2025年5月– date –
-
日々の修養と聖人への道
人は生まれながらにして完全ではなく、過ちを犯すものである。されど、誠実に修養を重ねるならば、過ちは一日一日と遠ざかり、善への歩みを深めることができる。修養とは、突如として成果を得るものではなく、静かに、着実に、日々の思考と行動を正し続け... -
変化に臨む自省と慎重
人は平生、己の主義主張を胸に抱き、それに従って歩むべきである。しかし、現実の中で事に臨み、予想せぬ局面に出逢ったとき、その信念が揺らぎ、考えを変えねばならぬ状況が訪れることもある。そのような時こそ、慌てて決断に走るべきではなく、再三再四... -
修養と公のための精進
今日における修養とは、ただ学を積むにとどまらず、力行と勤勉をもって実践に移し、智と徳の完全を目指すものである。その道は終わりなきものであり、日々の鍛錬と誠実な努力によってのみ成就される。しかしながら、修養は決して自らの向上のためだけにあ... -
国家と民の安寧を念う志
国家を思い、国を興し民を安んずるための方策を講ずることは、為政者にも実業人にも共通する重大な務めである。かつて相馬藩において定められた興国安民の法もまた、その精神において尊ぶべきものではあるが、今日においては、その存廃を論ずるにとどまら... -
人を量る真の物差し
人の価値を論じようとするならば、その富貴や功名、また成功や失敗といった外形的なものを第一に見るべきではない。それらは移ろいやすく、運や時勢にも左右されるものであり、真の人間性を映す鏡ではない。真に人を評価すべきは、その人がいかに世のため... -
真人の道
人が禽獣と異なる所以は、ただ言葉を話すからでも、道具を使うからでもない。徳を修め、智を啓き、己の力をもって世に益する貢献をなし得てこそ、はじめて人としての真価が問われる。すなわち、人間に与えられた理性と倫理の力を自覚し、それを実際に生か... -
職業の道と神聖なる富
人はそれぞれに異なる職を持ち、その職において尽くすべきを尽くすことが、社会を成り立たせる礎である。道理を誤らず、他を侵さず、己の分を守って富を築くのであれば、いかに発展を遂げようとも、それが争いや害を生むことはない。このようにして得られ... -
真正の文明とは何か
真正の文明とは、単に外見の華やかさや技術の進歩を指すものではない。そこには、内において力強く、外において富を備えた調和がなければならぬ。強力とは、ただ軍事や権力を意味するのではなく、国家や民の精神的力量、道義の力をも含む。富実とは、物資... -
利と義の一致
利殖と仁義とは、相反するものではなく、本来一致し得るものである。正しき道を踏み、仁義をもって為したる利こそ、真に価値ある利であり、永く続く繁栄の礎となる。私は古の聖賢の教えである『論語』と、実際の計数を司る『十露盤(そろばん)』の二つを... -
生産と利潤の根本
生産し、利を殖やす営みは、決して利欲のみによって為されてはならぬ。そこに仁義道徳の根を据えずして得た利は、一見繁栄のように見えても、真の価値も永続も持ち得ない。人を利し、己も利するためには、まずもって誠実と信義を重んじ、公平と正道を貫く...