2025年– date –
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功と利に満ちた治世に、徳と仁の心を添える
—偉業の上に、思いやりが根を張るとき、理想の統治が成る 貞観十六年、太宗は自らの政治を省みて、功績(功)、国利(利)、徳行(徳)、仁愛(仁)の四つの柱について、どれにおいて最も優れているかと魏徴に問うた。 魏徴は即座に、「戦乱を収め、異民族... -
信頼なき統治に、忠義は芽吹かぬ
—君が臣を信じてこそ、臣は力を尽くす 魏徴は上奏し、君主と臣下の関係は「頭と手足」であり、共に調和してこそ健全な国家が成り立つと説いた。君主が臣を信じて大任を委ね、臣はその信に報いて忠義を尽くす。だが信を欠いたままでは、節義も道徳も立たず... -
頂に立っても、裸足で歩いた日を忘れるな
—栄光の上に奢るより、苦労の記憶を力とせよ 高昌国を平定した宴の席で、太宗は自らを戒めた。「驕りを慎み、正直な諫言を受け入れ、つまらぬ者の言を退け、賢者を用いてこそ、国は安定する」と語る。 それに対して魏徴は、斉の桓公とその臣下・鮑叔牙の故... -
身を忘れた君主に、国を忘れぬ臣はつかぬ
—帝王であっても、己を見失えば人の笑い草となる 太宗は、周と秦、桀王・紂王と孔門の弟子たちを比較しながら、善政の継続こそが国の長久をもたらし、悪政と驕慢は速やかな滅びを呼ぶと自省した。「私は常に古の王を鑑として己を戒めているが、それでも笑... -
諫めぬ沈黙は、万の命より重い罪
—誤った権威を支える者は、暴君と同罪である 魏徴は、隋の煬帝のもとで起きた大量の冤罪事件を語った。盗賊発生の報を受けた煬帝は、於士澄に命じて容疑者を無差別に拷問させ、わずかの疑いで二千人以上を斬首。その中の多くは、冤罪であることが後に判明... -
君臣は運命を共にする同志であれ
—忠言と聴聞が政を支え、国を守る 太宗は、「君主と臣下は、治まっているときも乱れているときも、安穏なときも危機のときも、一体であるべきだ」と語った。賢者と思い込み、諫言を拒む君主には、臣下も進言しなくなる。こうして主君は国を滅ぼし、臣下も... -
諫言を愛すれば、政は磨かれ、心は正される
—耳に痛い言葉にこそ、真の鏡がある 太宗はある日、魏徴に「近ごろの政治の良し悪し」について問うた。魏徴は、威信と功績は初期をはるかに凌ぐ一方で、民心の帰順や徳義の浸透はむしろ劣っていると率直に答える。そして、最も変化したのは「諫言への態度... -
人は長所をもって任じ、短所を知って備える
—短を責める前に、長を活かせ 貧窮の報告を受けて太宗は、「人材推薦が杜撰だ」と魏徴らを責めた。これに魏徴は明快に反論する。「我々は人物の長所と短所を明示して評価しています。凌敬は諫言に優れた才を持つが、贅沢を好むのは欠点。しかし、その短所... -
親王もまた一臣にすぎず、礼の外にあってはならない
—私情と礼法の混同は、政を乱す第一歩 越王李泰は太宗の寵愛を受けていた。ある者が「高官たちは越王を軽んじている」と讒言し、太宗は激怒し大臣たちを叱責した。だが、魏徴はそれに対して毅然と反論する。 「礼においては、親王であっても天子の臣下と同... -
臣の忠言を遮ること、君の恥なり
—統治に境界を設ければ、誤りも見逃される 尚書省の房玄齢と高士廉が宮城北門の工事について質問したところ、太宗は「南衙の政だけを管轄すればよい」と叱責した。しかし魏徴は、「それでは忠臣の職務を果たせない」と進言する。大臣とは、君主の手足・耳...