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目標管理①!うまくいかないチェック

「6・1うまくいかないチェック」と題されたテキストは、目標管理と上司によるチェックについての著者の見解を示しています。このテキストの要点をまとめると、以下のようになります。

この記事では、目標管理を行う企業でのチェックに焦点を当て、その重要性を強調しています。多くの企業では、チェックが忙しさのために怠られがちで、結局目標が達成されないまま終わってしまうと指摘しています。

目標達成のためには徹底的なチェックが必要であるというものです。

ただし、チェックは単なる干渉ではなく、包括的な管理を通じて行われるべきであり、個々の成員に対して高い目標を課すことで、真の満足感と成長を促すべきだと主張しています。

著者は、企業を戦争と見なし、生き残るためには達成困難な目標を設定し、その達成に向けた努力とチェックが必要であると考えています。

自己統制に頼るだけでは不十分であり、上司のチェックを通じて目標達成をサポートするべきだと主張しています。

最後に、効果的なチェックの方法についての考察が行われており、単なる口出しではなく、バランスの取れたチェックが必要であると指摘しています。

このテキストは、目標管理とチェックの重要性について深く考えさせられる内容となっています。

目次

うまくいかないチェック

筆者は、目標管理を実施しているという会社では、必ずつぎの質問をしてみることにしている。それは、「チェックはどうしていますか」ということである。

そして、その返答は大部分の会社で申し合わせたように、「それが、忙しいものですから、つい……」というような返答である。

結局は目標の出しっぱなしなのである。

目標管理では、目標達成のためのやり方は問わない。どういうやり方でもよい、要は目標を達成することである。

だから、なるべく大幅に権限を任せて、自由に活動させ、創意を発揮させるべきである、という思想であり、この点筆者もまったく同感である。

仕事のやり方について、上からあれこれいうのは干渉である。間違っているのは、これからのちである。

つまり、自由に活動させるのだから、上司は包括的な管理をすればよいというのだ。包括的な管理とは、具体的にどのようなものであるかは教えてくれない。「まとめて包みこむような」管理では、なんのことかさっぱりわからない。

そして、その結果については、各人自ら評価と反省を行い(これが目標管理の特色なのだそうだ)、しかるのちに、その反省に対して上司との話合いがもたれ、つぎのよりよい目標設定のための動機づけを行うということである。

まさに、間然するところのない人間関係論である。なんという、春風駘蕩たる、平和と調和の世界であろうか。

その春風駘蕩の世界で、人間はナマクラになり、いかに実績が上がっていないか、先生がたはご存じないのである。

先生がたのいう人間関係は、人間の満足感をいかにして与えるか、そして満足感を与えれば、それで仕事の実績が上がると思いこんでいるところに、根本的な間違いがある。

人間という動物は、満足感を得た瞬間から努力しなくなるという、やっかいな習性をもっているのだ。

満足感はかえって安易感を生み、無意識のうちに仕事の質と量は落ちてゆくのだ。満足感の中ですぐれた業績をあげられる人間など、いるものではない。

これがわからないかぎり、人間関係論者は、本当の人間関係について考えてみようとはしないであろう。ここで、満足感について考えてみたい。

快適な環境のもとで、上司の細かな心づかいの中で、自分の能力に合った仕事をすることによって得られる満足感が本当の満足なのであろうか。

それとも、自分にはムリと思われるような高い目標と重い責任を負わされて、上司からつき放され、血の出るような苦労の末にその目標を達成したときの満足感が、本当の満足

感なのであろうか。

人間は、血の出るような苦労の末にかち取った結果にこそ真の満足感と幸福感を覚えるものなのだ。

人間関係論者が、本当に人間を尊重し、満足感を与えたいのならば、その人間に困難な任務を与えて、ギューギューしごきぬくべきである。

その過程で人間は鍛えられ、かち取った結果にかぎりない満足感を覚え、自分の能力に自信をもち、つぎのより高い、より困難な目標に挑戦する勇気と意欲がわくのではないだろうか。

