2025年– date –
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国を守るは、跡を定めること
――皇太子と親王の秩序こそ、万世の礎 太宗は家臣たちに「今、国家にとって最も急務とは何か」と問うた。民の安定、異民族との調和、礼儀の涵養――それぞれの重視する理想が語られたが、褚遂良はこう述べた。「最も急務なのは、皇太子と親王の立場を明確にし... -
嫡と庶の秩序こそ、国家安定の礎
――親王は皇太子を越えてはならぬ 褚遂良は、魏王・李泰の王府への支給が皇太子を上回っていることに対し、礼に反するとして太宗に諫言した。皇太子は天子に次ぐ存在として特別の地位にあり、その待遇は礼によって最も重んじられるべきである。庶子である親... -
愛情もまた害をなすことがある
――寵愛は公平を欠き、子を苦しめる刃にもなる 親を想えばこそ、子を溺愛してはならない。それが馬周の諫言であり、太宗も深く納得した教訓である。 馬周は、親王の待遇に偏りが生じることが、将来の争いを招くと警告した。漢や晋では、皇帝が一部の子を特... -
望まぬ野心より、安らぎの分別を
――親王にはその位にふさわしい生き方を 太宗は、愛する子・呉王李恪に対しても、あえて都から遠ざけ、地方の長官とした。それは、親として共にいたいという情よりも、国家の秩序を優先する君主としての決断だった。 兄弟同士が皇位をめぐって争うことがな... -
世襲ではなく実力を
いかに名家の出でも、徳と才がなければ、国を害することになる――それが太宗の時代、封建制を巡って交わされた議論の結論だった。 太宗は、周のように子弟や功臣に地方を世襲させれば、王室の安泰につながるのではないかと考えたが、李百薬や馬周の諫言によ... -
時代錯誤の制度導入は、国を危うくする
— 封建の理想に潜む、世襲と分裂の危険 背景と要旨 貞観十一年、太宗は「周の封建制が800年続き、秦の郡県制が二代で滅んだ」歴史を踏まえ、皇族・功臣を州の長官(刺史)に任命し、その地位を世襲させようと考えた。 この制度構想に対して、李百薬と馬周... -
私情を排して公平を貫けば、不満は自然と消える
— 親族よりも功績。信頼はそこから始まる 背景と要旨 貞観元年(627年)、太宗は功臣たちに対し、第一等の勲功として封爵と食実封(実際の税収が伴う封地)を授けた。この処遇に対して、太宗の叔父・李神通が「自分の方が先に参陣したのに、文官が第一功と... -
名ばかりの称号にとどまらず、制度の本質を問い直せ
— 封建制の名残が残る時代に、中央集権の意義を改めて問う 背景と主旨 第八章では、唐代における「封建制(ふうけんせい)」の名目的存在と、それに付随する制度的・歴史的議論が取り上げられている。太宗の時代、実際には中央集権的な「州県制」が基本で... -
本質を見抜く者は、沈黙の中に真意を聞き取る
— 褒める言葉の軽さが、人となりを物語ることもある 貞観二十一年、太宗が翠微宮に滞在していた時のこと。彼は、穀物を司る司農卿の李緯を、新たに尚書省の戸部尚書(財政担当の長官)に任命した。その頃、宰相・房玄齢は長安に留まり、政務を預かっていた... -
正と邪を見極める力が、政治の根を支える
— 君主の公平さこそが、忠臣を呼び寄せる 貞観十四年、特進の魏徴は、君主による人材見極めの重要性と、公正な褒賞・処罰がもたらす国家の秩序について、詳細な上奏を行った。 彼は冒頭で「臣下を知るのは君主に勝る者はなく、子を知るのは父に勝る者はな...