シアーズ・ローバックの教訓
シアーズ。ローバック社は、 一九八〇年代の終りごろまでは世界一の小売商であった。
シアーズ社は、今から約一〇〇年前には農村を相手に、時計と宝石の通信販売を細々とやっていた小さな小売商でしかなかった。
そのシアーズ社が、世界第一の小売商になったのには、どのような経営を行ったからであろうか。そこには二人の偉大な経営者によって行われた優れた革新があったのである。
その革新を通じて、「顧客の創造」ーうまり経常とは何かを学びたいと思うのである。
そして、世界第一の小売商が、一九八〇年代の終りごろ、ウォルマート社にトップの座を奪われてしまったのは、何故だろうか。どこで間違ってしまったのだろ
うか。それは、次節の″シアーズ。ローバックの凋落クのところで述べることとする。
本節では、まずシアーズ社の躍進について述べることとする。
シアーズ。ローバック社の第一の革新は、一八九五年、シアーズ社の実権を握ったジュリアス・ローゼンワードによって行われた。
ローゼンワードは、まずアメリカのマーケットに目を向けたのである。当時のアメリカは、都市と農村が、それぞれ独自の要求をもつ、全く違った二つの市場を形成していたのである。
そして、農村に大きな潜在需要のあることを見てとったローゼンワードは、この潜在需要を呼び起すための、革新の目標を設定したのである。
まず第一に、農村の要求に合う商品を多量につくりだすメーカーを育成するとともに、数力所の通信販売工場をつくることであった。この通信販売工場には、
オットー・ドウリングという傑物が現われ、世界ではじめてのコンベアー・システムが導入された。フォードに先立つこと五年である。
第二には、商品カタログの発行である。このカタログは、誇大な宣伝文句は一切使用せず、あくまでも客観的、具体的に商品を説明するものでなければならないという方針が打ちだされたのである。
このカタログは、しまいにはどの家庭にも、バイブルとならんで置かれるというほど普及したのである。
アメリカのスーパーは、シアーズ社のカタログを金を出して買っていた。買ったカタログは焼き捨てるのである。それ程スーパーにとって、シアーズ社のカタログはこわいのである。
第二に、「万一ご不満の節は、委細なくご返金申しあげます」という販売方針を打ちだしたのである。通信販売であるから、カタログを見ただけで注文しても、もしも現物を見て気に入らなかった場合に、返品できるということは、お客様にとっては、安心して注文できるということなのである。
これは、お客様にとって都合がいいだけでなく、シアーズ社にとっても正しい姿勢をとらせることになったのである。
返品が多すぎれば経営が成り立たないわけだから、仕入商品をよく吟味するということになったのである。そして、これを文字通り実施することによって、シアーズ社の信用は大いに高まったのである。
第四には、毎日数十万通にのぼる郵便注文を迅速に処理するシステムの開発である。
この革新の理念は、「お客様の要求を迅速に満たす」ということである。このような考え方は、従来のマネジメントの思想には全くといっていいほど欠けているのである。
従来のマネジメントの思想は常に「我社の都合」だけしかないのである。ちょっと脱線して実例で考えてみよう。
S商事をお手伝いした時に、大方の例にもれず穴熊社長だったので、外に出ることをすすめた。(穴熊社長については後述)
私のすすめによって、お得意先を訪問した社長は、数々の新発見をしたが、そのうちの一つに、納入残の納入日間合せに満足な答えが得られない、という不満が数多くあった。
しかも、以前はそんなことはなかったというのである。社長は、ハッと思い当ることがあった。それは、二年前に行った帳票改善である。
二年前までは、得意先別の受注伝票に、種々の商品を列記した複写伝票で、これを業務係と倉庫係がもって、出荷済の品を消しこんでいた。
だから、いつでも納入残がつかめていて、直ちにお客様の問合せに返答できたのである。
それを、二年前の改善(?)で、一品一葉の複写式にかえたのである。この瞬間から、商品別の管理になってしまい、個々の得意先別の納入管理ができなくなってしまったのである。
