2025年5月– date –
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節度と敬意を失えば、君の道は滅びに向かう
皇太子・李承乾の放縦と奢侈は、ついに極みに達した。宮室の過剰な増築、淫靡な音楽への耽溺、労働力の酷使、異民族の招き入れ――。これらの振る舞いに、太子詹事の于志寧は繰り返し文書で諫言を行った。 「倹約こそが道を広め、奢侈は徳を損なう」于志寧は... -
忠言は耳に痛くとも、国を救う種となる
太子右庶子・張玄素は、皇太子・李承乾の狩猟と放縦な生活を深く憂い、幾度も書を上げて諫めた。その言葉は、歴史の教訓に基づき、忠義と真心に貫かれていた。 張玄素は、「天は徳ある者を助け、奢侈と欲に溺れる者は神にも人にも見放される」と警告し、狩... -
いさめる者の覚悟が、道を正す力になる
皇太子・李承乾の行動が次第に礼を欠き、放縦になっていく中で、側近たちは沈黙することなく、その過ちを諫め続けた。太子左庶子の于志寧は、風刺を交えた書物『諫苑』を著し、筆をもって道を説いた。また右庶子の孔穎達は、太子が顔をしかめようとも意に... -
国を継ぐ者こそ、学びと節制を忘れてはならない
李百薬は、皇太子の李承乾に対して、深い憂慮と敬意を込めて「賛道の賦」を著した。その詩賦は、過去の名君と暗愚な世継ぎの対照を描きながら、皇太子に対し正道を歩むよう促す諷刺と訓戒であった。 天命を受けて民を治める者には、並外れた知性と努力、そ... -
【現代語訳】第一章「李百薬の賛道の賦」
李百薬は、皇太子・李承乾の侍従に任命された当時、皇太子が学問に熱心でありながらも、暇な時間には遊び呆ける姿を見て、その姿勢を諫めるために「賛道の賦」という賦文を作った。その内容は、過去の聖王や歴代太子たちの成功と失敗の事例を引用しながら... -
地方の長官は人格と経験を備えた者に
――若き皇子はまず学び、しかる後に民を治めよ 貞観年間、幼い皇子たちが刺史や都督に任じられることがあった。これに対して諫議大夫・褚遂良は、「教育なきままの任官は、州民を苦しめる危険がある」と強く諫めた。 刺史とは、単なる名誉職ではなく、民の... -
子である前に臣でもある
――親の愛をあてにして礼法を捨てるなかれ 太宗は、呉王・李恪に向かってこう諭した。「父が子を愛するのは天性であり、誰に教わらずとも当然の情である。だが、子が忠孝を尽くさず、礼法を踏みにじれば、たとえ父の愛が深くとも、刑罰を免れることはできな... -
創業の君は民に学び、継承の君は徳を学べ
――富貴に生まれた者こそ、労苦を知るべし 太宗は、名臣・房玄齢に対してこう語った。「歴代の創業君主は、皆民間に育ち、民の苦楽を体得していた。ゆえに、国を乱すような愚を犯すことは稀だった。だが、彼らの子孫、継承の君主たちは、生まれながらに富貴... -
富貴は偶然、徳行は真の価値
――王に生まれても、小人となるは自らの業による 太宗は李元景・李元昌・李恪・李泰ら王たちに向かい、地位や富を持つことよりも、日々の行いと徳を積むことこそが人としての価値を決めると説いた。 漢代以降、皇帝の子弟で封土を授かりながらも、真に名声... -
「善悪」の記録を胸に刻め
――繁栄も滅亡も、自ら積んだ行いによって決まる 太宗は、皇子たちの将来を深く案じ、歴史上の王侯貴族たちの「善行と悪行の実例」を集めて書物とし、『諸王善悪録』を編纂させた。この書には、成功者の道と、滅亡へ至った者の愚が明確に分けられて記されて...