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帝道と王道の理解
貞観七年(633年)、太宗は魏徴とともに古来の政治の良し悪しについて話し合っていました。太宗は言いました、「今は隋末の大乱の後なので、すぐには治まった世を作ることはできないだろう」と。しかし、魏徴はこう答えました。「そうではありません。およ... -
忠臣誅殺の故事
貞観六年(632年)、太宗は側近の者たちに言いました。「古人は『危うい時に手を差し伸べず、転んだ時に助けないのであれば、何のために付き添っているのか』と言っています。君臣の道義も同じです。臣下は忠義を尽くして君主を正し、助けるべきではないで... -
民は恐るべし
貞観六年(632年)、太宗は側近の者たちに言いました。「古来の帝王を見てみると、盛りがあれば衰えがあり、ちょうど朝があれば日暮れが来るのと同じだ。それはすべて、臣下が君主の耳目を覆い隠してしまい、君主は時の政治の善悪がわからないからだ。忠義... -
国の統治と人の病気は同じ
貞観五年(631年)、太宗は側近の者たちに向かって言いました。「国を治めるのと病気を治すのとには、違いがない。病人が治ったと思った時こそ、いよいよ養生しなければならない。もし禁じられていることを破れば、必ず命を落とすことになるだろう。国を治... -
隋の文帝の政治と理想的な政治の違い
貞観四年(630年)、太宗は蕭瑀に尋ねました。「隋の初代皇帝、文帝はどのような君主であったか?」蕭瑀は答えました。「文帝は私欲を抑え、天の理に立ち返り、政治に勤しみました。朝廷に座っていると、日が傾く時刻まで過ごしてしまうこともありました。... -
詔勅起草における議論の重要性
貞観三年(629年)、太宗は側近の者たちに向かって言いました。「中書省と門下省は、国家の中枢を担う重要な官署であり、だからこそ才能ある者を抜擢して任命しています。その任務は非常に重いものであり、もし詔勅に理に適っていない点があれば、徹底的に... -
昔と今の政治家の違い
貞観二年(628年)、太宗は黄門侍郎(門下省副長官)の王珪に尋ねました。「最近、君臣が国を治める方法が、昔より劣っていることが多いのはなぜだろうか」と。王珪は答えて言いました。「昔の帝王は、政治を行う際、すべて志を静謐に保ち、人民の心を自分... -
詔勅の起草における心構え
貞観元年(627年)、太宗は黄門侍郎(門下省副長官)の王珪に向かって言いました。「中書省で起草する詔勅には、しばしば意見が一致しないことが多い。誤りを含むものもあれば、互いに間違った判断で直し合うこともあります。そもそも、中書省と門下省を設... -
弓の心の教え
太宗は、若いころから弓矢を好み、その奥義を極めたと自負していました。しかし、ある日、良弓十数張を手に入れ、それを弓の工匠に見せたところ、工匠は「どれも良材ではありません」と答えました。太宗がその理由を尋ねると、工匠はこう説明しました。「... -
天下を守るは難きか易きか
太宗は、「天下を守ることは難しいか、それとも易しいか」と尋ねました。魏徴は、「天下を守るのは非常に難しい」と答えました。太宗は、「賢者や能者を任用し、その忠告を受け入れればよいではないか。どうして難しいのか」と尋ねました。しかし、魏徴は...