2025年5月– date –
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君子であっても、憎むべき者はいる――“憎しみ”の背後にある倫理
弟子の子貢(しこう)が「君子も人を憎むことがありますか」と尋ねると、孔子ははっきりと「ある」と答えた。ただしそれは私的な感情による憎しみではなく、「徳や秩序を壊す行為」への道義的な拒絶である。 孔子が憎んだ四種の人物: 他人の悪を言いふら... -
勇気は「義」によって初めて価値あるものとなる
弟子の子路(しろ)が「君子は“勇”を尊ぶのでしょうか」とたずねたとき、孔子は明確にこう答えた。**「勇よりも“義(ぎ)”が上だ」**と。 孔子は、「勇」は確かに大切な徳であるが、それが「義」と結びつかなければ害をもたらすと説く。 地位のある者(君... -
働かず、学ばず、考えず ――それは人として最も惜しい生き方
孔子は、何も考えず、何も学ばず、ただ食べて時間を潰すだけの生き方を、強く嘆いた。そのような者は、せっかくの人生を無為に浪費していると批判している。 驚くべきは、孔子が「博奕(ばくえき)――さいころ遊びや囲碁のような娯楽」にさえも、「それすら... -
喪とは形式ではなく、親への深い恩に応える“心の時間”
弟子の宰我(さいが)は、孔子に問いかけた。「三年も喪に服すのは長すぎませんか? 君子が三年も礼楽を行わなければ、社会秩序が乱れてしまいます。穀物も火種も一年で巡るのですから、喪も一年でよいのではないでしょうか」。 これに対して孔子は、厳し... -
会わないことにも、教えと意図がある
ある日、魯(ろ)の人・孺悲(じゅひ)が孔子に面会を求めたが、孔子は病を理由にこれを断った。しかし、そのすぐあとで孔子は瑟(しつ:弦楽器)を奏で、歌を歌っている――つまり、病気というのは表向きの理由であり、実際には意図的に会わなかったことを... -
教えは、言葉よりも“姿”にあらわれる
孔子はある日、「私は、もう何も言葉で教えるのをやめようと思う」と弟子たちに語った。これを聞いた子貢(しこう)は驚き、「先生が何もおっしゃらないのなら、私たちは何を後世に伝えていけばよいのでしょうか」と問う。 孔子は、それに静かにこう答える... -
正しいものがゆがめられ、悪が力を持つことを憎む
孔子は、「邪(よこしま)」が「正(ただしさ)」を覆い隠す現象を強く憎んだ。それは、表面的には美しく見えても、本質を損なう危険な兆しである。 その例として挙げられたのが三つ: 紫(むらさき)が朱(あか)を奪う → 紫は間色(まじりもの)である... -
口先と笑顔だけの人に、真の「仁」はない
孔子は、言葉巧みに人に取り入り、作り笑いで愛想よく振る舞う者を厳しく戒める。そのような人物に、仁(じん)――すなわち思いやりと誠実さをもつ人間は、ほとんどいないという。 「巧言(こうげん)」とは、耳ざわりのいい言葉で人の心をつかもうとするこ... -
欠点にも“美質”があった時代を忘れてはならない
孔子は、昔の人々には確かに欠点(=三疾)があったが、それにも美徳が備わっていたと語る。しかし今の人々には、その美しい側面すら消え去り、欠点だけが露骨に残っていると嘆いた。 孔子が挙げた三疾とは、「狂(きょう)・矜(きょう)・愚(ぐ)」――い... -
志の低い人物と共に働けば、身を滅ぼす
孔子は、「鄙夫(ひふ)」――志が卑しく、人格が劣った者とは共に仕えるべきではないと強く戒めた。そのような者は、仕事や立場に対して私利私欲の視点しか持っていない。まだ地位を得ていなければ「どうやって得るか」ばかりを考え、一度手に入れれば「ど...