2025年5月– date –
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富貴と道理
孔子の教えは、富貴そのものを否定するものではない。ただし、それが道理を欠いたものであるならば、むしろ貧賤のほうが潔く、尊い。富を得ようとする心は否定されるべきではないが、その過程において踏みしめる道が正しくなければ、得た富貴は虚しく、己... -
金に対する覚悟
まことに世に立ち、完全なる人物たらんと欲するならば、まずもって金に対する確たる覚悟を持たねばならぬ。金は人を助け、世を動かす力を持つが、また人を惑わし、誤らせる魔性も宿す。富を得ることを恥とせず、しかし富に心を奪われることなく、清濁を見... -
慾望と道理の調和
物を進めたい、増やしたいという欲望は、人の本性として避けがたいものである。しかしながら、この欲をそのまま放任すれば、やがて道を外れ、身を滅ぼす因ともなりうる。ゆえに、欲望は道理によって律し、節度と判断とに基づいて活動せしむべきである。心... -
利殖の本質について
真正の利殖は、仁義と道徳を土台として築かれるものである。これを欠いた利得は一時の繁栄に過ぎず、やがて崩れ去る運命にある。人の道に背かず、信を守り、誠を尽くして得た利益こそが、永続する価値を持つ。商いとは、単に金銭を追うものではなく、世に... -
常識とは、智・情・意の調和である
人として世に処するにあたり、最も欠かしてはならぬものが常識である。常識とは、事に当たって奇矯に流れず、また頑なにもならず、善悪是非と利害得失を見分け、言動を中庸に保つ力である。 この常識の本体は、「智」「情」「意」の三つの力が調和した状態... -
忠と孝を根に据え、沈思黙考して事にあたれ
人の意志は、生まれながらに強固であるものではない。されど、正しき心の柱を立て、思慮深く物事に臨むことで、その意志は磨かれ、鍛えられていく。 その柱こそ、「忠」と「孝」である。忠とは、公に対する誠、孝とは、私に対する義。この二つは、人として... -
学びとは、日々の注意から始まる
人は誰しも、生涯にわたり学び続けねばならぬ。書を読むだけが勉強ではない。世の事物に目を凝らし、心を留めること。これもまた、学問と同じく大切な務めである。 知識は書物に在り、経験は世に在る。書は読めば語るが、世は問わずして語らぬ。されど、日... -
行為の善悪は、志と所作を量ってこそ見える
人を評価するとき、目に見える行為や言葉だけで、その善し悪しを即断してはならぬ。 行為とは、志と所作とが織りなすものである。どれほど立派な振る舞いに見えても、その裏に私利私欲があれば、それは偽善の衣をまとった悪である。 反対に、粗野で拙い行... -
真の才知は、常識に宿る
人が世において真に役立つとは、単に知識が多いとか、才覚があるということではない。公の務めにあっても、私の生活においても、真に求められる力は、常識である。 常識とは、何も平凡を意味せぬ。それは、理非曲直を弁え、物事の順序を正しく理解し、人と... -
偉さより、まず常識を持て
世には、「偉い人」と称される者がある。その人の中には、性格に多少の欠陥があろうとも、なお余りある一芸・一徳・一能によって、人の上に立ち、世に名を残す者がいる。 その偉さは、確かに世の進歩を促し、新しき道を切り拓く力ともなろう。余もまた、か...