのか」とつねに考えることになり、基本的価値観と目的を浸透させることができない。
  • 基本理念を維持し、進歩を促す──弾み車の一貫性と突破段階までの勢いの蓄積によって、基本的価値観を浸透させると同時に変化と過程を促せる完全な条件が生まれる。
  • *『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP出版センター刊)を参照。
  • 表に示した関連のひとつひとつを細かく論じていこうとは思わないが、とくに強力な関連を強調しておきたい。
  • それはBHAGと針鼠の概念の三つの円との関連である。
  • 『ビジョナリー・カンパニー』では、基本理念を維持し、進歩を促す主要な方法にBHAGがあると指摘した。
  • BHAG(社運を賭けた大胆な目標BigHairyAudaciousGoals)は、きわめて大きく、むずかしい目標である。
  • 未登頂の高山のようなもの、明確で魅力的であり、従業員がただちに理解できる目標である。
  • 全社の力を結集する目標になり、その目標に向けて全力を尽くす過程で、従業員が鍛えられ、連帯感が生まれる。
  • 一九六〇年代のNASAの月旅行計画のように、想像力を刺激し、人びとの心をつかむ。
  • BHAGはたしかに素晴らしいアイデアだが、『ビジョナリー・カンパニー』では決定的な問いに答えていなかった。
  • 良いBHAGと悪いBHAGの違いはどこにあるのかという問いである。
  • オーストラリアからニュージーランドまで泳いでわたろうとすれば、わたしにとってたしかにBHAGではあるが、命を失う結果になるだろう。
  • 飛躍した企業を対象にした今回の調査の結果から、この問いへの答えを直接に引き出せる。
  • 悪いBHAGは虚勢によって設定されたものであり、良いBHAGは理解によって設定されたものである。
  • 三つの円が重なる部分に関する静かな理解に、BHAGの大胆さがくわわれば、魔法に近いとすらいえる強力な組み合わせになる。
  • この点の好例が一九五〇年代のボーイングだ。
  • 五〇年代初めまで、ボーイングは軍用大型機に焦点を合わせ、B17(空の要塞)、B29(空の超要塞)、大陸間ジェット爆撃機B52(成層圏の要塞)を生産してきた(15)。
  • 民間航空機市場では事実上まったく実績がなく、航空会社もボーイングから旅客機を買おうとは考えていなかった(ボーイングが打診したところ、「シアトルで優秀な爆撃機を作っている会社ではないか。
  • 爆撃機の生産を続けていればいいんだ」という答えが返ってきた)。
  • 現在では、航空旅客のほとんどがボーイングのジェット機に乗るのが当たり前になっているが、一九五二年には軍関係者を除けば、ボーイングの航空機に乗ったものはほとんどいなかった(16)。
  • 一九四〇年代には、ボーイングは民間航空機市場を避ける賢明な方針をとってきた。
  • 旅客機の分野では、ダグラス(後のマクドネル・ダグラス)が中型のプロペラ機ではるかにすぐれた能力をもち、市場を制覇していた(17)。
  • しかし五〇年代初めになって、ボーイングは大型機の経験とジェット・エンジンの知識とを組み合わせれば、ダグラスを追い抜く機会があると考えるようになった。
  • 第五水準の指導者、ウィリアム・アレンに率いられて、同社の経営陣は民間航空機市場に参入するべきかどうか、激論を続けた。
  • その結果、十年前であれば民間航空機で第一位になる力はなかったが、軍の契約で大型機とジェット・エンジンについて経験を積み重ねてきたため、その夢を実現できるようになったことを理解した。
  • また、民問航空機の方が軍用機よりも経済効率がはるかによいこと、そして無視できない点として、民間航空機を製造するという考えに全員が夢中になっていることも理解した。
  • そこで一九五二年、ウィリアム・アレンらの経営陣は同社の純資産の四分の一にあたる資金を投入して、旅客機として使えるジェット機のプロトタイプを開発する決定をくだした(18)。
  • ボーイング707を開発し、世界一の民間航空機会社になる目標を追求したのだ。
  • それから三十年、同社はジェット旅客機の歴史のなかでとくに成功を収めた五機種、707、727、737、747、757を製造し、世界の民間航空機業界で自他ともに認める偉大な企業になった(19)。
  • 世界一の地位を脅かす競争相手が登場したのは一九九〇年代後半になってからであり、それもエアバスというヨーロッパ政府のコンソーシアムによるものであった(20)。
  • ここでカギになる点はこうだ。
  • ボーイングのBHAGはきわめて大きく、むずかしいものではあったが、闇雲に選んだものではない。
  • 三つの円との関連で、しっかりした根拠のある目標であった。
  • ボーイングの経営陣は静かに落ちついた姿勢で、以下の三点を理解した。
  • 第一に、民間航空機市場にはまったく足掛かりがないものの、ジェット旅客機の製造で世界一になりうる。
  • 第二に、民間航空機事業に移行すれば、一機種当たりの利益を増やすことができ、経済的な原動力を大幅に強められる。
  • 第三に、自社の従業員は民間航空機事業に情熱をもっている。
  • ボーイングは同社の転換点になった時期に、理解に基づいて決定をくだしたのであり、虚勢に基づいて決定をくだしたのではない。
  • 同社が永続する偉大な企業になった主因のひとつはここにある。
  • ボーイングの事例に要点のひとつが示されている。
  • 長期にわたって偉大な企業でありつづけるには、一方では、三つの円が重なる部分にしっかりと止まりつづけなければならないが、その一方では、三つの円が重なる部分をどのように具体化するのかは、それぞれの時点で変更していく意思をもたなければならない。
  • ボーイングは一九五二年に、三つの円から離れていないし、基本理念を放棄してはいないが、興奮を呼ぶ新たなBHAGを確立し、針鼠の概念を調整して民間航空機事業をくわえている。
  • 三つの円とBHAGの組み合わせは、二つの調査がどのように関連するかを示す好例であり、それぞれの組織内で両者の関連を作りだすための実際的な方法として、この組み合わせを提案したい。
  • ただし、この組み合わせだけで、企業が偉大になり永続するようになるわけではない。
  • 永続する偉大な企業を築くには、二つの調査で得られた主要な概念のすべてが必要であり、これらを結び付け、長期にわたって一貫して適用していかなければならない。
  • それだけでなく、これらの概念のうちどれかを守らなくなれば、その企業が凡庸に逆戻りするようになるのは避けられない。
  • 忘れてはならない点だが、偉大になることより、偉大さを維持することのほうがはるかにむずかしい。
  • 結局のところ、二つの調査で得られた概念を一貫して適用していき、一方のうえに他方を築いていけば、偉大さを永続できる可能性がもっとも高くなる。
  • なぜ、偉大さを追求するのかスタンフォード大学のときに教えた卒業生を対象にしたセミナーの休憩時間に、ひとりが眉をしかめてやってきた。
  • 「自分に野心がなさすぎるのが問題なのだろうが、巨大な企業を築こうとは、どうしても考えられない。
  • それに何か問題があるだろうか」と質問した。
  • 「問題はない。
  • 偉大であることと規模とは関係がない」とわたしは答えた。
  • そして、わたしの研究所が入っているビルの経営者、シーナ・シマントブについて話した。
  • ほんとうに素晴らしい建物だ。
  • 一八九二年に建てられた赤レンガの校舎だが、シマントブはこれを改装して素晴らしい施設にした。
  • 装飾とメンテナンスには細部にまでおそろしいほどの注意を払っており、完璧に近いものになっている。
  • わたしの出身地、ボールダーでとくにすぐれた人たちを引きつけ、地元のビルの質を考える際の基準になり、単位面積当たりの利益がもっとも多い点でみて、この小さな不動産会社は地元でほんとうに偉大な企業になっている。
  • シマントブは偉大さを規模で考えてはおらず、本人にとってそう考える理由はない。
  • 卒業生はしばしの沈黙の後、もうひとつ質問した。
  • 「偉大な企業を築くには大企業にする必要がないことは分かった。
  • しかし、そうだとしても、なぜ偉大な企業を築く必要があるのか。
  • 成功を収めればそれで十分だという考え方もあるのではないだろうか」この質問にはおどろいた。
  • こう質問したのは怠惰な人物ではない。
  • 若くして事業をはじめ、法律学大学院に入り、卒業後に意欲的な起業家になった。
  • おどろくほど精力的だし、強烈な熱意で周囲に影響を与える。
  • わたしが長年にわたって接してきた学生のなかでも、とくに大きな成功を収められると太鼓判を押せる人物だ。
  • ところが、偉大で永続する企業を作るという考え自体が疑問だと言う。
  • この疑問に対して、二つの点から答えたい。
  • 第一に、偉大なものを築くには、凡庸なものを築くよりむずかしいとはわたしは考えていない。
  • 統計的にみれば、もちろん偉大さに到達できる企業はごく少数だが、いつまでも凡庸さから抜け出せない状態よりも犠牲が大きくなるわけではない。
  • それどころか、比較対象企業のいくつかの事例をみるかぎり、偉大さへの道を歩むほうが犠牲が少なく、おそらくは仕事の量も少ない。
  • 今回の調査で得られた結論には、仕事を根本から単純にすると同時に、効率を高められる魅力があり、力がある。
  • 明快さを獲得できれば、何が決定的で何が決定的ではないかが分かれば、心から安心できる。
  • この本全体の要点は、今回の調査で得られた概念をすでに実行している点に「追加」し、働きすぎがさらにひどくなるようにすることではない。
  • そうではなく、いま実行している点のうちかなりの部分が、せいぜいのところ力の無駄遣いである事実を認識することにある。
  • 仕事時間のうち半分以上をこれら原則の適用にあて、それ以外の点は大部分無視するか、中止すれば、人生が単純になり、実績がはるかに向上する。
  • この点を示すために、この本の最後の逸話として、経営以外の分野の例を紹介しよう。
  • ある高校のクロス・カントリー・チームのコーチ陣が最近、二年連続二度目の州大会優勝を祝って、夕食会を開いた。
  • それまで五年間に、州大会で二十位以内のそこそこのチームから、男子、女子ともに州大会でつねに優勝を狙う優秀なチームに飛躍している。
  • 「どうもよく分からない。
  • どうしてここまで成功しているのだろう。
  • 他の高校のチームとくらべて、練習量が多いわけではない。
  • それに、じつに単純な方法をとっている。
  • なぜ、うまくいっているのだろう」とコーチのひとりが語った。
  • 単純な方法というのは、チームの針鼠の概念のことであり、「最後に最高の走りを」という単純な標語に示されている。
  • 練習の最後に最高の走りをみせる。
  • レースの最後に最高の走りをみせる。
  • シーズンの最後に、もっとも重要なレースで最高の走りをみせる。
  • すべてがこの単純な考えの実現に向けられている。
  • コーチ陣は州内のどのチームよりも、これを実現する方法をよく知っている。
  • たとえば、三・一マイル(約五キロ)のレースで二マイル(約三・二キロ)の地点にコーチをひとり配置し、選手のデータを集める。
