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鉄則07「地位」と「禄」の与え方を間違ってはいけない。

◆社歴が長いナンバー2が抱えがちな悩み会社の規模、成長度合いによってナンバー2に求められることは変わります。創業間もない頃はナンバー2の能力など、はっきり言って、どうでもいいこと。そんなことを言っている暇などないから、みんなで必死に働くだけです。そうやって徐々に事業が軌道に乗り、組織ができあがっていくが、たいていはこのとき「創業時から一緒にがんばっている人」すなわち「社歴の長い人」がナンバー2になっている。問題は、その先。会社が成長し、社員が三〇~五〇人になったとき、単純に「社歴が長いから」の理由だけでナンバー2に据えると問題が出てくる。会社の成長にナンバー2がついていけなければ、その状況はナンバー2本人にとっても、会社にとってもマイナスです。そのときは社長がきちんとナンバー2に話をしなければなりません。経営サポートの会員企業の中にも、会社は順調に成長してきたのに「ナンバー2がその成長についてきていない」と問題を抱えている会社はあります。そこで私は社長にこう伝えました。「社長、あなたはAさん(ナンバー2)を外せないと勝手に思っているが、一度きちんとAさんと向き合って、一対一で酒を飲みながら話さなきゃいけません。その席で、あなたはAさんにこんなふうに伝えればいいんです」〝Aさんに謝らなきゃいけないことがある。これまでAさんには、実力以上の仕事をさせてきて、ずっと苦労をかけてきた。この一〇年間、本当に悪かった。これからAさんには、今までみたいな精神的な苦労はさせないようにしようと思っている。だから、役職は常務のまま、給料もそのままだけど、部下の数と仕事の量を減らそうと思う〟会社の成長についてこられないナンバー2に対しては、ときにきちんと向き合って、こうしたことを伝えなければなりません。それは社長にしかできない仕事です。私の言う通り、この社長はAさんに、手をつき頭を下げて謝った。その席で、Aさんは涙して喜びながらこう言ったそうです。「社長、僕はつらかったんです。いつ辞めようか、いつ辞めようかとずっと思っていました。でも、そのことに社長が気づいてくれて、本当にありがとうございます」

企業のナンバー2の中には、Aさんと同じ思いをしている人が大勢います。創業当時はナンバー2を含め、社員一同が必死になって働いています。その時代は問題ありません。しかし一〇年が経ち、会社が成長したときに、果たしてナンバー2がどんな思いでいるのでしょうか。社長は、なかなかそこに思い至れないものです。だから、「一緒にがんばってきてくれたナンバー2を外すことなんてできない」「いつまでもナンバー2でいてもらおう」と社長が勝手に考えてしまう。さらに言えば、「ナンバー2の座を外したら、相手のプライドを傷つけてしまう」と多くの社長が思い込んでいます。けれども、実際はそうではありません。人間は自分の器をわかっている。「社歴が長いからナンバー2にいるが、本当は会社の成長についていけてない」ことくらい自分でわかっているのです。私も、ある人から「小山さんの今の仕事のやり方では、社員五〇〇人、一〇〇〇人が限界ですね。それ以上、大きな会社にはなりませんよ」と言われたことがあります。私だって自分の器くらいわかっています。私は社員が一万人も、二万人もいる会社を作りたいのではなく、社員一人一人の顔がわかって、一緒に酒を飲んで、社員のいいところはもちろん「どんな悪さをしているのか」まで逐一わかる規模で会社をやっていたいです。それが楽しくてしょうがないんです。それ以上の会社の規模なんて望んでいないし、望んだところで、そんな器でないことは私が一番理解しています。人にはそれぞれ適した器があります。そして心の奥底では、自分でわかっている。だから、ナンバー2が自分の器以上の仕事をしているとしたら、あえて地位を下げ、部下を減らし、仕事を減らしてあげるのも社長の大事な仕事です。私が武蔵野の社長となり最初のナンバー2は斉藤健一です。創業者藤本寅雄が社長の時、三〇歳で入社しています。その後私が社長になり、四五歳から五五歳までナンバー2を務めます。現在は顧問としてコンサルティング事業部で「人事評価プログラム」の導入から定着のお手伝いをしています。次のナンバー2は「K」で二〇〇〇年度日本経営品質賞受賞等に貢献しました。その後、二〇〇五年に矢島がナンバー2になった。◆なぜ創業社長の奥さんに給料を払い続けたのかここで重要になるのが「地位」と「禄」の使い分けです。ナンバー2を別の人に替えるのは、地位を変えることです。しかし、そのときに禄(すなわち給料)まで一緒に下げるかといえば、決してそうではありません。会社には、それぞれ「地位を与えなければならない人」と「禄を与えなければならない

人」がいます。そこのところを社長はきっちり区別しなければなりません。私が武蔵野の社長になったいきさつにも、文字通り「地位」と「禄」の妙がありました。当時、私は株式会社ベリーを経営していましたが、創業者の藤本寅雄が亡くなる二日前の二月二二日、奥さんから「うちの会社(武蔵野)の社長をやって欲しい」と頼まれました。とはいえ、私はベリーの社長で、会社は増収増益を繰り返しライバル会社から一目置かれる存在で、四五名の社員も抱えていて、正直迷いました。しかし、考えてみれば「今日の自分があるのは創業者の藤本のおかげだ」と思い、即座に一億円で自分の会社を売り払って、武蔵野の社長になる決意を固めました。当時の私の評判は武蔵野社内でも、業界内でも最悪。「小山昇が社長になったら、武蔵野は一年で潰れる」とあちらこちらでささやかれていました。そんな状況ですから、いきなり私が社長になるのは得策ではない。そこで私が考えたのは、一旦は創業者の奥さんに社長になってもらい、一年で結果・成果を出してから、一年後に私が社長に就任する筋書きでした。まさに「地位をどうするか」の部分に、ひと工夫加えた。といっても、実際に奥さんが会社に来たのはただの一度きり。社長時代の一年も、その後も含めて一日しか会社に来ませんでした。一年後、成果をきっちり出して予定通り私は社長に就任したが、私は奥さんに藤本が社長時代に受け取っていた一〇〇〇万円以上の給料を、社長を退かれた後亡くなるまで払い続けました。そこは「禄で報いるべきだ」と考えたからです。会社にまったく来ない創業者の奥さんに(まして、社長を退いているのに)一〇〇〇万円以上の給料を払い続けるから、「おかしいんじゃないですか?」と言い出す幹部社員が多数いました。そんな社員に対して、私は言いました。「たしかにおかしい。オマエの言っていることは正しい。でも、それが不満なら、ここを辞めてほかの会社へ行った方がいい。今の武蔵野があるのは、創業者がこの会社を作り、ここまでやってきてくれたからだ。会社はここまで来るのが本当にたいへんなんだ。オレは自分で会社を作ってやってきたからわかる。だから、間違っていると言われても、オレは奥さんに給料を払い続ける」私は今でも、あのときの判断が間違っていたとは思っていません。人間は、かけた恩は水に流して、受けた恩は石に刻まなければいけない。そういう思いで、私は創業社長の奥さんに禄で報い続けた。会社を経営していれば、「地位で報いるべき人」もいれば「禄で報いるべき人」もいま

す。会社の成長についていけず、苦しんでいるナンバー2には、地位を変えてあげればいいんです。それが本人のためだし、会社のためです。そこで禄をどうするか。そこを見極めるのは、紛れもなく社長の仕事です。

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