2025年– date –
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人は互いの役割で生きる。仁政は仕組みと信頼から始まる
境界を正し、役割を尊重せよ。社会は分担で成り立つ 文公が孟子の教えに従い、土地制度の改革(助法導入)を進めようとしたとき、家臣の畢戦を孟子のもとに遣わし、井田法について問わせた。 孟子は言った。「あなたの君主は、仁政を志し、あなたにその実... -
教えを興し、国を新たにせよ。仁政の完成は文化にあり
生活を支え、心を育てる。それが国を「維新」する道 孟子は、俸禄の世襲制(世祿)が既に行われている以上、次に考えるべきは民に直結する税制と教育であると説く。 『詩経』にはこうある: 「我が公田に雨が降り、やがて私田にもその恵みが及ぶように」 ... -
税は民の苦しみに寄り添ってこそ、仁政となる
徴税は制度の問題ではない。心の在り方の問題である 孟子は文公に、仁ある政治のためには、生活に直結する税制をこそ慎重に考えるべきと説いた。 賢君は、人には礼をもって接し、自分には慎み深くあり、民からの徴税にも限度と節度を設ける。富を得ようと... -
民の生活を安定させよ。道徳はその上に成り立つ
飢えた民に徳は育たず。政治の急務は、暮らしの保障にある 文公が治国の道を問うと、孟子はこう答えた。「民の暮らしに関すること――特に農事や衣食住といった生存の基盤は、最優先で対応すべき急務である」と。 孟子は『詩経』を引いて、春の種まきに備え... -
真心を貫けば、人の心は自然と動く
信念をもって尽くすことが、最大の教えとなる 孟子の教えを受け、太子(後の文公)はついに決意した。「これは、すべて自分がやり尽くすかどうかにかかっている」と。そして三年の喪を行うことを定め、葬儀の五ヵ月前からは粗末な仮小屋にこもり、政務も差... -
徳は風のように下を動かす。始まりはすべて自分から
礼も感動も、上に立つ者の真心しだい 再び孟子のもとを訪れた然友に、孟子はこう言った。喪の礼をどうすべきかという問題に対して、それは他人に求めるものではなく、自分の心の尽くし方であると。 孔子もかつて説いた。君主が亡くなれば、太子は政を冢宰... -
真に改めるには、己を変え、先例を超える覚悟が要る
伝統に挑むときこそ、学びと志が問われる 父の死に際して「三年の喪」を行おうと決意した太子(後の文公)。しかし、その意志に対して一族の長老や役人たちは反対した。「これまでの君主もやらなかった。宗国・魯の先例にもない。先祖のやり方に背くのは不... -
親を失ったとき、心を尽くす礼で応える
喪の礼は、子としての本心を示すかたちである 孟子の言葉が、若き日の太子(後の文公)の心に残っていた。父・定公を亡くした太子は、かつて孟子と交わした会話を今なお忘れられず、信頼する臣・然友を鄒の孟子のもとへ遣わす。「親を弔うには、まず心を尽... -
大きな志を持ち、初めに大いに奮発せよ
成功には、心震えるような覚悟と発奮が不可欠 孟子は、誰もが聖王のようになれる素質を持っていると説いた。それは天賦の性善であり、志と努力によって開花する。 孟子が斉の太子に語ったのは、ただの励ましではなかった。歴史に名を残す聖人たち——堯・舜... -
志が定まらないうちは、禄(ろく)を受け取るべきではない
孟子が斉を去り、休(きゅう)という地に滞在していたとき、弟子の**公孫丑(こうそんちゅう)**が問うた。 「先生は斉に仕えながらも、禄(給料)を受け取られませんでした。これは、古の聖人の伝統に則ってのことでしょうか?」 この問いに対し、孟子は...