目標が達成しにくいからといって、その設定が無意味だという見方は誤りです。
目標は、達成が難しいからこそ必要なのです。この考え方が、私たちが直面する現実の中でどのように機能するのか、そして目標が単なる到達点ではなく、むしろ困難を乗り越え、成長への道を切り開くための「検知機」としてどのように作用するのかを解き明かします。
この洞察によって、目標設定の真価と、それによって明らかになる危機管理の戦略が浮き彫りになります。
目標どおりいかなくとも目標は必要
目標はなかなか達成できないから必要
「目標をたてても、そのとおりいかない、だから目標をたててもムダだ」という声をよく聞きます。これはもっとものように思われます。
しかし、この考え方は間違いである。
たしかに、目標をたてても、なかなかそのとおりいくものではない。もしも簡単に、たいした努力もなしに目標が完遂できたら、むしろ目標そのものがおかしいといえる。
目標はむしろ、なかなか達成できるものではないからこそ必要である、という考え方に立つべきです。
というのは、もしも目標がなく、常に実績だけであるとしたら、いったいどういうことになるだろうか。実績だけでは、それが「生きるための条件」を満たしているのかどうかがわからないから困るのである。
たとえば、季節的変動のために、前半期と後半期の業績が大幅に違う会社は多い。
このような会社で、前半期の実績が大幅の黒字であるといって、必ずしも安心はできないのである。後半期の赤字が、黒字を食ってしまうかもしれないからである。
だから、後半期の赤字はどうしてもこれだけは出る、それを補って必要利益を生みだすには、前半期に「これだけの利益」をあげなければならない。
というふうに、目標を設定しておいて、これと実績を比較してみれば、その黒字で十分なのか、たりないのかがわかるのである。
われわれは、まず会社が「生きるための条件」を目標としておき、常に実績と比較してみなければならない。
そして、目標と実績が違っていたら、それ以後が目標どおりにいっても、現在の数字の違いだけ最終利益が違ってくるのだ、と考えるのだ。
このように目標と実績とを比較した時点で、目標との差を知ることができるのである。
この差が危険信号なのである。
常に目標と実績を対比していれば、危険な事態をいち早く知ることができるのだ。どうにもならないほど事態が悪化した後では手遅れである。
敗北主義ではいけない
また、不測の事故があって、実績が大きく目標とはなれてしまったとしよう。
このときに「目標と実績がはなれすぎて、とても実現できないから、目標は無意味になってしまった」と考えるのではない。こうした考え方は、「敗北主義」である。
「不測の事故によって、目標とこれだけはなれてしまった。この事態の重要度は、いったいどのようなものであろうか。そして、この事態をのりきるには、何をしなければならないか」と考えるのである。
事態の認識と具体策の樹立は、目標と実績との差をつかむことによって得られるのである。
客観情勢に応じて目標を変更しなければならないときでも、「どこをどれだけ変えたらいいか、それには新たにどのような努力が必要か」ということを、たやすく知ることができるのである。
このように目標は、企業の危険に対する「検知機」の役目も同時に果たしていることを忘れてはならないのである。
まとめ
「目標が計画通りに達成されないから無意味だ」という考え方は否定しなければいけません。
確かに、目標達成は容易ではなく、計画通りに進まないことも多いですが、それだけに目標は必要です。目標があることで、実績が企業にとって「生きるための条件」を満たしているのかが判断できます。
特に、異なる期間の業績を比較する際や、不測の事故による影響を評価する時に、目標と実績の差異は危険信号として機能します。この差異を理解することで、必要な対策を講じ、企業や個人が直面するリスクに対応できるのです。
目標は単に達成点を示すものではなく、危機を察知し、適切な戦略を立てるための基盤となるのです。
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