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シアーズ・ローバックの凋落

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シアーズ・ローバックの凋落

超優良企業のシアーズ・ローバック社は、それなるが故に、その上に安住して歳月を経るうちに、いつしか閉鎖的でごく内輪な文明社会になっていった。

古めかしい規則でガンジがらめとなり、お客様の要求に答えられなくなっていった。ライフ・サイクルの終った商品が多くなり、活性を失っていったのである。

それでも、「腐っても鯛」で一九六〇年代の半ばまでは無敵を誇っていた。

しかし、 一九七二年頃になると、シアーズのドル箱であった大型家具が市場の飽和によって買換え需要のみとなり、業績不振に陥ってしまった。

この虚をついて小さな小売店が逆襲を試み、お客様を奪われて利益が急減していった。

それだけではない。新鋭の大規模小売店ウォルマートの急追を受け、大きなダメージをこうむったのである。

あわてたシアーズは、本来の小売についてはごく僅かな試験的な手を打っただけで、恰好いい総合大型貿易商社をはじめ、保険、不動産、証券ブローカーなどに次々と手をだしたが、結果は思わしくなかった。

自らの本来の使命小売業でお客様の要求を満たすという正しい態度を忘れてしまっていたのである。商品の再編成などは、お座なりで、部分的にしかすぎなかった。

業績は下降の一途をたどり、ついにはレイオフまで行わなければならなくなり、これが従業員に大ショックを与え、経営者に対する信頼感を失わせる事態をひき起してしまったのである。

一九九〇年、ウォルマートにはすでに抜き去られていただけでなく、その差は開くばかりであった。この年四万人を減らし、九一年には更に三万人以上を減らさなければならなかった。

シアーズ。ローバックは、これからどうなってゆくのだろうか。

シアーズ社は、お客様の要求を満たすことによって大発展をとげ、世界一の小売商になり、その大成功の上に安住してお客様を忘れてしまったために凋落が始まり、問題会社になってしまったのである。

これは、シアーズ社に限ったことではない。時を同じくして、これもアメリカの巨大企業GM社とIBM社が、同じく自らの巨大さに心倣り、お客様を忘れて大苦境に立っている。

ちょっとこれにふれてみよう。

ゼネラル・モータース

世界の王者ゼネラル・モータースは、 一九二〇年代に大経営者アルフレッド・スローンによって、フォードのT型車を駆逐して手に入れたものである。

第二次世界大戦までは隆盛を誇ったGMも、戦後はその優位の上に安住し、次第に活力を失っていった。

経営者は、その高い地位にしがみつくようになり、会社の欠点には目をつぶり、批判者に対しては守りを固めるようになった。

デトロイトの市民が日本車を運転しているといたく怒り、日本車に敵意をいだくだけで、日本がうまくやっている情報には目をつむり、「急げばホンダに追いつけるよ」とばかり思いこんでいたのである。

経営陣には財務至上主義がはびこり、「何もかも数字で判断できる。何でも数量化できる」と考えていて、質的要因は無視されていた。

良質の車はコスト高になる思想は、Jカーの失敗を来した。これは、Xカーの外観を少し変えただけで技術開発をしたように見せかけようとした。

続いてのHカー、Eカー、Cカーと品質は劣化するばかりであった。

一九六〇年代の末に、ラルフ。ネーダーによって「どんなスピードでも安全ではない」と、コルベアを批判されたが、反省するどころか、逆にネーダーの身辺調査を行った。これがバレてGMは面目を失った。

没落のスピードは、 一九七三年のオイル・ショックによって加速された。「もはや、やたらにガソリンをまき散らす大型車の時代は去った」ことを、顧客から見放された経営陣は理解できなかった。

それどころか、「GMは偉大であり、オイル・ショックになどは影響されない」とばかり強がりをいっていたが、内心では大型車の売上げ低下を恐れていたのである。利益の下がる小型車には力を入れたくなかったからである

「自分が小型車を作らなければ、他人が作ってしまう」ことを考えなかった。その通り、日本車が大型車の特徴をそなえた小型車を作ってしまったのである。いやいやながら作ったシボレー・ベガは大失敗だった。

一九七八年には燃費基準がきめられ、GMは小型車への全面切換えをせぎるを得なくなった。しかし、これもすでにのべるように、Xカー・Jカーその他すべて失敗してしまったのである。

市場の変化に対応できないGMに、大きな危機を感じていた経営陣の一人がロジャー・スミスである。彼がGMの会長になった時、日本のメーカーとのジョイント・ベンチャーを決意した。

一九八三年、GMはトヨタとJV契約をした。これが夕ZC〓〓H″ (ニュー・ユナイテッド・モーターマニュファクチュアリング・インコーポレーション)である。

社長と最高経営層はトヨタから出した。このJVについてのロジャー・スミスの感想を紹介しよう。

GMの再編成は、熱さましの丸薬を飲みこむようなものだった。ただ、丸薬の大きさは野球ボールくらいだった。飲みこむのがひと苦労だった。いったん胃におさまって薬が作用すれば、熱は下がるんだが。

