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鉄則20古参に好かれる後継者は、遊んでもらっている。

◆古参が成果を出せば、誰が評価をされるのか?息子が後継者となって会社を引き継ぎ、必ず直面するのが「ナンバー2との関係」問題です。先代の時から会社を支えてきた古参のナンバー2、ナンバー3の存在がどの会社にもいるから、若い後継者はまず、この人たちとの関係を作らなければなりません。はっきり言って、古参のナンバー2、ナンバー3は後継者にとって疎ましい存在です。後継社長として何か口にすると「オマエなんて何もわかってない」という顔をされるし、反対もされます。だから、いつも「面倒だ」「早く辞めさせたい」と思っている。しかし、実力はどちらが上かといえば、これは明らかに古参のメンバー。実務能力にかけてはまるで勝負になりません。後継社長がどんなにがんばったって、古参ががんばらないと、会社はすぐに傾きます。これが会社の現実です。そんな状況にあるから後継社長は、つい「自分の存在感を示したい」「言うことをきかせたい」と思ってしまうものです。それが大間違いです。後継社長がやるべきは「自分の存在感を示すこと」ではなく、古参のメンバーに今まで通り、がんばってもらうことです。古参のメンバーにがんばってもらって、業績の維持・アップができたら、評価されるのは誰でしょうか。ほかでもない、後継社長です。こんな簡単なことが、後継者はなかなかわからないです。社長が替わると、社内はもとより、社外からも会社が注目されます。お客様、取引先、銀行など、みんなが見ています。しかし、そこで何を見ているかといえば、「新しい社長が何をするか」ではありません。そんなことはどうでもいいです。彼らの関心事は「この会社は社長が替わっても、これまで同様やっているか」だけです。つまり、古参のナンバー2、ナンバー3ががんばって、これまでと変わらず事業をやっていくことができれば、周囲の人たちは「あの社長は大丈夫だ」「しっかりやっている」と社長を評価してくれる。これが一番大事です。社長としての存在感は関係ありません。だから、とにかく古参のナンバー2やナンバー3に、これまで通りがんばってもらう。

結局それが、自分の評価を高める一番の近道です。◆古参メンバーとの関係が、会社の雰囲気に直結する古参のメンバーにがんばってもらうためにも人間関係を築くのは大事です。そこで何をすればいいのか。話は簡単。遊んでもらえばいいです。「古参のナンバー2に遊んでもらう」は後継者にとって非常に大事な仕事です。これを軽視してはいけません。ナンバー2が釣り好きなら、釣りに連れて行ってもらえばいいです。海釣りへ行って、船が苦手でゲロゲロと吐いている。それで十分です。一日の終わりに、「今日は勉強になりました。また誘ってください」と言って帰ってくる。そんな後継者を見て、古参のメンバーはどう思うでしょうか。「コイツ、かわいいヤツだな」と思うでしょう。人間とはそういうものです。どんなに能力がなかろうが、どうしようもないバカ息子だろうが、「オレがコイツを男にしてやる」と思うのです。そう思われることが、後継者の仕事です。すると、社内の雰囲気も変わってきます。会社の中で後継社長の言うことに反対する人がいても、古参のナンバー2、ナンバー3が率先してみんなを諭してくれます。「そんな文句ばっかり言ってないで、みんなでアイツを男にしなきゃいけないだろう」と声をかけてくれる。これこそ、後継者のあるべき姿です。◆楽して事業を引き継ぐことなんてできない!そもそも、後継者が楽して事業を引き継ぐなんてことはあり得ません。古参のナンバー2、ナンバー3との関係に苦労しながらも信頼関係を築き、これまで通り事業を進めていく。これも一つの苦労です。一方で、古参のメンバーを辞めさせたり、古参のメンバー自身が後継者のやり方についていけず、呆れて辞めていくパターンもあります。その場合は、自分より年下のナンバー2を据えることができるから、人間関係は楽でしょう。しかし、別の苦労が待っています。素人の経営者と、実務経験の浅い幹部でうまくいくほど事業は甘くないです。