  • といっても、ほとんどのチームとは違って、タイム(一マイル当たりのタイム)を調べるのではなく、順位(全体のなかで何位だったか)を調べる。
  • そして、各選手のペースではなく、レースの最後、二マイル地点からゴールまでの間に、何人を追い抜いたかを計算する。
  • レースの後に、各選手に記念のビーズを、追い抜いた数だけ贈る。
  • 選手がこれでネックレスかブレスレットを作り、やっつけた敵の数を誇る仕組みになっている。
  • 選手はペース配分をみずから学んでいき、レースのときには自信をもって走れるようになる。
  • 厳しいレースの最後近くに、「最後に最高の走りをみせるのだ。
  • 自分が苦しいんだったら、相手はもっと苦しいに違いない」と考えて頑張る。
  • もうひとつ重要なのは、コーチ陣が無駄をはぶいたことだ。
  • たとえば、ヘッド・コーチが前任者から仕事を引き継いだとき、部員の動機付けやつなぎ止めのために、催し物をいくつも開くよう期待されていることに気づいた。
  • パーティや旅行やナイキ店訪問や感動的なスピーチなどなどが、ヘッド・コーチの役割になっていたのだ。
  • 肝心の点から気をそらし、時間をとられるこれら活動はほとんどすべて、ただちに中止した。
  • 「走るのは楽しい、レースは楽しい、力を伸ばすのは楽しい、勝つのは楽しい。
  • これがチームの活動の基本になる考えだ。
  • チームの活動に熱意がもてないのだったら、他に熱中できるものを探すべきだ」と説明した。
  • 結果はどうなったか。
  • 五年間に部員が三十人から八十二人に、三倍近くに増えた。
  • 男子チームが州のクロス・カントリー大会で初優勝を飾る前、ヘッド・コーチは州大会優勝を目標に掲げたことはなく、優勝に向けて選手の「動機付け」に努力することもなかった。
  • 選手が勢いをつけていき、レースごとに、週ごとに力を伸ばして、州内のどのチームにも負けないという自信をもてるようにした。
  • ある日、練習が終わったあと、選手のひとりが「州大会で優勝できると思う」と仲間に話した。
  • 「おれもそう思う」ともうひとりが応じた。
  • 全員が練習を続け、目標を静かに理解した。
  • コーチ陣は選手たちがこう考えるようになるまで、州大会優勝を目指すとは一度も話していない。
  • この結果、考えうるかぎり最強の規律の文化が生まれた。
  • 州大会で優勝を勝ち取る責任が自分たちにあると、七人の正選手が感じるようになった。
  • コーチにそう言われたからではなく、仲間にそう約束したからなのだ。
  • 州大会の前日には選手のひとりが仲間の全員に、今日は早く寝るんだぞと電話したほどである(このチームではコーチが規律をもたらす役割を担う必要はない)。
  • 最後の一マイルにさしかかり、競争相手を抜き去るとき(「最後に最高の走りを」)、選手は苦しくはあるが、自分ひとりが失敗して仲間に顔を合わせるはめになれば、もっともっと苦しい思いをすることを知っている。
  • 全員が見事に走り抜き、チームは大差をつけて州大会に優勝した。
  • ヘッド・コーチはチームを作りなおすとき、「最初に人を選ぶ」考え方にしたがっている。
  • コーチのひとりは体重百四十キロの元砲丸投げ選手で、痩せ細った長距離走者とはまるで印象が違うが、疑いもなく適切な人材である。
  • 価値観が共通しており、優秀なチームを築くために必要な資質をもっている。
  • チームに勢いがつくと、部員が増え、優秀なコーチも増えていった。
  • 回転する弾み車の動きにくわわりたいと望み、優勝チームにくわわりたいと望み、一流の文化にくわわりたいと望んだからだ。
  • 優勝旗の数が増えるとともに、部員がさらに増え、才能に恵まれた選手が増え、チームはさらに速くなり、優勝回数が増え、部員が一層増え、チームは一層速くなり、弾み車効果があらわれていった。
  • 優秀なチームを築くために、コーチ陣は他のチームのコーチより大きな犠牲を払ったのだろうか。
  • 長時間はたらいたのだろうか。
  • 答えはノーである。
  • じつのところ、アシスタント・コーチは全員、コーチ以外に専門職の仕事についている。
  • 技術者、コンピューター技術者、教師などで常勤の忙しい仕事を続けながら、暇を見つけ、事実上無給で優秀なチームを築く動きにくわわっている。
  • コーチ陣は適切な点に注意を集中しており、不適切なことは行わない。
  • この本で論じた点のほぼすべてを、具体的な状況に合わせて実行している。
  • 不適切なことに時間を使うような無駄はしていない。
  • 単純で、明快で、簡潔で、鮮やかであり、心底楽しんでいる。
  • 以上の要点は、これらの考え方が奏効していることだ。
  • これらをそれぞれの状況に合わせて適用すれば、毎日が楽になり豊かになり、同時に実績が向上する。
  • そして、自分が築いているものが偉大になる可能性がある。
  • そこで、わたしは問いかけてみたい。
  • これらの考え方を適用すれば、仕事が厳しくなるわけではなく、実績が向上し、その過程がはるかに楽しくなるのであれば、偉大さを目指さない理由があるだろうかと。
  • もちろん、わたしは偉大な組織への飛躍が容易だというつもりはないし、どの組織もこの飛躍を成功させることができるというつもりもない。
  • 全員が平均を上回ることは、もちろん不可能だ。
  • しかし、飛躍を目指していれば、退屈なほどの凡庸さが続くのにまかせた場合と比較して、とくに痛みが大きくなるわけでも疲労が増すわけでもないことに気づくはずだ。
  • たしかに、飛躍のためにはエネルギーが必要だが、勢いをつけていけば、使うエネルギーより入ってくるエネルギーのほうが多くなる。
  • 逆に、いつまでも凡庸さに甘んじていれば、意気消沈させられることになり、入ってくるエネルギーより使うエネルギーのほうが多くなる。
  • しかし、なぜ偉大さを目指すのかという問いには、もうひとつの答えがある。
  • それは、大がかりな仕事に取り組むとき、その動機の核心部分にある点だ。
  • 意味の追求、もっと正確にいうなら、意味のある仕事を求める気持ちである。
  • わたしは、クロス・カントリー・チームのヘッド・コーチに、偉大なチームにしたいと考える理由を聞いてみた。
  • この女性はしばらく考え込んだ。
  • 「核心に触れる質問だ」と言い、さらに長く考え込んだ。
  • 「答えるのはとてもむずかしいが」と言い、また考え込んだ。
  • 「たぶん……、たぶん、ほんとうに好きなことだからだろう。
  • 競走が好きだし、選手たちの人生に良い影響を与えられると確信している。
  • 素晴らしい経験をしてもらいたいし、これこそ一流といえるものに参加した経験をもってもらいたい」興味深い点をあげておこう。
  • このコーチは名門の経営学大学院で経営学修士号(MBA)を取得しているし、世界有数の大学の経済学部を最優等で卒業し、最高の卒業論文に贈られる賞を受賞している。
  • 同級生のほとんどは、ウォール街の投資銀行につとめたり、インターネット企業を設立したり、経営コンサルタント会社ではたらいたり、IBMに勤務したりしているが、これらの仕事に意味があるとは思えなかった。
  • 勤め先を偉大な企業にしたいと望むほど、好きではなかったのだ。
  • これらの職には意味のある目的があるとは思えなかった。
  • そこで、自分にとって意味のある仕事を探すことにした。
  • 自分が情熱をもてる仕事、「なぜ偉大さを追求するのか」という問いに、そんなことは自明ではないかと思える仕事を探した。
  • 心から好きなことをしており、その目的を深く信じているのであれば、偉大さを目指さないことは想像すらむずかしい。
  • まったく当然のことなのだ。
  • わたしは、調査対象企業の第五水準の指導者が「なぜ偉大さを達成したのか」という問いにどう答えるのを想像してみた。
  • もちろん、大多数は「当社は偉大な企業ではない。
  • まだまだ改善すべき点がある」と答えるだろう。
  • だが、「なぜ偉大さを追求するのか」と、もう一度質問すれば、おそらく、このコーチのように答えるだろう。
  • ほんとうに好きなこと、強い熱意をもつことを行っている。
  • ビル・ヒューレットのように、価値観と成功によって世界の企業の経営方法に大きな影響を与える会社を築くことに、何よりも関心があるのかもしれない。
  • あるいはケン・アイバーソンのように、抑圧的な階層制度を破壊して、労働者と経営者がどちらも堕落する原因を取り除くことに使命感をもっているのかもしれない。
  • あるいはキンバリー・クラークのダーウィン・スミスのように、何であれ、自分たちが行うことは最高のものにしたいという内部の動機に突き動かされていて、偉大さの追求それ自体がきわめて重要な目的になっているのかもしれない。
  • あるいはクローガーのライル・エベリンガムやウォルグリーンズのコーク・ウォルグリーンのように、その事業をみて育ち、事業がほんとうに好きなのかもしれない。
  • 自分の仕事が好きなとき、自分の仕事が大切であるとき、大上段に構えたような理由は必要としない(もちろん、明確な理由がある人もいるだろうが)。
  • 重要なのは、好きだという事実、大切だという事実だけだ。
  • したがって、「なぜ偉大さを追求するのか」という問いは、ほとんど意味をもたない。
  • 理由はなんであれ、自分が好きな仕事、自分にとって大切な仕事をしているのであれば、この質問に対する答えは必要としない。
  • 問題は「なぜ」ではない。
  • 「いかにして」である。
  • ほんとうに問題なのは、「なぜ偉大さを追求するのか」ではない。
  • 「どの仕事なら、偉大さを追求せずにはいられなくなるのか」だ。
  • 「なぜ偉大さを追求しなければならないのか。
  • そこそこの成功で十分ではないのか」と問わなければならないのであれば、おそらく、仕事の選択を間違えている。
  • 何か偉大なものを築く動きが、自分の仕事の範囲ではみあたらない場合もあるだろう。
  • その場合は、仕事以外の場で探せばいい。
  • 会社では無理でも、自分が通う教会を偉大にすることができるかもしれない。
  • 教会もだめなら、非営利団体や地域団体、あるいは自分が教えるクラスで偉大さを追求できるかもしれない。
  • 自分がほんとうに好きだからこそ、可能なかぎり偉大なものにしたいと望むもの、それによって自分が何かを得られるからではなく、それが可能だから偉大さを目指したいと思えるものに関与すべきだ。
  • そのような活動に関与すれば、第五水準の指導者への道をかならず歩むようになる。
  • この本の第二章では、第五水準の指導者になる方法はあるのかという問いに対して、この本で論じた他の要因を実行することからはじめるのがいいと示唆した。
  • しかし、どのような状況があれば、他の要因を実行していく動機と規律が得られるのだろうか。
  • おそらくは、自分の仕事がほんとうに好きで、自分の責任が自分個人の三つの円が重なる部分に収まっている場合なのだろう。
  • すべての要因が組み合わされていけば、仕事の面で偉大さへの道を歩んでいけるだけでなく、人生も偉大なものになっていくだろう。
  • 最終的には、意味のある人生をおくることができなければ、偉大な人生にはならない。
  • そして、意味のある仕事をしていなければ、意味のある人生にするのはきわめてむずかしい。
