2025年– date –
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行為のただ中で、無為の境地にとどまる
■引用原文(日本語訳) 〔行為のヨーガに〕専心した、真理を知る者は、「私は何も行為しない」と考える。見て、聞き、触れ、嗅ぎ、食べ、進み、眠り、呼吸しつつも。(第5章 第8節) ■逐語訳 行為のヨーガに専念し、真理を悟った者は、「私は何も行ってい... -
自己を整えた者は、行為に染まらず道を貫く
■引用原文(日本語訳) 〔行為の〕ヨーガに専心し、自己を清め、自己を制御し、感官を制し、その自己が万物の自己となった者は、行為をしても汚されない*。(第5章 第7節)*汚されない:行為によってカルマ(業)の束縛を受けない。 ■逐語訳 ヨーガ(無... -
行為を超えるには、行為を通らねばならない
■引用原文(日本語訳) しかし、〔行為の〕放擲*は、〔行為の〕ヨーガなしでは達成され難い。〔行為の〕ヨーガに専心した聖者は、遠からずブラフマンに達する。(第5章 第6節)*放擲(ほうてき):行為そのものを手放す生き方。サンニャーサの道。 ■逐語... -
理と行を一に見る眼が、真の洞察をもたらす
■引用原文(日本語訳) サーンキヤによって得られる境地は、ヨーガによっても到達される。サーンキヤとヨーガとを同一に見る人は、真に見るのである。(第5章 第5節) ■逐語訳 サーンキヤ(理論・智慧)によって到達される悟りの境地は、ヨーガ(実践)に... -
理論と実践は分かたれず――一つを極めよ、全てが得られる
■引用原文(日本語訳) 愚者はサーンキヤ(理論)とヨーガ(実践*)とを別個に説くが、賢者はそうは説かない。一方にでも正しく依拠すれば、両方の成果を得る。(第5章 第4節)*実践:ここではカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)を意味する。 ■逐語訳 愚か... -
執着を手放す者こそ、真の自由を得る
■引用原文(日本語訳) 憎むことなく、期待することない人は、常に放擲した者*と知らるべきである。実に、相対を離れた人は、容易に束縛から解放される。(第5章 第3節)*放擲(ほうてき):行為や結果への執着を手放した人。 ■逐語訳 何ものも憎まず、... -
行動の中にこそ、智慧と解放が宿る
■引用原文(日本語訳) 聖バガヴァットは告げた。「行為の放擲と行為のヨーガとは、共に至福をもたらす。しかし、その両者のうちで、行為のヨーガは行為の放擲より優れている。」(第5章 第2節)*「放擲(ほうてき)」=行為(カルマ)を完全に捨て去る道... -
放棄か実践か――真の道は見極めによって開かれる
■引用原文(日本語訳) アルジュナはたずねた。「クリシュナよ、あなたは行為の放擲*を讃え、かつ行為のヨーガを讃える。この両者のうちでどちらが優れているか、はっきりと私に語って下さい。」(第5章 第1節)*放擲(ほうてき):捨てること、放棄する... -
すべての根源に立ち返るとき、人は揺るぎなき安らぎを得る
■引用原文(日本語訳) 「というのは、私は不死不変のブラフマンの基底であり、永遠の教法の、また絶対の幸福の基底であるから。」(第14章 第27節) ■逐語訳 「なぜなら、私は〔不滅なる〕ブラフマンの根底であり、永遠なるダルマ(教え/秩序)の根底で... -
揺るがぬ信愛こそ、性質を超えた真の道
■引用原文(日本語訳) 「また、不動なる信愛のヨーガにより私に奉仕する人は、これらの諸要素を超越して、ブラフマンと〔一体に〕なることができる。」(第14章 第26節) ■逐語訳 「揺るぎない信愛(バクティ)のヨーガによって、常に私(神)に奉仕し帰...