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サービスとは心である

お客様の要求を満たすことは、面倒臭く、能率が悪く、経費がかかることを肝 に銘じ、ただひたすらお客様の要求を満 たすことこそ″正しいサービスであり、 会社のつとめである。 正しいサービスを行うことにより、正 しい報酬をいただかなければならない。 さもないと、事業を継続し、さらに発 展することができないからである。

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サービスとは心である

信越線の横川駅のク峠の釜飯クは、全国の駅弁の売上高で一〜二位を争って いる。 この駅弁は、今はなき先代女性社長が、ご主人の遺志を継いで昭和三十二年頃 に開発したものである。

女性の温かさと、優しさはク温かい駅弁クの提供となったのである。それも、 あらかじめ作って保温器に入れておくのではなくて、列車の到着に合わせて作る  . のである。これが如何に大変な努力であるかは、言わずとも明らかである。料理 は作りたてこそ本当の味がある。保温器に入れておいたのでは温かいだけで味は 落ちてしまう、というのである。これこそ本物のサービスである。その心がお客 様に通じたからこその人気なのである。 さらに、列車が出発する時には、売り子全員が直立不動の姿勢で列車を見送る のである。

私は、たった一度であるが、先代社長にお目にかかったことがある。丁度夏の ことで、社長は紹の着物を召され、手に数珠を持っておられた。その時のことを 忘れることはできない。 先代社長は「私は女の身で、事業の経営など何も分かりません。私にできるこ とは、せめて温かいお弁当をお客様に食べていただくことだけです。お客様のお 陰で、私たちはこうしてご飯を食べることができ、社員に給料を払うことができ るのです。有難いことです」と。 そして、合掌である。私は、はずかしくて生れて始めて脇の下から冷汗が流れ 出たのである。 オス鮎を捨てろ 京都嵐山の料亭″錦クは桜宿膳という会席料理専門で、いろいるの雑誌に″京 都のうまいもの料理クとして紹介されている。私の見た限りのいくつかの例では、 常に最初の欄に、しかもカラー写真で紹介されていた。 桜宿膳は月替りの献立で、季節色豊かなものである。

ある年の九月に、私がお手伝いに伺った時に、昼食はいつものように社長室で 社長と二人でとった。料理のチェックでもある。その時の献立の中に ク子持鮎ク があった。社長は一口食べた瞬間に箸を置いて受話器をとりあげた。相手は調理 長である。「献立と違ってオス鮎なのは、どういうわけか」というのである。調 理長は「今年は雨が少ないために鮎の育ちが悪く、市場にはオス鮎しかなかった ので仕方なかった」というのである。 社長は、すぐに養殖場に問合わせを指示した。答えは「メス鮎を先に売ってし まうと、オス鮎だけ残ってしまうので、まずオス鮎から出荷している」というの である。 「オス、メス同数を買うのなら文句ないだろう。すぐ買いつけて、明日からは 必ず子持鮎とせよ」と調理長に命じた。調理長は「オス鮎はどうしますか」と社 長に指示をあおいだ。社長は、「捨てろ」という。 調理長は「それではコストが高くなります」というと、社長は言下に「いつお 前は社長になったのだ。利益のことは社長が考える。お前に利益責任を負わした 覚えはない。お前の責任は、最高の食材を揃え、最高の料理をつくることだ」と。次に女将を呼びだして「オス鮎のことは、献立と違って申し訳ありません、と お客様におわびせよ」と指示した。 その次は貼紙をもってこさせ、このことに関するおわびの言葉を書いて、玄関 口に貼らせた。 一通り処置を終ったところで、社長は私に次のように語った。 「鮎を一口食べてオス鮎だと分かった時に、背中がゾッとしました。これはお 客様にウソをついていることだ。錦はウソツキだとお客様に思われ、お客様の信 頼を失ってしまったら、錦はつぶれてしまう、という思いがしたからです」と。

永久保証

N電機は家電の小売店である。今は会長になっているN氏が社長の時に、次の ようなことを私に話して下さった。 「私は、私の会社で売る商品については、夕永久保証クをするつもりです。これ は、論理的にはおかしい。自分の会社で作ったのではない商品を、永久保証といっ たって、売ってから十年たった商品が具合が悪いといわれた時にも無料交換するのか、ということになってしまうからです。 しかし、私のいうのは、我社の基本的な姿勢のことをいっているのです。十年 使ったテレビを、具合が悪くなったから無償修理せよというお客様はいないで しょう。もしも、このようなテレビの修理を要求されたら、誠心誠意修理をし、 適正な修理代をいただく、ということです。言を左右して逃げることはしたくな いのです」と。

