2025年– date –
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海と波
人はしばしば、自分という存在を限定されたかたちで捉えようとする。 名、立場、役割、性格――それらはまるで「波」の形のようなものである。 だが、その波はどこから生まれ、何によって支えられているか。 それが見えぬままに、ただ「自分は波だ」と思い込... -
小さき自己を超えて、宇宙とひとつになる(ブラフマン)
夜空に広がる星々は、果てしない宇宙の一部にすぎない。 秩序なく散らばっているように見えるそれらは、実のところ、緻密なリズムに従い、絶え間なく巡っている。 太陽が昇り、沈み、月が満ち欠けし、星が軌道を描く。その一つひとつが、見えざる法則に支... -
自己の奥にある力を知れ
人は目に見えるもの、耳に聞こえるもの、考えられるものを通じて世界を知ろうとする。 だが、そのすべての認識や行動の背後には、もっと深く、静かな「何か」が在る。それが「アートマン」――すなわち、意識の源であり、生命の根であり、目には見えぬ真の自... -
心に呑まれず、心を観る者たれ(アートマン)
私たちは、心の動きを知覚することができる。 「落ち込んでいる」「興奮している」と感じるとき、そこには感じている“自分”とは別に、感じている心を「見ている自分」が確かに存在している。 このことが示すのは、「私=心」ではないという事実である。 イ... -
教えは、開かれた心にしか届かぬ
人は、己の「考え」や「信念」や「価値観」によって、日々の判断を下している。 それは時に力となるが、同時に、外からの教えや導きを跳ね返す壁にもなる。 心が「自分の(が)」で満ちていれば、新たな何かを受け入れる余地はなくなる。 インド哲学では、... -
自分で満たされた心は、自由を失う
人は本能的に「自分」を守ろうとする。 そのはたらきは、インド哲学において「アハンカーラ(自我意識)」と呼ばれる。 自分の感情、自分の考え、自分の立場、自分の価値観――「自分の(が)」という意識が心を満たし始めると、やがて心の中に余白がなくな... -
悩むと「自分」を集めるようになる
人は悩みに陥ると、本能的に「自分」をかき集める。 自分の感情、自分の過去、自分の状況、自分の未来――あらゆるものを自分の枠で囲い込み、そこに答えを求めようとする。 不安、後悔、怒り、悲しみ、困惑。それらはすべて、自分が傷ついたという感覚から... -
人は本能的に、喜びを求め、痛みを避ける。
行き先の見えぬとき、人の心はたちまち乱れる。 焦りが胸を騒がせ、答えを急ぐほどに、かえって足元を見失う。 プレッシャーや不安は、外から来るものではない。内なる混乱が姿を変えて現れるにすぎない。 人は本能的に、喜びを求め、痛みを避ける。 迷い... -
驕らず、嘆かず、心を緻密に保て
得意のときに気を緩めれば、油断が生じる。失意のときに落胆すれば、志が折れる。栄えても沈んでも、情に溺れず、道理を守って歩むことが要である。 浮き沈みは世の常。その時々の感情に流される者は、歩みに一貫を欠く。道理をもって心を律し、いかなる状... -
甲羅に似せて穴を掘る
蟹はその甲羅に合った穴を掘るという。人もまた、己の器量を知り、分を守って生きるべきである。分を超えて誇れば、身を滅ぼし、誠を失えば、信を失う。 己を飾ることなく、できることを確かに積み重ねる。その根には、誠心誠意がなければならぬ。誠をもっ...