会社をつぶさない、生き残っていこうというと、ライバルに勝とう、勝たなければならないと真っ向勝負を挑もうとする経営者がいます。
ライバル、特に大企業と勝負しても、中小企業が勝てるわけはありません。相手には巨大な組織力と圧倒的な資金力があるのです。
大企業に戦いを挑んでも、横綱を相手に幕下力士が食らいついていくようなもの。初めから勝負あった―・です。
私が140億円の借金を背負いながら、会社をつぶさず、自己破産もしないで、自力 再生したことは「まえがき」でお話ししました。
私が手がけていたのは飲食業と貸しビル業です。一時期は三宮一帯で最大のシェアをもつまでに成長させ、収益率も非常に高く、安定・成長路線を着実に歩んでいました。
しかし、三條コーポレーションは最初からシェアトツプだつたわけではありません。
三條コーポレーシヨンは父が戦後まもなく創業した会社で、はじめに元町でおしやれ な喫茶店を開業したところ、爆発的にヒツト。
以後は神戸や三宮を中心に、デイスコ、 パブ、カフェバー、カフエレストラン、カラオケパブ、ショットバー、イタリアンレス トラン、日本料理店など、20 店以上の飲食店を展開していました。
私は大学入学と同時に、卒業と同時にではありません、入学と同時に父の会社に入社 し、仕事をスタートしました。
入社したのは1970年代。父の会社は粗利率50 %ほどと、信じられないくらい儲かっていました。
しかし、80 年代になると、飲食業界の競争が激しくなり、関西では「やぐら茶屋」と か「がんこ寿司」、関東では「養老乃瀧」や「北の家族」など、多店舗展開でコストダウンを図る飲食店が出現するようになりました。
一般的には、こちらも多店舗展開を図るとか、コストダウンしていき、ライバルとの 競争に勝とうとするのでしょうが、私はそうはしませんでした。
いくらがんばったところで、相手は全国展開の大企業です。企業体力の差は歴然です。そこで、私はあえて同じ土俵では勝負しないという戦略をとったのです。
私が考え出したのは、内装つきの店舗ビルを建築し、テナントに貸すというビジネスヘの進出です。これならテナントは少ない開業資金で商売を始められ、やめるときも原状復帰をする必要がない。
始めやすく、やめやすい、画期的なビジネスモデルでした。三條コーポレーションは家賃プラス内装コストをいただきます。
賃料の回収がちやんとできれば、自ら店舗経営するよりも楽で、儲かるビジネスでした。飲食業経営は人の確保が大変で、気苦労が絶えないのです。
この賃貸ビジネスは大ヒツトし、金融機関から次々、「どんどんビルを建ててくださ い。資金は融資します」といわれるようになり、ついには賃貸ビル業で三官一帯のシェ アトツプを占めるまでになったのです。
もちろん私にも、大手企業に借りてもらえるような立派なオフイスビルを経営したい という気持ちがなかったわけではありません。
しかし、三條コーポレーションにそこまでの体力はありません。そこで、私が選んだのは「戦わない」という戦法だったわけで す。
大企業が入り込まないスキ間を見つけ、そこで戦わずに勝てる戦法を考え出し、独自のビジネスを展開したのです。
一時は三宮の繁華街の飲食ビル業界では実績も知名度もナンバー1、地域の家賃の 価格決定権を握っていた三條コーポレーションの繁栄が崩れ出したのは、1995年 1月17 日の阪神・淡路大震災で大きな打撃を受けたことがきっかけでした。
その後、悪夢のような金融恐慌(1997年の山一證券、北海道拓殖銀行破たん)……。そして 140億円の借金となったわけです。
一時期にせよ、地域最高の繁栄を手にしたのは、ライバルと戦うのではなく、独自のフィールドを考え出したからです。これは私の誇りであり、いまも私の仕事を支える基 盤の1つになつています。
▼無茶な勝負を挑むのは自爆行為。
ライバルのいない領域を考え出す。同じ土俵でライバル企業と戦うことになると、間違いなく、価格の引き下げ競争に進 んでいきます。