  • 意味のある仕事をしていれば、ほんとうに素晴らしく、社会に寄与できることに関与しているとの認識から、めったにない心の安らぎを得られるかもしれない。
  • どんな満足にも勝る最大の満足すら、得られるかもしれない。
  • この地上ですごす短い時間を有意義なものにしているという満足、そして、重要なことをなし遂げられるという満足である。
  • おわりに──頻繁に受ける質問
  • 調査対象の候補になる飛躍した企業は当初、十一社以上あったのか、あったとすれば、調査対象にしなかったのはどういう企業か調査対象の十一社は、フォーチュン誌のアメリカ大企業五百社に登場した企業のうち、調査対象の基準を満たした企業のすべてである。
  • 十一社は全数であって標本ではない(選別基準については付録一Aを参照)。
  • 選別基準を満たした企業のすべてを調査対象としているので、調査結果の信頼性は高いとみられる。
  • フォーチュン誌のアメリカ大企業五百社に登場した企業のなかに、飛躍にあたって今回の調査結果とは違う方法を使った企業があるのではないかと心配する理由はない(少なくとも、われわれが使った選別基準のもとでは、そう心配する理由はない)。
  • わずか十一社しか選別されなかったのはなぜか主要な理由が三つある。
  • 第一に、傑出した実績をあげた企業を選ぶ際の基準を、きわめて厳しく設定した(十五年間にわたって、株式運用成績が市場平均の三倍を超えていることとした)。
  • 第二に、十五年間にわたる持続性の基準を満たすのは容易ではない。
  • 五年から十年であれば、大ヒット商品やカリスマ的リーダーによって、実績が急上昇している企業が少なくないが、十五年間にわたって傑出した実績を維持できる企業は少ない。
  • 第三に、特異なパターンを描いてきた企業を探した。
  • 傑出した実績を持続する以前に、市場平均並みかそれを下回る時期が続いていた企業を探したのだ。
  • 偉大な企業を見つけ出すのは簡単だが、凡庸から偉大に飛躍した企業ははるかに少ない。
  • この三つの要因を組み合わせれば、わずか十一社しか基準を満たさなかったのも不思議とはいえない。
  • しかし、ここで強調しておきたいが、「わずか十一社」しかなかった事実に落胆するべきではない。
  • どこかに基準を設定しなければならず、われわれは基準をきわめて高く設定した。
  • 基準を若干緩めて、たとえば株式運用成績が市場平均の二・五倍以上、継続期間が十年以上とすれば、基準を満たす企業ははるかに多くなる。
  • 調査を終えた後、この本に紹介した教訓を実践すれば、飛躍への道を歩んでいける組織はきわめて多いと確信するようになった。
  • 問題は、飛躍を達成できる確率がどれだけあるかではない。
  • 間違ったことに時間と資源を無駄遣いしている点こそが問題である。
  • 飛躍した企業がわずか十一社しかなく、比較対象企業をくわえても、わずか二十八社しか調査していないことから、統計的な有意性に問題はないのかこの問いに答えるために、コロラド大学の二人の優秀な教授に応援を求めた。
  • 統計学を教えるジェフリー・T・ラフティグ教授は、この問題を検討し、統計的な問題はないと結論付けた。
  • 「統計的有意性」の概念は、母集団の一部を標本として選んだときだけに適用されると指摘した。
  • 「標本を抽出してはいない。
  • しっかりした目的にしたがって選別し、フォーチュン誌のアメリカ大企業五百社に登場した企業のなかから、基準を満たす十一社を選びだした。
  • この十一社すべてと十七の比較対象企業を比較したのだから、この調査で得られた概念が偶然のものである確率は、事実上ないといえる」と教授は語った。
  • もうひとり、応用数学のウィリアム・P・ブリッグズ教授に調査方法を検討するよう依頼したところ、教授は問題をこう設定した。
  • 調査対象の十一社がいずれも、今回の調査で得られた基本的な特徴を備えている一方、直接比較対象企業がすべてその特徴を備えていないわけだが、これが偶然の結果である確率はどれぐらいあるのかという問題である。
  • このように問題をたてると、確率は一千七百万分の一以下になるという。
  • 要するに、十一社に本書で論じた特徴があらわれていたのがまったくの偶然の結果であった可能性は、ほとんどないといえる。
  • 調査で発見された特徴は、偉大な企業への飛躍に強く関連したものであったと確信できる。
  • 調査対象を株式公開企業に限定したのはなぜなのか株式公開企業には、調査にあたって二つの利点がある。
  • 第一に、実績に関して幅広く同意できる基準があり、したがって調査対象企業を厳密な基準で選択できる。
  • 第二に、容易に入手できる情報が大量にある。
  • 株式非公開企業は公開されている情報が少なく、比較対象企業ではとくにこの点が問題になる。
  • 株式公開企業の良さは、会社の協力がなくても情報を入手できることだ。
  • 会社側が望むと望まないとにかかわらず、大量の情報が公開されている。
  • 調査対象をアメリカ企業に限定したのはなぜか選別を厳密に行える利点が、調査対象企業を国際的なものにする利点より大きいと判断したからだ。
  • アメリカ以外の証券取引所には運用成績をまったく同じ基準で比較できるデータがないので、選別過程の一貫性が保てなくなる。
  • 比較対象企業と比較する方法を使ったので、企業、産業、規模、設立からの年数などの類似による「ノイズ」を排除できたし、調査の対象を地理的に分散するよりも、調査結果が基本的な性格のものだとの確信を強められた。
  • アメリカ企業に限定した調査ではあるが、その結果は、どの国の企業にも有益なものなのではないかとわれわれは感じている。
  • 調査対象のうち何社かはグローバル企業であり、進出先のどの国でもおなじ概念が使われている。
  • また、今回の調査結果の多くは、たとえば第五水準の指導者、弾み車など、文化背景が違う人たちにとってより、アメリカ人にとって学ぶのがむずかしいものだとも考えている。
  • 調査対象にハイテク企業がないのはなぜかハイテク企業の大部分は、設立からの年数が短く、偉大な企業への飛躍を示すまでになっていないことから、対象に入らなかった。
  • この調査の対象になるには、設立から少なくとも三十年を経ていなければならない(十五年にわたる良好な実績と、その後十五年にわたる偉大な実績が必要だ)。
  • ハイテク企業のなかには、設立から三十年以上を経た企業もあるが、良好から偉大への飛躍のパターンを示してきたものはなかった。
  • たとえばインテルは、十五年にわたって実績が凡庸であった時期がなかった。
  • つねに傑出した
  • 実績をあげてきている。
  • 今回の調査を十年から二十年の後に繰り返す機会があれば、ハイテク企業が対象になると予想される。
  • 既存の偉大な企業に、今回の調査結果はどのように適用できるのか今回と前回の調査結果は、偉大な企業になった理由を理解し、今後も正しい動きをとれるようにするのに役立つと考えている。
  • スタンフォード大学経営学大学院でもとくに素晴らしい教授のひとり、ロバート・バーゲルマンから何年も前に、こう教えられた。
  • 「ビジネスでも人生でも、完全な失敗以外でもっとも危険なのは、成功を収めているが、なぜ成功したのかが分かっていない状態だ」飛躍した企業のうち何社かに最近問題があることをどう説明するのかどの企業も、いかに偉大な企業であっても、困難な時期にぶつかる。
  • 永続する偉大な企業のなかにも、一点の傷もない完璧な実績を誇れる企業はひとつもない。
  • どの企業も、浮き沈みを経験してきている。
  • 決定的な点は、困難にぶつからないことではなく、困難にぶつかった後、それをはねかえしてさらに強くなれるかどうかだ。
  • さらに、今回の調査で得られた概念のいずれかを実践しなくなれば、その企業はいずれ凡庸に逆戻りするようになる。
  • 企業の偉大さをもたらしているのは、これら要因のうちどれかひとつではない。
  • すべての要因を組み合わせた全体を、一貫して、長期にわたって維持してきたことだ。
  • この点を示す例が、現在二つある。
  • 現在、懸念される企業のひとつはジレットだ。
  • 十八年にわたって異例なほどの実績をあげており、一九八〇年から九八年までの株式運用成績が市場平均の九倍以上になったが、九九年からは低迷している。
  • 問題の根源は、針鼠の概念の三つの円の内部にしっかりと収まる事業に止まる規律が、若干緩んでいることにあるとみられる。
  • それ以上に懸念されるのは、社外からカリスマ的なCEOを迎えて、社内の改革を進めるべきだと、業界のアナリストが強く主張していることだ。
  • 第四水準の経営者を招聘すれば、ジレットが永続する偉大な企業になる確率は大幅に低下するだろう。
  • もうひとつ、心配なのはニューコアだ。
  • 株式運用成績は一九九四年までの市場平均の十四倍がピークになり、その後、ケン・アイバーソン引退後の経営陣の混乱で、かなり低迷している。
  • アイバーソンが選んだ後継者は短期間しかもたず、経営陣のみにくい内紛によって更迭された。
  • 取締役会での反乱を主導した取締役のひとりは、ノースカロライナ州シャーロットのニューズ&オブザーバー紙(一九九九年六月十一日付けD一面)で、アイバーソンが高齢になるとともに第五水準から後退し、自己中心的な第四水準の特徴を示すようになったと示唆している。
  • 「最盛期には、ケン〔アイバーソン〕は偉大な人物だった。
  • しかし、会社を墓場にまでもっていこうとしている」という。
  • アイバーソンはまったく違った見方をとっており、現在の経営陣が針鼠の概念から離れて事業を多角化したいと望んでいることに問題の根があると主張している。
  • 「アイバーソンは首を振り、ニューコアは事業多角化の道を捨てて、焦点を絞った鉄鋼製品会社になったのではないかと語った」とニューズ&オブザーバー紙は伝えている。
  • 第五水準のリーダーシップが失われたのか、針鼠の概念から離れたのか、その両方なのか、問題の根源がどこにあるにせよ、ニューコアが今後も偉大な企業の位置を維持できるかどうか、いまでは不確かになっている。
  • とはいえ、飛躍した企業の大部分がいまでも強さを増していることを強調しておくべきだろう。
  • 十一社のうち七社は、転換の時点から二十年以上にわたって異例の実績を続けており、十一社でみたこの年数の中央値は二十四年である。
  • どのような基準で考えても、目ざましい実績だといえる。
  • 「偉大」な企業とされているフィリップ・モリスが、タバコを製造販売している事実をどう考えるのかおそらく、フィリップ・モリスほど反感をもたれている企業はないだろう。
  • タバコ会社がほんとうの意味で偉大だといえるにしても(そうはいえないと主張する意見が多いが)、訴訟の脅威が高まりつづけ、社会的な制裁が強化されつづけているので、タバコ会社が永続できるどうかは疑わしいとみられている。
  • だが皮肉なもので、フィリップ・モリスは転換点以降、異例なほど好調な実績を持続してきた期間が三十四年間ともっとも長いし、二つの調査のいずれでも対象になった唯一の企業である。
  • この実績は、習慣性があり粗利益率が高い商品を製造販売していることだけによるものだとはいえない。
  • 同社は直接比較対象企業のR・J・レイノルズをはじめ、他のタバコ会社のすべてを圧倒している。
