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目標の本質⑦!伝統的な人間関係論は目標達成を阻害する

現代の企業が直面する一大課題に、従業員の満足度と業績との微妙なバランスがあります。

過度に従業員の感情を優先する経営は、逆説的に会社の成長を妨げる可能性を秘めています。本文では、極端な人間関係重視の経営がいかにして組織の革新性や競争力を損なうか、そして「楽しい職場」を追求することの裏に隠された落とし穴を、具体例とともに探ります。

経営者の役割、従業員のモチベーション、そして健全な経営のための新たな視点を求める、刺激的な議論の余地を提供します。

目次

伝統的な人間関係論は目標達成を阻害する

何事も仲良くなることが最上と思い込む病

ある会社の社長は、従業員の気持ちを極端に重視し、またそれが非常に大切なことであると思いこんでしまい、一人の女性事務員の部長批判をとりあげて、その部長に警告を発するというところまで、人間関係病をつのらせてしまっている。

この会社は過去二年間赤字であり、今期も赤字……。しかも、大幅赤字であることは決定的である。

かつては、成長産業であるがゆえに、好収益時にかかえこんだ余剰な間接人員を、部下の気持ちを重視するあまり切れないばかりか、退職者の補充までしている、という常識を逸した行為が、この会社を赤字に追いこんでいるのである。

この社長ほど極端でないにしても、人間関係病は非常に広範に各企業体内に浸透し、しかも重症で治療のむずかしい病気なのである。

この病気にかかると、何事も「仲よくやる」ことが最上であると思いこむようになって、ちょっとした意見の相違やトラブルを極端にきらう。

そして、個性のない同調主義者になり、また、いいたいことを部下にいえない腰抜け幹部ができ上がってゆく例を、あまりにも多くみせつけられているのである。

摩擦を起こすぐらいにならなければならない

独創的な人、革新的な人、積極的な人、こういった人びとこそ会社発展の原動力であり、会社にとって尊い財産なのである。こういった人びとは個性が強い。

そして、それらの人びとが推進する仕事には、それが革新的であればあるほど、抵抗も多く、摩擦も起こりやすいのである。

摩擦や批判のないような仕事は、会社の発展にはたいして役だたないものなのだ。その個性を同調主義の中で殺し、その革新的な仕事を摩擦が起こるという理由で骨抜きにしてしまう。

これでよいのか、いったい会社はどうなるのだ。〝角を矯めて牛を殺す〟の愚でなくてなんであろうか。

「部下の気持ち、部下の立場、部下の納得」ばかりを強調する。「上役の立場」いや、「企業の立場」「お客の立場」はいったいどうしてくれるのだ。

企業の中で最も大切なのは「部下の立場」なのであろうか。上役は、ひたすら部下の立場のみを考えて神経をすりへらし、部下に礼をつくさなければならない。

しかし、部下は上役の立場を考える必要はないらしい。論より証拠、人間関係論には、上役に対する「礼」については、ただの一言もふれていない。

部下は上役の立場を考える必要はなく、「礼」をつくさなくともよいらしい。礼というものは交換するものであって、一方的なものではないはずなのに……。

それも、何事も丸くおさめるための上役の譲歩であり、会社の投資であるのだろうか。

会社は遊園地ではない、戦争だ!

さらに、人間関係をよくし、モラール(*2)を高める大切な事柄は、物理的な環境を楽しいものにしなくてはいけないらしい。

そのために、数々の厚生施設や娯楽設備をととのえて、ひたすら従業員のご機げんを取り結ばなければならないらしい。

そうしたことに関心を向けない経営者は非難され、従業員は楽しい職場、楽しい環境の中で仕事をすることが当然のことであると思いこんでしまう。

あまりのことに、「会社は遊園地ではない」(盛田昭夫『学歴無用論』)というような当然のことが、声を大にして叫ばれなければならなくなってしまったのである。

そもそも「楽しい職場」などというタワゴトは、いったいどこのバカがいいだしたのであろうか。

企業は戦争なのだ。

同時にそこに働く人びとにとっては、生活の資を得るための戦場でもあるのだ。人びとの毎日毎日の仕事が真剣勝負の場なのだ。「楽しい真剣勝負」というのがあるわけがない。

われわれの仕事の毎日は、もともと苦しいものなのだ。

ソニーの盛田昭夫氏が、会社は楽しいところではない。根本的なところを間違わないでもらいたい…。会社というのは働きに来るところだ。働いてお金をもうけて、それで楽しく会社外で暮してもらいたいのである。会社が楽しいところである必要は毛頭ないのだ。……『学歴無用論』

