2025年5月– date –
-
借りものは、いずれ返すべきものである
孟子は、古の聖王たちの仁義の在り方を三つに分けて示した。堯や舜は、天性そのままに仁義を体現し、生まれながらにして徳を備えた人物である。殷の湯王や周の武王は、自己を修養し、努力を重ねて仁義を身につけた王である。一方、五覇――斉の桓公、晋の文... -
志ある者は、達成するまでやめてはならない
孟子は、志を立てて物事に取り組む者は、目的を達成するまで決して途中でやめてはならないと教えた。それは、井戸を掘る作業にたとえられる。どれほど深く掘っても、水の湧く泉に達しなければ意味がない。たとえ「九軔(きゅうじん)」──つまり非常に深く... -
地位のために志を変えてはいけない
孟子は、柳下恵が三公という高い地位を得るか失うかに関わらず、自分の生き方や考え方、行動を変えなかったことを称賛した。柳下恵は、地位や名声を追い求めることなく、常に自分の信念を守り続け、外部の影響に流されることはなかった。孟子は、地位や権... -
欲望にとらわれず、正しい判断をする
孟子は、飢えた人や渇いた人がどんな食べ物や飲み物でもおいしく感じるのは、正しい味覚が失われているからだと教えた。飢えや渇きが人の味覚を狂わせているように、欲望もまた人の心を乱すことがある。もし人がこのような欲望に影響されず、心を安定させ... -
臨機応変に判断して最適な処置を取る
孟子は、楊朱と墨翟(墨子)の考え方の違いを例に挙げて、道においてどのように行動するべきかを説いた。楊朱は自己の利益を最優先し、たとえ自分の毛を一本抜くことで天下のためになるとしても、自己の利益にかなわなければそれを行わない。これに対して... -
ひたすら善を為すことが聖人の道
孟子は、早朝に鶏が鳴いて起きた後、ひたすら善を為すことに努める者は、聖人である舜の仲間であり、善を追求する者だと説いた。一方、同じように鶏が鳴いて起きた後、ただ自分の利を追い求める行動をする者は、大盗賊の跖の仲間であり、自己中心的な利己... -
一歩一歩積み重ねなければ目的には達しない
孟子は、孔子が東山に登って魯の国を小さく感じ、太山に登って天下を小さく感じたように、広い視野を持つことで物事の相対的な大きさが見えてくると教えた。同じように、海を観る者は他の水域を小さく感じ、聖人の門で学んだ者は一般的な言論に驚かない。... -
十分に豊かな生活が仁を育む
孟子は、民が豊かに生きるためには、田畑をよく治め、租税を少なくすることが必要だと説いた。民が豊かになれば、食物は時節に合ったものを食べ、消費するものは礼に従った身分相応なものとなるため、財貨は尽きることなく、十分に得られる。人々が生きる... -
老人には暖かい服と十分な食事を
孟子は、老人を養うためには適切な方法で資源を分配し、家庭内で自立できる仕組みを作ることが大切だと教えた。例えば、五畝の宅地に桑を植え、婦人が養蚕を行うことで、老人は絹の服を着ることができる。さらに、五羽の雌鶏と二匹の雌豚を飼い、その繁殖... -
老人を大切に養う政治には、仁人が集まる
孟子は、伯夷と太公望がそれぞれ紂王の暴政を避け、周の文王のもとに身を寄せた逸話を通じて、老人を大切に養う政治がいかに重要であるかを説いた。伯夷は、北海の浜辺で隠れ住んでいたが、文王が王者として立ち上がり、老人を大切にする政治を行っている...