事実、最初のGMI 一〇計画がディーラーの手にわたるのに七年かかった。GM側の不協力があったからである。GMのやり方は、製造の段階毎に分業を行い、意見の食違いは、それぞれの段階での自主性を守って相互協力は不可能であった。

日本のやり方は、デザイナーとエンジエアと製造スタッフが一台の自動車のコンセプトをきめる段階から一緒に仕事をした。

GMは、自動車は技術で作るものだと思っていたが、日本では自動車の製造は間が行うものであるという認識をもっていた。

この違いが、日米の自動車の決定的な優劣となっていたのである。

この違いは、工場実験で日本側の圧倒的優位が証明されたが、GMの経営陣はこれを認めようとはせず、変革を怠るGMのシェアは下り続けたのである。

GMの経営陣が、いくらzC〓〓申を自眼視しようと、その実績を無視するわけにはいかなかった。ZC〓〓【に対するGMの風当りは弱まってきた。GMの経営陣が頻繁にZC〓〓Hを訪れるようになった。

ようやくその教訓が役員会にまで浸透するようになってきた。とはいえ、前途は多難である。

GMの経営陣のやるべきことは、顧客第一主義という企業本来の姿に戻り、GM中興の祖、アルフレッド・スローンに学ぶことである。それは、スローンの著書『GMとともに』の邦訳(ダイヤモンド社刊)三六一頁から左記に引用させていただく。

私は一九二〇年代と一九二〇年代を通じて、直接ディーラーを歴訪することにした。そこで鉄道の車輌を一台借りきって、これを事務所に改装し、

数人の随行者と一緒に、 一日に五軒か一〇軒の割合で、アメリカ全国の殆どすべての都市のディーラーを訪ねて回った。そして現場で直接にディーラーたちに「戸を開めた部屋で」面会し、机をはさんで話し合い、彼等と会社の関係、製品の性格、会社の政策、消費者需要傾向、将来についての

見解、その他自動車事業に関する多くの事柄についてヒントの提供と批判を求めた。その間話題にのぼったすべての点について綿密なノートをとり、本社にもどってから、それらを仔細に検討した。

I B M

コンピューター業界の大巨人だったIBM。かつては世界の占有率六〇%以上

を誇り、いかなる会社もよせつけなかったIBM。その栄光も、いまは光を失い、その巨体を持て余して減量に次ぐ減量である。

一九八六年以来五年程で三万三千人を整理してまだ足りず、九一年には一万四千人減らして三六万人体制をとった。さらにそれ以降も二年間で二万人削減するという。

急坂を転げ落ちるような衰退は、これでも納まらないであろう。

急成長業界の中での衰退、という過去の常識では考えられないことが起っているのである。その原因はただ一つ、IBMの傲慢さである。

第二次オイル・ショックを引金として、近代工業社会の科学技術は急速に進歩し、省エネ、省資源の要請は、「小型化できるものはすべて小型化」された。特に半導体の小型化は目覚しかった。しかも性能は向上していった。 一昔前の大型機はパソコンで間に合うようになってしまった。小型化は同時に低価格を可能にし、小型コンピューターは急速に普及し、大型コンピューターの市場を奪っていった。

これに対するIBMの戦略は、大手のとる常套手段だった。小型コンピューターの市場が拡大して、大手が進出しても採算のとれる大きさになるのを待って参入することである。

参入はしたものの、それ以後はあまり力を入れなかった。 一つは、小型機の価格は大型機にくらべるとはるかに低かったからであり、もう一つは採算性のよい大型機のほうが大切だったからである。

これが大誤算であった。というよりは、大手の傲りであった。IBMの力をもってすれば、大型コンピューターを売ることは可能であると思いこんでいたからであるc

大手のお傲りH、これは本書でここにとりあげたGM、シアーズ、そしてIBMと全く軌を一にしている。

「消費者は強大な力を持っている我社の商品を買ってくれる。いや買うべきである」という信念である。

これを、私は「天動説」と呼んでいる。「世の中は我社を中心にして回っている」という思想である。これが、いかに企業にとって危険なものであるかの実証がここにある。

会社の真の支配者はお客様なのである。いかなる巨大企業といえども、この原理は変わらない。

このことが分からないのは、お客様は社内にいないだけでなく、何の命令も下さず、気に入らなければ黙って馘をきるのがお客様だからである。

もう一つは、経営学と称し、「内部管理」こそ経営であると教える全く間違った思想の大害悪のためである。

変転する市場と顧客の要求を見きわめて、これに合わせて我社をつくりかえることが事業の経営であるならば、社長がまずやらなければならないことは、「市場と顧客の要求を見きわめる」ことである。

これを見きわめることができないのでは、正しい事業経営はできない。それにもかかわらず、多くの社長はお客様の要求を見きわめる努力を怠っている。というよりは、考えてみようともしない社長が多すぎる。

当然のこととして、トンチンカンな考えで、トンチンカンな事業経営を行っているのである。

これでは、事業の経営がうまくいく筈がない。その実例を次に紹介しよう。

お客様の要求を知らないと、会社はどうなってゆくのかを、実例によって考えていくこととする。

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