  • しかし、フィリップ・モリスが生き残っていくには、社会とタバコの関係、タバコ業界に対する社会の見方の厳しい現実にしっかりと対応しなければならない。
  • アメリカ国民のうち、タバコ業界のすべての企業が消費者をあざむく組織的な動きに同じようにくわわってきたと信じる人の比率はかなり高い。
  • 公正かどうかは別にして、たいていの罪は許しても、嘘をつかれたと感じた場合には忘れないし、許さない人が多く、アメリカ人にはこの傾向がとくに強い。
  • タバコ産業について個人的にどういう感情をもっていても(調査チーム内には感情にかなりの幅があり、激烈な議論になったことが何度かあるが)、フィリップ・モリスが二回の調査のいずれでも対象になったために、重要な点を学ぶことができた。
  • 実績を左右するのは、企業がもつ価値観の内容ではなく、内容がなんであれ、価値観に対する確信の深さなのだ。
  • この点は、わたしにとって納得するのがむずかしい点のひとつであったが、データによって完全に裏付けられている(くわしくは、『ビジョナリー・カンパニー』第三章一〇七~一一五ページを参照)。
  • 針鼠の概念を確立し、しかも事業を広範囲に多角化することは可能だろうかわれわれの調査の結果をみると、事業を広範囲に多角化した企業やコングロマリットが偉大な実績を持続することはめったにない。
  • この点で明らかな例外のひとつはGEだが、GEがきわめて異例で微妙な針鼠の概念をもっていて、これによって多数の事業を統一している点から、十分に説明がつく。
  • GEが世界のどの企業よりも秀でている点は何だろうか。
  • 一流の経営幹部を育てる点だ。
  • これがGEの針鼠の概念の核心なのだとわれわれはみている。
  • GEにとって最重要な財務指標は何だろうか。
  • 一流の経営幹部一人当たりの利益だ。
  • このように考えてみればいい。
  • 二つの事業機会があり、どちらも予想される利益が同じだとする。
  • しかし一方は他方とくらべて、同じ利益を稼ぐために必要な一流の経営幹部の数が三倍になると想定する。
  • 一流の経営幹部の数が少なくてすむ事業は針鼠の概念に一致し、もう一方は一致しない。
  • 最後に、GEが何よりも誇りにしている点は何だろうか。
  • 世界のどの企業よりも経営幹部が優秀な点だ。
  • この点にこそ、GEは情熱をもっており、電球やジェット・エンジンやテレビ番組など以上に情熱を燃やしている。
  • GEの針鼠の概念を適切に理解すれば、広範囲な事業に関与しながら、三つの円が重なる部分につねに焦点を合わせることが可能になる。
  • 飛躍にあたって取締役会はどのような役割を果たすのか第一に、取締役会は第五水準の指導者を選ぶ点で、中心的な役割を果たす。
  • 最近、カリスマ的なCEO、とくにロック・スター並みの知名度のある経営者に夢中になる取締役会が増えているが、この傾向は、企業の長期的な健康にとくに大きな打撃を与えかねない。
  • 取締役会は第五水準の指導者の性格を熟知するよう努力し、そのような指導者を責任ある地位につけるべきである。
  • 第二に、取締役会は株式の価値と価格の違いを認識するべきである。
  • 取締役会は短期売買の株式投機家に儲けさせる責任を負う理由はない。
  • 偉大な企業を築いて、長期投資の株式保有者にとっての価値を生み出すことに、エネルギーを振り向けるべきである。
  • 五年から十年に満たない期間で株式について考えていくと、価格と価値を混同することになり、株式の長期保有者に対して無責任になる。
  • 飛躍の道を歩む際に取締役会が果たす役割については、リタ・リカード‐キャンベルの著書『敵対的買収に抗する』(一九九七年)を読むように勧めたい。
  • 著者はコールマン・モックラーの時代にジレットの取締役をつとめており、株式の価格と価値の複雑でむずかしい問題に、責任ある取締役会がどのように取り組んだかを詳しく描いている。
  • もてはやされている若いハイテク企業で、第五水準の経営者が活躍できるのかジョン・モーグリッジをみてほしいと答えたい。
  • モーグリッジは生き残りに必死だったサンフランシスコ地区の小さな企業を、一九九〇年代を代表する傑出したハイテク企業に転換させた。
  • 謙虚で知名度もそう高くない経営者であり、弾み車が回転を速めていくとともに舞台裏に退いていき、次世代の経営者に引き継いでいった。
  • ジョン・モーグリッジの名前は聞いたことがなかった人が多いだろうが、会社の名前は知っているはずだ。
  • シスコ・システムズである。
  • 傑出した人材が不足しているいま、「最初に人を選ぶ」規律をどうすれば実行できるのか第一に、組織の最上層部については、適切な人材が見つかるまで雇用しない規律を絶対に守らなければならない。
  • 偉大な企業への道を歩むとき、最大の損害を及ぼす誤りは、不適切な人を主要なポストにつけることである。
  • 第二に、「適切な人材」の意味を見直し、個人の性格をもっと重視して、専門知識への偏重をあらためていくべきだ。
  • 技術は学べるし、知識は獲得できるが、その組織に適した基本的な性格は学ぶことができない。
  • 第三に、これがカギだが、景気が悪くなった機会を利用して、優秀な人材を雇用すべきであり、雇った後に任せる具体的な仕事が思い浮かばなくてもそうすべきだ。
  • この部分を書く一年前には、人気のハイテク企業やインターネット企業と競い合って最高の人材を引きつけるのはむずかしいと、ほとんどだれもが嘆いていた。
  • いまではバブルがはじけ、何万人もの優秀な人材が失業している。
  • 第五水準の指導者なら、二十年来の好機だとみるはずである。
  • 市場の機会でも技術面の好機でもなく、すぐれた人材を集める好機だ。
  • この好機を活かして、最高の人材を可能なかぎり集め、その後に、その人材で何をするかを考える。
  • 「適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろす」規律を実行に移そうとしても、教育・研究機関や政府機関など、不適切な人をバスから降ろすのがきわめてむずかしい組織の場合、どうすればいいのかおなじ基本的な考え方を適用するが、達成までに時間をかける。
  • たとえばある大学の医学部は一九六〇年代から七〇年代にかけて、飛躍的に充実した機関となった。
  • 教授陣を全員入れ換えたが、それには二十年かかっている。
  • 終身教授を解雇するわけにはいかないが、ポストに空きができるごとに適切な人を雇用し、徐々に雰囲気を変えて、不適切な人が居心地の悪さを感じるようになり、引退するか余所に移るようにした。
  • また、第五章で紹介した評議会の仕組みを使うこともできる。
  • 評議には適切な人だけを集め、不適切な人は無視する。
  • 不適切な人を降ろすことはできなくても、評議会にくわえない方法をとって、事実上、後部座席に集めることは可能だ。
  • 小さなベンチャー企業の起業家の立場で、この本の概念をどう適用すればいいのか直接に利用すればいい。
  • 小企業、ベンチャー企業への適用については、第九章で論じている。
  • CEOではない立場で、これらの概念に基づいて何ができるのかじつにさまざまなことができる。
  • 最高の答えとして、第九章の終わりに、高校のクロス・カントリーのコーチについての逸話を紹介しているので、再読してほしい。
  • どこからどのようにはじめるべきか第一に、この本で紹介した概念のすべてをよく理解する。
  • どれかひとつを実行しても、偉大な組織にはならないことに留意すべきだ。
  • すべての概念を組み合わせて総合的に実践しなければならない。
  • つぎに、「最初に人を選ぶ」から順に、主要な概念をひとつずつ実行していく。
  • その一方で、第五水準の指導者になれるよう、つねに自分を磨いていく。
  • この本では、飛躍した企業にみられるのとおなじ順序で概念を紹介している。
  • 偉大さを目指す旅で、読者が幸運に恵まれるよう祈りたい。
  • 付録一A企業の選別過程
  • 調査チームのピーター・バン・ゲンデレンが中心になって選別基準を設定し、「金融情報分析の死の行進」によって、この基準を満たす企業を探し出した。
  • 企業の選別の基準㈠「良好」な実績の後に転換点があり、その後に「偉大」な実績をあげている。
  • 「偉大」な実績とは、転換点から十五年間にわたって、株式運用成績が市場平均の三・〇〇倍を超えていることと定義した。
  • 「良好」な実績とは、転換点まで十五年間にわたって、株式運用成績が市場平均の一・二五倍を超えていないことと定義した。
  • さらに、転換点から十五年間の株式運用成績が、転換点まで十五年間の株式運用成績の三・〇〇倍を超えていることを基準にした。
  • ㈡偉大な企業への飛躍が、企業に固有のものであり、産業全体に共通したものではない。
  • 言い換えれば、市場平均に対してだけでなく、産業の平均に対しても前記のパターンになっていなければならない。
  • ㈢転換の時点で、社歴のある安定した企業であり、ベンチャー企業ではない。
  • 具体的には、転換の時点で設立から二十五年以上を経過している企業を対象にした。
  • さらに、転換の時点で、株式公開から十年以上を経過し、株価動向のデータが入手できる企業でなければならない。
  • ㈣転換点が一九八五年以前である。
  • 転換の持続性を評価するために、転換点から十五年間にわたる株価データが必要だからである。
  • 一九八五年以降に転換点を迎えた企業のなかにも、飛躍を達成する企業があるだろうが、調査終了の時点では転換点から十五年間の株式運用成績は算出できない。
  • ㈤転換点がいつであっても、選別が終わって調査がつぎの段階に進む時点で、独立して営業を続けている大企業である。
  • 具体的には、一九九六年に発表された一九九五年のフォーチュン誌アメリカ大企業五百社に入っている企業を対象にした。
  • ㈥最後に、選別を行った時点で、実績が向上を続けている企業である。
  • 転換点から十五年経過した時点が一九九六年より前の企業については、転換点から一九九六年までの間、市場平均に対する株式運用成績の比率が、基準一を満たすために必要な十五年間で三・〇〇倍の比率を上回っていなければならない。
  • 段階的に企業を選別段階的に基準を厳しくして企業を絞り込んでいく方法をとった。
  • 分析は四段階に分けて行った(次の図を参照)。
  • 第一段階‐全企業から一千四百三十五社に選別の第一段階として、フォーチュン誌のアメリカ大企業ランキングに登場した企業を、ランキングが開始された一九六五年にさかのぼって選んだ。
  • まず、一九六五年、七五年、八五年、九五年に登場した企業をすべて選んだ。
  • 合計一千四百三十五社あった。
  • このランキングは通常、「フォーチュン誌五百社」と呼ばれているが、同誌は何度かランキングの規模や形式を変更しているため、多い年には一千社が入っている。
  • 分析の対象としてフォーチュン誌のアメリカ大企業ランキングに登場した企業を選ぶことには、二つの大きな利点がある。
  • 第一に、規模が大きい企業だけが入っている(年間の売上高か営業収益を基準に選ばれている)。
  • したがって、ほぼすべての企業が「転換の時点で社歴のある安定した企業」という基準を満たしている。
  • 第二に、フォーチュン誌のアメリカ大企業ランキングに登場するのは株式公開企業だけであり、株価データを用いてもっと厳密な選別と分析を行うことができる。