どの得意先から何と何をいくつ受注しており、そのうち何と何を納入し、何が残っているかを知ろうとすれば、その一品一葉式の伝票を得意先別にまとめ直さなければならない。
それではかえって繁雑になって、とてもこなしきれるものではなかったからである。
お客様の要求を満たすという、企業本来の任務を忘れて、仕事の管理を優先するという間違いをおかし、その結果としてお客様の不評を買ってしまったのである。
これは帳票管理の例であるけれども、さきにのべたように、あらゆるマネジメントの思想に共通する致命的欠陥である。
企業の任務がお客様の要求を満たすものである限り、企業内のすべての仕事はお客様へのサービスを第一とすべきで、そのために社内の仕事が面倒でも、それは我慢するのが正しい態度なのである。
― 閑話休題、話を軌道にのせよう。
ローゼンワードの四つの革新はすべて市場と顧客の要求にもとづき、この要求を満たすことを狙いとしていたのである。
このような革新の結果、シアーズ社の売上げは急速に伸び、業績は大いに上がったのである。
その理由はただ一つ、「お客様の要求を満たしたから」であった。とはいえ、この革新は容易なことではなかった。というのは、このような革新を行うための経験も組織も人材も、当時のシアーズ社にはなかったからである。
メーカー育成の経験はなく、膨大な商品を仕入れる購買のエキスパートも、その在庫を管理できる人もいなかった。カタログをつくるための商業デザイナーも、日に数十万通も舞いこむ注文の手紙をさばくシステムをつくりあげる能力をもった人も、いなかったのである。
ないない尽しのその中で行われた革新は、ただ一つの理由― それはお客様の要求を満たすため― というのであった。
我々は「我社の現状にもとづいて物を考えよ」と常に教わってきた。
しかし、シアーズ社は我社の現状にもとづいて物を考えたのではなく、お客様の要求にもとづいて物を考えたのである。
まず、マーケットを眺める。そして、その中からお客様の要求を見つけだす。次に、お客様の要求を満たすための条件を研究し、それをそのまま我社の目標とする。その目標に向かって、我社をつくりかえてゆく。
というふうに考え、行動したのである。この考え方が正しいことは、シアーズ社の実績がこれを証明している。
この実績から生れる教訓は次のようなことであろう。
優れた企業は、顧客の要求にもとづいて目標を設定する
凡庸な企業は、我社の現状にもとづいて目標を設定する。そして、従来のマネジメントの思想は、凡庸な企業の態度を、正しい態度だと教えているのである。
こうして、大躍進を続けたシアーズ社にも、やがて業績の頭打ちの時期がきた。
そして、 一九二九年の不況にあって、業績は全く停滞し、深刻な経営危機に見舞われたのである。
ここに、シアーズ社は、新たな戦略を展開する必要性を痛感し、ローゼンワードはこの戦略を行う後継者を探しだした。
その後継者が、退役の陸軍主計准将、ロバート・ウッドである。
それまで、ウッドは、モンゴメリー・ワード社に在職していた。そこで、ウッドは新しい企業戦略を提唱していたのである。
それは、アメリカの「都市化」の進展と自動車の発達による市場の変化である。
その頃のアメリカは、もう都市と農村とが、それぞれ独立した市場ではなく、アメリカ市場そのものが、 一つの要求をもった市場になっていたのである。
農村の人達は、自動車を運転して、気軽に町へでかけて買物をするようになっていたのである。
ウッドがこれに気づいたのは、彼がパナマ運河の建設に、資材担当責任者として在勤中に、米国統計年鑑を読む、という風変わりな趣味の中からであった。
アメリカの全市場が、 一つの要求をもつように変わってしまったにもかかわらず、シアーズ社は依然として、都市と農村とは別個の市場である、という考え方にもとづいた通信販売を行っていたことに、シアーズ社の業績不振の根本原因があったのである。
会社の考え方と、市場、つまりお客様の要求が食違ってしまっていたのである。
私は職業柄たくさんの会社に接している。そして、業績不振の会社の原因を探ると、究極において、必ずその会社の考え方と、お客様の要求が食違ってしまっていることに気がつくのである。