先代社長や古参のメンバーとつき合いがあった古い取引先は離れていくし、経験豊富なメンバーが辞めていったと聞けば、「この会社、大丈夫かな?」と銀行の担当者が懸念するのは当然です。そうして融資を見合わせる銀行が出てくると、一気に資金繰りは苦しくなります。この苦しみは人間関係の苦しみの比ではありません。結局、創業と同じ苦しみを味わうのです。これもまた後継者を待ち受ける苦労です。古参の人間関係の苦労。素人経営ゆえの資金繰りの苦労。だいたい、このどちらかの苦労が後継者には降りかかってくる。どちらの苦労に向き合ってもいいが、事業を引き継ぎ、続けていくためには、やはり古参のメンバーを敵にしないことが一番です。古参のメンバーに遊んでもらい、かわいがってもらうことができれば、後継者としての第一歩は上出来です。これは紛れもなく、後継者の仕事です。

株式会社後藤組代表取締役後藤茂之氏古参のメンバーに辞めてもらい「地獄の苦しみ」を経験した私の場合、もともと祖父が創業者で、その息子(私の父の兄)が会社を継ぎ、父が三代目、その次の四代目として私が社長に就任しました。父は社長になって一年半後にガンで亡くなったから、当時、学生だった私は、降って湧いた話として、突然社長にならされました。当時、私はアメリカに留学していたが、父の看病で一時日本に戻ったときに会社の幹部が私のところへやって来て「あなたが社長になってください」と言われたのをハッキリと覚えています。私は学生で、社会人経験がなかったので、もちろん「無理です」と断りました。しかし、創業者である祖父が「そうでなければ会社を畳む」と言っている。「そうなると、社員みんなが生活に困るんです」と幹部の方たちに泣きつかれ、半ば強引に説得される形で社長に就任しました(祖父は役者が三枚も上手だった。小山)。しかし、父親の社長時代からの『番頭』が二人いて、この人たちがまったく言うことをきいてくれませんでした。私が何かしらの方針を打ち出しても、この人たちが率先して「そんなこと、やってられるかよ」と部下も巻き込んで反対する状況でした。それが最初の一、二年なら新米社長で仕方がない部分もあります。しかし、社長に就任して七、八年経った頃でも同じ状況で、ほとほと困り果てました。とはいえ、こういった重鎮とも言うべき人たちが会社を支えているのも事実で、「この人たちがいなければ会社は潰れる」とみんなが思っていたし、私もそう思っていました。あるとき、ちょっとした揉め事があって、そのうちの一人が辞表を出してきました。本人は「自分がいなければ会社は潰れる」との自負があるから、当然翻意をお願いされると思ったのでしょう。そこで私は悩み抜きました。この人が辞めてくれれば、人間関係は楽になる。でも、この人がいなくなって本当にやっていけるのか。それを考えると、不安で不安で仕方ありません。その日、家に帰ったときには顔が真っ青だったらしく、玄関で迎えてくれた妻が開口一番「どうしたの?」と驚いた顔をしていました。相当ひどい顔つきをしていたのでしょう。それで一晩中考えた結果、辞めてもらうことにしました。もちろん不安はありましたが、今その人が辞めなくても、その人が定年を迎えるときに

は、結局同じ状況になる。だったら、自分が三〇代の若いうちに、その苦労をしようと決めた。そんな経緯もあったので、大手ゼネコンから、経験豊富な人を副社長として招聘しました。やはり「経験豊富な人に助けて欲しい」の思いがあり、特に営業面を強化したいと考えていました。ところが、これが私の判断ミスでした。いざ蓋を開けてみると、この人は会社の金を湯水のように使ってしまう。一つの現場が終わると「お疲れさま」ということで、社員をタイ旅行へ行かせたり、高級料亭で打ち上げをしたりと、やりたい放題。社員にしてみれば、会社のお金でぜいたく三昧させてくれるから、その人を慕うメンバーも多くなり、ちょっとした派閥になった。そして、陰では私の悪口を言うようになり、もはや会社はガタガタになり、三億円の赤字を出しました。やむなく、この人には辞めてもらうことにしました。小山さんの言うとおり、その先にはとんでもない苦労が待ち受けていたが、今振り返れば、その決断は間違っていなかったとは思います。古参のメンバーに遊んでもらって、うまく関係を築ければよかったが、私の場合は、古参のメンバーに辞めてもらう「地獄の苦しみ」と向き合うことになりました。どちらがいい、悪いの話はできませんが、そのくらい「後継者と古参のメンバー」は難しい関係にある。

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