2025年– date –
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「自分はできる」は、たいてい過信である
— 自薦が競争と驕りを招くなら、慎むべきである 貞観十三年、太宗は側近たちに、こう問いかけた。「太平の後には乱が起こり、乱の後には太平が来ると聞く。今は隋末の大乱を経た後で、ちょうど太平の時代にある。このような時に天下の安寧を保つには、ただ... -
名ばかりの高官が組織を腐らせる
— 能力ではなく縁故や功績で選ばれた者が秩序を乱す 貞観十一年、御史台の治書侍御史であった劉洎(りゅうき)は、尚書省の副官(左右丞)任命の在り方について、厳しく上奏した。尚書省は国家の政務を司る中枢であり、その職務を担う者が無能であれば、組... -
地方を軽んじる政治は、民を苦しめる
— 現場を支える人材こそ、国家安泰の鍵を握る 貞観十一年、御史台の馬周が上奏文を奉り、太宗にこう進言した。「天下の安寧は、人材にかかっており、その中心となるのは、州刺史や県令といった地方長官です。県令は人数が多く、そのすべてに賢者をあてがう... -
誤って悪人を登用すれば、天下の害となる
— 才能よりもまず、人柄を見極めよ 太宗は、魏徴にこう語った。王者は、官職にふさわしい人材を選び、軽々しく登用してはならない。なぜなら、自らの行動や言葉はすべて天下の手本となり、善人を用いれば善人が集まり、悪人を用いれば悪人が群がってしまう... -
人を見る目がなければ、制度は機能しない
— 才ある者を選ぶ難しさと、うわべに惑わされぬ眼力 太宗は吏部尚書の杜如晦に、人材採用のあり方について疑問を呈した。表面的な話しぶりや文章力ばかりが重視されており、その人物の本質、つまり人格や行動規範が見られていない――そのような者が数年後に... -
才能はいつの時代にも存在する
— 探す目がなければ、逸材は埋もれたままになる 太宗は、右僕射の封徳彝に対して、国を治める根本は「人材を得ること」に尽きると語った。人材を推挙するように命じたにもかかわらず、誰の名前も上がってこないことに不満を示し、「重責をともに担ってくれ... -
地方を任せる人こそ、国を支える柱である
— 責任を担う者の選び方が、治世と乱世を分ける 太宗は、民を思い、毎晩眠れぬほど地方統治に心を砕いていた。中央の目が届かない地方においては、都督や刺史といった地方長官の善政こそが、民の暮らしを支え、国家の安定を保つ鍵になるからである。 彼は... -
第二章「大臣には些細な訴訟は裁かせない」
◆ 現代語訳(全文) 貞観二年(628年)、太宗は房玄齢と杜如晦に対してこう語った。 「そなたたちは尚書省の**僕射(実質上の省の長官)**として、私の政治上の苦労を分かち合い、広く見聞をもって賢人を探し登用する責任がある。ところが最近聞いたところ... -
第一章「官僚は人数ではなく才能」
◆ 現代語訳(全文) 貞観元年(627年)、太宗は房玄齢らに語った。 「政治の根本とは、人材の資質を見極めて適職を与え、官僚の数を無駄に増やさないことにある。『書経』には『任官はただ賢才に限れ』とあり、また『官職の定員を満たす必要はない。適任の... -
家柄でなく、人としての器を見よ
—皇子も功臣の子も、教えなければ道を誤る 貞観十七年、太宗は、「なぜ国家の創業者の子孫が代を重ねるうちに国を乱すのか」と問いかけた。臣の房玄齢は、「幼い君主が世の中を知らずに育つためです」と答えたが、太宗はその見方を否定する。 「それはむし...