タクシー会社で固定給を

福岡県の大野城市にあるクータクシー帥クは固定給である。 赤字会社を引受けたI社長は、車の整備を徹底し、運転手には濃紺の立派な制 服を着用させ、お客様第一主義とエチケットを繰り返し教育した。車の整備を徹 底するだけでもエチケットはよくなるのに、その上に態度、言葉づかい、お客様 の荷物をお持ちすることなどなどである。 これは、たちまちお客様の評判を高めた。小さな町なので、流しはせずに、ハ イヤー式にご用命を待つのだが、地元の会社などでは、大切なお客様の送迎には自分の会社の車を使わずにIタクシーの車を使うようになったのである。 運転手も固定給なので、ノルマ消化に気をつかうことは全くなく、お客様サー ビスに専念する。そして、お客様にお礼をいわれることもシバシバだというが、 これが運転手にとっては仕事のやり甲斐になる。 お客様が増えたので赤字は解消し、運転手の収入もよくなるという好循環を生んでいるという。

お客様、会社、運転手の三題話は、好ましい人間関係のもとにすべて順調なの である。

卵一個でもお届けする 東京のA社は米穀業である。A社長は徹底したお客様第一主義である。 同社の方針書の中に「卵一個でもお届けする」という一項がある。その卵は、 すべて生みたてである。お客様は生みたてを好むからである。 毎朝、前日に予約を受けた卵を、朝早く出発して秩父山中の養鶏場まで、往復 三〜四時間かけて取りにゆく。養鶏場の社長は、はじめ、「何と原価意識のない社長だろう。どの会社でも、 大型トラックで運ぶのに、毎日その日に売れる数だけ取りにくるとは……」と思っ ていたというが、A社長の考えが分かった時に「何と立派な社長だろう。ョシッ、 我社でも応援するぞ」と、最も新しく良質の卵を特別に用意してくれるようになっ たという。 数力所ある営業所は、毎日閉店すると一カ所残した夜間営業所に転送電話を セットして帰る。 米屋だというのに、ANAの航空便で北海道の食品を取りよせてお客様に提供 魚類は特に好評で、お客様はスーパーのものを食べる気がしないという。A社 長いわく、「一倉さん、うちは米屋だか魚屋だか分かりませんよ」と。 ある年の社長セミナーでお目にかかった時には「私は、懸命になってお客様サー ビスをやっていたつもりでしたが、まだ私の横着が残っているのに気がついて 愕然としました。それは、米は鳩きたてをお届けしていますが、褐いてから二週 間以上たつと水分が飛んでまずくなるのに、 一カ月分をお届けしていました。二週間分はまずい米をお客様に食べさせていたのです。あわててお客様におわびを するとともに二週間分ずつの配送に切換えました」と。 お客様は「そこまでサービスしてくれるのか」と喜ぶというより感激である。 このようなサービスは評判となり、同業者との関係もあって、テリトリーを守っ ているのだが、テリトリー外からA社を希望する人が多くなり、ついには断わり きれずにお受けしなければならなくなる。 これは、お客様に見放された同業者の転廃業につながってゆくのである。それ は、それらの業者自身の自業自得なのである。

一日三回の予定変更を

P社は、事務什器のメーカーである。 社長の徹底したクお客様第一主義″のために、不況を知らない会社である。業 界全体が売上げ不振で苦しんでいる中にもである。 普通、メーカーというのは我社の生産第一主義で、お客様の要求は無視される 場合が多いのであるが、P社は全く逆である。

お客様のご注文を受けた品物で、タマタマ品切れの場合があるが、その時には 製造部長は即座に予定を変更して品切れ品をつくる。それが一日に三回にも及ぶ ことがあるという。 一事が万事、P社の生産は常にお客様の要求を中心にして回転しているのであ る。 P社の製造部長も、当初は生産第一主義だった。それを、社長の方針によって、 お客様第一主義の実践のためには、まずお客様のところを回ってお客様の要求を 知らなければならないという会社の方針にもとづいてお客様回りをしたのである。 これで、製造部長は、いままで自分が如何にお客様の要求を無視して製造部の 都合ばかり考えていたか、を思い知らされたからである。それにしても立派な製 造部長である。お客様の要求を知りながら、なおかつ自らの都合ばかり考えてい る人が少なくないからである。 社長も立派、製造部長も立派、というべきであろう。