といっている。まったく同感である。

経営者は、楽しい職場をつくる責任もなければ、娯楽施設をととのえることに関心を向ける必要も毛頭ないのだ。経営者の責任は、「健全な経営」である。

われわれが、人間関係を大切にするのは、これによって従業員のモラールが上がり、それが業績向上に結びつくと考えるからである。この考え方自体に異論はない。

考えなければならないのは、現在われわれがもっている人間関係なるものの考え方では、その効果がほとんどない、ということなのである。

いや、逆にマイナスの効果になってしまうのを、筆者は数多く見せつけられているのである。

「そもそも、現在の人間関係は、四〇年前の〝ホーソン効果〟の上に何も積み上げていないではないか。ということは、〝ホーソン効果〟そのものが、本当の人間関係かどうか、すこぶる怪しいのである」という意味のことをドラッカーはいっている。

もともと、「ホーソン効果」とは、企業体の中の最低辺の人びとを対象とした、個人と集団の心理研究であって、その次元の低い下向きの理論を、そのままミドルのみならず、トップにまで拡大しようというのだから、ムリでありムチャである。

人間関係論者が、いくら声を大にして、その効果を叫ぼうとも、行動科学者たちの調査によると、モラールと生産性の間には、相関関係がない、という結果が出てしまうのである。

この事実を、われわれは率直に認め、フランクに反省しなければならないのである。

しかし、何といっても、従来の人間関係論の最大の欠陥は、経営を無視していることである。個人の心理研究にのみ心をうばわれ、肝心の会社を忘れ、職務を無視している。

会社は人間関係をよくすることが目的でもなければ、心理の研究所でもないのだ。会社は商品を生産し、販売し、あるいはサービスを提供することが仕事なのである。

だから、ドラッカーが、「人間関係は経営に優先しない」というわかりきった警告を発しなければならないほど、病は膏肓に入っているのである。

しかもこれが、大センセーションをまき起こすのだから、どうみても常態とはいえそうもない。やはり、人間関係病は相当重いのである。

人間関係がいかによくみえても、それが経営にとってプラスにならなければ、それはむなしい人間関係論であり、モラール・サーベイの結果がいかによくても、それが生産性向上に結びつかなければ、たんに、ある種の幸福感にしかすぎないのである。

われわれは、いま、「モラール」の定義づけを変えなければならないときにきているのだ。

それは、きびしい客観情勢の認識のもとに、企業の目標に焦点を合わせて、その一部を背負う決意と責任を果たすために役だつものでなければならないのだ。

従来の下向きの態度とは逆に、上向きに、常に一つ上の階層への貢献を、その基本的な姿勢とするものでなければならない。

そして、それは、うじうじした個人の心理研究ではなく、個性を生かし、積極的に困難にぶつかり、摩擦をおそれず、よいと信じたら、どこまでもやりぬく信念と勇気を与えるものでなければならないのだ。

また、部下に対しては、明確な目標のもとに、彼らを説得し、やる気を起こさせるという強力な指導力をそなえたものでなければならないのだ。

あくまでも前向きに、革新的な考え方を信念をもってつらぬき通すマン・パワー論でなければならないのだ。

まとめ

伝統的な人間関係論が業績に悪影響を及ぼす場合があります。

過度に従業員の感情を優先する経営スタイルが、実際には会社の成長を妨げ、特にイノベーションや個性を重視すべき場面での問題点を浮き彫りにしています。

従業員の不満に過剰に反応し、余剰人員の削減を避けるなどの行動が結果的に会社を赤字に追い込んでいる一例を挙げています。

更に、この手法が独創的で積極的な個性を抑圧し、摩擦を避けるために革新的なアイディアを無視する傾向があると批判しています。

また、会社が「楽しい場所」であるべきという考え方や、従業員のための娯楽施設の提供など、業績向上に直接結びつかない施策に対する批判的な見解も示しています。

総じて、従業員の満足度を重視しすぎることの危険性と、企業の本質的な目的との間のバランスを見失うことのリスクについて警鐘を鳴らしています。

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