  • 株式非公開企業は、株式公開企業とおなじ会計基準や情報開示基準を満たす必要がないので、実績を直接に比較分析することができない。
  • 選別の対象をフォーチュン誌のアメリカ大企業ランキングに登場した企業に絞ることには、あきらかに不利な点がひとつある。
  • 調査対象がアメリカ企業に限定される点である。
  • しかし、アメリカの株式公開企業に絞ることで、株式運用成績を直接に比較でき、選別を厳密に行える利点の方が、選別対象を国際的にする利点よりも大きいと判断した。
  • 第二段階‐一千四百三十五社から百二十六社につぎの段階は、シカゴ大学証券価格研究所(CRSP)のデータを使って、飛躍した企業を選びだす作業である。
  • しかしそのためには、作業が膨大になりすぎないように、分析対象企業を絞り込んでおく必要があった。
  • そこで、フォーチュン誌が報じた株式運用成績データを使って、候補企業を絞り込む方法をとった。
  • フォーチュン誌は一九六五年までさかのぼる大企業ランキングで、各社の過去十年間の株式運用成績を算出して掲載している。
  • このデータを用いて、候補企業数を一千四百三十五社から百二十六社に絞り込んだ。
  • 一九八五~九五年、一九七五~九五年、一九六五~九五年の株式運用成績が平均を大きく上回る企業を選んだ。
  • また、株式運用成績が平均を上回る時期の前に、平均以下の時期がある企業を探した。
  • 具体的には、百二十六社は以下の四つの基準のうち、いずれかを満たした企業である。
  • 基準一‐一九八五~九五年の株式運用成績が、フォーチュン誌鉱工業・サービス業ランキング企業の平均株式運用成績を三十パーセント以上上回っており(つまり、運用成績が平均の一・三倍以上であり)、しかも、それ以前の二十年間(一九六五~八五年)の株式運用成績が平均以下である。
  • 基準二‐一九七五~九五年の株式運用成績が、フォーチュン誌鉱工業・サービス業ランキング企業の平均株式運用成績を三十パーセント以上上回っており(つまり、運用成績が平均の一・三倍以上であり)、しかも、それ以前の十年間(一九六五~七五年)の株式運用成績が平均以下である。
  • 基準三‐一九六五~九五年の株式運用成績が、フォーチュン誌鉱工業・サービス業ランキング企業の平均株式運用成績を三十パーセント以上上回っている(つまり、運用成績が平均の一・三倍以上である)。
  • フォーチュン誌は一九六五年まで十年間の株式運用成績を発表していないので、株式運用成績が三十年間でみてすぐれている企業はすべて、次段階の分析の対象にした。
  • 基準四‐一九七〇年以前に設立されており、一九八五~九五年または一九七五~九五年の株式運用成績が、フォーチュン誌鉱工業・サービス業ランキング企業の平均株式運用成績を三十パーセント以上上回っているが(つまり、運用成績が平均の一・三倍以上だが)、それ以前のデータがフォーチュン誌のリストにないために、上記の基準一、基準二を満たせない。
  • この基準によって近年には好調な実績を残しているが、それ以前にはフォーチュン誌のランキングに入っていなかった企業を対象にできる。
  • 一九七〇年を基準にしたため、社歴が短すぎて、飛躍したとはいえない企業を除外できる。
  • 第三段階‐百二十六社から十九社につぎに、シカゴ大学証券価格研究所のデータベースを使って、候補企業それぞれの株式運用成績の市場平均に対する比率を算出し、株式運用成績が飛躍している企業を探した。
  • 第三段階の除外基準のうちいずれかを満たしている企業は、この段階で候補から外した。
  • 第三段階の除外基準以下の基準のうちいずれかを満たす企業は候補から外した除外基準の用語T年──転換点の年。
  • 実績が向上をはじめた年であり、株式運用成績が目に見えて上昇しはじめたことを基準にするX期間──T年までの期間であり、市場平均に対する運用成績の比率が「良好」である期間Y期間──T年の後の期間であり、運用成績が市場平均を大きく上回る期間除外基準一──CRSPデータの対象期間全体にわたって、運用成績が市場平均に対して上昇傾向にある。
  • X期間がない企業除外基準二──運用成績が市場平均に対して横ばいか小幅上昇している。
  • 実績があきらかに飛躍した事実がない企業
  • 除外基準三──転換点はあるが、X期間が10年に満たない。
  • つまり、転換前のデータの期間が短すぎて、基本的な転換があったことを実証できない企業。
  • 転換点までのX期間がもっと長かった可能性もあるが、株式がナスダック、ニューヨーク証券取引所、アメリカン証券取引所のいずれかに上場・公開された時点がX期間にあたっていて、X期間が十分にあったことをデータで実証できない除外基準四──運用成績が市場平均に対してきわめて悪い状態から並みの状態に転換した企業。
  • この基準によって、経営再建に成功し、低落傾向を脱して市場平均並みに戻った企業を除外した除外基準五──転換点が1985年以降である。
  • 1985年以降に転換点を迎えた企業のなかにも、偉大な実績への飛躍を達成する企業があるだろうが、調査終了の時点では転換点から15年間の株式運用成績は算出できない除外基準六──株式運用成績が向上する転換点があるが、向上を持続できない。
  • 当初の上昇の後、選別の時期には市場平均に対して横ばいか下落に戻っている除外基準七──運用成績の変動が大きく、大幅な上昇や大幅な下落を繰り返している。
  • X期間、Y期間、T年がはっきりしない除外基準八──1975年以前のデータがCRSPになく、X期間が10年以上あったことを実証できない除外基準九──転換はみられたが、X期間前に市場平均の20倍を超える目ざましい実績を示した期間があり、良い企業あるいは凡庸な企業が偉大な企業に飛躍したのではなく、偉大な企業が一時的に苦しい時期を経過していたことを示す事実がある。
  • 典型例はウォルト・ディズニーである除外基準十──第三段階の選別の時期に、買収されるか、合併するなどの理由で独立企業の地位を失っている除外基準十一──転換はしているが、運用成績が市場平均の3倍に達しない
  • 第四段階‐十九社から最終的な十一社に選別の目標は偉大さへと飛躍した企業を探し出すことであり、飛躍した産業を探すことではない。
  • ある産業が飛躍した時期にその産業に属していただけの企業は、調査対象にならない。
  • 産業の飛躍によるものを取り除いて、企業の飛躍を選びだすために、第三段階で残った十九社を対象に、CRSPのデータによる分析を繰り返した。
  • 分析の方法は同じだが、比較の対象は市場平均ではなく、産業別の指数にした。
  • それぞれの産業のなかで飛躍した企業だけを、最終的に調査対象として選んだ。
  • 残った十九社のそれぞれについて、当時のS&P業種別指数構成銘柄を調べ、転換の時点(前後五年間)に同じ産業に属していた企業を選んだ。
  • つぎにこれら各社のすべてについて、CRSPの株価データを入手した。
  • 候補企業の事業が複数の産業にわたる場合には、上位二つの産業で検証した。
  • こうして選ばれた同じ産業の企業全体の株式運用成績と、候補企業の株式運用成績を比較した。
  • これによって、産業平均と比較したときに転換のパターンを示していない企業を見つけ出し、調査対象から取り除くことができた。
  • 産業分析によって、八社を除外した。
  • サラ・リー、ハインツ、ハーシー、ケロッグ、CPC、ゼネラル・ミルズは、一九八〇年前後に株式運用成績が市場平均に対して目ざましく飛躍したが、食品産業の平均と比較した場合にはいずれも、株式運用成績が転換したとはいえなかった。
  • コカ・コーラとペプシは、一九六〇年前後と一九八〇年に市場平均に対して劇的な飛躍をみせたが、どちらも飲料産業の平均と比較して転換点になったとはいえなかった。
  • この結果、第一段階から第四段階までの選別過程を通過して、調査対象になった企業は十一社になった(調査対象企業を当初に選別した時点では、サーキット・シティ、ファニーメイ、ウェルズ・ファーゴの三社は転換後の年数が十五年に達していなかった。
  • これら三社についてはその後、転換点から十五年を経過するまで株式運用成績を調査し、十五年間にわたる運用成績が市場平均の三倍以上という基準を満たすかどうかを確認した。
  • 三社ともにこの基準を満たし、調査対象として残された)。
  • 付録一B直接比較対象企業の選別
  • 選別の過程直接比較分析の目的は、「比較実験」にできるかぎり近い分析を行うことにある。
  • 考え方は単純だ。
  • 偉大な実績へと飛躍した企業と、設立からの年数が近く、転換の時点で同じ機会にぶつかり、同じ事業を行い、成功の度合いも似通っていた企業を見つけ出せば、直接比較分析を行って、転換にあたって違いをもたらした要因を探し出せるだろう。
  • 飛躍した企業と同じことができたはずだが、そうできなかった企業を見つけ出し、どこに違いがあったのかを考えるのが目的である。
  • 飛躍した企業のそれぞれについて、比較対象になると思える企業をすべて選び、点数をつける作業を組織的に進めていった。
  • その際には以下の六つの基準を用いた。
  • ・事業の類似‐転換の時点で、製品とサービスが類似している。
  • ・規模の類似‐転換の時点で、規模が類似している。
  • 転換の時点での売上高を用いて、飛躍した企業に対する比較対象候補企業の比率を調べ、点数をつけていった。
  • ・設立時期の類似‐設立された時期が類似している。
  • 設立からの年数を用いて、飛躍した企業に対する比較対象候補企業の比率を調べ、点数をつけていった。
  • ・株価動向の類似‐市場平均に対する株式運用成績の比率の動向が転換点まで類似しており、転換点からは飛躍した企業に大きく遅れをとっている。
  • ・慎重性基準‐転換の時点で、比較対象企業の方が飛躍した企業より成功を収めており、規模が大きく、利益が多く、市場での立場が強く、評価が高かった。
  • これはきわめて重要な基準であり、転換の時点で飛躍した企業より有利な立場にあった企業を選択する。
  • ・表面的妥当性‐二つの要因を検討する。
  • 第一に、選別の時点で類似した事業を行っていること、第二に、選別の時点で飛躍した企業ほどの成功を収めていないことである。
  • 表面的妥当性と慎重性基準は関連している。
  • この二つを組み合わせることで、転換の時点には飛躍した企業より強力だったが、選別の時点には、飛躍した企業より力が劣っている企業を、比較対象企業として選んだ。
  • 以上の六つの基準のそれぞれで、比較対象候補企業に四段階の点数をつけた。
  • 四‐基準をきわめてよく満たしており、問題や留保条件はない。
  • 三‐基準をほぼ満たしている。
  • 若干の問題や留保条件があって、四はつけられない。
  • 二‐基準をあまり満たしていない。
  • 大きな問題か留保条件がある。
  • 一‐基準を満たさない。
  • 付録一C持続できなかった比較対象企業
  • 付録一D調査過程の概要飛躍した11社、直接比較対象の11社、持続できなかった比較対象の6社の合計28社を選別した後、以下の過程をたどって分析を進めた。
  • 資料の収集と分類それぞれの企業について、以下の記事と刊行物を収集した。