ウッドのこの発見にもとづく新販売戦略の提案は、モンゴメリー・ワードの社長セオドア・マーセルズに受け入れられず、 一九二四年にウッドはモンゴメリー社をやめた。
そこを、ウッドの慧眼に目をつけたローゼンワードがスカウトしたのである。ウッドは、ローゼンワードの意をうけて、かねての持論にもとづいた新戦略を展開していったのである。
それは、シアーズ社の事業を、小売店中心に大転換することであった。お客様が、気軽に自動車を運転して、町に買物にきてくださるのだから、通信販売の必要性は小さいのである。
それよりも、町に店舗をかまえて商品を陳列し、お客様に商品を自由に手にとって見てもらった上で、買ってもらうほうがいいのは論をまたないからである。
今日の、シアーズ社の小売店中心主義こそ、この時のウッドの革新に始まるのである。
この戦略を推進するために、まず必要なことは、新たにおこってきた都市市場のお客様1 ‐産階級の需要を満たすための商品の開発であった。
例えば、冷蔵庫などは、それまでは上流社会向けだけの商品であった。これを、不要な装飾をはぶいて、中産階級の手の届く値段にまで下げる、というようなことである。
次には、小売店の経営能力をもつ店主の養成であった。これについて、ウッドは十五年間にわたる異常な努力を続けたのである。
その次には、権限の委譲である。通信販売では、中央集権的に、いくつかの通信販売工場で間に合ったが、全米に小売店をばらまいた状態では、本社の指令一本で小売店を経営することはできなかった。
広いアメリカの市場では、地域によってお客様の要求が大きく違うからである。初めのうちは、この地域差に気づかなかった。そのために、スキーなどのウインター・スポーツ用品を、全く需要のない南部地方に送ったり、冬季に北部のメイン州やミネソタ州の小売店へ南部地方だけしか冬季需要のない水着が送られたりしたのである。
このような苦い経験の末に、シアーズ社は購入についての権限を、大幅に小売店に委譲したのである。
このシアーズ社の権限委譲の精神は、「部下の仕事をやり易くする」という組織論の思想とは、全く違って、「お客様の要求する商品を迅速に揃えるためには、権限を委譲しなければならない」という理念なのであることを、我々は学ばなければならないのである。
ウッドの行った革新によって、シアーズ社は再び大躍進を開始したのである。
その理由はただ一つ、再びお客様の要求を満たした、ということなのである。
ローゼンワードとウッドの革新をみると、やった事は全く違うけれども、その元になる考え方は全く同じである。
つまり、まずマーケットを眺め、その中からお客様の要求とその変化をみつけだし、その要求を満たす条件は何かを考え、それをそのまま革新の目標にしている、ということである。
そして、その目標に向かって、我社を近づけてゆくという、マーケット第一主義である。
このようにして、シアーズ社はお客様をつくりだすことに成功し、今日の大をなしたのである。
シアーズ社は、われわれに「顧客の創造」、つまリ「経営」とは、変転する市場と顧客の要求を見きわめて、これに合わせて我社をつくりかえることである、ということを教えてくれるのである。
この教訓こそ、経営者をはじめとして、すべての会社の、すべての人々の、最も基本的な、そして最も大切な認識でなければならないのである。
お客様を無視する会社は、お客様から無視される。その結果は、倒産への道を歩まなければならないことになるのだ。
それにもかかわらず、お客様を無視する会社は決して少なくない。もしも我社の経営が不振であったり、行詰ってしまったならば、まず第一に反省してみなければならないことは「お客様を無視していないか」でなければならないというのが私の主張である。
何もいわないお客様なるがゆえに、お客様の無言の叱責が分からず、業績不振の対策が全く見当外れになっている例を、私は数多く見せつけられるからである。
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