2025年– date –
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欲を離れ、琴と書に囲まれて心は仙境へ至る
心に物欲がなくなれば、そこはもう天高く晴れ渡った秋空や、雨のあとの静かな海のように澄みきっている。何かを手に入れよう、誰かに勝とう――そんな思いが消えたとき、心には一切の濁りがなくなり、深い静けさが訪れる。もし、そのそばに一張の琴と一冊の... -
文字や形だけでは、真の趣はつかめない
文字のある書は読めても、文字のない書(自然や沈黙の中にある真理)を読むことができない。弦の張った琴は奏でられても、弦のない琴――つまり、音なき中にある調べを感じ取ることはできない。人は目に見えるもの、手で触れられるものばかりを信じ、それを... -
草花も鳥の声も、真理を伝える師となる
自然界のすべては、私たちの心に宇宙の真理をささやきかけている。鳥のさえずりも虫の音も、ただの雑音ではない。それは目に見えぬ真理を静かに伝える「心の言葉」である。また、一枚の花びらや一色の草の緑さえも、天地の道を語る「文章」として読むこと... -
肉体は月影のような仮のもの。夢を醒まし、真の自己を知れ
夜の静けさに響く鐘の音が、私たちの魂を深い眠りから呼び覚ますことがある。それはまるで、夢の中でさらに夢を見ていた自分が、真実に近づく一瞬のようだ。また、澄んだ水面に映る月影を眺めるとき、その美しさと儚さにふれて、自らの肉体もまた幻のよう... -
趣は遠くに求めずとも、身近な静けさに宿る
風雅や趣を感じるために、豪奢な庭園や名勝地を求める必要はない。お盆のような小さな池、こぶし大の石を並べた庭――そんなつつましい空間にも、霞がたなびくような静かな美しさがある。遠くの名景を追いかけなくても、よもぎに覆われた窓辺や、竹屋根のあ... -
自然を語るときに俗が漏れるなら、まだ心は俗世にある
都会を離れて自然に暮らす――その選択は清らかでも、語り方に執着が残っていれば、まだ本質には達していない。田舎暮らしの魅力をしきりに語る人は、逆説的にその新鮮さに心を奪われている。名誉や利益を否定しながらその話をやめられない人もまた、欲望の... -
忙しさは心が生む。自然の時と空間にくつろげ
歳月はもともとゆったりと流れ、天地は広大に開かれている。しかし、あくせくと世事に追われ、狭量な心を持つ人間は、それらのゆとりある恩恵を自ら手放してしまっている。春の花、夏の風、秋の月、冬の雪――四季の美は、心静かに味わえば人を癒す。だが、... -
華やかさに惑わされず、枯れの中に真実を見よ
春の華やぎは美しい――けれどそれは、天地が一時見せる幻にすぎない。花が咲き乱れ、鶯がさえずり、山や谷が彩られる季節には、本当の姿はまだ隠されている。晩秋になり、花は散り、木々は葉を落とし、岩や崖があらわになったとき、ようやく天地の本来の姿... -
能力を誇るより、本性を保つ無為の境地を
釣りや囲碁といった一見高尚な趣味にも、裏には欲や争いの気配が潜んでいる。心を清らかに保ち、穏やかに生きたいなら――何かを成すことより、成さぬことに価値を見出すべきである。人より多くの才を持っていると誇るより、何もできなくても自分の本質を失... -
自然を語るときに俗が漏れるなら、まだ心は俗世にある
都会を離れて自然に暮らす――その選択は清らかでも、語り方に執着が残っていれば、まだ本質には達していない。田舎暮らしの魅力をしきりに語る人は、逆説的にその新鮮さに心を奪われている。名誉や利益を否定しながらその話をやめられない人もまた、欲望の...