  • A設立から現在までのすべての期間にわたって、フォーブス誌、フォーチュン誌、ビジネスウィーク誌、ウォール・ストリート・ジャーナル紙、ネーションズ・ビジネス誌、ニューヨーク・タイムズ紙、USニュース誌、ニュー・リパブリック誌、ハーバード・ビジネス・レビュー誌、エコノミスト誌といった一般紙や経済誌に掲載されたその企業に関する主要記事のすべてと、業界紙や専門誌の主要な記事。
  • B調査対象企業から提供された資料。
  • とくに書籍、記事、経営陣の講演記録、社内文書や年次報告書などの会社文書。
  • C業界、会社、経営者をテーマとする書籍で、会社か外部の論者が執筆したもの。
  • D経営学大学院の事例研究と産業分析。
  • E企業と産業に関する事典や年鑑など。
  • たとえば、『アメリカ経営者伝記事典』『国際企業史事典』『フーバーズ企業ハンドブック』『アメリカ産業発達史』など。
  • F調査対象企業の年次報告書、議決権行使勧誘書類、アナリスト・レポートなど。
  • とくに転換期のもの。
  • つぎに、すべての資料に組織的にコードをつけて、以下のように分類し、設立から現在まで、古い順に整理した。
  • 分類1‐組織。
  • 組織構造、政策と手続き、システム、報酬と報奨、株主構造などの「ハード」項目分類2‐社会的要因。
  • 企業文化、人事方針と人事慣行、規範、儀式、言い伝え、集団力学、経営スタイルなどの「ソフト」項目分類3‐企業戦略と戦略策定過程。
  • 企業戦略の主要な要素、戦略策定の過程、大型の合併・買収分類4‐市場、競合他社、事業環境。
  • 競争環境と外部環境のうち主要な側面。
  • 主な競争相手、競争相手の大きな動き、大規模な市場の変更、国内外の劇的な動き、政府の規制、産業構造、劇的な技術変化など。
  • ウォール街との関係を含む分類5‐リーダーシッブ。
  • 主要な経営幹部、CEO、社長、取締役などの経営陣。
  • 経営陣の交代、リーダーシップのスタイルなどに関する興味深い点分類6‐製品とサービス。
  • 会社の歴史のなかで重要な製品とサービス分類7‐施設と立地。
  • 工場と事務所のレイアウト、新施設など、会社施設に関して重要な点。
  • 主要な施設をどこに置くかに関する重要な決定を含む分類8‐技術の利用。
  • 情報技術、最先端のプロセスと機器、先進的な生産方式などの利用方法分類9‐理念、基本的価値観、目的、BHAG。
  • 確立されているか。
  • 確立されている場合、どのようにして確立されたのか。
  • これらをもっていた時期ともっていない時期があったか。
  • これらがどのような役割を果たしたのか。
  • 過去に強い価値観と目的をもっていた場合、その後も維持されているのか、それとも薄れてきたのか分類10A(直接比較対象企業のみ)‐飛躍した企業の転換期に取り組んだ変革と転換の動き。
  • 飛躍した企業の転換点の前後10年間に、会社を変革し、転換を促すために実施した主な試み分類10B(持続できなかった比較対象企業のみ)‐転換を試みた時期。
  • 転換を試みた時期までの10年間に実施した主要な改革・転換の動きとそれを支える活動分類11(持続できなかった比較対象企業のみ)‐転換後の転落。
  • 転換を試みた時期の後の10年間に、転換の持続を妨げたと思われる主要な要因
  • 財務分析それぞれの企業について広範囲な財務分析を行い、28社について延べ980年、1社平均35年のすべての財務指標を検討した。
  • まず、損益計算書と貸借対照表の数値を収集し、転換点の前後を対象に以下の指標を分析した。
  • 売上高(名目ベースとインフレ率調整後の実質ベース)売上高伸び率利益伸び率粗利益率売上高利益率従業員1人当たり売上高(名目ベースと実質ベース)従業員1人当たり利益(名目ベースと実質ベース)固定資本配当性向売上高販管費比率売上高研究開発費比率売掛金回収日数在庫回転率株主資本利益率負債比率株主資本長期負債比率売上高金利費用比率株価収益率‐最高株価収益率‐最低株価収益率‐平均経営陣のインタビュー転換期に在任していた人を中心に、経営陣と取締役にインタビューを行った。
  • インタビューの記録はすべて文書化し、内容分析結果としてまとめた。
  • インタビューの質問事項●在任期間と役職などの会社との関係を、手短に話していただけますか●転換点の前後10年間に起こったか実行した点のうち、実績の向上をもたらした要因としてとくに重要なものを5点あげてください●実績向上への寄与という観点から、この5つの要因のそれぞれに点数をつけ、点数の合計が百点になるようにしてください●上位2つか3つの要因について、くわしく説明していただけますか。
  • それぞれの要因について典型的な具体例をあげてください●転換点の前後10年間に、会社は大きな変革や転換を開始するとの決定をくだしていますか●意識的な決定をくだしている場合には、転換にいたる主要な決定を最初にくだしたのは、何年ごろですか●意識的な決定をくだしている場合には、方針を大きく転換する決定をくだした背景は何ですか●転換期に主要な決定をくだし、戦略を策定する際に、どのような過程を経ていますか。
  • どのような決定をくだしたかではなく、どのような方法で決定をくだしたかを話してください●主要な決定をくだす際に、外部のコンサルタントや顧問が何らかの役割を果たした場合、どのよう役割を果たしたのか話してください●決定の時点で、つまり結果がでる前に、決定についてどれほどの確信をもっていたか、1点から10点までで点数をつけてください。
  • 10点は素晴らしい決定であり、成功の確率が高いと確信していたこと、1点はリスクが高い決定で、結果は運次第だとみていたことを意味します●6点以上の場合、そこまでの確信をもった理由は何ですか●決定をくだしたとき、従業員の意欲を引き出し、力を結集させるために、どのような方法をとりましたか●その具体例を示してください●転換期に試したが、うまくいかなかった点は何ですか●短期的な業績向上を求めるウォール街からの圧力をどのように管理して、長期的な改革と将来への投資を進めていったのですか●多数の企業が変革のための計画や取り組みを実行していますが、長期的にわたって持続する成果を達成できていません。
  • 〔偉大な実績に飛躍した企業〕の転換でとくに目ざましい点のひとつは、その成果が持続していて、短期的な業績向上ではないことです。
  • これはめったにない偉業だと思います。
  • 〔飛躍した企業〕の違いをもたらした要因は何ですか。
  • 転換の勢いが当初の数年間をはるかに超えて持続しているのは、主にどのような要因があったからですか●われわれは、〔飛躍した企業〕と〔比較対象企業〕を比較する計画です。
  • 〔比較対象企業〕は転換期に同じ産業に属していましたが、大幅で持続的な実績向上を達成できていません。
  • 〔飛躍した企業〕にはどのような違いがあって、転換を達成できたのですか。
  • 同業他社も同じ動きをとれたはずです。
  • 同業他社とどのような違いがあったのですか●〔飛躍した企業〕でのこの飛躍の神髄を示す典型的な例か場面を、ご自身で体験するか見聞きした点のなかからあげていただけますか●インタビューをするよう強く推薦する人をあげてください・転換期かその後の時期の経営陣・社外取締役などの社外の重要人物●以上の質問以外に、是非とも質問してほしいと思われる事項はありますか特別分析いくつもの特別分析を行った。
  • この分析は、偉大な実績への飛躍をもたらした要因をあきらかにするために、飛躍した企業と比較対象企業との間で主要な要因を比較し、可能な場合には数量化することを狙いとしている。
  • 企業買収と部門分離・売却いくつもの特別分析を行った。
  • この分析は、偉大な実績への飛躍をもたらした要因をあきらかにするために、飛躍した企業と比較対象企業との間で主要な要因を比較し、可能な場合には数量化することを狙いとしている。
  • 目的は以下の通り。
  • 1飛躍した企業で、転換前と転換後を比較したとき、企業買収と部門分離・売却にどのような数量的な違いがあるのか2飛躍した企業と直接比較対象企業との間で、企業買収と部門分離・売却にどのような違いがあるのか3飛躍した企業と持続できなかった比較対象企業との間で、企業買収と部門分離・売却にどのような違いがあるのかこの分析のために、各社について年ごとに以下のデータベースを作った。
  • 1買収した企業と財務指標2買収件数3実施した買収の総額4分離・売却した部門とその財務指標
  • 5部門分離・売却件数6実施した部門分離・売却の総額以上のデータを用いて、以下の8つの分析を行った。
  • 1飛躍した企業──転換前と転換後2飛躍した企業と比較対象企業──転換前と転換後3持続できなかった比較対象企業──転換前10年間と転換後10年間4転換前10年間と転換後10年間の比較の要約──飛躍した企業、直接比較対象企業、持続できなかった比較対象企業5飛躍した企業──転換点から現在まで6飛躍した企業と比較対象企業──転換点から1998年まで7持続できなかった比較対象企業──転換点から1998年まで、飛躍した企業の転換から1998年までと同じ分析を行う8転換点から1998年までの分析の要約──飛躍した企業、直接比較対象企業、持続できなかった比較対象企業この分析ではさらに、企業買収と部門分離・売却の質的な側面を取り上げ、以下の点を検討している。
  • 1全体的な買収戦略2買収後の統合の全体的な戦略3大型買収の成功と失敗4全体的な買収戦略の成功と失敗産業動向分析飛躍した企業の実績と産業の実績を比較した。
  • この分析の目的は、転換の時点で、飛躍した企業がきわめて魅力的な産業に属していたかどうかを判断することにある。
  • 企業と産業の実績を数量的に比較するスプレッドシートを作成し、両者の関係を調査した。
  • 飛躍した企業のそれぞれについて、各々が属する産業とその他の産業とを、転換点から1995年までを対象に比較した。
  • 産業分類は『S&Pアナリスツ・ハンドブック』のものを用いた。
  • 分析の手順は以下の通り。
  • 1飛躍した企業のそれぞれについて、転換点から1995年まで、『S&Pアナリスツ・ハンドブック』に掲載された全産業のリストを作る2それぞれの産業について、転換点から1995年までのそれぞれの年の運用成績を調べ、転換点から1995年までの期間の運用成績を算出する3この期間の運用成績の順に、各産業に順位をつける経営陣回転分析調査対象各社について、決定的な時期に経営陣がどれほど交代したかを調べた。
  • ムーディーズの『会社情報レポート』を使って、経営陣の回転率を、飛躍した企業と比較対象企業との間で比較した。
  • 以下の比較を行った。
  • ・転換前10年間の平均離職率・転換後10年間の平均離職率・転換前10年間の平均就任率・転換後10年間の平均就任率・転換前10年間の平均回転率・転換後10年間の平均回転率・1998年までの期間を対象にした同じ分析この分析の目的は以下の通り。
  • 1飛躍した企業の転換前と転換後の間に、経営陣の回転と継続に数量的な違いがあるか2飛躍した企業と直接比較対象企業の間に、経営陣の回転と継続に数量的な違いがあるか3飛躍した企業と持続できなかった比較対象企業の間に、経営陣の回転と継続に数量的な違いがあるかCEO分析合計56人のCEOを対象とした。
  • 飛躍した企業、直接比較対象企業、持続できなかった比較対象企業の3種類の企業について、転換期のCEOを対象に以下の定性分析を行った。
  • 1経営スタイル2経営者としての個性3生活のスタイル
