2025年– date –
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恩義を忘れた者は、自らの滅びを招く
善を積む者には福が、悪をなす者には災いが訪れる。それは光が形に影を生じさせ、音が音色を返すように、必然の理である。 突厥の啓民可汗が隋に助けを求めたとき、隋の文帝は国を挙げて彼を助け、地位を保たせた。だが、後継者たちはその恩を忘れ、報いる... -
倉を満たすより、民を満たせ
太宗は、隋の滅亡の一因が、民より倉庫を重んじた統治にあったと見抜いた。文帝は凶作の年に倉を開かず、飢えた人民を他所へ移して見殺しにした。その結果、国庫は豊かになったが、民の心は離れた。その富を受け継いだ煬帝は、奢り高ぶり、ついに国を滅ぼ... -
力で治めても、心を得なければ続かない
秦も周も天下を取った。しかし、命運の長さはあまりに違う。その違いは、単に「取る」方法ではなく、「治める」姿勢にあった。 唐の太宗は、周の武王と秦の始皇帝の事例を引き合いに、こう説いた。周は殷を倒した後、仁義を広めて人々の心を得ようとしたが... -
美を取るより、心を守る
―『貞観政要』巻五より:太宗が高句麗の美女を帰国させた理由 🧭 心得 真に人を思うとは、その心の自由と尊厳を守ることである。貞観十九年、高句麗の王・高蔵とその実権者・泉蓋蘇文が、唐の太宗に対し**「貢女(こうじょ)」として二人の美... -
不義の贈り物は、国の徳を汚す
―『貞観政要』巻五より:泉蓋蘇文の献上を拒絶した太宗の判断 🧭 心得 不義の者が捧げる品は、いかに貴重でも、それを受け取ることは国家の徳を傷つける。貞観十八年、高句麗を治める軍閥の**泉蓋蘇文(せんがいそぶん)**は、自らの主君を弑... -
栄光の中に、滅びの種は宿る
―『貞観政要』巻五より:太宗の自戒と臣下への諫言要請 🧭 心得 真の賢君は、誉れの瞬間にこそ、最も深く己を省みる。貞観十二年、西域の疏勒(そろく)・朱俱波(しゅくは)・甘棠(かんとう)といった諸国から、使節が貢物を持って長安に来... -
慈しみは、自由にしてこそ本物
―『貞観政要』巻五より:太宗の仁政、ひと羽の鳥にも及ぶ 🧭 心得 真の仁とは、力ある者が、弱きものの本性を思い、自由を与えることにある。貞観年間、南方の林邑国(現在のベトナム中部)から献上された**白鸚鵡(しろおうむ)**は、よく人... -
土地の貢ぎ物は、土に忠実であれ
―『貞観政要』巻五より:太宗の地域経済と貢納政策に関する訓示 🧭 心得 貢物(みつぎもの)は名声の飾りではなく、地域の誠をあらわすもの。貞観二年、太宗は朝集使に対して、**「任土に応じて貢を作す(=その土地の産物を貢納せよ)」**と... -
いのちは天命、法は天下のためにある
―『貞観政要』巻五より:長孫皇后の気高き遺言 🧭 心得 己のために、法を曲げるな。貞観年間、長孫皇后が重い病に伏したとき、皇太子は彼女の病気平癒を願って、囚人の恩赦と仏門への出家供養を上奏しようと申し出た。しかし、皇后は毅然とこ... -
詔(みことのり)は汗のごとし――出す前に十度思え
―『貞観政要』巻四より:太宗の詔令観と制度重視の姿勢 🧭 心得 命令とは、ひとたび出せば取り消せないもの。だからこそ、詔や法律は、軽々しく発してはならない。貞観十一年、太宗は「詔・律・令・格・式(法令体系)」は常に一貫していなけ...