2025年– date –
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賢くあってこそ、真の楽しみがある
「真に楽しむ力は、徳ある行いの上に生まれる」 ある日、梁の恵王が庭園の沼のほとりで、鴻(おおとり)や雁、大鹿や小鹿を眺めながら孟子に問うた。 「賢者もまた、こういうものを楽しむものか?」 それに対して孟子は、やわらかく、しかし明確に答える。... -
真の仁義は、人を見捨てず、忠を尽くす=徳治の実践原理
「利益よりも正道を──“仁義”が人と組織の信頼を築く」 孟子は、仁のある者は親を見捨てず、義のある者は君主をないがしろにしないと説いた。 「仁」とは人を思いやる心であり、「義」とは正しさを貫く行いである。 親を思いやる気持ちがある者が、親を見捨... -
利を先にすれば、やがて国が滅ぶ
「利を先にすれば奪い合い、義を先にすれば信頼が生まれる」 孟子は、王から始まり、大夫(だいふ)、士、庶民に至るまで、皆が「いかに利益を得るか」と口にするようでは、国はやがて滅びると警告した。 地位ある者が高い俸禄を受け取りながらも「義」を... -
利益を求める前に、仁義を貫け
「利益よりも道理──“仁義”が組織を持続させる礎となる」 孟子は、戦国の雄・梁の恵王に対して真っ向から「仁義」の重要性を説いた。 恵王は孟子に「遠路はるばる来たからには、我が国に何か利益をもたらしてくれるのだろう」と尋ねた。しかし孟子は即座に... -
感情を制する者こそ、国を制する
貞観十六年、太宗は自らの感情や方針に迷いを抱きつつ、魏徴に「私の内面にある驕りや甘さ、感情の過不足について、遠慮なく進言してほしい」と求めた。 これに対して魏徴は、「賢者も愚者も、欲望や喜怒の感情を抱く点では変わらない」と答えた。だが、**... -
勝ったあとの油断こそが最大の敗因
太宗は、「天下の平定は成し遂げたが、守り方を誤れば功績も長続きしない」と語った。その実例として、秦の始皇帝を挙げ、六国を併せた偉業をなしながら、その晩年には奢りや暴政により天下を失ったことを「戒め」とした。 太宗はまた、臣下たちに対し「公... -
有終の美を飾るには、初心と戒めを忘れないこと
魏徴は、貞観十三年、太宗の近年の姿勢に危機感を抱き、十の理由を挙げて諫言した。それは、単なる批判ではなく、真に太宗が「始めたことを終わらせるために必要な心得」を伝えるためであった。 かつての太宗は、倹約を重んじ、民を慈しみ、正道を貫こうと... -
名君に並ぶ道は、比較ではなく継続にある
書物を読むと、歴代の賢帝も賢臣も、みな努力を惜しまなかったという。しかし、それでも三皇・五帝のような理想の時代には及ばないのはなぜか――太宗のこの問いに、魏徴はこう答えた。 「名君や名臣でさえ、最初は理想を目指して志を高く持つが、いったん安... -
文でも武でも徳でも、誇るべきは功ではなく、終わりまで貫く志
貞観九年、太宗はその功績を振り返り、「自ら何もせずとも異民族は服属し、国は治まり、徳政が広がった」と語った。だがその口調には慢心はなく、「これらの成果は皆、臣下の力による」とし、未来に向けての責任を強調した。「始めたからには最後まで貫き... -
勝ってもなお、慎む者だけが最後まで全うできる
歴史を見れば、大業を成し遂げた君主であっても、それを守り続けられる者は稀である。太宗は、前漢の高祖・劉邦を例に挙げ、秦を滅ぼして天下を得たにもかかわらず、その後の振る舞いが多くの誤りを招き、政の継続を危うくしたことを語った。 皇太子である...