  • 4CEOの立場で優先事項にしていた上位五項目また、飛躍した企業、直接比較対象企業、持続できなかった比較対象企業のそれぞれについて、CEOの経歴と就任期間を調査した。
  • 転換の10年前から1997年までのCEOを対象に、以下の点を調べた。
  • 1外部から招聘され、ただちにCEOに就任したのか(つまり、CEOとして雇用されたのか)2CEOになるまでの勤続年数3CEOに就任したときの年齢4CEOに就任した年と退任した年5CEOの在任期間6CEOになる直前の地位7CEOに選ばれたときに重視された要因8学歴(とくに法律、経営などの分野と学位)9入社前の職歴とその他の経歴(軍隊など)経営陣の報酬調査対象企業全体にわたって、経営者の報酬を分析した。
  • 調査対象の28社のそれぞれについて、転換点の10年前から1998年までのデータを集め、広範囲な分析を行った。
  • 1役員と取締役の俸給とボーナスの合計(転換年の株主資本に対する比率)2CEOの現金報酬総額(転換年の株主資本に対する比率)3CEOの俸給とボーナスの合計(転換年の株主資本に対する比率)4CEOの俸給とボーナスの合計と、経営陣上位5人の俸給とボーナスの合計の平均との差(転換の年と転換後10年の株主資本に対する比率)5その他の役員と取締役の俸給とボーナスの合計の平均(転換年の株主資本に対する比率)6役員と取締役の俸給とボーナスの合計(転換年)7役員と取締役の俸給とボーナスの合計(転換年の売上高に対する比率)8役員と取締役の俸給とボーナスの合計(転換年の総資産に対する比率)9上位4人の役員と取締役の現金報酬(転換年の株主資本に対する比率)10上位4人の役員と取締役の俸給とボーナスの合計(転換年の株主資本に対する比率)11役員と取締役の俸給とボーナスの合計の平均(転換年)12CEOの俸給とボーナスの合計(転換年の純利益に対する比率)13CEOの俸給とボーナスの合計と、経営陣上位4人の俸給とボーナスの合計の平均との差14CEOの俸給とボーナスの合計と、経営陣上位4人の俸給とボーナスの合計の平均との差(売上高に対する比率)15CEOの俸給とボーナスの合計と、経営陣上位4人の俸給とボーナスの合計の平均との差(純利益に対する比率)16役員と取締役の俸給とボーナスの合計の平均(転換年の売上高に対する比率)17役員と取締役の俸給とボーナスの合計の平均(転換年の純利益に対する比率)18役員と取締役の俸給とボーナスの合計(転換年の純利益に対する比率)19CEOの現金報酬(転換年の純利益に対する比率)20CEOのストック・オプションの価値(転換年の株主資本に対する比率)21経営陣上位4人のストック・オプションの価値(転換年の売上高に対する比率)22経営陣上位4人のストック・オプションの価値(転換年の総資産に対する比率)23経営陣上位4人のストック・オプションの価値(転換年の株主資本に対する比率)24CEOの俸給とボーナスの合計(転換後10年の売上高に対する比率)25経営陣上位4人の俸給とボーナスの合計(転換後10年の売上高に対する比率)分析の目的は以下の通り。
  • 1飛躍した企業で、転換前と転換後に経営陣の報酬に数量的な違いがあったのか2飛躍した企業と直接比較対象企業との間に、経営陣の報酬にどのような違いがあるのか3飛躍した企業と持続できなかった比較対象企業との間に、経営陣の報酬にどのような違いがあるのかレイオフの役割飛躍した企業、直接比較対象企業、持続できなかった比較対象企業のそれぞれについて、業績向上を狙った意識的で重要な戦術として、レイオフがどのように使われているかを分析した。
  • 以下の点を調査した。
  • 1年ごとの従業員数、転換点の10年前から1998年まで2業績向上を狙った重要な戦術として使われたレイオフ、転換点の前後10年間3レイオフが実施されていた場合、その総数と従業員数に対する比率株主分析
  • 飛躍した企業と直接比較対象企業の間に、株主構成に顕著な違いがあるかどうかを調べた。
  • 以下の点を分析した。
  • 1大株主2取締役の持ち株比率3経営陣の持ち株比率マスコミ報道分析飛躍した企業、直接比較対象企業、持続できなかった比較対象企業のそれぞれについて、マスコミ報道の程度を調べた。
  • 転換点の前後10年間を対象に、以下の点を調査した。
  • 1転換前10年間と転換後10年間、その合計の記事数2転換前10年間と転換後10年間、その合計の特集記事数3転換前10年間と転換後10年間、その合計の記事のうち、「転換」「回復」「再建」「変身」を取り上げたものの数4転換前10年間と転換後10年間、その合計の記事のうち、「きわめて高い評価」「中立的」(若干高い評価から若干低い評価まで)「きわめて低い評価」の数技術分析技術の役割について、主に経営陣のインタビューと資料から、以下の点を調査した。
  • 1技術の先駆的応用2技術採用の時期3技術の選択と利用の基準4比較対象企業の経営悪化で技術が果たした役割比較分析の枠組み最後に、以上の分析にくわえて、調査の過程でいくつもの比較分析の枠組みに基づく調査を行った。
  • 以上の分析ほど詳細にわたるものではないが、すべて収集した事実から直接に導き出したものである。
  • 調査には以下がある。
  • 大胆な動きの利用企業の動きのうち進化と革命エリート主義と平等主義かつて偉大だった企業の没落をもたらした要因3つの円の分析と基本的価値観・目的との適合突破段階に入るまでの準備期間の長さ針鼠の概念の獲得時期と転換点中核事業と針鼠の概念の比較後継分析と後継者の成功率かつて偉大だった比較対象企業の没落をもたらしたリーダーシップ
  • 付録二ACEOの社内昇進と社外からの招聘以下の表は、調査対象各社のCEOについて、社内からの昇進と社外からの招聘の人数を調べたものである。
  • 飛躍した企業では、転換点の十年前から一九九八年までのCEO全員を対象にした。
  • 直接比較対象企業では、それぞれに対応する飛躍した企業の転換点を用いて、同じ分析を行った。
  • 持続できなかった比較対象企業では、持続できなかった転換点の十年前から一九九八年までを対象期間にした。
  • 入社してから一年未満で就任したCEOは外部からの招聘と見なした。
  • 付録五A産業の順位飛躍した企業が属する産業とその他の産業とを、転換点から一九九五年までを対象に比較した。
  • 産業分類は『S&Pアナリスツ・ハンドブック』のものを用いた。
  • 分析の手順は以下の通り。
  • ㈠飛躍した企業のそれぞれについて、転換点から一九九五年まで、『S&Pアナリスツ・ハンドブック』に掲載された全産業のリストを作る。
  • ㈡それぞれの産業について、転換点から一九九五年までの各年の運用成績を調べ、転換点から一九九五年までの期間の運用成績を算出する。
  • ㈢この期間の運用成績の順に、各産業に順位をつける。
  • 以下の表をみると、偉大な企業に飛躍するには上位の産業に属していなければならないわけではないことが分かる。
  • 付録八A比較対象企業の悪循環直接比較対象企業A&P戦略をつぎつぎに取り替え、問題を一気に解決できる策をつねに求めた。
  • 従業員の士気を高める催しを開き、さまざまな計画に取り組み、流行の経営理論に飛びつき、CEOを更迭し、新CEOを雇い、またしても更迭した。
  • 長期低落期の記事には、「変革へのファンファーレ」「巨人の覚醒」「A&Pの経営刷新」「大きな期待」などの見出しが踊った。
  • こうした期待はすべて裏切られた(1)。
  • アドレソグラフ中核事業が低落をはじめたとき、天が落ちてくると騒いだチキン・リトルのようにパニックに陥った。
  • ドン・キホーテのような「全社的再活性化」を目指して、OA市場に参入し、IBM、ゼロックス、コダックに戦いを挑んだ。
  • これが失敗すると、新CEOが「戦略転換」をはかりOA市場から撤退。
  • だが、「脳外科医が手術中に手術室を飛び出すように」一年もたたない時期に辞任した。
  • つぎのCEOはふたたび「百八十度の転換」をはかろうとオフセット印刷企業を買収したが失敗に終わり、特別損失を計上した。
  • 一九八四年まで六年間にCEOが三回交代。
  • 後に事実上の倒産を二回繰り返した(2)。
  • バンク・オブ・アメリカ規制緩和に対応しようとあせり、経営の革命をはかる。
  • ATMと情報技術で後れを取り、後に挽回のために巨額を投資。
  • カリフォルニア州で後れを取り、後に緊急計画で挽回をはかる。
  • 「毛沢東主席の文化大革命の企業版」を目指して企業変革のコンサルタントを雇用し、「企業集団療法」と「愛社精神発揚運動」を試みる。
  • チャールズ・シュワブを買収したが、企業文化の違いで後に売却。
  • セキュリティ・パシフィックを買収して、ウェルズ・ファーゴのクロッカー統合を真似ようとしたが、失敗し、十億ドルを超える特別損失を計上(3)。
  • ベスレヘム・スチール事業多角化をはかり、鉄鋼に絞り込み、ふたたび多角化に乗り出し、鉄鋼に戻って、右往左往を繰り返す。
  • 技術と設備更新で後れを取り、緊急計画で挽回をはかる。
  • 経営陣と労組が反目と反発を繰り返す。
  • その間に外国企業とニューコアに下から市場シェアを奪われていった(4)。
  • エッカード針鼠の概念を欠いたまま、成長のために本業と関連性のない買収を行って悪循環に陥る。
  • 製菓会社、デパート・チェーン、警備保障会社、食品サービス会社を買収。
  • 最大の失敗はアメリカン・ホーム・ビデオ買収であり、三千百万ドルの損失を計上し、簿価を七千二百万ドル下回る価格でタンディに売却。
  • その打撃から立ち直れず、LBOの後、J・C・ペニーに売却された(5)。
  • グレート・ウェスタン・フィナンシャル経営方針に一貫性を欠く。
  • 銀行事業と多角化事業の間を揺れ動く。
  • 保険会社を買収し、後に売却。
  • リースと移動住宅に進出し、後に金融と銀行に戻る。
  • 「当社を何と呼んでもかまわない。
  • 銀行でもいいし、貯蓄貸付組合でもいいし、縞馬でもいい」。
  • CEOのビジョンによって統一を保っていたが、引退後は事業が不格好で統一を欠くために低迷。
  • リストラで業績建て直しをはかったが、ワシントン・ミューチュアルに買収された(6)。
  • R・J・レイノルズ市場シェアが低下し、反タバコ勢力からの攻撃も受けるようになって、シー・ランドなどの無分別な買収を行い、二十億ドル以上をつぎ込んで成功させようとしたが(その間、タバコ工場が投資不足で混乱したが)、五年後に売却。
  • CEOが変わるごとに戦略を変更した。
  • 後にフィリップ・モリスに第一位の座を奪われた後、すぐれた企業を築くことではなく、何よりも経営陣が金持ちになることを狙ったLBOを押し進めた(7)。
  • スコット・ペーパー中核事業でプロクター&ギャンブルとキンバリー・クラークとの競争に直面して、事業多角化に逃げ道を求めた。
  • CEOが変わるたびに新たな道、新たな方向、新たなビジョンを掲げた。
  • 一九八〇年代後半には派手な宣伝とともに抜本的な変革を開始したが、世界一になれるものは何かという問いに答えることがなかった。
  • リストラを繰り返すようになり、チェーンソー・アルと呼ばれるアル・ダンロップを招聘。
  • 従業員の四十一パーセントを一気に削減し、会社を売却した(8)。
  • サイロシドニー・クーパーの死後に戦略の空白が生まれた。
  • 次世代の経営陣は成長のための成長を追求。
