信頼性は社長の姿勢そのものである
Ooニミリ芯のシャープペンシルは、本当のところ使いものにならない。芯がポキポキ折れるからだ。
私は、○・五ミリ芯までは我慢して使っていたが、○。二ミリ芯になってからは、一本買ってダメと知り、以後は買わない。
時々使っている社長を見かけるが、折れて仕方のないシャープを、よく我慢強く使っているものだと感心する。感想を聞いてみると、「折れて困る」というのだ。
ホワイトボードという品物も使いにくい。表面がツルツルで、ペンが滑るからである。
この世に生まれてから、二〇年くらいはたつと思うのだが、いまだに改良されていない。技術屋にいわせれば、技術的な理由をあげて、「ムリです」と言うにきまっている。
こういうのを「疑術屋」という。
難しかろうと易しかろうと、商品として不完全であれば、これを完全なものに近づけるのが「技術者」というものであることを知らないのである。
フェルト底のスリッパは、硬質の床の場合には滑って危険であることを、スリッパのメlヵlは知らない。無責任である。
知っていて売っているのならば、これまた無責任もはなはだしいといわなければならない。
私の乗っている自動車は、N社の四ドアのハードトップで、中型車としてはトップクラスの車なのに、顧客不在もはなはだしい設計である。
まず第一に、狭苦しい。シートをやたらと厚くして、これが室内を狭くしている。
座り心地(これも、あまりよくないが)ばかり気にして、というよりは、シートの厚さにばかり気を使ったという感じである。
天丼は低くて、上からおされるような感じである。格好よくするために、センターピラー式よりも全高を低くしているためである。
冷房の時は足ばかり冷たく、暖房の時は頭の方ばかリムッと暖かい。冷気は上から、暖気は足元からホンワカということを全く無視している。
これも技術的な理由というのだろうか。
それに、ステレオのスピーカーが後部の座っている耳元から音が出るようになっているのは、いったいどういう神経なのだろうか。
このクラスに乗る人に、ステレオなど騒音以外の何物でもないことを知らないのだろうか。そのくせ、室内の蛍光灯やら、その他のアクセサリーでいらないものがたくさんついている。
フロントシートの背についているポヶットは、ついているだけで書物一冊入らないのである。
乗る人の立場など考えていない車を買わされて、この次は別の車にと思うのだが、その後モデルチェンジした中型車は、いずれも大同小異、中にはなお狭苦しいものさえある。
いったい、自動車のメーカーは何を考えているのだろうか。いままであげたいくつかの例に共通する点は、ユーザー不在ということであり、社長の姿勢がいかに悪いかの実証である。
自らの商品であるならば、まず社長自ら試乗してみるべきであるし、試乗したら、右のような欠陥は直ちに気づくはずである。
それを恐らくはやっていないのではないか。社長たるもの、忙しくてそんなことまでやっていられない、というのなら、これこそ大間違いである。
会社というものは、お客様の要求する商品を提供するのが務めなのだ。
だから社長の責任において「我社はこういう商品をお客様に提供します」というのが唯一無二の務めなのだ。
社長が自らの会社の商品を使ってみて、どんな商品か自ら確認することこそ、もっとも大切なことなのである。もっとも大切なことを、「忙しい」というほど間違った態度はないのである。
日本の無責任社長にくらべれば、ベンツの社長は立派である。ベンツの設計思想は「事故の時に、どうやってお客様の生命を守るか」ということである。
そして、それを実現しているのだ。ベンツで事故に遭って、命びろいした人のことを、私は幾つか聞いている。
そして、その思想は、広くゆったりした室内、適度に硬くて疲れないシート、ムダなアクセサリーなどなし。
そして、「六年間乗ってもどこも悪くならない。売却益がでますよ」というある社長の言が、ベンツの姿勢を物語っているのである。
我社の商品に、社長自らの魂を込めないのは、明らかに社長の無責任極まる態度である。
この節であげた、F社、庄二郎こそ本物である。その外にも立派な社長は多い。
チェーンブロックの「キトー」は、創立当初からの「溶接部分が切れないチェーン」という態度。日本一といわれる伊勢の松阪の和田金は、もっとも美味な熟成度の肉しかお客様に提供しない。
仙台の「島影アイスクリーム」の社長は「うちのアイスクリームを、大企業が買い求めて分析していますが、いくら分析しても絶対に分からないことがあります。それは、アイスクリームに込めた私のク心クです」と。
ローカルの中小企業でありながら、立派に大企業に伍して高収益高成長を実現している島影アイスクリームの秘密は、社長の″心クなのである。
さきに例をあげた、京都の嵐山の「錦」の田中社長は「調理というものは、心を込めなければ本当ではない」と私に語っている。
本田宗一郎は、「一二〇%の良品」といっていた。その意味は、「一万台に一台の不良でも、お客様にとっては一〇〇%の不良である。いかなることがあっても、お客様に不良品をお売りすることがあってはならない。
そのためには、一〇〇%の良品率では間に合わない。だから、一二〇%の良品が必要である」と。
これが「心」なのである。
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