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目標の本質①!企業が生き残る条件が基礎

目次

目標設定の大原則

  1. 「企業が生き残る」条件を基礎にすること
  2. 現状調査の意義を正確に捉えること

「企業が生き残る」条件を基礎

目標設定において、大前提として「企業が生き残る」条件を基礎にしなければいけません。

教訓の第一は企業の目標は、生き残るための条件が基礎とするということです。

企業は生き残らなければならない。そして、企業の運命は基本的に客観情勢にどう対処するかできまってしまう。

引用:ゆがめられた目標管理

客観情勢のみを考慮する

目標設定をする際に、内部状況を鑑みて、「前年はこれぐらいだったから」「これ以上無理したら社内が混乱する」と言ったような目標設定をしてしまうことがあります。弊社でもそのような目標設定をしていました。

ただ、企業活動は、企業の内部事情とは本質的に無関係です。

どういうことかというと、商品・サービスを販売している市場は、全くもって会社の内部事情なんて関係ないということです。会社の内部事情がこうこうこうだからといって、全く意味がなく、全ての目標設定は、外部環境(市場(お客様)+競合)を鑑みて設定しなければいけません。

外部環境を客観情勢といいます。

「企業は戦争である」、そして、「このままでは企業はつぶれる」

企業をつぶす最大の要因は客観情勢である。

引用:ゆがめられた目標管理

繰り返しになりますが、企業の目標は、客観情勢に基づいて設定されるのであって、企業の内部事情とは本質的に無関係である、ということです。

客観情勢は、特定の企業の内部事情とは無関係にとてつもないスピードで変化します。客観情勢に基づいてたてられる企業の目標は、企業の内部事情とは無関係です。客観情勢は日ごとにきびしく、変化は急激になってゆく。

会社の内部事情ベースの目標設定は、全く無意味で、収益性を下げる典型的な考え方です。

目標(ノルマ)は必達:やり抜く以外道はない

目標は必達です。一般的には、ノルマと言われるものです。ノルマと聞くと「嫌だな」と思ってしまう人が大半ですが、会社経営においてはなくてはならないものです。

「社長の設定した目標が、どのようなものであるかは知らない。しかし、その目標は、会社を立てなおすために、おそらくは、幾十夜にもわたり、眠ろうとしても眠れない苦悩の末に、血の出るような思いで決定されたものであることは間違いない。その決定までに、社長は考えられるかぎりのすべての事柄について考え抜いているはずである。

会社の赤字を逆転して黒字にもってゆくためには、あまりにも多くの客観的・主観的な障害や大きな制約があり、どの障害と妥協し、どの制約には譲歩するかを検討しつくし、これ以上妥協したら黒字転換はできない、というギリギリ、後へは引けない線を打ち出しているのだ。

ムリであるとか、ないとかの問題ではないのだ。やり抜くよりほかに会社の生きる道はないのだ。

引用:ゆがめられた目標管理

目標設定を行う際に、起こることは2パターンです。

  1. これは無理だろうと社長自身が思ってしまう
  2. それを伝えた社員にそんなこと無理ですと言われる

なぜこのようなことが起きるかと言うと、従来のマネジメントの考え方が原因です。

従来のマネジメントの考え方は、すべて「過去の実績とか、本人の能力とかを基準にして、実現可能な計画とか、目標とか、予算をきめよ」という哲学です。

過去の実績をもとにして実現可能な目標をたてたところで、それが生きるための条件を満たしているのかは不明です。むしろ、満たしていないことの方が大半です。

このような考え方こそ、現実無視の観念論です。

目標を設定するということは、客観情勢の変化に対応し、その圧力に耐え、これをはねかえすための会社の決意を固める、ということです。

客観情勢の圧力が、目標という形をとって、われわれの上にのしかかってきます。だから、目標は圧力ということです。これは企業を経営するにあたって、100%避けては通れないものです。もしそれが嫌なら企業を経営を今すぐやめるべきです。

「圧力として感じさせてはいけない」とか「ノルマではない」というようなことは、目標のなんたるかを知らない者の寝言であるだけでなく、実は会社をつぶす危険思想なのである。

