2025年– date –
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富貴は偶然、徳行は真の価値
――王に生まれても、小人となるは自らの業による 太宗は李元景・李元昌・李恪・李泰ら王たちに向かい、地位や富を持つことよりも、日々の行いと徳を積むことこそが人としての価値を決めると説いた。 漢代以降、皇帝の子弟で封土を授かりながらも、真に名声... -
「善悪」の記録を胸に刻め
――繁栄も滅亡も、自ら積んだ行いによって決まる 太宗は、皇子たちの将来を深く案じ、歴史上の王侯貴族たちの「善行と悪行の実例」を集めて書物とし、『諸王善悪録』を編纂させた。この書には、成功者の道と、滅亡へ至った者の愚が明確に分けられて記されて... -
すべての物に、君主の心を学べ
――食・馬・舟・木に込めた、太宗の教え 太宗は、皇太子となった李治(後の高宗)に対して、日常のあらゆる事物を通じて帝王の道を説いた。胎教はできなかったが、太子を立てて以後、ひとつひとつ手を取り導くように教訓を与えていたという。 食事に臨んで... -
君主たる者、民の痛みを知らずして政は為せぬ
――奢りに流れぬよう、太子には民の現実を教えよ 太宗は、太子の補佐役である于志寧(うしねい)と杜正倫に語った。「太子は宮中で育ち、民の苦しみを知らぬ。ゆえに、お前たちは太子に民の利害を教え、正しく導いてほしい」と。 自らは十八歳まで民間で暮... -
皇太子にこそ師友を与え、徳と識見を育てよ
――過保護では君主は育たぬ 高宗(李治)が初めて皇太子に立てられたとき、太宗は彼を手元に置き、東宮へ移すことを避けた。だが、散騎常侍の劉洎(りゅうきつ)は、それでは皇太子が学ぶ機会を失うとして、丁寧かつ情熱的な諫言を行った。 劉洎は説く。皇... -
礼は師を尊ぶことに始まる
――皇太子であっても、師には頭(こうべ)を垂れるべし 太宗は、皇太子が師傅を敬うことでこそ、真に道徳を学ぶ姿勢が育まれると考えた。三師(太子太師・太子太傅・太子太保)は道徳をもって導く存在であるから、形式的にも実質的にも、師の位を軽んじては... -
師を見ること、すなわち君を見ること
――親王には、父に接するように師を敬わせよ 太宗は、親王が身を崩すのを防ぐためには、日々の教育と態度が肝要であると考えた。とくに魏王・李泰の補導役には、忠直で志高い王珪を任命し、その接し方についてまで細かく指示した。「王珪に会うときは、私と... -
人を育てるのは、身近な者の徳
――師傅いかんが、君主の器を決める 太宗は、皇太子や親王の将来を案じ、補佐役=師傅の選定がいかに国家の安定に直結するかを強調した。 高潔な人物は自然と悪に染まらないが、中庸の知恵しか持たぬ者は、近くにいる人の影響を強く受けてしまう。成王が賢... -
聖王に師あり、凡人に師なくして何をなせようか
――補導役なき政治は、王道たり得ぬ 太宗は、自らの至らなさを認めたうえで、聖王たちに必ず師がいたことを挙げ、三師(太師・太傅・太保)の制度を律令に明記すべきだと詔した。黄帝、堯、舜、禹、湯、文王、武王――名君の誉れを受けた彼らでさえ、賢き師に... -
厳粛なる師の志は、太子をして頭(こうべ)を垂れさせる
――威儀と敬意が、人を導く 皇太子の補佐役であった李綱(りこう)は、足の病に悩まされながらも、師としての威厳と気概を失わなかった。太宗は彼を深く尊重し、輿を賜って親衛軍に担がせ、皇太子自らに宮殿へ昇らせて拝礼させた。これほどの礼遇が示された...