平和と調和の世界からは、人間を本当に動機づけするものは得られないのである。

「目標は、各人の意志にしたがった自己統制による」といってみても、いささか理想論にすぎる。

人びとは、それぞれの仕事をもっていて忙しい。

目標を設定しても、それが自己統制ということで、上司からのチェックがなければ、しゃにむに目標を達成しようと努力するような、すぐれた人はあまりない。

普通の人間は、そのような殊勝な心がけには、なかなかなれないものなのだ。目標よりも日常の仕事のほうが優先してしまうのが、むしろ自然だ。

ときどき、上司によって報告会が開かれなければならないといってみても、上司も忙しい。報告会など開かなくとも、毎日の仕事に支障はない。

つい報告会が二のつぎになってしまう。これが、チェックがなかなか行われないという理由なのだ。そして、半年か一年後に反省するといっても、もう熱がさめてしまう。

目標が達成されなくとも、理由をいえば反省になるなら、何も苦労して目標達成に努力することもない。そんなことをしなくとも、毎日の仕事が目標達成につながっていることも事実なのだ、という理由がつけられる。

これではチェックが行われるわけがない。

一年後でも、上司のチェックがあればよいほうで、おおかたの会社ではチェックも行われずに尻切れトンボで、名前だけ残るようになってしまうのである。

このような現実を無視して、個々の成員のセルフ・コントロールに期待し、自ら評価と反省を行うというような、観念論で美化してみても、それができるのは、ごく一部の優秀な人材であって、大部分の凡人については、しょせん絵に画いたモチなのだ。

そして、管理論というものは、ごく一部の人材のためのものではなくて、大多数の凡人に適用できるものでなければならないのである。

企業は戦争なのだ。食うか食われるかの血みどろの戦なのである。その戦に何がなんでも勝ち残ることこそ至上命令なのである。

生き残る条件としての目標は、なみたいていの努力で達成できるものではない。その目標達成を、各人のセルフ・コントロールに任せておけばよいというような考え方は、上司の怠慢であり、自分から目標達成を放棄することなのである。

やり方は任せるのだから、上司が口を出すのは干渉になる。だから、やたらと口を出してはいけない。筆者も、まったく同感である。

各人は、自己統制を行いながら目標達成に努力する。まことにそのとおりである。

しかし、だからといって、まず本人の反省が大切であり、上司のチェックはその後で行うという目標管理の指導理念は、正しいということにはならない。

いや、筆者にいわせたら、まったくの間違いである。その間違いは、目標管理の思想そのものにある。

つまり、目標は各人の能力に合った、実現可能なものでなければならない、という思想である。目標を設定する時点で、すでに実現可能な見通しがあるのだから、実現はほとんど間違いないのだ。

だから、まず自己評価し、その後で上司が評価すればいいといえるのだ。

このような、「会社は絶対につぶれない」という前提条件がなければ成り立たない理論は、われわれには不要どころか、害になるだけである。

それでは、上司によってどのようにチェックをするのか、やたらにチェックをしたり、思いつきでチェックをするのでは、任せたことにならないし、だいいち、上司はわずらわしくて自分の仕事ができなくなってしまう。

では、どうしたらいいのであろうか。

まとめ

このテキストは、目標管理とチェックの必要性、そして効果的なチェック方法についての著者の見解を探求しています。主要なポイントをまとめると、次のようになります。

  1. チェックの必要性: 著者は、目標管理の重要な要素としてチェックの実施を強調しています。多くの企業で、チェックが忙しさのために怠られ、目標の達成が難しくなっていると指摘しています。
  2. 自由な活動と統制: 著者は、目標達成において具体的な方法よりも、個々の成員に対する自由な活動と創造性を奨励するべきだと主張しています。上司は包括的な管理を行うべきであり、細かな指導は不要と考えています。
  3. 満足感の問題: 著者は、単なる満足感の提供が実績向上につながるという考え方に疑問を投げかけています。満足感は安易感を生み、実績の低下を招く可能性があると指摘し、真の満足感は困難な任務を達成したときに得られると主張しています。
  4. チェックの方法: チェックの方法について、著者は単なる口出しや思いつきのチェックではなく、効果的かつバランスの取れたチェックが必要であると主張しています。
  5. 目標の実現可能性: 著者は目標を設定する段階で実現可能性を確保することの重要性について言及し、実現可能な目標を設定すれば、実現はほとんど間違いないと主張しています。

まとめとして、このテキストは目標管理とチェックのプロセスに関する深い洞察を提供し、個々の成員の成長と組織の成功を促進するためのアプローチを検討しています。

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