2025年– date –
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平穏無事こそ、最大の幸福である
世の中でひとたび何か「事(こと)」が起これば、たとえそれが善きことであっても、必ず同時に“弊害”が生じる。ゆえに、真に幸せな世とは、何事も起こらず、静かに時が流れている状態である。 古人の詩には、次のような句がある―― 「君に勧む。封侯(ほう... -
人生の糸は、自分の手で握れ
人の一生は、ある意味では「傀儡(くぐつ)」――糸で操られる操り人形のような存在かもしれない。だが、その糸の“根元”を自分自身の手でしっかりと握っていれば、巻いたり伸ばしたり、歩くも止まるもすべて思いのまま。自分の意志で、自分の道を決めて進む... -
理由なき幸運は、天の“餌”か、人の“罠”かもしれない
自分の力や努力によらない、思いがけない幸運や授かりもの――それがもし自分に見合わないものであれば、それは天(自然の摂理)が人を試すために差し出した“釣り餌”か、あるいは人の仕掛けた“巧妙な罠”である可能性がある。 このことに対して、常に目を高く... -
富を得ても志を失うくらいなら、気高く貧しく生きよ
山林に住む隠者たちは、たしかに生活は質素で貧しいかもしれない。けれど、その暮らしには、俗世を超えた豊かな趣と精神的自由が満ちている。 田舎の農民たちは、粗野で洗練されてはいないが、その素朴さの中には、飾らぬ真心と天真爛漫な人間らしさがある... -
美しい風景に学びの心を重ねてこそ、人生は豊かになる
たとえば――花を育て、竹を植え、鶴と戯れ、魚の泳ぐ姿を静かに見つめる。それらは、自然と調和する人生のひとつの理想として、山林の隠士たちが楽しむものとされる。 しかし、こうした自然とのふれあいも、ただ風景に見とれ、物の美しさに心を奪われている... -
自然のままに生きることこそ、人の本当の美しさ
山の中に自生する山菜は、人の手によって水をやられることもなく、野に生きる鳥たちも、人間に飼われているわけではない。けれど、その味わいは――実に風味豊かで、どこか清らかさすら感じられる。 これと同じように、私たち人間もまた、世の中の汚れた価値... -
美しさも楽しみも、“ちょうどよい”ところで止めるのが粋
花は満開よりも、五分咲きの少し控えめな姿にこそ、上品な趣と、心を打つ美しさがある。 酒もまた、酔いしれる直前――ほんのりと気分がほころぶ「ほろ酔い」こそが、最も風情を感じられる状態だ。 どちらも度を越してしまえば、花は爛漫に咲き誇りすぎて儚... -
この世を「苦」とするのは、心のあり方しだい
多くの人は、名誉や利益を追いかけることに夢中になり、気づけば「この世は穢(けが)れている」「苦しみばかりだ」と嘆いてしまう。 だが、それは本当にこの世が「汚れている」からだろうか? ――雲は白く、山は青く、川は静かに流れ、岩はどっしりとそび... -
心に留めなければ、すべてはただ通り過ぎていく
耳に入ってくる雑音――それは、谷間を吹き抜ける大きな風のようなもの。その音を心に留めず、ただ通り過ぎるに任せていれば、そこに「良い」「悪い」といった判断さえ生まれない。 また、心に浮かぶ雑念も、池の水面に一瞬だけ映る月影のようなもの。もしこ... -
喜びの中にも憂いがあり、苦しみの中にも喜びの芽がある
子どもが生まれるとき、母親の身体には危険が伴う。お金が貯まれば、盗人の目にとまる。このように、どんなに喜ばしいことの中にも、実は心配や危険の種が潜んでいる。 反対に――貧しい境遇にあれば、節約の知恵が育ち、病気になれば、自分の体を大切にする...