2025年– date –
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昔から正しい道を行うことは変わっていない
時代も場所も違えど、「道」はひとつである 孟子は、聖人たちがどの時代・地域に生まれようとも、真に「道(みち)」を得て歩む者は、同じ志をもって一致すると説いた。 舜は東方の地に、文王は西方の地に生まれた。ふたりの生まれも育ちも、さらには時代... -
親に認められぬ成功は、草やあくたと同じ――「大孝」は家庭と天下の両立にある
孟子は、**天下の人々から賞賛され、王たる地位に上り詰めた舜(しゅん)**の心の在り方に注目し、「本当の喜び」「真の充実」とは何かを問い直す。 「天下すべてが悦んで舜に帰服しても、それだけでは舜は何の喜びも感じなかった。それは、まるで草や芥(... -
孝と悌――その喜びは、やがて「手の舞い足の踏むところを知らず」へと至る
孟子は、儒教五常(仁・義・智・礼・楽)のそれぞれの根本を解き明かし、それらがすべて「孝」と「悌」――親への孝行、兄や年長者への敬意に立脚していることを説いた。 その実践が心に根づくとき、人はやがて―― 「手の舞い足の踏むところを知らず」 つまり... -
親不孝の最大は「子を残さぬこと」――血の断絶は家の断絶
孟子は「不孝」について、非常に明確な基準を打ち立てている。 「不孝には三つの大きなものがある。その中でも最も大きな不孝は、跡継ぎを残さないことである」 これは儒教の根本思想である**「孝=親を敬い、家を守ること」**に根ざす考え方であり、単に... -
聖賢の道を学んだ者が、ただ“食べるため”に従うとは情けない
孟子は、愛弟子である**楽正子(がくせいし)**に対し、再び厳しく諫める。 「お前が子敖について斉まで来たのは、ただ“餔啜(ほせつ)”――食べさせてもらうためではないか」「古の道を学んだお前が、まさかそんな行動に出るとは思わなかった」 ここで孟子... -
愛弟子でも、礼を欠けばきちんと叱る。それが本物の師の姿
この章は、孟子が**自らの愛弟子・楽正子(がくせいし/らくせいし)**に対して、礼を欠いた振る舞いを厳しく戒める一幕を描いている。相手が高弟であり、かつかつて自分のために尽力した人物であっても、師は師として節度を保つべきであるという孟子の信... -
まだ道を極めてもいないのに、すぐ“先生ぶる”ことこそ、人間の大きな落とし穴
孟子は、数ある人間の欠点のなかでも、**「他人を教え導く者のごとく振る舞いたがる傾向」**を強く戒めている。 「人の患(うれ)いは、好んで人の師と為るに在り」 これは、単なる教師や学者に限らず、**あらゆる場面で人の上に立とうとする「態度」**へ... -
実行する覚悟なき言葉に、重みはない
孟子は、口先だけで立派なことを言う人間を鋭く批判している。 「人が軽々しく意見を述べるのは、責任を持っていないからである」 この一言には、孟子が重んじる「言行一致の倫理」が凝縮されている。 ◆ 言葉に軽さが出るのは、実行する気がないから 孟子... -
評判は風のようなもの。誉められても驕らず、けなされても挫けず
孟子は、人の世の「評価」や「評判」ほど、あてにならないものはないと喝破する。 「思いもよらない誉れがある。完璧を求めて努力したのに、かえって非難されることもある」 つまり: 評判は、努力の正当な報酬とは限らない 誉れも毀(そし)りも、外的要... -
国を正すには、まず「君」を正せ。その力は、大徳の人物にしかない
孟子は、世の政治が乱れるとき、多くの者が**「小人(しょうじん)=つまらない人物」や枝葉末節の政策**を非難するが、それは本質を見誤っていると説く。 ◆ 小人や細かな政策を責めても意味はない 「小人が上に立っているからといって、それを責めるのは...