湯灌場のある斎場

平塚市のS社は、ホテル、結婚式場、斎場、そしてコンピューター学校という 多角経営を行っている。いずれの事業も非常に順調である。その原因は、社長T 氏の夕お客様第一クの姿勢にある。 斎場は、祭壇の上の屋根に一メートル四方ほどのガラスが張ってある。魂が昇 天する時の通り口だということである。あまり見かけない作りである。 湯灌場の中央には、特製の湯灌槽が置いてある。湯槽の下部は、遺族が遺体に なるべく近づけるように、靴の当る部分が内側にくびれていて、身体がピタリと 湯槽に密着できるようになっているという細心さである。 湯灌をしている人は、黙っているのではなく、絶えず遺体にいたわりの言葉を かけている。床ずれの跡、手術後のキズ跡を注意深く洗いながら「痛かったでしょ う」「苦しかったでしょう」というようにである。 この光景に、遺族は泣きだしてしまうこともあるという。 このような湯灌をしているうちに、遺体の苦しげな表情が次第にゆるんで、安 らかな顔になってゆくということである。これが仏様がよろこび、満足していると遺族には感ぜられるのであろう。再び涙をさそわれるという。 ある時、急死された娘さんの湯灌依頼があった。急なことで、湯灌をする女性 が間に合わず、困っていたところ、斎場の受付で案内をしている女性社員二人が、 「私たちでよかったら湯灌をさせて下さい」と申し出たという。文字通り会社ぐ るみのサービスである。 S社の、結婚披露宴の料理の献立は実にユニークである。 お客様は、和食党、中華党、洋食党とあり、そのどちらのお客様にも満足して いただく献立はないか、ということを研究した結果、 一食の中に和食、中華、フ ランス料理の二つを組込んだ料理を開発した。 こうした料理は、それぞれの料理が中途半端になるか、中途半端にならないよ うにしたら一食分として量が多くなりすぎるかのどちらかになる危険がある。そ れを、様々な苦心の結果、量は一人前でありながら、和、中、洋のそれぞれの味 と特徴を立派に出した献立を開発した。それぞれやや少な目ながら四〜五品あり、 和食はご飯、中華は餞頭、フランス料理はパンがつく。こうしてそれぞれをピシ リと締めている。これは大好評で、残す人は殆んどいないという。S社長は、「そのためにコス トが安くつきます」という。 どういう意味か分からないので、S社長にきいて見たところ、我社の料理のコ ストのことではなく、お客様から見た場合に、安くついて満足して下さるという 意味です、食べ残しがありませんからというのである。S社長の「お客様第一主 義」の思想はかくの如くなのである。

針に糸を通しておく

京都嵐山の観光旅館渡月亭は観光客と地元の会社の両方に固定的なお客様を確 保している。地元のお客様に密着していることは、観光のオフシーズンをカバー している。 全館、なめたような素晴らしい環境整備に加えて、 一階ロビーのトイレには香 をたきこめてある。客室のトイレにはニオイ袋を置いてある。 食事はすべてルームサービスで仲居さんのお給仕つき。 一人に浴衣と寝巻の両方が用意されており、枕はソバ殻である。

居室と浴室の備品は旅館とは思えない。 一流のシティホテル以上である。 朝は小鳥の鳴き声をバックグラウンド・ミュージックで流す。という至れり尽 せりである。テレビの上には、その日のテレビ番組と天気予報のコピーがおいて ある。 しかし、何といっても圧巻は各部屋に備えつけの文箱の中身である。美しい模 様色紙が貼られたもので、外国人のお客様には、よく所望されるという。 中身は、 メモ用紙一冊 ボールペン一本 アンケート用紙数枚 観光案内―嵯峨野めぐり(嵐山、清滝、高尾) 観光カレンダー一部 ぽすたるガイド一部(郵便番号簿) バンドエイド三枚 安全ピンニ本ホック十個 ボタン十個 黒糸と白糸を針に通したもの、それぞれ一本、外に予備の針と糸 絵はがき五枚(切手を貼ったもの) 駅レンタカー案内 である。 切手を貼ってある絵はがきなど心憎い気配りである。 しかし、何といっても立派なのは、針に糸を通しておくことである。これには、 次のようなことがあった。 ある日、老夫婦が宿泊した。ところが、奥様のほうが着物の裾のほうをカギざ きにしてしまっていた。旅先では針も糸もない、困っていたところ、文箱の中の 糸を通した針があり、早速これで応急修理ができた。 ご主人は、帰りに丁重なお礼の手紙を置いていかれた。 それには、「今回の旅行の最大の印象は、糸を通した針であった。家内は老眼 で目が衰え、針に糸を通すことができなかった。ところが、糸を通した針があったために着物の応急修理ができた。こんなにも心のこもったサービスを受けたこ とを最大のみやげとして帰る」という意味の文面だった。 サービスとは心であるというのは、こうしたことであり、これが老夫婦を感激 させたのである。 またある時には、 一人の若い女性が予約なしで泊めてもらいたいと来られたこ とがある。 そのお客様に対して、フロントでは、空いている部屋が三つあり、それぞれの 料金を申しあげてお客様のご意志で部屋を選んでいただいた。 この時にも、この女性は丁重なお礼の手紙を置いていった。それには「予約な しで飛込んだ時には、どこでも高額な部屋しか空いていないといって、これを押 しつけるのが普通なのに、そして、それを覚悟して飛込んだのに、こんなにも親 切な案内をいただいて心を打たれた。この次には、友達とともにもう一度泊まり にきたい」ということだった。 ただひたすらサービスをする、というサービスの権化のような旅館である。

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