目標を達成しなければ企業は押しつぶされるのであるから、これはどうしても達成しなければならない「ノルマ」です。

目標であるノルマは、「上司が押しつける」のではなく、「客観情勢が上司をとおして圧力をかける」ということです。

あまい目標がその証拠だ。常識的な苦心しかしないで、社長の大苦悩の末に打ち出した目標を批判すること自体間違っていやしないか。あなたの会社は赤字なのだ。ぐずぐずしていたらつぶれるぞ。

部門の長がやらなければならないのは、社長の設定した目標を批判することではない。社長の打ち出した目標を達成するために、死にものぐるいになって働くことなのだ」

引用:ゆがめられた目標管理

例えば、マッチョになりたい人が、マッチョになるための必要摂取カロリーが3,000カロリーだった場合、2,500カロリーまでしか摂取できません、無理です!となったら、一生マッチョになれません。

それは必ず達成しなければいけないことで、落としてはいけないということです。そこに議論の余地はありません。企業目標としたら、生き残るために必要なことなので、ムリであるかどうかは問題ではありません。

議論すべき点は、本当に「マッチョになるためには3,000カロリー摂取する必要があるか」ということです。

企業の目標とは、「生きるための条件」が基礎になっているかぎり、これは問答無用なのである。ムリであるとかないとか、実現可能であるとかないとかという論議は、いっさい成り立たないのだ。

目標が生き残るための条件であるかぎり、それがムリであり、実現不可能なものであるならば、その企業は消え去るよりほかに道はなくなります。

企業は放っておけば赤字になる

企業は、なんとなく経営して利益が出る様な生半可なものではありません。それはなぜかというと、外部環境が要因です。外部環境は、顧客(市場)と競合がいます。この2つの要因は、自社の状況を一切待ってくれません。

適切な目標を立てて、進めていかなければ、競合にお客様を奪われてしまうため、自然と倒産してしまうということです。

「企業というものは、放っておけば赤字になり、倒産するようにできているのである。それを黒字にもってゆき、存続させなければならないのが経営者なのである」

引用:ゆがめられた目標管理

優れた目標設定

「すぐれた目標は『生き残る条件』をもとにし、凡傭な目標は過去の実績をもとにしてたてられる。すぐれた目標は会社の存続と発展を約束し、凡傭な目標は会社を破綻に導くのだ」

企業の目標とは、「生きるための条件」が基礎になっているかぎり、これは問答無用なのです。ムリであるとかないとか、実現可能であるとかないとかという論議は、いっさい成り立たないのだ。

現状調査の意義

現状調査→改善→新基準の落とし穴

伝統的な考え方は、まず第一に現状調査をせよ、つぎにそれを検討し、改善して、よりよいものにせよ、というのである。

伝統的な考え方を、小松製作所に当てはめて考えてみよう。

現状調査をしたら、寿命三、〇〇〇時間である。これに可能な改善を施して、五〇〇時間寿命がのびて、三、五〇〇時間になりました。メデタシ、メデタシということでいいのであろうか。

寿命が三、五〇〇時間になっても、それが生きるための条件、五、〇〇〇時間に満たないのなら、これはたんなる自己満足である。

三、〇〇〇時間であろうと、三、五〇〇時間であろうと、大勢には影響がないのだ。生きるための条件を満たさない点においては、〝五十歩百歩〟なのである。

現状調査→改善→新基準という、改善理論の罪悪がここにあるのだ。

このギャップこそ、「生きるために期限つきでやらなければならない事柄」であり、「これだけは、どうしてもやらなければならない最小限度の事柄」なのである。これを「これだけ主義」という。

従来の考え方は、できるだけやるという「できるだけ主義」なのだ。

「できるだけ」とはどれだけなのか、だれにもわからないし、できるだけやっても、それが生きるための条件を満たすか、満たさないか、だれにもわからないのである。

目標→現状調査→ギャップ

「改善」とか「合理化」の考え方は、現状調査→改善→新基準ではなくて、目標→現状調査→ギャップをつぶす、という考え方が本当であることを、小松製作所はわれわれに教えているのだ。

あげられた最大限の成果という自己満足で、最小限必要なギリギリの成果が忘れられてしまうからなのである。

ところで、従来の目標管理は、「どれだけやるか」を決める、見かけは「これだけ主義」ですが、蓋を開いたら。、「できるだけ主義」です。

目標が設定され、現在位置を把握し、そのキャップを埋めるために「血の出る思い」で目標を達成しなければいけません。

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