2025年5月– date –
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すべての物に、君主の心を学べ
――食・馬・舟・木に込めた、太宗の教え 太宗は、皇太子となった李治(後の高宗)に対して、日常のあらゆる事物を通じて帝王の道を説いた。胎教はできなかったが、太子を立てて以後、ひとつひとつ手を取り導くように教訓を与えていたという。 食事に臨んで... -
君主たる者、民の痛みを知らずして政は為せぬ
――奢りに流れぬよう、太子には民の現実を教えよ 太宗は、太子の補佐役である于志寧(うしねい)と杜正倫に語った。「太子は宮中で育ち、民の苦しみを知らぬ。ゆえに、お前たちは太子に民の利害を教え、正しく導いてほしい」と。 自らは十八歳まで民間で暮... -
皇太子にこそ師友を与え、徳と識見を育てよ
――過保護では君主は育たぬ 高宗(李治)が初めて皇太子に立てられたとき、太宗は彼を手元に置き、東宮へ移すことを避けた。だが、散騎常侍の劉洎(りゅうきつ)は、それでは皇太子が学ぶ機会を失うとして、丁寧かつ情熱的な諫言を行った。 劉洎は説く。皇... -
礼は師を尊ぶことに始まる
――皇太子であっても、師には頭(こうべ)を垂れるべし 太宗は、皇太子が師傅を敬うことでこそ、真に道徳を学ぶ姿勢が育まれると考えた。三師(太子太師・太子太傅・太子太保)は道徳をもって導く存在であるから、形式的にも実質的にも、師の位を軽んじては... -
師を見ること、すなわち君を見ること
――親王には、父に接するように師を敬わせよ 太宗は、親王が身を崩すのを防ぐためには、日々の教育と態度が肝要であると考えた。とくに魏王・李泰の補導役には、忠直で志高い王珪を任命し、その接し方についてまで細かく指示した。「王珪に会うときは、私と... -
人を育てるのは、身近な者の徳
――師傅いかんが、君主の器を決める 太宗は、皇太子や親王の将来を案じ、補佐役=師傅の選定がいかに国家の安定に直結するかを強調した。 高潔な人物は自然と悪に染まらないが、中庸の知恵しか持たぬ者は、近くにいる人の影響を強く受けてしまう。成王が賢... -
聖王に師あり、凡人に師なくして何をなせようか
――補導役なき政治は、王道たり得ぬ 太宗は、自らの至らなさを認めたうえで、聖王たちに必ず師がいたことを挙げ、三師(太師・太傅・太保)の制度を律令に明記すべきだと詔した。黄帝、堯、舜、禹、湯、文王、武王――名君の誉れを受けた彼らでさえ、賢き師に... -
厳粛なる師の志は、太子をして頭(こうべ)を垂れさせる
――威儀と敬意が、人を導く 皇太子の補佐役であった李綱(りこう)は、足の病に悩まされながらも、師としての威厳と気概を失わなかった。太宗は彼を深く尊重し、輿を賜って親衛軍に担がせ、皇太子自らに宮殿へ昇らせて拝礼させた。これほどの礼遇が示された... -
国を守るは、跡を定めること
――皇太子と親王の秩序こそ、万世の礎 太宗は家臣たちに「今、国家にとって最も急務とは何か」と問うた。民の安定、異民族との調和、礼儀の涵養――それぞれの重視する理想が語られたが、褚遂良はこう述べた。「最も急務なのは、皇太子と親王の立場を明確にし... -
嫡と庶の秩序こそ、国家安定の礎
――親王は皇太子を越えてはならぬ 褚遂良は、魏王・李泰の王府への支給が皇太子を上回っていることに対し、礼に反するとして太宗に諫言した。皇太子は天子に次ぐ存在として特別の地位にあり、その待遇は礼によって最も重んじられるべきである。庶子である親...