価格は消費者に訴える最もわかりやすく、最も消費者の心をつかみやすいフアクター です。
同じような商品がA店では100円、B店では80 円だとしたら、誰だってB店を 選ぶでしょう。当然その分、利益は少なくなりますから、販売数を増やし、薄利多売で 切り抜けていくわけです。
これは本当にきつい戦いです。それでも決着がつかないとさらに値下げする。こうしてライバル同士、どちらも歯を 食いしばって競争し続け、双方ともに体力をどんどん消耗していきます。
こんな競争に中小企業が巻き込まれたら、ひとたまりもありません。
そこで、私は講演などでよく、「なんでもいい。この点に関しては、うちはナンバー ーだと絶対にいい切れるものを1つつくってください」とお話ししています。
よく、「いまは業界が悪いので、うちも悪いんです」という経営者がいますが、どん なに低迷している業界でも、ナンパ11のところは例外なく、しっかり儲かっています。
なぜならば、業界ナンバ11のところはその市場における価格決定権を握るからです。
自分で価格をつけられるなら、誰だって「赤字覚悟」なんていう価格はつけません。
しかし、価格決定権を他の業者に握られてしまうと、相手がつけた価格と同じ、もし くはそれより下げた価格をつけなければ顧客を引き寄せることはできません。
こうして 値下げ競争という泥沼のような、勝ち目のない戦いに引きずり込まれてしまうのです。
Gさんは社員というより弟子と呼びたい、そんな腕自慢のスタッフ数人を抱える小規 模工務店の経営者です。少し前までは、Gさんの腕を見込んで戸建て住宅の注文がけっ こうあったもの。
ところが最近は大手住宅メlヵlに押されぎみ。この先、どうしよう というところまで追い込まれそうになっていました。
そんなとき、私の講演を耳にし、「何かでナンバ11になる」ことの重要性に気づい たのです。Gさんが目指したのは、 「この地域のお客様については、 一番よく知っている工務店であること」。
創業以来、この地に根差してやってきたことを基盤に、地域に住んでいる家1軒1軒 の家族構成や住んでいる家の状態などを詳しくデータ化。
それをもとに、街で顔を合わ せたりすると、 「おばあちゃん、元気?・あ、足腰がだいぶん弱ってきたの。お大事にね。……でも、 お宅のあそこの段差、直しておいたほうが安全だよ。いつでも相談してよ」などと積極 的に声をかけていったのです。
お客様の事情をよく知っているので、こうして声をかけてもイヤ味になりません。
む しろ、かゆいところに手が届くような印象を与え、「うちのことを気にかけてくれていて、 ありがたい」といわれるようになったのは、Gさんの人柄というべきでしょう。
釘1本打つ程度のことでも気軽に駆けつけているうちに、この地域の人々にとって、 それぞれの家のお抱え大工のような存在になっていったGさんの工務店。
これには大手 メーカーは手も足も出ません。
いまでは特に営業活動らしいことをしなくてもミニリフォームから大々的な改築工事 までさまざまな注文が相次いで舞い込んできます。
価格についての信頼も厚く、相見積 もりをとる顧客はまずいません。結果、収益はきわめて安定しています。
同業者は大手メlヵlの下請けに転じたところが多く、きつい納期管理や相次ぐコス トダウン要求に音をあげており、Gさんのやり方をうらやましそうに見ているとか。
しかし、Gさんの顧客データは昨日今日のつき合いでつくることはできないきめ細か なものです。したがって、地域1番の存在感はまったく揺らぎません。これならどこにも負けない―・というものをもっていれば、これ以上強いことはあり ません。
あなたの会社は何の1番でしょうか?
▼どんなことでも、これならわが社が1番、をもてば 無敵の経営ができる。
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