2025年– date –
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親に仕えるとは、身体を養うだけでなく、志を汲んで満たすことである
孟子は、孔子の弟子・**曾子(そうし)**が父・曾晳(そうせき)に仕えたときの逸話を引き、「親孝行」の本質は、ただ肉体を養うのではなく、「親の心=志」を汲んで応えることにあると教えている。 ◆ 曾子の孝養のあり方:志を養う 曾子は父の食事に際し... -
仕えることの根本は「親に仕える」ことであり、守るべきものの第一は「自分の身」である
孟子は、人としての在り方において、**仕えること(事)と、守ること(守)**の根本を明確に説く。 仕えるということの根本は、「親に仕える」こと 孟子は問う: 「仕えるということの中で、最も大切なものは何か?」 その答えは、 「親に仕えることが、仕... -
親子に最も必要なのは「恩愛」であり、「正しさ」ではない
弟子の**公孫丑(こうそんちゅう)**が、孟子に問うた: 「君子が自分の子を自ら教育しないのは、なぜでしょうか?」 これに対して孟子は、「自然にそうなるものであり、そうせざるを得ない理由がある」と語る。その理由は――**「教えることによって、親子... -
天下は手で救えぬ。救うべきは「道」によってである
孟子は、斉の弁士・**淳于髠(じゅんうこん)**とのやり取りの中で、臨機応変と本質的原則の違いを鋭く語る。 淳于髠はまず、礼の原則を問いかける: 「男女が直接、物を手渡ししないのは礼によるものですか?」 孟子は答える: 「それは、礼である」 する... -
真の「恭」と「倹」は、内からにじみ出るもの
孟子は、「恭倹(きょうけん)――慎みと倹しさ」の徳について、本物と偽物の違いを明確に示している。 **「恭者(きょうしゃ)」**は、自らを慎み、へりくだる人であり、他人を決して侮らない。 **「倹者(けんしゃ)」**は、慎ましく倹約する人であり、他... -
瞳は心の鏡である。人の本心は、目にあらわれる
孟子は、人の真の在り方を見抜くには**「瞳(ひとみ)」を見よ**と説く。人間の内面は、言葉や態度で取り繕うことはできても、瞳の奥にある本心まではごまかせないという。 心が正しければ、瞳は澄みきっている。 心が曲がっていれば、瞳はにごり、どこか... -
君主に媚びて民を苦しめる者は、最も重い罪を負う
孟子は、民を顧みずに君主の私利を追求する臣を、厳しく非難する。その代表例として登場するのが、孔子の弟子である**冉求(ぜんきゅう)**である。 冉求は、魯の権臣・季孫氏の家老となったが、 季氏の悪徳を正さず、 民に対する税(穀物)を倍増させて、... -
長老を敬う者のもとに、天下の人は帰する
孟子は、周の文王が仁政を始めたとき、天下に名高い二人の賢者――**伯夷(はくい)と太公望(たいこうぼう)**が、それぞれ東西の海辺から立ち上がって彼のもとに身を寄せたという逸話を語る。 二人はどちらも、殷の暴君・紂王の圧政を避けて隠れていたが、... -
誠を尽くせば、必ず人の心は動く
孟子は、人が他人を動かすには、まず自分が「誠=まこと」を尽くすことが不可欠であると説く。自分が誠実でなければ、他人を感化することはできず、どれほどの言葉や地位も空虚に終わる。 孟子は、信頼と誠の連鎖構造を丁寧に説き明かす: 下の者が上に信... -
大切なことは、いつも目の前にある
孟子は、人が求めるべき「道(みち)」や「仕事(つとめ)」は、実はとても近く、やさしいものだと説く。にもかかわらず、多くの人はそれを遠くの特別な場所に探しに行き、難しいものにすり替えてしまう。 道は身近なところにある。 行うべきことは、本来...