  • サーキット・シティが地域ごとに進出する方針をとり、物流センターを設けて周囲のすべての町に店舗を築いていったのに対して、サイロはこの都市に一店舗、あの都市に一店舗と無計画に出店し、店舗網がまったく無秩序な寄せ集めになって、地域ごとの数量効果を生み出せなかった。
  • 店舗の概念やレイアウトでも一貫性をもたせていない。
  • サイロはサイクロップスに買収され、サイクロップスがディクソンズに買収され
  • た。
  • 経営陣は新たな親会社によって解雇された(9)。
  • アップジョン「いまほど将来が明るくなったことはない」と主張して、新製品の将来性を売り込もうとしたが、そのたびに業績が期待を裏切る。
  • 株価は変動性が大きく、思惑によって動くようになり、上昇と下落を繰り返した。
  • 期待をあおるだけで、実績が伴わなかったからだ。
  • 後に、ラスベガスで賭でもするように、養毛剤のロゲインなどの一発狙いの製品に巨額を投資。
  • ハルシオンなどの欠陥製品問題が頻発し、業績の振れがさらに大きくなった。
  • 最後にはリストラ病が深刻になり、ファーマシアに買収された(10)。
  • ワーナー・ランバート消費者向け製品から医薬品に事業の焦点を移し、逆に医薬品に注力し、両者を同時に追求し、一方に戻り、両者に戻り、また一方に戻り、つぎに逆の方に戻って、前進と後退を繰り返した。
  • CEOが代わるたびに新たなビジョン、新たなリストラで前任者が作りだした勢いを止め、弾み車を逆方向に回そうとした。
  • 大胆な買収で突破の勢いをつけようと試みたが、失敗に終わって数億ドルの損失を計上。
  • 長年にわたって方針が揺れ動いた後、ファイザーに買収されて独立を失った(11)。
  • 持続できなかった比較対象企業バローズ実績が上昇した時期には、優秀だが他人を苛立たせるCEOが徹底したリストラを実施。
  • コスト削減で従業員の士気が低下し、優秀な人材を失った。
  • 弱い後継者を指名。
  • 業績悪化で更迭された後に登場した新CEOは「優秀で自信家、極端に攻撃的」で、新たな方向を目指し、旧経営陣を非難した。
  • 大がかりなリストラにより、一気に四百人の幹部を解雇。
  • 新たな方針を宣伝するポスターが社内の壁に貼られた。
  • ふたたびリストラに取り組む。
  • つぎのCEOがまたリストラを実施し、新たな方向を打ち出す。
  • 業績はさらに悪化し、またCEOが交代した(12)。
  • クライスラー五年にわたって目ざましい業績をあげた後、経営危機に逆戻りした。
  • 「心臓病患者によくみられるように、数年前の手術で生き延びたのに、またも健康に悪い生活習慣に戻ってしまった」と同社経営幹部が書いている。
  • イタリアのスポーツカー、ビジネス用ジェット機、防衛といった事業に注意を分散させた。
  • 一九九〇年代に二回目の経営再建で復活したが、結局、ダイムラー・ベンツに買収された(13)。
  • ハリス実績の上昇をもたらしたCEOは針鼠の概念を獲得し、弾み車効果を生み出しはじめていた。
  • だが、この概念を経営陣に浸透させなかった。
  • このCEOの引退後、経営陣は針鼠の概念に代えて、成長のための成長を目指した。
  • OA市場に参入したが悲惨な結果になり、本業と関連性のない買収をつぎつぎに行った。
  • 期待をあおるだけで、実績が伴わない状況に陥り、弾み車の回転は止まった(14)。
  • ハスブロ偉大な企業への飛躍にあと一歩まで近づいた。
  • G・I・ジョーなどの定番の玩具を復活させる針鼠の概念を一貫して追求し、目ざましい実績をあげた。
  • ところが、この転換を組み立てた指導者が若くして死亡。
  • 後継者は第五水準の指導者ではなく、第三水準の有能な管理者に近かった。
  • 弾み車の回転は遅くなった。
  • CEOはリストラに頼って業績回復をはかり、やがて社外から経営者を招聘して勢いの回復をはかるようになった(15)。
  • ラバーメイド準備段階を飛び越えて突破段階に入った事例があるとすれば、ラバーメイドがそれだ。
  • 転換を率いたCEOは「会社の完全な再構築、きわめて劇的で悪夢のような動き」をはじめた。
  • 成長が最優先され、弾み車の長期的な勢いを犠牲にしても成長がはかられた。
  • CEOが引退すると、弾み車をひとりで押していて、しっかりした針鼠の概念に導かれた強力なチームが形成されていなかったことがあきらかになった。
  • 弾み車の回転は遅くなり、リストラの病に陥って、将来性を売り込むばかりで実績を示すことができなかった。
  • フォーチュン誌の「もっとも尊敬されている企業」で第一位に選ばれてからわずか五年で、ニューエルに買収された(16)。
  • テレダイン「スフィンクス」と呼ばれた天才的経営者、ヘンリー・シングルトンとともに勃興し、没落した。
  • 同社の針鼠の概念は要するに、「シングルトンの頭脳に頼れ」であった。
  • 電子から希金属まで百を超える企業買収を行った。
  • 問題が起こったのは、シングルトンが引退し、その頭脳に頼れなくなったときだ。
  • 業績が低落傾向をたどり、アレゲニーに買収された(17)。
  • 付録八B買収分析の要約
  • 解説一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授野中郁次郎『ビジョナリーカンパニー2飛躍の法則』(GoodtoGreat)は、一九九四年に出版され経営書としてベストセラーになった『ビジョナリー・カンパニー』(BuilttoLast)の著者であるジム・コリンズが、六年の歳月をかけて「良い企業」と「偉大な企業」の違いを調べ上げ、そこから得られた知見を偉大な企業の法則としてまとめたものである。
  • 本書の出発点は、あるコンサルタントに「ビジョナリー・カンパニーは素晴らしい本だが役にたたない」と批判されたことに始まる。
  • ビジョナリー・カンパニーと評価された企業は、いずれも偉大な創業者によって創りあげられたもともとグレートな会社なので、グレートに飛躍できない企業の手本にはならない。
  • このような指摘から、本書の基底にある「どうすれば、グッド・カンパニーはグレート・カンパニーになれるのか」という新たな問いが生まれた。
  • 本書で取り上げられたグレート・カンパニーは十一社。
  • われわれ日本人には馴染みのない企業が少なからず含まれている。
  • コリンズらは、グレート・カンパニーの選定に際し、過去三十五年に遡って膨大な資料を集め、さらにこれらの企業に共通する要素を競合する企業との比較を通して丁寧に分析している。
  • 厳しい選別基準に対する批判を考慮にいれても、このことが本書の内容に厚みを与え、読者に納得を促すだけの根拠となっている。
  • まず、彼らが最初に指摘するのは、「第五水準のリーダーシップ」と呼ぶ、優れた経営幹部の存在である。
  • グレート・カンパニーのリーダーたちは、強烈な個性の下で指導力を発揮し大胆な経営手法を駆使するジャック・ウェルチ型の経営者ではなく、むしろ控えめで物静かで謙虚でさえあった。
  • しかし、逆説的ではあるが、彼らには自社を偉大な企業にするために真理を追究し続けるという職業人としての強い意思とそれを愚直にやりぬく粘り強さがあった。
  • 彼らは、異なる意見に耳を傾け、従業員とじっくり対話し、リアリティの持つ多面性を総合化していった。
  • コリンズたちは、このようなリーダーたちのことを「パットン将軍やカエサルというよりもリンカーンやソクラテスに似ている」と描写している。
  • グッド・カンパニーからグレート・カンパニーに飛躍した企業では、例外なく転換期にこの種の指導者が指揮をとっていたという。
  • 第五水準のリーダーたちが行った経営の本質は、「適切な人材」の選別、確信と現実直視、世界一戦略、「規律の文化」の醸成に集約される。
  • 第五水準のリーダーたちは、まず適切な人材として規律ある人々を慎重に選り抜き、その後で目標を立てた。
  • 規律ある人々で構成される組織は、外部環境の変化に適応しやすく、従業員の動機づけや管理の問題からも解放される。
  • 彼らの戦略は「どんな困難にぶつかっても最後には必ず世界一になれるのだという確信をもつと同時に、自分がおかれている現実を直視する」ということと、「規律ある人々との徹底的な対話を通じて自分たちが世界一になれる分野となれない分野を見極め、なれる分野にエネルギーと情熱を傾注する」という2つの原則を軸に構成されている。
  • そして同時に、事業の原動力として最も重要な数値をわかりやすく指標化し、それを基に事業展開する体制を作り上げている。
  • 規律ある適切な人材がいなければ、偉大なビジョンがあっても意味がない。
  • 未来を信じると同時に現実を直視し、自らの強みと弱みを熟知した上で、単純で実行可能な戦略を地道に行動に移す。
  • そのことを、第五水準のリーダーたちは着実に実践した。
  • さらに、コリンズらは、グレート・カンパニーの特質として規律の文化を強調している。
  • どの企業にも文化や規律はあるが、規律を文化の域まで高めている企業は多くない。
  • 規律ある考えが浸透していれば、事細かな決めごとは必要なくなり官僚制組織は不要になる。
  • また、規律ある行動が常にとられていれば過剰な管理も不要になる。
  • 規律の文化と起業家精神を併せ持つことが、偉大な業績の原動力となるのである。
  • 彼らのいう規律の文化とは、規律ある人材、規律ある思考、規律ある行動のことを指しているが、私には「規律の文化」とは「型」であるように思われる。
  • 日本には古くから理想の行動プログラムとしての「型」があった。
  • 型は人を枠にはめるが、すぐれた型を体得すれば、動きに無駄がなくなり自由が保証される。
  • さらに「型」は獲得するだけで終わりではない。
  • 「型」には不断のフィードバックを通じて革新しつづける「修・破・離」という自己超越プロセスが組み込まれている。
  • このような意味で、グレート・カンパニーに飛躍した企業では優れた「型」が共有されていたということには納得がいく。
  • コリンズは、アメリカのインターネット・バブルに対し「企業や経営者にとってカネ(利益)は目標ではなく結果であるという原点が少なからず揺らいでいる」といち早く警鐘を鳴らした。
  • 彼が指摘するように、偉大な企業を創業した経営者はカネ以外の社会的な使命感によって経営を行い、その結果資産を得たのでありその逆ではなかった。
  • アメリカ型の経営というと、われわれは、全てを分析的に捉え「競争に勝つ」という相対価値を飽くことなく追求する経営スタイルを連想しがちであるが、グレート・カンパニーになった企業の指導者たちからは、一貫して「社会に対する使命」という絶対価値を追求する強い意志力が伝わってくる。
  • 日本企業の原点も、本来は絶対価値の追求というところにあったのではなかろうか。
  • ここで取り上げられたグレート・カンパニーの事例は、グローバルに通用する企業の本質を示唆していると同時に、われわれにアメリカ企業の懐の深さを改めて認識させてくれる。
  • 「使命感」、「気概」、「情熱」といった言葉が死語となりつつある時代にあって、本書はわれわれの進むべき道を考え直すよい機会を与えてくれたように思われる。
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