2025年5月– date –
-
志に生きるにも、時と理に応じて歩む
時勢と道理を見極め、自らの道を定めていく 孔子は、かつての時代に「逸民(いつみん)」と呼ばれる世を避けた賢者たちが七人いたことを語る。彼らはそれぞれ、時代の中でどのように志を貫き、またいかにして身を処したか、その違いに注目していた。 まず... -
乱世にあっても、志の義を捨てない
身を守るより、義を通して生きる覚悟を選ぶ 旅の途中、子路(しろ)は孔子と一時はぐれ、ひとり道に遅れた。そのとき、杖にかごを掛けて農作業をする老人に出会い、「先生(孔子)を見かけませんでしたか」と尋ねた。老人は「口だけ動かし、体を働かさず、... -
志を語り合い、世を共に生きる覚悟
人の世を離れるより、人の世と向き合いたい 隠者とされる長沮(ちょうそ)と桀(けつ)が並んで畑を耕していたところを、孔子と弟子の子路が通りかかった。孔子は子路に川の渡し場の場所を尋ねるよう命じた。 長沮に尋ねると、彼は「馬車で手綱を取ってい... -
批判する者には自分の思いを語りたい
志を問われたとき、語らずにはいられない 楚の国に住む、狂人と称される男・接輿(せつよ)が、孔子の宿舎の前を通りかかり、風刺を込めた歌を歌った。その歌は、孔子を聖なる霊鳥「鳳凰」にたとえ、こう告げていた。 「鳳や鳳や、なぜこの乱れた世に姿を... -
政治よりも美女を好む主君には仕えない
国を治める意志なき者には、仁は尽くせない 孔子が魯の国で政治に参画すると、国は大いに治まり始めた。その変化を警戒した隣国・斉は、策略として美人八十人による楽団(女楽)を魯に送り込む。これを受け取った大夫・季桓子(きかんし)は、定公(ていこ... -
まずは待遇よりも志があるかが大切だ
志なき者に、仁は託せない 斉(せい)の国の君主・景公(けいこう)は、孔子を招こうとしたが、その待遇を巡って家臣と議論していた。「魯の国の上席である季氏ほどの厚遇は無理だが、季氏と孟氏の中間くらいならどうだろう」と言ったものの、最終的には「... -
今の場所でがんばってみる(正しい道を通すことをあきらめない)
正しさを曲げてまで、遠くへ行く必要はない 柳下恵(りゅうかけい)は、魯の国で裁判官(士師)として三度任命されながら、三度ともその職を解かれた。その姿を見て、ある者が「他国で仕えたらどうか」と勧めたところ、柳下恵は毅然として答えた。 正しい... -
仁の実践にはいろいろなやり方がある
それぞれの立場で、仁を貫いた三人 孔子は、殷王朝の末期に暴政を行った紂王に対して、三人の「仁」の人がそれぞれ異なる行動を選んだことに注目した。微子は身を引き、殷の祭祀を絶やさぬようにした。箕子は狂人を装い、奴隷となることで身を守った。比干... -
四十にしてなお人に嫌われる者は、もう改まりようがない
孔子は、人の成熟と人間関係の在り方について、次のように厳しく述べた。 「四十歳にもなって人に嫌われているようでは、その人はもう終わっている」。 ここで孔子が問題にしているのは、歳を重ねてもなお“人望が得られない”人格である。四十という年齢は... -
教養も節度もない者は、近づいても遠ざけても難しい
孔子は、教養や節度に欠けた者との接し方の難しさについて、次のように語った。 「教養のない女性(=淑女でない女性)と、小人(しょうじん)――つまり徳に乏しく利己的な人間は、扱いにくいものである。こちらが情をもって親しく接すれば図に乗り、距離を...