2025年– date –
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競争と道徳の分界
商工業の世界において、競争は避けがたいものであるが、その中にも明確なる道徳の一線が存在する。競争には、善意の競争と悪意の競争とがある。他を妨げ、利益を横奪し、破壊的に相手を貶めるような競争は、たとえ利を得たとしても、それは悪意の競争であ... -
個の富と国の富、調和の責任
個人の富は、すなわち国家の富である。国家の繁栄を語るに、個人の努力と勉励なくしてそれを得る道はない。人々が日々働き、励み、自己の発展と栄達を願うその営みが、やがて国の力を高め、全体の富へと結びついていく。このようにして富が積まれる過程に... -
人格の根と真の成功
忠信孝悌の道を重んじることこそ、人としての根を養い、人格を高める最も確かな道であると信ずる。この古より伝わる徳目は、単なる礼節や形式ではなく、人間の本質を正し、誠をもって世に立つための指針である。忠にして誠あり、信にして裏表なく、親を思... -
修養の本義と継続の力
修養とは、単に知識を学ぶことでも、精神を鍛えることだけでもない。それは、精神・智識・身体・行状のすべてを高め、人生全体を練り上げてゆく営みである。ゆえにこの道において、青年も老人も隔てはなく、いかなる年齢にあっても、常に己を修めねばなら... -
日々の修養と聖人への道
人は生まれながらにして完全ではなく、過ちを犯すものである。されど、誠実に修養を重ねるならば、過ちは一日一日と遠ざかり、善への歩みを深めることができる。修養とは、突如として成果を得るものではなく、静かに、着実に、日々の思考と行動を正し続け... -
変化に臨む自省と慎重
人は平生、己の主義主張を胸に抱き、それに従って歩むべきである。しかし、現実の中で事に臨み、予想せぬ局面に出逢ったとき、その信念が揺らぎ、考えを変えねばならぬ状況が訪れることもある。そのような時こそ、慌てて決断に走るべきではなく、再三再四... -
修養と公のための精進
今日における修養とは、ただ学を積むにとどまらず、力行と勤勉をもって実践に移し、智と徳の完全を目指すものである。その道は終わりなきものであり、日々の鍛錬と誠実な努力によってのみ成就される。しかしながら、修養は決して自らの向上のためだけにあ... -
国家と民の安寧を念う志
国家を思い、国を興し民を安んずるための方策を講ずることは、為政者にも実業人にも共通する重大な務めである。かつて相馬藩において定められた興国安民の法もまた、その精神において尊ぶべきものではあるが、今日においては、その存廃を論ずるにとどまら... -
人を量る真の物差し
人の価値を論じようとするならば、その富貴や功名、また成功や失敗といった外形的なものを第一に見るべきではない。それらは移ろいやすく、運や時勢にも左右されるものであり、真の人間性を映す鏡ではない。真に人を評価すべきは、その人がいかに世のため... -
真人の道
人が禽獣と異なる所以は、ただ言葉を話すからでも、道具を使うからでもない。徳を修め、智を啓き、己の力をもって世に益する貢献をなし得てこそ、はじめて人としての真価が問われる。すなわち、人間に与えられた理性と倫理の力を自覚し、それを実際に生か...