2025年– date –
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仁義の有無が鳥、けものと人間の異なる点である
人と獣の違いは、仁義を保てるかどうかにある 孟子は、人と禽獣(きんじゅう=鳥やけもの)との違いは、ごくわずかな差にすぎないと語る。しかし、この「わずかな差」こそが決定的であり、それが仁義(じんぎ)=人間の心に備わる道徳の核である。 一般の... -
君子は自分の実力以上の名声、評判を恥じる
源のない名声は、やがて涸れる――真価は内から湧くもの 孟子は弟子の徐子(じょし)からの質問に応え、孔子がしばしば称賛した「水」の徳について語った。 水源の豊かな泉は、昼も夜も絶えることなくこんこんと湧き出し、途中にくぼ地があればそれを満たし... -
賢者が登用されないのは不吉なことである
最も不吉なのは、賢者を隠すことである 孟子は、世間に多くある「不吉な言葉」について、それが本当に災いをもたらすものではないと語る。人は言葉尻に敏感になり、「縁起が悪い」と言って忌避するが、そうした表現の多くは迷信にすぎない。 しかし、**真... -
人を服させたいという私心から善を施しても王者にはなれない
真の支配は、心からの信頼と尊敬によって成り立つ 孟子は、「人を服させよう」という意図から善を施すことは、決して真の服従=心服を得るものではないと断言した。このような行為は、表面的には善意に見えても、その背後に「人を従わせたい」という私心(... -
詳しく学ぶのは、正しい要点を理解するためである
学ぶとは、枝葉を広げて本質に還ること 孟子は、学問とは博識を誇るためのものではないと、明確に述べている。広く学び、詳しく説明すること自体は確かに大切である。だがその目的は、**道理の根本=「約(やく)」**に立ち返って、要点をしっかりと語るた... -
自得したことが何をするにも根源となる
内から得た道は、あらゆる問題への答えとなる 孟子は、「君子(くんし)」すなわち高徳な人物が、人生をかけて「道(みち)」を探求する理由を語る。それは、単に知識としての「道」を知るのではなく、自らの内から深く「得る」=自得(じとく)するためで... -
親孝行は当たり前のことであり、親の葬儀は大事な節目である
日々の孝よりも、死に際しての礼が人の真価を問う 孟子は、親に孝養を尽くすことは当然のことであり、それ自体は特筆すべき「大事」とは言えないとした。本当に重要なのは、親が亡くなったときに、どのように弔うか――その葬送の場にこそ、人としての礼や誠... -
大徳の人は赤ん坊のような純真さを失わない
大きな徳は、無垢な心を持ち続ける力に宿る 孟子は、「大人(たいじん)=真に徳を備えた人」とはどのような人かを、たった一つの比喩で示した。それが、赤子(あかご)=赤ん坊である。つまり、大徳の人とは、赤ん坊のような純粋な心、損得や打算を知らな... -
大人は「言うこと必ず信、行うこと必ず果」と決めつけない
過去に縛られず、今このときの「正しさ」に従うのが大人 孟子は、人としての信義(しんぎ)を重んじつつも、「必ず前言を守るべきだ」「始めたことを必ずやりきるべきだ」という硬直的な姿勢を、**真の人格者=大人(たいじん)**のあり方とはしなかった。... -
孔子は中庸の人であった
行き過ぎず、足りなさすぎず――孔子の徳は中庸にあり 孟子は、孔子の人柄について「已甚(いしん)しきを為さざる者=極端なことをしない人」と評した。つまり、孔子は「やりすぎることがない」、常に節度をわきまえ、偏らない行動をとった人物であるという...